トリックスターの気まぐれ 初出:2019年3月31日
突然ばたばたと外が騒がしくなったと思うと、勢いよく出入口が開いた。
顔に伏せていた本を持ち上げた私と、飛び込んできた敦君の目が合う。
「あっ太宰さん、助けてください! 国木田さんが!」
途端に泣きつかれて私は目をぱちくりとさせた。
敦君はなぜか国木田君の腕を掴んでいて、彼を引っ張るようにして応接スペースにやってくる。
「なぁに、いつもと逆だねぇ。どうしたの?」
「太宰、お前またこんなところでサボりおって……」
ソファからのんびり体を起こした私に国木田君は渋い顔だ。説教のために口を開きかけたが、それを押しのけるようにして敦君が前に出る。
「国木田さんが! 国木田さんが大変なんです!」
「おっとっと、ちょっと落ち着きたまえよ」
詰め寄ってくるのを宥めていると、開け放たれたままだった扉から鏡花ちゃんが入ってきた。丁寧に閉める。
そういえば今日は三人で外回りだったか。
時計を見上げれば予定の帰社時間ぴったりで、私は首を傾げる。
私は困り顔の敦君、顰め面の国木田君、通常運転の鏡花ちゃんの順に視線を巡らせた。
「別になにもおかしくなさそうだけど?」
「そうなんですけど、そうじゃないんです!」
「はぁ」
「……ねぇ」
「ん? どうした?」
敦君は慌てるばかりで要領を得ない。
どうしようかな、と思っていると、鏡花ちゃんが国木田君の空いている方の袖を引いた。
「私のこと、どう思っている?」
大きな目が国木田君を見上げる。
それに瞬きで答えて、国木田君は彼女と視線を合わせるように少し身を屈めた。
「そうだな……お前はまだ単純に力に頼りすぎだ。が、よく頑張っていると思うぞ。将来有望な社員だ」
「……ありがとう」
自分で訊いたというのに、鏡花ちゃんは驚いたように目を丸くする。ぽわ、と頬を染めるさまは大変可愛らしかった。
というか、待って。
「じゃあ、彼は?」
「えっ」
鏡花ちゃんは次に敦君を指さす。
思わずといった様子で姿勢を正した敦君に、国木田君が向き直った。
「敦、お前も頑張っているぞ。ひとまず優柔不断と臆病は直さねばと思うが、危機的状況での胆力の強さはお前の長所だな。人を思いやれる優しさがあるのはいい。だがそうはいってもいつまでも他人のためだけでは……」
「いいいいいですそれくらいでっ。ありがとうございます!」
つらつらと並べられる自分の評価に、敦君が茹で蛸のようになる。
慌てて言葉を遮って腰を九十度に折るのに、国木田君が不思議そうな顔をした。
「ね」
「そ、そうだね。変だね……」
鏡花ちゃんに同意を求められて、私は引きつった笑みを浮かべる。
いったいどうしたことだ。普段は少し褒めるのだって照れて言葉少なで、まるで怒っているみたいになる国木田君がこんなに素直に心情を吐露するなんて。
「催眠術」
ぽつりと鏡花ちゃんが言う。
言葉少なに感じたのか、敦君が補足ためにおずおずと口を開いた。
「路上で催眠術のパフォーマンスをやってたんです。時間もあったので少し見てたんですけど……」
喋りながらその不思議な色の瞳をそろりと国木田君に向ける。
私は肩を竦めた。
「彼が標的になってしまった、と」
「そうなんです……素直に言葉を使うのが苦手な様子だから手伝ってあげるって……僕らが止める間もなく」
「ははぁ……」
「な、なんだお前たち、人のことをじろじろと見て」
気づけば三人とも国木田君を注視していて、彼は足を引かせる。
見た目はいつもと変わらない、けど。
「結局、具体的にはどういう状態なの?」
「はぁ……心に浮かんだことをそのまま口にして、思ったまま行動してしまう……んだそうで」
「へぇ」
「それからずっと国木田さんがおかしくて、もうどうしようかと……」
「おい。俺はどこもおかしくないぞ」
敦君の泣き言に国木田君がむっとする。
自覚はないらしい。
「というかどうしてそのままなの? 解いてもらえばよかったのに」
「そ、それがいつの間にかいなくなってて……」
「六時間で切れる、と言っていた」
「へぇ」
故意か過失か。
とにかく今の国木田君は「素直になる」に加え「効果は六時間」という暗示にもかかっているらしい。
私は本を閉じるとソファから立ち上がる。国木田君の前に立った。
「な、なんだ」
彼が怪訝な顔で体を引いたが、気にせず手を伸ばして肩のあたりに指で触れる。
特になにも起らない。
「ふむ、なーるほど?」
「やめろ、つつくな」
なおもつんつんしていると払われたので、私は素直に彼から離れた。
やはり異能ではないようだ。
国木田君は正真正銘、催眠という「思い込み」でこうなっているらしい。
「君、本当に面白いねぇ」
「なんのことだ。だいたいそんな呆れた面で言われても嬉しくないからな。……と、しまった予定が」
なぜか不満そうに国木田君は眉間に皺を寄せる。が、ふいに時計に目をやったと思うと踵を返した。
「……六時間ねぇ。それがあったのはいつのことだい?」
「ついさっきです……ここに戻る途中で……」
時計を見上げると十三時をいくらかすぎている。
ならば戻るのは遅くとも十九時すぎか。
「まぁ戻る算段があるならよしとしようじゃないか。見たところそれほど害もなさそうだし」
私は机に向かって黙々と仕事をしている国木田君を眺めた。
いつもと変わらない。
と、国木田君が眼光鋭くこちらを振り返る。
「おい、お前ら。そろそろ仕事に戻れ!」
「は、はいっ、すいません!」
「はーいはい」
一喝にぴんと背筋を伸ばした敦君が自分の席に駆け寄った。鏡花ちゃんもそれに続く。
私は昼寝に戻ってもよかったのだけど、国木田君の視線はまだこちらを向いていた。実力行使に出そうな気配に仕方なく仕事をすることにする。
「……なに?」
国木田君の横を通って、彼の正面席へ。
その間も視線が注がれ続けていたのを訝しむと、国木田君が真顔のまま口を開いた。
「いや、相変わらず綺麗だと思ってな」
「…………ん?」
変な言葉が聞こえた気がした。
首を傾げた私に、国木田君がしかつめらしい表情で腕を組む。
「お前というやつは仕事をサボるし就業態度もよくないが、憎たらしいほど造作が整っているからな。まぁ土壇場での判断も評価できなくもないが、その頭を普段から使っていればもっと……」
「ま、待って。待ってなにそれ国木田君」
「なんだ? あぁ声も悪くないぞ。ただ痩せすぎだ。もっと食え阿呆」
「いやそうじゃなく……」
いったいなにが始まったのか。
うだうだと私への評価らしいものをあげつらっている国木田君に唖然とする。
途方に暮れて視線を泳がせると敦君も鏡花ちゃんもぽかんとしていて、どうやら空耳でもなんでもないらしい。
なんだって?
私の顔が? 声がいいって? 国木田君が?
自分の造作が整っていることに自覚はあったけれど、彼にそんな風に思われていたなんて知らなかった。
というか容姿や仕事やなにもかもを同列で褒めたり貶されたりして混乱する。
頭の隅にある客観的な部分が、なるほどこれが心に浮かんだまま口にするということか、と冷静に評価を下した。
「それは、好きということ? 可愛い?」
「鏡花ちゃん!?」
と、出し抜けに聞こえた高い声にぎょっとする。
彼女が真顔で見つめる先で、国木田君はあっさりと頷いてみせた。
「そうだな」
「私よりも?」
「お前より、か……」
首を傾げた鏡花ちゃんに、国木田君は少し考え込む。
いやちょっと待って。
「……そうだな。お前への可愛いと、こいつへの可愛いは種類が違う。比べられるものではないな」
「タンマタンマ! 待ってキツイ! ていうかそれ私が聞いてもいいやつなの!?」
おかしな会話が淡々と進むのにたまらずストップをかける。二人の視線が私に注がれた。
「どうしたの?」
「いや、どうしたのって……」
不思議そうな顔をする鏡花ちゃんに言葉に詰まらせる。
ちらりと敦君に視線を向けてみるが、僕はなにも聞いていませんとばかりに書きかけの報告書に齧りついていた。助けは期待できない。
「ええと……」
思うところはいろいろあった。
きっと鏡花ちゃんは帰ってくるまでに「可愛い」と言われていたんだろう、とか。そもそも成人男子に向かって可愛いはどうなんだ、とか。
それよりも予想外の好意に戸惑う。
国木田君は私の顔を見るといつも苦々しい表情をするし、胃痛を起こすし、寿命が縮むようだと言って憚らない。
心から憎まれているわけではないだろうが、とにかく嫌われていると思っていたのだ。
それよりさっき彼はどっちに同意したのだろう。「好き」にか、「可愛い」にか。
「……と、とりあえず仕事しようよ。……ね?」
「あぁ、そうだな」
自分の思考が捻じ曲がってきたのに気づいて、私はあたりさわりのない言葉でお茶を濁す。
率先してパソコンに向き直ってみせると、めいめい仕事に戻っていった。
ふと視線を感じる。
書類から顔を上げると、こちらを注視していた国木田君と目が合って驚いた。
「な、なに?」
「……あぁ」
いつから見ていたのか。
私の声に国木田君がぱちりと目を瞬かせた。
まるで自分のしていたことに今気づいたような反応に、もやっとした不安が胸中に広がる。
国木田君は、うむ、と一つ頷いて立ち上がった。
「いや、確かに意図せず聞かせる形になったのは申し訳なかったと思っていた」
なんだ。口に出さなくても考えられるのなら、なにも言わないでほしい……じゃなくて。
「え、国木田君?」
机を回り込み、傍らに立った長身にたじろぐ。
嫌な予感がして椅子ごと身を引こうとしたけれど、がしりと肘置きを掴まれてしまった。
自然、腰を折る形になった国木田君と顔が近づく。
「太宰」
「ま、待って。なにする気……」
私は背中を極力椅子に押しつけてみたが、悪あがきのようなものだ。ほとんど二人の距離が開くことはない。
真っ直ぐな目が私を見つめる。
「お前が好きだ。俺はお前を可愛いと思っている」
「ひ、え」
突然の告白に喉が引きつった。
彼の視線から逃れるようにぎこちなく横目で周囲を伺うと、フロア中の視線がこちらに集まっていた。
鏡花ちゃんが頬を染め、きらきらと目を輝かせている。
敦君は逆に青ざめて、ドン引きの表情だ。
驚愕、好奇、哀れみ、喜色。さまざまな感情が渦巻く。
やがてぱらぱらと拍手が巻き起こるのに、私は気が遠くなった。
男に告白されてもちっとも嬉しくない。
* * *
「……太宰。太宰、こっちを向いてくれないか」
「ついてこないでよ……」
ちょうど三歩分後ろをついてくる足音に、私はうんざりとため息をついた。
このやりとりも数度目で、足を止めてつい振り返ってしまえば国木田君は嬉しそうにする。
あの盛大な告白劇から、国木田君は私への気持ちを隠さなくなった。
まぁ今の彼は隠せないのだから、ますます大っぴらになったと表現した方がいい。
愛を囁くのと同列で仕事の話をし、私を叱り、私を褒める。
頭がおかしくなりそうでなるべく無視していたら、そのうち多少静かになったのでほっとしたものだ。
国木田君も仕事に集中してしまえば独り言が多いくらいで普段とあまり変わらない。
あとはいつもの探偵社だったし、これでさっさと家に帰ることができれば万事解決だったのだけれど。
「太宰」
「あのね、一人にしてくれないかな」
またため息をつく。
仕事中もさっさと逃げてしまいたかったのに、状況がさまざま重なって叶わなかった。
定時をすぎてもすぐに退勤できず、なんとか隙を見つけて社を出てきたまではよかったが、なぜか国木田君がついてきてしまって今に至る。
「だが夜道は危な」
「いわけないでしょう。私を誰だと思っているの」
さすがにもう苛立ちを隠せない。
私は成人しているし、マフィアの幹部だった男だ。そんな私を捕まえてよくそんなことが言える。
けれど国木田君ときたら、棘をびっしり生やした言葉にも怯まなかった。
「航空障害灯に誘われて高いところに上りたくなるかもしれんし、暗い水底に吸い込まれたくなるかもしれんだろうが」
「……そっちね」
つい納得してしまう。
さすが長く一緒に仕事をしているだけはある。それならあり得そうだ。
今は普段胸にしまっていることをぽろぽろ零してしまうだけで、余計な夢を一切見ていないのが彼らしい。
「ねぇ。君の退社後の予定は帰宅でしょ?」
「よく知っているな」
「いつもそうだもの。夕飯を外で食べるか家で食べるかはそのときどきだけど」
素直に驚きを浮かべる国木田君に気のない声で答える。
だから彼がここにいるのは変なのだ。理想手帳に反している。
「……そうなんだが。もう少しお前といたくてな」
国木田君は後ろ髪を引かれたような表情で服の上から手帳を撫でた。
「ほら、今日はあまり話せなかっただろう?」
「……裏目に出たか」
「ん? なんだ」
「ううん。なんでも?」
嘆息を聞かれそうになって誤魔化す。
就業中の無視がこうして返ってくるとはさすがに思わなかった。
これは十九時まで社で粘っていた方がよかったかもしれない。後悔先に立たずだ。
「だ、太宰。このあと飯でも行かないか? 奢るぞ。その……人混みが嫌なら俺の家でもいいが……」
「狼になりそうな人とは一緒に行けませーん」
しかも、せっかく優しい私が黒歴史を増やさないようにしてあげているというのに、この朴念仁はことごとく無にしようとしてくる。
肩を竦めて歩き出した私のあとを、国木田君が小走りでついてきた。横に並ぶ。
「な、なるわけないだろう! 正式につき合ってもいないのに!」
「でも『同僚の私』と食事に行きたいわけではないんでしょう? デート目的はさすがにちょっとねぇ」
ため息をついてみせると、国木田君はぱっと頬に朱を上らせた。目に見えて慌てだす。
「べ、べべ別に下心があるわけではいやそりゃあもう少し親しくなれればいいとは思っているがそもそも俺はお前が好きだなどと伝えるつもりはなくてだが知られてしまった以上は……」
「はいはい分かった分かった」
身振り手振りがうるさい。
とにかくべろべろに口を滑らせている国木田君に私は半眼になってしまった。
自白剤でもキメているみたいだ。なんて恐ろしい。
日ごろからこの手の暗示にかかりやすいタイプとは思っていたけれど、ここまでとは。
「ご飯奢ってくれるのはありがたいけど、今の君と二人きりはちょっと怖いなぁ。敦君と鏡花ちゃんを呼んでもいいなら考えるけど」
後輩二人をこんなくだらないことに巻き込むのはあまり気が進まないが、まぁ現場に居合わせた責任だと思ってもらおう。いっそ二人の分は私が出してもいいし。
「ま、待て。なにもしないと言っているだろうが! せめて二人きりでいさせてくれ……!」
「ちょ、近い近い!」
ポケットを探る私に、国木田君が慌てて手を伸ばしてくる。
距離を詰めてくるどころか、携帯電話を取り上げられそうになって私は後ずさった。うっかり段差を踏んだ踵がずるりと滑る。
「わ……っ」
「太宰!」
一瞬ひやりとしたが、転ぶより先に国木田君に抱きとめられた。
腰を支えられた体勢のまま、私はぱちりと目を瞬かせる。
至近距離で視線が絡んだ。
「……離して」
ぽつりと呟くと、国木田君もはっと我に返ったような顔になる。
「す、すまん。だがお前、ちゃんと食っているのか? 細すぎるぞ」
「はーなーしーてーえー」
謝罪を口にするくせに、ますます抱き込まれそうになる。
思いっきり顔を顰めて声高に主張すると、しぶしぶ解放された。
「……すまん、つい。しかしそんな顔をするな。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」
「も、そういうのいいから……」
頭が痛くなってきた。
私は額を押さえて、すぐそこに迫っていた壁に背を預ける。
腕は引っ込めたものの、国木田君は私の傍に立ったまま離れようとしない。普段よりも近い距離から見下ろされるのは居心地が悪かった。
視線が痛い。
どうしたものだろう。
「……本当に綺麗だな、お前は」
熱っぽく囁かれて思わず肩が跳ねた。
「あのね……」
うんざりしつつ顔を上げた瞬間、見えたものにぽかんとしてしまう。
国木田君ときたら、職場で見たのとは比較にならないほど恋で蕩けた瞳を私に向けていたのだ。
他人にこんな顔を向けられるのは生まれて初めてで、うっかり見入ってしまう。
硬い指先に頬を撫でられて我に返った。
「触れてもいいか」
「……もう触ってるよ」
私はやんわりその手を押しのけ、視線を逸らす。
思ったことをそのまま行動に移してしまうせいで、断りがなんの意味もなしていない。
「駄目に決まってるでしょう。君の理屈で言ったら私たちはつき合ってもいないのだよ?」
「それは」
拒絶の言葉に国木田君は息を呑む。
私へ伸ばしていた手をぐっと握りしめ、力なく下ろした。
「……そうだな。分かった」
やっと諦めてくれたようだ。
低く響いた了解の声にほっとする。と同時になんだか胸の内側がすぅすぅするような心持ちがした。
「……太宰」
不思議に思っていると名前を呼ばれる。
とん、と顔のすぐ横に軽く手が置かれて反射的に肩が跳ねた。
驚いて顔を向けると、国木田君が真っ直ぐこちらを見下ろしている。
「く、国木田君?」
気がつけば背後を壁に、左右を彼の腕に、前を彼自身に封鎖されていて逃げ場がない。
国木田君はわずかに身を屈めると、さらに顔を寄せてきた。
おかしい。なんだ。こんな場面が昼間もあったような。
私は額に冷や汗が滲むのを感じながら壁に頭を擦りつける。
「あ、の……」
「好きだ」
「ひ」
真摯な声に息を呑んだ。
熱の籠った瞳に動けなくなる。
「太宰、好きだ。どうか俺と交際してくれないか」
「……ぅ、あ。え、ええと」
断らなければ。
そう思うのに、言葉が喉につかえて出てこなかった。
どくどくと心臓の音がうるさい。体温が何度か上がったような感覚がする。
焦りが募ってじりじりと腹の底を焼いた。
だいたい、いつもこういった甘ったるい口説き文句を言いたてるのは私の方であったはずだ。
国木田君がそれを口にするなんて今まで想像したこともない。ましてやそれを向ける相手が私だなんて。
「太宰」
切なく呼ばれ、彼の手が顎にかかる。
そこで国木田君が唐突にはたりと瞬きをした。
驚愕に目が見開かれたと思うと、じわじわと頬が赤くなっていく。それを隠すようにどんどん俯いていった。
すぐに事態を察した私は、大袈裟に息をついてみせる。
「やぁっと正気になったかい? それはおめでとう」
六時間経ったらしい。
少しばかり疑っていたが、国木田君を惑わせていた催眠術は無事に解けたようだ。
国木田君は弱々しく呻くと、私を囲っていた腕を力なく下ろす。頭を抱えた。
「……すまん、忘れてくれ……」
覚えているようだ。それはそうか。
後悔を隠そうともしない、その絞り出したような言葉がなぜか胸に沁みた。
けれど私は逆に、ふふんと鼻で笑ってみせる。
「いいよ、わりと面白かったしね! そのうち一杯奢ってくれればすべて呑み込んであげようじゃあないか!」
あぁなんて寛大な私。
大仰な仕草で肩を竦めて歩き出す。
そもそも帰宅の途中だったのだ。こんなところに長居は無用である。
「近いうちに!」
「ん?」
と、そこに声がかかって思わず足を止めた。
振り返れば、国木田君がわずかに緊張した面持ちでいる。
「……近いうちに正式に申し込む。だからそれまでは……忘れてくれ」
いまだに混乱の残る表情で、頬を羞恥に染めて。それでもあの目がまた私を見ていた。
咄嗟に返事ができない。
口をぱくぱくとさせる私に、国木田君が困ったように眉を下げる。
ゆっくりと歩を進めて隣に並ぶと、小さな声で寮まで送ると言った。
先に立って歩く国木田君を追うように、私の足は勝手に動き出す。
また心臓がどくどくと音を立てはじめていた。
そろりと見上げた彼の顔が輝いて見えたのは、ちょうど通りがかった車のヘッドライトに照らされたからだと思いたい。
了
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前述のレナトス10に遠征したフォロワーさんに託した無料配布でした。
珍しく太宰さんにストレートに迫る国木田君。せっかくだから少し毛色の違う話を、と思って書いたのですが非常に楽しかったです。
最後に一応弁解しておきますと、鏡花ちゃんは目の前で巻き起こった恋バナに普通に興味津々なだけです。腐ってないです。
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