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 『たんぽぽの種』


「誰そいつ」

 眠たそうな瞼を持ち上げながらレイは開け放たれた店の扉へと視線を向けるとじとりと睨んだ。
 外からの光が注ぐそこにはどこか誇らしげに胸を張るアカネと、見知らぬ少女が立っていた。

「えっと、はじめまして」

 小柄で華奢な佇まい、ほんのりと桜色に染まる頬と幼さの残るつぶらな瞳、そして肩に掛からない程度のさらりと艶のある青い髪。ふわりと柔らかなスカートに身を包む彼女からもまた柔らかな雰囲気を感じた。
 レイとそう歳は離れていないよう見えるその少女は、どこか緊張した様子で小さくお辞儀をする。

「今日からここで働いてもらうことにしたの!」

 その少女の隣、というより足元ではアカネが満面の笑みを浮かべながらそんなことを口にする。


 ***


「人を雇おう」

 話は少し前に遡る。
 この店はレイだけじゃダメだ。そんなことを思いながらアカネは相も変わらず店内で眠りこけている店主を置いてひとり店を飛び出た。

 レイの仕事への態度、とくに接客があまりにもあまりでこのままではそのうち客足も途絶えてしまうのではないか、だからと言って今更あの性格を矯正出来そうにもない、じゃあいっそもうそれは諦めて、接客は誰か別の人を雇って任せてレイには修理業務に専念してもらおう。と考えた。
 が、それは表向きの理由で、――だからアカネ自身が代わりに接客を担当するという選択肢がなかった……というわけでもなさそうだが、とにかくそれは表向きの理由で、本当の目的ははレイを他者と交流させるため、ということだったりする。

 レイは人と関わることが好きではない、人との付き合いを極力避けるようにして拒んでいる、おまけに店に引きこもりがちでろくに外出もしない。
 一緒に暮らしているアカネですら初めは会話はおろか顔を合わせることすらままならずまともなやり取りもできないほどだった。それを思うと今ではこれでも大分良くなったほうだ。
 でもまだ、きっとこのままではいけない、好きとか嫌いとかそういう問題だけじゃない、自分だけじゃダメだ、アカネは心配する。

 人を雇おう、いくらレイでも店に誰かがいて毎日のように顔を合わせれば嫌でも関わらなくてはいけなくなるだろう、まずはそこからだ。
 しかし問題はどうやってそんな相手を見つけるかだ。ただ雇えばいいというわけでもなく、現状を変えることができなければ意味がない。あの無愛想で無気力な店主を呆れられ諦められ愛想を尽かされればそれまでだが、そんな辛抱強く寛容な人間がそうそういるだろうか。

 アカネは腕を組みうんうんと唸りながら細い路地を抜ける。
 抜けた先は商店街だった。そこは中心部ほどの小洒落た華やかな店はなく、街の外の者よりも街に住む者が多く利用するためか生活感に溢れている。昔ながら続く店が多く並び人の通りはまばらだが、どことなくあたたかみを感じる活気に包まれていた。

「あ」

 思わず声を漏らす、アカネの瞳は青色の髪を揺らす少女を小さく映した。
 視線の先の先、離れた場所の後ろ姿しか窺えず顔も見えない少女に、何故か目を奪われる。その深い青にただただ見惚れる。
 そのまま目を離せずにいると、少女はふわりとスカートを翻し、振り返った。顔が見える。まるでスローモーションが流れるかのようにその一瞬を感じた。
 少女は笑っていた。春のお日さまのように眩しくて暖かく、柔らかい笑顔で。

「あの子にしよう」

 理由も根拠もなく、ただ直感でそう思う、それは一目惚れに近かったかもしれない。
 この子は、この子なら。
 そんな思いが先か行動が先か、気が付けばアカネは少女の元へと駆けていた。

「ねぇ!」

 何の躊躇もなく少女に話しかける。
 少女は自分に駆け寄る幼子に気付くと「なに?」と優しい声音で尋ねる。視線を合わせるためしゃがみ込むと、その柔らかな笑みを浮かべながら、不思議そうにきょとんとした瞳でアカネを見つめた。
 アカネは息を弾ませながらその瞳を見つめ、言葉を続ける。


 ***


「何勝手に話進めてんだよ」

 案の定、レイはアカネの勝手な発案にご立腹なようで、苛立ちを隠さずに言葉を吐きながら睨む。

「文句ならレイがしっかりお店できるようになったら聞くね」

 アカネは問答無用、聞く耳持たず、「そもそも全部ちゃんとしないレイが悪い」とぷいっと顔を逸らすと隣に立つ少女には愛想良く微笑みかけた。

「ぼくはアカネ。あそこで眠たそうにしてるのが店主のレイ。で、えっと、きみは?」
「私はヒメリだよ、あなたはアカネちゃんって言うんだね。それで、えっと、ここは時計屋さんなの?」
「一応ね。今は修理屋として仕事してることが多いよ」
「そうなんだ。じゃあ、私はここで何をすればいいのかな?」
「えっとねー、お客さんの相手とかー」

 呑気に自己紹介から始めるアカネとさらりと名前が明かされた少女――ヒメリのやり取りにレイの眉間のしわは深くなる。
 互いに名前すらまだ知らなかったこと、仕事の内容すら伝えないまま連れてきたこと、いろいろ段飛ばしに採用してしまったことに不安を隠しきれない。よくそれで雇おうと思ったな、雇われようと思ったな。
 繰り広げられる間の抜けた会話にうんざりした様子でレイは深く息を吐く他なかった。

「じゃあ今日からよろしくね、ひめりん!」

 なんだかんだと大方の仕事内容の説明はしっかりと終わったらしく、アカネは改めてと元気よくヒメリを歓迎した。
 結局レイはアカネの押しの強さに負けて、というより拒否することすら面倒になってヒメリがここで働くことを許可した、というのか、勝手にしろと投げやりになった。

「よろしくね」

 ヒメリはむすっとしたままのレイにも変わらず笑顔を向ける。
 柔らかな声遣いと穏やかな雰囲気で無愛想なレイに対しても嫌な顔を見せず人の好さを感じる、というより、先程のアカネとの会話から察するにどこか抜けているというか天然な様子が見受けられる。ほわほわとしていて無垢だ、見た目よりもその内心はより幼い印象を受けた。
 レイも変わらず、というより、いつも以上に愛想なく、そんなヒメリの笑顔を避けるように顔を背ける。
 「ごめんね無愛想な子で」とアカネからはフォローと蹴りが入った。

「せっかく可愛い子を雇ったけど、お店の中がこんなんじゃ来てくれるお客さんも来てくれないよね」

 やっぱりまずはみんなで片付けから始めようか。
 少しだけ賑やかになった修理屋で、アカネのその言葉を聞き店の主は素早く机の上に突っ伏した。
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