私を──まで連れてって 初出:2020年6月19日
自宅に着いたのは日付の変わるぎりぎりだった。それ自体はよくあることだったので特になにも感じない。
ただエレベーターで最上階まで上がり、フロアに一つしかない玄関のドアを開けた先、三和土に並べられていた草臥れた革靴を見た途端、機嫌は一気に急降下した。
なんなんだ。今日は絶対に面を見せないだろうと思っていたのに。
「おい、太宰! 手前なにしに来やがった!」
悲しいかなピッキング云々の文句は言い尽くしている。
俺は怒気を隠しもせず声高に呼ばわって室内に足を踏み入れた。見える範囲にあのうっとおしい長身はない。
まさか風呂場に沈んでいるのではと眉をひそめたとき、ベランダに続く窓のカーテンがひらりと揺れたのが目に入る。
「太宰っ!」
「や、おかえり」
半開きになっていた窓から顔を出すと、はたしてそこには探していた相手がいた。
元相棒で、現商売敵になりうる組織の人間で、あまり明確に言葉にしたくない間柄である男。
いつからここにいたのか、太宰は砂色の外套姿のままベランダの手すりに深く腰をかけている。
妙に綺麗に微笑むのに、じんわりと内臓が重くなるような感覚があった。
「……おい」
「ねぇ、中也」
俺の呼びかけを無視し、歌うように言った太宰は手の内で弄んでいたものを見せつけるようにする。
掌に握り隠せるほどの大きさのガラス瓶だ。中は透明な液体で満たされている。
うっとりと目を細めた太宰が、瓶を持たない方の手で高く闇夜を指した。
「連れて行ってよ」
「……は? おい待て……っ」
指を追ってうっかり視線を外してしまったのが運の尽き。そこからは一瞬だった。
ぽ、と間抜けな音を立てて瓶の栓を抜いた太宰が、それを仰のいた口の上でひっくり返す。
俺が靴下のままベランダに飛び出すのと、奴の体がそのまま後ろに傾ぐのは同時だった。
「ば……っ!」
ぞっと血の気が引き、胃が引き絞られるような感覚。
──間に合わない。
それでも手を伸ばさずにはいられなかった。
俺の反応速度、足の速さ、ベランダの広さ。すべて計算していたのだろう。
「くそ……っ」
頭では無駄だと分かっているのに体は勝手に異能を発動させていた。
俺は床を蹴って飛ぶようにして柵に取りつく。
大きく身を乗り出せば手が届いた。が、手繰るようにして強く握ってもほんの指先だけだ。落ちていく体を引き留めるのには足りない。
ここは横浜でも抜きん出て高さのあるマンションだ。ポートマフィア本部ビルほどではないが太宰の自宅であるチンケな二階建て社宅とはわけが違う。どんなに悪運が強くても落ちればミンチになるしかない。
──引力に負ける。指が離れる。
先を想像して顔を歪めた直後、ふわ、とその長身が浮き上がったような錯覚を覚えた。
「……は?」
実際には浮いたのではない。俺が引き上げたのだ。
理解が追いつかなくて呆然と目を見開いた先、同じ目線に戻ってきた太宰がしてやったりと笑う。
太宰は光を纏っていた。体はおろか髪の先に至るまで異能の光に満ちている。俺の、異能の光。
と、握っていた手を逆に引かれて距離が近づいた。首筋に抱きつかれる。
「中也、行こう」
「は、なに。お前それ……行くって」
「早く。連れてってよ。こうしていられるのは五分くらいなんだからさ」
混乱が冷めない。
だが至近距離にいる太宰が悪童面でいるのに気づいて、俺は思い切り舌打ちをしていた。
詳しいことは分からない。だが今の口ぶりからしてこの異常は本人が意図したものだと確信できた。
なるほど今しがた飲んだ液体の効果か。
「くっそ、なんなんだよ……っ」
早く早くとしつこくせがまれるのがうるさくてベランダの床を蹴った。
発動したままだった異能の力で、俺たちの体は撃ち出されたような勢いで垂直に空へ登っていく。
「うわぁ……!!」
耳元で太宰が子供のような歓声を上げた。周囲を見回す鳶色の瞳がきらきらとしている。
思わず魅入ってしまったのに気づいてまた舌打ちをした。
俺は努めて険しい顔を作る。
「おい、太宰」
「いやはやすごいねぇ! 本当に体重なんて関係ないんだ!」
「無視すんな! 説明しろよポンツク!」
「あはは高い早い! 君いつも世界がこんな風に見えているんだね!!」
「…………手前」
ぎりりと奥歯を噛んだ。
押し殺した声には殺気すら籠る。
そこでようやくはしゃいでいた太宰がぴたりと黙った。仕方ないなぁ、と言わんばかりに耳元でため息を聞かされる。
「ちょっと偶然で手に入れた薬だよ。服用者の異能を一時的に無効化するんだって。私にも効くんじゃないかと思って試してみた」
結果はこのとおりさ、と太宰は異能の光を纏う手を空にかざす。
さっきまでの熱っぽい様子はどこへやら、淡々と冷えた声だ。検分するような目をして指先を擦り合わせる。
「ただ、試作品らしくてね、効果が短い」
「……で、五分くらい、ってか」
断言しないということは五分より短いことも十分ありうる。早く戻った方がよさそうだと判断した。
「あ、ちょっと、なに降りようとしてるのさ。まだ一分も経ってないでしょう?」
下を目指そうとしたところを気づかれる。
不満そうに口を尖らせる太宰に俺は顔を顰めてみせた。
「一分で十分だろ。いきなり薬の効果が切れたらどうすんだ」
「中也と一緒に死ぬだけ?」
「一人で死ねバーカ」
ことりと無邪気に首を傾げるので吐き捨てる。
俺は手を放すからな、と唸ると太宰はなにも言わずにうっそりと笑った。
その顔にはたりとする。
「…………お前、今日来たのって」
「うふふ、たまにはこういうのもいいでしょ?」
満足そうに目を細める太宰とは反対に、俺は心底うんざりして顔を歪める。
最悪の気分だった。
今日は太宰が一年の内で最も嫌う一日なのは知っていたが、どうやら俺はその憂さ晴らしの相手に選ばれたらしい。
あるいは心中相手に、だろうか。
「あー……光栄すぎて反吐が出るわ……」
俺は深いため息とともに、重さを感じない太宰という奇妙極まりないものをきつく抱きしめる。
ふざけんなよと確かに思うのに、胸が熱くなるのも事実でどうしようもない。
太宰は苦しいはずの抱擁を文句も言わずに受け入れ、首筋に擦り寄ってきた。
「中也、ねぇ」
「……冷蔵庫で日本酒が冷えてる」
「ん?」
甘えた声を出す太宰に告げると、不思議そうな表情をして顔を上げる。
薬にご執心のあまり珍しく家探しはしなかったらしい。
俺はちょっと笑って手を伸ばし、その鳥の巣頭をさらにくしゃくしゃにしてやった。
「蟹もある。今日来ると思わなかったからケーキはねえけど素直に祝われろよ。そしたらあと一分、サービスしてやるぜ?」
「…………ずるい」
それで終いにしろ、と言うと太宰は悔しげに呻く。多分に好物にぐらついた顔に俺は勝利を確信した。
反論がないのを了承と取って俺は異能の出力を上げる。
「ほら、行くぜ!」
「わ……ぁっ」
目を丸くして慌ててしがみついてきたのを支え、言葉どおりサービスのつもりで空を縦横無尽に駆けてやる。
次第に表情を綻ばせていく太宰に俺も気づけば口端を引き上げていた。
ずいぶん昔に見なくなったような幼い顔だ。それを見られたのは悪くないと思える。
互いに固く抱きしめ合って、俺たちは一分間の空中散歩を楽しんだのだった。
了
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2020年の太宰は中也と心中したい気分だったみたいです。
ていうか女体化ばっかり書いているせいで男×男はほぼ誕生日だけ……。
よくありそうな「都合のいいお薬」ネタですが、私はまだ書いてなかったので書きました。中也の異能を羨ましがってる太宰はいると思うんですよ……。
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