alone flock -ひとりぼっちの群れ-

『ロボットと旅人』


 起動音が聞こえた。
 どこからかと思えば自分の中からだった、暗闇の中に機械仕掛けの鼓動の音が響く。
 自身の電源が入ったんだと気付くのには時間が掛かった。何故なら自分には自動電源起動機能などは付いていない、誰かに起動させてもらわないといけないのだ。
 しかしこの世界にはもう自分を起こすものなどいないはずだ。
 それなのに、どうして?誰が?
 暗闇の中、体が徐々に熱を帯び始める感覚に、久方ぶりに感じるその感覚に遠い日の記憶を思い出す。

 お嬢様カシラ――。

 自分のことを、子守ロボットである自分のことを本当の友達のように思ってくれた主である、小さな少女の姿が過ぎる。
 パッと目の前の暗闇が消え、光が差し込み、ようやく視界が開いた。

「おはよう」

 真っ先に目に入ったのは懐かしい少女の姿――ではなく、見知らぬ人間だった。
 柔らかな微笑みを携え自分を覗きこんでくるその顔に、起動したばかりでまだ思考が上手く働かないらしい子守りロボットは呆然とした様子でいる。

「はじめまして、僕は名も無いただの旅人、ノーマッドという呼び名で通っているよ 」
「ハジメマシテ、ノーマッド。ワタシは、エミリー」

 旅人につられ子守ロボットは漠然とした様子で自己紹介を返す。
 起動するのはいつぶりなのだろう。つい先程眠りについた気もするし、随分と長い間眠っていた気もする。辺りを見渡せば相も変わらず朽ちた建物が並び砂埃が宙を舞っている。
 まさかこんなところに自分を起こす者が、人間がいるなんて、……人間が――。
 曖昧な思考を巡らせていた子守ロボットは突然に、ようやく目の前の信じがたい光景に気が付くと素早く旅人の顔を見直した。

「なんで、人間ガ……?」

 人間が生きていたなんて、――いや、人間が生きているなんて。
 この星で人間が生存していることは有り得ないことだった。幾多の争いが起こり人間も、動物も、植物も、大好きなお嬢様も、生物という生物は全て死に絶えた。そして幾多の争いの末に生物の生きていけない環境に変わり果ててしまったこの星では、生物がその生命を維持させるこすら不可能なことで、目の前に佇む人間の存在は有り得ないはずのものだ。

「僕は少し特別だから」

 僕が、と言うより相棒が、か。
 理解し難い状況に固まる子守りロボットの思考を察したかのように、旅人はそう口にした。

「泣いている声が聴こえたんだ」

 旅人は衣服に付いた砂埃を払いながら立ち上がる。
 誰かの泣いてる声が聴こえて、それを探して歩いていたら、君を見つけた。旅人は子守りロボットに優しく微笑みながらそう続ける。

「泣いている声……?」

 子守りロボットは旅人の言葉が理解できずに考え込んだ。
 泣き声が聴こえた?ここには人間なんてもうどこにもいないはずなのに?一体誰が?どこから?
 そこで子守りロボットは気が付いた、もしかしてワタシが泣いていたと言いたいのカシラ?

「――きっとそれはワタシじゃないワ、ワタシは泣かないもの、涙なんて出ないもの」

 ロボットである自分が泣くはずがない。自分の体は人間のものとは違う、目の役割を果たすカメラは搭載されているが涙を流す機能は付属されていない。
 ――そもそも。

「ワタシには、涙を流す心なんてないカラ」

 涙を流すのは、泣くのは、心を持つ者だけだ。
 ロボットには心が無い、この子守りロボットにも同様に無い、いや無くなった。この子守りロボットには心があった、主である少女こそが子守りロボットの心だった。
 しかし大切な少女と共にあったものは、少女がいなくなると一緒に消えてしまい、今では子守りロボットの中は空っぽだ。お嬢様に教えてもらった嬉しいも楽しいももうわからない。
 ふいに少女の笑顔が浮かんだ。

「やっぱり、泣いていたのは君だったんだね」

 旅人はふわりと笑う。
 確かに君の瞳は涙を流すことはないかもしれないけれど、君の心から涙が溢れ出ていたから、君の悲しい寂しいと泣いている声が聴こえたから。
 旅人はそう言葉を続ける。

「……そんなはず、そんなはずナイ!」

 旅人のその言葉に、一瞬呆けた様子だった子守りロボットは次に絶叫するかのように声を張り上げた。
 だってお嬢様を失ったワタシは何も感じない!嬉しいも楽しいもなくなった、悲しいも寂しいもわからない!ワタシの心はお嬢様が持ってるの、お嬢様がいなくなったらワタシにはもう何もないの、お嬢様がいてくれないと何もわからないの!だからお嬢様とのお別れもちゃんとできないまま!
 子守りロボットは興奮した様子で矢継ぎ早に言葉を吐き出す。

「本当に?」

 旅人はそっと尋ねた。

「ねえ、君の大切な人と一緒にいたときのこと思い出して」

 旅人は子守りロボットの前にしゃがみ込むと、澄んだ瞳で子守りロボットを見つめた。
 旅人のその柔らかな物腰と落ち着いた声音に子守りロボットの熱も徐々に収まっていき、そして言われるがままに、何度も何度も繰り返し再生した少女とのメモリーを思い返す。
 少女と初めて出会った時から永遠の別れが訪れた時まで、全て記録してある。
 その中で真っ先に再生されたのは心をもらってからの日々、嬉しい楽しいがあった日々のことだった。

「その嬉しい楽しいは思い出に変わってしまったけれど、確かに君の中に残っているはずだよ」

 旅人は優しく、そして力強く口にする。

「君は心を失くしてなんかない」

 嬉しいも楽しいもちゃんとここに残っていて、悲しいも寂しいもきっとここにある。
 寂しさを埋めたかったから、悲しみに耐えられなかったから、だから君は大切な人からもらったココロを探して、だから君は自ら電源を落として永遠の眠りにつこうとした。
 君はもう寂しいも悲しいも知ってたんだ、それが寂しいや悲しいという気持ちなんだと気付けなかっただけで。

「君はきっと、君の心をよく知らないだけ」

 心の在り処なんて、誰にも見えないし、聞こえないし、触れないし、わからないものだから。
 旅人は子守りロボットの機械で出来た体を、胸の真ん中をこつんとつつく。

「――ココロがあればなんだってできるんじゃないの?」

 旅人の言葉を静かに聞いていた子守りロボットはどこか怪訝そうな様子だった。
 心があれば何でもわかる、誰かの命令を待たなくても心が全て決めてくれる、そう考えていた。
 旅人は困ったように笑った。心があるからいっぱい悩むんだ。

「これ、君のでしょ?」

 旅人は手の平をそっと子守りロボットへと差し出す。
 そこには子守りロボットのココロが――少女が子守りロボットに心を与えようとして贈った薄桃色のフェルトで出来たハートがあった。

「破れてたから直しておいたけど」

 あり合わせの物で済ませたから少し不恰好になっちゃった。と言って旅人は継ぎ接ぎになってしまったココロに申し訳なさそうに苦笑いで頬を掻く。

「だけど、ソレは」

 本当の心じゃなかった。布と綿で作られただけのものだ。
 俯く子守りロボットに旅人は優しく笑いかけ、その手に継ぎ接ぎのハートを握らせると両手で包み込んだ。

「でも、大切な人にもらった大切なものなんでしょ?」

 ――そうだ。子守りロボットの中で何かがパチンと弾ける。
 たとえ布と綿で作られただけのものでも、本当の心じゃなかったとしても、これはお嬢様が自分のために作ってくれたもの、大切なものに変わりはない。
 子守りロボットは改めて継ぎ接ぎのハートを見つめる。
 確かにこれは心ではなかったけれど、あの時お嬢様がくれたものは紛れも無く心だった。

「――なんだか、上手く言葉が出てこないワ」

 子守りロボットはぽつりと呟く。
 ココロに目を向けると自然とお嬢様と過ごした日々のメモリーが流れてくる。嬉しい、楽しい、そんな感情でいっぱいだった、今もそう、……そうなはずなのに、なんだかおかしい、嬉しいも楽しいもここにあるはずなのに、お嬢様が隣にいないと、違う。このココロを見ていると、なんだか。
 ――どう言葉にすればいいのかわからない。

「それは切ないって気持ちかもね」

 旅人は囁く。
 切ない?子守りロボットにはわからない感情だった。旅人は少し悩んだ様子で視線を宙へと彷徨わせる。
 寂しいとか、悲しいとか、恋しいとか、そんな気持ちでいっぱいになって苦しくなること、かな。

「そう、――心があるということは、良いことばかりじゃないのネ」

 これが苦しいということ。
 子守りロボットは初めて知った自分の感情と改めて向き合ってみる。
 嬉しいも楽しいも潰してしまいそうなほど、それどころか嬉しいや楽しいが強ければ強い程、その感情は自分の中でさらに増殖しているように思えた。
 自分の求めていた悲しい寂しいがこんなものだったなんて。知らなかったほうが、気付かなかったほうが良かったのかもしれない。逃れられない感情に自らの手で電源を落とし遮断してしまいたくなる。

「でもワタシはもっと知りたいワ、お嬢様がくれた大切なものなの」

 そう、たとえ嬉しい楽しいが悲しい寂しいになっても、切なくて苦しくて耐え難くなっても、それはきっとワタシがお嬢様のことを大好きな証だから。お嬢様のことが大好きだから、ワタシの中はこんなにも色んな感情でいっぱいになっているのだ。そのひとつひとつを、お嬢様がくれたものを、もっともっと知っていきたい。
 もしかしたらこれが愛しいという感情なのかもしれない。子守りロボットは継ぎ接ぎのハートを大事そうにぎゅっと抱きしめた。

「もしもまた見失うことがあれば僕が一緒に探してあげる」

 旅人はその様子に顔を綻ばせ、それから子供のような笑顔を見せると子守りロボットに手を差し伸べた。
 アリガトウ。
 子守りロボットは旅人へと手を伸ばし――そこでふいに空を見上げた。
 今ならちゃんと、お別れできる。

「サヨナラ、お嬢様」

 子守りロボットは旅人の手を取り、抱えていたココロを首に掛けた。
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