Sweet St.Valentine 初出:2019年1月27日/2月14日
今日は国木田君の様子がおかしかった。
だって昼すぎに出勤してもそれほど怒られなかった。
それに私がほんの少し動くだけで、なぜかものすごい勢いでこちらを見てくる(でも目が合うとそっぽを向く)。
しかもいつもの倍の回数は時計や手帳を確認しているし。
極めつけにときどき上の空で、なにもないところで躓いたりしているのだ。
「……ねぇ、今日なんか変じゃない?」
「な、な、なにも変じゃないぞ!? 俺は! 普通だ!」
「そうかなぁ……」
私が出勤からそう経たないうちに、つい訊ねてしまったのも仕方ないと思う。
国木田君はあからさまに肩を跳ねさせて、明らかに動揺した様子で、必要以上の大声を上げた。
怪しい。不自然だ。あまりにも。
「あーあー……そ、そうだ、それよりもだな……」
じとりとした私の視線に気づいた国木田君が目を泳がせ、手をふらふらとさせる。
きちんと整頓されているはずの机の上をあたふたと探って、妙に時間をかけて一枚の紙を見つけ出した。
しかもファイルから抜き出す際に手元を狂わせてくしゃりとしてしまい、慌てて机の上で引き延ばしている。
本当にどうしたのだろう。動作に無駄が多い。
普段、無駄を削ごうとするあまり、逆に空回っていることもあるけれど、こんな国木田君はついぞ見たことがなかった。
社内の大部分も同意見らしいく、ちらちらと彼を窺うような気配がそこら中からずっとしている。
私の隣にいる敦君もなんだかハラハラしているのが横目で窺えた。でも国木田君の隣の席の鏡花ちゃんはあまり気にしてなそうだ。
「だっ太宰。こ、こ、これに判を押せ。先日の報告書だ」
「あぁ。あれ」
なにかと思ったら仕事を振られた。
少し前に国木田君と解決したやつだ。放ったらかしにしていたけれど、いつの間にか彼が書面にしてくれたらしい。
「は、判だぞ。ちゃんと押せよ」
「うん? サインじゃなく?」
「そ、そそそそうだ」
ざっと書面に目を通していると、妙に念を押してくる。
書類の種類にもよるけれど、報告書の類にはその手の決まりはないはずだ。
「はいはい印鑑ね~」
私は首を傾げつつも、反論するのも面倒くさくて机の引き出しに手を伸ばす。
一番上の引き出しを開けて、
バン!
閉めた。
「どうしたんですか?」
「な、なんでもないよ!?」
すぐ隣で鳴った大きな音に、敦君がびっくりしてこちらを向く。
びくっと反射的に背中を張った私は、すぐさま首を振った。
にこりと満面の笑みを作ってみせると、敦君は腑に落ちないような顔をしながらも自分の仕事に戻っていく。
「……ちょっと」
こそりと声を上げて正面の席を睨みつけてみるが、国木田君は一心不乱にキーボードを叩いていてこちらを見もしない。
普段は姿勢がいいくせに、画面に隠れるように身を屈めている。打鍵の音がおそろしくうるさかった。
「……うわ……」
こちらから見えるのは耳くらいなもので、しかもそれが赤くなっている事実に私は呻く。
つられてなんだかこちらも頬が熱くなってきた。
一瞬見えた引き出しの中に、私の知らない平たい箱が鎮座していた。
掌に乗るくらいの大きさで、スウェードのシンプルなリボンがかけられた濃い茶色の紙箱だ。
表面に無造作に貼られた付箋には「食え」と一筆。そしてシャチハタの国木田印。
これだ。
国木田君がずっとおかしかった理由は絶対にこれに違いない。
折しも世はバレンタインデー。
だから中身は十中八九チョコレートだろうけど、まさか彼がくれるとは思わなかった。
そもそも男同士なのだ。恋人の日にかこつけたとしても、普段より少しいい店に飲みに行くくらいだろうと考えていた。
「……あー、んん」
なんだか妙に落ち着かない。
私はそんな自分を誤魔化すように咳払いをして、引き出しを少しだけ開けると印鑑を取り出した。
書類に判を押し、ちらりと正面に視線を投げればこちらを窺っていた国木田君と目が合う。
瞬間、真っ赤に染まった顔が勢いよく明後日を向いた。
──あ、これ定時まで続くのは無理だな。
あからさまな反応にさらにそわそわとしてしまいながら、私は唐突に悟った。
きっと国木田君は、今日は始終こんな感じなのだろう。バレンタインの贈り物は素直に嬉しかったけれどそれとこれとは別だ。
「……太宰さん? なんだか顔が赤いですけど、大丈夫ですか?」
敦君がこそりと声をかけてくる。
彼にも分かるくらい表に出ていたらしい。
どうやら頭を冷やさなければならないようだ。お互いに。
「そうだねぇ、ちょっと空調効きすぎてるのかな。空気を入れ替えた方がいいかもねぇ」
私は首を傾げる敦君に、貼りついた笑みを向けた。
そうして手元の紙を縦に半分に折る。
「あ。窓を開けましょうか」
「いいよ。私がやるから」
開いて折り線に合わせるように二つの角を折る。さらに折る。山折り、谷折り。
おもむろに席を立った。
「……お、おい太宰?」
「少しだけ窓開けますね~」
「三十秒な」
「はーい」
「ちょ、ちょっと待て!」
私が手にしているものに気づいた国木田君が、背後で慌てて席を立つのが分かる。
乱歩さんの許しに、私は窓を開けると同時に右手を振りかぶった。
「えーい、飛んでけー!」
「報告書! おい、今なんで報告書を紙飛行機にして飛ばした!?」
駆け寄ってきた国木田君が、私を押しのけるようにして窓辺に立つ。
風に乗って空を進む紙飛行機の行方を透かすように目を眇めた。
「あーあー。早く探しに行かないと、どっか行っちゃうねぇ」
「くそ! どうしてお前はそう、ろくなことをせんのだ!」
にこりと笑った顔を見たかどうか。
国木田君は身を翻すと、慌ただしく事務所を出ていってしまった。
よし。
私は頷いてぱたりと窓を閉じる。
きっちり三十秒だ。
「太宰さん……」
呆れた顔でこちらを見ている敦君に肩を竦めてみせ、長外套を羽織る。
引き出しのチョコレートを素早くポケットに押し込むと、ついでに隣にあった付箋を摘まみだした。
一筆書いて、手帳の今日の日付の頁に貼りつける。
「敦君、これ国木田君に返しておいて~」
「うわぁまた摺ってる! 怒られますよ!?」
「じゃあ私は用事を思い出したから~」
ぽんと敦君に国木田君の手帳を押しつけると、悠々と事務所を出た。
国木田君がアレを見てなお怒るかどうか、五分五分といったところだろうか。
猶予はおそらく定時まで。
それまでに私もこの熱くなった頬をなんとかしなければならない。
*
*
*
勢いよく廊下を走る音がする。
時計を見上げると、定時をいくらかすぎていた。
早いな、と思っているうちに忙しなく玄関の鍵が開けられ、長身が飛び込んでくる。
「おかえり~国木田君。お邪魔してるよ」
「っ、この……」
先手を打って声をかけた。
畳に腹這いになって読書に勤しんでいた私を見つけた国木田君が声を歪ませる。
絶句したままずんずんと近づいてきたと思うと、肩を掴まれてころりと仰向けに転がされてしまった。
国木田君は私の体を跨ぐようにして畳に膝をつく。
「きゃあーいきなり押し倒すなんて、国木田君ったらだいた……ぐえ」
わざとらしく声を上げるが、最後まで言わせてもらえなかった。
一切の手加減なく胸倉を掴み上げられて、背中が畳からわずかに浮く。
国木田君も顔を寄せてくるので、互いの息が混じるほどの距離で視線が交わった。
すぅ、と彼が息を吸う。
「書類を飛ばすな勝手に早退するな手帳を摺るな落書きをするなピッキングをするな!!」
一息で怒鳴られ、私は目をぱちぱちとさせた。
つい笑ってしまい、国木田君がますます眉間の皺を深くする。
「正確には落書きじゃないけど……君、そんなことを言うために息せき切って帰ってきたの?」
私は指を伸ばすと、いまだに荒い息を零している唇をなぞった。
つんつんとつつけば国木田君はぐっと言葉を詰まらせる。
「……う、うるさい! だいたいなにが『お礼は君の部屋でね!』だ。バレンタインの返礼は一ヵ月後と決まっているだろうが!」
「おや、贈り物の返礼はしたいと思ったときがするときだよ?」
文句を言いつつもうっすらと目元を染めて視線を泳がせる国木田君に、私は満足げに目を細めてみせた。
少しは期待してくれたらしい。
「でも、ごめんねぇ。手帳にはああ書いたけど、今の持ち合わせは私しかないや」
私は腹に力を入れてさらに上体を持ち上げると、目の前にある唇を啄んだ。
と、首にあった手が緩んでそっと畳に下ろされる。
「……別にお前から金銭的なものは期待してはいない」
「そう? 今からちょっと倹約すれば来月マシュマロかクッキーくらいは買えると思うけど。君の理想的にはそっちがいいのかなぁ?」
こちらを腕に抱き込むくせに可愛くないことを言うので、つい意地悪してしまいたくなる。にやにやしながら反応を窺うと、国木田君はぎくりと背中を強張らせた。
「……ほ、本命の返礼についてはまだ精査中だ。お前の方が詳しそうだからそこは任せる」
「あっはは。君、そういうとこなければもっといい男なのにねぇ」
早口でもごもごと言うのに吹きだしてしまう。
照れ隠しにしてもあんまりだし、そもそもチョコレートの渡し方だってひどかったし。
けれどあれが悩みに悩んだ末の苦し紛れだと推察できてしまえば、私は彼らしいと笑うことしかできないのだ。
これが俗に言う惚れた弱みというやつだろうか。難儀なことだ。
「ね、国木田君」
「……あぁ」
彼の背中に手を回す。
そこを撫ぜる私の催促に気づいて、国木田君が少し体を起こした。
口づけが降ってくる。
何度か触れ合わせたあと、私はよいしょと体を起こした。
国木田君をひっくり返すようにして体勢を入れ替えてしまう。
今度は私が彼に馬乗りになると、驚いたように目を丸くしている彼ににこりとしてみせた。
「では黙って受け取っておきたまえ。あんなのでも嬉しかったから、今日はいっぱいサービスしてあげるよ」
「ま、待て。あんなのとは……」
「はいはい黙ってねぇ」
私の言葉に慌てて起き上がろうとしたのを体全体で押さえつけ、再び唇を塞いでしまう。
これ以上の問答は不要だ。
私はあわいを割って口づけを深くすると、手探りで彼のリボンタイをするりと引いたのだった。
了
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前半はミニ折本にして、バレンタイン近くに開催されたイベントでチョコの現物(ちゃんと判子押した付箋つき)と一緒にフォロワーさんへの差し入れにしました、その後バレンタイン当日に後半を書き下ろしてpixivに投下。
イベント数日前に突然思いついたので、一般参加にも関わらず軽く修羅場ってる自分が面白かった記憶があります。その甲斐あって面白がってもらえました。こういうサプライズ大好きなのでまたやりたいですね……。
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