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 『小春日和』


「アカネちゃん、お手伝いしてくれてえらいね」

 店の奥にあるキッチンでヒメリは昼食の準備に取りかかっていた。

 ヒメリが修理屋に来てから一週間。
 店の手伝いをしてもらうために来てもらっていたはずが、いつの間にか家の手伝いまでしてもらうようになり、このたった数日で接客よりも家事をしに来てもらっていると言っても過言ではないほど家のことをヒメリに任せるようになってしまった。
 アカネもこれは悪いかなとは思いつつ、本来の業務である来客対応も客が来ないことには務まらず、大して繁盛しているわけでもないこの店では暇を持て余す時間のほうが多かったし、本人も家事をするのが好きらしく自ら進んでしてくれているから、いいかな、とも甘える。
 レイもアカネも家事もろくにしたがらない物臭なので正直大助かりだった。

 ヒメリが野菜の皮を剥いていくその横で、アカネは「まあね」と鼻をふふんと鳴らしながら剥かれていった皮を指で摘まんで遊んでいる。どう見ても手伝いなんかはしていない。
 それでもヒメリはそんなアカネの様子を微笑ましく思い顔を綻ばせる。幼い子どもがすることはなんでも愛らしい。

「そういえば、アカネちゃんって何歳なの?」
「18歳だよ」

 何気なく聞いたその質問に、間髪入れずに返ってきた予期せぬ答え。
 順調に進んでいたヒメリの手はぴたりと止まり、視線も野菜からアカネに向けられたまま止まった。

「……18歳?」
「うん18」
「私より、3つ上なんだ?」
「ひめりん15歳なんだ」
「うん」
「レイより1つ下だね」
「そうなんだ」
「レイは16歳だからぼくのが2つ上」
「そうなんだ」

 アカネの姿をまじまじ眺める。どこからどう見ても、幼児。その背丈も、振る舞いも、言葉足らずな喋り方も、幼児そのものだ。
 目に映る姿からアカネの言葉を上手く受け止めきれず、呆けたままぽつりぽつりと返事をするヒメリに、当のアカネは何事もないような顔をしている。
 ヒメリは再度「そうなんだ」とだけ繰り返すと中断していた作業へと向き直るが、相変わらず呆けたままで作業に取り掛かる手は動かず、もう一度だけ「そうなんだ」とこぼす。

 ──ど、どうしよう!

 呆けていた思考が働きだしたと同時に、ヒメリは心中で驚く以上にあたふたと慌て始めた。

 ──年上の人に対して子ども扱いしたのは失礼だったかな!?

 アカネのどう見ても事実とは思えない言葉を疑うこともせずそのまま信じ(実際事実だけれど)、真っ先にそんなことを心配をし始めた。
 ちゃん付けも失礼だったかな?なんてまたズレたことを思いつつ、改めて視線をアカネへと向ける。
 きょとん。と小首を傾げながら、アカネは平静を装い切れていないヒメリを見上げていた。

 ──可愛い!

 ヒメリはそんなアカネの様子にきゅんと胸をときめかせた。
 というのも、ヒメリは可愛いものに目がなく、とくに小動物やぬいぐるみなど思わずぎゅっと抱きしめたくなるような愛くるしいものが大好きだ。
 そしてアカネはその中でもヒメリの好みの真ん中に入るほどの可愛さらしい。
 素性もわからない子どもに中身もわからない仕事を紹介されあっさりと付いてきてしまったのも、アカネの可愛さに惹かれてというのが大きい。いや危なっかしいにもほどがある、今どきの子どものほうがもっとしっかりしている。

 でもいくら可愛くても子どもの姿をしていても年上、こういった扱いをしていいのか、とヒメリは変に気を使い頭を悩ませた。その頭はもっと別のところで使ってほしい。

「別に、アカネちゃん、でいいよ」

 不意に言葉を掛けられ、ヒメリはきょとんとした表情を返す。

「気をつかわなくていいよ、ひめりんの好きなようにしてくれたら嬉しいな」

 アカネが愛くるしく微笑む。
 その笑顔と言葉に、ヒメリはまた一層きゅんと胸を締め付けられる。嬉しそうに力強く頷くと満面の笑みを見せた。
 ──その喜びのせいか、ただ鈍感なだけなのか、口に出さなかった言葉に対し返答されたことを、つまり、アカネに自身の心の内を読まれていたことを、ヒメリは気付かないままだった。



「ひめりんのごはんおいしい!」

 並べられた料理を前に、スプーンを片手に持つアカネは絶賛の言葉を上げる。

 この数日、ヒメリとアカネの手により散らかり放題だった店内は様変わりした。用途不明のガラクタが姿を消し、隅々まで清掃もされ、破れたソファーは簡易的に繕われ、見違えるほど綺麗になっていた。
 物で溢れかえっていたテーブルに料理を並べることも可能なほどで、最近では昼食は奥のダイニングルームではなく店内で済ませることが多くなった。綺麗になったからと言ってそこで食事をするのはどうかとも思うが。

 アカネの言葉にヒメリは「ほんと?」と嬉しそうに顔を綻ばせた。
 家事はなんでも好んでそつなくこなせるヒメリだったが、とくに料理をするのが好きらしく腕もなかなかのものだった。

「ね、レイもおいしいでしょ?」

 ヒメリの笑顔に嬉しくなったアカネはレイにも同意を求める。

「どうかな、レイ」

 続いてヒメリも期待と不安を込めた瞳でレイを見つめる。
 が、一人離れた作業机に座るレイは相変わらず無愛想に、顔を向けることもなければ目も合わせることもなく、ただ黙々と料理を口へと運んでいた。
 アカネは溜め息をつく。一言くらい返事をするか、せめてこっちで一緒に食べるくらいはしてほしい。ヒメリは少し困ったように笑った。
 ヒメリが修理屋に来てから1週間、レイとヒメリとの間に会話らしい会話はなかった。

 食事が終わると、レイはすぐに眠りにつく体制に入る。
 店にいるときレイが起きていることは珍しく、食事のときか仕事をしているときくらいしか瞼を開かない。
 店の主が寝ている姿が当たり前となっているこの状況をどうにかしなければとアカネは強く思う。

「口に合わなかったかな」

 しょんぼりとした様子でヒメリは食器を片付けていく。
 食器の上は綺麗に片付き食べ残しはないけれど、レイはおいしいとそんな言葉も素振りも全く見せなかった。
 実際レイはヒメリの料理に対しおいしいという感想は抱かなかった、おいしくなかったというわけでもないが。
 レイからすれば食事は摂取できればいいだけで、味わいを楽しむという考えはまるでない。腹に入れば皆同じ、食べられるならそれでいい。ヒメリが作る料理の味なんてどうでもよかった。
 そのことを知っているアカネは落ち込むヒメリになんて声を掛けようかと思いつつ、自分も片付けを手伝おうと食器に手を伸ばす。

「私、もっともっと頑張る」

 ふいに呟かれた声にアカネの視線が動く。
 その先にいるヒメリは空の食器を見つめたままで、その横顔からは強い眼差しが見えた。

「頑張って、レイにおいしいって言ってもらえるようになるね」

 先程までのしょんぼりとしていた様子はなく、振り返ったヒメリにはいつもの笑顔が見えた。
 落ち込んでもめげることはなく、前向きで頑張り屋だ。

「レイが笑っておいしいって言ってくれるように、頑張る」

 ヒメリは胸の前でギュッと小さく拳を握った。
 
 ひめりんはきっとお日さまだ。アカネは思う。
 誰にでも平等に照らすお日さまと同じように、誰にでもその暖かな笑顔を振りまく。
 ひめりんと一緒にいればレイはきっと変われる。
 柔らかい春の光に当てられ、氷が自然と溶けていくかのように、少しずつ、少しずつ、レイは変われる。
 なんとなく、そんな気がする。

 アカネは笑顔を返した。
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