第9話 忍術学園最強の秘書
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合戦場にて忍務を終え忍術学園へ帰還を果たすと、数日留守にしていた澪は忍たま達を筆頭に、丁寧な出迎えを受けた。
帰る場所がある事に何となく、照れ臭いような気持ちになった澪である。
どこに行っていたのか、何をしていたのか。
帰るや否や、忍たま達に捕まり澪も半助もあれこれ聞かれた。子供達の好奇心は凄い。とはいえ、まさか虎若の父君の暗殺計画を阻止して来ました……とは言えないため、終わってからも今回の忍務は何だっか、口にしてはならない云々、とそれっぽい口上で逃げ切った。なお、半助も似たような物である。
そして、澪が忍務から帰還したその翌日の午後のこと。
「雨でバレーが出来ないのは退屈だ。澪さん、わたしと遊んでくれっ!」
外は梅雨のため、生憎の雨空であった。
これでは実技の授業も中々できないし、おまけに全ての委員会は軒並み、室内に居ることを余儀なくされていた。
その結果、有り余る体力が自慢の忍たま、六年ろ組は七松小平太は澪を見つけるや否や声をかけてきた。
ただし、声をかけた場所がまずかった。
「七松先輩、ここは図書室なんで。お静かに願います」
そう、澪がいたのは図書室である。結果、図書委員の当番で仕事をしていたきり丸に、小平太はすかさず注意されていた。
「だって、暇で仕方ないんだっ。本でも読もうと図書室に来てみたら、澪さんがいるじゃないか。もう、声をかけるしかないと思ってな!」
「あー、ごめんなさい小平太くん。今日はちょっと勉強がしたくて」
澪は小平太の誘いを、やんわりと断った。事実、勉強のためである。
「それは、兵法書か?」
「そうです。孫子は読んだ事があるので、他の物をと思いまして」
澪が兵法書を読もうとしているのは、半助が前に提案してきた議論のためである。お題が何になるかは知らないが、半助や利吉と先日に約束した事もあったので、雨で外へ出かけられないなら少しでも勉強しようと思った結果であった。
澪が、真面目な顔で返事をすると、小平太が澪が持っている兵法書のタイトルを興味深そうに見てきた。
「へぇ、三略か」
「ええ、まぁ。これが孫子の次に分かり易そうだなと思いまして」
忍術学園の図書室には、代表的な書物からしょうもない物まで実に色んなジャンルが揃っている。凄いのは図書室の返却期限さえ守れば、学園関係者に広く貸し出しをしている事だ。元教師の大木雅之助に対しても貸し出しOKと言うのだから驚きである。
「なら、わたしも何か本を読もう。澪さんの向かいに座っても?それなら構わないだろう」
「そうですね」
頷くと小平太が途端に嬉しそうな顔をする。
「じゃ、ぼくも澪さんの隣で本を読んでもいいですか?カウンターに一人でいるのってなんか寂しいし」
「勿論よ」
小平太に続き、図書委員のきり丸からもお願いされた。澪に断る理由はないので許可すると、近くの本棚からきり丸が本を持ってくる。
そんなわけで、澪の向かいに小平太が。その横にきり丸が座る形で全員で外は雨のため、図書室で読書となった。
小平太は『今昔物語』を、きり丸は『節約術の極意』という著者が謎の代物を読んでいるが、きり丸に関してはこれ以上ドケチを極める必要性を全く感じなかった。
「……きり丸くん。せっかくなら別の本を読みましょうか。土井先生のためにも」
「えーっ、だって銭儲けと節約術に関するもの以外読む気になれなくて」
「竹取物語とかあるじゃないですか。三国志とか」
「竹取物語は流石に知ってます。でも三国志は難しい漢字が多くて読めません!」
自信満々に言うきり丸に、澪は勿論の事、向かいで読書をしていた小平太も苦笑いした。
「……でも、澪さんが読み方とか教えてくれるなら頑張って読みます」
「え、それ本当?」
てっきり節約の本を引き続き読むのかと思ったら、まさかの言葉に澪は素になった。こうしてはいられない。急いで本棚に三国志を取りに行き、最初の一巻目をきり丸に持ってきた。
「はい、三国志。読めない所は教えてあげます」
「うわ、早っ……!」
「これでちょっとは漢字に強くなりましょう!」
ぐっ!と、親指を立てて澪はきり丸にエールを送った。三国志が読めたらかなり漢字に強くなるはず、と余り根拠のない期待を抱く。
「えっと、‘’ゴカンハ、ケンネイガンネンノコロ……‘’ あー、ゴカンって、何ですか?これさては五巻目とか?」
「…… 澪さん、きり丸に三国志は数年早いと思うぞ」
そこからか。
最初の一行目で、読む以前に蹴躓くきり丸に、澪は脱力しそうになった。小平太のもっともな感想に、澪は三国志をきり丸に理解させる事を早々に諦めた。
「……きり丸くんは、歴史のお勉強がいりますね」
「と言うか、きり丸はそもそも日ノ本の歴史もきちんと理解しているのか」
「えっ、三国志って歴史の勉強しないと読めないんですか」
澪が三国志をきり丸からそっと取り上げると、小平太が鋭いツッコミをした。一方のきり丸は、三国志がどんな話かきちんと理解していなかったらしい。この様子だと明の古い時代の御伽噺、みたいな理解しかしていなさそうである。
「読めなくはないが、最低限の知識はいるぞ。せめて、何年くらい前の明の話なのかくらいは分かっておかねばならん」
「えー…… 澪さんが、学園長から貰った三国志に出てくるっていう武器の事、詳しく知りたかったのに」
小平太の言葉にきり丸が途端にしょぼんとする。青龍偃月刀の事を理解するには、確かに三国志を読むのが一番ではあるが面白いとはいえ、三国志はとても長い話である。読むための知識は勿論の事、かなりの集中力が要求される。
出だしで意味が分からない時点で、きり丸に三国志読破は無茶な相談であった。
「まぁ、歴史の話なら多少はできますから、わたしがおいおい教えてあげますよ。きり丸くん」
「え、それ本当ですか。やった!なら、日ノ本の歴史と明の国の歴史も分かる範囲でいいんで教えてください」
「それなら、わたしも聞きたい。わたしの知らない事を澪さんなら知ってるかもしれないな」
二人とも何故か目を輝かせている。これは、どこかでそのうち特別授業をしなくては。利吉の家庭教師は荷が重いので断ったが、きり丸や小平太相手はお金も発生しない、雑談混じりの簡単な授業のため引き受ける事に異論は無い。
だから、「いいですよ」と頷きかけた時である。
「はいはいはーい!だったら、オレ達も澪さんの授業を希望しますっ。ついでに、よかったら他の教科の授業もお願いします」
「勘右衛門、ここ図書室だから静かに!!」
「そういう雷蔵が一番五月蝿いぞ」
ぞろぞろと、勘右衛門、雷蔵、三郎の三人が図書室に入って来た。途端に賑やかになる図書室だが、ここは雑談をする場所ではない。三郎の注意に、図書委員である雷蔵が慌てて自分の口を自分で塞いでいた。
「本の貸出期限が過ぎてるのを雷蔵に指摘されて、慌てて返しに来たんだ。ごめんねー、きり丸。というわけで返却手続きよろしく」
「分かりました」
謝りつつ、勘右衛門がきり丸に本を返す。タイトルは『爽やかのススメ』だった。一体誰が書いたんだか。本を読んだお陰かは不明だが、いつも以上に爽やかな笑顔の勘右衛門が、澪の読む本のタイトルをまじまじと見てきた。
「三略なんて、硬いねぇ澪さんは」
「兵法の勉強のためですよ」
せっかく読もうと思ったのに、ままならない。勉強をしようと思っていたのだが、これでは無理かもしれないと思った時である。
「失礼。澪さん、学園長がお呼びですよ。お客様だとか」
聞きなれた声がした。その正体は老女姿のシナである。いつの間にそこにいたのか、図書室の入口に立って上品な笑顔で、忍たま達に取り囲まれる澪を見ていた。
「え、わたしにですか?」
「ええ、そうよ。何でも、チャミダレアミタケ城の遣いの方だとか」
ーー何故?
疑問を抱くも、名指しならば出向かないわけにはいかない。そう思い、ひとまずは本を棚へ戻し、澪は客人が待つという学園長室へシナと一緒に向かう事にした。
その澪の後ろ姿を、図書室に残っていたきり丸をはじめ、忍たま一同がじっと見ていた事には気付かなかった。
そして、枯山水を臨み、鹿威しの音が時折木霊する学園長室にて。
澪を尋ねて来たという、チャミダレアミタケの遣いの人が丁寧に挨拶してくれた。意外にも遣いの人は女性だった。
「お初にお目にかかります。わたしは、茶乱網武様にお仕えするくのいちにございます」
くのいちと聞き、澪は目を瞬いた。黒髪に白い肌、凛とした雰囲気のくのいちを名乗る女性には見覚えがあったせいもある。確か、佐武衆に供された宴の席で給仕役にいた顔だ。
くのいちだったのか。
くのいちを名乗る女性が、懐から綺麗に折り畳まれた書状を取り出して、「どうぞ、これを」と言って澪へと差し出した。
学園長室には、澪だけでなく学園長、ヘムヘムそしてシナがいる。チャミダレアミタケのくのいちが差し出した一通の書状を澪が受け取ったまま固まっていると、学園長が軽く咳払いした。
「澪ちゃん、この場で中を改めるように」
「はい、分かりました」
くのいちは綺麗に正座したままで、学園長からの指示を咎める様子はない。こうして堂々と澪に渡してきている事からして、密書とは考えにくい。この感じだと、くのいちはひょっとしたら書状の内容を知っているのかもしれなかった。
上等な紙で出来た書状を開く。
すると、そこには綺麗な文字で、先日の戦において伝助と名乗る少年の活躍ぶりを人伝に聞いたので、どのような人物かと探りをいれたら女子だった事に驚いた、是非一度、会って話がしたい云々……と、書かれてある。書いたのはなんと茶乱網武本人のようで、最後に署名があった。
「えっと、お殿様がわたしとお会いしたい、と?」
茶乱網武は、戦に強いだけでなく本人も武勇を好むのは知ってはいたが、まさか会いたいと言われるとは。
というか、誰が澪の噂をしたんだろうか。佐武衆の近くに居たチャミダレアミタケの将や兵達とかだろうか。
女だと確認されたのは、ひょっとして宴の席に紛れた目の前の女性を筆頭にした、くのいち達の仕業か。だとすると、澪に近付いて来た女性の中に、くのいちが混じっていたのかもしれない。流石は女性とはいえ忍者である。
「はい、殿は男女を差別しません。是非、澪さんと直接会って話がしたいと仰せでした。お分かりかとは思いますが、これは内々に仕官を打診する信書でもあります」
「えっ……」
仕官、と言われ澪はポカンとした顔になった。一方、学園長やシナは予測していたのか、これといった動揺は見せていない。
「領主が好意的な書状を送るというのは、仕官してほしいからといのはよくある話じゃよ、澪ちゃん」
学園長が、にこりと笑って教えてくれるが、お殿様から手紙なんて貰ったのは初めてなのだから、分かるはずがない。
「我が殿は大らかでお優しい方です。お仕えしやすい、と率直に思いますわ」
「え、っと……」
にこりと笑って茶乱網武の事を褒めるくのいちを前に、澪は言葉に詰まってしまう。
「何も急ぎ仕える必要はありません。こちらでやるべき事をやってからという事でも、殿は待たれるでしょう」
さては、お断り不可なのか。
澪としては、悪い話ではないとは思うが当然ながら仕官する気にはなれなかった。忍術学園で、楽しく過ごせているだけに、学園を追い出されない限り、出ていく気なんてなかったからだ。
「すみません、お殿様とお会いするのは構いませんが、仕官のお話はちょっと。あの、わたしはまだ殺しをした事がないし、する気にもなれず、お殿様が戦働きをご期待なら、それには添えないかと」
ややあって、悩みながらもそう答えると、くのいちはある程度は予想していたのか、静かに頷いた。
「左様ですか。了解しました、澪さんのお話は殿へ伝えておきましょう。会って話をしていただけるだけでも、殿は喜ばれましょうから」
仕官の話は、断られる事も想定していたようだ。相手にあからさまに残念な様子がなくて、澪はホッとした。
「所で澪さん」
居住まいを正し、くのいちが澪の名を呼ぶ。書状を出した時以上に、何やらキリッとした様子で、さてはまさか殿様から澪への伝言が何かあるのかと思ったのだが……。
「同じ女同士、肌のお手入れの仕方をわたしに教えて頂戴っ……!同僚からも、絶対に聞いてくるよう、言われてるんです。こっちは、断らないでくれますよね?!」
逃がさない、とばかりに手を握られて澪はくのいちに迫られた。美人な顔は、ある意味で迫力満点だ。
「あら、それはわたしも興味があるわぁ」
澪がお断りの返事をしたせいかは分からないが、どこか嬉しそうにかつのんびりとシナが微笑む。
澪は仕方なく、母直伝の肌のお手入れの仕方について、くのいちとシナに教えようと思ったその時である。
「と、言うわけで澪さんは仕官はしないみたいだから、天井裏に隠れてないで出てきなさい」
くのいちが、天井に向かってそう言った。どうやら、誰かが潜んでいたらしい。一体誰が……と澪が同じく天井を見ると、そこから出てきたのは上級生の忍たま達ーー勘右衛門と小平太だった。
「客人に気付かれるとは、まだまだ修行がいるの」
「えーっ、だってプロのくのいちですよ、学園長!」
「澪さんは気付いていなかったから、及第点をください」
学園長の評価に、勘右衛門と小平太が揃って眉を寄せた。
「えっと、何で二人とも天井裏なんかに?」
「チャミダレアミタケの殿様は、武勇好きだからな……ひょっとして、前に学園で戦闘訓練もしたし、何処からか噂を聞き付けて澪さんに仕官の話が来たのかと思ったんだ。それで気になったから勘右衛門と忍んでいた」
あちこちに忍べる場所のある忍術学園のため、忍たま達が学園長室の天井裏にいる事に驚きは少ないが、わざわざそんな事をした理由を聞くと、小平太から返ってきた返答に澪はポカンとした。
「澪さんは、オレ達、忍術学園のなんだからお給与弾むって言われて、そっち行こうとしたら『この浮気者ー!』って言って止める気だったんだよ」
「爽やかな笑顔で、人聞きの悪い事をさらっと言わないでくださいよ」
あはっ!と笑う勘右衛門。だが、要らぬ誤解を生みそうな言葉のチョイスに澪は思わずツッコミした。
でも、一方でオレ達忍術学園の……と、勘右衛門が言ってくれた台詞に、グッと来てしまった。
「ーー澪さんたら、照れてるのね」
うふふ、とシナが微笑ましい物を見る顔で笑っていた。図星な澪は、貰った書状を顔の前にやって思わず照れ隠しをする。
「あらあら、愛されてますね。これでは、仕官のお話は余計だったようですわ」
「当たり前じゃ。澪ちゃんは、わしの専属秘書じゃからの!」
照れる澪を前にくのいちと学園長が、何やらやり取りしている。
「おお、澪さんが照れてる。顔、真っ赤だねぇ」
「へぇ、どれどれ」
「勘右衛門くんは人を指差ししない。小平太くんも、覗いて来るのやめてくださいっ!」
珍しい物を見たと言わんばかりに、二人が澪をまじまじと見てくるので、顔を背けると楽し気な忍たま達の笑い声がした。
ーーその後、学園長室では、くのいちとシナにお肌の手入れの仕方をレクチャーする澪の話を興味深そうに学園長やヘムヘムと一緒に大人しく聞く勘右衛門と小平太の姿があった。
+++++
澪がチャミダレアミタケのお城から、仕官の誘いを受けた話は、瞬く間に忍術学園内に広まった。
それを蹴ったという話も同時に広がったため、変な騒ぎにはならなかったが、お城からの誘いというのは、早々にある話でもないため澪は忍たまやくのたま達から何かと話しかけられる事になってしまった。
澪としては別に構わないのだが、図書室の兵法書を借りて読もうとしていた予定が水の泡になってしまった。
一方で、話を聞きたがる生徒達の相手を楽しんでいる澪がいた。勘右衛門が、学園長室で何気なく口にした『オレ達、忍術学園の……』という台詞と似たような事を皆が言うので、照れ臭くも嬉しく思ってしまったのだ。
気がついたら、いつの間にか澪は母親に置いてかれた何者でもない娘ではなく、忍術学園の秘書になっていた。
気がついたら、忍術学園が澪の帰る場所であり居場所になっていたのだ。
「澪さん、何かいい事があったのか?」
それは夕飯時の事。
たまたま、食事の時間が重なったので相席した伝蔵に聞かれた。ちなみに、半助も一緒であり、澪は一年は組の担当教師達を前に、生徒達の事を思い出して面映ゆい気持ちになってしまう。
「ええ、まぁ。そんな所ですかね」
「さては、チャミダレアミタケの城からの誘いを断っていながら、実は嬉しいとか?周囲に敵は多いが、あそこの殿様は悪いお人ではないしな」
伝蔵も澪に仕官の話があった事は知っているだけに、そう思ったのだろうがそれは違う。まぁ、一般的にはお城からの誘いは、それなりの領主であれば、庶民からすればエリートコースなだけに嬉しい物ではあるが。
「いえ、違います」
伝蔵の言葉を否定し、澪はお茶を飲みつつも内緒話でもするように告白した。
「この忍術学園が、わたしの居場所なんだなぁって思って嬉しかったんです。その、忍たまやくのたまの子達が、わたしの事を忍術学園の物だ……的な事を言ってくれたので」
澪の言葉に、半助がふわっと柔らかな笑顔を浮かべた。普段から優しい笑顔の似合う半助が、それは優しい表情になったのを見て、澪はこそばゆい気持ちになってしまう。
先生達になら、自分の気持ちを言ってもいいかと思ったが、今更ながら、ちょっと恥ずかしい。
「その気持ち、分かるよ。わたしが学園に就職したのは、今の六年生が丁度一年生の時でね。その頃から今日まであっという間だった。けれど、今でも忍術学園の土井半助だと思うと、教師をしている自分にホッとすると言うか、安心して嬉しくなるんだ」
そうか、半助も同じなのか。
擽ったいような気持ちが、同じ仲間を見つけて少しだけ落ち着く。
自然と、笑みがこぼれた。
「土井先生も同じなんですね、嬉しいです」
澪は無自覚であったが、その笑顔はハッとする程に美しく柔らかく優しい物で、向かいに座っていた半助は当然として、伝蔵すらも目を瞬く程の物であった。
ーー思い出すのは、合戦での事だ。
この世界は、必ずしも優しい物ではなくて、前世の世界よりずっと不便だし危険で惨い。そんな事実に、苦しめられる時も多々ある。
けれども、その事に絶望はしない。
何故なら、同じ世界を懸命に生きる人達が愛しいからだ。だから、絶望せずにいられる。明日が楽しみでいられるのだ。
兵庫津で十五年共に過ごしてきた母と別れてから、まだ一年も経っていないが、今の自分には例え愛する母が共にどこかへ行こうと言ってきたとしても、断れるだけの大切な場所を見つけた。
半助が、忍術学園の教師だという事実に嬉しくなるのと同じように、澪もまたーー。
「その言葉が言えるなら、君はもう立派な忍術学園の秘書ということだ」
半助が言ってくれる言葉に澪は思わず小さく笑っていた。
そして、その会話を聞いていたのか。
食堂のおばちゃんがカウンターからやって来て、澪達のテーブルに美味しそうな枇杷が幾つか入った器を置いてくれた。
そして一言。
「そうよ、澪ちゃんは忍術学園最強の秘書よ。これからも、この先もね。はい、サービスの水菓子。他の人には内緒よ」
「わぁっ、ありがとうございます!」
食後のデザートなんて、今日は運がいい。甘い物が好きな女子としては、枇杷と聞いて思わず頬が緩む。
一方、忍術学園最強の秘書という食堂のおばちゃんの一言に、半助も伝蔵も顔を見合せて苦笑いした。実際に戦って、やられてしまった手前、否定する気にもなれないせいだったりしたのだが、最強と称された澪はおばちゃんが出してくれた枇杷に目を輝かせている。
忍術学園最強の秘書ーーその名も澪。
既にドクタケとチャミダレアミタケに名と存在が知られる事になった澪は、その怪力ぶりと恐ろしいまでの強さ故に、今後も色々な所で名を馳せる事になる。
だが、それはまた別の話だ。
今はただ、食堂のおばちゃんがサービスしてくれた枇杷を、嬉しそうに皮を剥いて頬張る年頃の娘として、澪は無邪気にも旬の果物の美味しさに舌鼓を打つのであった。
帰る場所がある事に何となく、照れ臭いような気持ちになった澪である。
どこに行っていたのか、何をしていたのか。
帰るや否や、忍たま達に捕まり澪も半助もあれこれ聞かれた。子供達の好奇心は凄い。とはいえ、まさか虎若の父君の暗殺計画を阻止して来ました……とは言えないため、終わってからも今回の忍務は何だっか、口にしてはならない云々、とそれっぽい口上で逃げ切った。なお、半助も似たような物である。
そして、澪が忍務から帰還したその翌日の午後のこと。
「雨でバレーが出来ないのは退屈だ。澪さん、わたしと遊んでくれっ!」
外は梅雨のため、生憎の雨空であった。
これでは実技の授業も中々できないし、おまけに全ての委員会は軒並み、室内に居ることを余儀なくされていた。
その結果、有り余る体力が自慢の忍たま、六年ろ組は七松小平太は澪を見つけるや否や声をかけてきた。
ただし、声をかけた場所がまずかった。
「七松先輩、ここは図書室なんで。お静かに願います」
そう、澪がいたのは図書室である。結果、図書委員の当番で仕事をしていたきり丸に、小平太はすかさず注意されていた。
「だって、暇で仕方ないんだっ。本でも読もうと図書室に来てみたら、澪さんがいるじゃないか。もう、声をかけるしかないと思ってな!」
「あー、ごめんなさい小平太くん。今日はちょっと勉強がしたくて」
澪は小平太の誘いを、やんわりと断った。事実、勉強のためである。
「それは、兵法書か?」
「そうです。孫子は読んだ事があるので、他の物をと思いまして」
澪が兵法書を読もうとしているのは、半助が前に提案してきた議論のためである。お題が何になるかは知らないが、半助や利吉と先日に約束した事もあったので、雨で外へ出かけられないなら少しでも勉強しようと思った結果であった。
澪が、真面目な顔で返事をすると、小平太が澪が持っている兵法書のタイトルを興味深そうに見てきた。
「へぇ、三略か」
「ええ、まぁ。これが孫子の次に分かり易そうだなと思いまして」
忍術学園の図書室には、代表的な書物からしょうもない物まで実に色んなジャンルが揃っている。凄いのは図書室の返却期限さえ守れば、学園関係者に広く貸し出しをしている事だ。元教師の大木雅之助に対しても貸し出しOKと言うのだから驚きである。
「なら、わたしも何か本を読もう。澪さんの向かいに座っても?それなら構わないだろう」
「そうですね」
頷くと小平太が途端に嬉しそうな顔をする。
「じゃ、ぼくも澪さんの隣で本を読んでもいいですか?カウンターに一人でいるのってなんか寂しいし」
「勿論よ」
小平太に続き、図書委員のきり丸からもお願いされた。澪に断る理由はないので許可すると、近くの本棚からきり丸が本を持ってくる。
そんなわけで、澪の向かいに小平太が。その横にきり丸が座る形で全員で外は雨のため、図書室で読書となった。
小平太は『今昔物語』を、きり丸は『節約術の極意』という著者が謎の代物を読んでいるが、きり丸に関してはこれ以上ドケチを極める必要性を全く感じなかった。
「……きり丸くん。せっかくなら別の本を読みましょうか。土井先生のためにも」
「えーっ、だって銭儲けと節約術に関するもの以外読む気になれなくて」
「竹取物語とかあるじゃないですか。三国志とか」
「竹取物語は流石に知ってます。でも三国志は難しい漢字が多くて読めません!」
自信満々に言うきり丸に、澪は勿論の事、向かいで読書をしていた小平太も苦笑いした。
「……でも、澪さんが読み方とか教えてくれるなら頑張って読みます」
「え、それ本当?」
てっきり節約の本を引き続き読むのかと思ったら、まさかの言葉に澪は素になった。こうしてはいられない。急いで本棚に三国志を取りに行き、最初の一巻目をきり丸に持ってきた。
「はい、三国志。読めない所は教えてあげます」
「うわ、早っ……!」
「これでちょっとは漢字に強くなりましょう!」
ぐっ!と、親指を立てて澪はきり丸にエールを送った。三国志が読めたらかなり漢字に強くなるはず、と余り根拠のない期待を抱く。
「えっと、‘’ゴカンハ、ケンネイガンネンノコロ……‘’ あー、ゴカンって、何ですか?これさては五巻目とか?」
「…… 澪さん、きり丸に三国志は数年早いと思うぞ」
そこからか。
最初の一行目で、読む以前に蹴躓くきり丸に、澪は脱力しそうになった。小平太のもっともな感想に、澪は三国志をきり丸に理解させる事を早々に諦めた。
「……きり丸くんは、歴史のお勉強がいりますね」
「と言うか、きり丸はそもそも日ノ本の歴史もきちんと理解しているのか」
「えっ、三国志って歴史の勉強しないと読めないんですか」
澪が三国志をきり丸からそっと取り上げると、小平太が鋭いツッコミをした。一方のきり丸は、三国志がどんな話かきちんと理解していなかったらしい。この様子だと明の古い時代の御伽噺、みたいな理解しかしていなさそうである。
「読めなくはないが、最低限の知識はいるぞ。せめて、何年くらい前の明の話なのかくらいは分かっておかねばならん」
「えー…… 澪さんが、学園長から貰った三国志に出てくるっていう武器の事、詳しく知りたかったのに」
小平太の言葉にきり丸が途端にしょぼんとする。青龍偃月刀の事を理解するには、確かに三国志を読むのが一番ではあるが面白いとはいえ、三国志はとても長い話である。読むための知識は勿論の事、かなりの集中力が要求される。
出だしで意味が分からない時点で、きり丸に三国志読破は無茶な相談であった。
「まぁ、歴史の話なら多少はできますから、わたしがおいおい教えてあげますよ。きり丸くん」
「え、それ本当ですか。やった!なら、日ノ本の歴史と明の国の歴史も分かる範囲でいいんで教えてください」
「それなら、わたしも聞きたい。わたしの知らない事を澪さんなら知ってるかもしれないな」
二人とも何故か目を輝かせている。これは、どこかでそのうち特別授業をしなくては。利吉の家庭教師は荷が重いので断ったが、きり丸や小平太相手はお金も発生しない、雑談混じりの簡単な授業のため引き受ける事に異論は無い。
だから、「いいですよ」と頷きかけた時である。
「はいはいはーい!だったら、オレ達も澪さんの授業を希望しますっ。ついでに、よかったら他の教科の授業もお願いします」
「勘右衛門、ここ図書室だから静かに!!」
「そういう雷蔵が一番五月蝿いぞ」
ぞろぞろと、勘右衛門、雷蔵、三郎の三人が図書室に入って来た。途端に賑やかになる図書室だが、ここは雑談をする場所ではない。三郎の注意に、図書委員である雷蔵が慌てて自分の口を自分で塞いでいた。
「本の貸出期限が過ぎてるのを雷蔵に指摘されて、慌てて返しに来たんだ。ごめんねー、きり丸。というわけで返却手続きよろしく」
「分かりました」
謝りつつ、勘右衛門がきり丸に本を返す。タイトルは『爽やかのススメ』だった。一体誰が書いたんだか。本を読んだお陰かは不明だが、いつも以上に爽やかな笑顔の勘右衛門が、澪の読む本のタイトルをまじまじと見てきた。
「三略なんて、硬いねぇ澪さんは」
「兵法の勉強のためですよ」
せっかく読もうと思ったのに、ままならない。勉強をしようと思っていたのだが、これでは無理かもしれないと思った時である。
「失礼。澪さん、学園長がお呼びですよ。お客様だとか」
聞きなれた声がした。その正体は老女姿のシナである。いつの間にそこにいたのか、図書室の入口に立って上品な笑顔で、忍たま達に取り囲まれる澪を見ていた。
「え、わたしにですか?」
「ええ、そうよ。何でも、チャミダレアミタケ城の遣いの方だとか」
ーー何故?
疑問を抱くも、名指しならば出向かないわけにはいかない。そう思い、ひとまずは本を棚へ戻し、澪は客人が待つという学園長室へシナと一緒に向かう事にした。
その澪の後ろ姿を、図書室に残っていたきり丸をはじめ、忍たま一同がじっと見ていた事には気付かなかった。
そして、枯山水を臨み、鹿威しの音が時折木霊する学園長室にて。
澪を尋ねて来たという、チャミダレアミタケの遣いの人が丁寧に挨拶してくれた。意外にも遣いの人は女性だった。
「お初にお目にかかります。わたしは、茶乱網武様にお仕えするくのいちにございます」
くのいちと聞き、澪は目を瞬いた。黒髪に白い肌、凛とした雰囲気のくのいちを名乗る女性には見覚えがあったせいもある。確か、佐武衆に供された宴の席で給仕役にいた顔だ。
くのいちだったのか。
くのいちを名乗る女性が、懐から綺麗に折り畳まれた書状を取り出して、「どうぞ、これを」と言って澪へと差し出した。
学園長室には、澪だけでなく学園長、ヘムヘムそしてシナがいる。チャミダレアミタケのくのいちが差し出した一通の書状を澪が受け取ったまま固まっていると、学園長が軽く咳払いした。
「澪ちゃん、この場で中を改めるように」
「はい、分かりました」
くのいちは綺麗に正座したままで、学園長からの指示を咎める様子はない。こうして堂々と澪に渡してきている事からして、密書とは考えにくい。この感じだと、くのいちはひょっとしたら書状の内容を知っているのかもしれなかった。
上等な紙で出来た書状を開く。
すると、そこには綺麗な文字で、先日の戦において伝助と名乗る少年の活躍ぶりを人伝に聞いたので、どのような人物かと探りをいれたら女子だった事に驚いた、是非一度、会って話がしたい云々……と、書かれてある。書いたのはなんと茶乱網武本人のようで、最後に署名があった。
「えっと、お殿様がわたしとお会いしたい、と?」
茶乱網武は、戦に強いだけでなく本人も武勇を好むのは知ってはいたが、まさか会いたいと言われるとは。
というか、誰が澪の噂をしたんだろうか。佐武衆の近くに居たチャミダレアミタケの将や兵達とかだろうか。
女だと確認されたのは、ひょっとして宴の席に紛れた目の前の女性を筆頭にした、くのいち達の仕業か。だとすると、澪に近付いて来た女性の中に、くのいちが混じっていたのかもしれない。流石は女性とはいえ忍者である。
「はい、殿は男女を差別しません。是非、澪さんと直接会って話がしたいと仰せでした。お分かりかとは思いますが、これは内々に仕官を打診する信書でもあります」
「えっ……」
仕官、と言われ澪はポカンとした顔になった。一方、学園長やシナは予測していたのか、これといった動揺は見せていない。
「領主が好意的な書状を送るというのは、仕官してほしいからといのはよくある話じゃよ、澪ちゃん」
学園長が、にこりと笑って教えてくれるが、お殿様から手紙なんて貰ったのは初めてなのだから、分かるはずがない。
「我が殿は大らかでお優しい方です。お仕えしやすい、と率直に思いますわ」
「え、っと……」
にこりと笑って茶乱網武の事を褒めるくのいちを前に、澪は言葉に詰まってしまう。
「何も急ぎ仕える必要はありません。こちらでやるべき事をやってからという事でも、殿は待たれるでしょう」
さては、お断り不可なのか。
澪としては、悪い話ではないとは思うが当然ながら仕官する気にはなれなかった。忍術学園で、楽しく過ごせているだけに、学園を追い出されない限り、出ていく気なんてなかったからだ。
「すみません、お殿様とお会いするのは構いませんが、仕官のお話はちょっと。あの、わたしはまだ殺しをした事がないし、する気にもなれず、お殿様が戦働きをご期待なら、それには添えないかと」
ややあって、悩みながらもそう答えると、くのいちはある程度は予想していたのか、静かに頷いた。
「左様ですか。了解しました、澪さんのお話は殿へ伝えておきましょう。会って話をしていただけるだけでも、殿は喜ばれましょうから」
仕官の話は、断られる事も想定していたようだ。相手にあからさまに残念な様子がなくて、澪はホッとした。
「所で澪さん」
居住まいを正し、くのいちが澪の名を呼ぶ。書状を出した時以上に、何やらキリッとした様子で、さてはまさか殿様から澪への伝言が何かあるのかと思ったのだが……。
「同じ女同士、肌のお手入れの仕方をわたしに教えて頂戴っ……!同僚からも、絶対に聞いてくるよう、言われてるんです。こっちは、断らないでくれますよね?!」
逃がさない、とばかりに手を握られて澪はくのいちに迫られた。美人な顔は、ある意味で迫力満点だ。
「あら、それはわたしも興味があるわぁ」
澪がお断りの返事をしたせいかは分からないが、どこか嬉しそうにかつのんびりとシナが微笑む。
澪は仕方なく、母直伝の肌のお手入れの仕方について、くのいちとシナに教えようと思ったその時である。
「と、言うわけで澪さんは仕官はしないみたいだから、天井裏に隠れてないで出てきなさい」
くのいちが、天井に向かってそう言った。どうやら、誰かが潜んでいたらしい。一体誰が……と澪が同じく天井を見ると、そこから出てきたのは上級生の忍たま達ーー勘右衛門と小平太だった。
「客人に気付かれるとは、まだまだ修行がいるの」
「えーっ、だってプロのくのいちですよ、学園長!」
「澪さんは気付いていなかったから、及第点をください」
学園長の評価に、勘右衛門と小平太が揃って眉を寄せた。
「えっと、何で二人とも天井裏なんかに?」
「チャミダレアミタケの殿様は、武勇好きだからな……ひょっとして、前に学園で戦闘訓練もしたし、何処からか噂を聞き付けて澪さんに仕官の話が来たのかと思ったんだ。それで気になったから勘右衛門と忍んでいた」
あちこちに忍べる場所のある忍術学園のため、忍たま達が学園長室の天井裏にいる事に驚きは少ないが、わざわざそんな事をした理由を聞くと、小平太から返ってきた返答に澪はポカンとした。
「澪さんは、オレ達、忍術学園のなんだからお給与弾むって言われて、そっち行こうとしたら『この浮気者ー!』って言って止める気だったんだよ」
「爽やかな笑顔で、人聞きの悪い事をさらっと言わないでくださいよ」
あはっ!と笑う勘右衛門。だが、要らぬ誤解を生みそうな言葉のチョイスに澪は思わずツッコミした。
でも、一方でオレ達忍術学園の……と、勘右衛門が言ってくれた台詞に、グッと来てしまった。
「ーー澪さんたら、照れてるのね」
うふふ、とシナが微笑ましい物を見る顔で笑っていた。図星な澪は、貰った書状を顔の前にやって思わず照れ隠しをする。
「あらあら、愛されてますね。これでは、仕官のお話は余計だったようですわ」
「当たり前じゃ。澪ちゃんは、わしの専属秘書じゃからの!」
照れる澪を前にくのいちと学園長が、何やらやり取りしている。
「おお、澪さんが照れてる。顔、真っ赤だねぇ」
「へぇ、どれどれ」
「勘右衛門くんは人を指差ししない。小平太くんも、覗いて来るのやめてくださいっ!」
珍しい物を見たと言わんばかりに、二人が澪をまじまじと見てくるので、顔を背けると楽し気な忍たま達の笑い声がした。
ーーその後、学園長室では、くのいちとシナにお肌の手入れの仕方をレクチャーする澪の話を興味深そうに学園長やヘムヘムと一緒に大人しく聞く勘右衛門と小平太の姿があった。
+++++
澪がチャミダレアミタケのお城から、仕官の誘いを受けた話は、瞬く間に忍術学園内に広まった。
それを蹴ったという話も同時に広がったため、変な騒ぎにはならなかったが、お城からの誘いというのは、早々にある話でもないため澪は忍たまやくのたま達から何かと話しかけられる事になってしまった。
澪としては別に構わないのだが、図書室の兵法書を借りて読もうとしていた予定が水の泡になってしまった。
一方で、話を聞きたがる生徒達の相手を楽しんでいる澪がいた。勘右衛門が、学園長室で何気なく口にした『オレ達、忍術学園の……』という台詞と似たような事を皆が言うので、照れ臭くも嬉しく思ってしまったのだ。
気がついたら、いつの間にか澪は母親に置いてかれた何者でもない娘ではなく、忍術学園の秘書になっていた。
気がついたら、忍術学園が澪の帰る場所であり居場所になっていたのだ。
「澪さん、何かいい事があったのか?」
それは夕飯時の事。
たまたま、食事の時間が重なったので相席した伝蔵に聞かれた。ちなみに、半助も一緒であり、澪は一年は組の担当教師達を前に、生徒達の事を思い出して面映ゆい気持ちになってしまう。
「ええ、まぁ。そんな所ですかね」
「さては、チャミダレアミタケの城からの誘いを断っていながら、実は嬉しいとか?周囲に敵は多いが、あそこの殿様は悪いお人ではないしな」
伝蔵も澪に仕官の話があった事は知っているだけに、そう思ったのだろうがそれは違う。まぁ、一般的にはお城からの誘いは、それなりの領主であれば、庶民からすればエリートコースなだけに嬉しい物ではあるが。
「いえ、違います」
伝蔵の言葉を否定し、澪はお茶を飲みつつも内緒話でもするように告白した。
「この忍術学園が、わたしの居場所なんだなぁって思って嬉しかったんです。その、忍たまやくのたまの子達が、わたしの事を忍術学園の物だ……的な事を言ってくれたので」
澪の言葉に、半助がふわっと柔らかな笑顔を浮かべた。普段から優しい笑顔の似合う半助が、それは優しい表情になったのを見て、澪はこそばゆい気持ちになってしまう。
先生達になら、自分の気持ちを言ってもいいかと思ったが、今更ながら、ちょっと恥ずかしい。
「その気持ち、分かるよ。わたしが学園に就職したのは、今の六年生が丁度一年生の時でね。その頃から今日まであっという間だった。けれど、今でも忍術学園の土井半助だと思うと、教師をしている自分にホッとすると言うか、安心して嬉しくなるんだ」
そうか、半助も同じなのか。
擽ったいような気持ちが、同じ仲間を見つけて少しだけ落ち着く。
自然と、笑みがこぼれた。
「土井先生も同じなんですね、嬉しいです」
澪は無自覚であったが、その笑顔はハッとする程に美しく柔らかく優しい物で、向かいに座っていた半助は当然として、伝蔵すらも目を瞬く程の物であった。
ーー思い出すのは、合戦での事だ。
この世界は、必ずしも優しい物ではなくて、前世の世界よりずっと不便だし危険で惨い。そんな事実に、苦しめられる時も多々ある。
けれども、その事に絶望はしない。
何故なら、同じ世界を懸命に生きる人達が愛しいからだ。だから、絶望せずにいられる。明日が楽しみでいられるのだ。
兵庫津で十五年共に過ごしてきた母と別れてから、まだ一年も経っていないが、今の自分には例え愛する母が共にどこかへ行こうと言ってきたとしても、断れるだけの大切な場所を見つけた。
半助が、忍術学園の教師だという事実に嬉しくなるのと同じように、澪もまたーー。
「その言葉が言えるなら、君はもう立派な忍術学園の秘書ということだ」
半助が言ってくれる言葉に澪は思わず小さく笑っていた。
そして、その会話を聞いていたのか。
食堂のおばちゃんがカウンターからやって来て、澪達のテーブルに美味しそうな枇杷が幾つか入った器を置いてくれた。
そして一言。
「そうよ、澪ちゃんは忍術学園最強の秘書よ。これからも、この先もね。はい、サービスの水菓子。他の人には内緒よ」
「わぁっ、ありがとうございます!」
食後のデザートなんて、今日は運がいい。甘い物が好きな女子としては、枇杷と聞いて思わず頬が緩む。
一方、忍術学園最強の秘書という食堂のおばちゃんの一言に、半助も伝蔵も顔を見合せて苦笑いした。実際に戦って、やられてしまった手前、否定する気にもなれないせいだったりしたのだが、最強と称された澪はおばちゃんが出してくれた枇杷に目を輝かせている。
忍術学園最強の秘書ーーその名も澪。
既にドクタケとチャミダレアミタケに名と存在が知られる事になった澪は、その怪力ぶりと恐ろしいまでの強さ故に、今後も色々な所で名を馳せる事になる。
だが、それはまた別の話だ。
今はただ、食堂のおばちゃんがサービスしてくれた枇杷を、嬉しそうに皮を剥いて頬張る年頃の娘として、澪は無邪気にも旬の果物の美味しさに舌鼓を打つのであった。
