第2話 忍術学園へようこそ
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澪の就職が決まってからは、慌ただしかった。
六年生の無事を確認した後、学園長に今日からもう学園で過ごすよう言われ、半助の長屋に荷物を取りに大急ぎで戻ったのだ。
半助の好意を受け、学園から貸与されることもあり、買ったばかりの布団はあの長屋に置かせてもらうことになった。何でも、長期の休み等は宿舎が閉まるのだそうで、その時にまた必要だろうとのこと。
長屋から出ていくつもりだった澪は半助の発言に驚いたが、ある程度のお金が貯まるまで長屋に泊まってもいいとお許しが出たので甘えさせてもらうことにした。
半助からは要らない、とは言われたが澪自身の気が済まないので、長屋の家賃を幾らか負担する事で結果的に合意した。
そして長屋から運んだ荷物をくのいちの宿舎に運びこみ、学園内の施設を案内されたところで初日が終わった。
次の日はくのたま達への挨拶を兼ねて、体術を教えたりしていたら更に一日が終わった。
くのたま達は年下の少女ばかりで、六年生を圧倒した澪に憧れに近い眼差しを向けて来た。ひとまず、彼女達にはシナとの打ち合わせした上で、体術の中でも明の拳法を教える事で合意した。
しかも、シナも一緒に見学しつつ、拳法を覚えたいと言って来たから驚いた。
その代わり澪には忍者の使う技を、特にくのいちのそれを、くのたまやシナが少しずつ教えてくれるのだと言う。学園長の秘書たる者、忍術を知った方がいいとの事だ。
これから毎日忍者と関わるのだし、と澪は素直に受け入れた。学費を払ってないのに、いいのだろうか……と、思いはしたが、別に忍者を目指しているわけではないので良しとしよう。
そして、更にその翌日のこと。澪は一年は組の実技担当である伝蔵の授業に補佐としてつく事になった。
ちなみに、学園長の専属秘書の仕事だが、元忍者界の有名人であることもあり、その武勇伝もとい自慢話を聞いたり、ヘムヘムと会話っぽいやり取りをする以外、今のところ何もない。
そのうち、秘書として学園長が手配した制服が支給されるとかで、それまで澪は服を借りたままだ。
見分けがつくようにと、シナとは色違いのスカーフと腰紐を巻いている。色はどちはも綺麗な藍色で、シナがプレゼントしてくれたものだ。
その藍色のスカーフを身に付けた澪が、伝蔵の横に並び立つと一年は組の子供達の顔が、ぱぁっと好奇心で輝いた。何だか、ひまわりみたいな子達である。
一年は組は、騒動に巻き込まれやすいから気をつけろーーそんな教えを澪はくのたま達から受けていたが、生徒達である以上は避ける事もできない。
となれば、受け入れるしかない。澪は腹を据えて、一年は組の授業に臨んでいた。
そして、じーっと、そんな澪を見つめる視線があった。正体はきり丸である。ちょっと不貞腐れた様子に、澪は大体の予想がついていた。これはきっとあれだ、就職が決まってからろくに話しをしなかったせいだ。
それは白状なことに、半助にも当てはまる。伝蔵とは、伝子からの依頼の品の件や、実技の授業の補佐の件もあるので、よく会って会話していたのだが、半助とは長屋の件で話しをつけてから、それきりだ。
半助やきり丸とは接触するどころか、すれ違いが続いている。半助は大人だからまだいい。問題はきり丸である。
きり丸の丸い頬がそのうち、ぷーっと膨らむのではないかと思いながら、一年は組の良い子達に挨拶をする。
「改めてまして、一年は組の皆さん。忍術学園で働く事になりました、澪と言います。本日は山田先生の授業の補佐につきます。どうぞ、よろしくお願いしますね」
にこりと笑顔で言うと、元気の良い返事が返ってくる。その中で、やはりムスっとしている感じがあるのはきり丸だけだ。伝蔵は、その様子を見てやれやれと言った表情を浮かべている。
「お前達、澪くんがいるからって浮かれるんじゃないぞ。わたしの声かけもあって、今日の授業に澪くんが補佐として参加してくれているが、基本的には学園長先生の秘書の立場だ。お前達がいい加減な態度を取れば、こうして授業の補佐につくこともなくなる。それを肝に命じて、本日の授業に取り組むように」
授業の始めに伝蔵が一喝すると、は組の子達の表情がちょっと真面目な物になった。
「それでは早速、準備運動だ。校庭を手始めに十周走れ。忍者には持久力が必須だ!」
「はーい」
伝蔵の指示の元、は組の子ども達が校庭を駆け出した。とはいえ、勢いがあったのは最初だけで四周目辺りから、皆、やる気の無いのが丸わかりの走り方になっていた。
「澪くん、大体四周目あたりからいっつもこうなるのだ。声をかけてあの子達を元気付けてやってくれんか」
多分、伝蔵が声をかけてはいつもの授業になってしまうから、そういう指示になったのだろう。澪はそんな伝蔵に、苦笑いしつつも思いきって提案をしてみた。
「それもいいですけど、違うやり方を試してみてもよいですか?」
「ん、何か案があるのかね。まぁ、好きにしてみてくれ。あの子達が鍛えられるようにしてくれれば」
「分かりました。では……おーい、は組の良い子達ー!」
伝蔵から許可を得て、澪は大きな声を出した。
「一旦、そこで止まってくれますか。今から、わたしの説明するやり方で校庭を走ってみてください」
駆け寄って、澪は実技に必要になるかもしれないと用意して来た笛を持ち出した。小さな笛は木を加工して出来ている。吹けば、ピーっとなるだけの簡単な物だ。
「わたしが笛を吹くまでは、こんな風に皆んなでスキップ!この時、スキップなやり方は自由です。誰が一番面白いスキップできてるか勝負。でも、わたしが笛をまた吹いたら今度は全速力で走ってください。これを繰り返して、校庭をあと六周したら一旦休憩です」
は組の前でわざと、ちょっと変な動きのスキップをする。すると、良い子達の顔が変わった。「楽しそう」「やってみたい」と口々に皆、話している。
「それじゃあ、楽しく皆んなで始めましょう。いきますよー!」
ピー!と笛を吹くと、は組が楽しそうにスキップし出した。適当な距離を走った所で、今度また笛を吹いて全速力で走らせる。
実は普通に走るよりも遥かに辛い運動なのだが、皆、楽しそうだ。
そして、しばらくして走り終わる。終わる頃には皆、疲れた顔こそしていたが楽しそうだった。
「はい、よく出来ました。これで、皆んなの持久力が昨日よりついたはずです。わたしも小さい時は頑張って走って持久力を身につけました。持久力は、山田先生のような一人前の忍者になるためには、毎日、ちゃんと訓練して身に付けないといけません。毎日、少しずつ頑張りましょう」
「はーい!」
にこにこと笑顔になる澪とは組。きり丸の顔も心なしか、さっきよりはマシだ。
「走るという行為だけでは、つまらなく感じてしまいやすいです。なので、たまにはこんな風にと思いまして。どうでしょうか」
「……成程な。毎回はどうかとは思うが、メリハリをつける分にはいいかもしれん。参考にしてみよう」
澪が実演したのは、体育の授業だ。低学年向けの準備運動だが、ただ走るよりも子ども達はノリノリでやってくれる。遊びになり過ぎないように加減はいるが、うまく使えば実技の授業も捗る。伝蔵は、感心したように頷いた。
「では、次は柔軟体操を始めるぞ。二人一組になれ」
「は組は十一名なので、一人はわたしと組みましょう。きり丸くん、お願いできますか」
本格的な実技の前の準備体操は、事前に打ち合わせして組になってやることを伝蔵に澪が提案した。
きり丸と話せていなかったので、授業中ではあるが活用したくてお願いした次第だ。
「えっ、あ、はい」
名指しで話しかけられたきり丸は、一瞬だけぽかんとした様子になるも、すぐに頷いた。
やって来たきり丸を澪が手招きし、組になって早速柔軟体操を始める。
「では、わたしときり丸くんが見本を見せますので、皆んなも真似してみてください」
伝蔵と話し合って決めた組になってする動きを行う。似たような体操はあるらしいが、澪が前世、子どもだった時に体育の授業でやった物も追加されており、は組は何だか楽しそうだ。
「きり丸、ごめんね御礼の言葉も言いにいけなくて。ちゃんと話しをしにいくから、待っててね。少し時間はかかるけど、忘れずにちゃんと御礼の品も渡すから、ね」
ひそり、と近付いたタイミングできり丸の耳に声をかけると、途端にきり丸の肩が小さく跳ねた。
「っ、わ、分かりました。澪さんが、そう言うなら」
ちょっと耳が赤い。子どもらしい、まだ丸さが残る少年の横顔が可愛らしくて、澪はクスリと小さく笑うのだった。
それから、無事には組の実技の授業は続いた。
途中、手裏剣を投げる訓練で澪や伝蔵の方に投げられた手裏剣達が何故か向かって来たが、それらは全て澪が用意していた棒で叩き落とした。伝蔵から、あらかじめ注意を受けていたので対策した次第である。
瞬時に手裏剣を棒術で叩き落とした澪に対し、は組の良い子達が拍手をするのを伝蔵が叱りつつも「次回からも、は組の授業の補佐をできるだけしてほしい」と依頼してきた。
どうやら、特に手裏剣の授業では伝蔵も困っているらしい。どこに飛んでくるか分からない子ども達の、ある意味恐ろしい手裏剣は、実技担当の伝蔵からして悩みの種のようだった。
危なげなく実技の授業が終わり、澪は伝蔵と職員室に戻る事にした。そして、タイミングよく半助と居合わせた。
「おや、澪さんに山田先生。お疲れ様です、ここから見てましたよ。澪さん、凄く上手に補佐をしていたので、何だか、わたしも補佐を頼みたくなったよ」
笑顔の半助であるが、何故か澪と目が合いそうになると、パッと逸らしてしまう。もし、男が好きなら女の澪に無理に話しかけなくてもいいのに、ご苦労な事だ。長屋の件にしろ、半助は優し過ぎる。
とはいえ、その優しさに甘えさせてもらっている手前、半助の努力を蔑ろにするつもりはない。華麗にスルーする。
「ご相談くだされば、何年何組の実技だろうが教科だろうが、お手伝いしますよ。もっとも上級生のクラスに、わたしのような補佐は不要でしょうけど」
「そんな事はないんじゃないか。聞いたぞ、六年の立花仙蔵と体術の稽古をするんだとか。澪くんと、早く一緒にやりたいと本人がいたく楽しみにしておったぞ」
「……へぇ、そうなんですか」
半助がちょっと低い声で呟いた。
これは、ひょっとして半助に生徒に手を出すのではと警戒されているのだろうか。何やら、こちらを疑っていると見えなくもない半助に、澪は考えを伝えておく事にした。
「ご安心ください。どんな美形だろうが、生徒相手に恋心を抱いたりはしません。いかに同じ歳といえども、ここがわたしの職場である以上、生徒と職員として接しますから」
きっぱりはっきり、そう告げると半助があからさまにホッとした顔になった。そんなに生徒が心配か。はたまた、男が好きだから仙蔵もストライクゾーンということか、逆にそうなら凄いな……等と、半助が知ったらショックで悲鳴を上げて倒れそうな思考を、顔には一切出さない澪。
伝蔵が、そんな二人を見て何かに気付いたらしく、興味深そうに澪と半助を観察していた。伝蔵に見られている事を知った半助が、誤魔化すように咳払いする。
「ーーそんな心配はしてないよ。澪さんが、ちゃんとしてる事は分かっているからね」
「そうなら、いいんですけど。あ、そうだ半助さん。ちょっとお願いがあるんですけど、いいですか」
「お願い?わたしにかい?」
澪にお願い、と言われ不思議そうにする半助。
「実は、きり丸に無事にこうして就職できたので、御礼をしようと思いまして。何をあげたら喜ぶのかな、と。半助さんは、きり丸と一緒に長屋にいますし、知っていたら何が好きかとか教えてほしいんです。銭以外で」
「なるほど、そういう事なら喜んで」
澪の話しを聞いた半助が、優しい笑顔で頷く。その笑顔の爽やかさに、惚れる女性が沢山いるだろうなと感想を抱く。
澪としては、もうちょっと渋さがほしい。精神年齢が見た目を遥かに凌駕している澪の好みは、半助のような若い青年よりも、色気溢れる渋い男性である。
半助があと十年か十五年くらいして中年になったら、澪の好みどストライクかもしれなかった。
「基本的に、きり丸はタダなら何でも喜んで受け取るよ」
「えー……何ですかそれ。そんな何でも有りなのはちょっと」
澪は思わず顔を顰めた。プレゼントなんてものは基本的にタダだ。つまりは、何を上げても喜ぶのだろうが、せめて役に立ちそうな物をあげたい。とはいえ、高すぎる物も用意が難しいので、困ってしまった。
「なら、着物はどうだろうか。できるなら、澪さんが仕立ててあげてくれないか。あいつときたら、ドケチなせいで、殆ど替えがないんだ」
「なるほど……いいですね、それ。子どものうちは、すぐ大きくなりますし、きり丸はそう考えて自分ではケチりそうです」
子ども用の着物なら、生地さえ有れば作れるだろう。顔立ちは整っているから、きり丸なら何色でも似合いそうだ。
そこまで考えて、澪はハッとする。
「あの、半助さんや山田先生にも、何か御礼の品をご用意できたらと思うのですが」
「気を遣わなくていいよ。もとはと言えば、わたしが猪を御しきれなかったせいだし」
「わたしも、これと言って特に何もしていないから気にしないでくれ。気持ちだけで嬉しいよ、澪くん」
「そうは言っても、わたしの気が済みませんし……」
どうせなら、きり丸に着物をあげるついでに、何か使えそうな物を作りたい。
「あの、巾着袋とか使いませんか?男性が持ちやすいように色や柄も工夫しますので。大きさの希望があれば、教えてください」
「それは有難い。実は一つボロくなってきた物があったんだ。それと同じ大きさの物を頼めるか」
「なら、私は出席簿が入るくらいの物を。授業で使う品を入れられる袋があると便利そうだ」
巾着なら作る手間も然程にはかからない。澪からの申し出を二人は快く受けてくれた。
早速、時間を見つけたら布を買いに行こうと心に決めた澪だった。
ーー昼食の時間が近いこともあり、澪は半助や伝蔵と共に食堂へ向かった。席に限りがあるため、生徒達を優先して教師陣は基本的に時間をずらして食べている。
割烹着を着たおばちゃんが用意する食堂の味は、お袋の味とでも言うべき絶妙な物で、初日に食べた澪は他人が作ったご飯の美味しさに舌鼓を打った。
澪の母も料理はしたが、娘の腕が自分の物を上回ると毎回毎回、澪に作らせていた。そんなわけで、ある年齢からは澪は母の手料理を殆ど食べていない。
そのせいか、人の作った料理の味に飢えており、自分が作る物より数段美味しく感じられた次第だ。
「っ、この匂いはっ……!」
食堂が近付いてきて、香って来た匂いに半助の顔が歪んだ。ふんわり香る覚えのあるお出汁の匂いはーーおでんだ。
「練り物がダメなわたしに何たる仕打ちっ…!」
「立ち止まってないで進まんか。ひょっとしたら、おでん以外におかずが残っているかもしれんだろ」
苦悩する半助の横を素通りする伝蔵は、呆れた顔で半助を見ていた。
三人で食堂につくと、おばちゃんが笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃい。ごめんなさいね、今日はもうおでんしか残ってなくて」
「うぅ、あんまりだぁ」
泣きそうな顔をする半助。大の男が情けない……と、感想を抱く者もいるだろうが、むしろ可愛いと見る人もいるかもしれない。
澪はというと、へにゃ、と崩れたその半助の顔を見て、仕方ないなーーと世話を焼く事にした。
「おばさん、お忙しい時があったら、支度をわたしがお手伝いします。ですから今日は、半助さんの分の練り物はわたしの他の具と交換してもいいですか?」
基本的にお残しは許さない食堂のおばちゃんである。当然、不正な行為にもいい顔はしないが、練り物のオンパレードなおでんがメインは流石に不運過ぎる。
半泣きになっていた半助が、ぱっと顔を上げて澪を見た。
「まぁ、今日は仕方ないわね。澪ちゃんは優しいわね」
「練り物を食べないと死ぬわけじゃありませんし。それに、わたし昆虫食は見た目がダメで……半助さんには、万が一、イナゴや蜂の子が出た時には食べてもらいますから」
練り物と昆虫なら、練り物の方が断然マシだ。貴重なタンパク源であるが、現代日本での前世の記憶も影響してか、食べた事があるにはあるが好んで受け付けられなかった。できるなら、食べたくない。
勿論、食堂でそれが出てくる可能性はかなり低い。
「食堂でご一緒できる時は練り物と何かを交換してあげますよ。半助さん」
ぽん、と励ますために肩を叩いて小声で告げると、澪はさっさと食堂に向かう。
半助がその背後で、花を背負いそうな程にキラキラした目で澪を見ている事には、ちっとも気付かなかった。
六年生の無事を確認した後、学園長に今日からもう学園で過ごすよう言われ、半助の長屋に荷物を取りに大急ぎで戻ったのだ。
半助の好意を受け、学園から貸与されることもあり、買ったばかりの布団はあの長屋に置かせてもらうことになった。何でも、長期の休み等は宿舎が閉まるのだそうで、その時にまた必要だろうとのこと。
長屋から出ていくつもりだった澪は半助の発言に驚いたが、ある程度のお金が貯まるまで長屋に泊まってもいいとお許しが出たので甘えさせてもらうことにした。
半助からは要らない、とは言われたが澪自身の気が済まないので、長屋の家賃を幾らか負担する事で結果的に合意した。
そして長屋から運んだ荷物をくのいちの宿舎に運びこみ、学園内の施設を案内されたところで初日が終わった。
次の日はくのたま達への挨拶を兼ねて、体術を教えたりしていたら更に一日が終わった。
くのたま達は年下の少女ばかりで、六年生を圧倒した澪に憧れに近い眼差しを向けて来た。ひとまず、彼女達にはシナとの打ち合わせした上で、体術の中でも明の拳法を教える事で合意した。
しかも、シナも一緒に見学しつつ、拳法を覚えたいと言って来たから驚いた。
その代わり澪には忍者の使う技を、特にくのいちのそれを、くのたまやシナが少しずつ教えてくれるのだと言う。学園長の秘書たる者、忍術を知った方がいいとの事だ。
これから毎日忍者と関わるのだし、と澪は素直に受け入れた。学費を払ってないのに、いいのだろうか……と、思いはしたが、別に忍者を目指しているわけではないので良しとしよう。
そして、更にその翌日のこと。澪は一年は組の実技担当である伝蔵の授業に補佐としてつく事になった。
ちなみに、学園長の専属秘書の仕事だが、元忍者界の有名人であることもあり、その武勇伝もとい自慢話を聞いたり、ヘムヘムと会話っぽいやり取りをする以外、今のところ何もない。
そのうち、秘書として学園長が手配した制服が支給されるとかで、それまで澪は服を借りたままだ。
見分けがつくようにと、シナとは色違いのスカーフと腰紐を巻いている。色はどちはも綺麗な藍色で、シナがプレゼントしてくれたものだ。
その藍色のスカーフを身に付けた澪が、伝蔵の横に並び立つと一年は組の子供達の顔が、ぱぁっと好奇心で輝いた。何だか、ひまわりみたいな子達である。
一年は組は、騒動に巻き込まれやすいから気をつけろーーそんな教えを澪はくのたま達から受けていたが、生徒達である以上は避ける事もできない。
となれば、受け入れるしかない。澪は腹を据えて、一年は組の授業に臨んでいた。
そして、じーっと、そんな澪を見つめる視線があった。正体はきり丸である。ちょっと不貞腐れた様子に、澪は大体の予想がついていた。これはきっとあれだ、就職が決まってからろくに話しをしなかったせいだ。
それは白状なことに、半助にも当てはまる。伝蔵とは、伝子からの依頼の品の件や、実技の授業の補佐の件もあるので、よく会って会話していたのだが、半助とは長屋の件で話しをつけてから、それきりだ。
半助やきり丸とは接触するどころか、すれ違いが続いている。半助は大人だからまだいい。問題はきり丸である。
きり丸の丸い頬がそのうち、ぷーっと膨らむのではないかと思いながら、一年は組の良い子達に挨拶をする。
「改めてまして、一年は組の皆さん。忍術学園で働く事になりました、澪と言います。本日は山田先生の授業の補佐につきます。どうぞ、よろしくお願いしますね」
にこりと笑顔で言うと、元気の良い返事が返ってくる。その中で、やはりムスっとしている感じがあるのはきり丸だけだ。伝蔵は、その様子を見てやれやれと言った表情を浮かべている。
「お前達、澪くんがいるからって浮かれるんじゃないぞ。わたしの声かけもあって、今日の授業に澪くんが補佐として参加してくれているが、基本的には学園長先生の秘書の立場だ。お前達がいい加減な態度を取れば、こうして授業の補佐につくこともなくなる。それを肝に命じて、本日の授業に取り組むように」
授業の始めに伝蔵が一喝すると、は組の子達の表情がちょっと真面目な物になった。
「それでは早速、準備運動だ。校庭を手始めに十周走れ。忍者には持久力が必須だ!」
「はーい」
伝蔵の指示の元、は組の子ども達が校庭を駆け出した。とはいえ、勢いがあったのは最初だけで四周目辺りから、皆、やる気の無いのが丸わかりの走り方になっていた。
「澪くん、大体四周目あたりからいっつもこうなるのだ。声をかけてあの子達を元気付けてやってくれんか」
多分、伝蔵が声をかけてはいつもの授業になってしまうから、そういう指示になったのだろう。澪はそんな伝蔵に、苦笑いしつつも思いきって提案をしてみた。
「それもいいですけど、違うやり方を試してみてもよいですか?」
「ん、何か案があるのかね。まぁ、好きにしてみてくれ。あの子達が鍛えられるようにしてくれれば」
「分かりました。では……おーい、は組の良い子達ー!」
伝蔵から許可を得て、澪は大きな声を出した。
「一旦、そこで止まってくれますか。今から、わたしの説明するやり方で校庭を走ってみてください」
駆け寄って、澪は実技に必要になるかもしれないと用意して来た笛を持ち出した。小さな笛は木を加工して出来ている。吹けば、ピーっとなるだけの簡単な物だ。
「わたしが笛を吹くまでは、こんな風に皆んなでスキップ!この時、スキップなやり方は自由です。誰が一番面白いスキップできてるか勝負。でも、わたしが笛をまた吹いたら今度は全速力で走ってください。これを繰り返して、校庭をあと六周したら一旦休憩です」
は組の前でわざと、ちょっと変な動きのスキップをする。すると、良い子達の顔が変わった。「楽しそう」「やってみたい」と口々に皆、話している。
「それじゃあ、楽しく皆んなで始めましょう。いきますよー!」
ピー!と笛を吹くと、は組が楽しそうにスキップし出した。適当な距離を走った所で、今度また笛を吹いて全速力で走らせる。
実は普通に走るよりも遥かに辛い運動なのだが、皆、楽しそうだ。
そして、しばらくして走り終わる。終わる頃には皆、疲れた顔こそしていたが楽しそうだった。
「はい、よく出来ました。これで、皆んなの持久力が昨日よりついたはずです。わたしも小さい時は頑張って走って持久力を身につけました。持久力は、山田先生のような一人前の忍者になるためには、毎日、ちゃんと訓練して身に付けないといけません。毎日、少しずつ頑張りましょう」
「はーい!」
にこにこと笑顔になる澪とは組。きり丸の顔も心なしか、さっきよりはマシだ。
「走るという行為だけでは、つまらなく感じてしまいやすいです。なので、たまにはこんな風にと思いまして。どうでしょうか」
「……成程な。毎回はどうかとは思うが、メリハリをつける分にはいいかもしれん。参考にしてみよう」
澪が実演したのは、体育の授業だ。低学年向けの準備運動だが、ただ走るよりも子ども達はノリノリでやってくれる。遊びになり過ぎないように加減はいるが、うまく使えば実技の授業も捗る。伝蔵は、感心したように頷いた。
「では、次は柔軟体操を始めるぞ。二人一組になれ」
「は組は十一名なので、一人はわたしと組みましょう。きり丸くん、お願いできますか」
本格的な実技の前の準備体操は、事前に打ち合わせして組になってやることを伝蔵に澪が提案した。
きり丸と話せていなかったので、授業中ではあるが活用したくてお願いした次第だ。
「えっ、あ、はい」
名指しで話しかけられたきり丸は、一瞬だけぽかんとした様子になるも、すぐに頷いた。
やって来たきり丸を澪が手招きし、組になって早速柔軟体操を始める。
「では、わたしときり丸くんが見本を見せますので、皆んなも真似してみてください」
伝蔵と話し合って決めた組になってする動きを行う。似たような体操はあるらしいが、澪が前世、子どもだった時に体育の授業でやった物も追加されており、は組は何だか楽しそうだ。
「きり丸、ごめんね御礼の言葉も言いにいけなくて。ちゃんと話しをしにいくから、待っててね。少し時間はかかるけど、忘れずにちゃんと御礼の品も渡すから、ね」
ひそり、と近付いたタイミングできり丸の耳に声をかけると、途端にきり丸の肩が小さく跳ねた。
「っ、わ、分かりました。澪さんが、そう言うなら」
ちょっと耳が赤い。子どもらしい、まだ丸さが残る少年の横顔が可愛らしくて、澪はクスリと小さく笑うのだった。
それから、無事には組の実技の授業は続いた。
途中、手裏剣を投げる訓練で澪や伝蔵の方に投げられた手裏剣達が何故か向かって来たが、それらは全て澪が用意していた棒で叩き落とした。伝蔵から、あらかじめ注意を受けていたので対策した次第である。
瞬時に手裏剣を棒術で叩き落とした澪に対し、は組の良い子達が拍手をするのを伝蔵が叱りつつも「次回からも、は組の授業の補佐をできるだけしてほしい」と依頼してきた。
どうやら、特に手裏剣の授業では伝蔵も困っているらしい。どこに飛んでくるか分からない子ども達の、ある意味恐ろしい手裏剣は、実技担当の伝蔵からして悩みの種のようだった。
危なげなく実技の授業が終わり、澪は伝蔵と職員室に戻る事にした。そして、タイミングよく半助と居合わせた。
「おや、澪さんに山田先生。お疲れ様です、ここから見てましたよ。澪さん、凄く上手に補佐をしていたので、何だか、わたしも補佐を頼みたくなったよ」
笑顔の半助であるが、何故か澪と目が合いそうになると、パッと逸らしてしまう。もし、男が好きなら女の澪に無理に話しかけなくてもいいのに、ご苦労な事だ。長屋の件にしろ、半助は優し過ぎる。
とはいえ、その優しさに甘えさせてもらっている手前、半助の努力を蔑ろにするつもりはない。華麗にスルーする。
「ご相談くだされば、何年何組の実技だろうが教科だろうが、お手伝いしますよ。もっとも上級生のクラスに、わたしのような補佐は不要でしょうけど」
「そんな事はないんじゃないか。聞いたぞ、六年の立花仙蔵と体術の稽古をするんだとか。澪くんと、早く一緒にやりたいと本人がいたく楽しみにしておったぞ」
「……へぇ、そうなんですか」
半助がちょっと低い声で呟いた。
これは、ひょっとして半助に生徒に手を出すのではと警戒されているのだろうか。何やら、こちらを疑っていると見えなくもない半助に、澪は考えを伝えておく事にした。
「ご安心ください。どんな美形だろうが、生徒相手に恋心を抱いたりはしません。いかに同じ歳といえども、ここがわたしの職場である以上、生徒と職員として接しますから」
きっぱりはっきり、そう告げると半助があからさまにホッとした顔になった。そんなに生徒が心配か。はたまた、男が好きだから仙蔵もストライクゾーンということか、逆にそうなら凄いな……等と、半助が知ったらショックで悲鳴を上げて倒れそうな思考を、顔には一切出さない澪。
伝蔵が、そんな二人を見て何かに気付いたらしく、興味深そうに澪と半助を観察していた。伝蔵に見られている事を知った半助が、誤魔化すように咳払いする。
「ーーそんな心配はしてないよ。澪さんが、ちゃんとしてる事は分かっているからね」
「そうなら、いいんですけど。あ、そうだ半助さん。ちょっとお願いがあるんですけど、いいですか」
「お願い?わたしにかい?」
澪にお願い、と言われ不思議そうにする半助。
「実は、きり丸に無事にこうして就職できたので、御礼をしようと思いまして。何をあげたら喜ぶのかな、と。半助さんは、きり丸と一緒に長屋にいますし、知っていたら何が好きかとか教えてほしいんです。銭以外で」
「なるほど、そういう事なら喜んで」
澪の話しを聞いた半助が、優しい笑顔で頷く。その笑顔の爽やかさに、惚れる女性が沢山いるだろうなと感想を抱く。
澪としては、もうちょっと渋さがほしい。精神年齢が見た目を遥かに凌駕している澪の好みは、半助のような若い青年よりも、色気溢れる渋い男性である。
半助があと十年か十五年くらいして中年になったら、澪の好みどストライクかもしれなかった。
「基本的に、きり丸はタダなら何でも喜んで受け取るよ」
「えー……何ですかそれ。そんな何でも有りなのはちょっと」
澪は思わず顔を顰めた。プレゼントなんてものは基本的にタダだ。つまりは、何を上げても喜ぶのだろうが、せめて役に立ちそうな物をあげたい。とはいえ、高すぎる物も用意が難しいので、困ってしまった。
「なら、着物はどうだろうか。できるなら、澪さんが仕立ててあげてくれないか。あいつときたら、ドケチなせいで、殆ど替えがないんだ」
「なるほど……いいですね、それ。子どものうちは、すぐ大きくなりますし、きり丸はそう考えて自分ではケチりそうです」
子ども用の着物なら、生地さえ有れば作れるだろう。顔立ちは整っているから、きり丸なら何色でも似合いそうだ。
そこまで考えて、澪はハッとする。
「あの、半助さんや山田先生にも、何か御礼の品をご用意できたらと思うのですが」
「気を遣わなくていいよ。もとはと言えば、わたしが猪を御しきれなかったせいだし」
「わたしも、これと言って特に何もしていないから気にしないでくれ。気持ちだけで嬉しいよ、澪くん」
「そうは言っても、わたしの気が済みませんし……」
どうせなら、きり丸に着物をあげるついでに、何か使えそうな物を作りたい。
「あの、巾着袋とか使いませんか?男性が持ちやすいように色や柄も工夫しますので。大きさの希望があれば、教えてください」
「それは有難い。実は一つボロくなってきた物があったんだ。それと同じ大きさの物を頼めるか」
「なら、私は出席簿が入るくらいの物を。授業で使う品を入れられる袋があると便利そうだ」
巾着なら作る手間も然程にはかからない。澪からの申し出を二人は快く受けてくれた。
早速、時間を見つけたら布を買いに行こうと心に決めた澪だった。
ーー昼食の時間が近いこともあり、澪は半助や伝蔵と共に食堂へ向かった。席に限りがあるため、生徒達を優先して教師陣は基本的に時間をずらして食べている。
割烹着を着たおばちゃんが用意する食堂の味は、お袋の味とでも言うべき絶妙な物で、初日に食べた澪は他人が作ったご飯の美味しさに舌鼓を打った。
澪の母も料理はしたが、娘の腕が自分の物を上回ると毎回毎回、澪に作らせていた。そんなわけで、ある年齢からは澪は母の手料理を殆ど食べていない。
そのせいか、人の作った料理の味に飢えており、自分が作る物より数段美味しく感じられた次第だ。
「っ、この匂いはっ……!」
食堂が近付いてきて、香って来た匂いに半助の顔が歪んだ。ふんわり香る覚えのあるお出汁の匂いはーーおでんだ。
「練り物がダメなわたしに何たる仕打ちっ…!」
「立ち止まってないで進まんか。ひょっとしたら、おでん以外におかずが残っているかもしれんだろ」
苦悩する半助の横を素通りする伝蔵は、呆れた顔で半助を見ていた。
三人で食堂につくと、おばちゃんが笑顔で出迎えてくれる。
「いらっしゃい。ごめんなさいね、今日はもうおでんしか残ってなくて」
「うぅ、あんまりだぁ」
泣きそうな顔をする半助。大の男が情けない……と、感想を抱く者もいるだろうが、むしろ可愛いと見る人もいるかもしれない。
澪はというと、へにゃ、と崩れたその半助の顔を見て、仕方ないなーーと世話を焼く事にした。
「おばさん、お忙しい時があったら、支度をわたしがお手伝いします。ですから今日は、半助さんの分の練り物はわたしの他の具と交換してもいいですか?」
基本的にお残しは許さない食堂のおばちゃんである。当然、不正な行為にもいい顔はしないが、練り物のオンパレードなおでんがメインは流石に不運過ぎる。
半泣きになっていた半助が、ぱっと顔を上げて澪を見た。
「まぁ、今日は仕方ないわね。澪ちゃんは優しいわね」
「練り物を食べないと死ぬわけじゃありませんし。それに、わたし昆虫食は見た目がダメで……半助さんには、万が一、イナゴや蜂の子が出た時には食べてもらいますから」
練り物と昆虫なら、練り物の方が断然マシだ。貴重なタンパク源であるが、現代日本での前世の記憶も影響してか、食べた事があるにはあるが好んで受け付けられなかった。できるなら、食べたくない。
勿論、食堂でそれが出てくる可能性はかなり低い。
「食堂でご一緒できる時は練り物と何かを交換してあげますよ。半助さん」
ぽん、と励ますために肩を叩いて小声で告げると、澪はさっさと食堂に向かう。
半助がその背後で、花を背負いそうな程にキラキラした目で澪を見ている事には、ちっとも気付かなかった。
