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名前を持たない獣 初出:2018年8月29日 B


 時間がなかった。
 視界に目指す建設中のビルが見えてくる。
 そのすぐ傍、嫌でも目に入るポートマフィアの本部ビルを一瞥し、俺は近道をしようと細い道に入った。
「こんばんは」
 瞬間、影が喋ったように思えて、驚いて立ち止まる。
 日が沈もうとしていた時刻、ビルとビルの狭間には強い西日から作り出される濃い影が凝っていた。
 その中に黒づくめの男が立っている。
 痩身の優男だ。知らない顔。
 黒の蓬髪に黒い瞳、着ている服も外套も黒だ。首元と手首に巻かれた包帯が奇妙だが、どこか整った顔がそれをあまり意識させない。
 年のころは俺と同じくらいだろうか。しかし深く昏い色をした瞳のせいでどことなく老人のようにも見えた。
「……誰だ、貴様は」
 只人ではない雰囲気に慎重に誰何すると、男はくすりと笑う。
「ふふ、せっかくだから一度くらい顔を見ておこうと思ってね」
 俺の質問には答えずに、ことりと首を傾げる様子は幼げだ。
 定まらない印象に、ひどく不安な気持ちになる。
「……すまないが、先を急いでいる」
 とにかく今はなにかに関わっている暇はなかった。
 現在、最近入社した後輩が、無謀にも一人でポートマフィアの本拠地に特攻中なのだ。
 俺はこれから仲間と合流して補助に当たらなければならない。
「もう少しくらいは大丈夫だよ。間に合う」
 だが男は鷹揚な態度を崩そうともせず、脇をすり抜けようとした俺の進路をさりげない仕草で塞ぐ。
 そのなにもかもを見てきたような態度に警戒心は強まる一方だった。
「会話をするつもりなら、俺の問いに答えろ。貴様は誰だ」
「待った」
 思わず腰の自動小銃に手を伸ばそうとしたとき、男が少し慌てたように声を大きくした。
 両手を上げてみせる。
 武器を持っていないという意思表示だ。
「なにもしないよ。二度目はごめんだ」
 ひらひらと手を振って、どこか疲れたように笑う。
 なにが「二度目」なのかは分からない。が、そのさまがどことなく哀れに見えて、俺はひとまず腰から手を引いた。
 だが警戒は解くことなく、いつでも動けるような体勢は保つ。
 男が異能者だった場合、徒手で攻撃する術を持っていないとも限らないからだ。

「……まぁあまりこうしている時間もない。本題に入ろうか」
 しばし睨み合いが続く。
 やがて男が両手を掲げたまま口を開いた。
「今日はね、君に贈り物をしに来た。……そうだな、誕生日の、ということにでもしておく?」
「……俺の誕生日はまだ先だ」
「知ってるよ。八月三十日」
 男はあっさりと頷く。
 なぜ知っているのだと眉をひそめると、男は口元の笑みを深くした。
「ふふ、私に分からないことなどないのだよ」
 嘯くさまはあまりに胡散臭い。
 その口ぶりからして、初対面ではないのだろうか。だがまったく思い当たらなかった。
「予言だ。君、もうすぐ可愛い後輩が二人増えるよ」
「……はぁ?」
 誕生日の贈り物が予言というのも首を傾げるが、もたらされた内容もあまり嬉しくない。
 たった今、その後輩にとんでもなく迷惑をかけられている最中だというのに、それが増えるなんて考えたくもなかった。
 だが男は俺の引きつった顔を見て楽しそうに肩を揺らす。
「大丈夫。少し癖があるけどちゃんと可愛いよ。きっと君たちに応えてくれる」
 そして夢でも見るような表情でうっとりと目を閉じた。
「次の君の誕生日は絶対に楽しいね。……私がそれを見ることはないけれど」
 意味が分からない。
 だが男はどこか満足そうに俺を見ると、花が綻ぶように笑った。
「期待していいよ。私の予言は当たるから」
 まるで愛しい相手に向けるような表情だ。
 そんなものを向けられて俺は混乱するしかない。
 俺はお前を知らないのに、どうしてお前はそんな顔をする。

 無言のままお互い見つめ合った。
 ずいぶん熱心にこちらを見ていた男は、やがてそんな自分に気づいたらしい。そわりと視線を外した。
「……すまない。長居をしすぎたね」
 腕を下ろすとあっさり踵を返そうとする。
 すぐに濃い闇に溶けそうになる背中に、気づけば足が動いていた。
「……待て、──」
 口を開いても、俺は発するべき言葉を持たない。
 自分に戸惑いながらも男の腕を掴んでいた。
 細い、と思ってはいたが、まるで枯れ木を掴むような手応えにぞっとする。
「お前は……」
「……引き止めてくれるのかい」
 素直に立ち止まった男が、どこか噛みしめるように呟いた。
「ふふ、頑張った私へのご褒美かな」
 こちらを見ないまま頬を緩める様子は、なぜか泣いているようにも見えて、やけに胸の内がざわつく。
 男は自身を落ち着かせるかのように、ゆっくりと一つ息をついた。
 腕を掴んだままの俺の手に、細い指が添えられる。
 やんわりとはがされた。
「ありがとう。でも必要ないんだ」
「……っ」
 顔を上げ、にこりとする。
 嬉しそうな顔をしながらも明確に拒絶されて、俺はわけも分からず息を呑んだ。
「では国木田君、よい生を」
 男は俺が動けずにいる隙に今度こそ歩き出す。
 遠ざかっていく背中に、俺は唐突になにか言わなければいけないような気がして口を開こうとした。
 だがまた声にならない。
 当然のように俺の名前を呼んだ男とは違って、俺は相手の名前も知らなかった。

 結局、なにもできないまま、男が影と一つになるのを見送るしかない。
 胸の内にやりきれなさだけが残って立ち尽くしていると、感傷を切り裂くように携帯電話が着信を告げた。
 画面に表示されているのは社の代表番号だ。
 事態が動いたか。
 通話ボタンを押す。
「国木田だ。もう着く」
 今はとにかく自分のすべきことを。
 走りだした。



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まだ完全版が出る前じゃん……そんな時期から?(笑)。
ハマって一年目の国木田君の誕生日に出すという暴挙に出た初BEASTでした。今読み返してもつらい……。国木田君が知らないように、太宰だって国木田君のこと本当は知らないのにね……。
織田作のために国木田君(というか全部)をポイする太宰さんは完全に解釈に合ってるのでそういう意味でもBEASTは大好きです。
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