白鹿くんちの付喪神
「なあ白鹿」
そこは学校だった。
教室の中だった。
机が二つ、向かい合わせるように付いていて、それ以外は何もないがらんとした教室だった。
俺は向かい合わせになった席の片側に着いていた。
教室には人の姿がなかった。
それどころか廊下にも、校庭にも、人の姿はなかった。
恐らく校舎内のどこにも、もしくは校舎外のどこにも、人の姿はないのかもしれない。
しんとどこまでも静まり返ったそこにいたのは俺と、目の前にいるそいつだけだった。
視界に映る景色はやけにコントラストが映えていた。
窓の外から見える風景も、雲も、影も、いやにくっきりとした輪郭を持っていた。
それなのに、目の前にいるはずのそいつは、こんなにも近くにいるはずのそいつは、どこか輪郭がはっきりせず、ぼやけたように曖昧なものに見えた。
「雨森」
俺はそいつの名前を呼んだ。
すると少しだけそいつの輪郭がはっきりとしたような気がした。
そいつは少し照れたようにはにかんだ。
「相変わらず他人行儀だな」
皆みたいに"アメアメ"って呼んでくれていいんだぞ。
そう言ってそいつは笑った。
"アメアメ"というのはそいつがクラスメイトから呼ばれていたあだ名だった、名字と名前に"雨"と漢字が入っていることからきたらしい。
俺は一度もそのあだ名で呼んだことがなかった。
名字で呼ぶ度に他人行儀だなんて言われたが、そんなおまえだって俺のことを名字で呼ぶくせに。
なんて言えば、"みーくん"とでも呼び兼ねないので、口にはせず止めておいた。
「なあ白鹿」
なんと口を開くか惑っていると、そいつが再度呼びかけてきた。
そいつはいつもと変わらず、ーーあの頃と変わらず、どこまでも澄んだ目をしてどこまでも穏やかな表情をしていた。
「俺はあのときのこと、悔やんでないよ」
そいつはそう、強がりからでも諦めからでもなく、本心から言っているようで、清々しいほどに晴れやかな顔をしていた。
それが平静を装っていた俺の心に波を立てた。
「俺は悔やんでる」
俺の口からは自然とそんな言葉がこぼれた。
そしてその言葉を皮切りに、俺の口からは次々と雪崩れるように言葉が溢れ出しそうになる。
「おまえを怪異と関わらせるべきじゃなかった」
「俺はそうは思ってない」
「あんなことになってもか?」
「あのときは互いに互いを思った結果だ」
「だからだ、悪意がなくても善意からでも関係ないんだ、怪異は存在そのものが異質で人に害をなす」
「白鹿」
「容易に関わるべきじゃないんだ、人と怪異は相入れるべきじゃないんだ」
「なあ白鹿、そんな寂しいこと言うなよ」
俺の言葉にそいつは困ったように笑う。
「そんなことを言われたら、俺はおまえとこうして話すこともできなくなる」
ちがう!
その言葉にはっとなり俺は思わず声を張り上げた。
勢いのままに机に手を突き立ち上がると、放り出された椅子は床に叩きつけられ、静寂に包まれた空間に盛大に音を立てる。
俺はそれに構うこともなく、いや、それに気を向ける余裕もなく、ただただ目の前のそいつを食い入るよう見つめる。
机二つ分の距離がとても遠く思えた。
声は届いてるはずなのに、手を伸ばせば届くところにいるはずなのに、何故だか遠い。
ちがう、おまえはちがう、おまえは、
「なあ白鹿」
取り乱す俺にそいつはそっと呼び掛ける。
その声は酷く穏やかなもので、その微笑みはどこまでも慈愛に満ちていて、そしてそいつはどこか儚げで、
「そんなにさ、いつまでも自分のことを責めるなよ」
なんて言っても、目が覚めたときには覚えてないだろうけど。
チャイムが鳴り響いた。
そいつの言葉を掻き消すように、誰もいない校舎にそれは鳴り響いた。
何度も、何度も、何度も、鳴り響く。
それは段々と音量が増し、その度にはっきりとしないそいつの輪郭が一層ぼやけていくように感じた。
「なあ白鹿」
まってくれ。咄嗟に手を伸ばすが届かない。
ぼやけたそいつと一緒に景色までもがぼやけてきた。時間切れとでも言うようにチャイムの音がうるさく鳴り響く。
「――――」
――そいつが最後に口にした言葉はけたたましく鳴る目覚まし時計の音に掻き消されていった。
そこは学校だった。
教室の中だった。
机が二つ、向かい合わせるように付いていて、それ以外は何もないがらんとした教室だった。
俺は向かい合わせになった席の片側に着いていた。
教室には人の姿がなかった。
それどころか廊下にも、校庭にも、人の姿はなかった。
恐らく校舎内のどこにも、もしくは校舎外のどこにも、人の姿はないのかもしれない。
しんとどこまでも静まり返ったそこにいたのは俺と、目の前にいるそいつだけだった。
視界に映る景色はやけにコントラストが映えていた。
窓の外から見える風景も、雲も、影も、いやにくっきりとした輪郭を持っていた。
それなのに、目の前にいるはずのそいつは、こんなにも近くにいるはずのそいつは、どこか輪郭がはっきりせず、ぼやけたように曖昧なものに見えた。
「雨森」
俺はそいつの名前を呼んだ。
すると少しだけそいつの輪郭がはっきりとしたような気がした。
そいつは少し照れたようにはにかんだ。
「相変わらず他人行儀だな」
皆みたいに"アメアメ"って呼んでくれていいんだぞ。
そう言ってそいつは笑った。
"アメアメ"というのはそいつがクラスメイトから呼ばれていたあだ名だった、名字と名前に"雨"と漢字が入っていることからきたらしい。
俺は一度もそのあだ名で呼んだことがなかった。
名字で呼ぶ度に他人行儀だなんて言われたが、そんなおまえだって俺のことを名字で呼ぶくせに。
なんて言えば、"みーくん"とでも呼び兼ねないので、口にはせず止めておいた。
「なあ白鹿」
なんと口を開くか惑っていると、そいつが再度呼びかけてきた。
そいつはいつもと変わらず、ーーあの頃と変わらず、どこまでも澄んだ目をしてどこまでも穏やかな表情をしていた。
「俺はあのときのこと、悔やんでないよ」
そいつはそう、強がりからでも諦めからでもなく、本心から言っているようで、清々しいほどに晴れやかな顔をしていた。
それが平静を装っていた俺の心に波を立てた。
「俺は悔やんでる」
俺の口からは自然とそんな言葉がこぼれた。
そしてその言葉を皮切りに、俺の口からは次々と雪崩れるように言葉が溢れ出しそうになる。
「おまえを怪異と関わらせるべきじゃなかった」
「俺はそうは思ってない」
「あんなことになってもか?」
「あのときは互いに互いを思った結果だ」
「だからだ、悪意がなくても善意からでも関係ないんだ、怪異は存在そのものが異質で人に害をなす」
「白鹿」
「容易に関わるべきじゃないんだ、人と怪異は相入れるべきじゃないんだ」
「なあ白鹿、そんな寂しいこと言うなよ」
俺の言葉にそいつは困ったように笑う。
「そんなことを言われたら、俺はおまえとこうして話すこともできなくなる」
ちがう!
その言葉にはっとなり俺は思わず声を張り上げた。
勢いのままに机に手を突き立ち上がると、放り出された椅子は床に叩きつけられ、静寂に包まれた空間に盛大に音を立てる。
俺はそれに構うこともなく、いや、それに気を向ける余裕もなく、ただただ目の前のそいつを食い入るよう見つめる。
机二つ分の距離がとても遠く思えた。
声は届いてるはずなのに、手を伸ばせば届くところにいるはずなのに、何故だか遠い。
ちがう、おまえはちがう、おまえは、
「なあ白鹿」
取り乱す俺にそいつはそっと呼び掛ける。
その声は酷く穏やかなもので、その微笑みはどこまでも慈愛に満ちていて、そしてそいつはどこか儚げで、
「そんなにさ、いつまでも自分のことを責めるなよ」
なんて言っても、目が覚めたときには覚えてないだろうけど。
チャイムが鳴り響いた。
そいつの言葉を掻き消すように、誰もいない校舎にそれは鳴り響いた。
何度も、何度も、何度も、鳴り響く。
それは段々と音量が増し、その度にはっきりとしないそいつの輪郭が一層ぼやけていくように感じた。
「なあ白鹿」
まってくれ。咄嗟に手を伸ばすが届かない。
ぼやけたそいつと一緒に景色までもがぼやけてきた。時間切れとでも言うようにチャイムの音がうるさく鳴り響く。
「――――」
――そいつが最後に口にした言葉はけたたましく鳴る目覚まし時計の音に掻き消されていった。
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