その箱を開けてはいけない 初出:2018年7月27日
「……今日は首筋から吸ってみてもいいか」
ある日、遠慮がちにそう言われて、私はきょとんと目を丸くする。
吸血鬼の国木田君と知り合って十数年が経っていた。
彼は人間が大好きだという風変わりな吸血鬼だ。
行き倒れになっていたところを助けたのがきっかけで、それ以来私は彼に血を分けている。
頻度は数ヵ月に一度だったり、一年ほど間が空いたりと法則はない。基本は国木田君の気分次第だった。
そんな私たちも最近はずいぶんと親しくなっている。
国木田君の来訪もすいぶん頻繁になり、食事もせずにただ話をして帰るだけの日も多い。
同じ立場で話ができる相手なんてあまりいないから、お互いにお互いを話し相手として重宝していた。
そんな中、国木田君が今日は数ヵ月ぶりに「食事」をしたいというので、私は手首の包帯を解いているところだった。
「首?」
「あぁ。……駄目か?」
首を傾げた私に、国木田君は眉を下げる。
図々しかっただろうか、と顔に書いてあった。
そういえば初回が腕からだったのでずっとそうしていたけれど、一般的に吸血鬼というのは首筋から血を吸うものだったと思い至る。
「あ。そっちの方が吸いやすいの? 腕より血管が太いのかな」
頸動脈もあるし、心臓にも近いから血の勢いもあるのかもしれない。
もしかして国木田君は今までずっと吸いにくいと思っていたのだろうか。それはちょっと悪いことをした。
「お前も早く終わる方がいいだろう? 食料扱いされるのはあまり気持ちがいいものではないだろうし」
「それはあんまり気にしたことないけど……。そんなに変わるもの?」
「どうだろうな。試したことがないから分からんが」
同じ量の飲み物を飲むのに、細いストローを使うか、太いストローを使うか、みたいな感じだろうか。
違いがあるなら試してみたい気がして、私はフードを跳ね上げると首元のチョーカーに手をかける。
「いいよ。やってみようか」
するすると包帯を解くと首筋を露わにした。
と、喉仏の横あたりを真横に指が撫でていく。
目を上げると、国木田君がなんだか痛そうな顔をしていた。
「……それは気にしないでくれ給えよ」
「すまん……」
私は苦笑いして国木田君の手を外すと、肩の上に導く。
首元に真一文字に走るケロイドは、私の体に残る傷痕の中で一番大きなものだ。
私には無数の傷痕がある。
治癒力の高い化け物である私にどうして傷痕があるのか。
国木田君がときどき訊きたそうにしているのは知っていたけれど、私はあえて無視してきた。
説明しにくいというのもある。でもそれ以上に、なんとなく知られたら幻滅されそうだと思ったからだ。
私は案外、彼の来訪を楽しみにしているので、こんなくだらないことで友人を失いたくはなかった。
「ほら、ご飯にするのでしょう? どうぞ?」
「……あ、あぁ」
自ら相手に身を寄せて首筋を晒すように仰のくと、国木田君がこくりと喉を鳴らす。
聞くところによると吸血鬼は、至近距離なら怪我などしていなくても血の匂いが分かるらしい。
国木田君は自分の理想のせいで常に飢えている。これで食事のこと以外、頭からすっぽ抜けたはずだ。
ほとんど間を置かずに、肌に鋭い牙が突き立てられる。
「……ん、ぅ」
痛みの代わりに与えられるものに、私は目を固く閉じて耐えた。
反射的に揺れた体を押さえるためか、国木田君が両腕を背中に回してくる。
あぁ、これは錯覚するな。
抱きしめられたような格好に、私はぼんやり思う。
力強い男の腕に包まれる心地よさと、脳を痺れさせる快楽。
これは餌となる人間の女性ならひとたまりもない。抵抗もほとんどせずに即落ちしてしまうだろう。
「……っぁ、ン、ん」
血を啜られる気持ちよさに甘い声が零れそうになって唇を噛んだ。
吸い上げる勢いのせいか、いつもより快感が強い気がする。
思わず跳ね上がった指先で相手のマントの端を握ると、抱きしめる腕の力も強くなった。
「は……、ぁ」
国木田君の体温と、かすかなコロンの香りにふわふわと意識が揺れる。
こうして話すようになってからずいぶん経つけれど、分かったのは国木田君はなんだかとても「いい男」だということだ。
吸血鬼なのは疑いようがないのに、本当に魔族なのかと思うほど性格がいい。
規律なんかに厳しいから口うるさいこともあるけれど、裏表がないし、なんだかんだ優しかった。
上背もあるし、吸血鬼らしく顔も整っている。
きっと女性にモテるに違いない。本人は全然だと言うけれど。
あぁ、気持ちがいい。
なんだかこのまま……。
「っあ……?」
「もう大丈夫だ。ありがとう」
牙が抜かれ、私の意識を包んでいたものがぱちんと弾ける。
はっと目を瞬かせた私に、国木田君が不思議そうにしながら上品に口元を拭った。
「どうした?」
「う、ううん。なんでも……」
私は内心冷や汗をかきながら愛想笑いを浮かべる。
今、私はなにを考えていた?
「ど、どう? 吸いやすかったかい?」
「あぁ、まあな。お前はどうだ?」
「私は別にいつもどおりだよ。時間、やっぱり少し短く済んだかもねぇ」
なんだかあっけないと思うくらいに。
平静を装って会話を続けるけれど、やっぱり少しおかしい気がしてしまう。
「そうかもしれないな。よければ次からもこの方法で頼んでいいだろうか」
くらりと脳が揺れた。
次も、ああやって。
どうせなら、もっと、ずっと──。
「……太宰?」
「あ。あ、うん! いいよ、そうしようか! 私はどっちでも変わらないしね!?」
うっかり黙り込んでしまっていた。
顔を覗き込まれて必要以上に飛び上がった私に、国木田君が怪訝そうな顔をした。
「お、お茶でも淹れようか。まだ夜が明けるまで少しあるし、すぐには帰らないだろう?」
「あぁ、そうだな……?」
笑顔で誤魔化して、私は小走りで台所に向かう。
さっきまでのことはなんだか深く考えてはいけない気がして、そのまま頭の隅の隅に押し込んでしまうことにした。
了
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上げた日にちがおかしい。
死神さんの自覚編(?)です。思ったより早かった。
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