短編夢
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「恋」―――そんな洒落たものは、今の自分には無縁だと思っていた。
そもそも雑誌とかテレビの女やカーリーがよく口にしている、人に「恋」をするという気持ち自体がよく分らない。
昔から子供達の世話や盗みを働いていたりして、とにかくサテライトにいた頃は食べるだけでも必死だった為、「恋」どころではなかったのもある。
それに、女に興味を示す暇があったら、WRPGに出場するための資金稼ぎの時間に当てるのが今は優先だろう。
「恋」やら「愛」やらは、優勝してからゆっくり考えていけばいい。
―――と、クロウは考えていたが、次第にその頑固な考えも揺らいでいくのだった。
「私よ、入ってもいいかしら?」
控え目にガレージの扉を少し開けて、顔だけひょっこり現したのは十六夜アキだ。
いつもは何も言わずにズカズカとガレージの中に入るのに、今日は一言断るなど妙に珍しい。
いちばん扉の近くにいたクロウが、配達の段ボールを整理するのを止めて遊星達に代わって答えた。
「別に構わねえぜ。……ってか、今さら一言断らなくても、いつも勝手に入って来てんじゃねえか」
「今日は優香も一緒に来ているから聞いてるの。前に言ってたでしょ、今度連れて来るって」
「先日から話しているデュエルの腕前が良くて、D・ホイールも少々弄っているとかいうお前の友人の事か?」
奥のソファに座りコーヒーをすすりながらジャックが口を挟んだ。
堂々と昼間からくつろいでいるジャックの姿にクロウは横目で睨み、「てめえは良いから早く仕事を見つけろ」と怒鳴ってやりたくなったが、
アキの友人が来ているという前では流石にグッと拳を握って堪える。
――そのアキの友人である優香の事は、クロウも前から飽きるほど聞かされていた。
何でもデュエルアカデミアでクラスが一緒で話している内に意気投合したらしく、今ではいつも二人で仲良くしているらしい。
顔は知らないが、アキの話を聞く限りでは悪い奴ではないと覗(うかが)える。
デュエルもアキと並ぶほどの実力を持っているらしいので、クロウや他の3人も一度は会ってみたいとは思っていたところだった。
ジャックの問いにアキが答えようとすると、たった今D・ホイールの調整の終わったらしい遊星とブルーノがアキとクロウの傍へと近付いてきたため、
自然と三人の視線は遊星とブルーノに向けられた。
「その子、D・ホイールも弄れるんだよね。僕も気になってたんだよ」
「で、アキ。その子というのは……」
「ええ、紹介するわ。優香、入って来て」
扉を大きく開けアキが声を掛けると、おずおずしながら優香が姿を現わす。
デュエルアカデミアの帰りであろうアキ同様制服を着ており、緊張しているのか顔は俯いている。
何か言おうとはしているが、口ごもるのを繰り返す優香の様子を見て、アキは隣で苦笑を浮かべ優香の背中を優しく押して耳元で呟く。
「優香、そんなに緊張しなくていいのよ。この四人は悪い人じゃないから」
「えっ、あ、うん……」
アキに言われ、少し安堵したのか優香はようやく顔を上げクロウ達の方へと目線を変える。
はっきりと露になった優香の顔は、透き通るような白い肌に、艶のある黒髪は肩まで伸ばしてあり、薄茶色の大きな瞳が印象的で、
顔立ちも整っているが美人というよりは可愛い系といっていいだろう。
恥ずかしそうに頬を少しピンクに染めているのが、白い肌によく目立つ。
今までクロウが触れ合った女性の中で、まるで違う雰囲気を持った優香に思わずクロウは目が奪われそうになっていた。
「え、えっと優香です、デュエルアカデミアではアキちゃんと、その、仲良くさせてもらっています。な、なんというか、よろしくお願いします!」
上擦った声で優香は言い切ると、ほぼ九十度に上体を折り曲げるように頭を下げた。
突然の優香の行動に、クロウや遊星達はもちろん隣のアキも目を見開いて驚く。
が、数秒もすればクロウが吹き出すように声を上げて笑った。
「……ハハハッ! お前変わったヤツだな! ンな頭まで下げねえで良いんだぜ、このくらいのことで」
「そうよ、優香。他の三人はともかく遊星には頭を下げるまでしなくていいのよ」
「おい、十六夜。それはどういう意味だ」
明らかに遊星を贔屓した台詞にジャックが突っ込みを入れるが、アキは気にせず優香の頭を上げさせる。
優香は戸惑った目をアキに向けながら口を開く。
「だって、アキちゃんが日頃お世話になってる人達って聞いたから、頭を下げるのは当然だって思って……」
「……! 私の、ために……? ありがとう、優香、嬉しいわ」
「良いところで悪いんだが、そろそろ俺らは本題に入りたいんだけど良いか?」
ちょっと危険な香りもしなくはない優香とアキの間に、クロウは空気を読みつつ控え目に二人に声をかけた。
本当は遊星やブルーノが言うのが穏便に済むとだろうが、流石にそこまで我慢できず自分から言ってしまった。
なぜ我慢ができなかった理由は分からないものの、アキと仲良くする優香を見てどうも良い気分がしなかったのは事実である。
予想通りアキに若干睨まれつつも、クロウは気にしないふりをして優香の方へ視線をやると自己紹介を始めた。
「俺はクロウ、資金稼ぎで宅配業やってんだ。でも、ちゃんとしたデュエリスト兼D・ホイーラーだぜ。よろしくな、優香……っと、呼び捨てでも良いか?」
「あ、はい。もちろんです! 宅配なんて大変そうですね、こちらこそよろしくお願いします! クロウさん」
「おうよ」
クロウが友好の印に握手を求めて右手を差し出すと、優香は笑顔で握手に応じた。
初めて見せた優香の微笑む姿に、クロウの心臓はドキリと高鳴る。
優香の手は、自分の一回りほど小さかった。
自分から握手を求めておいて、同世代の女の子の手に触れたことなどないクロウは、今さらながら少しドキドキと心臓の鼓動が速くなる。
白い手はすぐにクロウから離れたが、右手には優香の手の感覚がうっすらと残っていた。
――もっと優香の手と触れていたい。
そう右手が名残惜しく伝えているような気がする。
目の前の優香の顔を見遣ると、呑気ににこにこと頬笑んでいる。
しかし、ただ微笑んでるだけだというのに、また心臓がドキドキと高鳴りだし、咄嗟にまだ優香の手の感覚が残る右手で胸を抑えてしまった。
(いや、まさか………な)
その日を境に、クロウの苦悩は始まったのだった。
優香がアキと共にガレージを訪れ二週間が経つが、優香はすっかり遊星達と打ち解けていた。
もともと実家がD・ホイールの部品を扱っているため、D・ホイールの製品に詳しい優香はブルーノや口数の少ない遊星とも数時間も談議をしたり、
仕事をしていない所謂ニートのジャックを心配し、仕事探しの手伝いなどもしては、ジャックに「俺の道は俺自身で決める」と毎回怒鳴られていた。
だが、そんなジャックも優香の事は何だかんだ言って歓迎しており、今では優香一人で毎日遊びに来ている。
もちろんクロウともすっかり打ち解け、色々話をする仲にはなったのだが、他の3人との仲に比べると薄いような気がしてならない。
それどころか、初めて会ったあの日以来クロウの脳裏から優香の笑顔が離れないのだ。
優香の事を考えるだけで、胸がズキンと痛くなる。
(これが「恋」ってヤツか……? いや、違う! 違う! んな事絶対ありえねえ! 大体想う側の立場が逆だろ、普通は!)
胸を手で抑えて、クロウは一人考え悶えた。
クロウの知っている話では、女というものは男に片思いした際、胸が痛くなるほどの想いになるという。
まさに今の自分は想っている側の女と同じではないか―――
ただ十八年生きてきて一度も「恋」などした事がないクロウは、優香に対する想いを素直に認められないジレンマも抱えていた。
第一、色恋より今はWRGPの事が優先なのだ。
ジャックが働かない分自分が稼いで、少しでも遊星やブルーノに資金を渡さねばならない。
ようやく胸の痛みも治まったクロウは、止めてあったブラックバードを再び走らせようとする。
その瞬間、今できれば一番聞きたくない声が聞こえてきたのだった。
「あ、クロウさん!」
「ッ!? 優香……!?」
何も知らずに視界にうつったクロウの元へ駆け寄って来た優香。
今日に限って優香の格好は、見慣れている制服姿ではなく、ニットのワンピースに黒のチェックのミニスカートを着ており、ロングブーツを履いていた。
顔もメイクでもしたのか、普段と違い大人っぽい雰囲気が漂っている。
彼女の私服姿を一度も見たことがないクロウにとって、しばらく茫然と優香を見つめていた。
心配した優香が「クロウさん?」と声をかけると、ハッとしてクロウは正気を取り戻す。
「な、何でもねえよ。優香こそ、こんな所に一人でどうしたんだ?」
表情で優香に悟られないよう、平常を装い優香に尋ねる。
クロウが今仕事をしている場所は、ガレージからそう遠くはないが徒歩で来るにはそれなりの時間が掛かるところだ。
周りは老人が住む家が多く、優香が此処に足を運んだ理由がクロウには思い当たらなかった。
「私は………クロウさんに会いに来たんです。さっきガレージに行って、ジャックさんに聞いたらこの辺りで仕事してるっておっしゃってたんで」
クロウさんに会いに来た。
その言葉にクロウの心臓は一気に飛び跳ねる。
もちろん何か用があっての事だろうが、自分に会いに優香がここまでやって来てくれたとは、つい嬉しく思ってしまう。
(結構離れた所で仕事する俺の元まで、一人で来るって程の用があるとするなら………告白……な訳ねえよな。いや、でも――)
確証もない淡い考えが、クロウの胸に押し寄せる。
もし本当に優香から告白されたら、自分はどう返すべきなのだろう。
WRGPの事があるから、とちゃんと断れるのだろうか。
クロウが必死に思考を巡らせて考えたが、優香の口から出た言葉は全くの予想外の言葉であった。
「実はクロウさんに差し入れを渡そうと思って。つまらない物ですけど……」
「俺に差し入れ?」
そう言って優香は、クロウにクッキーの入った小袋をクロウの前へ差し出した。
丸い形のしたクッキーは、チョコレートとプレーンの二種類の色が入っているようで、五個ほど入っているとうかがえる。
告白ではなかった事で、軽くショックでも受けているのか自分でもよく分らない虚しさを感じながら袋をクロウは受け取った。
「そのクッキー、さっき私が作ったんです。ガレージの皆さんに渡そうと思ったらクロウさんだけいなくて、焼きたてで味わって貰いたいと思って持ってきちゃいました」
「これ、優香が作ったのか!?」
料理が得意だとは前から聞いていたが、このクッキーは市販のものと見間違えるほどの出来でクロウも流石に驚く。
ラッピングも女の子らしく可愛くリボンで結んであった。
自分に食べさせるためだけにわざわざ此処まで追い掛けて来るなど、他の女ならありえないことだろう。
クロウは、彼女の優しさに改めて感心した。
「あっ、クロウさんは甘いものとか大丈夫ですか?」
「あ、ああ、俺は甘いモンは好きだぜ。んじゃぁ、わざわざ優香が持って来てくれたし冷めない内にいただくか」
上目遣いで聞かれたので、慌てて顔を逸らすとクッキーの袋に結ばれているリボンをほどく。
そして、プレーンのクッキーを一枚取り出すと、そのままパクリとひとくちで口に含んだ。
味も前に市販のクッキーを食べたことはあるが、それより格段に味が美味しく、今まで食べた菓子類の中ではいちばん自分好みの味であった。
何より優香が持って来てくれたおかげでクッキーはまだ焼きたての状態であり、口の中でサクサクと音を立てている。
「おおっ、上手いじゃん! クッキーもサクサクだしよ、こんな上手え菓子食ったのは初めてかもしんねえ! 持って来てくれてありがとな、優香」
「えっ、お、美味しいだなんて、そんな……嬉しいお言葉ありがとうございます」
クッキーを頬張り喜ぶクロウの顔に、嬉しそうに微笑みながら優香は頭を深々と下げる。
まるで初めて出会った時の頭の下げ方とそっくりで、思わずクロウは吹き出してしまいそうになる。
口に含んだクッキーは何とか溢さずには済んだが、目の前にいる少女がなんだか愛おしく感じてしまう。
―――どうやら本当に俺は優香のことが…………。
「あのさ、今更だがどうして俺らに敬語とか使うんだよ? クロウでも良いのに」
「で、でもクロウさん達は私よりも年上の方ですし……」
「年上っても一歳上なだけだろ? 十六夜も普通に俺らにタメだし、んな気にすることもねえって」
「そう……ですか?」
優香はまだ躊躇しているようで、おずおずとクロウに尋ねる。
変なところに気を遣うのが彼女らしい所だが、さすがに敬語を使われると水くさいような気がしてならない。
それに、優香と遊星やブルーノの間に趣味という共通点があるように、クロウも自分と優香の間にしかない何かが欲しかったから、という思いもあった。
「別に今からとは言わねえさ。敬語じゃねえ方が堅苦しくないだろって言っただけで強制はしね……っと、もうこんな時間か」
ふと近くにあった時計が目に入り、時刻を見ると既に十五時を差していた。
次に届ける配達物には時間指定があり、あと三十分までに届けなければいけないのだ。
時間を気にし始めたクロウに、優香は仕事関係の事だと直ぐに察知し、あわてて頭をさげた。
「す、すみません! クロウさんお仕事中でしたのに邪魔したみたいで……は、早く戻りますね!」
そう言って何度も何度も頭を下げると、優香はすぐにその場から離れようとする。
が、右手をクロウの手によって掴まれ、優香は倒れそうになるも、すんでの所で堪えた。
「ど、どうしたんですか……?」
「待てよ、まだ俺は何も言ってねえだろ。次の配達なんて十分ありゃ俺のブラックバードなら余裕で間に合うっての、時間なら大丈夫だ」
「え……」
「だから何も優香の所為じゃねえよ。それにクッキーだって貰ったし、優香と話してて俺も楽しかったし………あー! よーするにてめえは気にすんなって事だよ!」
自分で言っている内に段々恥ずかしくなり、クロウは左手を髪で掻いて優香から目を逸らす。
そんなクロウの様子に優香は目をパチクリと瞬かせたが、自分の事を考えてくれているんだと感じると顔をほころばせた。
「クロウさんがそう言ってくださるなら……あと、クロウさん、顔真っ赤ですよ……?」
「!? ち、違ッ、これはだな! その……」
優香に指摘され、クロウは自分の顔が熱いことにようやく気付き、赤く染まった顔を左手で隠し優香には見えない反対方向へと背ける。
しかし、右手は優香の手を掴んだままで、手から直接伝わるクロウの体温はだんだん熱くなっているように優香には感じた。
あまり見ないクロウの照れている様子に、優香はくすくすと笑ってしまった。
「クロウさん、もしかして照れてるんですか? ふふ、なんか可愛い」
「う、うるせえな! これは違うって言ってんだろ!」
「でも、やっぱり私帰りますね。これ以上クロウさんのお仕事の邪魔はしたくないですから……」
「んな気にしなくていいってのに……まァ、優香らしいか。……っと、そうだ!」
なにか大事な思い出したように、クロウは声を上げる。
「クッキーの礼がしたいんだがよ、何か欲しいモンとかあるか? ……んな高いのとかは買えねえけど」
「え、そ、そんなの良いですって! あれは……しゅ、趣味で作っただけですし!」
まさかクロウにお礼をしてもらえるとは思ってもいなかった優香は、クロウに繋がれていない方の手をぶんぶんと振った。
実際は、ただの趣味で作ったわけではなく皆とは別にクロウに特別に作ったものだが、恥ずかしがり屋な優香はその事実を伝えられなかった。
デュエル中や普段は勘の鋭いクロウだが、恋愛面には慣れてないため疎いのか優香の気持ちには気付いてないようで、気にせず話を続ける。
「遠慮すんなって、折角ここまで持って来てくれたのに、礼も無しじゃ俺も気が引けるし」
「そ、そうですか? じゃあ、ひとつだけお願いしようかな……」
蚊の鳴くような声でボソリと優香は呟くと、ふいにクロウが掴んでいる手を片手でそっと包み込んだ。
いきなりの優香の行動にクロウは頬をさらに赤くさせて驚き、優香に目線を送った。
まさかコレは本当に告白前ではないだろうか。
クロウの心臓はドキドキと音を立て始める。
「こ、今度クロウさんのブラックバードの後ろに、乗せてもらってもいいですか?」
かああ、と前にいるクロウと同じくらいに顔を火照らせ、上擦った声で言い切った。
クロウのブラックバードには、前々から目を付けており優香も乗ってみたいと思っていたのだが、他にも大きな理由がもう一つある。
優香にとってはもう告白に近い程の台詞だったが、鈍感なクロウはその意味に気付いてないようで、ふっと表情をやわらげるとガシガシと優香の頭を撫でた。
「ああ、良いに決まってんだろ。優香の行きてえ所なら何処へだって連れて行ってやる。その代わり振り落とされねえようにな!」
ニッと微笑んで、優香の頭を撫でるのを止め、そのまま包み込まれた右手も離した。
(―――やっぱり俺は優香のことが……好き、なんだろうな。たぶん)
告白かと確証もないのに期待したり、今でも右手があの時のようにまだ優香の手に触れていたいと疼いているのが良い証拠だろう。
脳では否定していても、優香の姿を見るたびに胸が熱くなるのは事実だった。
でも、自分にはWRGPで優勝するという目的が残っているし、仮に告白をしても優香を困らせるだけになるはずだ。
だからもう少しだけ、今のままの関係を保っていこうと思う。
「恋」などに苦悩するのは様ではない気がしたが、WRGPが終わるまでに優香と距離を縮めておくのも悪くはない。
だが優香と別れた後、あの約束が優香とのデートになることにやっと気付き、クロウが更に苦悩する事になるのは言うまでもなかった。
fin.
2009.12.19
そもそも雑誌とかテレビの女やカーリーがよく口にしている、人に「恋」をするという気持ち自体がよく分らない。
昔から子供達の世話や盗みを働いていたりして、とにかくサテライトにいた頃は食べるだけでも必死だった為、「恋」どころではなかったのもある。
それに、女に興味を示す暇があったら、WRPGに出場するための資金稼ぎの時間に当てるのが今は優先だろう。
「恋」やら「愛」やらは、優勝してからゆっくり考えていけばいい。
―――と、クロウは考えていたが、次第にその頑固な考えも揺らいでいくのだった。
「私よ、入ってもいいかしら?」
控え目にガレージの扉を少し開けて、顔だけひょっこり現したのは十六夜アキだ。
いつもは何も言わずにズカズカとガレージの中に入るのに、今日は一言断るなど妙に珍しい。
いちばん扉の近くにいたクロウが、配達の段ボールを整理するのを止めて遊星達に代わって答えた。
「別に構わねえぜ。……ってか、今さら一言断らなくても、いつも勝手に入って来てんじゃねえか」
「今日は優香も一緒に来ているから聞いてるの。前に言ってたでしょ、今度連れて来るって」
「先日から話しているデュエルの腕前が良くて、D・ホイールも少々弄っているとかいうお前の友人の事か?」
奥のソファに座りコーヒーをすすりながらジャックが口を挟んだ。
堂々と昼間からくつろいでいるジャックの姿にクロウは横目で睨み、「てめえは良いから早く仕事を見つけろ」と怒鳴ってやりたくなったが、
アキの友人が来ているという前では流石にグッと拳を握って堪える。
――そのアキの友人である優香の事は、クロウも前から飽きるほど聞かされていた。
何でもデュエルアカデミアでクラスが一緒で話している内に意気投合したらしく、今ではいつも二人で仲良くしているらしい。
顔は知らないが、アキの話を聞く限りでは悪い奴ではないと覗(うかが)える。
デュエルもアキと並ぶほどの実力を持っているらしいので、クロウや他の3人も一度は会ってみたいとは思っていたところだった。
ジャックの問いにアキが答えようとすると、たった今D・ホイールの調整の終わったらしい遊星とブルーノがアキとクロウの傍へと近付いてきたため、
自然と三人の視線は遊星とブルーノに向けられた。
「その子、D・ホイールも弄れるんだよね。僕も気になってたんだよ」
「で、アキ。その子というのは……」
「ええ、紹介するわ。優香、入って来て」
扉を大きく開けアキが声を掛けると、おずおずしながら優香が姿を現わす。
デュエルアカデミアの帰りであろうアキ同様制服を着ており、緊張しているのか顔は俯いている。
何か言おうとはしているが、口ごもるのを繰り返す優香の様子を見て、アキは隣で苦笑を浮かべ優香の背中を優しく押して耳元で呟く。
「優香、そんなに緊張しなくていいのよ。この四人は悪い人じゃないから」
「えっ、あ、うん……」
アキに言われ、少し安堵したのか優香はようやく顔を上げクロウ達の方へと目線を変える。
はっきりと露になった優香の顔は、透き通るような白い肌に、艶のある黒髪は肩まで伸ばしてあり、薄茶色の大きな瞳が印象的で、
顔立ちも整っているが美人というよりは可愛い系といっていいだろう。
恥ずかしそうに頬を少しピンクに染めているのが、白い肌によく目立つ。
今までクロウが触れ合った女性の中で、まるで違う雰囲気を持った優香に思わずクロウは目が奪われそうになっていた。
「え、えっと優香です、デュエルアカデミアではアキちゃんと、その、仲良くさせてもらっています。な、なんというか、よろしくお願いします!」
上擦った声で優香は言い切ると、ほぼ九十度に上体を折り曲げるように頭を下げた。
突然の優香の行動に、クロウや遊星達はもちろん隣のアキも目を見開いて驚く。
が、数秒もすればクロウが吹き出すように声を上げて笑った。
「……ハハハッ! お前変わったヤツだな! ンな頭まで下げねえで良いんだぜ、このくらいのことで」
「そうよ、優香。他の三人はともかく遊星には頭を下げるまでしなくていいのよ」
「おい、十六夜。それはどういう意味だ」
明らかに遊星を贔屓した台詞にジャックが突っ込みを入れるが、アキは気にせず優香の頭を上げさせる。
優香は戸惑った目をアキに向けながら口を開く。
「だって、アキちゃんが日頃お世話になってる人達って聞いたから、頭を下げるのは当然だって思って……」
「……! 私の、ために……? ありがとう、優香、嬉しいわ」
「良いところで悪いんだが、そろそろ俺らは本題に入りたいんだけど良いか?」
ちょっと危険な香りもしなくはない優香とアキの間に、クロウは空気を読みつつ控え目に二人に声をかけた。
本当は遊星やブルーノが言うのが穏便に済むとだろうが、流石にそこまで我慢できず自分から言ってしまった。
なぜ我慢ができなかった理由は分からないものの、アキと仲良くする優香を見てどうも良い気分がしなかったのは事実である。
予想通りアキに若干睨まれつつも、クロウは気にしないふりをして優香の方へ視線をやると自己紹介を始めた。
「俺はクロウ、資金稼ぎで宅配業やってんだ。でも、ちゃんとしたデュエリスト兼D・ホイーラーだぜ。よろしくな、優香……っと、呼び捨てでも良いか?」
「あ、はい。もちろんです! 宅配なんて大変そうですね、こちらこそよろしくお願いします! クロウさん」
「おうよ」
クロウが友好の印に握手を求めて右手を差し出すと、優香は笑顔で握手に応じた。
初めて見せた優香の微笑む姿に、クロウの心臓はドキリと高鳴る。
優香の手は、自分の一回りほど小さかった。
自分から握手を求めておいて、同世代の女の子の手に触れたことなどないクロウは、今さらながら少しドキドキと心臓の鼓動が速くなる。
白い手はすぐにクロウから離れたが、右手には優香の手の感覚がうっすらと残っていた。
――もっと優香の手と触れていたい。
そう右手が名残惜しく伝えているような気がする。
目の前の優香の顔を見遣ると、呑気ににこにこと頬笑んでいる。
しかし、ただ微笑んでるだけだというのに、また心臓がドキドキと高鳴りだし、咄嗟にまだ優香の手の感覚が残る右手で胸を抑えてしまった。
(いや、まさか………な)
その日を境に、クロウの苦悩は始まったのだった。
優香がアキと共にガレージを訪れ二週間が経つが、優香はすっかり遊星達と打ち解けていた。
もともと実家がD・ホイールの部品を扱っているため、D・ホイールの製品に詳しい優香はブルーノや口数の少ない遊星とも数時間も談議をしたり、
仕事をしていない所謂ニートのジャックを心配し、仕事探しの手伝いなどもしては、ジャックに「俺の道は俺自身で決める」と毎回怒鳴られていた。
だが、そんなジャックも優香の事は何だかんだ言って歓迎しており、今では優香一人で毎日遊びに来ている。
もちろんクロウともすっかり打ち解け、色々話をする仲にはなったのだが、他の3人との仲に比べると薄いような気がしてならない。
それどころか、初めて会ったあの日以来クロウの脳裏から優香の笑顔が離れないのだ。
優香の事を考えるだけで、胸がズキンと痛くなる。
(これが「恋」ってヤツか……? いや、違う! 違う! んな事絶対ありえねえ! 大体想う側の立場が逆だろ、普通は!)
胸を手で抑えて、クロウは一人考え悶えた。
クロウの知っている話では、女というものは男に片思いした際、胸が痛くなるほどの想いになるという。
まさに今の自分は想っている側の女と同じではないか―――
ただ十八年生きてきて一度も「恋」などした事がないクロウは、優香に対する想いを素直に認められないジレンマも抱えていた。
第一、色恋より今はWRGPの事が優先なのだ。
ジャックが働かない分自分が稼いで、少しでも遊星やブルーノに資金を渡さねばならない。
ようやく胸の痛みも治まったクロウは、止めてあったブラックバードを再び走らせようとする。
その瞬間、今できれば一番聞きたくない声が聞こえてきたのだった。
「あ、クロウさん!」
「ッ!? 優香……!?」
何も知らずに視界にうつったクロウの元へ駆け寄って来た優香。
今日に限って優香の格好は、見慣れている制服姿ではなく、ニットのワンピースに黒のチェックのミニスカートを着ており、ロングブーツを履いていた。
顔もメイクでもしたのか、普段と違い大人っぽい雰囲気が漂っている。
彼女の私服姿を一度も見たことがないクロウにとって、しばらく茫然と優香を見つめていた。
心配した優香が「クロウさん?」と声をかけると、ハッとしてクロウは正気を取り戻す。
「な、何でもねえよ。優香こそ、こんな所に一人でどうしたんだ?」
表情で優香に悟られないよう、平常を装い優香に尋ねる。
クロウが今仕事をしている場所は、ガレージからそう遠くはないが徒歩で来るにはそれなりの時間が掛かるところだ。
周りは老人が住む家が多く、優香が此処に足を運んだ理由がクロウには思い当たらなかった。
「私は………クロウさんに会いに来たんです。さっきガレージに行って、ジャックさんに聞いたらこの辺りで仕事してるっておっしゃってたんで」
クロウさんに会いに来た。
その言葉にクロウの心臓は一気に飛び跳ねる。
もちろん何か用があっての事だろうが、自分に会いに優香がここまでやって来てくれたとは、つい嬉しく思ってしまう。
(結構離れた所で仕事する俺の元まで、一人で来るって程の用があるとするなら………告白……な訳ねえよな。いや、でも――)
確証もない淡い考えが、クロウの胸に押し寄せる。
もし本当に優香から告白されたら、自分はどう返すべきなのだろう。
WRGPの事があるから、とちゃんと断れるのだろうか。
クロウが必死に思考を巡らせて考えたが、優香の口から出た言葉は全くの予想外の言葉であった。
「実はクロウさんに差し入れを渡そうと思って。つまらない物ですけど……」
「俺に差し入れ?」
そう言って優香は、クロウにクッキーの入った小袋をクロウの前へ差し出した。
丸い形のしたクッキーは、チョコレートとプレーンの二種類の色が入っているようで、五個ほど入っているとうかがえる。
告白ではなかった事で、軽くショックでも受けているのか自分でもよく分らない虚しさを感じながら袋をクロウは受け取った。
「そのクッキー、さっき私が作ったんです。ガレージの皆さんに渡そうと思ったらクロウさんだけいなくて、焼きたてで味わって貰いたいと思って持ってきちゃいました」
「これ、優香が作ったのか!?」
料理が得意だとは前から聞いていたが、このクッキーは市販のものと見間違えるほどの出来でクロウも流石に驚く。
ラッピングも女の子らしく可愛くリボンで結んであった。
自分に食べさせるためだけにわざわざ此処まで追い掛けて来るなど、他の女ならありえないことだろう。
クロウは、彼女の優しさに改めて感心した。
「あっ、クロウさんは甘いものとか大丈夫ですか?」
「あ、ああ、俺は甘いモンは好きだぜ。んじゃぁ、わざわざ優香が持って来てくれたし冷めない内にいただくか」
上目遣いで聞かれたので、慌てて顔を逸らすとクッキーの袋に結ばれているリボンをほどく。
そして、プレーンのクッキーを一枚取り出すと、そのままパクリとひとくちで口に含んだ。
味も前に市販のクッキーを食べたことはあるが、それより格段に味が美味しく、今まで食べた菓子類の中ではいちばん自分好みの味であった。
何より優香が持って来てくれたおかげでクッキーはまだ焼きたての状態であり、口の中でサクサクと音を立てている。
「おおっ、上手いじゃん! クッキーもサクサクだしよ、こんな上手え菓子食ったのは初めてかもしんねえ! 持って来てくれてありがとな、優香」
「えっ、お、美味しいだなんて、そんな……嬉しいお言葉ありがとうございます」
クッキーを頬張り喜ぶクロウの顔に、嬉しそうに微笑みながら優香は頭を深々と下げる。
まるで初めて出会った時の頭の下げ方とそっくりで、思わずクロウは吹き出してしまいそうになる。
口に含んだクッキーは何とか溢さずには済んだが、目の前にいる少女がなんだか愛おしく感じてしまう。
―――どうやら本当に俺は優香のことが…………。
「あのさ、今更だがどうして俺らに敬語とか使うんだよ? クロウでも良いのに」
「で、でもクロウさん達は私よりも年上の方ですし……」
「年上っても一歳上なだけだろ? 十六夜も普通に俺らにタメだし、んな気にすることもねえって」
「そう……ですか?」
優香はまだ躊躇しているようで、おずおずとクロウに尋ねる。
変なところに気を遣うのが彼女らしい所だが、さすがに敬語を使われると水くさいような気がしてならない。
それに、優香と遊星やブルーノの間に趣味という共通点があるように、クロウも自分と優香の間にしかない何かが欲しかったから、という思いもあった。
「別に今からとは言わねえさ。敬語じゃねえ方が堅苦しくないだろって言っただけで強制はしね……っと、もうこんな時間か」
ふと近くにあった時計が目に入り、時刻を見ると既に十五時を差していた。
次に届ける配達物には時間指定があり、あと三十分までに届けなければいけないのだ。
時間を気にし始めたクロウに、優香は仕事関係の事だと直ぐに察知し、あわてて頭をさげた。
「す、すみません! クロウさんお仕事中でしたのに邪魔したみたいで……は、早く戻りますね!」
そう言って何度も何度も頭を下げると、優香はすぐにその場から離れようとする。
が、右手をクロウの手によって掴まれ、優香は倒れそうになるも、すんでの所で堪えた。
「ど、どうしたんですか……?」
「待てよ、まだ俺は何も言ってねえだろ。次の配達なんて十分ありゃ俺のブラックバードなら余裕で間に合うっての、時間なら大丈夫だ」
「え……」
「だから何も優香の所為じゃねえよ。それにクッキーだって貰ったし、優香と話してて俺も楽しかったし………あー! よーするにてめえは気にすんなって事だよ!」
自分で言っている内に段々恥ずかしくなり、クロウは左手を髪で掻いて優香から目を逸らす。
そんなクロウの様子に優香は目をパチクリと瞬かせたが、自分の事を考えてくれているんだと感じると顔をほころばせた。
「クロウさんがそう言ってくださるなら……あと、クロウさん、顔真っ赤ですよ……?」
「!? ち、違ッ、これはだな! その……」
優香に指摘され、クロウは自分の顔が熱いことにようやく気付き、赤く染まった顔を左手で隠し優香には見えない反対方向へと背ける。
しかし、右手は優香の手を掴んだままで、手から直接伝わるクロウの体温はだんだん熱くなっているように優香には感じた。
あまり見ないクロウの照れている様子に、優香はくすくすと笑ってしまった。
「クロウさん、もしかして照れてるんですか? ふふ、なんか可愛い」
「う、うるせえな! これは違うって言ってんだろ!」
「でも、やっぱり私帰りますね。これ以上クロウさんのお仕事の邪魔はしたくないですから……」
「んな気にしなくていいってのに……まァ、優香らしいか。……っと、そうだ!」
なにか大事な思い出したように、クロウは声を上げる。
「クッキーの礼がしたいんだがよ、何か欲しいモンとかあるか? ……んな高いのとかは買えねえけど」
「え、そ、そんなの良いですって! あれは……しゅ、趣味で作っただけですし!」
まさかクロウにお礼をしてもらえるとは思ってもいなかった優香は、クロウに繋がれていない方の手をぶんぶんと振った。
実際は、ただの趣味で作ったわけではなく皆とは別にクロウに特別に作ったものだが、恥ずかしがり屋な優香はその事実を伝えられなかった。
デュエル中や普段は勘の鋭いクロウだが、恋愛面には慣れてないため疎いのか優香の気持ちには気付いてないようで、気にせず話を続ける。
「遠慮すんなって、折角ここまで持って来てくれたのに、礼も無しじゃ俺も気が引けるし」
「そ、そうですか? じゃあ、ひとつだけお願いしようかな……」
蚊の鳴くような声でボソリと優香は呟くと、ふいにクロウが掴んでいる手を片手でそっと包み込んだ。
いきなりの優香の行動にクロウは頬をさらに赤くさせて驚き、優香に目線を送った。
まさかコレは本当に告白前ではないだろうか。
クロウの心臓はドキドキと音を立て始める。
「こ、今度クロウさんのブラックバードの後ろに、乗せてもらってもいいですか?」
かああ、と前にいるクロウと同じくらいに顔を火照らせ、上擦った声で言い切った。
クロウのブラックバードには、前々から目を付けており優香も乗ってみたいと思っていたのだが、他にも大きな理由がもう一つある。
優香にとってはもう告白に近い程の台詞だったが、鈍感なクロウはその意味に気付いてないようで、ふっと表情をやわらげるとガシガシと優香の頭を撫でた。
「ああ、良いに決まってんだろ。優香の行きてえ所なら何処へだって連れて行ってやる。その代わり振り落とされねえようにな!」
ニッと微笑んで、優香の頭を撫でるのを止め、そのまま包み込まれた右手も離した。
(―――やっぱり俺は優香のことが……好き、なんだろうな。たぶん)
告白かと確証もないのに期待したり、今でも右手があの時のようにまだ優香の手に触れていたいと疼いているのが良い証拠だろう。
脳では否定していても、優香の姿を見るたびに胸が熱くなるのは事実だった。
でも、自分にはWRGPで優勝するという目的が残っているし、仮に告白をしても優香を困らせるだけになるはずだ。
だからもう少しだけ、今のままの関係を保っていこうと思う。
「恋」などに苦悩するのは様ではない気がしたが、WRGPが終わるまでに優香と距離を縮めておくのも悪くはない。
だが優香と別れた後、あの約束が優香とのデートになることにやっと気付き、クロウが更に苦悩する事になるのは言うまでもなかった。
fin.
2009.12.19