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そのクロネコに降り注ぐ


「独歩、いい加減にしろって!ネコなんて拾ってきて、どうすんの!自分で面倒見られんの?無理っしょ?おれっちお世話しないかんね?!」
「絶対迷惑かけない!俺の部屋で飼う!ちゃんと俺が面倒見るから!」

さっきからこの会話を五回くらい繰り返している二人を見上げて、おろおろすることしかできずにいた。前髪をポンパドールにした金髪の彼……一二三は、Tシャツにハーフパンツなんてラフな格好だがキレイな顔をした男性で、料理中だったらしくおたまを片手に緑のネクタイのサラリーマン……独歩を叱りつけている。
独歩の「全面的に迷惑かけません」という主張はことごとく切り捨てられているところから、二人の現在の家事分担ないし家の中での振る舞いを垣間見る。独歩と一二三がカップルなのかは定かでは無いが、最終決定権は一二三にあるらしい。

「動物は植物とは違うよ?わかってんの?ちゃんと、全部、できんの?」
「で……できる!やる!絶対……!」
「ふ〜ん……」

独歩の言葉を信用はしていないながらも、一二三はやっと受け入れる態勢に入ったように感じた。わたしはこのままここの子になるのかと、幻太郎と帝統、乱数に心の中でさよならを言う。ありがとう、みんな……と顔を擦っていたら、大変なことを思い出した。わたしがそもそもは人間である、ということと、ネコから人間の姿に変わるきっかけがまだわかっていないということ。
人間に戻れたら、いろんなことを言葉で説明できるし、幻太郎たちのところに帰ることも出来るだろう。でも、もし誰も目撃者がいない場面……今日、ネコになったときのような一人のときに、偶然人間に戻ったら。
話をして、信じてくれればいいのだけれど。

「あ〜もう、わかったわかった。
ネコだって魔窟に閉じ込めたらかわいそ〜じゃん。自由にさせたっていいけど、そのかわり!コイツがソファとか壁とか、引っ掻いたら独歩が弁償だかんね!」
「ひ、ひふみ……ありがとう……!良かったなあ」

抱き上げられて頬ずりをされるのは嫌じゃない、でもわたしはさっきまで外にいたネコだ。衛生的に大丈夫なのかなと、そこが心配になる。一応、人間の姿だったときは毎日お風呂に入っていたが。

「にしても、おっとなし〜ネコ。首輪してないしノラじゃん。洗っちゃろ。ばっちいよ」
「病院も行かなきゃな。ケージとエサも買わないと……」
「キャットタワーとかいる?何処に置くのがいいんかな〜?」

独歩の腕の中から一二三に抱え上げられ、お風呂場に連れて行かれた。なにが原因で人間になったり・ネコになったりするのかはっきりわかっていないが、水に関係していることだけは今日で確信を得た。お風呂場でシャワーをかけられている間、人間に戻ったらまずなんて言おうかと、一生懸命考えていたが、結局その日はネコのままだった。
一二三はあんなにネコを飼うことを渋っていたのに、シャワーもドライヤーも毛並みを整えることも全部やってくれた。独歩はさっきまでの「ちゃんと面倒みます」はどこへやら。お風呂に入った後はずっとソファでだらりと携帯を見ている。

好きにさせてくれていたのでヒーターの前で炙られていると、突然、独歩が「決めた」と呟きすっくと立ち上がる。パックをしていた一二三の前を横切るとわたしのすぐそばに座り込み、にこにこしながら頭を撫でてくれる。

「ミーコ」
「え?安直すぎね?」

わたしの名前の話らしい。言葉数が少なくともぽんぽん進む二人の会話に、きっと長く付き合いがあるんだろうと微笑ましい気持ちで眺めていた。仲が良いのはステキなことだ。

「あ、笑ってる……のか?」
「ン〜?まあ、本人が良いなら良いけどさ」

「今日は俺と寝ような」と抱きすくめられ、魔窟と呼ばれていた独歩の自室に連れて行かれた。
この家のいろんな決定権は一二三にあって然るべきだと、床の見えない部屋をベッドの上から見下ろしたのだった。



独歩と一二三と、暮らすのは楽しかった。
独歩は毎日朝早く家を出て、遅くに帰ってくる。だからか家事はほとんど一二三がこなしていた。
市販のエサもまあまあ美味しく頂けていたが、家の中だけで過ごしているとあんまりお腹が空かなくて残してしまったことがあった。それを心配した一二三がご飯を手作りしてくれて、それがとても美味しくてにゃむにゃむと声を出しながらペロリと完食すると、一二三はいろいろと調べながらわたしのご飯もわざわざ作ってくれることが増えた。

三人で朝ごはんを食べた後、独歩を見送って、一二三は自身の寝室へ。わたしがリビングでいたずらしないようにと、そのとき一緒に部屋に入れてくれる。一二三の幼い寝顔を眺めているとわたしも眠くなって、隣に丸まって眠る。
午後には起きてきて、家の中の掃除。埃を払うモップなんかで遊んでくれたりするのだが、じゃれずにいられないのは「ネコの性」だろうか。夢中で追いかけてちょっと運動した気持ちになったりする。
独歩の分の夕飯の用意をして、わたしのために自動の給餌機をセット、お水も毎日二回キレイなものを汲んでくれる。
一緒に音楽を聴きながら一二三はお仕事の準備。この家に来た日はお休みだったようだが、いつも暗くなる頃に家を出る一二三は細身のスーツをバシッと着て、普段とは違う様子で「行ってくるよ」と必ず声をかけてくれた。そのまま早朝まで帰ってこない。

一二三がいなかったら、というか。一二三じゃなかったら独歩は一緒に暮らせていないなあと、頭が下がる思いでひとりになったリビングに戻り、独歩が買ってくれたふかふかのブランケットの中に潜り込んでちょっと寝る。ネコの姿だと、人間だったときよりやたら眠い。
玄関の向こうで大人しい足音が響いてきたら急いでお迎えに走る。いつも悲壮な顔をして帰ってくる独歩だが、わたしを見るとホッとしたように抱き上げて「ただいま」と言ってくれるから。お出迎えだけで嬉しいのならしてあげたい。そしてお腹に顔を寄せて深呼吸、これはネコ飼いの基本らしい。好きにしてください。
独歩がお風呂に入っている間にご飯を温めてあげられたら良いのだけれど、この姿ではなにもできない。たまに脱衣所から声をかけると「ん〜……」と気のない返事がきて、しばらくお喋りしたりもする。

今日の独歩は少し元気が無かった。いつもなら、お風呂とご飯を終えて少しテレビを見たらわたしを抱いてすぐ布団に潜り込むのに、いまは冷蔵庫からビールを取り出してテレビも付けずに静かに冷凍の枝豆をつまんでいる。
初めて会った日のことを思い、心配になって声をかけてみたら、独歩はダイニングテーブルからローテーブルに移動してわたしを足の間に入れた。
独歩は静かな人だ。一二三と比べて……いや、比べるのが一二三じゃなくても、無言の時間も多い上に、足音などの物音もほとんど響かせない。お風呂に入っているときも、生きているか心配になるから声を掛けるのだ。

お腹に寄りかかって甘えるように手を押し付けた。優しい指先が顔を撫でてくれて、両手で捕まえぺろぺろ舐める。人間の肌って、ちょっとしょっぱい。

「俺だって、好きでひとりなんじゃない」

ぽつりと溢された冷たい声に、動きを止めて見上げると、独歩は泣きそうな顔でわたしを見下ろした。「いいんだ。俺にはミーコがいる。かわいいなあオマエは……」そう言いながら抱きすくめられ、額やら頬やら口元やら、いろんなところにキスを落とされる。わたしはネコ。忘れよう。

「独り身でネコ飼い始めたら、終わりって言うよな……ハハ、上等だ。こんな幸せ手放してたまるかよ……」

独歩はわたしのお腹を吸うのが好きだなあ。

翌日、独歩はお休みだったらしい。だから昨日ゆっくりしていたのかと思い出しながらあくびをしていたら、さっき帰ってきた一二三が「ミーコも遅くまで起きてたん〜?」と背中をかしかしと撫でてくれる。独歩は一二三の帰宅した音で目を覚まして「休日なのにこんな時間に起きてしまった……」と残念そうにしていた。

「独歩の布団干していー?ミーコも寝るんだからカビはダメっしょ」
「ああ、頼む……」

一二三がは仕事から帰宅したばかりなのに疲れた顔も見せず、朝食を用意して布団まで干してくれるなんて頭が上がらない。離れていった一二三を見送って独歩の方に歩み寄ったら、片腕でヒョイと胸に抱き上げられた。マグカップを煽っている独歩のことを「溢しそうだなあ」と思いながら見上げていると、案の定、わたしの顔にだばだばと降ってくる。白湯だったようで、冷たくは無かったのが幸いだ。

「ああっごめ……うおっ?!」
「きゃっ」

ガクンと独歩の体が倒れ、わたしも地面に尻餅を付いた。目の前に独歩の顔。青い顔。体の重さから状況はすぐ把握できた。はっとくちびるを抑え、小さく小さく、はじめましてと呟く。
「ヒエ……」と言ったきり黙り込んで固まった独歩に次にかける言葉を悩んでいたら、ベランダから一二三が「どったん〜?なんかすげえ音……」と言いながら戻ってきた。わたしを見た途端、悲鳴をあげる。

「ひぃぃっ、おっおっおんなのこぉ!」

頼みの綱だった一二三は慌てて後ずさり、手足をバタつかせながら自室に逃げてしまった。独歩は未だ固まっている。いよいよ困ってしまったが、話を聞いて貰わないことには始まらないと、独歩の腕から抜け出して正座をする。

「はじめまして、諸星ことみといいます。いろいろと説明したくて、落ち着いて話しを聞いていただきたいのですが、可能でしょうか?」
「ご、ご丁寧に……観音坂独歩と申します。この度は大変申し訳ございませんでした」
「独歩さんが謝ることはなにもありません……こちらこそごめんなさい」

お互いに正座をして頭を下げていたら、パタパタと一二三が部屋から出てきた。「独歩くん、一体どういうことだい?こちらの仔猫ちゃんは……?」とさっきとは全く違う様子でやってきて、きょとんとしていたら、独歩は「とりあえずこちらへ……」とリビングをてのひらで差し、ソファへと誘導してくれた。

一二三と独歩も向かいに座り、どこからどこまでを話そうかと悩んだが、とりあえずネコと人間に変化することを繰り返している現状と、お世話になっている家を飛び出してきた経緯を話した。二人は話せば話すほどきょとりとしていたが、独歩は目の前で「ミーコ」が人間になったところを見ているので、信じないわけにもいかないようだった。

「シブヤに、帰る家があるんですね」
「良くして頂いてありがとうございました。お騒がせして申し訳ありません」
「ともかく、ことみさんが無事、人間に戻れて良かったよ」

一二三は寂しい気持ちもあるとは言いつつ、わたしのことも尊重してくれた。独歩は、理解はできているが気持ちの整理がつかないようだ。「ミーコが、ことみさんで、ことみさんは、ことみさん」と呟いていた。
ここにずっと、ネコとしているわけにはいかなかった、どちらにせよ。わたしは「諸星ことみ」で、人間で。でも、じゃあ独歩がかわいがっていた「ミーコ」はどこに行ってしまうんだろう。
頬を真っ白にして俯く独歩の手を両手で握ったら、びくりと震えて恐る恐ると言ったようすでわたしを見た。

「わたしはネコじゃないし、かわいがることもできないかもしれないけど……。
いまはお風呂に入っている間にご飯を温めてあげられる。愚痴を聞いて、励ます言葉を掛けることもできる。だから、また遊びに来ても良い?」

じっとわたしを見ていた独歩が次第に顔を赤らめてくちびるをわなわなさせ始めたので、厚かましいお願いだったかと心配になったが、零された彼の懸念に苦笑いを返すことしかできなくなった。

「ことみさん……。ネコ……の姿のときも、人としての意識があるんですか……?」

曖昧に笑うばかりのわたしを見て、声にならない悲鳴を上げて「すみません・ごめんなさい」のループにハマる独歩をなだめる方法は、一二三も知らないらしかった。



休みということを理由に、独歩がシブヤまで送ると申し出てくれた。連日激務に追われ疲弊している彼を見ていたので、ひとりで帰れると主張したが、一文無しの上に土地勘も無く、そもそも帰るべき家がシブヤのどこにあるのかも把握していないことがわかると「放り出すわけにはいかないだろ……」とため息を吐かれてしまった。一二三に見送られ、車に乗り込む。

「本当にありがとう……なにからなにまで」
「いや……俺の方こそ、いろいろとご迷惑をおかけしたので」

わたしが「そんなこと」と言いかけたら、自ら墓穴を掘ったことに気づいたのか、独歩は慌てて話題を変えた。

「俺がことみさんを拾ったのは……あ、ことみさんを拾ったというか、ネコを……えっと、でもことみさんがネコだったわけだから、やっぱりことみさんを拾った、でいい、のか……?
あの、と、とにかく。あの日は営業先から直帰する日で、ここで会ったんですが、辺りに見覚えはありますか?」

駅前に停車してくれたので窓を開けてくるりと見回してみるも、ネコの姿で街を歩いて居たときとは見えている景色がまるで違うからか、よくわからない。改札から向かって左の方向から歩いてきた気がする、と伝えたら「とりあえずもう少し走ってみましょう」と車を発進させた。

「住宅街の方から、まっすぐ進んだと思う……けど、正直曖昧です」
「なにか手がかりがあれば……」

独歩の言葉を聞きながら窓の外に視線をやると、よくあるテナント募集の張り紙の横に、手書きのポスターが目に入った。とっさに「停めて!」と叫ぶと、独歩はびくっとしながら「ハイ!」と声を張る。

「ご、ごめんなさい、びっくりさせて。あの張り紙」
「あっイエ、癖で……。ネコの、絵、ですかね?」

車を降りて近づくと、クロネコの絵と連絡先が書いてあるだけの簡素な「迷いネコ」の掲示物だった。わたしは自分がネコになった姿を一度しか見ていないので確信がなかったが、後から降りてきた独歩に「これ……わたし、かも?」と聞くと、まじまじ眺めておそらくそうだろうと頷いた。

「……似てる。もしかしたら」
「電話、掛けてみる!」
「あ、ああ。ちょっと待って……」

携帯を借りて連絡しようと両手を差し出していたら、聞き覚えのある声が響いた。

「あ~~!ことみっ!」
「わっ……。だっ……帝統~!」

紙の束を掴んだ帝統が、満面の笑みを浮かべて両腕を広げていた。駆け寄り、勢いもそのまま抱きしめる。硬い胸にぎゅうっと頬を押し付けられて、ちょっと照れくさかったけど嬉しかった。

「は~良かった。ネコのままどっか逃げてったって聞いたからさ、車にでもひかれたらって……」
「だいじょうぶ。親切な人が拾ってくれて、お世話になってたの。独歩さん!」
「……有栖川くん……?!」

独歩が帝統を呼ぶから驚いて見上げると、「あ?」と顔を上げた帝統はすぐににっかり笑って手を振っていた。どうやらふたりは知り合いのようだ。独歩や一二三とは「お世話になっている人が居る」という情報しか共有していなかったが、名前を伝えていればもっとはやくたどり着けたのかもしれない……とはいえ、まさかつながりがあるなんて想像もしていなかったので、続く会話の間でぽかんとしながらふたりの顔を交互に見る。

「おう、シンジュクのリーマン!ことみのこと拾ってくれたのオマエか~、サンキューな!」
「いえ……。え?お世話になってるって、有栖川くんに?」
「あ、わたしが居候してるのは幻太郎の……」

すべて言い終る前に、名前を呼ばれた気がして振り返る。すこし離れたところで、幻太郎が目を丸くして息を弾ませていた。駆け寄ろうとしてくれたような勢いを感じたが、彼は落ち着いた様子を取り繕い一歩ずつ近づいてくる。表情が強張っているのがだんだんとはっきり見て取れて、スローモーションで放映したらドラマのワンシーンみたいかな、なんて思っていた。
すぐそばまできてわたしの頭の先から足先までをじいっと見た幻太郎は一言、「怪我は?」とだけ尋ねた。

「なんともない、だいじょうぶ。親切な方が、ネコの姿のときに拾ってくれて。こちら独歩さん。同居してる一二三さんって方も、すごく良くしてくれたの」
「そうですか。うちのことみがお世話になりました。もしなにかあればこの番号に電話を頂ければ」
「あ、いえそんな……!こちらこそことみさんにはお世話になりまして」

帝統が持っていた紙の束から一枚を差し出す幻太郎(よく見るとそれは貼られていた「迷いネコ」のポスターだった)に、曖昧なことを口走る独歩。幻太郎がころりと笑いかけ「そうですか」と言うと、なにを想像したのか青ざめて「あ、えっと、変なことはなにも……!」と後退る。
帝統が「ことみ、リーマンの“お世話”って?」とにやにやしているので、軽く小突いてコラと言った。独歩をこれ以上困らせたくない。せっかくのお休みをこうしてわたしのために使ってくれる親切な人なのだ。

「本当にありがとうございました。また遊びに行くね」
「ぜ、ぜひ。それじゃあ、失礼します」
「お気をつけて」

独歩が帰るのを見送り、ふたりに改めて謝ろうと振り返ったら、帝統が幻太郎に「約束通り、ことみ、見つけたぜ」とにこにこしててのひらを差し出していた。

「とりあえず帰りましょう。報酬はちゃんとお渡ししますよ」
「やりぃ。帰りながらポスター回収してこうぜ。ことみも手伝えよ~」
「あ、うん……報酬って?」

幻太郎はさっさと先へ歩いて行ってしまう。さっきからなんとなくそっけなくて、わたしの顔もちゃんと見てくれない。迷惑かけて怒っているのかなとそれが気がかりでいたら、帝統が握ったポスターをわたしの前にかざす。

「幻太郎と乱数と、コレ、シブヤ中に貼ってまわったんだぜ。回収、大変だぞ~。報酬は、その労働の対価!」
「……ごめんね。めんどくさかったよね」
「誰も、そんなこと言ってなかったよ」

そろりと顔を上げて帝統の表情をうかがう。長い髪がしなだれていて目元はよく見えなかったけれど、笑っている気がした。ちょっと泣きそうになっていたら、肩をぐいっと抱き寄せられる。わざと先を行く幻太郎にまで届く声で帝統が言ったこと、嘘じゃなかったらいいと思った。

「幻太郎、ことみのこと見つけて欲しいって泣きついてきてよお。
寝食共にしたらまあ情も湧くけど、しょうがねえよなあ、ホント!」

くるりと首だけ振り返った幻太郎が名前を呼んで帝統を窘める。からからと笑っていて反省などしていないようすだったけれど。幻太郎もわたしのことを一生懸命探してくれたんだと聞いたら、見上げたうなじが汗ばんでいることに気づいて嬉しくて仕方なかった。

「幻太郎、字も絵も上手なんだね。これ、独歩さんが似てるって言ってたよ」
「絵は俺だっつの。幻太郎はぜんぜんダメ。下書きみせてやれよ」
「急に騒がしくなりましたね、帝統。アナタ、さみしかったのでは?」

並んで歩きだしたら、ほのかに金木犀のかおりを感じた。寒いわけだ。

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