願わくは、あなたとともに笑えたら 初出:2018年12月18日
「太宰……っ!?」
屋内に足を踏み入れた瞬間、周囲に満ちたむせかえるような血の香りにぐらりと意識が揺れる。
飛びかかりたい衝動を堪えて見回せば、匂いの源である太宰は窓際に置いた揺り椅子に座っていた。
「……おや、国木田君じゃないかぁ。どうしたの?」
ゆらゆらと体を遊ばせながら、どこかぼんやりとした口調で、しかし歌うように言う。
「血の匂いに誘われてきたのかい、吸血鬼さん」
うふふと笑いながら、がりりと左手首の内側に爪を立てるのが見えた。
瞬間、血の匂いがさらに濃く香って、俺は歯を食いしばる。
「お前なにを……」
「暇つぶしみたいなものさ。どうせ死ねないのだもの」
太宰は瞳を虚空に彷徨わせたまま、加減もせずに自らの腕をかき抉っていた。
すでにローブの腿から裾にかけてが血でどす黒く染まっている。
腕から解けて床まで垂れた包帯も斑に汚れ、床に広がる小さな血だまりはぴとぴとと音を立てて今も広がり続けていた。
その様子からして、太宰がこの状態でいるのは昨日今日の話ではない。
最後に太宰と会ったのは一週間ほど前だった。
俺も太宰も魔の物であるから、さほど時間を重要視しない。
想いが通じてからは比較的頻繁に行き来するようにはなったが、気づけばひと月以上会わないでいたこともある。
たった七日会わなかったからといって、いつもなら特に気にもしないのだ。だが今回はどうにも胸騒ぎがして。
杞憂ならそれでいいととにかく太宰の家へと足を向けたのだが、どうやら来て正解だったらしい。
俺は努めてゆっくりと呼吸をし、どうにか吸血衝動を抑えながら太宰に近づく。腕を傷つけ続けている右手を掴んだ。
「やめろ。分かっているのなら……」
「だって死にたいのだもの」
制止の言葉に、思いのほか強い声が返る。
妙にぎらぎらした目がようやくこちらに向けられた。
「分かってるよ。私は死ねない。死神だものね。だからなんだ!? 死にたい。死にたいんだ! 私は死にたいんだよ!!」
「太宰!」
珍しく声を荒げて喚き散らす。
俺は怯んでしまいそうになるのをぐっと堪え、こちらの手を振り解こうとする太宰をさらに強い力で押さえつけた。
底光りする瞳はすぐに逸らされ、太宰はすっかり血の止まってしまった左腕を憎々しげに睨みつける。
「……だったらこの衝動はなんなのさ」
太宰がぽつりと吐き出した声は震えていた。
泣いているのかと思ったが、乾いたままの瞳は傷痕だらけの左腕をただ見つめるのみだ。
「こんなもの残ったところで私にどうしろと……」
それきり黙り込んでしまう。
すっかり色の抜けた唇を噛みしめる姿が苦しかった。
ずっと気にかかっていたことがある。
太宰は普段から口癖のように「死にたい」と口にする。
痛いのは嫌いだと言いながら、実際に川に飛び込んだり首を吊ったりする。
いつもとても軽々しく行われるそれに、当然のように死ねない太宰は最後に「あーあ」と残念そうに笑うのだ。
多くの弱点を持つがゆえに命の終わりがある吸血鬼とは違い、死神の命は終わるものではない。
まるで無駄でしかない行為は遊戯のように見えたが、ときおり太宰は本当に死にたくなるようだった。
普段に本気が混じっていないとは言わない。だがなにかの拍子にどうしようもなくなる瞬間があるらしい。
そんなときは、いつものように笑って済ますことなく静かに一人で為果せる。
正確には為果せることはないのだが、その鬼気迫る様子に俺は何度動けなくなっただろう。
神は死なない。
ならば死神である彼が死を求めることにどんな理由があるのか。
太宰の体には無数の傷痕がある。
怪我をしてもすぐに治ってしまうはずの体に、それはある。
それがなにを意味しているのか推測する手はいくらでもあったが、俺はそこに踏み込むことをずっと躊躇っていた。
「太宰」
いつの間にか、掴んでいた腕から力が抜けていた。そろりと手を外して俺は細い体を抱き寄せる。
覗き込んだ顔は血の気を失い、平時よりずっと白い。
苛烈なまでの瞳の輝きはすでになりを潜め、代わりにくっきりと濃い隈ばかりが目立った。
眠りもせずにずっと自分を傷つけ続けていたのかと思うと、なぜもっと早くに駆けつけられなかったのかと後悔に潰されてしまいそうだった。
一度深く呼吸をするうちに心を決める。
「……分かった。俺が今日のお前を殺してやる」
「くに、きだくん?」
宣言に、どこか虚ろな声が返った。
ゆるりと瞬いた瞳がこちらに向くのに、俺はぎこちなく笑ってみせる。
「少しだけ、なにも考えずに眠れ」
「……ぁ、あっ!?」
片手で背中を強く抱くと、鼻先で衣服をかき分けて肩口へと一思いに牙を立てた。
戸惑った声を上げた太宰がびくりと体を硬直させ、細い指がシャツの袖に縋りついてくる。
包帯を解く間も惜しかったので少し吸いにくくはあったが、俺は加減せずに溢れる血を啜った。
「っひぁ、ン、ぅ、んぐ……っ」
強制的に熱を引き上げられ、太宰が甘い声を上げはじめる。
それに身勝手な欲が顔を覗かせそうになって、俺はもう一方の手で太宰の口を強く塞いだ。
「ん、む……うぅっ」
機械的に血を吸い続ける。
疲弊した相手に無体は働きたくない。
今はただ静かに休ませてやりたいだけだ。
ほどなくして、かくんと力の抜けた体が倒れかかってくる。
俺はようやく済んだことにほっとして、軽い体を抱き上げた。
寝台に寝かせ、乱れた髪を撫でつけてやる。
「……ここにいるから。ゆっくり休め」
結局、限界近くまで血を吸うことになった。おそらく一日二日は意識を落としたままだろう。
俺は寝台に腰かけると、失血で冷たくなった太宰の手を握ってやる。
目覚めたとき、いつものように笑ってくれますようにと願わずにいられなかった。
了
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本編軸でも扱いづらいのに不死者で死にたがりとはどんななのか……。
今でも安易に手を出すネタではなかったと思っているのですが当時の私は楽しかったらしいです。
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