ロミオとジュリエットの憂鬱 初出:2018年10月23日
「く、国木田先輩っ!」
学食から教室へ戻る途中、近道をしようと裏庭を通ったときだ。
呼ばれて振り返ると、眼前に手紙が差し出された。
薄桃色の封筒にハートのシールが貼られたそれがなにか、どんなに鈍い人間でも分かるだろう。
それに俺がこの類の封書を見るのは初めてではない。
「あの、私……その、こ、これ読んでください!」
「……あ、おい」
それでも咄嗟に反応できずにいると、頬を目一杯赤くした女生徒はそれを俺の手に押しつけて走り去っていく。
一瞬引き留めようと上げた手も、結局なんと言っていいのか分からず空を切るのみだ。
「あれー国木田君てば、隅に置けないねぇ」
「……太宰」
結局、去っていく背中を見送るしかできないでいた俺に、声をかけてきた男がいる。
眉間に皺を寄せて振り返ると、太宰はへらりと笑って包帯を巻いた手を上げた。
「先行っててくれる?」
「いいよぉ。またあとでね、おさむっち」
「じゃねー」
「ハイハーイ」
太宰は両脇に侍らせていた女生徒を軽い調子で遠ざける。
嫌な顔一つせずに去っていく少女たちにひらひらと手を振るさまは、軽薄を絵に描いたようで苛立った。
太宰治。同じクラス。
中学の三年間は離れていたものの、幼稚園・小学校とともに同じ学舎に通っていた。幼馴染と言っていいだろう。
しかしその離れていた三年間でなにかあったらしい。再会した幼馴染はすっかり俺の知らない生き物になり果てていたのだ。
女性と見れば声をかけ、常に不特定多数の女性を傍に置き、昼夜問わず遊び歩く。
昔からふわふわとして掴みどころのないやつだったが、こんな軟派な男ではなかったのに。
「……行かせていいのか」
「いいのいいの」
太宰は俺の不機嫌さには気づかないようで、にこにこと近寄ってくる。
こちらの顔を覗き込むように小首を傾げた。
「ごめんね、見ちゃった。君って案外モテるよね」
「お前ほどではないと思うが」
「そう? みんないい友達だよぉ?」
皮肉を込めて返しても、太宰はさらりと流すのみだ。
またどこからか名前を呼ばれて愛想よく手を振っているのに、酷く胸がざわついた。
入学式で貼りだされたクラス分けの表に名前を見つけたとき、また一緒にいられるのだと思って単純に嬉しかった。
だが、だからこそ、その素行を目の当たりにしたときには衝撃を受けたものだ。
つい同姓同名の別人を疑ってしまったこともあったが、その顔は俺のよく知るものだったし、自殺趣味という悪癖は変わっていなかったから本人と判断せざるを得なくて。
そんな俺の落胆もあってか期待したほど接点も増えず、二年になっても俺たちの関係はただのクラスメイトの枠を出ていない。
思えばこうして太宰が話しかけてくるのも珍しいことだった。
「……太宰」
「ん?」
今だな、と思った。
名前を呼ぶと、太宰はどこぞの女生徒に向けていた視線をこちらに戻す。
それだけで萎えそうになる気力を叱咤して、俺は口を開いた。
「約束を、覚えているか」
慎重に言葉にする。
俺には太宰と再会後ずっと訊きたくて、だが結果を知るのが怖くて訊けなかったことがあった。
今はただのクラスメイトでしかない俺たちだったが、ある理由から俺がずっと太宰を無視しきれなかったのも事実で。
この男の一挙手一投足が気になる。目で追ってしまう。ちょうどそんな自分が嫌になってきたところだった。
だからいい機会だ。
「……約束?」
食い入るように見つめる先、太宰はなんのこと、とでも言うように不思議そうに首を傾げる。
嵐のような動揺と絶望が胸中を駆け抜けて、俺は強く奥歯を噛みしめた。
だが半ば予想していた答えでもあったので衝撃は一瞬で去り、静かに凪いだ心に自嘲の笑みを浮かべる。
やはり俺は早く忘れるべきだったのだ。
「分かった」
きっぱりと告げて踵を返す。中庭を横切り、校舎に入った。
俺の向かう先が教室でないと気づいた太宰が、きょとんとして追ってくる。
「どこ行くの? もう昼休み終わるよ?」
「返事をしてくる」
俺は手の中の恋文をひらりと振った。
彼女が走り去った後を追うのが早いのか、封筒の裏に書かれた教室に乗り込む方がいいのか。少し迷って彼女の後を追うことにした。
どうせ最終的には教室にたどり着くだろう。
「こんなに早く? 返す刀で断られたら、あの子もかわいそうだと思うけど」
「いや、受けてくる」
「え」
とことことついてきていた足音が突然ぴたりと止まった。
思わず振り返れば、太宰はひどく衝撃を受けたような顔をしている。
「ど、どうして……」
それを言うなら、俺こそなぜ太宰がそんな顔をするのかが分からない。
俺が恋文をもらうのはこれが初めてではなかった。
二年に上がってから少しずつもらう機会が増えていたそれを俺はずっと断り続けていたのだ。
理由は単純。
幼いころ、太宰と交わした約束があったからだ。
だが当の本人はそんなもの忘れてしまったらしい。
それならもう、俺も好きにしていいはずだ。
「もしかして知ってる子だった? 顔が好みだったの?」
「いや、初対面だし顔は一瞬だったからよく見えなかった。……まぁどんな人づき合いでも初めはそんなものだ。だがつき合う以上、好きになる努力はする」
「努力って……」
それきり絶句してしまった太宰を置いて、俺はまた歩き出す。
こういったことはもっと慎重にした方がいいと分かっていたが、今の俺にはなにもかもどうでもよかった。
と、強く制服の裾を掴まれてつんのめる。
「……なんだ」
「ま、待ってよ。待って」
「離せ」
振り返れば太宰がひどく動揺している様子で俺に取り縋っていた。
つき合う義理はないと邪険に跳ねのけようとしたが、その手を取られて強く引かれる。
「国木田君、こっち」
「なんだ。俺には用事が」
「いいから」
なにかを迷っているような顔で、だが強引に階段下のデッドスペースに連れ込まれた。
壁に背中を押しつけられたと思うと、胸元にかかった手に力が入る。
「……ないしょだよ」
そっと甘い声が囁く。
唇に触れた柔らかいものに俺は目を見開いた。
ぼやけるような至近距離に太宰がいる。その中で、閉じられた瞼を彩る長い睫毛がやけに綺麗に見えた。
蘇る。
どうしてそうなったのだったか。
園庭の端、二人で転んで事故のように重なった唇。
ぽかんとして見つめ合った。
「いまの……」
「キスしちゃったね」
「……うん」
事実を確認しあって、唇を押さえた治が僕を上目遣いで見る。
「……しってる? キスした人たちは、けっこんしなくちゃいけないんだって」
「けっこん?」
「ええと、ずっといっしょにいなくちゃだめなんだ」
どうしてか不安そうにする治に僕はぱちりと目を瞬かせた。
「なんだ。そんなことか」
「えっ」
あっさりと頷いた僕に、今度は治が驚いて目をぱちぱちする。
「いつもとかわらないだろ。いまもいっしょにいるし。おさむはすぐヘンなことするからな。ぼくがずっといっしょにいなくちゃ」
「い、いいの?」
「おさむはぼくがきらいか」
「ううん」
一緒にいるのは嬉しいことだ。
僕だけか、と少し不安になって片方だけ見える目を覗き込むと、治は勢いよく首を振った。
頬が薔薇色に染まる。
「だいすき! どっぽくん、だいすきだよ!」
「そっか。ぼくもだ」
笑い合い、ぴょんと抱きついてくる治を受け止めた。
「……でも」
と、急に治が神妙な顔になる。
「ねぇ、あのね。もっとおっきくなるまでひみつにしよ?」
「そっか。おとなにはんたいされるかも」
少し前に、好き合った男女が家に反対されて結局死んでしまった悲しい話を読んだばかりだった。一緒にいた治もそれを覚えていたのだろう。
また笑い合う。
「ないしょだよ」
「あぁ、ないしょだ」
共有する秘密があまりに甘美でくすぐったくて。
誰も聞いていないのに囁き合った。
「お前、覚えて……」
「……忘れるわけないでしょう」
呆然と呟く。
頬を少し赤くして、太宰は決まり悪げに視線を逸らした。
「だがさっきは……」
「朴念仁の国木田君には恋の駆け引きは難しすぎたかな?」
その顔のまま肩を竦めてみせるのに呆れた。
こいつときたら俺がやきもきしているのを知っていて、はぐらかし続けていたらしい。
まさか女生徒を侍らせていたのも、その「恋の駆け引き」とやらだったのだろうか。
つい顔を顰めた。
「……お前、性格が悪いぞ」
「だって、君が覚えてるか知りたかったんだもの。そしたらなんか、楽しくなっ、ちゃっ、て……」
太宰は口を尖らせて言い訳をする。
だが俺がなにも言わずにいると、言葉を尻すぼみに途切れさせた。
「……ええと、嫌いになった?」
不安そうにこちらを見上げる顔は、昔とまったく変わっていない。
俺は長い長いため息をついた。
「……なわけがないだろう」
ようやく触れることができた細い体を抱きしめる。
抵抗せずに腕に納まった太宰は、ほっと息をついて肩に頭を乗せてきた。
背も伸びて姿もずいぶん大人びたが、そうやってすぐに体を預けてくるのは小さなころと変わらない。懐かしくてつい口元が緩んだ。
「まったく、お前は本当にしょうもない……。これだから一緒にいないといかんのだ」
「……うん」
「好きだ、治」
今度は俺から唇に触れると、太宰は嬉しそうに微笑む。
大好き独歩君、と小さな子供のような声で、ようやく本音を吐いたのだった。
了
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ベタベタのベタ……。でも書いてるとき楽しかったんだろうなーというのが分かりますね……。
園スト正規(?)ルートで高校生パロです。でもショタではないのですぐ大きくしてしまいます。
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