誰そ彼時、君の名を呼ぶ 初出:2018年8月22日
部屋に西日が射し込んでいた。
「っくし! ぶぇっくしゅ!」
「手で口元を押さえろ。みっともない」
「うー……ありがと」
派手なくしゃみに顔を顰めて、俺は塵紙を箱ごと渡してやる。
太宰はそれを腹に抱え込んで数枚抜いた。
表現するのもはばかられる音を立てて鼻をかむ。
風邪を引いた。
太宰がそんな冗談のような理由で社を休んだ。
さすがに気になって終業後に見舞いに来てみれば、ずいぶん辛そうな様子で。
「まったく。一日休んでいたわりにはちっともよくなっていないではないか。ちゃんと寝ていないからだぞ」
「寝てたっしゅ! 寝すぎて寝れなくなっぐしゅ、ただけっくしゅっ!」
完全に語尾がくしゃみになっている太宰に呆れた目を向ける。
鼻頭を赤くして額には冷感シートを貼っている姿は、普段の数十倍は情けない。
そもそも太宰は朝、出社を促す電話をしたときからこんな感じだった。
病院に行けと言ったのに、億劫さを理由に行かなかったようだし、訪れてみれば布団に転がって本を読んでいる始末。
真面目に治すつもりがあるとは思えない。
「ぶぇっくしゅ! えっくしゅ! あー……っぐしゅっ!!」
「やはり、明日の朝一番に病院に──……」
風邪は引きはじめが肝心だ。
言いながら、ふと目に入ったものに俺は言葉を失くした。
「うえぇ、面倒くさいっしゅっ! あーあ、どっかで変な菌もらってきちゃったかなぁ……」
「……太宰」
「なに、国木田く……っしゅっ。ずびー!」
太宰がまた鼻をかむ。動きに合わせて頭の上のものがぴこぴこと動いた。
俺は震える指をそれに向ける。
「それは、なんだ……? し、尻のものも……」
「ん……?」
太宰は俺の指が示すものを辿るようにして頭に手をやる。
はたしてそこには銀色の毛並みの三角耳が生えていた。犬のものとも猫のものとも違う。
その上、同じ色の太い尻尾が尻からも生えている。しかもこちらは一本二本ではない。
「……ありゃ」
太宰は頭上の耳を触り、わさわさと面積を取る何本もの尻尾を見下ろして、きょとんと目を丸くした。
耳がぴくりと動き、尻尾がぱたりと畳を叩く。
本物だ。
──人、じゃない。
思い至って、俺は青くなって体を引いた。
太宰の形をしたものはそんな俺をしばらく見ていたが、やがて肩を竦める。
「……あーあ、バレちゃった。せっかく今までうまく成り済ましてたのになぁ」
ずず、と鼻を啜りながら言う、その意味に、俺は顔を強張らせた。
「な、成り済ます、だと? じゃあ本物の太宰は……」
「さぁ……? 今ごろは望みの場所にいるのではないかな?」
夕日が逆光となって、相手の顔がよく見えない。
ただ、もはや金色に変化した瞳だけが妙に光っていた。
獣の虹彩を持つその目が意味深に細められて、ぞっと背筋に冷たいものが走る。
浅くなる呼吸を必死に抑えた。
「き、貴様、いつから……」
「うふふ、いつからだと思う? くに、きだ、くん?」
妙にゆっくりと名前を呼ばれる。
赤い唇が怪しく弧を描いた。
了
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人間×狐の本を作りながら、別パターンもいいよねって書いたやつです。
ちょっとホラー風味を目指しましたが、私が怖いの苦手なのであんまり怖くならなかったのでした。
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