芥樋/REBORN 初出:2018年3月1日
足元に、黒々とした血だまりがあった。
外套の裾がゆらゆらと揺れていて、今しがたその血だまりを作ったのは自分だと分かる。
芥川はなにげなく、血だまりの中心で四肢を投げ出している人間だったものに視線を投げた。
瞬間、全身の血がごっそりと抜け落ちたような感覚に陥る。
細身の体を包むパンツスーツ、いつもはきっちりとまとめられている金髪がほつれて顔は見えない。
「ひ、ぐち……。樋口!」
叫んで血だまりに膝をついていた。
衣服が汚れるのもいとわず彼女を抱き起こすと、がくんと不自然に仰のいた首から赤い肉が覗いた。
「樋口!!」
奇妙に折れ曲がった手足に欠損のひどい胴、そこから覗く白い骨。いつも揺るぎなくこちらに向けられていた目は見開かれたまま、だがどこも見ない。
「……なんだ、これは……なに……」
芥川はわけも分からず腕の中の体を抱きしめる。
だが冷たく重い体は、もう彼女が彼女であるためのものが圧倒的に欠如していることを芥川に知らしめるだけだ。
胸の内をかきむしられるような痛み。まるで体の中に大きな穴が開いたようなひどい喪失感。
これはなんだ。
「なぜ、こんな、僕は、どうして」
口が勝手に動いて虚ろな声が零れ続けている。
体が瘧のように震え、うまく息ができなかった。
樋口が死んだ。
僕が、
「……あ、あ、あああああああああ!!」
思考を阻むように吠えて、
目が覚めた。
「……っ!」
びくっと体が震える。
薄暗い。
見開いた瞳に映る見慣れた天井に、芥川は一瞬なにが起こったのか理解できなかった。
ふらふらと視線を彷徨わせる。
「っ、ゴホ、ゴホっ」
荒い息に喉が詰まって咳が出た。と、ふいに肩に温かいものが触れて、芥川は反射的に飛び起きていた。
「……ん、せんぱぁい?」
身構えるようにしてベッドに膝をつく目の前で、ころりと寝返る女がいる。
寝間着姿で、下ろされた肩口までの髪が枕の上に散っている。
上がけが跳ね飛ばされて寒いらしく肩をすぼめて、こしこしと擦られた瞳が眠気を孕んだまま芥川を見た。
「ひぐ、ち」
「……はい。どうしたんですか……っ!?」
なにかを考える前に抱きしめていた。
ようやく覚醒してきたらしい樋口が慌てたように暴れだす。
「せ、先輩!? なに!? なんですか!?」
「……少し、静かにしていろ」
「え、えぇ……?」
少し裏返ったような声が鼓膜を震わせる。
肩口に額を擦りつけると、薄い首の皮の向こう側、トクトクと流れる命が感じられた。
ぎゅうと力を込めると、戸惑ったように彷徨っていた手が背中に置かれる。
温かい。
生きている。
夢だった。
ここは芥川の自室だ。妹の銀と暮らす小さなマンションの一室。
夕方、どうしても今日は家に泊まるという樋口と帰宅して、夕飯を三人で食べ、就寝した。
現実を思い出すと言いようのない安堵が押し寄せる。それでも不安はしこりのように残って、腕の中の命を確かめるように手を這わせた。
背中、腰、肩、首。撫でさするたびに樋口が戸惑ったように声を上げて身じろぎする。
「わ、あ、あ、う、ひえ」
「おかしな声を出すな」
「せ、先輩が、触るか……」
聞く耳を持たず、顔を上げさせて唇を重ねた。
じっくりと時間をかけて口づけると、驚きで強張っていた樋口の体から次第に力が抜けていった。
芥川のものよりも一回り小さな手が柔らかく背を抱く。赤子をあやすように撫でるのに、ようやく芥川の体からも力が抜け始めた。
「はふ。せんぱい、嫌な夢でも見たんですか?」
口づけを解くと、樋口が心配そうな顔で覗き込んでくる。
芥川はなんとなく夢の内容を言葉にはしたくなくて無言で返した。
それでも伝わるものはあったのだろう。
樋口は芥川の頭を胸に抱え込むように抱きしめると、愛おしげに額に唇をつけてきた。
「大丈夫。夢ですよ」
「……あぁ」
髪を梳くように頭を撫でられると、心が穏やかに凪いでいく。
ゆるゆると睡魔が戻ってくるのに逆らわず目を閉じようとしたとき、
「あっ」
唐突に樋口が声を上げて肩が震えた。
「す、すみません先輩っ。あの、今何時……」
恨めしげに見上げたのに気づいたのだろう、樋口は申し訳なさそうにしつつも壁時計を見上げる。芥川もつられて目をやった。
午前二時半すぎ。丑三つ時だ。
「先輩」
「どうした」
改まった声とともに頬を両手で包まれて視線を合わせられる。
訝しげにする芥川の前で、樋口が綺麗に笑った。
「お誕生日おめでとうございます」
「……あぁ」
納得と受理が混じった吐息のような声が出る。
日付が変わって三月一日。芥川の誕生日だった。
「えへへ、一番乗りですか?」
「そうだな」
「よかったぁ」
頬を染め、恋する女の顔で樋口が笑う。
変な奴だと思った。
芥川自身、誕生日などすっかり忘れていたし、なんだかんだと日付が変わる前に布団に入ったので誰からも連絡を受けていない。
そもそも芥川の誕生日を祝うような人間などほとんどいないのだ。
なのにそこまで気にする理由が芥川には分からなかったが、おそらく樋口の中では大切なことなのだろう。
芥川に分かったことといえば、やけにしつこく泊まりにくると言っていた理由くらいだ。
樋口のこういうところは本当にマフィアらしくないと思う。だがいざ現場に出ればこの女は躊躇いなく銃の引き金を引くし、目の前に築き上げられる無残な死体を見ても眉一つ動かさないのだ。
マフィアらしくないくせにマフィアらしい。
稀有な存在だった。樋口一葉という女は。
「樋口。礼を言う」
「はい!」
芥川の言葉に、樋口は嬉しそうに顔を輝かせる。
「贈答品はちゃんと起きたら渡しますね。今年はちょっと頑張って……」
「……あぁ。あぁ、だがなにもいらぬ。お前がいるなら、なにも」
たまらなくなって芥川はその背をかき抱いた。
心のままに吐露すれば、樋口は戸惑いつつも抱き返してくる。
「ど、どうしちゃったんですか先輩……。いえ、嬉しいですけど。そんなの当たり前ですよ。樋口は、ずっと先輩の側にいます」
「……そうか。そうだな」
ふにゃふにゃと笑み崩れた声で言うのに頷く。
それを疑ったことはなかった。
「っくし」
「……すまない」
「い、いえ」
冷えてきたのか、くしゃみをした樋口にはっとして、芥川は跳ねのけてしまったかけ布団を引き寄せる。
二人で布団を被り、抱き合ったまま居心地のいい場所を探せばすっかりまた寝る体勢だ。
「ふふ。おやすみなさい」
「あぁおやすみ」
目を閉じると夢で見た光景が思い出される。
もう不安はない。疑問だけがあった。
あれはなんだったのだろう。
傷だらけの樋口、発動していた羅生門。
本当にただの夢なのか、あるいは。
「……僕の異能力がいずれ樋口を殺すなら……」
「……ん、せんぱい?」
「なんでもない。眠れ」
思わず零れた芥川の呟きを拾って、樋口が夢うつつで身を起こそうとする。
背を撫ぜ宥めてやると、すぐに安心しきったような寝息が聞こえてきた。
それを聞きながら、芥川も目を閉じる。
守る力がほしいと強く願う。
常に力を求めてはいたが、そんな風に思うのは初めてだった。
彼女を、彼女を取り巻くすべてを守りたい。
他者に、自分に、なにものにも勝る力がほしかった。
了
-------------------------------------------------------
誕生日当日に突然降ってきて、二時間くらいで書いた文でした。
芥川先輩の樋口を邪険に扱ってそうでいて、ちゃんと大事にしている感じが大好きです。漫画で思わず虎を殺しちゃうとことか小説でまず樋口を探すとことか。
私、樋口に関しては普通の女とのマフィアらしさ(小説四巻とか)のギャップが最高だな~って常々思っていてですね……。ただ彼女の異能力がいまだグレー(有無も分からない)なのが……。シェリス(スクライド)みたいにならないでよね……とずっと不安に思っています。芥樋ちゃんには(略)。
1/1ページ
