私の顔を優しい瞳で見つめてくる。
顔に熱が集まる感覚。私は顔を逸らした。


「きゅ、急に何なの。そりゃ、昔から一緒にいるわけだし……」

「そうだな。だが、俺は知ってる通り俺じゃなくなる時がある。本当の好物も隠して、偽りの好物を表に出してる。その中で、早苗の前では本当の俺でいられるからよ……まぁ、何だ……嬉しいもんだなって」

「……も、もう何でそんなっ。トシってそんな素直に自分の気持ち言う人だったっけ？」


もう顔を見れない。
手で顔を覆い隠した。


「うるせぇよ。俺だってたまには……もう言わねぇ！」

「どこ行くの！？」


離れる気配がして顔を上げた。
トシは玄関に向かっている。


「帰る」

「え？」


怒ったのだろうか？
しかしそれはすぐに違うことに気付いた。

長年一緒にいるから分かる。彼は照れているのだ。


「トシ、もしかして――」

「うるせぇ！　こっち見るんじゃねぇ！　俺は帰る！」


去っていくトシの背中を見つめるしかなかった。

そんなことがあって数日はトシに会うことはなかった。
電話しても出ないし、メッセージ送っても返事なし。また新たなターゲットを見つけたのかもしれない。

ちょっと寂しい気もしたが、私も大概馬鹿で好きな人の行動にきつく異を唱えることも出来ないのだ。

最後に会ってから一か月ほど経った時だった。友達と遊びに行っていた私が夜に家に帰ると、玄関先に人影。
不審者かと思って恐る恐る様子を窺う。
しかしその人は不審者でも何でもない、トシであった。

久々に見た彼の姿に胸がときめく。一呼吸して近付いた。


「トシ、どうしたの？」

「早苗、夜に悪いな。ちょっと顔見たくなってよ」


何だろう。こんなこと言う人だったっけ？
そう思ったが、それよりも心臓が高鳴ってあまり深く考えられなかった。


「と、とりあえず入る？」


鍵を取り出し玄関を開けて中に促した。




――……‥‥

お茶を出すと、トシから他愛のない話を切り出してきた。


「そういや、お前の母さん元気か？」

「お母さん？　たまに電話で話すけど元気そうだよ。何で？」

「いや、少し昔のこと思い出してな」


トシは長年家に帰っていない。
結婚詐欺をしていることも実家の人間は知らない。むしろまともな職についていると信じている。家族すら騙しているのだ。トシは。

私の実家とトシの実家は近所だ。私はたまに帰省しているがトシの家族も元気そう。その度にトシにそのことを伝えるんだけど、やっぱりあんまり関心なさそう。


「トシも帰れば良いのに」

「……俺は帰れねぇよ。あの家の空気は合わねぇ」

「皆心配してるのに。トシはどうしてるか、ってたまに聞かれるんだから。何とか連れて帰ってきて、とも言われるし」


私とトシが今でも交流あることは、双方の実家が知っている。だから帰省するたびに、トシの家族から近況を聞かれてたまには帰ってくるように言ってくれるか、とお願いされる。
トシは、家族からの連絡もきっぱり無視しているみたいで連絡がつかないと嘆かれるのだ。


「俺は今はまだ帰らねぇ」

「……そう決めてるなら無理にとは言わないけど。というか今はって？」


いつかは帰るという事だろうか。するとトシは前みたいに私の近くにやってきた。
あの時のことが思い起こされて、身構えてしまう。


「この一か月、考えてた」


私の隣に座ると真剣そうに告げた。


「……何を？」

「もう、詐欺なんて辞めようと思う」


その言葉に目を見開いた。


「え、何かあったの？」


もう何年も詐欺をしてお金を騙し取って来て、本人も「こんな良い仕事ねぇよ」と言っていた。辞めるなんて一回も口にしたことなかった。


「早苗に言われて考えた。もう俺も良い歳だからな。本当の幸せってもんを見つけてみようかと思ってな」

「幸せって……」

「将来のこと考えると、そろそろ身を固めてガキの一人や二人欲しいと思っただけだ。今の薄汚れた金でガキを育てるのは流石に俺も躊躇うし、お前が俺はどっかの企業の営業に向いてるっていうんならそれも良いかと思ったまでだ」


私のこれまでの言葉がトシに届いた。それが嬉しかった。
今まで数々の女の子と、気持ちがないとはいえキスしたり体の関係を持っていたことが嫌だった。
「今頃、トシは――」と考える日常ともとりあえずははおさらば出来る。

私は逸る気持ちを抑えて聞く。


「じゃあ、これからそういう人を見つけていくの？」


トシがいつか本当に結婚する時が来るまできっとまだ時間がある。
今はいないということを聞いて安心したかった。
しかし、トシは予想の斜め上を行く反応を見せた。


「これから、っていうか……はぁ……ここまで言ってわかんねぇのか」

「え？」

「……」


じっと見つめてくるトシ。
その綺麗な顔立ちと瞳に引き込まれる。すると、トシは私の手を握りしめた。


「トシ？」

「早苗……」


流石の私もその雰囲気がいつもと違うということは分かる。
どうしていいか戸惑っていると、その掴まれた手を軽く引っ張られた。

そして――


「！？」


唇に今まで経験したことのない感覚。
キスされた。そう認識するのに時間はかからなかった。
抵抗しようにも、力強く抱きしめられ身動きが取れない。

本当にどうしたらいいのか分からず、ただ固まるしかなかった。

数秒、その状態が続いたと思う。離れていくトシの瞼がゆっくりと開く。私は咄嗟に両手で唇を覆った。


「……こういうことだ」


こういうことだ、って言われてもどういうことなのか。
頭がついていかない。


「一回しか言わねぇからよく聞け。俺の本当の姿を知っているのは早苗だけだ。俺が安心して隣にいられるのも、だ。本当の幸せを手に入れられるとしたら、それはお前なしじゃありえねぇ。だから……俺と一緒にこの先もいてくれねぇか？」


優しく微笑むトシに、私はくらくらする。
それでも何とか理解出来た。

ずっと好きだった。子供の頃からずっと。だからこそとても嬉しい。
悪いことも辞めてくれると言い、私と一緒にいたいと思ってくれる。それが今までの人生一番の幸せだと感じた。

沢山伝えたい思いはあった。しかし私はトシの告白に何度も頷くしか出来なかった。

再び強く抱きしめてくるトシの背に、私も手を回した。