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芹→霊『相合傘』を投稿
2019/08/27 17:54pixivとピクブラに、芹→霊『相合傘』を投稿してきました。
毎回のことながら、不安しかないです。
少しでも楽しんでもらえたらいいなあ…と思っています。
以下は『相合傘』を描いた経緯や、芹沢さんの恋愛模様などを脱線多めでだらだらと書いていきます。
不安とか心配がいっぱいになると、しゃべりたくなる質なので…。
暇だよ~という方、お付き合いいただけたら嬉しいです。
恋愛観や愛について、文学を例に出して話したりします。
自分の恋愛観を織り交ぜることは二次創作においても、こうしてお話する場においても憚られることなので、一切入れずに書いていきたいと思っています。
モブサイコにハマって一番最初に妄想したのは、なぜかこの『相合傘』でした。
しかも当初はモブ君と霊幻は三年間付き合って別れている設定でした。
でも二人は別れずにいるので、そこだけ書き換えました。
そして想像していた時から、描き終えた今に至るまで芹沢さんの愛し方がわからないままでいます。
一体こういう愛し方はあるのだろうか?と。
ただそばにいて守り続けるだけの愛し方。
ちょうどこの漫画を描き終えたとき、偶然読書家の友人(私が二次創作を書いていることは明かしていない)から福永武彦著『草の花』という小説を薦められて読みました。
その内容に、18歳の汐見という男が年下の藤木という男に想いを寄せるという青春が描かれていました。
時代は戦前の話なので皆、今よりも思想的な会話を交わしている感じです。
汐見は藤木を愛していますが、その想いを藤木に伝えると、藤木は汐見に「愛するというのは、つまり愛されることを求めるということじゃないんですか?汐見さんが僕を愛してくれるのも、僕が汐見さんを好きになるのを待っているからなんでしょう?」と言います。汐見は、違う、ただ愛してさえいればいいんだと言います。藤木は、それならなぜあなたは苦しんでいるんだと言います。そして汐見に、自分を愛してくれるだけの愛を自分は返すことができない。重荷だ。と言います。汐見はそれでもせめて君を愛することを許して欲しいといい、藤木は「なんにもならないのに…なんにもならないのに…」と繰り返し呟きます。
結局、藤木は二年後に病にかかって亡くなってしまいます(この時代は医学の進歩の関係であっさり死ぬ)。
汐見は30歳で肺結核が悪化し、自殺行為にも似た手術を希望して、死んでしまいます。
愛することについて書かれた小説にもうひとつ忘れられない作品があります。
レイ・ブラッドベリ著『霧笛』です。灯台守をしている主人公と上司が、深海から灯台を目指して上がってきた太古の怪物に遭遇する話です。
怪物は孤独で、灯台を唯一の同胞だと思って海面までやってきます。
そのとき上司が主人公に「愛されている以上にいつも何かを愛するということ。そしてしばらくたつと、その愛する相手を滅ぼしたくなる。滅ぼしてしまえば、自分が二度と傷つかなくてすむからな。」と言います。
その後、怪物は灯台を破壊します。上司は、やつもいい勉強をした。どんな相手でもあんまり深く愛しちゃいかんということをな。と言います。
対照的な二作品だなと思います。
愛するという先に、自身の滅亡か相手の滅亡がある。
愛とは苦しいものではあるけれど、もっと違うかたちもある気がします。
例えば、『ナインストーリーズ』では、愛はあてにならない。愛ではなく、親近感を持っていると言う人物が出てきます。
そして、両者が生き抜くといえば谷崎潤一郎の『春琴抄』でしょうか。
盲目の三味線奏者の春琴と、献身的な愛を貫く弟子の佐助との物語です。
ただ、はっきりとは書かれていませんが、二人の間には子供が生まれたみたいですし、完全なプラトニックではない感じです。
二人は静かに寄り添って生きていきますが、佐助の愛し方は献身的を超えています。何より谷崎潤一郎がドMの変態ですし…。
芹沢さんはどうなんだろうなあ…と思います。
一方的に愛していく日々の中で、愛されたいと願う日が来るんじゃないか、そのことで苦しむ瞬間が来るんじゃないかと思ってしまいます。
けれども、もし、芹沢さんが違う人間、例えば可愛い女の子から愛されたら不思議な均衡が生まれる気がします。
霊幻を愛しながら、それは心を満たす行為で、現実では可愛い彼女ができて、結婚をしている。両者へ注ぐ愛は、順番の概念を超えたあたたかいものになるじゃないかと思ったりします。
想いを伝えないという愛もある気がします。それは主に自分を守るための行為ですが、大人の世界は優しいもので“お察しください”で事足りることもあります。
その含みができる、一種美徳のような回避は日本特有の美しさのような気がします。
一方な愛は、相手に利用される憂いと、藤木のように応えられない重荷を生じさせます。
伝えない。でも気付いている。
霊幻はモブ君を見ているので、芹沢さんの想いには気が付かないとは思いますが、芹沢さんは自分の想いは伝えないんだろうなあと考えたりします。
愛しているということを伝えないというのは、愛という生を殺すことです。
『草の花』に出てきた汐見も、自分は心を殺してしまったと言っています。
愛する心を殺し、愛されることを諦めて生きることは孤独を伴い、その孤独は強さをその者に与えます。
恋愛において、鳴いてしまったがために撃たれた雉もいるのだから。
芹沢さんは愛する心を持ちながら、愛されることを知る人生であって欲しいなあと願っています。
とにかく芹沢さんは幸せになって欲しいです!
あ、次はモブ君と霊幻のお話を描きます。
がっつりエロいのを描きますので、待っていてくれると嬉しいです♪
毎回のことながら、不安しかないです。
少しでも楽しんでもらえたらいいなあ…と思っています。
以下は『相合傘』を描いた経緯や、芹沢さんの恋愛模様などを脱線多めでだらだらと書いていきます。
不安とか心配がいっぱいになると、しゃべりたくなる質なので…。
暇だよ~という方、お付き合いいただけたら嬉しいです。
恋愛観や愛について、文学を例に出して話したりします。
自分の恋愛観を織り交ぜることは二次創作においても、こうしてお話する場においても憚られることなので、一切入れずに書いていきたいと思っています。
モブサイコにハマって一番最初に妄想したのは、なぜかこの『相合傘』でした。
しかも当初はモブ君と霊幻は三年間付き合って別れている設定でした。
でも二人は別れずにいるので、そこだけ書き換えました。
そして想像していた時から、描き終えた今に至るまで芹沢さんの愛し方がわからないままでいます。
一体こういう愛し方はあるのだろうか?と。
ただそばにいて守り続けるだけの愛し方。
ちょうどこの漫画を描き終えたとき、偶然読書家の友人(私が二次創作を書いていることは明かしていない)から福永武彦著『草の花』という小説を薦められて読みました。
その内容に、18歳の汐見という男が年下の藤木という男に想いを寄せるという青春が描かれていました。
時代は戦前の話なので皆、今よりも思想的な会話を交わしている感じです。
汐見は藤木を愛していますが、その想いを藤木に伝えると、藤木は汐見に「愛するというのは、つまり愛されることを求めるということじゃないんですか?汐見さんが僕を愛してくれるのも、僕が汐見さんを好きになるのを待っているからなんでしょう?」と言います。汐見は、違う、ただ愛してさえいればいいんだと言います。藤木は、それならなぜあなたは苦しんでいるんだと言います。そして汐見に、自分を愛してくれるだけの愛を自分は返すことができない。重荷だ。と言います。汐見はそれでもせめて君を愛することを許して欲しいといい、藤木は「なんにもならないのに…なんにもならないのに…」と繰り返し呟きます。
結局、藤木は二年後に病にかかって亡くなってしまいます(この時代は医学の進歩の関係であっさり死ぬ)。
汐見は30歳で肺結核が悪化し、自殺行為にも似た手術を希望して、死んでしまいます。
愛することについて書かれた小説にもうひとつ忘れられない作品があります。
レイ・ブラッドベリ著『霧笛』です。灯台守をしている主人公と上司が、深海から灯台を目指して上がってきた太古の怪物に遭遇する話です。
怪物は孤独で、灯台を唯一の同胞だと思って海面までやってきます。
そのとき上司が主人公に「愛されている以上にいつも何かを愛するということ。そしてしばらくたつと、その愛する相手を滅ぼしたくなる。滅ぼしてしまえば、自分が二度と傷つかなくてすむからな。」と言います。
その後、怪物は灯台を破壊します。上司は、やつもいい勉強をした。どんな相手でもあんまり深く愛しちゃいかんということをな。と言います。
対照的な二作品だなと思います。
愛するという先に、自身の滅亡か相手の滅亡がある。
愛とは苦しいものではあるけれど、もっと違うかたちもある気がします。
例えば、『ナインストーリーズ』では、愛はあてにならない。愛ではなく、親近感を持っていると言う人物が出てきます。
そして、両者が生き抜くといえば谷崎潤一郎の『春琴抄』でしょうか。
盲目の三味線奏者の春琴と、献身的な愛を貫く弟子の佐助との物語です。
ただ、はっきりとは書かれていませんが、二人の間には子供が生まれたみたいですし、完全なプラトニックではない感じです。
二人は静かに寄り添って生きていきますが、佐助の愛し方は献身的を超えています。何より谷崎潤一郎がドMの変態ですし…。
芹沢さんはどうなんだろうなあ…と思います。
一方的に愛していく日々の中で、愛されたいと願う日が来るんじゃないか、そのことで苦しむ瞬間が来るんじゃないかと思ってしまいます。
けれども、もし、芹沢さんが違う人間、例えば可愛い女の子から愛されたら不思議な均衡が生まれる気がします。
霊幻を愛しながら、それは心を満たす行為で、現実では可愛い彼女ができて、結婚をしている。両者へ注ぐ愛は、順番の概念を超えたあたたかいものになるじゃないかと思ったりします。
想いを伝えないという愛もある気がします。それは主に自分を守るための行為ですが、大人の世界は優しいもので“お察しください”で事足りることもあります。
その含みができる、一種美徳のような回避は日本特有の美しさのような気がします。
一方な愛は、相手に利用される憂いと、藤木のように応えられない重荷を生じさせます。
伝えない。でも気付いている。
霊幻はモブ君を見ているので、芹沢さんの想いには気が付かないとは思いますが、芹沢さんは自分の想いは伝えないんだろうなあと考えたりします。
愛しているということを伝えないというのは、愛という生を殺すことです。
『草の花』に出てきた汐見も、自分は心を殺してしまったと言っています。
愛する心を殺し、愛されることを諦めて生きることは孤独を伴い、その孤独は強さをその者に与えます。
恋愛において、鳴いてしまったがために撃たれた雉もいるのだから。
芹沢さんは愛する心を持ちながら、愛されることを知る人生であって欲しいなあと願っています。
とにかく芹沢さんは幸せになって欲しいです!
あ、次はモブ君と霊幻のお話を描きます。
がっつりエロいのを描きますので、待っていてくれると嬉しいです♪