第10話 ドッキリドキドキ大作戦
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ドッキリドキドキ大作戦。
それは、学園長によって名付けられた上級生忍たま達による対一年生へ向けた恐怖のイベント。もとい、幽霊騒ぎを指す。
決行当日の夜のこと。
食堂の手伝いを済ませた後、日が沈み辺りがすっかり暗くなった頃、澪は忍たま上級生達より作戦の全貌の説明を聞いてから、手出し無用の条件の元、指定された待機場所に気配を殺して隠れていた。
ちなみに待機場所は、上級生達が多く隠れ仕掛けを施した訓練場の近くにある木の上だ。
日中、忍たま達が手裏剣投げや火縄銃の練習をする場所はすっかり暗くなっている今、忍たま達が実技の授業をする時とは打って変わって、闇と静けさが支配している。
余程に差し迫った事態にならない限り、澪が動くのは厳禁だ。当たり前と言えば当たり前だ。何せ、ここは夜とはいえ忍術学園の敷地内なのだから。先日に仕事をした合戦場ではないのだし、早々危険な事は無い。
なお、他の学年の忍たま及びくのたま達へは、夜中に騒ぎがあっても上級生による対一年生の特別実習のため、出てきてはいけないと教師を通して通達されているので、邪魔は入らない。
ドッキリドキドキ大作戦の内容は次の通り。
まず、決行日の午後に勘右衛門と兵助が一年生を何人か捕まえて適当に雑談をする。そこへ、伊作と文次郎が声をかける。夜中に不思議な光を見たから、その正体を探るので一緒にどうか……と。
そして、暗くなってから勘右衛門と兵助が一年生忍たま長屋の傍で光を見たと言って、一年生全員を長屋の外へ誘い出す。勿論、一年生忍たま長屋の辺りで実際に怪しい光を作り出して口実を用意する。何でも、仙蔵が火薬を使って簡易の人魂のような炎を数秒だけ灯す細工を用意したらしい。流石である。
その後は、伊作や文次郎が一年生を連れた勘右衛門達と合流して……あとは、他の上級生が仕掛けを施し待ち構える場所まで一年生全員を引きずり出す。
そしたら、後は待ってましたと幽霊に扮した上級生達が登場する。
その際、伊作と文次郎は混乱に乗じて姿を消し、兵助や勘右衛門は共に驚きつつも、倒れたフリをして一年生を更なるパニックに陥れるという仕掛けだ。
そして程よく騒いだ後で、一年生へネタばらしとなる。
幽霊役は複数居て、澪も少し見たのだが仙蔵は長い髪の女の幽霊、落ち武者の幽霊には留三郎等、中々に凝っていた。しかも、皆んなノリノリだった。おそらくは、いざやるとなると楽しくなって来たのだろう。まるで、文化祭のようである。
「おや、澪さん。貴女も居たんですか」
木の上で待機していると、聞き覚えのある声に話しかけられた。見ると、安藤と厚着が澪と同じ木の、しかし、より高い位置にある太い枝の上に居た。
「……手出し無用を条件に、見ていて良いと言われたので」
「成程。実は、我々もだ。今日、思い切って見学したいとお願いしたら、上級生達に潜伏場所を指定されてな。土井先生達も近くの別の木に居る」
どうやら、一年生は教師達による見守りがつく形になったらしい。何だかんだ、教え子が気になるのだろう。
「……どうやら、来たようですな」
ポツリ、と安藤が呟くのと演習場にぞろぞろと忍たま達が姿を表したのはほぼ同時だった。
「こっちの方に、光が飛んで行ったように見えたんだけど」
勘右衛門の声がする。手には松明を持っており、暗闇を炎で照らしている。近くには兵助や伊作、そして文次郎がおり、そちらも全員松明を持っていた。一年生達は何も持っていない。どうやら、代表して上級生が松明を持っているらしい。
すると、演習場の奥に炎が突如として灯る。その色は緑だ。火と言えば赤をイメージしていると、ぎょっとさせられるが炎色反応の原理を知っていれば、赤以外の色を発して火が燃える事なんて分かりきった話である。
緑の炎は数秒だけ現れて、忽ち消えるーー知らなければ、それは人魂に見えるだろう。
途端に、一年生達から「人魂だ!!」と、動揺する声が上がる。
「皆んな、落ち着いて!ぼく達が居るからっ」
「待っていろ。オレ達があの人魂の正体を突き止めてやる!!」
伊作と文次郎の声がした。一年生の誰かが「ぼく達もお供します!」と言う声が聞こえたその瞬間。
「うーらーめーしーやー」
「くーちーおーしーやー」
と、おどろおどろしい声がして、緑の炎が灯り、それと同時に上級生達が持っていた松明の火は全て一瞬で消えてしまう。
代わりに現れたのは、幽霊に扮した上級生一同だ。
直後、現場は一年生の阿鼻叫喚の渦に包まれる。
死装束を纏った女の幽霊に扮した仙蔵、鎧姿の合戦で死んだ兵に化けた留三郎達。時たま暗がりから、真っ赤な手が現れて一年生の身体に触れては消える。
一瞬で真っ暗闇になる中、一年生から大きな悲鳴と動揺の声が上がっていた。勘右衛門と兵助の驚いたような声もしたが、一年生達の方が声も大きいし数が多い。
「うわぁぁーー!血が、血がっ!!」
「幽霊が出たぁああっ」
「せんぱーい!!」
「尾浜先輩達が、気絶してる!」
「潮江先輩達がいなくなった。幽霊に攫われたんだー!」
一年生達は必死だ。泣き叫ぶ者がいたり、逃げようとする者がいたり、何故かその場で正座して般若心経を唱え出す者まで様々だ。確かに何も知らないと相当に怖い。
頼りになるはずの上級生達は一部が気絶し、残りは姿を眩ませた。そこへ、トドメの幽霊達である。
一年生達の恐怖は増すばかりであろう。
「うわぁあーー!!」
「伝七が居なくなったっ。きっと呪われたんだァー!!」
……多分、一年い組の黒門伝七は綾部喜八郎の掘った穴に落ちたのだろう。演習場には幾つか落とし穴があるようで、パニックになって走り回った一年生の一部が見事にハマっていた。
「うわぁーん、怖いよぉおお!」
「うわぁーん、しんベヱの鼻水がついたぁ。気持ち悪いよぉおお!」
「うわぁーん、オレの服にもついたぁ。これ一枚しかないんだぞぉ!」
間違いなく、しんベヱ、乱太郎、きり丸であろう声とセリフであった。ぎゃあぎゃあわぁわぁ、騒がしさがピークに達している。
見ると、恐ろしさのあまり失禁こそしていないが気絶してる子までいた。
すると、全員が恐怖の余りに集団パニックになったのが合図だったかのように、女の幽霊の姿をした仙蔵が大きな声を発した。
「それまで!!」
どうやら、終わったらしい。気絶したフリをしていた勘右衛門に兵助が起き上がり、姿を消していた伊作と文次郎が戻ってきた。また、幽霊のフリをしていた上級生達も、顔を見せて正体を明かす。
再び松明の火が焚かれ周囲を照らすと、涙と鼻水まみれになった一年生達の姿が見えた。
ちょっと、否、大分気の毒である。特にろ組とは組が。
「ひ、酷いですぅ。先輩達、わたし達を騙すなんて」
震える乱太郎の声がした。よっぽど怖かったのだろう、スン、と鼻を啜っている。
「ごめんね、乱太郎。でも、これも君たちの勉強のためなんだ」
伊作が優しい声で謝りつつ、大事な事を伝える。しかし、怖かったらしい一年生達からは「酷い」「なんでこんな事を」と、次々とブーイングが炸裂した。
「喧しいっ!」
まさに一喝。
文次郎の大きな声が辺りに響くと、一年生がピタリと静かになった。
「どんな理由があるにせよ、忍者は騙す事はあっても騙されてはならん。今、まさにお前達はオレ達から騙されたわけだが、何故、そうなったのか分かるか?」
それは静かな文次郎からの問いかけだった。シン、と水を打ったように静かになる一年生一同。先程まで、阿鼻叫喚の様相を呈していたのが嘘のようだ。
「えっと、先輩達の迫真の演技のせいかと」
「うむ。団蔵、褒めてくれるのは嬉しいが、忍者たるものこの程度の芝居はできて当たり前だ。だから、オレ達の演技が原因ではない。根底にあったのは、お前達の恐怖心だ。幽霊がいると錯覚したのは、お前達が自分自身の抱く恐怖に囚われたからに他ならない」
団蔵の発言に文次郎が答えると、一年生達は全員顔をを見合わせていた。そこへ、仙蔵が補足で説明を加える。
「ようは、お前達は我々に恐れの感情を利用されたのだ。忍者の三病の一つでもあるが、恐れが過ぎれば騙されて利用される。これが罠なら、皆、下手をすれば死ぬ事も有り得るというわけだ。理性的に考えれば、幽霊は居ない。だが、こうして、いざ脅かされたら、幽霊は居るのではと想像して混乱してしまう。恐れの大半は心の問題だ。あれこれ考えず、冷静になって現実を見る必要がある。心は熱くても、頭は冷静にーー忍の基本だ」
仙蔵の言葉は、どうやら一年生に伝わったらしい。皆、うんうんと頷いたり、腕を組んで考える仕草をしていたりと、さっきまで文句を言っていたのが嘘のようだ。
「忍者の三病は恐怖を抱くこと、敵を軽んじること、そして思案を過ごす……つまりは考え過ぎることだ。これら全て、目の前の事実が冷静に見えていないから、起こることなんだ」
「伊作の言う通りだ。特に一年い組には心当たりがあるんじゃないのか」
伊作の台詞に乗っかるように、小平太が一年い組をチクリと刺す一言を発した。途端に、バツの悪い顔をするい組達。何故か、澪の近くにいる安藤と厚着まで揃って、小さな声で唸っていた。二人とも渋い顔をしているのだろう。
「皆んな、驚かせてごめんねー。でもさ、七松先輩の言うようにここ最近の一年い組は酷かったから、これを機に改めていくといいよ。ろ組とは組も、いい勉強になったろ?」
「身をもって知った今夜以降、お前達ならできるはずだ……もそ」
勘右衛門と長次から、コメントが相次ぐ。先輩達からの叱咤激励の声とでも言うべきか。
一年生達から、反論や文句は無い。皆、それぞれに思うところや、考えるところがあるらしかった。澪が待機する木の上から、様子をじっと観察していると、ふと小平太と目が合った気がした。
澪のいる辺りを小平太が把握しているせいなのだろう。しかし、周囲は暗く光源は上級生達の一部が持つ松明のみであるにもら関わらず、過たず見つけられたようで一瞬だけドキッとした。
「じゃあ、今日はもう解散だ。気絶したり、穴に落ちた一年生はオレ達が何とかしておくからな。お前達はもう寝ろ」
最後に留三郎から指示があり、お開きとなった。一年生忍たま達は皆んな、あれこれ話しながらも長屋の方へ戻っていく。上級生達は片付けと言った所か。
「無事に終わったようですし、わたし達も戻りますか」
安藤は、ドッキリドキドキ大作戦を見て、どう思ったのだろうか。少し気になったが、締めくくりの言葉を言われてしまっては、今日はもう引くしかない。
後の事は上級生達に任せて、この場を後にしようとした時だった。
「ーー澪さん。明日になっても、い組の態度が変わっていないようなら、わたしがあの子達を本気で叱ります。今宵の特別授業を経ても何も分かっていないようなら、忍者としてこの先やってはいけませんので」
暗闇のため、顔はほとんど見えなかったが何かを決意したような声音で安藤が言った。その言葉に澪が目を瞬くのと、安藤が厚着と共にその場を去るのはほぼ同時だった。流石は教師、動きが早い。
演習場では、気絶してしまった一年生忍たまを起こしたり、穴に落ちた生徒を助けたりと上級生達が働いている。手伝いたい所だが、手出し無用は無論、終わった後の片付けまでも含めての事だ。
澪も静かに姿を消そうとしたーーその瞬間。
「やっぱり、ここに居たんだね」
木が軽く軋み、枝が揺れる音がしたと思ったら、さっきまで安藤達がいた所に半助が居た。
「半助さん……、どうしてここへ?」
「いや、澪さんの事がちょっと気になってね。何にも無いならいいんだよ」
ひょっとしたら、昼間の事もあって気を遣ってくれたのかもしれない。澪に背を向け、来た時と同様に去ろうとする半助に、気がつけば声をかけていた。
「待って。もしも、半助さんさえ問題無いなら、少しだけ場所を移して眠たくなるまで、適当に話さない?」
木の上では落ち着かないので、そう提案してみた。普段なら就寝している時間なのだが、今日はもう少し起きていたい気分だった。眠たくなるまで針仕事でもしていようと思ったのだが、半助さえ嫌でないなら何でもいいので話したかった。
断られたらそれでもいい。そんな軽い気持ちだった。
「勿論だよ。澪さんの好きなだけ付き合うよ」
半助から返って来た回答は、気の所為でなければ心持ち声が弾んでいるように感じる物だった。嫌がるどころか、嬉しそうだ。ひょっとして、半助も直ぐに寝ようという気分ではなかったのかもしれない。
そんなわけで、半助からの了承が貰えたので場所を木の上から、食堂へと移した。夜の食堂には誰も居ないため、軽く湯を沸かしてお茶をいれた。お茶は焙じ茶である。
「どうぞ、半助さん。夜までお疲れ様」
「澪さんこそ、お疲れ様」
「わたしは、気になって見ていただけよ」
「わたしもさ。放っておいてもよかったんどけど、い組の先生方が見に行くと言うから、は組だけ何もしないわけにもいかないからね。それに、事故が絶対に起こらない保証はないし」
お茶を啜りつつ、会話が始まる。光源はテーブルの上に置いた灯明皿が灯す、僅かばかりの火と窓から仄かに入ってくる月と星明りだ。今日は雨でこそないとはいえ、曇りがちのため外からの光はあまり期待できそうもない。
せめて蝋燭が欲しいが、当然、高級品である。蝋燭は明からの輸入品が大半を占める。国内で質のいい蝋燭を大量生産するには、大量の植物油がいる。あちこち戦をしている日本で、蝋燭のために原料の櫨や漆を大量に生産できるわけもない。
安価に大量に生産するには、石油ーーパラフィンがいる。前世、澪はアロマキャンドルを手作りした事があるので、多少の事は知っているが、なんちゃって戦国時代では何の役にも立たない無駄知識である。
「何を考えてるんだい?」
柔らかく優しい声で半助に尋ねられた。ゆらゆらと揺れる火に照らされているその顔は、整っており男前という表現がぴったりである。
「何も。あえて言うなら、暗いから蝋燭が欲しいなって。でも、蝋燭は高いから。今の世では、原材料を大量に生産する術もないし」
ぽつぽつと、半助に問われるまま思った事を口にする澪。すると、半助は「澪さんらしい」とクスッと笑って頷いた。
「澪さんは、さっきの幽霊騒ぎを見てどう思った?」
「ろ組やは組は気の毒でだけど、い組の子達が明日から少しずつでも、わたしに対して下手に怯えずにいてくれたらと思うわ」
「そうか。優しいね……」
きっと、半助も同じように思っているだろう。そう考えていた澪は続く言葉に驚く。
「わたしは、なんて手温いんだと思ったよ。いっそ、全員気絶してしまうまで、もっともっと怯えさせてもいいと思った」
「えっ。それは、ちょっと過激では」
「ーー今日の昼間の事で、カチンときたからね」
そういう事か。
半助が語る理由に腑に落ちた。
「まぁ、確かに言っていい事と悪い事があるからね。昼間のあの発言はわたしも見過ごせなくて、一言注意しなくちゃって思ったから」
「言っておくけど、わたしが頭に来たのは何もは組の事を馬鹿にされたからだけではないよ。い組の澪さんへの態度が気に入らなかったからだ」
はっきりきっぱりと言われ、澪は目を瞬いた。普段から優しい笑顔を絶やす事のない半助が、今は昼間にあった事を思い出してか、きゅっと眉を寄せて険しい顔をしていた。
「そ、それは……どうも」
何だか、嬉しいようなこそばゆいような気持ちになる。そのせいか、ゆらゆらと頼りない火に照らされている半助の顔を見るのが気まずくなって、テーブルの木目を見てしまう。
「とはいえ、わたしの言う通りやってしまうと、ろ組やは組にはいい迷惑でしかない。結局の所、上級生達のやり方が一番無難な落とし所だったんだろうな。明日以降、せめて少しでも澪さんへの態度がマシになってると良いんだが」
「そうね。でも、一度怖いと思ってしまった物への恐怖って、そんな簡単には変わらないかもしれないし。気長に待つわ。安藤先生も明日になっても何も変わらないなら、怒ってくれるって言ってたから」
安藤の言葉を思い出す。あの言葉に、嘘はないと分かるものだった。だから、あまり心配はしていない。時間は少しかかるかもしれないが、成長するにつれ澪への恐怖はマシになっていく事だろう。
「安藤先生も、忍者の三病の怖さを思っての事だろうね。わたしは、今回の件が離間の計でないから上級生達に事を委ねたけれど、もしこれが敵方からの工作だった場合は、最悪な事になるからね。忍術学園は、澪さんを失ってドクタケに取られるという、結末だって有り得る」
「えっ、ドクタケは流石に……」
「なら、チャミダレアミタケかな。とはいえ、結果は同じだ。学園は澪さんという、人材を失う。そうすると、澪さんを慕っていた者達は、学園に不信を覚えるだろう。そしたら、組織そのものが機能不全を起こしたり、あるいは瓦解する事だって有り得る」
離間の計とは、敵方の組織を弱体化させる計だ。その名の通り、相手の仲を引き裂いたり、あるいは疑心暗鬼にさせるものである。三国志なんかにも、この計略は出てくる。
とはいえ、それは流石に無いのでは、と、ツッコミしそうになるも、澪はチャミダレアミタケの使者が来た時、小平太や勘右衛門が天井裏に隠れていた事を思い出す。
もしも仮に澪が、い組の態度が原因で最終的に学園を辞す事になったら……それは確かに、澪を慕ってくれている忍たま達が、原因に対して敵意を向ける可能性が考えられるわけで。組織の中の人間が、どんな理由であれ喧嘩をしたりいがみ合えば隙が生じる。その隙を狙われたら、いかに忍術学園と言えどもタダでは済まないだろう。
その原因が澪、というのは笑えないが半助の心配はあながち外れていないのかもしれない。
「澪さんが本意でないのに、出ていくような事があったら、少なくとも、一年は組の良い子達は連れ戻しに向かうだろうね。わたしもついて行くだろうし」
ふふっと笑う半助。だが、何故か目が笑ってないように見えた。
「えっ……と、それは、どうも。大丈夫よ、出ていかないわ。と言うか、多分、学園長に退職届け破られるから」
少しばかり照れくさい。その気持ちを誤魔化すように、澪は学園長を引き合いに出した。すると、半助が苦笑いして頷いた。
「確かに、学園長ならやりそうだ」
「そして、その破り捨てられた退職届をヘムヘムが綺麗に片付ける、と」
その様子を想像したのだろう。クスッと、半助が笑った。澪もまたその光景が目に浮かんでクスッと笑う。とはいえ、澪としては退職届を出す予定も出す気もさらさらない。できるものなら、ここに可能な限り長く居たいと思っているのだから。
その後も、何気ない会話は続き、欠伸が出てくる頃まで半助とのやり取りを楽しんだのだった。
暗闇の中、揺れる火の僅かな灯りに照らされ、落ち着いた声音で話す半助との語らいは心地よく、できるものなら二人きりでまたこうした時間を過ごしたいと、口には出さぬが思う程に。
確実に、澪の中に浸透していく土井半助という忍び。その半助が、まさか澪に並々ならぬ恋慕を募らせているとは、思いもせぬままに今日もまた忍術学園での長い一日が終わりを告げたのだった。
それは、学園長によって名付けられた上級生忍たま達による対一年生へ向けた恐怖のイベント。もとい、幽霊騒ぎを指す。
決行当日の夜のこと。
食堂の手伝いを済ませた後、日が沈み辺りがすっかり暗くなった頃、澪は忍たま上級生達より作戦の全貌の説明を聞いてから、手出し無用の条件の元、指定された待機場所に気配を殺して隠れていた。
ちなみに待機場所は、上級生達が多く隠れ仕掛けを施した訓練場の近くにある木の上だ。
日中、忍たま達が手裏剣投げや火縄銃の練習をする場所はすっかり暗くなっている今、忍たま達が実技の授業をする時とは打って変わって、闇と静けさが支配している。
余程に差し迫った事態にならない限り、澪が動くのは厳禁だ。当たり前と言えば当たり前だ。何せ、ここは夜とはいえ忍術学園の敷地内なのだから。先日に仕事をした合戦場ではないのだし、早々危険な事は無い。
なお、他の学年の忍たま及びくのたま達へは、夜中に騒ぎがあっても上級生による対一年生の特別実習のため、出てきてはいけないと教師を通して通達されているので、邪魔は入らない。
ドッキリドキドキ大作戦の内容は次の通り。
まず、決行日の午後に勘右衛門と兵助が一年生を何人か捕まえて適当に雑談をする。そこへ、伊作と文次郎が声をかける。夜中に不思議な光を見たから、その正体を探るので一緒にどうか……と。
そして、暗くなってから勘右衛門と兵助が一年生忍たま長屋の傍で光を見たと言って、一年生全員を長屋の外へ誘い出す。勿論、一年生忍たま長屋の辺りで実際に怪しい光を作り出して口実を用意する。何でも、仙蔵が火薬を使って簡易の人魂のような炎を数秒だけ灯す細工を用意したらしい。流石である。
その後は、伊作や文次郎が一年生を連れた勘右衛門達と合流して……あとは、他の上級生が仕掛けを施し待ち構える場所まで一年生全員を引きずり出す。
そしたら、後は待ってましたと幽霊に扮した上級生達が登場する。
その際、伊作と文次郎は混乱に乗じて姿を消し、兵助や勘右衛門は共に驚きつつも、倒れたフリをして一年生を更なるパニックに陥れるという仕掛けだ。
そして程よく騒いだ後で、一年生へネタばらしとなる。
幽霊役は複数居て、澪も少し見たのだが仙蔵は長い髪の女の幽霊、落ち武者の幽霊には留三郎等、中々に凝っていた。しかも、皆んなノリノリだった。おそらくは、いざやるとなると楽しくなって来たのだろう。まるで、文化祭のようである。
「おや、澪さん。貴女も居たんですか」
木の上で待機していると、聞き覚えのある声に話しかけられた。見ると、安藤と厚着が澪と同じ木の、しかし、より高い位置にある太い枝の上に居た。
「……手出し無用を条件に、見ていて良いと言われたので」
「成程。実は、我々もだ。今日、思い切って見学したいとお願いしたら、上級生達に潜伏場所を指定されてな。土井先生達も近くの別の木に居る」
どうやら、一年生は教師達による見守りがつく形になったらしい。何だかんだ、教え子が気になるのだろう。
「……どうやら、来たようですな」
ポツリ、と安藤が呟くのと演習場にぞろぞろと忍たま達が姿を表したのはほぼ同時だった。
「こっちの方に、光が飛んで行ったように見えたんだけど」
勘右衛門の声がする。手には松明を持っており、暗闇を炎で照らしている。近くには兵助や伊作、そして文次郎がおり、そちらも全員松明を持っていた。一年生達は何も持っていない。どうやら、代表して上級生が松明を持っているらしい。
すると、演習場の奥に炎が突如として灯る。その色は緑だ。火と言えば赤をイメージしていると、ぎょっとさせられるが炎色反応の原理を知っていれば、赤以外の色を発して火が燃える事なんて分かりきった話である。
緑の炎は数秒だけ現れて、忽ち消えるーー知らなければ、それは人魂に見えるだろう。
途端に、一年生達から「人魂だ!!」と、動揺する声が上がる。
「皆んな、落ち着いて!ぼく達が居るからっ」
「待っていろ。オレ達があの人魂の正体を突き止めてやる!!」
伊作と文次郎の声がした。一年生の誰かが「ぼく達もお供します!」と言う声が聞こえたその瞬間。
「うーらーめーしーやー」
「くーちーおーしーやー」
と、おどろおどろしい声がして、緑の炎が灯り、それと同時に上級生達が持っていた松明の火は全て一瞬で消えてしまう。
代わりに現れたのは、幽霊に扮した上級生一同だ。
直後、現場は一年生の阿鼻叫喚の渦に包まれる。
死装束を纏った女の幽霊に扮した仙蔵、鎧姿の合戦で死んだ兵に化けた留三郎達。時たま暗がりから、真っ赤な手が現れて一年生の身体に触れては消える。
一瞬で真っ暗闇になる中、一年生から大きな悲鳴と動揺の声が上がっていた。勘右衛門と兵助の驚いたような声もしたが、一年生達の方が声も大きいし数が多い。
「うわぁぁーー!血が、血がっ!!」
「幽霊が出たぁああっ」
「せんぱーい!!」
「尾浜先輩達が、気絶してる!」
「潮江先輩達がいなくなった。幽霊に攫われたんだー!」
一年生達は必死だ。泣き叫ぶ者がいたり、逃げようとする者がいたり、何故かその場で正座して般若心経を唱え出す者まで様々だ。確かに何も知らないと相当に怖い。
頼りになるはずの上級生達は一部が気絶し、残りは姿を眩ませた。そこへ、トドメの幽霊達である。
一年生達の恐怖は増すばかりであろう。
「うわぁあーー!!」
「伝七が居なくなったっ。きっと呪われたんだァー!!」
……多分、一年い組の黒門伝七は綾部喜八郎の掘った穴に落ちたのだろう。演習場には幾つか落とし穴があるようで、パニックになって走り回った一年生の一部が見事にハマっていた。
「うわぁーん、怖いよぉおお!」
「うわぁーん、しんベヱの鼻水がついたぁ。気持ち悪いよぉおお!」
「うわぁーん、オレの服にもついたぁ。これ一枚しかないんだぞぉ!」
間違いなく、しんベヱ、乱太郎、きり丸であろう声とセリフであった。ぎゃあぎゃあわぁわぁ、騒がしさがピークに達している。
見ると、恐ろしさのあまり失禁こそしていないが気絶してる子までいた。
すると、全員が恐怖の余りに集団パニックになったのが合図だったかのように、女の幽霊の姿をした仙蔵が大きな声を発した。
「それまで!!」
どうやら、終わったらしい。気絶したフリをしていた勘右衛門に兵助が起き上がり、姿を消していた伊作と文次郎が戻ってきた。また、幽霊のフリをしていた上級生達も、顔を見せて正体を明かす。
再び松明の火が焚かれ周囲を照らすと、涙と鼻水まみれになった一年生達の姿が見えた。
ちょっと、否、大分気の毒である。特にろ組とは組が。
「ひ、酷いですぅ。先輩達、わたし達を騙すなんて」
震える乱太郎の声がした。よっぽど怖かったのだろう、スン、と鼻を啜っている。
「ごめんね、乱太郎。でも、これも君たちの勉強のためなんだ」
伊作が優しい声で謝りつつ、大事な事を伝える。しかし、怖かったらしい一年生達からは「酷い」「なんでこんな事を」と、次々とブーイングが炸裂した。
「喧しいっ!」
まさに一喝。
文次郎の大きな声が辺りに響くと、一年生がピタリと静かになった。
「どんな理由があるにせよ、忍者は騙す事はあっても騙されてはならん。今、まさにお前達はオレ達から騙されたわけだが、何故、そうなったのか分かるか?」
それは静かな文次郎からの問いかけだった。シン、と水を打ったように静かになる一年生一同。先程まで、阿鼻叫喚の様相を呈していたのが嘘のようだ。
「えっと、先輩達の迫真の演技のせいかと」
「うむ。団蔵、褒めてくれるのは嬉しいが、忍者たるものこの程度の芝居はできて当たり前だ。だから、オレ達の演技が原因ではない。根底にあったのは、お前達の恐怖心だ。幽霊がいると錯覚したのは、お前達が自分自身の抱く恐怖に囚われたからに他ならない」
団蔵の発言に文次郎が答えると、一年生達は全員顔をを見合わせていた。そこへ、仙蔵が補足で説明を加える。
「ようは、お前達は我々に恐れの感情を利用されたのだ。忍者の三病の一つでもあるが、恐れが過ぎれば騙されて利用される。これが罠なら、皆、下手をすれば死ぬ事も有り得るというわけだ。理性的に考えれば、幽霊は居ない。だが、こうして、いざ脅かされたら、幽霊は居るのではと想像して混乱してしまう。恐れの大半は心の問題だ。あれこれ考えず、冷静になって現実を見る必要がある。心は熱くても、頭は冷静にーー忍の基本だ」
仙蔵の言葉は、どうやら一年生に伝わったらしい。皆、うんうんと頷いたり、腕を組んで考える仕草をしていたりと、さっきまで文句を言っていたのが嘘のようだ。
「忍者の三病は恐怖を抱くこと、敵を軽んじること、そして思案を過ごす……つまりは考え過ぎることだ。これら全て、目の前の事実が冷静に見えていないから、起こることなんだ」
「伊作の言う通りだ。特に一年い組には心当たりがあるんじゃないのか」
伊作の台詞に乗っかるように、小平太が一年い組をチクリと刺す一言を発した。途端に、バツの悪い顔をするい組達。何故か、澪の近くにいる安藤と厚着まで揃って、小さな声で唸っていた。二人とも渋い顔をしているのだろう。
「皆んな、驚かせてごめんねー。でもさ、七松先輩の言うようにここ最近の一年い組は酷かったから、これを機に改めていくといいよ。ろ組とは組も、いい勉強になったろ?」
「身をもって知った今夜以降、お前達ならできるはずだ……もそ」
勘右衛門と長次から、コメントが相次ぐ。先輩達からの叱咤激励の声とでも言うべきか。
一年生達から、反論や文句は無い。皆、それぞれに思うところや、考えるところがあるらしかった。澪が待機する木の上から、様子をじっと観察していると、ふと小平太と目が合った気がした。
澪のいる辺りを小平太が把握しているせいなのだろう。しかし、周囲は暗く光源は上級生達の一部が持つ松明のみであるにもら関わらず、過たず見つけられたようで一瞬だけドキッとした。
「じゃあ、今日はもう解散だ。気絶したり、穴に落ちた一年生はオレ達が何とかしておくからな。お前達はもう寝ろ」
最後に留三郎から指示があり、お開きとなった。一年生忍たま達は皆んな、あれこれ話しながらも長屋の方へ戻っていく。上級生達は片付けと言った所か。
「無事に終わったようですし、わたし達も戻りますか」
安藤は、ドッキリドキドキ大作戦を見て、どう思ったのだろうか。少し気になったが、締めくくりの言葉を言われてしまっては、今日はもう引くしかない。
後の事は上級生達に任せて、この場を後にしようとした時だった。
「ーー澪さん。明日になっても、い組の態度が変わっていないようなら、わたしがあの子達を本気で叱ります。今宵の特別授業を経ても何も分かっていないようなら、忍者としてこの先やってはいけませんので」
暗闇のため、顔はほとんど見えなかったが何かを決意したような声音で安藤が言った。その言葉に澪が目を瞬くのと、安藤が厚着と共にその場を去るのはほぼ同時だった。流石は教師、動きが早い。
演習場では、気絶してしまった一年生忍たまを起こしたり、穴に落ちた生徒を助けたりと上級生達が働いている。手伝いたい所だが、手出し無用は無論、終わった後の片付けまでも含めての事だ。
澪も静かに姿を消そうとしたーーその瞬間。
「やっぱり、ここに居たんだね」
木が軽く軋み、枝が揺れる音がしたと思ったら、さっきまで安藤達がいた所に半助が居た。
「半助さん……、どうしてここへ?」
「いや、澪さんの事がちょっと気になってね。何にも無いならいいんだよ」
ひょっとしたら、昼間の事もあって気を遣ってくれたのかもしれない。澪に背を向け、来た時と同様に去ろうとする半助に、気がつけば声をかけていた。
「待って。もしも、半助さんさえ問題無いなら、少しだけ場所を移して眠たくなるまで、適当に話さない?」
木の上では落ち着かないので、そう提案してみた。普段なら就寝している時間なのだが、今日はもう少し起きていたい気分だった。眠たくなるまで針仕事でもしていようと思ったのだが、半助さえ嫌でないなら何でもいいので話したかった。
断られたらそれでもいい。そんな軽い気持ちだった。
「勿論だよ。澪さんの好きなだけ付き合うよ」
半助から返って来た回答は、気の所為でなければ心持ち声が弾んでいるように感じる物だった。嫌がるどころか、嬉しそうだ。ひょっとして、半助も直ぐに寝ようという気分ではなかったのかもしれない。
そんなわけで、半助からの了承が貰えたので場所を木の上から、食堂へと移した。夜の食堂には誰も居ないため、軽く湯を沸かしてお茶をいれた。お茶は焙じ茶である。
「どうぞ、半助さん。夜までお疲れ様」
「澪さんこそ、お疲れ様」
「わたしは、気になって見ていただけよ」
「わたしもさ。放っておいてもよかったんどけど、い組の先生方が見に行くと言うから、は組だけ何もしないわけにもいかないからね。それに、事故が絶対に起こらない保証はないし」
お茶を啜りつつ、会話が始まる。光源はテーブルの上に置いた灯明皿が灯す、僅かばかりの火と窓から仄かに入ってくる月と星明りだ。今日は雨でこそないとはいえ、曇りがちのため外からの光はあまり期待できそうもない。
せめて蝋燭が欲しいが、当然、高級品である。蝋燭は明からの輸入品が大半を占める。国内で質のいい蝋燭を大量生産するには、大量の植物油がいる。あちこち戦をしている日本で、蝋燭のために原料の櫨や漆を大量に生産できるわけもない。
安価に大量に生産するには、石油ーーパラフィンがいる。前世、澪はアロマキャンドルを手作りした事があるので、多少の事は知っているが、なんちゃって戦国時代では何の役にも立たない無駄知識である。
「何を考えてるんだい?」
柔らかく優しい声で半助に尋ねられた。ゆらゆらと揺れる火に照らされているその顔は、整っており男前という表現がぴったりである。
「何も。あえて言うなら、暗いから蝋燭が欲しいなって。でも、蝋燭は高いから。今の世では、原材料を大量に生産する術もないし」
ぽつぽつと、半助に問われるまま思った事を口にする澪。すると、半助は「澪さんらしい」とクスッと笑って頷いた。
「澪さんは、さっきの幽霊騒ぎを見てどう思った?」
「ろ組やは組は気の毒でだけど、い組の子達が明日から少しずつでも、わたしに対して下手に怯えずにいてくれたらと思うわ」
「そうか。優しいね……」
きっと、半助も同じように思っているだろう。そう考えていた澪は続く言葉に驚く。
「わたしは、なんて手温いんだと思ったよ。いっそ、全員気絶してしまうまで、もっともっと怯えさせてもいいと思った」
「えっ。それは、ちょっと過激では」
「ーー今日の昼間の事で、カチンときたからね」
そういう事か。
半助が語る理由に腑に落ちた。
「まぁ、確かに言っていい事と悪い事があるからね。昼間のあの発言はわたしも見過ごせなくて、一言注意しなくちゃって思ったから」
「言っておくけど、わたしが頭に来たのは何もは組の事を馬鹿にされたからだけではないよ。い組の澪さんへの態度が気に入らなかったからだ」
はっきりきっぱりと言われ、澪は目を瞬いた。普段から優しい笑顔を絶やす事のない半助が、今は昼間にあった事を思い出してか、きゅっと眉を寄せて険しい顔をしていた。
「そ、それは……どうも」
何だか、嬉しいようなこそばゆいような気持ちになる。そのせいか、ゆらゆらと頼りない火に照らされている半助の顔を見るのが気まずくなって、テーブルの木目を見てしまう。
「とはいえ、わたしの言う通りやってしまうと、ろ組やは組にはいい迷惑でしかない。結局の所、上級生達のやり方が一番無難な落とし所だったんだろうな。明日以降、せめて少しでも澪さんへの態度がマシになってると良いんだが」
「そうね。でも、一度怖いと思ってしまった物への恐怖って、そんな簡単には変わらないかもしれないし。気長に待つわ。安藤先生も明日になっても何も変わらないなら、怒ってくれるって言ってたから」
安藤の言葉を思い出す。あの言葉に、嘘はないと分かるものだった。だから、あまり心配はしていない。時間は少しかかるかもしれないが、成長するにつれ澪への恐怖はマシになっていく事だろう。
「安藤先生も、忍者の三病の怖さを思っての事だろうね。わたしは、今回の件が離間の計でないから上級生達に事を委ねたけれど、もしこれが敵方からの工作だった場合は、最悪な事になるからね。忍術学園は、澪さんを失ってドクタケに取られるという、結末だって有り得る」
「えっ、ドクタケは流石に……」
「なら、チャミダレアミタケかな。とはいえ、結果は同じだ。学園は澪さんという、人材を失う。そうすると、澪さんを慕っていた者達は、学園に不信を覚えるだろう。そしたら、組織そのものが機能不全を起こしたり、あるいは瓦解する事だって有り得る」
離間の計とは、敵方の組織を弱体化させる計だ。その名の通り、相手の仲を引き裂いたり、あるいは疑心暗鬼にさせるものである。三国志なんかにも、この計略は出てくる。
とはいえ、それは流石に無いのでは、と、ツッコミしそうになるも、澪はチャミダレアミタケの使者が来た時、小平太や勘右衛門が天井裏に隠れていた事を思い出す。
もしも仮に澪が、い組の態度が原因で最終的に学園を辞す事になったら……それは確かに、澪を慕ってくれている忍たま達が、原因に対して敵意を向ける可能性が考えられるわけで。組織の中の人間が、どんな理由であれ喧嘩をしたりいがみ合えば隙が生じる。その隙を狙われたら、いかに忍術学園と言えどもタダでは済まないだろう。
その原因が澪、というのは笑えないが半助の心配はあながち外れていないのかもしれない。
「澪さんが本意でないのに、出ていくような事があったら、少なくとも、一年は組の良い子達は連れ戻しに向かうだろうね。わたしもついて行くだろうし」
ふふっと笑う半助。だが、何故か目が笑ってないように見えた。
「えっ……と、それは、どうも。大丈夫よ、出ていかないわ。と言うか、多分、学園長に退職届け破られるから」
少しばかり照れくさい。その気持ちを誤魔化すように、澪は学園長を引き合いに出した。すると、半助が苦笑いして頷いた。
「確かに、学園長ならやりそうだ」
「そして、その破り捨てられた退職届をヘムヘムが綺麗に片付ける、と」
その様子を想像したのだろう。クスッと、半助が笑った。澪もまたその光景が目に浮かんでクスッと笑う。とはいえ、澪としては退職届を出す予定も出す気もさらさらない。できるものなら、ここに可能な限り長く居たいと思っているのだから。
その後も、何気ない会話は続き、欠伸が出てくる頃まで半助とのやり取りを楽しんだのだった。
暗闇の中、揺れる火の僅かな灯りに照らされ、落ち着いた声音で話す半助との語らいは心地よく、できるものなら二人きりでまたこうした時間を過ごしたいと、口には出さぬが思う程に。
確実に、澪の中に浸透していく土井半助という忍び。その半助が、まさか澪に並々ならぬ恋慕を募らせているとは、思いもせぬままに今日もまた忍術学園での長い一日が終わりを告げたのだった。
