第11話 意外なご縁
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「考えたんですけど……殿下のお屋敷への訪問は最小人数で済ませようと思います。出来れば、殿下と面識のある上級生で、相手に警戒心を抱かれにくい者を一人か二人。念の為、付き添いの先生も一人で考えております」
まさかの関白に、屋敷への招待の文を貰った翌日の事。
澪は、早速に学園長へ自身の考えを伝えた。極秘裏に、という学園長の命を遂行するなら、限られた最小限の人数で、しかし、澪一人ではない形で収めようと思った結果である。
警戒心が抱かれにいくい者として、柔和な外見、あるいは見目のいい者を選ぶつもりだ。
六年生なら仙蔵か伊作、五年生なら勘右衛門、兵助辺りになるため、この中から一緒に出掛けても良いと言ってくれる忍たま達について来てもらうつもりだ。
小平太辺りからブーイングが来そうだが、関白殿下ともなれば慎重にならざるを得ない。
澪の考えを聞いた学園長は「そうするがよい」とだけ言って頷いた。澪の考えに何を言うでもなく任せてくれるのは、短い付き合いとはいえ信頼してくれているのか、はたまた学園長の度量の為せる事かは不明である。
「と、いうわけで仙蔵くん、伊作くんのどちらか、あるいはお二人にご同行をお願いできますか?」
所変わって、六年生の忍たま長屋にて。
澪は、部屋にいるという二人を早速呼び出して声をかけた。ひょっとして、プレッシャーから断られるかもしれない。そう思ったが返ってきた反応は違った。
「勿論だとも!」
「えっ、ぼく?不運なのにいいの?!」
二人とも好感触である。そう言えば、伊作は容姿はばっちりだが不運大魔王である事をうっり失念していた。しかし、不運だからやっぱり無しね、とは最早言えない空気だ。その返答こそ、不運その物になる。
「澪さんが、まさかこのわたしを名指しで選んでくれるとは。ありがとう、素晴らしい機会だ。最善を尽くすと約束する」
「ぼくが関白殿下の御屋敷に行くなんて……こんな日が来るなんて、こんな事あっていいのかな。明日から倍の不運に見舞われても頑張るよ!」
伊作の頑張り所が違うと思ったが、まぁ良しとしよう。
「えっと、それじゃあお願いします」
「待ったあああっ。わたしも行く、行きたい!屋敷には入らずとも、万が一の備えとして外で待つぞ!!」
早々に同行メンバーの二人が決まった、と思った傍から小平太が現れた。宿舎の中庭でこっそり集まって話していたのだが、部屋の中で聞き耳でも立てていたのか、障子戸をぶち壊す勢いで部屋から現れた小平太に、思わず目を丸くする。こんな時に、同室の長次は不在のようだ。
「小平太がついて行くと、他も来たがるかもしれん。澪さんの考えが水の泡になるから、今回は遠慮しろ。澪さんの考えの通り動くことが、学園長先生のご命令だ」
「そうだよ、小平太。心配な気持ちは分かるけどさ」
「ぐぬぬ……、納得がいかーん!何故そこの二人なんだ澪さん。伊作なんて、不運大魔王じゃないか!!」
仙蔵と伊作に窘められる小平太。悔しそうな顔をしているが、澪は苦笑いしつつ小平太に考えを説明した。
「単に、どちらかと言うと相手に警戒されにくい容姿の方に声をかけたんです。仙蔵くんは貴族に好まれそうな整った外見ですし、伊作くんも優しそうでしょう」
「がーん」
がーん、と口にした通り背中に暗いものを背負って俯く小平太。
「えっと、小平太くんも元気で可愛いですよ?でも今回はちょっと違うかなぁって思ったというか、これじゃない感があったと言いますか」
「澪さん、そのフォローは傷口に塩を塗りこんでるだけだと思うよ」
伊作の言う通り、澪の発言のせいで小平太は益々落ち込んでいるようだった。深海魚が周囲を泳ぐ幻が見えるよう。いつもは元気溌剌なのに、今は海底にいるようだ。
「……なら、お土産を買ってきてくれ」
ややあって、ポツリと小平太が呟いた。
「わかりました。美味しい物を買ってきます」
「それと、今度、男装姿じゃない澪さんと二人で京に行きたい」
「どさくさに紛れてそれはズルいから、駄目だよ小平太」
ニコリ、と笑顔の伊作がストップをかけた。途端にムッ、とする顔の小平太。
「人気者の澪さんを独り占めするのは、至難のわざということだ」
ふふ、と仙蔵が面白がるように笑っていた。途端に、太い眉をぎゅうっと寄せる小平太を前に、澪は苦笑いしたのであった。
同行者となる上級生二人を確保した後、澪は授業終わりを待って半助の所を尋ねた。要件は当然ながら関白殿下の屋敷への訪問の付き添いを頼むためだ。あくまでも、念の為に一緒に来てもらう。
予定が合わなければ、伝蔵に頼むつもりである。外での待機要員を想定しているため、教師は正直二人の内、どちらでもよかった。半助が一緒に行くと申し出てくれたので、その言葉に甘えて仕事部屋に一人でいるのを訪ねて声をかけた次第だ。
「ーーと、いうわけで念の為に付き添いを半助さんにお願いしたくて」
「勿論だよ。屋敷の外で待つ件も了解した」
「ごめんなさいね」
「むしろ、嬉しいくらいだ。緊張もするけどね。仙蔵達も喜んでいただろう」
「そうだけど、何で?荷が重いって断られても仕方ないかもって思ってたのに」
意外な二人の反応を思い出し、その口にすると半助がふふ、と笑った。
「確かに荷が重い。けれど、忍びたる者、何時何処へでも潜入できるようにならなくては。とはいえ、流石に高位貴族の屋敷ともなると早々無い機会だ。作法の勉強にもなる。仙蔵や伊作からすれば、学園の授業ではまず与えられない忍務だ。澪さんに感謝こそすれ、嫌がるなんて事はないよ」
「はぁ、そういうものなのね」
小平太の落胆ぶりも頷ける話である。
「ふふ、わたしが行くとなると山田先生も悔しがるかもしれないな。屋敷に入らないとはいえ、関白殿下に関する事なのだし」
「手紙を見て二人とも固まってたくせに」
「そりゃあね。会話の流れからして、ひょっとしてかなりの役職の公家なのかと推察はしていた。もしかして昇殿を許された公家ーー堂上家に名を連ねる家格の人かも、とかね。でもまさか、関白殿下とは。それも手紙は澪さんに宛てた内容だし」
「わたしもよ。て言うか、なんで町中に関白殿下がいるのって思ったもん」
「お忍びだったなら、別におかしくはないよ。ただ、驚きがあるとすれば澪さんに本名を教えて、正体を明かしている事だ」
半助の指摘は澪も同じく思う所である。昨日はそうした話はあまりしなかったが、半助の考えを知りたくて尋ねた。
「半助さんは、どう思う?」
「……さぁね。高貴なお方が自身の地位を私的な事で明かすというならば、それ相応の利益が見込まれるか、そうでなければ損得勘定抜きになりふり構わず、という事だね。今回の場合、わたしは後者なのではと思う」
半助の考えのとおり、澪も手紙の文面や状況から、そうした空気を感じた。
「だから、昨日の推測でいくと、関白殿下は澪さんの母君と何らかの繋がりがあって、澪さんを調べるために引き寄せたい可能性がある。下男として雇いたい、と言ったという事は庇護下に置いておきたいのだろうし」
「うーん、それなのねぇ。でも、仮にわたしの母上が女房とかだったとして、そこまで関白殿下が必死になる理由に首をかしげちゃうのよね。やっぱり」
「そこは殿下本人に確認しないと、どうにも分からない所だね」
会って直接確認するしかないーーこれに尽きる。
「鉄は熱いうちに打てとも言うし、予定を合わせてささっと行くしかないわね」
「授業の調整は何とでもなる。澪さん達に合わせるよ」
「一年は組の授業に影響が出るんじゃ……」
「そこを上手くやり繰りするのも教師の仕事のうちだ。それができなければ、学園長先生の思いつきに付き合ってられない」
それもそうか。学園長の思いつき、という忍術学園あるある番狂わせに巻き込まれるのは、何も生徒に限った話ではない。むしろ、仕事のある教師の方が大変であろう。
「それじゃ、お言葉に甘えようかな」
「うんうん。甘えて甘えて」
柔らかく優しい声音で言われると、まるで自分が子どもにでもなった錯覚を覚える。それは、半助が忍たま一年生を担当しているせいか、はたまた子守りが堂に入っているせいか。
一瞬だが、合戦場で心が疲れた時に半助に甘えた事を思い出してしまう。
そのせいか。
「……半助さん。今回の一件で、また疲れたら甘えていい?」
「……っ、あぁ、い、いいともっ。そ、そしたら、わたしも甘えていい?」
またあの時みたいに、甘えたくなってしまい半助に頼むと逆に頼み返された。
見ると、半助は上目遣いになっており、犬の耳と尻尾の幻が見えそうである。甘えたり、甘えられたり。互いが互いを甘やかすーー何だかおかしな、だが、嫌ではなくむしろ心地いいと感じる関係は、きっと半助の人となりのなせる業なのだろう。
立派な大人の背の高い男性のはずなのに、柔らかく優しく相手に警戒心を抱かせない雰囲気は、時には懐に入り探りを入れる忍者ならではか。はたまた生来からの物なのか。
「それは今?それとも後?」
「……どっちもがいい。山田先生は暫く戻ってこないから」
「ふふ、甘えん坊さん」
今と後、二回も甘えたいと小さな声で、だが、しっかり要求する半助に、澪は笑って手を広げた。すると、待っていましたとばかりに半助が、嬉しそうにしつついそいそとやって来る。
頭巾からのぞく髪の傷みが、マシになってきたように見えた。そっと前髪に軽く触れると、髪質が前よりよくなっている事が分かる。
「言っておくけど、わたしがこんな風になるのは澪さんのせいだもん。あ、膝枕もしてほしいな」
「えー……いやいや、そんな事ないでしょ。はい、膝枕」
半助がわざと子供っぽい口調で話すのがおかしくて、笑いながら膝枕をすると「やった」と喜んで半助が頭を膝に乗せて来た。満足そうに笑っている。
「んー、最高だなぁ」
そんなに膝枕が気持ちいい物だろうか。とはいえ、するのはいいがされるとなると流石に抵抗がある。大体、成人男性の膝枕、ましてや、現役忍者の膝は硬そうである。小平太も嫌がっていたのを思い出した。
「……そう?」
「そう!こんないい枕は売ってないよ」
「ふふ、なぁにそれ」
大真面目に言う半助に思わず笑ってしまう。
「そう言えば、もうすっかり胃の調子はいいの?」
「あー……まぁね。は組の教科の点数がもっとよくなれば。せめて、乱太郎、きり丸、しんベヱがわたしの話の半分でも記憶してくれたら胃痛なんてなくなるのに」
半助の顔が途端に憂いを帯びた。ご苦労な事である。
「だから、澪さんの授業の話を参考にしようと思ってるんだ。教えてるだけじゃ、集中力が切れちゃう事もあるだろうから、時折質問して子ども達に考えさせたり、名指しで当てたりするのを前よりもっと積極的にしてみようって」
「そっか。偉いね、半助さんは」
よしよし、と頭を撫でる。気持ちよさそうに、半助が目を閉じた。整った顔立ちだな、と思う。スっと通った鼻筋に、凛々しい眉、シャープな顎、首は男らしく太い。間違いなく、現代日本でも通用するモテる男の顔だ。
そんな澪の視線を感じてか、半助がそっと目を開けた。
「所で澪さん。関白殿下とは男装の姿で会っているんだよね。本当の性別を明かす気はあるかい?」
「うーん。無理に隠すつもりもない、くらいかな。こっちからは、言う気はないけど女かと聞かれたら、嘘をつくつもりはないかしら」
屋敷を尋ねる際は、男装の姿の予定だ。あちらは、伝助を指名しているのだし。ただ、澪の男装は鉢屋三郎の変装程には完璧ではない。気付く者には、男装していると分かってしまう。関白殿下が、どこまで見抜いてくるか次第だが、女かと問われればその通りだと答えるし、何故男装しているのかと問われれば、変な輩に絡まれるのを防ぐために用心していたと、嘘偽りなく答えるつもりでいた。
澪の考えを聞いた半助が、きゅっと、眉根を寄せる。
「澪さん、ないとは思うけど無体な事をされそうになったら全力で逃げるんだよ」
「勿論。とはいえ、大丈夫だと思うわ……何となくだけど」
関白殿下から嫌な感じはしなかった。無理強いするなら、それこそ澪を無理やり連れていく事だってできたはずなのに、あえて手紙という不確実な方法で呼び出す事といい、悪辣な感じはしなかった。
「手紙を託すのって、結構な博打だと思うのよね。わたしが文字を読めるとも限らないし、大体、手紙の内容を疑って相手にしない可能性もある。悪用される危険性も。そういう細かい事を全ておいて、手紙を使う時点でわたしに無体を強いる可能性はだいぶ低いと思うのよ。特権階級の方々からすれば、わたし達みたいな平民は塵芥みたいに思ってる場合もあるのに、酔狂というか丁寧というか……だから、勘だけど大丈夫だと思うの」
きっと、半助は澪を心配してくれているのだろう。そう思うと、何だか擽ったいような気持ちになって、誤魔化すように半助の傷みがマシになった頭巾からのぞく、前髪をそっと撫でた。
半助はというと、そんな澪の手を心地よさそうに受け入れつつ、真摯な眼差しで告げる。
「何かあっても、わたし達が居るからね。澪さん」
一人ではない。
それは、澪がこの忍術学園に来て感じる所だったし、理解してもいた。だが、半助が真面目な顔で澪を見上げて言う、その言葉に一瞬だけ何故だかドキッとした。
「わかってる。ありがとう、半助さん」
にこり、と澪は半助に笑顔で頷く。心臓を僅かに跳ねさせた気持ちを深く追求する事はなかった。
ーーそれから、伝蔵が戻ってくる少し前に半助の甘える時間は終了した。起き上がった半助は、すっかりご機嫌で戻ってきた伝蔵が、そんな半助を何やら不思議そうな顔で見ていた。
全員の予定を擦り合わせた結果、関白殿下の屋敷に訪問するのは三日後となった。
休日が来るのを待たずしての訪問のため、半助は出張扱いになり、当然ながら教科の授業は休みの運びとなった。本人は一切気にした様子がないとはいえ、少しばかり申し訳ない気持ちになる。
それに、通信手段が手紙のこの時代、すれ違いだって有り得るため、関白殿下が屋敷にいる事を祈るばかりだ。
関白殿下の屋敷に訪問する面子が決まった結果、文句を垂れたのは小平太だけではなかった。五年生は六年生達の手前、不平不満を口にする事はなかったが、文次郎は残念そうな様子だったし、留三郎は俺の方が武闘派なのにと地味に落ち込んでいたし、長次は無言で俯いて何を考えているかは分からなかったが、気の所為かどんよりしていた。
その素直な様子を見ると、矢張りと言うか未だ十代の少年なんだな、と改めて感じる澪である。
何はともあれ、三日後には京へと向かう事になる。関白殿下と会って話すタイミングによっては、翌日に学園に戻ってくる可能性も十分に有り得る。
あるいは、野宿をする事も想定しなくてはならないだろう。とはいえ、梅雨が未だ開けていないので、夜の雨を避けるためにも野宿は勘弁願いたい所である。
関白殿下の屋敷を訪問するまでの間、特に何か変わった事をするでもなく、澪は勿論の事、訪問するメンバー全員がいつも通り、学園での日々を送った。
そして、関白殿下の屋敷を訪問する前日の午後の事。澪はきり丸からの頼みもあり、好評だった歴史の授業の続きを行った。
放課後は委員会活動か、さもなければ銭儲けのアルバイトに勤しむ、鬼のアルバイターきり丸からのお願いを聞かない理由は無い。
澪の初回の授業を受けた子達から受講者は更に増え、放課後の一年は組の教室は満員御礼になった。
「……えっと、今日は長次くん、留三郎くん、文次郎くんが居るんですね」
「もそっ。宜しく頼む」
「今日は用具委員会に修理の依頼もなかったからな。運良く来れた」
「前回、仙蔵から話を聞いてな。邪魔はせんから、普通にしてくれ」
あくまでも、きり丸の好奇心を満たすための物のはずが、ギャラリーが増えてまるで大学の講義のような有様になっている。
とはいえ、二回目のため最初の時よりは落ち着いて授業が出来そうだ。
ちなみに、前回参加していた小平太、伊作、仙蔵は本日は用事のため欠席である。五年生も今日は来ていない。八左ヱ門は前回も来れなかったので、次こそはと息巻いていたが、そちらもお休みである。
ーーないとは思うが、犬猿コンビが喧嘩を始めたら文字通り叩き出そう。そう静かに決意しつつ、澪は二度目の授業を始めた。
前回は乙巳の変、またの名を大化の改新までやったので、本日はその続きからだ。ちなみに、平安京時代最盛期までを予定している。補足として、貴族の位の事も盛り込む予定だ。
近く、関白殿下の屋敷にも行くので澪からすると、ホットな話題とも言えよう。もっとも、子ども達にその事を実際に話す事は出来ないが。
「えー、では。今日は乙巳の変から平安時代までします。ついでに、後々のためにもなるので貴族の位についてなんかも、少しお話ししますね」
この世界の歴史は概ね、澪の生きていた過去の世界と同じだ。大陸から取り入れた律令制度により、天皇を中心とする中央集権が飛鳥時代に成立し、遣唐使を廃止後は平安時代に貴族文化が花開き、貴族達の栄華がピークに達する。だが、平安末期に武家が台頭し、最初に頂点に立った武家の一族の滅亡後、鎌倉幕府が成立する。
今、澪のいる世界は世は戦乱だが、室町幕府が滅亡していないため、室町時代末期と言える。澪の知る前世の記憶は更にそこから先の未来となるため、子ども達に教えられるのは室町時代末期までの話となるが、歴史とは教養であると同時に、現在に繋がる知識にもなる。
例えば、国同士の中が悪いのは歴史的な経緯がある場合、戦の流れを読むのに役立つ。とはいえ、下克上の世では世を見る要素の一つにしかなり得ない。室町時代末期はそれ程に、国の移り変わりが激しいのだ。
かつて、幕府によって守護や地頭に任じられた由緒ある家柄であっても、成り上がりによって滅ぼされる。
そこに一向一揆等の寺社勢力も加えると、更に話はややこしくなる。
四方を海に囲まれており、外的脅威なんて元寇以来なかった日本は、のほほんと内輪で争っていたせいで、誰が本当の権力者か、わけの分からない事になってしまっているのだ。
最初の権力者であったはずの、天皇と貴族は今や困窮し、幕府ですら征夷大将軍が都を追われる事すら珍しくなく……。
戦国時代と聞こえはいいか、簡単に言うとトップが事実上不在状態のため、下が勝手にドンパチして抗争が止まらないのが実情である。
澪の歴史の最終的な着地点は、忍たま達にも今のままの日ノ本ではいけないという、当事者意識を少しでいいから持ってもらう事だ。
そして、そうした目で主君を選んでもらえれば、彼等の生存率が上がると思っている。
忍者と言えば、格好いいと思うかもしれないが、所詮は使い捨てにされる諜報員の一人でしかない。忍ぶ者、と言われる彼等は基本的には歴史に名前を残さずに消えていく、そういう切ない存在なのだ。
無論、だからといって意味の無い存在なのではなく、むしろ、だからこそ、そうした彼等の目に見えない働きが大事で、時には天下を動かす事だってあるのだろうと、澪は思う。
今、一見すると関係ないように思える澪の教える歴史の授業も、少しでも彼等のためになるなら、と言う思いが少しずつ込められていた。
なるほど、教師とはこんな気持ちなんだなぁ……と、プチ先生気分を味わってみたり。半助が、胃痛に苛まれながらも一年は組を大事にする理由が分かろうというものである。
「……では、今日はここまで。分からない事や、質問したい事はありますか?」
澪は歴史の概略を語り、細かい部分はすっ飛ばしている。別に、テストをして習熟度を測るつもりがないせいでもあるし、あくまでも補完的な授業に徹しているためだ。
とはいえ、切り口が違う授業のおかげか、途中、居眠りしたりする子もおらずに本日も無事に終了した。長次をはじめ、上級生達も最後まで聞いてくれた。
「澪さん、今日もありがとうございます」
「意外と歴史って面白いっす」
「ぼく、今度、図書室で何か歴史の本を借りようかな。中在家先輩にオススメの本を教えてもらおうっと」
乱太郎、きり丸、しんベヱの三人に授業終わりに早速声をかけられた。三人だけでなく、後ろの方で話を聞いていた六年生達三人も前にやって来る。
「澪さんっ。知っている事も多かったが、中々聞いていて楽しい授業だったぞ」
「わたしは、官位の話が面白かった……もそ」
「着眼点が澪さんらしかった。変わっているというか、そう来るかというか。良ければ、また聞かせてくれ」
図書室には、歴史書も当然ある。それらを読めば、澪の授業なんて聞いても、つまらないのでは?と思うが、褒められて悪い気はしない。
「澪さんなら、南蛮とかの異国の歴史にも詳しかったりして」
うふふ、としんベヱが笑ってそんな事を言った。なので、何の気なしに返事をする。
「……まぁ、少しなら知ってますよ」
中国の歴史は日本にも伝わっているので勿論の事、南蛮人から聞き出して、それこそ彼らが今も誇りに思う古代ギリシア文明やローマ帝国の事等も知っている。
と言うより、前世の世界の歴史との擦り合わせのため、そりゃあもう色々と聞き出して照合しているので、世界史ならばおそらく、このなんちゃって戦国時代の日本では結構な物知りではと思うくらいに知っている。
よく似た世界の前世知識チートを爆発させたら、それこそ宇宙誕生の歴史からスタートできたりするが、流石にそこまで同じか検証不可なうえ、トンデモぶっ飛び話のため口にはしない。
「「……は?!」」
「……もそ?!」
澪の返事に目を真ん丸にして驚いたのは、六年生組である。文次郎と留三郎は、普段は犬猿の仲なのに、こんな時だけ仲良く反応が揃っている。
「待て待て。南蛮の事に詳しいのは、知ってはいたが歴史まで知ってるとは本気か?」
「細かくは知りませんからね。大まかに一通りですよ、留三郎くん」
「そんな話、聞いてないぞ」
「聞かれませんでしたから、文次郎くん」
「もそっ。澪さん、流石だ」
「ありがとうございます。長次くん」
ふふ、と澪が笑うと留三郎の顔が引き攣った。
「ーー澪さんは、隠し球が多すぎる。驚かされるばかりだ」
「別にびっくりさせる気はないですよ?」
「当たり前だ」
実は仲良しなんじゃないのか。
留三郎の言葉に続くように、文次郎がツッコミをして来た事にそう思うが、指摘したら喧嘩になるのは目に見えているため口を噤む。
「逆に知らない事なさそうですよね、澪さん」
「そんな事ないですよ、きり丸くん」
色々と物知りなのは、単に前世のよく似た世界の知識があるせいだ。ズルをしているような物のため、自慢する気にはなれない。
「所で物知りな澪さん。もし、明日、お手隙でしたら頼みたい事があるんですけどぉ」
目をパチパチと瞬かせ、きり丸が揉み手のポーズを取り、猫なで声と上目遣いをして澪を見つめてきた。
非常に分かりやすい仕草に、澪は苦笑いする。
「申し訳ありませんけど、明日は朝から用事がありまして。下手をしたら帰りが遅いという事もあると思いますので、アルバイトのお手伝いは無理です」
「えーっ、そんなぁ!」
途端にへにゃんとなる、きり丸の顔。
「どうしたらいいんだ。うっかり、内職二つも引き受けちまった。乱太郎、しんベヱに手伝ってもらうにしても、人手が足りないっ……!土井先生も、出張で朝から居ないって言うし」
「わたし達の予定を無視して、普通に手伝いの数に入れてるって流石だね。きりちゃん」
「内職するのはいいけど、おやつの時間は確保するからね」
頭を抱えるきり丸を前に、乱太郎は分厚い眼鏡越しに何とも言えない眼差しをきり丸へ向け、しんベヱはのほほんと笑っていた。
「…………土井先生も澪さんも、明日は朝から居ない。って事は、二人きりでお出かけですか?」
頭を抱えていたはずのきり丸が、ふと顔を上げてそんな質問をしてきた。見ると、何やら面白くなさそうな拗ねた顔をしている。
「……遊びに行くわけじゃないですし、二人きりでもないですよ。一緒には出かけますけどね。お仕事です、きり丸くん」
ほんの少し唇を尖らせている、きり丸の幼げな面差しが可愛らしくて、ついつい、澪は軽くきり丸の頭を頭巾越しに撫でた。
極秘裏のため、行き先や目的は言えないが、半助と共に出ていくのは間違えないため仕事だと誤魔化す。
きり丸の瞳は、大人より大きく見える。それは、きり丸が子どもでまだ身体が小さいせいに他ならない。
だが、その目で何かを訴えるような眼差しを向けられた澪は、つい構ってしまう。
「……きり丸くん、ここに埃が」
嘘だ。
だが、そうやって埃を取るフリをして、ぐっと顔をきり丸に近付け、その耳元で小さく囁いた。
「また今度、デートしよう」
ひょっとしたら、六年生には聞こえているかもしれない。だが、きり丸から離れた澪に何かを言う者はおらず、ただ、きり丸だけが先程までとは一転し、照れたように目を細めて僅かに頷いていたのだった。
そんな、澪ときり丸の些細なやり取りを、長次が無言で、ただ、何かに気付いたような様子でじーっと観察していた事に、澪は気付かなかった。
まさかの関白に、屋敷への招待の文を貰った翌日の事。
澪は、早速に学園長へ自身の考えを伝えた。極秘裏に、という学園長の命を遂行するなら、限られた最小限の人数で、しかし、澪一人ではない形で収めようと思った結果である。
警戒心が抱かれにいくい者として、柔和な外見、あるいは見目のいい者を選ぶつもりだ。
六年生なら仙蔵か伊作、五年生なら勘右衛門、兵助辺りになるため、この中から一緒に出掛けても良いと言ってくれる忍たま達について来てもらうつもりだ。
小平太辺りからブーイングが来そうだが、関白殿下ともなれば慎重にならざるを得ない。
澪の考えを聞いた学園長は「そうするがよい」とだけ言って頷いた。澪の考えに何を言うでもなく任せてくれるのは、短い付き合いとはいえ信頼してくれているのか、はたまた学園長の度量の為せる事かは不明である。
「と、いうわけで仙蔵くん、伊作くんのどちらか、あるいはお二人にご同行をお願いできますか?」
所変わって、六年生の忍たま長屋にて。
澪は、部屋にいるという二人を早速呼び出して声をかけた。ひょっとして、プレッシャーから断られるかもしれない。そう思ったが返ってきた反応は違った。
「勿論だとも!」
「えっ、ぼく?不運なのにいいの?!」
二人とも好感触である。そう言えば、伊作は容姿はばっちりだが不運大魔王である事をうっり失念していた。しかし、不運だからやっぱり無しね、とは最早言えない空気だ。その返答こそ、不運その物になる。
「澪さんが、まさかこのわたしを名指しで選んでくれるとは。ありがとう、素晴らしい機会だ。最善を尽くすと約束する」
「ぼくが関白殿下の御屋敷に行くなんて……こんな日が来るなんて、こんな事あっていいのかな。明日から倍の不運に見舞われても頑張るよ!」
伊作の頑張り所が違うと思ったが、まぁ良しとしよう。
「えっと、それじゃあお願いします」
「待ったあああっ。わたしも行く、行きたい!屋敷には入らずとも、万が一の備えとして外で待つぞ!!」
早々に同行メンバーの二人が決まった、と思った傍から小平太が現れた。宿舎の中庭でこっそり集まって話していたのだが、部屋の中で聞き耳でも立てていたのか、障子戸をぶち壊す勢いで部屋から現れた小平太に、思わず目を丸くする。こんな時に、同室の長次は不在のようだ。
「小平太がついて行くと、他も来たがるかもしれん。澪さんの考えが水の泡になるから、今回は遠慮しろ。澪さんの考えの通り動くことが、学園長先生のご命令だ」
「そうだよ、小平太。心配な気持ちは分かるけどさ」
「ぐぬぬ……、納得がいかーん!何故そこの二人なんだ澪さん。伊作なんて、不運大魔王じゃないか!!」
仙蔵と伊作に窘められる小平太。悔しそうな顔をしているが、澪は苦笑いしつつ小平太に考えを説明した。
「単に、どちらかと言うと相手に警戒されにくい容姿の方に声をかけたんです。仙蔵くんは貴族に好まれそうな整った外見ですし、伊作くんも優しそうでしょう」
「がーん」
がーん、と口にした通り背中に暗いものを背負って俯く小平太。
「えっと、小平太くんも元気で可愛いですよ?でも今回はちょっと違うかなぁって思ったというか、これじゃない感があったと言いますか」
「澪さん、そのフォローは傷口に塩を塗りこんでるだけだと思うよ」
伊作の言う通り、澪の発言のせいで小平太は益々落ち込んでいるようだった。深海魚が周囲を泳ぐ幻が見えるよう。いつもは元気溌剌なのに、今は海底にいるようだ。
「……なら、お土産を買ってきてくれ」
ややあって、ポツリと小平太が呟いた。
「わかりました。美味しい物を買ってきます」
「それと、今度、男装姿じゃない澪さんと二人で京に行きたい」
「どさくさに紛れてそれはズルいから、駄目だよ小平太」
ニコリ、と笑顔の伊作がストップをかけた。途端にムッ、とする顔の小平太。
「人気者の澪さんを独り占めするのは、至難のわざということだ」
ふふ、と仙蔵が面白がるように笑っていた。途端に、太い眉をぎゅうっと寄せる小平太を前に、澪は苦笑いしたのであった。
同行者となる上級生二人を確保した後、澪は授業終わりを待って半助の所を尋ねた。要件は当然ながら関白殿下の屋敷への訪問の付き添いを頼むためだ。あくまでも、念の為に一緒に来てもらう。
予定が合わなければ、伝蔵に頼むつもりである。外での待機要員を想定しているため、教師は正直二人の内、どちらでもよかった。半助が一緒に行くと申し出てくれたので、その言葉に甘えて仕事部屋に一人でいるのを訪ねて声をかけた次第だ。
「ーーと、いうわけで念の為に付き添いを半助さんにお願いしたくて」
「勿論だよ。屋敷の外で待つ件も了解した」
「ごめんなさいね」
「むしろ、嬉しいくらいだ。緊張もするけどね。仙蔵達も喜んでいただろう」
「そうだけど、何で?荷が重いって断られても仕方ないかもって思ってたのに」
意外な二人の反応を思い出し、その口にすると半助がふふ、と笑った。
「確かに荷が重い。けれど、忍びたる者、何時何処へでも潜入できるようにならなくては。とはいえ、流石に高位貴族の屋敷ともなると早々無い機会だ。作法の勉強にもなる。仙蔵や伊作からすれば、学園の授業ではまず与えられない忍務だ。澪さんに感謝こそすれ、嫌がるなんて事はないよ」
「はぁ、そういうものなのね」
小平太の落胆ぶりも頷ける話である。
「ふふ、わたしが行くとなると山田先生も悔しがるかもしれないな。屋敷に入らないとはいえ、関白殿下に関する事なのだし」
「手紙を見て二人とも固まってたくせに」
「そりゃあね。会話の流れからして、ひょっとしてかなりの役職の公家なのかと推察はしていた。もしかして昇殿を許された公家ーー堂上家に名を連ねる家格の人かも、とかね。でもまさか、関白殿下とは。それも手紙は澪さんに宛てた内容だし」
「わたしもよ。て言うか、なんで町中に関白殿下がいるのって思ったもん」
「お忍びだったなら、別におかしくはないよ。ただ、驚きがあるとすれば澪さんに本名を教えて、正体を明かしている事だ」
半助の指摘は澪も同じく思う所である。昨日はそうした話はあまりしなかったが、半助の考えを知りたくて尋ねた。
「半助さんは、どう思う?」
「……さぁね。高貴なお方が自身の地位を私的な事で明かすというならば、それ相応の利益が見込まれるか、そうでなければ損得勘定抜きになりふり構わず、という事だね。今回の場合、わたしは後者なのではと思う」
半助の考えのとおり、澪も手紙の文面や状況から、そうした空気を感じた。
「だから、昨日の推測でいくと、関白殿下は澪さんの母君と何らかの繋がりがあって、澪さんを調べるために引き寄せたい可能性がある。下男として雇いたい、と言ったという事は庇護下に置いておきたいのだろうし」
「うーん、それなのねぇ。でも、仮にわたしの母上が女房とかだったとして、そこまで関白殿下が必死になる理由に首をかしげちゃうのよね。やっぱり」
「そこは殿下本人に確認しないと、どうにも分からない所だね」
会って直接確認するしかないーーこれに尽きる。
「鉄は熱いうちに打てとも言うし、予定を合わせてささっと行くしかないわね」
「授業の調整は何とでもなる。澪さん達に合わせるよ」
「一年は組の授業に影響が出るんじゃ……」
「そこを上手くやり繰りするのも教師の仕事のうちだ。それができなければ、学園長先生の思いつきに付き合ってられない」
それもそうか。学園長の思いつき、という忍術学園あるある番狂わせに巻き込まれるのは、何も生徒に限った話ではない。むしろ、仕事のある教師の方が大変であろう。
「それじゃ、お言葉に甘えようかな」
「うんうん。甘えて甘えて」
柔らかく優しい声音で言われると、まるで自分が子どもにでもなった錯覚を覚える。それは、半助が忍たま一年生を担当しているせいか、はたまた子守りが堂に入っているせいか。
一瞬だが、合戦場で心が疲れた時に半助に甘えた事を思い出してしまう。
そのせいか。
「……半助さん。今回の一件で、また疲れたら甘えていい?」
「……っ、あぁ、い、いいともっ。そ、そしたら、わたしも甘えていい?」
またあの時みたいに、甘えたくなってしまい半助に頼むと逆に頼み返された。
見ると、半助は上目遣いになっており、犬の耳と尻尾の幻が見えそうである。甘えたり、甘えられたり。互いが互いを甘やかすーー何だかおかしな、だが、嫌ではなくむしろ心地いいと感じる関係は、きっと半助の人となりのなせる業なのだろう。
立派な大人の背の高い男性のはずなのに、柔らかく優しく相手に警戒心を抱かせない雰囲気は、時には懐に入り探りを入れる忍者ならではか。はたまた生来からの物なのか。
「それは今?それとも後?」
「……どっちもがいい。山田先生は暫く戻ってこないから」
「ふふ、甘えん坊さん」
今と後、二回も甘えたいと小さな声で、だが、しっかり要求する半助に、澪は笑って手を広げた。すると、待っていましたとばかりに半助が、嬉しそうにしつついそいそとやって来る。
頭巾からのぞく髪の傷みが、マシになってきたように見えた。そっと前髪に軽く触れると、髪質が前よりよくなっている事が分かる。
「言っておくけど、わたしがこんな風になるのは澪さんのせいだもん。あ、膝枕もしてほしいな」
「えー……いやいや、そんな事ないでしょ。はい、膝枕」
半助がわざと子供っぽい口調で話すのがおかしくて、笑いながら膝枕をすると「やった」と喜んで半助が頭を膝に乗せて来た。満足そうに笑っている。
「んー、最高だなぁ」
そんなに膝枕が気持ちいい物だろうか。とはいえ、するのはいいがされるとなると流石に抵抗がある。大体、成人男性の膝枕、ましてや、現役忍者の膝は硬そうである。小平太も嫌がっていたのを思い出した。
「……そう?」
「そう!こんないい枕は売ってないよ」
「ふふ、なぁにそれ」
大真面目に言う半助に思わず笑ってしまう。
「そう言えば、もうすっかり胃の調子はいいの?」
「あー……まぁね。は組の教科の点数がもっとよくなれば。せめて、乱太郎、きり丸、しんベヱがわたしの話の半分でも記憶してくれたら胃痛なんてなくなるのに」
半助の顔が途端に憂いを帯びた。ご苦労な事である。
「だから、澪さんの授業の話を参考にしようと思ってるんだ。教えてるだけじゃ、集中力が切れちゃう事もあるだろうから、時折質問して子ども達に考えさせたり、名指しで当てたりするのを前よりもっと積極的にしてみようって」
「そっか。偉いね、半助さんは」
よしよし、と頭を撫でる。気持ちよさそうに、半助が目を閉じた。整った顔立ちだな、と思う。スっと通った鼻筋に、凛々しい眉、シャープな顎、首は男らしく太い。間違いなく、現代日本でも通用するモテる男の顔だ。
そんな澪の視線を感じてか、半助がそっと目を開けた。
「所で澪さん。関白殿下とは男装の姿で会っているんだよね。本当の性別を明かす気はあるかい?」
「うーん。無理に隠すつもりもない、くらいかな。こっちからは、言う気はないけど女かと聞かれたら、嘘をつくつもりはないかしら」
屋敷を尋ねる際は、男装の姿の予定だ。あちらは、伝助を指名しているのだし。ただ、澪の男装は鉢屋三郎の変装程には完璧ではない。気付く者には、男装していると分かってしまう。関白殿下が、どこまで見抜いてくるか次第だが、女かと問われればその通りだと答えるし、何故男装しているのかと問われれば、変な輩に絡まれるのを防ぐために用心していたと、嘘偽りなく答えるつもりでいた。
澪の考えを聞いた半助が、きゅっと、眉根を寄せる。
「澪さん、ないとは思うけど無体な事をされそうになったら全力で逃げるんだよ」
「勿論。とはいえ、大丈夫だと思うわ……何となくだけど」
関白殿下から嫌な感じはしなかった。無理強いするなら、それこそ澪を無理やり連れていく事だってできたはずなのに、あえて手紙という不確実な方法で呼び出す事といい、悪辣な感じはしなかった。
「手紙を託すのって、結構な博打だと思うのよね。わたしが文字を読めるとも限らないし、大体、手紙の内容を疑って相手にしない可能性もある。悪用される危険性も。そういう細かい事を全ておいて、手紙を使う時点でわたしに無体を強いる可能性はだいぶ低いと思うのよ。特権階級の方々からすれば、わたし達みたいな平民は塵芥みたいに思ってる場合もあるのに、酔狂というか丁寧というか……だから、勘だけど大丈夫だと思うの」
きっと、半助は澪を心配してくれているのだろう。そう思うと、何だか擽ったいような気持ちになって、誤魔化すように半助の傷みがマシになった頭巾からのぞく、前髪をそっと撫でた。
半助はというと、そんな澪の手を心地よさそうに受け入れつつ、真摯な眼差しで告げる。
「何かあっても、わたし達が居るからね。澪さん」
一人ではない。
それは、澪がこの忍術学園に来て感じる所だったし、理解してもいた。だが、半助が真面目な顔で澪を見上げて言う、その言葉に一瞬だけ何故だかドキッとした。
「わかってる。ありがとう、半助さん」
にこり、と澪は半助に笑顔で頷く。心臓を僅かに跳ねさせた気持ちを深く追求する事はなかった。
ーーそれから、伝蔵が戻ってくる少し前に半助の甘える時間は終了した。起き上がった半助は、すっかりご機嫌で戻ってきた伝蔵が、そんな半助を何やら不思議そうな顔で見ていた。
全員の予定を擦り合わせた結果、関白殿下の屋敷に訪問するのは三日後となった。
休日が来るのを待たずしての訪問のため、半助は出張扱いになり、当然ながら教科の授業は休みの運びとなった。本人は一切気にした様子がないとはいえ、少しばかり申し訳ない気持ちになる。
それに、通信手段が手紙のこの時代、すれ違いだって有り得るため、関白殿下が屋敷にいる事を祈るばかりだ。
関白殿下の屋敷に訪問する面子が決まった結果、文句を垂れたのは小平太だけではなかった。五年生は六年生達の手前、不平不満を口にする事はなかったが、文次郎は残念そうな様子だったし、留三郎は俺の方が武闘派なのにと地味に落ち込んでいたし、長次は無言で俯いて何を考えているかは分からなかったが、気の所為かどんよりしていた。
その素直な様子を見ると、矢張りと言うか未だ十代の少年なんだな、と改めて感じる澪である。
何はともあれ、三日後には京へと向かう事になる。関白殿下と会って話すタイミングによっては、翌日に学園に戻ってくる可能性も十分に有り得る。
あるいは、野宿をする事も想定しなくてはならないだろう。とはいえ、梅雨が未だ開けていないので、夜の雨を避けるためにも野宿は勘弁願いたい所である。
関白殿下の屋敷を訪問するまでの間、特に何か変わった事をするでもなく、澪は勿論の事、訪問するメンバー全員がいつも通り、学園での日々を送った。
そして、関白殿下の屋敷を訪問する前日の午後の事。澪はきり丸からの頼みもあり、好評だった歴史の授業の続きを行った。
放課後は委員会活動か、さもなければ銭儲けのアルバイトに勤しむ、鬼のアルバイターきり丸からのお願いを聞かない理由は無い。
澪の初回の授業を受けた子達から受講者は更に増え、放課後の一年は組の教室は満員御礼になった。
「……えっと、今日は長次くん、留三郎くん、文次郎くんが居るんですね」
「もそっ。宜しく頼む」
「今日は用具委員会に修理の依頼もなかったからな。運良く来れた」
「前回、仙蔵から話を聞いてな。邪魔はせんから、普通にしてくれ」
あくまでも、きり丸の好奇心を満たすための物のはずが、ギャラリーが増えてまるで大学の講義のような有様になっている。
とはいえ、二回目のため最初の時よりは落ち着いて授業が出来そうだ。
ちなみに、前回参加していた小平太、伊作、仙蔵は本日は用事のため欠席である。五年生も今日は来ていない。八左ヱ門は前回も来れなかったので、次こそはと息巻いていたが、そちらもお休みである。
ーーないとは思うが、犬猿コンビが喧嘩を始めたら文字通り叩き出そう。そう静かに決意しつつ、澪は二度目の授業を始めた。
前回は乙巳の変、またの名を大化の改新までやったので、本日はその続きからだ。ちなみに、平安京時代最盛期までを予定している。補足として、貴族の位の事も盛り込む予定だ。
近く、関白殿下の屋敷にも行くので澪からすると、ホットな話題とも言えよう。もっとも、子ども達にその事を実際に話す事は出来ないが。
「えー、では。今日は乙巳の変から平安時代までします。ついでに、後々のためにもなるので貴族の位についてなんかも、少しお話ししますね」
この世界の歴史は概ね、澪の生きていた過去の世界と同じだ。大陸から取り入れた律令制度により、天皇を中心とする中央集権が飛鳥時代に成立し、遣唐使を廃止後は平安時代に貴族文化が花開き、貴族達の栄華がピークに達する。だが、平安末期に武家が台頭し、最初に頂点に立った武家の一族の滅亡後、鎌倉幕府が成立する。
今、澪のいる世界は世は戦乱だが、室町幕府が滅亡していないため、室町時代末期と言える。澪の知る前世の記憶は更にそこから先の未来となるため、子ども達に教えられるのは室町時代末期までの話となるが、歴史とは教養であると同時に、現在に繋がる知識にもなる。
例えば、国同士の中が悪いのは歴史的な経緯がある場合、戦の流れを読むのに役立つ。とはいえ、下克上の世では世を見る要素の一つにしかなり得ない。室町時代末期はそれ程に、国の移り変わりが激しいのだ。
かつて、幕府によって守護や地頭に任じられた由緒ある家柄であっても、成り上がりによって滅ぼされる。
そこに一向一揆等の寺社勢力も加えると、更に話はややこしくなる。
四方を海に囲まれており、外的脅威なんて元寇以来なかった日本は、のほほんと内輪で争っていたせいで、誰が本当の権力者か、わけの分からない事になってしまっているのだ。
最初の権力者であったはずの、天皇と貴族は今や困窮し、幕府ですら征夷大将軍が都を追われる事すら珍しくなく……。
戦国時代と聞こえはいいか、簡単に言うとトップが事実上不在状態のため、下が勝手にドンパチして抗争が止まらないのが実情である。
澪の歴史の最終的な着地点は、忍たま達にも今のままの日ノ本ではいけないという、当事者意識を少しでいいから持ってもらう事だ。
そして、そうした目で主君を選んでもらえれば、彼等の生存率が上がると思っている。
忍者と言えば、格好いいと思うかもしれないが、所詮は使い捨てにされる諜報員の一人でしかない。忍ぶ者、と言われる彼等は基本的には歴史に名前を残さずに消えていく、そういう切ない存在なのだ。
無論、だからといって意味の無い存在なのではなく、むしろ、だからこそ、そうした彼等の目に見えない働きが大事で、時には天下を動かす事だってあるのだろうと、澪は思う。
今、一見すると関係ないように思える澪の教える歴史の授業も、少しでも彼等のためになるなら、と言う思いが少しずつ込められていた。
なるほど、教師とはこんな気持ちなんだなぁ……と、プチ先生気分を味わってみたり。半助が、胃痛に苛まれながらも一年は組を大事にする理由が分かろうというものである。
「……では、今日はここまで。分からない事や、質問したい事はありますか?」
澪は歴史の概略を語り、細かい部分はすっ飛ばしている。別に、テストをして習熟度を測るつもりがないせいでもあるし、あくまでも補完的な授業に徹しているためだ。
とはいえ、切り口が違う授業のおかげか、途中、居眠りしたりする子もおらずに本日も無事に終了した。長次をはじめ、上級生達も最後まで聞いてくれた。
「澪さん、今日もありがとうございます」
「意外と歴史って面白いっす」
「ぼく、今度、図書室で何か歴史の本を借りようかな。中在家先輩にオススメの本を教えてもらおうっと」
乱太郎、きり丸、しんベヱの三人に授業終わりに早速声をかけられた。三人だけでなく、後ろの方で話を聞いていた六年生達三人も前にやって来る。
「澪さんっ。知っている事も多かったが、中々聞いていて楽しい授業だったぞ」
「わたしは、官位の話が面白かった……もそ」
「着眼点が澪さんらしかった。変わっているというか、そう来るかというか。良ければ、また聞かせてくれ」
図書室には、歴史書も当然ある。それらを読めば、澪の授業なんて聞いても、つまらないのでは?と思うが、褒められて悪い気はしない。
「澪さんなら、南蛮とかの異国の歴史にも詳しかったりして」
うふふ、としんベヱが笑ってそんな事を言った。なので、何の気なしに返事をする。
「……まぁ、少しなら知ってますよ」
中国の歴史は日本にも伝わっているので勿論の事、南蛮人から聞き出して、それこそ彼らが今も誇りに思う古代ギリシア文明やローマ帝国の事等も知っている。
と言うより、前世の世界の歴史との擦り合わせのため、そりゃあもう色々と聞き出して照合しているので、世界史ならばおそらく、このなんちゃって戦国時代の日本では結構な物知りではと思うくらいに知っている。
よく似た世界の前世知識チートを爆発させたら、それこそ宇宙誕生の歴史からスタートできたりするが、流石にそこまで同じか検証不可なうえ、トンデモぶっ飛び話のため口にはしない。
「「……は?!」」
「……もそ?!」
澪の返事に目を真ん丸にして驚いたのは、六年生組である。文次郎と留三郎は、普段は犬猿の仲なのに、こんな時だけ仲良く反応が揃っている。
「待て待て。南蛮の事に詳しいのは、知ってはいたが歴史まで知ってるとは本気か?」
「細かくは知りませんからね。大まかに一通りですよ、留三郎くん」
「そんな話、聞いてないぞ」
「聞かれませんでしたから、文次郎くん」
「もそっ。澪さん、流石だ」
「ありがとうございます。長次くん」
ふふ、と澪が笑うと留三郎の顔が引き攣った。
「ーー澪さんは、隠し球が多すぎる。驚かされるばかりだ」
「別にびっくりさせる気はないですよ?」
「当たり前だ」
実は仲良しなんじゃないのか。
留三郎の言葉に続くように、文次郎がツッコミをして来た事にそう思うが、指摘したら喧嘩になるのは目に見えているため口を噤む。
「逆に知らない事なさそうですよね、澪さん」
「そんな事ないですよ、きり丸くん」
色々と物知りなのは、単に前世のよく似た世界の知識があるせいだ。ズルをしているような物のため、自慢する気にはなれない。
「所で物知りな澪さん。もし、明日、お手隙でしたら頼みたい事があるんですけどぉ」
目をパチパチと瞬かせ、きり丸が揉み手のポーズを取り、猫なで声と上目遣いをして澪を見つめてきた。
非常に分かりやすい仕草に、澪は苦笑いする。
「申し訳ありませんけど、明日は朝から用事がありまして。下手をしたら帰りが遅いという事もあると思いますので、アルバイトのお手伝いは無理です」
「えーっ、そんなぁ!」
途端にへにゃんとなる、きり丸の顔。
「どうしたらいいんだ。うっかり、内職二つも引き受けちまった。乱太郎、しんベヱに手伝ってもらうにしても、人手が足りないっ……!土井先生も、出張で朝から居ないって言うし」
「わたし達の予定を無視して、普通に手伝いの数に入れてるって流石だね。きりちゃん」
「内職するのはいいけど、おやつの時間は確保するからね」
頭を抱えるきり丸を前に、乱太郎は分厚い眼鏡越しに何とも言えない眼差しをきり丸へ向け、しんベヱはのほほんと笑っていた。
「…………土井先生も澪さんも、明日は朝から居ない。って事は、二人きりでお出かけですか?」
頭を抱えていたはずのきり丸が、ふと顔を上げてそんな質問をしてきた。見ると、何やら面白くなさそうな拗ねた顔をしている。
「……遊びに行くわけじゃないですし、二人きりでもないですよ。一緒には出かけますけどね。お仕事です、きり丸くん」
ほんの少し唇を尖らせている、きり丸の幼げな面差しが可愛らしくて、ついつい、澪は軽くきり丸の頭を頭巾越しに撫でた。
極秘裏のため、行き先や目的は言えないが、半助と共に出ていくのは間違えないため仕事だと誤魔化す。
きり丸の瞳は、大人より大きく見える。それは、きり丸が子どもでまだ身体が小さいせいに他ならない。
だが、その目で何かを訴えるような眼差しを向けられた澪は、つい構ってしまう。
「……きり丸くん、ここに埃が」
嘘だ。
だが、そうやって埃を取るフリをして、ぐっと顔をきり丸に近付け、その耳元で小さく囁いた。
「また今度、デートしよう」
ひょっとしたら、六年生には聞こえているかもしれない。だが、きり丸から離れた澪に何かを言う者はおらず、ただ、きり丸だけが先程までとは一転し、照れたように目を細めて僅かに頷いていたのだった。
そんな、澪ときり丸の些細なやり取りを、長次が無言で、ただ、何かに気付いたような様子でじーっと観察していた事に、澪は気付かなかった。
