アリスの茶会
部屋でモリッツと戯れている最中にふと時計を見ると、短い針はもうすぐ三を指そうとしていた。言われていた時刻は三時丁度、そろそろ向かわないと。
「すまないモリッツ、もう行かなければ」
頭を撫でると機嫌が良くなったのか、モリッツはもっと撫でてもらおうと同居人の元にも構ってもらいに顔を近づける。
「どこに行くんで? リヒトホーフェン大尉」
「少佐の部屋だ。アフタヌーンティーとやらに招待すると言われてな」
わざとらしい敬語に一々触れるのも面倒くさい。端的に答えれば、彼は「は?」と驚いた声を上げた。そういう反応が来るだろうとは思っていたので、別段僕自身が驚く必要は無い。
だって、
「少佐って同盟側を……特に、あんたたち兄弟を嫌ってる筈じゃ……」
彼の言う通り、僕と弟のロタールはかなり少佐に嫌われている。こうやって顔を合わせる前から、少佐はリヒトホーフェンという姓に、軽蔑、怒り、憎しみ……そういった拭っても拭えない感情を持っていた。その考えは恐らく、少佐が頭を強くぶつけでもしない限りは変えようがない。
「僕も不思議に思ってはいるけど、彼に会って紅茶を飲むだけ。もし何かされたとしても助けは求められる。別に問題は無いだろう?」
そう説明しても同居人の男、ギンヌメールは胸の前で腕を組んで何かを考えているようだ。その間に靴を履き、ドアを開く。
「……アフタヌーンティーは確か、昼食と夕食の間の間食として作られたものだったはずだ。紅茶と共に、サンドウィッチなんかの軽食やスコーンなんかの菓子も出るらしい。もしかして、あんたまさか」
「……僕の為に用意された甘い菓子を食べないのは悪いと思ってな」
「やっぱり!!」
ギャーギャーと騒ぐ声を無視しながら、僕はドアをくぐり、ゆっくりと閉めた。
ほんの数歩でたどり着く目的の部屋のドアを二度叩けば、意外にも彼はすぐに顔を覗かせた。開いたドアの間から差し込む日の光に目を細めながら僕や周囲を見、ドアを大きく開いて僕を中に入れる。まるで何かを警戒しているように見える行為。もしかすると予想通り、只の茶会ではないのか?
通された彼の部屋には壁に掛けられた深緑色の軍服や、いつだかロタールやギンヌメールを"教育"していた時に使っていた竹刀等、必要最低限な物しか置かれていなかったが、部屋の中央に置かれた小さなテーブルの上に置かれたティーカップや淡い空色のティーコジーは、殺風景な部屋に僅かだが色を付けていた。
何も言わずにテーブルの向こう側に座る彼の向かい側に座ると、目の前にはトルテが皿の上に載せられていた。白いクリームと真っ赤な苺が載った、ショートケーキと呼ばれるトルテ。
「これは僕に?」
問うと彼は僅かに頷き、コージーで保温しておいた紅茶をカップにゆっくりと注ぐ。僅かに水が跳ねる度、ふわりと香る茶葉の香りに、何故だか僕はほっとする。
「君が僕に良くしてくれるなんて、明日は雪でも降るのか?」
「……別に、五月蠅いのは嫌だからな」
よく分からない言い訳を聞きながら、僕はフォークで一口分を切り分ける。苺に降りかかった粉砂糖は、まるで本当に雪が降っているようだ。切り分けたトルテを落とさないように口へ運ぶと、甘い味が口いっぱいに広がる。彼が目の前に置いてくれた紅茶を口直しに一口飲んでからもう一口、もう一口。そんな事を繰り返し、僕の目の前に置かれてあったトルテはあっという間に胃袋に収まった。
美味しい物を食べた後の満足感で夢見心地になりながらカップに残った紅茶を飲むと、彼はほんの少しだけ唇に弧を描く。
「初めて見たよ。君が、笑うのなんて」
そう言って目の前に座る紅茶しか飲んでいない男をじっと見る。テーブルの上には僕のと同じトルテが置かれていた。だけど、苺に粉砂糖は降りかかっていない。
「……君は、たべなくていいのか?」
グラグラと揺れる視界に、まともな考えが浮かばない頭。そんな状態でも目の前の男が立ち上がって僕に近づいてくるのが分かり、何とか立ち上がって逃げようとするが、上手く身体が動いてくれない。
「俺はいい。別に後で食えるから」
「それより」と呟いた彼が、僕の頬を掴む。途端に感じた人の熱に頭と身体が重くなり、僕は至極あっさりと意識を手放した。
「すまないモリッツ、もう行かなければ」
頭を撫でると機嫌が良くなったのか、モリッツはもっと撫でてもらおうと同居人の元にも構ってもらいに顔を近づける。
「どこに行くんで? リヒトホーフェン大尉」
「少佐の部屋だ。アフタヌーンティーとやらに招待すると言われてな」
わざとらしい敬語に一々触れるのも面倒くさい。端的に答えれば、彼は「は?」と驚いた声を上げた。そういう反応が来るだろうとは思っていたので、別段僕自身が驚く必要は無い。
だって、
「少佐って同盟側を……特に、あんたたち兄弟を嫌ってる筈じゃ……」
彼の言う通り、僕と弟のロタールはかなり少佐に嫌われている。こうやって顔を合わせる前から、少佐はリヒトホーフェンという姓に、軽蔑、怒り、憎しみ……そういった拭っても拭えない感情を持っていた。その考えは恐らく、少佐が頭を強くぶつけでもしない限りは変えようがない。
「僕も不思議に思ってはいるけど、彼に会って紅茶を飲むだけ。もし何かされたとしても助けは求められる。別に問題は無いだろう?」
そう説明しても同居人の男、ギンヌメールは胸の前で腕を組んで何かを考えているようだ。その間に靴を履き、ドアを開く。
「……アフタヌーンティーは確か、昼食と夕食の間の間食として作られたものだったはずだ。紅茶と共に、サンドウィッチなんかの軽食やスコーンなんかの菓子も出るらしい。もしかして、あんたまさか」
「……僕の為に用意された甘い菓子を食べないのは悪いと思ってな」
「やっぱり!!」
ギャーギャーと騒ぐ声を無視しながら、僕はドアをくぐり、ゆっくりと閉めた。
ほんの数歩でたどり着く目的の部屋のドアを二度叩けば、意外にも彼はすぐに顔を覗かせた。開いたドアの間から差し込む日の光に目を細めながら僕や周囲を見、ドアを大きく開いて僕を中に入れる。まるで何かを警戒しているように見える行為。もしかすると予想通り、只の茶会ではないのか?
通された彼の部屋には壁に掛けられた深緑色の軍服や、いつだかロタールやギンヌメールを"教育"していた時に使っていた竹刀等、必要最低限な物しか置かれていなかったが、部屋の中央に置かれた小さなテーブルの上に置かれたティーカップや淡い空色のティーコジーは、殺風景な部屋に僅かだが色を付けていた。
何も言わずにテーブルの向こう側に座る彼の向かい側に座ると、目の前にはトルテが皿の上に載せられていた。白いクリームと真っ赤な苺が載った、ショートケーキと呼ばれるトルテ。
「これは僕に?」
問うと彼は僅かに頷き、コージーで保温しておいた紅茶をカップにゆっくりと注ぐ。僅かに水が跳ねる度、ふわりと香る茶葉の香りに、何故だか僕はほっとする。
「君が僕に良くしてくれるなんて、明日は雪でも降るのか?」
「……別に、五月蠅いのは嫌だからな」
よく分からない言い訳を聞きながら、僕はフォークで一口分を切り分ける。苺に降りかかった粉砂糖は、まるで本当に雪が降っているようだ。切り分けたトルテを落とさないように口へ運ぶと、甘い味が口いっぱいに広がる。彼が目の前に置いてくれた紅茶を口直しに一口飲んでからもう一口、もう一口。そんな事を繰り返し、僕の目の前に置かれてあったトルテはあっという間に胃袋に収まった。
美味しい物を食べた後の満足感で夢見心地になりながらカップに残った紅茶を飲むと、彼はほんの少しだけ唇に弧を描く。
「初めて見たよ。君が、笑うのなんて」
そう言って目の前に座る紅茶しか飲んでいない男をじっと見る。テーブルの上には僕のと同じトルテが置かれていた。だけど、苺に粉砂糖は降りかかっていない。
「……君は、たべなくていいのか?」
グラグラと揺れる視界に、まともな考えが浮かばない頭。そんな状態でも目の前の男が立ち上がって僕に近づいてくるのが分かり、何とか立ち上がって逃げようとするが、上手く身体が動いてくれない。
「俺はいい。別に後で食えるから」
「それより」と呟いた彼が、僕の頬を掴む。途端に感じた人の熱に頭と身体が重くなり、僕は至極あっさりと意識を手放した。
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