short

『想い違い』


「お兄ちゃん」

 明りのない真夜中、小さな手に揺り起こされて目を覚ました。

「どうしたのアカネ、怖い夢見た?」

 暗がりの中で鼻をすすり嗚咽が上がるのが聞こえる、きっとその大きな丸い瞳からもボロボロと絶えず涙をこぼしているんだろう。
 僕が体を起こすとそれを待っていたかのように小さな体が胸の中に飛び込んでくる。

「お兄ちゃんいかないで、どこにもいかないで、ぼくを置いていかないで」

 嗚咽混じりにそう言葉を呟き、アカネは小さな手に、体に、懸命に力を込め必死に僕にしがみつく。
 僕は胸の中で震えるアカネの小さな背を優しく撫で、落ち着かせようと抱きしめる。

「大丈夫だよ、どこにもアカネをおいてなんていかないから」

 あの頃、アカネがそうやって夜中に泣きだすことは少なくなかった。
 僕がいくら言葉を掛けても、頭を撫で背中をさすり抱きしめてあげても、アカネが安心して眠ってくれることはなかった。

 だから僕は、不安に震えるこの小さな体のために生きようと思った。



 ***



「お兄ちゃん」

 あの頃、ぼくには兄さんしかいなかった。

「どうしたのアカネ、怖い夢見た?」

 一言で言えば"心が読める"力のおかげで人の裏表や汚いところも知っていたぼくは、人を好きになんてなれなかった。
 ただ唯一、心の読めない兄さんといるときは気持ちが楽で、兄さんのことだけは素直に信じられた。

「お兄ちゃんいかないで、どこにもいかないで、ぼくを置いていかないで」

 兄さんしかいなかったぼくは、その兄さんがいなくなってしまうことが何よりも怖かった。
 兄さんがいなくなったらぼくはひとりぼっちになってしまう。

「大丈夫だよ、どこにもアカネをおいてなんていかないから」

 だけど今はもうあの頃とは違う。
 ぼくにも人を好きになることができたし、兄さんの他にも大切なものができた、兄さんしかいなかった頃のぼくはもうどこにもいない。

 だからもう、ぼくは兄さんなんかいなくても生きていける。
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