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モブ霊漫画『恋愛』をup

2021/05/28 17:41
今回はいつも以上に自己満足な漫画になったような気がします。
予告では、薄墨仕上げにする予定だったのですが、実際に描いてみて、いざ薄墨にしたら感傷的になりすぎて違和感がありました。
なので、ペン入れトーン仕上げに変えました。

で、個人サイトだから、今回投稿した漫画についてとか、愛についてとか同性愛についてとかいっぱいしゃべろうと思います。

お暇な方がいたら、時間つぶしにお付き合いいただけると幸いです。


表紙はだいぶ前に描いたものです。
私は画力も漫画の才能もないので(卑下するつもりも謙遜するつもりもなくて、そう思えて仕方がないので一種の病気みたいなもの)説明させてください。
モブ君の目を隠しているのは霊幻の手です。
モブ君が幽霊などを見る上で辛い思いをさせていると思った霊幻がモブ君の目を塞いであげています。
でも、幽霊は目を塞いでも見えるものなんじゃないかなと思いました。
なので、目を塞いでもモブ君には幽霊が見えているということにしました。
けれども霊感のない霊幻はそれを知らない。だけど優しさがある。
モブ君の涙はその優しさに対する涙です。

というような感じで描きました…。説明しないとわからない絵で申し訳ないです。

『恋愛』の漫画は、『ヴィンランドサガ』を読んで無性に描きたくなりました。

NHKアニメで放映されていましたが、このヴィンランドサガに出てくるクヌート王子が覚醒するシーンが印象的で、それと同時に愛について考えさせられました。
クヌート王子について話したいと思います。
クヌート王子は王位継承に全く興味がなく、死んだ目をしていました。唯一自分を愛してくれたお付きの人ラグナルが死んでしまい希望を無くします。その時に一緒にいた放浪者みたいな神父に、愛とは何かと問います。
神父(見た目は髭ボサボサのアル中)は愛とは差別だと答えます。
ラグナルはクヌート王子を助けるために、62人の村人を犠牲にした。それは愛ではない。愛とはそこに倒れている死んだ人間だ、彼は死んで完成した。と言います。
つまり、人間は死んでその体をあらゆる動物や昆虫などに平等に与えることができる。
生きている限り、人は愛する対象に順位をつける。それは愛ではない。

クヌート王子は自分が愛されてはいなかったことに気付き、また愛が人間の世界にないことに気が付き、覚醒します。

人間が争うのは、常に各自の心にある差別された愛のためで、権力も、殺し合いも自分が得たいと思った物への順位づけによるものです。

クヌート王子はだったら自分が楽園を作ると立ち上がります。
トルケルに拳を振り下ろされた時に、全く動揺しなかったのも、クヌート王子には運命や宿命が見えていたからだと思いました。
ここで死ぬならそれが宿命だし、また、自分に課せられた役割があるなら、それを遂行するまで死ぬことはないという確信。
恐怖や感情を超えた自分の運命の原理が理解できたとき、クヌート王子やトルフィンの父のような眼差しが生まれるんじゃないかと思いました。

それに至るためにクヌート王子が見たのは、楽園から追放された人間の世界だったのかもしれません。


でも…と思いました。
じゃあ、自然界に差別はないのか、人間のように子供を守る親の行為はなんなのかと思いました。
また、人間が行う、自分よりも愛する相手を優先する行為が愛ではないなら、何なのかと思いました。

『方丈記』に、深刻な飢饉の中、子供や家族に食べ物を与えて餓死をする、愛情の深い者から死んでゆく。とありますが、その愛は何なのか。と思いました。

自然界では、動物も植物も、生き残り、種を存続させるために生きていきます。
いわば遺伝子からのシンプルな命令で動いていきます。
子供の顔がかわいいと言われるのも、庇護意識を親に持たせるために遺伝子が、“可愛い”と思わせる顔の比率を作った結果だといいます。
子供は自分を守れとは言えません。でも生き残らなければならない。
だから、庇護意欲を持たせるような顔にして、大人が可愛いと思うように仕向ける。
現に加護される子供が、大人を可愛いと言わないし、大人を庇って命を懸けることもありません。

子供や家族、さらに愛する人を優先させるのは、人類という遺伝子を存続させるため、そう考えるとシンプルな自然界の動植物と何ら変わりはないようにとらえることができます。

でも、愛は必要です。それによって人間は幸せを感じて、種を存続させていきます。

そして、種が順調に存続され、増えすぎたらどうなるのか。
遺伝子は次にどんな命令を私たちにしてくるのか。

そのひとつに、霊幻が言う、性欲を伴わない恋愛があるような気がしました。

あのセリフを読んだとき、本当に驚きました。
種を存続させるために、遺伝子が人間を動かす恋愛→繁殖行為が完全に無くなっている!
霊幻は恋愛を感じないのか、性欲を伴わない恋愛をしているのか。というか、性欲を伴わない恋愛を恋愛というのか…。
それとも恋愛をした相手が繁殖行為を伴ってはいけない相手なのか。

つまりモブ君か!!

と思うわけです。


それから、今回は内容的に同性愛について触れたような感じになりました。

今、時事的にタイムリーかもしれませんが…。
次に描くモブ霊漫画『こひしかるべき』で今回の内容がとても重要になるので描きました。

同性愛について考えると、自然と差別について考えることになりました。
差別とは何なのかと考えました。
そして差別とは自己防衛なのかなと思いました。

たとえば、ハンセン病の人に対する差別。今では極めて感染しづらい病気だとわかっていますが、当時の民衆はそれを知らなかった。そしてそれは病気を回避したいという本能と恐怖から、病気になった人を閉じ込めたり、遠ざけたりする。

同性愛もまた、繁殖ができなくなるという、生物としての危険を感じた結果なのかもしれないと思いました。

本能的な恐怖や防衛本能がある限り、差別はなくならないと思います。

でも、よくよく考えれば、人と人との恋愛は、男好きか女好きの二つなんですよね。
男の人はただの女好き、女の人はただの男好き。それがたまに逆転するだけのことなんだと思います。
そして、男の人が女だったら誰でもいいわけではなく、また、女の人が男だったら誰でもいいわけではないように、同性が好きな人もまた、誰でもいいわけではない。
そう思うと、性的少数者を差別する人は大変な勘違いをしていることになります。
少数者は、差別をする人に、あなたたちが愛されるなどと思わないでほしいと笑うでしょう。

それでもやっぱり溝は埋まらないだろうし、差別はなくならないと思います。もちろん差別はないほうがいいんですが…。

彼らにとってあまりに有名な人物、ハーヴェイ・ミルクは凶弾に倒れる前にある文章を残しています。

“もし一発の銃弾が私の脳に達することがあるならば、その銃弾はすべてのクローゼットの扉を破壊するだろう”

けれども、もしハーヴェイ・ミルクがいたなら、彼に呟きたくなります。

ハーヴェイ・ミルクよ。たしかに一発の銃弾はあなたの脳に達した。
けれども、決してクローゼットの扉が開かれることはなかった。たとえ希望がその扉を叩いたとしても。

同性愛について考えたとき、彼らは常に差別という銃弾を心に受けているんだと思いました。


長くなりましたが、そんなことを考えた漫画になりました。

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