私の光る星 初出:2018年11月24日
揺すぶられる感覚に、意識が浮上する。
うっすら目を開けると、こちらを覗き込む少年と視線が合った。
心配そうに寄せられていた眉が瞬間、驚いて山なりになる。
眼鏡越しの瞳が大きく丸められるのを見ながら、私はゆっくりと起き上がった。
少年、土手、河原、川、濡れ鼠の私。
目に入ったものを順に確認する。
残念、どうやら助かってしまったらしい。
「だ、大丈夫ですか? 救急車、呼びますか!?」
ため息をついて肩を落とした私に、少年は尋ねてくる。
肩を竦めた。
「いや、必要ないよ。具合が悪くて倒れていたわけではないからね。ただ入水に失敗した。それだけさ」
「じゅすい……?」
相手は子供特有の高い声でオウム返しをすると首を傾げる。
少し難しかったか。
「自殺だよ。自分から川に入ったんだ」
「……ど、どうして……」
かみ砕いて説明すると意味を理解した少年が慄いたような表情になった。
「生きてることに意味を見出せないからかな。世界はつまらないと……君は思わなそうだね」
私は少年に小さく笑ってみせる。
健全そうな子供だ。
眼鏡の奥の瞳はきらきら光って理知的だし、少し長い襟足は生真面目に一つに結ばれている。
小学校高学年くらいに見えたが、背負ったランドセルは比較的きれいなままだった。
アイロンのかけられた清潔なシャツに、全体の硬い印象を緩和するリボンタイ、健康的な足が覗く半ズボンまでなんとなく見下ろしたときに気づいた。
「怪我してるじゃないか」
「……あ」
膝から血が滲んでいる。
少年は恥ずかしそうに傷を両手で隠した。
「ええと、これは、その、あなたを運んだときに転んでしまって……」
「それは悪いことをしたねぇ」
なんだかやけに川べりが遠いと思ったら、移動させてくれたらしい。
「あの、あなたは怪我してませんか?」
「私は全然。丈夫なんだよ、嘆かわしいことに」
「はぁ……」
少年が逆に心配そうな顔をしたのに、私は立ち上がった。
くるりとその場で回ってみせる。
本当にどこも痛くない。
「さて、ここはどの辺りだい? 怪我の手当てをしないと……」
「あ。──町です」
「ありゃ。それはずいぶん流されたものだ」
不要な助けだったとはいえ、怪我をさせてしまっては私の信条に反する。
手当てのために家に招待しようと思ったのだが、思ったよりも長いこと川に浸かっていたらしい。
口をへの字にした私に、少年が意気込んで口を開いた。
「うちに来てください! 服を乾かさないと風邪を引くので!」
「うーん。先に言い出した私が言うのもあれだけど、こんな川を流れてた怪しい人間を家に入れていいのかい? 素性も……」
分からないのに、と続けようとした私の目の前で、少年はポケットから革張りのカードケースのようなものを取り出す。
「ええと太宰治。武装探偵社調査員。住所は……」
「……君、しっかりしてるねぇ」
私の社員証だ。
思わず空のポケットを探ってしまってから、私は気の抜けた笑いをもらした。
救急車を呼んだとき用か、いざというときのためか。
自分のことより他人のことという姿勢といい、この判断力と行動力。ついスカウトしてしまいそうだ。
「……では改めて、太宰治だ。君の家に招待してもらってもいいかい?」
「はい! 国木田独歩です! よろしく、太宰さん!」
手を差し出すと、ぱっと握られる。
暖かな子供の手に少し驚いてしまいながら、私はそれを握り返したのだった。
「静かだねぇ」
「両親は、遅くにならないと戻らないので……」
徒歩数分のところにある彼の家に案内される。
タオルを出してきた独歩少年は、次いで着替えの浴衣を用意し、お茶を入れるための湯を沸かしはじめた。
先に傷の手当てをと言っても、血は止まっているから大丈夫だと甲斐甲斐しく働くのに苦笑いをしてしまう。
本当に真面目で佳い子だ。
聞けば簡単な家事なら一とおりできるらしい。
「偉いねぇ」
お茶で体を温めたところでやっと救急箱を出してもらえた。
「ちょっと沁みるよ」
「うぅ……」
消毒液に盛大に顔を顰めるさまはちゃんと子供でなんだか安心してしまう。
絆創膏では足りそうもなかったので、薬を塗ったあとガーゼを当てた。
「……でも寂しいね」
「え」
ぽろりと口をついた言葉に、独歩君は虚を突かれたような顔をする。
困ったように下を向いてしまった。
「べ、別に、そんなこと……」
「そう? 一人が寂しいのは大人も子供も一緒だと思うけどね」
もごもごと言葉を濁す様子は強がっているようにしか見えない。
まだ十二歳だというし、充分親が恋しい年ごろだろう。
けれど私はそれ以上追及せずに、使い終わった道具を片づけようと救急箱を引き寄せた。
と、頭に温かいものが触れて驚いてしまう。
「……え、なに?」
顔を上げると、未発達な手が頭を撫でていてさらに驚いた。
独歩君は真っ直ぐにこちらを見ている。
純粋な光に満ちた瞳に言葉を失った。
「あなたも、寂しいのかと思って」
「……っ」
瞬間、叫び出したいような衝動があって、私は思わずその細い体を抱きしめていた。
今まで見ないようにしていたものの蓋が開いてしまったような感覚。
私は胸中を渦巻く感情をなに一つ言葉にすることができないまま、腕の中の温かさにただ縋りついてしまう。
戸惑うような気配があったのは短い間で、私が彼を手放せずにいる間、独歩君はずっと頭を撫でていてくれたのだった。
* * *
「おい、洗濯物は溜めるなと言っただろう! ゴミも! せめてゴミ箱に入れるくらいしろ!」
「うんー」
「太宰! ちゃんと聞いてるのか!?」
「はいはい、聞いてる聞いてるー」
眉を吊り上げ、大声で小言を言っている国木田君に、適当に返しながら私は読んでいた本の頁をめくる。
ちょっと笑ってしまった。
「昔は可愛かったのにねぇ……」
あの河原での出会いから五年。
なんだかんだ交流は途切れることなく気づけば家に入り浸られるようになっていた。
出会ったころの真面目な印象そのまま、細かく口うるさく成長した国木田君の小言は年々増えるばかりだ。
いつの間にか思春期らしく敬語も取れ、呼び方も「太宰さん」から「太宰」になり、にょきにょきと伸びた身長も私に迫る勢いで。
まったく可愛くないったらありゃしない。
ちらりと視線を向ければ、彼は冷蔵庫を開けたところだった。
こちらも伸びた襟足が学ランの背中でぴょこぴょこ跳ねている。
「……もう独歩君ていうより国木田君て感じだしねぇ」
苦笑いして呟いた。
まだ未成熟なところもあるが、容姿だけならすっかり大人びてしまった。
こんなに大きくなったのに、どうしてこんなところに来たがるのか。
その答えはとっくに知っているけれど、それが最近の私の頭痛の種でもある。
「冷蔵庫も空じゃないか! ちゃんと食えと言ってるだろう!」
「蟹缶」
「腹の足しにならん」
「お酒と味の素」
「それは食料じゃない!!」
「えぇ~」
そういえば前回、国木田君が作り置きしていってくれたおかずも数日前に食べきってしまったのだった。
思い出してしまうと急に空腹を覚える。
本に目を落としながら思わず胃のあたりを撫でた私の顔に、ふっと影が差した。
「ん?」
目を瞬かせて顔を上げる。
文句を言いつつこまごまと部屋の掃除をしていたはずの国木田君が、いつの間にか目の前に膝をついていた。
「ちょ……っ」
肩を掴まれ、止める間もなく唇が重なる。
押し入って来ようとする舌を歯を食いしばることで拒み、胸を強く押して強引に距離を取った。
「いきなりなに……脈絡もなく」
「お前が俺を見ないから……」
「君ね……」
顔を顰めてみせると、国木田君は少し申し訳なさそうにしつつも不満げに口を尖らせる。
こういう感情に任せて行動してしまうところはまだ子供だ。だからこそ頭が痛い。
「何度も言ってるけど、こういうのは」
「二十歳になってから改めて、だろ。そんなもの聞き飽きた」
「じゃあ聞き分けて」
「嫌だ」
悩みの種とはこれだ。
あのころと変わらない真っ直ぐな瞳はさらに強い光を伴って私を刺し貫く。
私がほしいと声高に訴えかけるそれに、体の芯が揺さぶられるような心地がしたが努めて渋面を作った。
肩を掴む手を振り解こうとするが、思いのほか力が強い。
「あのねぇ、十歳も年上の男を相手にしても楽しくないでしょう」
「太宰」
「世の中には可愛い女の子がたくさんいるんだってそのうち気づくよ。だからもうちょっと外に目を向けて……」
身を捩るがますます強く押さえ込まれる。
手の大きさはもう私より大きいかもしれない。
そうしているうちに壁際まで追い詰められてしまい、どこにも行けなくなってしまう。
「太宰、逃げるな」
「逃げるってなにさ。私はそんな……ちょっと放して、痛いってば」
「お前がいいんだ!」
いつの間にか視線は下を向いて、私は国木田君を見ることができなくなっていた。
鋭く言い放たれる言葉に、物理的にも震えてしまう。
「俺は、お前がいい。何年経っても同じだ。絶対」
「国木田く……」
ぐっと引き寄せられ抱きしめられた。
もう子供体温ではなくなってしまったけれど、あのころと同じく温かな体に動けなくなってしまう。
細く短かった腕はもう、容易く私を閉じ込めてしまえるほどで。
「……なぁ太宰。俺はお前に会って寂しくなくなった。でもお前はずっと寂しそうだ」
耳元に切なく落とされる呟きに、私は顔をくしゃりと歪めた。
あのとき、偶然箱の蓋をこじ開けてしまった子供は、もう戸惑いとともに見て見ぬふりをしてはくれない。ことあるごとにそこにあるだろうと突きつけて、ひっくり返そうとしてくる。
そのたびに私はぐらぐらと揺れる心を持て余して、途方にくれてしまうしかないのだ。
「なにも知らないくせに……」
「だったら教えてくれ。お前のことを全部」
悪あがきのような言葉も簡単に跳ね返される。
なんだか笑えてきて私は肩を震わせた。
つい体から力を抜いてしまえば、抱きしめる腕の力が強くなる。
「君ねぇ、こんな駄目な大人に捕まるべきじゃないよ」
「……それはお前が決めることじゃない」
お前が好きなんだ、と囁かれるのはこれで何度目だろう。
そんなどうしようもない気持ちを抱えてしまって、この子はどうしようというのか。
けれど一番どうしようもないのは、抱きしめる腕を決定的に拒めない私自身だと分かっていた。
了
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ショタではないのですぐ大きく(略)。
なんだかショタが続いてしまいました。こっちは年の差ですが。
織田作を抱えて生きてる概念未亡人の太宰さんです。太宰さんの初恋は基本的に織田作なのですがここまで引きずってるのは珍しいですね。
そういえばこれイベントの前日の夜に上げてしまい、夜中にちょっと目が覚めたときに同じイベントに出るはずのフォロワーさんから反応をもらえていて「寝て!?」と思った思い出が……。そんなときに上げる私も悪い。
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