past

『一番の宝物 10years ago』


「『えー』じゃない?」
「『びー』だよー」
「おまえらバカだな、これは『アール』だよ」

 灰色の廃れた建物が並ぶ貧困街カムイ。
 その街の中、孤児たち集まりが住まう秘密基地は朝から騒がしかった。

「ねえねえ、これ、なんか思い出さない?『あーる』!」
「あ、……ぅ、……うぅっ」
「アヤ、ちょっとまてって、まだ落ち着いてないから」

 一人の少女を囲い、孤児たちはわいわいと騒ぐ。その中心にいる少女はどこか怯えた様子で、たまにビクリと体を揺らしながら狼狽えている。
 今朝、シグレが連れきたばかりの新しい仲間だ。
 孤児たち、とくにアヤメは新しい仲間を向かい入れることに歓迎し浮かれ立っているが、少女のほうは状況に置いてけぼりをくらっているようで不安そうに体を震わせている。傍らでユウリはそんな少女を慰めようとしているのか少女の服の裾をぎゅっと握りしめ寄り添った。

「ねえ、ほんとになにも思い出せない?」
「うぅっ、ご、ごめんな…さっ……」
「泣くなって、だれも怒ってねーから」

 少女には記憶がなかった。自分がどこから来てなぜこの街にいるのか、それどころか名前も歳も、自分のことすら何もわからなかった。そのことがまた少女を不安にさせ、頬に涙を伝わせる。
 少女が泣くのにつられユウリも一緒になって涙ぐみ始めるので孤児たちは慌てて二人をなだめた。

「名前がないのはこまるよね」

 アヤメは手に持つネームプレートに目を向ける。ユニシアのスカートのポケットに唯一入っていたもので、煤けた文字で『R』とだけ書いてある。

「『あーる』かあ、あーるあーるあーる……」

 アヤメはその単語を呪文のように繰り返し呟き、腕を組みむうっと考え込む。

「よし!じゃあユニシアにしよう!」

 急に声を上げるアヤメに驚いた少女はまた大袈裟なほどその身を震わせた。アヤメはそれにお構いなしでにこりと笑いかける。

「ゆにしあ……?」
「そ、キミの名前。ないと困るし、思い出すまででも」
「……ユニシア」
「いい名前だな、ユニシア」

 シグレに誉められアヤメは誇らしげに胸を張る。その様子を眺めながら少女はもう一度その名前を繰り返す。
 ――ユニシア。
 ユウリもそれを真似をし「ゆにしあ、ゆにしあ」と何度も繰り返した。

「……いやユニシアって、『R』関係ないじゃん」

 誰かがそう呟く。

「『R』どこにも使ってないよね、ユニシアって名前」
「ユニシアじゃ『U』になるよね」
「『Y』じゃない?」
「ふつう『R』から取ってくるものじゃないの?」
「しょうがないじゃん、ボク字の読み書き得意じゃないもん」
「開き直るなよアヤ兄」
「わかんないなら他の子に頼めばよかったじゃん」
「いやだ、ボクが付けたかったの!」
「『R』どうするの?この子の唯一の持ち物なのに」
「じゃあ『ユニシア・R』ってことに」
「あーくんそういう横着なことするよね」

 少女の名前のことで孤児たちはまたわいわいと騒ぎ始める。その様子を呆れながら眺めるシグレと、その傍らには「ゆにしあ」とまだ繰り返しているユウリ、そして少女は――

「……ふふっ」

 ユニシアははじめて笑顔を見せた。
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