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そのクロネコに降り注ぐ


諦めて荷台の隅で小さくなっていたら、やっと停車したのは空が暗くなる頃だった。思わずため息を吐いたが、小さくネコの鳴き声が響くだけ。どうやってシブヤに帰ろうかと悩んでいると、誰かがこちらを覗き込んでいる。トラックを運転していたひとだろうと見上げて、そこにいたのがまだ若い男の子だったので驚いた。

「どこから乗ってたんだ?オマエ。どうすっかな……」

優しい低い声に、思わず耳が反応する。困っているのはわたしも同じで、つい甘えた声で鳴いてしまった。フフと笑った彼は、わたしの背中を撫でながらスマホをいじりはじめる。数分そうしたあとで、大きな手でひょいとわたしを抱き上げ、事務所のような出立の建物に入っていく。窓に『萬屋ヤマダ』と書いてあったので、ここでわたしの飼い主を探してくれるのだろうかとなにもかも諦めされるがまま抱かれていたら、事務所から自宅のよう内装のところまで来ていた。黒髪の彼を見つめると、わたしを見てまた小さく笑う。左右で色が違う目に見惚れた。

わたしを抱っこしたまま器用に靴を脱ぎ始め、すると奥から男の子が二人、ひょこりと顔を出した。わたしを抱っこした彼も若い子だと思ったけれど、二人はさらに幼い印象を受ける。三人はとても似ていて、考えるまでもなく兄弟なのだろう。みんな目の色が違ってすごくキレイだ。

「兄ちゃんおかえり!ネコってそれ?クロネコだったんだね」
「見ればわかるだろ。一兄、おかえりなさい!先日依頼があった時のフード、用意してあります!」
「ただいま。二郎は動物好きだよなあ。三郎もありがとな」

三人がぽんぽん喋ると情報が追いつかなくて、いつの間にやら口論を始めた青いスタジャンの男の子……二郎と、黄色いパーカーの男の子……三郎を呆然と眺める。出迎えてくれたふたりが「二郎」と「三郎」なら、わたしを抱っこした赤いブルゾンの「一兄」の名前は、推測でしかないが「一郎」であろう。三人でお揃いの名前、同じ黒髪、みんな色違いのオッドアイ。しげしげと見比べてしまう。
一郎は「コラ!ケンカすんなよ」と二人を嗜めながらわたしを顔の高さまで持ち上げてお腹に顔を寄せた。独歩のように「ネコ吸い」が好きなのか?と思っていたら、どうやら違ったようだ。

「やっぱ飼いネコだな。毛並みもにおいもノラじゃないし、外に逃げてから時間も経ってないだろう」
「じゃあすぐに飼い主が見つかるかもなあ」
「バカ。逃げたのはわかってても、それを周囲に知らせるラグがあるだろ」

三郎に「バカ」と言われた二郎はまた食ってかかり、一郎は「たしかに。三郎は賢いなあ」と感心している。
話の流れから、飼い主を探し、そこに返そうと思ってくれているようで嬉しくなった。いまできる限りの感謝の気持ちを込めて、近いままの一郎の額をペロペロ舐めたら、一郎は「犬みたいなことするな」と笑っていた。しまった、愛情表現で舐めることをネコはしないのか?と、慌てて舌を引っ込める。こちらに寄って来た二郎が「大人しいね」と額をくしくし撫でてくれたのが気持ちよくて、うにゃうにゃと声が漏れた。

「連絡した通り、しばらく預かることになるけど、あんま愛着湧かすなよ〜」
「うん!ねえ、預かってる間だけ名前決めない?」
「一兄の話、聞いてたのかよ?名前なんて付けたら返したくなくなるぞ」

三郎はわたしに近づいてくることなく、ソファに腰を下ろしてスマホを取り出す。三郎の言い分はもっともだと思うが、一郎と二郎はすでにわたしの愛称を考え始めていた。

「クロネコって言えば『魔法少女転生』の『みーたん』だよね!」
「"まほてん"かあ。みーたんは最後までいいヤツだったし、いいな!」

楽しそうに話す二人を、三郎がそろっと伺っているので尻尾を揺らしながら見つめると、目が合った途端にそらされてしまう。まだ幼さの残る顔立ちの三郎にとって、たとえ預かっている間の愛称だとしても『みーたん』は呼びにくいと思っているのではないかと、自分の学生時代を思い返す。妙にカッコつけたりしていた記憶などはないのだが、言葉や名称などに敏感でこだわりも強かった気もした。
そわそわと脚を揺らす三郎には気づかないまま、一郎と二郎は納得してしまったらしい。夕食にするかと台所に立つ一郎はわたしを床に下ろして、手伝いはあるかと後を追う二郎。それを横目にすっと立ち上がった三郎が、キッチンとは違うところからお皿を取り出し、ダイニングテーブルのすぐそばにわたしのご飯を用意してくれた。帰宅時にフードがどうとか言っていたが、ここが「萬屋ヤマダ」で三人がそこの従業員(いや、彼らは明らかに学生の年齢なのだが)だとしたら、ネコを預かるのは初めてではないのかもしれない。
ペットシートなどもテキパキを設置し、ついでにわたしの体にノミダニ駆除の薬も使用してくれた三郎の膝に頭を擦りつけると、彼は少しだけくちもとを綻ばせて小さく呟いた。

「イイコだね。ゼーゲン・デァ・シュヴァルツ・ゾネ……」

他国の言語を流暢に話す三郎を見上げて固まる。なにを言われたのかなんてもちろん理解できずに思考停止していたら、パッと見た印象の大人しくて繊細な少年なんてようすとは違って、薄いてのひらでわしわしと頭を撫でられて耳がへたり込む。優しく・そうっと触られるのは大切にされている気持ちになるから嬉しいのだが、こうやって大胆に撫でられるのもどこか信頼されている心地でこころが温かくなった。きっと優しい少年なのだろう。
一郎に「三郎は飯どんくらい?」と聞かれて慌てて立ちあがった三郎は、すぐに二郎となんだかんだともちゃもちゃし始めたのだが、三人がとても仲が良いのはもう、充分伝わってきた。
テーブルの上のにぎやかな声を聞きながら一郎の脚にまとわりついて丸くなる。ご飯を食べながらときおりわたしに視線を落としてくれるので、そのたびにうなんと鳴いて甘えてしまった。

両親の姿がないことを不思議に思いながら数日この家で過ごしてわかったのだが、どうやら彼らは兄弟だけで暮らしているようだ。そして一郎は学生ではなくこの「萬屋ヤマダ」の経営者らしい。朝はわたしよりもはやく起床して、二郎と三郎にお弁当を作りながら朝食まで手際よく用意する。二人を順に見送ったら、事務所でパソコンと睨み合っていたかと思えば・電話が鳴って慌てて支度をして飛び出し、時にはこんな季節にそぐわないほど汗をかいて帰宅する。
疲れた顔をしているときは低い声で「あー……」なんて唸りながらわたしを捕まえてお腹に顔を埋めて頬ずりするのがお決まりなので、一郎の足音がするとソファに登って待っていることが増えた。けれど彼は、二郎と三郎には決してそんな姿は見せない。

二郎は高校生のようだ。朝は苦手なのかのろのろと眠そうに起きてきては、一郎に「顔洗ってハミガキ!」だの「さっさと食べちゃえよー」だの世話を焼かれて「うん~……」なんてのんびり返事をしている。出掛けるころにはしゃっきりしてきても、始業が迫っているのかばたばたと慌てていることが多い。帰宅時間もまちまちなのだが、夜遅いなんてことは無く夕飯までには必ず帰ってくる。
よくリビングでサッカーの試合の録画を白熱しながら応援し、わたしを抱いていることを忘れてオーバーリアクションをするので、びっくりして爪を立てると「あっごめん」なんてへなっと笑う顔がかわいい。

驚いたことに、三郎は中学生だった。顔立ちを見るに二郎より年下だろうとは思っていたが、背も高いし大人びた言動や行動も多いので何歳なのかというところにわたしの考えが至っていなかった。二郎とは違い決まった時間に着替えを済ませて降りてきて、一郎にお弁当のお礼を言いながらふたり分を丁寧に包む。朝食を黙々と済ましつつ、だいたいそのころ一郎にせっつかれて起きてくる二郎に憎まれ口を叩き、まだ本調子でない彼に頭を小突かれて文句を言う。二郎といるときの三郎は、なんとなく年相応の男の子に見えた。
三郎が一番、寝るのもはやくて寝相が大人しいので好んで彼の寝室にお邪魔すると、おやすみの挨拶をしながらいつも例の外国語をくちにする。数日経ってやっとそれが三郎の考えたわたしの愛称だと気が付いた。聞き取れてはいないが、返事はしている。

日曜日の早朝。肌寒くてもそもそしていると、一緒に寝ていた三郎を起こしてしまったようだった。寝転んだまま目を擦っている姿がかわいくて、髪をざりざりと舐めていたら「やめろよ~……」と寝ぼけた声を出してくすぐったがる。細い腕を伸ばしわたしを布団の中に引きずり込んで、すぐにまたすうすう寝息を立て始めた。子供と大人の間、愛おしい微睡みの温度に包まれながら、ネコで良かったとこころから思った。人間の姿だったら三郎とこんなふうに抱き合って眠ることもできなかったし、ネコの姿ならば涙が出て止まらなくなってしまうことも無い。薄い胸にくっついて、目を閉じて心臓の音を聞いていた。

静かに階段を下りる音が聞こえて、一郎が起きたらしいと知る。二郎は昨日遅くまで友達と通話をしていたので(三郎たちには聞こえていないくらいの話し声だった)(ネコは聴力が良いようだ)まだしばらくは夢の中だろう。
今日は休日にしては依頼の数も少ないらしく、午後は家族でのんびりする時間が取れると、一郎が土曜の夕食時に嬉しそうに話していた。「じゃあ家でゆっくり映画でも見ようよ」と二郎が提案すると、三郎が「話題になってた映画のサブスク始まったはず」とスマホを取り出し、頬を緩ませた一郎が「午前の依頼の帰りにコーラとポテチ買ってくるな」と言う。一郎の足元で丸くなって、一郎の料理はきっとすごく優しい味がするんだろうなと想像した。

三郎のそばを離れようと体を起こして伸びをすると、華奢な体が小さく身じろいだあと、さっきとは違うようすでわたしを撫でた。

「おはよう。ご飯……行くか」

お腹が空いて起きたと思ったのだろうか。パジャマを脱いでラフな服装に着替え、一緒に部屋を出る。階段も自分で降りられるのだが、三郎は毎回抱き上げてくれる。いつものようにダイニングテーブルのそばにわたしのご飯を用意し、水を汲んできてくれるのでせっかくだからとすぐにちょっとだけ飲む。ふと視線を上げたら水を飲むわたしをしゃがんでじっとみていたらしく、だらっと下ろした手をたしたしと叩いたら指で遊んでくれた。

「さぶもかわいがってくれてるなあ、みーたんのこと」
「構ってくる小さな生き物を、邪険にはできませんから」
「結構、聞いて回ってんだけどさ。ブクロじゃねえのかも」

キッチンに立つ一郎の背中見上げて「そうですね」と三郎が呟く。インターネット上で情報収集をしてくれていたらしいのだが、めぼしい迷いネコの情報はイケブクロ内では見つけられなかったと。ふたりはもう少し範囲を広げてみようと話していて、わたしが自分の意思で人間の姿に戻れたら言葉でいろんなことを説明できるのになあと、申し訳なく思う。誰かに迷惑をかけてしまうのは本意ではない。それはここにいる山田家の男の子たちにも言えることだが、シブヤにいる幻太郎たちに、という気持ちも大きい。
帝統はまたこっぴどく叱られて泣いていないだろうか。乱数がなんとかふたりをとりなしてくれていると良い。幻太郎は……幻太郎は、あんなことの後でも、わたしを探してくれているかな。
不安になって、苦しくなった。はやく帰らなきゃ、顔を見てしっかり謝らなくちゃいけない。
なかなかご飯を食べようとしないわたしに気づいた三郎が、優しい声で「どうかした?」と言いながら、頬を指先でさすってくれる。見上げたら、骨の浮いた膝が見えて、ぎゅっと心臓を掴まれたような心地がした。はやく帰りたい、帰らなきゃいけない。でも。でももう少しだけ三郎の傍にいたかった。
三郎の近くに居るほど・三郎のことを知るほど、つらいをするなんてわかりきっているのに。
華奢なすねに体を擦りつけて、膝にのしかかる。三郎はそんなわたしを黙って抱き上げると、ソファに座って膝の上に下ろし、わさわさと体中を撫でて甘やかしてくれた。



その日の午後は予定通り、三人仲良くソファに座って映画鑑賞をしていた。アクション映画だったのだが、一郎と二郎は自宅と言うこともあって、主人公を応援したり、ヒロインの服装の話だの・敵側の事情の考察だの、リアクションをとりながら会話を楽しむ。三郎はコーラの入ったグラスを握ったままじっと画面に見入っていて、お菓子もあまり食べていなければ・兄ふたりの会話に参加することも無く、目だけがきょろりきょろりとあちこちを観察している。
そんな三人をローテーブルの上で丸くなって眺めていたら、映画を観終わったあとも一郎と二郎は「面白かった」とわいわいしていて、そのわりに物語の終盤に起こった出来事について疑問が残るらしく首を傾げ始める。

「最後、びっくりしてなかったなあ、主人公」
「そもそも、なんでアイツが敵側に付いたとき止めなかったんだろ?」
「信じてたんじゃねー……かな?」

曖昧なことを言うふたりに、やっと三郎が加わった。「セリフに倒置法が使われてるんですよ」と。突然そんなことを言われ、空間にふたり分の疑問符が浮かぶのがわかった。三郎が説明したトリックは、映画の内容を全く見ていなかったわたしにはさっぱりわからないのだが、一郎と二郎は短くまとめられた話を聞いて「おお~」と歓声を上げた。

「ぜんぜん気づかなかったぜ。さぶはすごいなあ」
「ってことは、あの最後のセリフも……」
「たぶん次回作のにおわせ」

キラキラと瞳を輝かせ、次回作への期待を語り始めるふたりを見てふと息を吐いた三郎は、ソファの背もたれに寄りかかりながら目を閉じた。あれだけ真剣に・いろいろなことを考えながら二時間も液晶を見つめたら、疲れて当然だろう。と思ったのだが、まぶたを下ろしていたのはほんの数秒で、すぐに「一兄、おかわりどうですか?」とかわいい声で尋ね一郎の顔を覗く。

「おお、ついでなら頼むわ」
「さぶろー、俺のも」
「人間の手はふたつしかないんだぞ。二郎はセルフ」

ちぇっといいながら席を立った二郎は、三郎に追いつくと頭をわしわしと撫でまわしていて、三郎が文句を言いながら二郎のわき腹を肘で突く。そんなふたりの様子を振り返って見つめている一郎の横顔があまりに幸せそうで、同じ空間にいられることが嬉しかった。家族って……兄弟って、尊い存在だ。

わたしはそのままリビングでごろごろしていたのだが、三人揃って時間のある山田兄弟はせっせと餃子づくりにいそしみ、楽しそうに食卓を囲んでいた。存在感を消して静かにしていたので、途中で「あれ?みーたんは?」と誰かが言い出し、鳴いて返事をする、というのを繰り返していた。

夕食を終え、お風呂の支度は三郎の当番だったらしく「一兄、どうぞ」と一番風呂を長兄に勧めた。一郎は「じゃあ」と言うとなぜかソファの方へ……わたしの方へ来て、ひょいといつものように片手で抱き上げられる。ついでに洗ってくるわ、と。

「三郎。シャンプー、どこだっけ」
「洗面台の下です。掃除用洗剤の後ろに置いた記憶があります」
「おう。ありがとな」

お風呂に入るのは嫌ではないが、一郎と一緒に、というのはさすがに憚られて手足を動かし抵抗をする。ただ、ネコの体で過ごしてわかったことのひとつに、人間ってネコからするとすごく大きくてちからが強いというものがある。本物のネコ(おかしな言い方だけれど)ならば、例えば爪を立てる・全力で暴れるなど、本気で抵抗すれば人間にも多少ダメージを与えられると思う。でもわたしは、本来は人間。いまの姿がネコであっても「人間に対して全力を駆使して抵抗する」ことがなんとなくできない。これは理性の問題なのだろう。
ふな~っと声を上げて不満を示しても、一郎はご機嫌に鼻歌をうたいながら脱衣所に入り、わたしを浴室に放り込んで扉を閉めると、さっさと服を脱ぎ始める。
このまま何事もなくネコの姿のまま入浴を終えられれば、一郎に恥ずかしい思いをさせることもないのだからと、祈るばかりだった。でもこれはおそらく、一郎や二郎が言うところの「フラグ」なのだろうと、こころでは思っている自分もいて。

一郎の方をなるべく見ないように、彼が洗髪などを済ませている間は隅に縮こまってお湯が当たらないように避けていた。後ろ足で立ち、竦み上がるわたしを見た一郎は可笑しそうに笑っていたが、挙動がどうであろうと笑いごとじゃない事態は避けたい。アラサーの女が、まだ学生でもおかしくないくらいの年齢だろう男の子の入浴の場に突然現れたら、今度こそ銃兎のお世話になってしまう。
浴槽に浸かりながら、一郎がわたしを捕まえて、背中からじゃぶじゃぶとお湯をかける。びくびくしながらされるがまま怯えていたが、泡を塗りつけられてもなにも変化は無かった。シャワーを直接かけて背中を流されても、洗面器に溜めたお湯の中に入れられても、人間に戻ったりしない。

心底安堵しながら、濡らしたタオルで顔をこすられていた。なんだ、なんともない。このまま、ネコのまま入浴を終えられる。そう思った矢先、洗面器からわたしを出そうとした一郎が手を滑らせる。
落とすまいととっさに気を遣ったのだろう。浴槽のふちで体勢を立て直そうとしたらしい。しかしここはお風呂場、そしてわたしは濡れた毛むくじゃら。つるっと浴槽の中に落っこちた。
溺れると思ったのも束の間で、目の前のものに掴まって顔を上げたら、一郎がわたしに肩を掴まれてぽかりとくちを開けていた。ああ、おまわりさん。わたしです。
不幸中の幸いと言うか、わたしは衣服は身につけている。ぐしょぐしょに濡れて泣きそうになりながら「ごめんなさい」と呟くわたしに、一郎は一言、口角をヒクつかせながら言った。

「ラノベか……?」



優しい一郎は事情を話す前に「とりあえず着替えましょう」と、自分のTシャツと短パンを貸してくれた。浴槽に飛び込んだわたしは下着までもすべて濡れてしまっていたので、一応断りをいれてから裸にそれだけ身につける。若い男の子に「全裸にこれを着てもいいか」なんて、もう二度と尋ねたくない。
一郎も着替えを終えて、二人して濡れた髪を拭きながら気まずい空気でリビングに足を向けると、先に振り返った三郎がヒュッと息を飲んで固まった。次いでわたしを見た二郎は「へあっ?」と聞いたことのない声を上げている。

「あ~、えっと……座るか。あ、どうぞ……」
「す、すみません。失礼します」

わたしたちのぎこちないやりとりを凝視しながら、二郎と三郎も当たり前に状況が飲み込めておらず、大人しくダイニングテーブルを囲んで着席する。シンと静まり返った部屋の中で、どこから整理して話せばいいかわからず俯くわたしと一郎、そしてそんなわたしたちを交互に凝視する弟二人。いますぐ消えてなくなりたいと思ったが、わたしには状況の説明や、謝罪とお礼をくちにする義務がある。

「は、はじめまして。諸星ことみといいます。シブヤに住んでいます。
簡単に言うと、自分の意思とは関係なく、ネコになったり人間になったり、繰り返している感じです。あの……信じてくれると嬉しい、けど……」

二郎が明らかに混乱し始め、文字通り頭を抱えて「え?え?」と呟いている。三郎はまだぽかんとして黙ったままだ。一郎が「あー……」と声を出すと、ふたりはぱっとそちらを向く。

「みーたんを風呂に落として……そしたら、えっと、ことみさんになった」
「兄ちゃん……そんなのラノベじゃん……。ほ、ほんと、なの?」
「一兄はウソつかないって、信じてますけど、さすがに……その」

一郎のことを疑うつもりは無いけれど、しれっと信じられるような話ではない。ふたりの言い分はもっともだ。だけど、シブヤの街中で水をかぶってネコの姿になり、一郎の運転するトラックの荷台に転がり込んでしまった日の日付・時間や場所の説明をしていると、三郎は端末を触り「シブヤで依頼があった日と、場所や切り上げた時間も一致しますね」と呟く。三郎がなんとか事態を認めようとしているのがわかったらしく、二郎もきょとりきょとりと視線をさまよわせながら受け入れることにしたらしい。もう一度謝罪をして、良くしてもらったお礼を言った。

「変なことに巻き込んでごめんなさい……。三人とも、良くしてくれてありがとう。じゃあ……えっと、帰ります」

そう言って立ち上がろうとすると、一郎は慌てて「その恰好でっ?」と止めてきた。そこでやっと下着もつけていないのだと思いだして、羞恥に顔が熱くなる。汗をかきながら座りなおしたら、三人は「明日まで居たらいい」と口々に優しい言葉をかけてくれた。

「ことみさんが嫌じゃなければ……。布団もあるので」
「そうだぜ。外ももう暗いし、そ、そんなカッコじゃ……」
「衣服も朝までには乾くと思います」

断固拒否する理由もなく、もう一晩だけ居候させてもらうことにした。リビングで寝るのは明日の朝に誰かが起きてきたとき恥ずかしい気もしたが、さすがに年頃の男の子たちなので誰かの部屋にお邪魔するわけにもいかず、なるべく隅の方に布団を敷いてもらう。一郎が「なにかあったら起こしてくださいね」と笑顔を見せるので、どこまで優しいひとなんだと驚いてしまいぎこちなく頷いた。二郎と三郎も寝る前に「おやすみ」と声を掛けてくれて、嬉しいとかありがたい気持ちの前に、やっぱり申し訳なかった。
静かになったリビングで天井を見つめていたら、なんとなく寂しい。小さく丸くなってみたが、あの愛おしい鼓動は聞こえるはずもなくて、ちょっとだけ涙が出た。

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