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有栖川


 特別お酒に弱いわけではないけれど、わたしは酔うと眠くなるタイプだ。「お酒を飲むと本性が出る」なんて言うが、他人の前では明るい自分を装っても結局根っこは暗いということなのだろう。静かに・ひとりで、さっさとベッドに潜り込んで眠りたくなる。
 だから帝統と一緒にいるときは、酔っぱらうほどお酒を飲んだりしない。根暗だなんて知られたくないのもあるが、帝統にはいつだって笑顔で接してあげたいから。
 というのが嘘な訳ではない。ただ、わたしが帝統といるときに酔うほどお酒を飲まないというのは「飲まない」より「飲めない」の方が正しい表現ではあった。それは彼がビールをコップ半分でとても気持ち良くなれるほど、コストパフォーマンスの良い男であることが原因だ。

 とろんと潤んだ瞳で空になったグラスを眺めている帝統に「おかわりは?」と聞いたら、わたしを見上げてにこにこしながら頷いた。もう一本くらいならあげても明日には響かないだろうと考えて(二日酔いになったらお世話をするのはもちろんわたしだからだ)冷蔵庫から新しい缶を持ってきて注いであげる。帝統が膝立ちのわたしの肩にころんと頭を寄せてきて、そっと表情を盗み見たら、長いまつ毛が瞬いていてとてもかわいかった。

「はいどうぞ。こぼさないでね」
「ンなもったいね~ことしねえよお」
「お腹の具合は? 生ハムあるよ」

 ヒゲのついたくちびるをとがらせて、わたしのくちにした食べ物の名前を転がした帝統は、ふるふると首を振った。なんでも好き嫌い無く食べるのに、奮発したおつまみを断るなんて意外だ。
 体をわたしの方に寄せてずるりと体重をかけてくるので、慌ててグラスを取り上げる。それをテーブルに置いて顔を覗くと、まだ目は開いていた。

「眠くなっちゃったかな」
「なんで今日、そんな……怒ってんのかよお」
「……怒られるようなことしたの?」

 正座をすると、ずるずると膝に倒れ込んできてぎゅっとウエストに腕を回している。
 帝統は「お酒を飲むと気分が良くなる」の典型で、泣いたり・怒ったりするタイプじゃないし、こんなふうに誰かに甘えるような姿もいままで見たことが無い。戸惑いながら細い髪を指先ではらう。顔を見られたくないとでもいうようにお腹に顔を押し付けていた。
 そして静かに告白したこと、絶対言わないように隠していた話なはずだと思ったらつい笑ってしまった。

「一週間前……金が無くて、声掛けられて……寝た」
「誰と? どこで?」
「名前も顔も覚えてねえもん……ホテルだったけど、朝になったから先に出たし」

 ギャンブルで生計を立てている……生活が成り立っているかどうかは微妙な線であるがいまは置いておいて、その時点でどうしようもない男だというのをわたし自身はよく理解していたが、合意の上とはいえ体を許した挙句ホテル代も払わず逃げられた女性は怒っている可能性があるな、と考える。

「変な掲示板とかに書き込まれないと良いね。『有栖川帝統はホテルこっち持ち』とか」
「あっちが俺とセックスしたかったんだろ」
「帝統だって気持ち良かったでしょ? どっちもどっち」

 服が、濡れている。
 なんで帝統が泣くのかわからなかった。わたしが怒っていると思って、追い出されるのが怖いのか。それとも、怒っていないから不満なのか。恋人の浮気に感情が動かないなんて“そこに相手に対する気持ちがないから”と思われても仕方ないのだろう。
 まったくなにも感じないわけじゃない。帝統がわたし以外の女の人とくちびるを重ねる、肌に触れて、愛を囁く。悲しみで肩が震えるほど嫌だ、言葉にしただけで指先が冷たくなる。でも、帝統をわたしのそばにだけ、縛り付けておくことの方が怖い。

 そっと頭を撫でてあげると、濡れた目でわたしを見上げた。目の淵に涙が引っかかっているのはお互い様だ。笑いかけて、大好きだよ、と呟いた。酷いことをくちにしているとわかっているが、言わずにいられなかった。あまりに愛おしかった。

「ことみ、俺たち付き合ってる? よな?」
「うん、いちおうね」
「いちおう……いちおうか」

 そっと体を起こして、わたしの手を握った帝統が、やさしくやわらかく、頬にくちづける。探るようなキスだった。お返しにと、雫を湛えるまつげにくちびるを寄せる。

「生ハム食べるでしょ? 持ってくる」
「いい、要らない、ここにいろ」

 帝統はいつまで、そう言ってくれるだろうか。
 時計を見上げたらまだ二十一時。遠い明日のことを思って、不思議と涙が引っ込んだ。朝まで、たくさん時間がある。
 一週間前に抱いた女性みたいに、なんのお礼も無く朝になったらいなくなっていてもわたしは匿名掲示板に書き込んだりはしない。大好きだよってちゃんと伝えてある。それだけで、後悔なんてするはずもない。
 初恋の輝きは歳を重ねるうちに忘れていった。つらさも、喜びも、もう思い出せない。でもここにある恋慕や交わした言葉、見ている景色を大切に噛みしめていたい。いつか忘れてしまうなんて知っていても、いまはそれを抱きしめるとたしかに温かいから。

(2022.1)
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