-、集める 初出:2018年7月8日
それは罪深くも甘美な時間だった。
俺は戸棚の奥に大切にしまっていた箱を取り出す。
細長い箱と、文庫本程度の大きさの箱。その二つと手帳を文机に並べてしばらく眺めた。
緊張と高揚がある。
俺は静かに深く息をすると、細長い方の箱を開けた。
中にあるのは万年筆だ。
特別に贖ったもの。
高級感のある黒を右手に収めると手帳を開いた。
その真っ白な頁にペン先を置こうとしたが手が震えてしまう。一度引いた。
手帳に文字を書く行為など今まで何度も繰り返してきたはずなのに、月に一度と決めた特別な日だけはいつもひどく緊張した。
「……ふぅ」
気持ちを落ち着けなおし、万年筆を握る。
そっと紙の上に滑らせた。
太 宰 治 の
そこまで書いて知らず詰めていた息を吐く。
心臓がうるさいほど脈打っていた。
少し落ち着きたかったが、逸る気持ちがあって性急に万年筆を握り直す。
わずかに震えるペン先を再び紙につけた。
左 手 小 指の爪
なにかに急かされるように一気に書ききると、頁を破り取る。
念を込めると、異能発動の光が室内を照らした。
ころりと掌の上に小さな粒が現れる。
俺はそれを指先で摘まんで目の高さにかざしてみた。
湾曲したそれは薄く、力を入れれば容易く割れてしまいそうだ。
つるりとした表面は美しく、色は少し濁った白。
大宰のほっそりと長く美しい手に似合いのそれが俺の手の中にある。そう思うだけで胸が高鳴った。
俺は太宰治を愛していた。
彼を構成しているすべてを。
美しいかんばせ、ほっそりとした肢体、光と闇を内包したかのような深い色をした瞳。
中でもその細く長い指は格別だった。先を飾る小さな爪はもはや芸術品と見紛うばかり。
いつしか俺はそれらをほしいと心から願うようになっていたが、叶わないことだとも知っていた。
だから俺はこうして月に一度、代替行為として異能を使う。
そうすればある程度の欲は満たされた。
以前、痛めつけた相手の爪を集めていた男がいたが、まったくそれを笑えない。
俺はもう一つの箱を引き寄せ、蓋を開ける。
黒い布が張られた中は小さく仕切られ、その上半分が今作り出したものと同じ薄く硬い皮膚片で埋まっていた。
「これで六つ目……」
空いた下段の左端に、摘まんでいた欠片を収める。
美しく整ったそれらを、俺はうっとりと眺めた。
そのときだ。
「──国木田君」
するり。
背後から細い腕が首に巻きついてくる。
「なぁにしてるの?」
耳元に吹き込まれる甘ったるい声に、俺は呼吸も忘れて硬直することしかできない。
なぜ、この男が、ここに。
冷や汗が背中を伝う。
まったく気配を感じなかった。
「だ、ざい」
からからに乾いた口で相手の名を呼ぶ。
太宰は俺の耳に頬をつけ、くすくすと楽しそうに笑っているばかりだ。
「ね、それはなに?」
「これ、は」
俺は太宰の質問に答えられない。
知られたくない。これは知られてはいけないのだ。
だが太宰にはお見通しだったのだろう。
太宰は無慈悲にもその手を小さな箱へと伸ばす。
「ねぇ国木田君。こんなものより、さ」
やめろ、とは声にできなかった。
その、美しい爪で彩られた細い指が箱に触れる。
途端に俺の異能は効力をなくし、箱に収まりきらなくなった紙片が文机の上に、俺の膝に、畳の上に落ちかかった。
だが絶望を感じる間もなく、大宰の手が机の上から動かせずにいた俺の手に重ねられる。
その爪が甲に柔らかく立てられる感触に、俺はぶるりと背中を震わせた。
「ほら、本物を剥げばいいじゃない」
「……だざい」
うふふ、と笑う声。
爪先が俺の手の上で踊るさまに眩暈がする。
まるで悪魔の誘惑だ。
太宰は毒々しくも甘い言葉と仕草で俺の理性を融かそうとする。
これは現実なのか。
それすら分からなくなってくる。
「ねぇ、国木田君」
君のものにしてよ。
囁かれ、俺は震える手で大宰の指を掴む。
抵抗もなく、自ら手の内に収まったようなそれをそっと撫で、爪の形を確かめた。
「…………大宰。愛しているんだ」
言葉が免罪符にならないだろうか。
そっと手を持ち上げる。
美しい小指の先を口に含んだ。
了
-------------------------------------------------------
国木田君の特殊性癖と異能の可能性……いや特殊性癖があるのは私……。
ネタが本当にマズすぎてなんなら一旦お蔵にしたし、アップしても鍵をかけたまま再録する勇気すらない……でも個人的にはすごく好きな話なのでした(2026/3/19もう時効かなどと思って堂々と出しました)。
その後の二人の不毛な関係のアレコレをTwitterで吐き散らしていたなぁなんて思いだす……。
1/1ページ
