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小咄

「暗い」「恐い」「狭い」の三拍子が綺麗に揃ったこの空間は如何せん人が住むには向かない。沈む床についた手足を動かしている内に腕を壁にぶつけてしまったらしい。肘にびりりと走る電流に耐えつつ、同じくこの最悪な空間を共にするルームメイトに、声を掛けてみることにする。
「とんだ災難だな、マノック少佐」
「黙れ」
 声と共に、ぐらりと床が沈む心地がした。座るような体勢の僕とは違い、四つん這いの様な体勢で押し込められた彼は如何せん身体の自由が利かないのだろう。この部屋が暗くなった直後に頭をぶつけるような音を聞いてから、彼はどんな体勢にするか考えあぐねているようだった。
「ここが壁だ」
 白の様に見えていた壁を叩けば重い音が聞こえる。
「そして襖」
 今度はぽんぽんと軽い音が聞こえた。「おい」と咎められたのは、先ほど襖の向こうに居る家主に咳払いをされたからだろう。
 今朝の事だ。朝食後の部屋にはシゲノと僕と、珍しく少佐が居た。食後の茶を飲みながらシゲノが話題を作って、少佐が返して、僕が皮肉って、分かりやすく少佐が突っかかって。そこまではまぁ、普通だった。
 その辺りで部屋に響いたのはチャイムの音、そして「まずい! 仕事先の人が来るとか言ってたけど今日だっけ!?」という家主の悲鳴。「それなら僕たちはお暇をば」なんて言ってベランダへ向かうよりも先に「ここに隠れてください!」と言われて僕と、それから少佐は小さな押し入れの中に入れられ、
「帰ったらすぐに出しますから!」
 なんていう非情な声と共に、ドアは閉められた。
「別に良いじゃないか。さっきみたいに言い合いさえしなけりゃ、向こうに居るシゲノは何も言わないんだから」
 押し込められた被害者二人で言い合いをしていたのは数十秒程。すぐにシゲノに咳払いをされて、黙って、そして今に至る。ふわふわと揺れる床の正体は積まれた布団。柔らかい故居心地は良いが、少し動く度にバランスを崩しそうになるのは少しいただけない。だから僕は大人しく、じっとしているしかない。
「君も収まりが良い場所を見つければ良いじゃないか」
 そう言えば目の前の黒い影はゴソゴソと動く。恐る恐る、ぶつかるのを怖がるように手を伸ばすその動きをじぃと見て数秒。口を開いた。
「もしかして君、夜目が利かないのかい?」
 今度はすぐさま声が聞こえはしない。声の代わりに聞こえたのは舌打ちだった。返事をするのも煩わしいのか、それとも図星なのか。
 おそらく両方だろう。
 僕も分かりやすくため息をついた。「はぁ」と呟き、それから彼の暗闇にぼうと見える白い手を掴んで、壁へと運ぶ。
「ほら」
 少佐は退こうとしたらしいが、すぐに「ゴン!」と痛々しい音が聞こえた途端に大人しくなった。そのままもう片方の手を掴んで、今度は襖に、そして今し方自分を苦しめた天井も触らせてやる。
「これで、少しは分かったか?」
「……ああ」
「なら良かった」
 目の前の影は今度こそ良い体勢を探し始めたらしい。それをぼんやり眺めていると、自然とあくびが出てきた。眠気を自覚すると身体の力も緩み、瞼も重くなってくる。こんな時間になんて思うけれど、何もすることがないんじゃあ仕方ない。
「じゃあ、僕は眠るから」
 返事は求めてないから別に問題ない。腕を組んで、目を瞑って。夢の世界に転がり落ちたのは案外すぐだった。

 リヒトホーフェンさんとマノックさんを押し入れに押し込めてから用事が終わるまで、後で計算してみたら一時間と少しだった。やっと帰ったと安堵しつつ、二人の事を思い出して襖を開く。きっと酷く不機嫌そうな顔をしているだろうから、なるべく申し訳なさそうな表情を作ることを忘れずに。
「お二人ともすみません! けれど、助かり…………」
 開いた襖のすぐ側にはマノックさんが押し入れの端に座って、自分の口の前に人差し指を立てていた。そのボディランゲージは「静かに」という意味なのは分かる。けれどそのジェスチャーをする理由が分からない。というか、リヒトホーフェンさんは……。
「……あぁ、寝ちゃったんですね」
 完全に襖を開いた所為で、リヒトホーフェンさんは眩しそうに眉間に皺を寄せる。呻くような声は聞こえたものの、すぐに眉間は緩み、穏やかな表情に変わった。一際際立つ幼い寝顔のことを本人に話したら、きっと怒られてしまうに違いない。
「そのままにしとけ」
「え、起こさなくていいんですか?」
 寧ろ進んで起こしそうだと思ったからこその疑問は、マノックさんの脚を止める。数秒の静寂を破ったのは、眠るリヒトホーフェンさんの、よく分からない寝言だ。
「ああ」とぶっきらぼうな返事が聞こえた。それからマノックさんは後ろを振り向くことなく、扉を開けて、閉じた扉の先に消えていった。
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