第9話 忍術学園最強の秘書
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澪の側に暗殺者がいないとすれば、当たりは利吉か半助だ。何もなければ利吉の所に戻るよう言われていたが、ドクタケ忍者のおかげで西側の確認が余りにも早く終わってしまった。
少し悩んで澪は半助の所へと向かった。
どうせなら半助を手伝って、東側に暗殺者がいないことを早く確認してから利吉と合流し、一気に三人で探した方が効率がいいと判断した結果である。
騒々しい合戦場を突っ切り、澪は半助のいる東側の方へ向かった。東側の光景は西側とそう変わらない。あえていうなら、東側の更に向こう側をずっと奥へ進めば川が流れており、その先はタソガレドキの領地となっている。
一気に走ったので、少しだけ息が上がる。軽く呼吸を整え、周囲の様子を窺うと誰かが近付いてくる気配がしたーー半助だ。
「どうしてこちらに?」
「あー、実はドクタケ忍者に協力してもらって、早く済んだので応援に。先に利吉くんの所に戻るよりは、半助さんと一緒の方がいいかと思って」
素直に起こった事を報告すると、ドクタケ忍者という言葉に、半助が眉を寄せた。顔を見られないためか、今の半助は口元まで頭巾で覆っており、とても様になっている。流石はプロ忍だ。忍者の姿をし、般若面を被った澪とでは全然違う。
「何だってドクタケ忍者が協力してくれるんだ?」
「さぁ……」
聞かれても澪も困る。
首を振ったその時だ。
「っーーし!」
半助の声がするのと同時にその指先が澪の唇に触れた。突然の事に何事かと思ったが、半助からの視線で状況を理解した。どうやら、誰かいるらしい。
無言で半助が澪の唇に当てた指先を離し、そのまま指先は地面を向いた。伏せろという事か。身を低くすると半助も同じように伏せた。どうやら、正解だったようだ。
ガサガサと、叢を掻き分ける足音がした。
ーー半助と二人、地に伏せて気配を殺す。
すると、澪達から数メートル先の距離に、二人の男達が立っているのが見えた。叢の中に紛れるためか、同系色の忍者服を着ている。
どこの手の者なのだろうか。
「首尾は?」
「あと一人が予定通り、雑兵に紛れている。あちらが失敗しても、我らがここから狙う。露払いが終わった時が好機だ」
露払いとは間違いなく、銃撃戦の事だろう。二人の忍者の会話を聞いた半助が鋭く目を細めた。普段は優しい表情を浮かべている印象しかない整ったその横顔が、今は怜悧な物になっており一瞬だけこんな時なのに、ドキっとしそうになる。
落ち着け。
今は、この二人の男達の正体を掴む時だ。白か黒かーー果たして、一体どちらなのか。
「仕留められれば、蜈蚣もそれまでだ。連中も終わりだな」
蜈蚣。
俊敏にして獰猛おまけに毒持ちな昆虫は、女性が見たら悲鳴をあげて叩き潰すグロテスクな虫だが、前進しかしないため武将には、割と好まれる象徴だ。兜に蜈蚣を象った飾りがつけられていたり、なんて事もある。
そして、佐武もまたその旗印を蜈蚣にしているーーこれは、黒だ。
半助がハンドサインで簡単な指示を出してきた。向かって左の忍者は半助、右は澪ということらしい。一、二の三で飛び出せと指示の意味が分かった。
静かに頷き、数を数える……一、二、三、今だ!
突如として飛び出してきた半助と澪に、忍者達が気付くも澪達が相手を制圧する方が早かった。
「何だお前達、ぐあっ……!」
「何奴っ、ぐほっ?!」
二人の忍者達が澪と半助の手によって、それぞれ地面に押し倒される。
「佐武衆に手出しはさせん。雑兵に紛れた者が一人いると言ったな?仲間は他にいるのか、色々吐いてもらうぞ」
半助が低い声音で相手の忍者の首元にピタリと苦無を押し当てたまま、そう口にする。
ーーぶっちゃけ、滅茶苦茶格好いい。
普段からよく耳にする、優しい青年の声から一転、迫力すら感じる温度を感じない声音にゾクッとくる物があった。とはいえ、半助の声のギャップにときめいている場合ではない。
澪も倒した相手から色々と聞かねば。
と、思ったのだが。
「……きゅう」
白目になり、泡を吹いて完全に意識が落ちていた。どう考えても、澪の力が強過ぎてしまったようである。手加減したつもりだったのに、当たり所が悪かったらしい。
「えっ、ちょっと、起きてください!」
かるーく顔を叩くが、その衝撃で鼻血が出ただけだった。それを間近で見た半助が押し倒した忍者が、がくがくと震えている。ついでに半助も頭巾の下にある顔が引き攣っていたりした。
「ーーああなりたくなかったら、分かるな?」
完全に意識がどこかへ逝ってしまった仲間を前に、忍者は激しく頷いた。それというのも、般若面を被り見たこともない大振りの鈍器を背負った澪が怖過ぎたせいである。口には出さなかったが、半助は澪に倒されてしまった忍者にほんのちょっぴり同情した。
「暗殺を試みてるのはオレ達含む三人です。雑兵に紛れたヤツは、佐武衆が後方に下がる時に頭領を狙う予定です。あ、自分はフリーの忍者なんですけど倒れてるヤツと、雑兵は風魔流忍者だそうです。たまたま今回、自分は組んだだけでして……はい。あと、自分は分け前を貰うだけの予定だったので、風魔流忍者の二人が誰に雇われたかまでは知らなくてですね。お役に立てなくて大変申し訳ありませんです。だから、あの般若面にオレの事渡さないでぇー!」
「こらっ、抱きつくな。離せ!」
澪が余程恐ろしいのか。
正座をして、洗いざらい全部吐いた忍者が半助の腰に抱きつき澪に引き渡されまいと必死になっている。一方の半助は、男に抱きつかれるのが気色悪いのか引き離そうと必死だ。
「依頼主の事を知っていようが知っていなかろうが関係ない、我々と一緒に来てもらうぞ」
「そ、そんなぁ……」
半助から冷たく言われてしょぼりする忍者。とはいえ、暗殺を試みただけにお咎め無しとはいかない。
半助が縄を取り出して、あっという間に忍者を拘束してしまう。縄抜け出来ないよう、ぎっちぎちである。流石プロ忍と言えよう。
澪は気絶させてしまった上に顔中血塗れになった忍者と、半助に縛られ項垂れる忍者の二人を脇に抱え、合戦場へと全速力で向かった。
なお、走ってる最中、半助と同じ速度で翔ける澪にフリーの忍者の方まで合戦場に着く頃には口から魂を飛ばして気絶してしまっていた。
「あっ、ごめんなさい。半助さん!もう一人の方も気絶しちゃった!」
「大丈夫だよ。と言うか、人の暗殺を試みておきながら軟弱なのかも?」
決して澪の運び方が悪かったなんて言わない半助。好きな女性を悪くは絶対に言わないし言えない結果、しれっと敵の忍者の軟弱さのせいにする半助。
そんな事を言い出したら、澪を前にしては大体の忍者が軟弱になってしまうのだが、無論、そんな事はスルーである。
気絶したのをいい事に、忍者達は簀巻きにして後方にいたチャミダレアミタケの部隊の人達に預けた。佐武昌義の暗殺を試みた者達である事を伝えると、見張りをしてくれるとの事で手間が省けた。後は利吉と合流するだけなのだが……。
「人が多いと探しにくいね」
「利吉くん自身も移動しているだろうからね。佐武衆に妙な接近をする雑兵が居たら、捕えないと。予定通り、君は東、わたしが西を担当するとしよう」
「了解」
もし、暗殺者の忍者に遭遇したら気絶させないようにうまく倒さないといけない。でないと尋問に支障が出る。
「ーー絶対に、無理はしちゃダメだぞ」
ゾクッとした。
急に半助が近付いてきて、ひっそりと澪の耳元で、よりにもよってあの低い声で喋ってきたのだ。
不意打ちに、耳を押さえないようにするので精一杯だ。般若面をつけていてよかった……でなければ、動揺を悟られる所だった。
「分かっています、半助さんもですよ。では、ご武運を!」
余り話している時間はない。澪は妙にうるさく感じる鼓動を誤魔化すように、半助に返事をしてから駆け出した。
槍を持った雑兵の多くが、強ばった顔で前方の戦況の様子を窺っているのを横目に西へと向かう。
合戦場は空気を殴るような鉄砲の音と、殺し合いの怒号に包まれていた。湿気た空気に硝煙の臭いが混じり、気のせいかそこに血臭も潜んでいるようだ。
足元に死体こそ転がってはいないが、すぐ近くで人が紛れもなく死んでいく気配を濃厚に感じる。
人を殺したことはない。
だが、生まれ変わってから惨い死体を見た事は何度かある。例えば筵すら被せられず、飢えてやせ細り屍肉を鴉に啄まれている死体や、蛆のわいた腐乱死体等だ。
川の水を飲もうと汲みに行ったら、合戦で死んだと思われる遺体が流れて来て、飲む気を無くしたなんて事もある。
磔になった死体や、負けたために首を晒された武将の姿も。その中には血族と思われる幼い子どもの物だってあった。
澪は一度死んで、気が付いたら生まれ変わっていたが天国も地獄も知らない。だが、一つ分かるのはこの世は天国のように素晴らしい一方で、地獄のように惨いという事だ。
ぶっちゃけ、合戦場を舐めていた。
見た事はあるし、想像がつくから平気だろうと思っていたが、全然違った。取り乱したりこそしてはいないが、怪力さえあれば大抵は余裕だと感じる澪が、確かな恐怖を感じていた。
「死にたくない、死にたくない」
「帰りたい」
雑兵達の近くを通り過ぎる際、小声だったが、そんな言葉が聞こえた。
澪の存在には気付いておらず、陣笠の下から垣間見えたのは、十代と思われる若者達の真っ青になった顔だった。澪とそう変わらない年頃だ。
そんな中、鳴り響いていた銃撃の音が止む。露払いが終わったのだ。ドクドクと心臓の音がやけに煩く感じる。
進む隊列の邪魔にはならぬよう、だが、怪しい動きをしている者がいないか確認するのは至難の技だ。おそろくは、利吉もこのタイミングが最も危険だと判断しているはず。
佐武衆が徐々に後退し、変わって槍隊が前へ前へと進む。頭領の昌義の姿が遠目に見えた。
その瞬間、澪は鼻をツンと突く臭いを感じた。
湿り気を帯びた硝煙の臭いの中にあって、焦げるような臭いが僅かに香る方へ視線を向ける。
周囲の光景がスローモーションに見えた。一筋の細い煙が槍隊の中で立ち昇っている。
澪からの距離は数メートル程だ。
嫌な予感がして、槍隊の方を注視すると、一人だけおかしな動きをしている輩がいた。前へ進む槍隊が俄にざわつくのと、一人の雑兵が片手を掲げたのは同時だった。
そして、その手の中にある導火線に火が点った短筒を見た澪の動きは早かった。
高く跳躍して、人垣を飛び越えて短筒のすぐ前に躍り出た。
驚いたらしく、発砲音と共に弾が放たれるのと、双錘を盾に澪が銃弾を地面へ叩き落とすのは、殆ど同時だった。弾は跳ね返って明後日の方向へ飛んでいくなんて事もなくホッとする。
雑兵の顔が驚愕に歪む。澪は着地ついでに、雑兵の首根っこを思い切り掴んだ。
「佐武衆を狙う怪しいヤツがいるので、引きずり出します!!」
指揮官に聞こえるよう、大きな声で伝える。これで一安心かと、思ったその時だ。
する、っとまるで蛇が脱皮するように雑兵の装備を鎧ごと脱いで、忍者が脱出した。
ありかそんなの。
ぎょっと驚いたせいで、取り逃したのだと気付いた時には既に遅い。
「そこのお前っ、佐武の者だか何だか知らないが邪魔だっ。出ていけ!!」
佐武衆を狙う者がいたから摘み出すと言ったのに、指揮官に怒鳴って注意されてしまった。そりゃあ、一傭兵団よりも合戦の方が大事なのは分かるが。
こうなると、大急ぎで追いかける事も出来ない。だが、なるべく早く追いつかねばと忍者が逃げて行った方角へ駆けると、殆ど同時に利吉と半助が隊列から飛び出して来た。
随分と忍者から引き離されてしまっているが、間に合うか。
「っ、ごめんなさい!」
「問題ないよ、暗殺は阻止したんだから。大手柄さ」
澪が謝ると間髪入れず、利吉から返答があった。見ると、手に鉤縄を持っている。そしてそれを、前を走る忍者へ向かって投げたが、ギリギリの所で届かない。
半助も懐から投擲武器を取り出して投げているが、あと僅かという所で距離が足りない。
やたら逃げ足の早い忍者に、利吉が舌打ちしていた。
その忍者が、遂には西の端ーー叢の中へと姿を紛れ込ませるかに見えたその時である。
「とぉうっ!!」
と、声がして赤茶色の忍者服を着たドクタケ忍者ーー風鬼が木の上から飛び降りて来て、逃げていた忍者の上に飛び乗った。
そして、待ってましたとばかりにもう一人のドクタケ忍者、雨鬼が叢から現れて忍者をあっという間に簀巻きにした。
般若面の下、ポカンと間抜けな顔になる澪。利吉や半助も呆気に取られている様子である。
「澪さん。やりましたよっ!」
「どうぞどうぞ、曲者です」
「あ、はい。ありがとう……ございます」
澪の前に膝を着き、軽く一礼するドクタケ忍者。ちなみに勿論、ドクタケ忍者隊の首領は稗田八方斎という不味そうな中華料理っぽい名前のぬらりひょんのような男であって、間違っても澪ではない。
なのに、この二人の態度ときたら。
まるで澪が首領みたいな扱い、否、下手したら稗田八方斎に対応する時より、余程にボスらしい雰囲気である。
これには利吉も半助も、一体全体何が起こっているのかさっぱりで、互いに顔を見合せていた。
「また協力してもらって、すみません」
「いえいえ、我々は今日は敵対してませんので。この位はお安い御用です」
「そうそう。敵対してない時は是非とも友好的にお願いします」
忍術学園と敵対したりそうでなかったりと、ややこしいドクタケ忍者隊が、やたら今日は腰が低い。般若面を被りデカい迫力の鈍器を背負った、澪の人徳(?)の為せる技である。
「あー、どういう事かさっぱりなんですけど、これで一件落着って事なんですよね。土井先生?」
「わたしに聞かれても。まぁ、良いんじゃないかな。結果的に暗殺者は全員捕まえたわけだし」
利吉と半助がこそこそと、そんな会話する中、何故か澪は風鬼と雨鬼に握手されていたりした。
「うちの子、ふぶ鬼って言うんです。もし、会うことがあったら、よろしくお願いします」
「あ、はい」
「ドクタケの城下に来ることがあったら、案内しますんでっ。いつでも呼び出してくださいね!」
「え?はぁ……」
風鬼や雨鬼は利吉や半助の存在をガン無視して、澪だけにやたら好意的である。すぐ近くは合戦場のため、殺伐とした光景が広がっているのに、ドクタケ忍者二名と澪だけは、ほんわかした空気である。
「ーーオッホン、二人とも、我々は戻らねばならないのでその辺にしてもらおうか」
半助は澪の手を握るドクタケ二人を引き離し、さっさと本題に入った。その隙に利吉がちゃっかり簀巻きにされた忍者を回収する。
「ハッ、お前は土井半助?!」
「そこに居るのは山田利吉かっ!澪さんだけでいいものをっ……!」
「悪かったな。手伝ってもらったのは一応、礼を言うが自分達の仕事に戻れ。お前達はどうせ、偵察の最中なんだろ」
どうやら、澪以外に人がいる事は理解してはいたが、それが半助と利吉である事に、たった今気付いたらしい。間抜け過ぎるドクタケ忍者達に、利吉が真っ当なツッコミをした。
「お二人とも、本当にありがとうございました。えっと、そろそろ失礼しますね」
「いえいえ。お気をつけて」
「またお会いしましょうね」
半助や利吉に向けていた敵意が、澪相手だと嘘みたいに無くなる。その変わり様を前に二人は眉を寄せ、一方の澪は何だってそんな好意的なのか分からないまま、まぁいいかと手を振って別れる事にしたのだった。
「ちょっと、澪さん……どういう事なのかな?」
「いや、そんな事言われましても。わたしも何が何だかさっぱりでして」
ドクタケ忍者と別れるや否や、妙な迫力を纏った半助に問われるも澪は覚えがないため首を傾げる他ない。
「アレじゃまるで子分のようだ。澪さんたら、いつの間にあの二人を舎弟にしたの?」
「そんな覚え一切無いから」
どこぞで名を馳せる不良じゃないため、澪は利吉の言葉に般若面の下で思い切り顔を顰めた。とはいえ、利吉の表現がしっくり来るのは何故だろうか。
「まぁ……、あの二人限定かもしれないけど、ドクタケ忍者とはいえ好意的な人が出来たから、良しとするわよ。こうして、今回は役に立ったわけだしね」
利吉にそう話すと、静かに頷いてくれたが半助は眉が寄ったままである。ちなみに、半助が不機嫌そうな顔をしているのは、澪の手をあの二人が触ったからという、しょうもない理由であったりしたのだが、澪はそんな事は想像もしていない。なお、利吉は何となくその事に気付いて苦笑いしていた。
それを口に出せば、多少なりとも澪に好意が伝わるというのに、口にしないからこそ伝わらず、半助の本命は利吉という末恐ろしい勘違いをされている現状である。この場合、一番の被害者は原因の半助ではなく利吉であろう。
程なくして、合戦場に合流を果たした澪達は暗殺者一行を全員捕らえた旨、昌義へと報告した。まだ戦の最中とはいえ、とりあえずは忍務完了となり澪達は後方での待機を言い渡された。
とはいえ、何もしないというのも気が引けて澪は負傷した兵士達の手当を手伝う事にした。なお、利吉は捕らえた忍者の尋問を行い、半助はその手伝いである。
そんなわけで、澪は般若面を外し双錘は箱にしまって救護にあたっていた。
胸はサラシで潰しているため美少年忍者にしか見えない澪が、負傷者の手当にあたると、好評価を得た。口々に、皆「すまない」と言いつつも安心した様子だった。
とはいえ、中には軽口を叩く者も勿論いる。
「綺麗な顔してるな、お前。姉とか妹とかいないのか?」
「はいはい、止血するんでじっとしててくれますか」
澪の顔を見て、色めき立つ者もいたがガン無視である。殆どは、もう戦えなくなった者達のため、かなりの怪我をしており場違いな質問をする余裕はない。
事切れた者もおり、そうした者達は後で弔うために別の場所へと移動させられたりしていた。手を合わる暇もなく、次々と負傷者が運ばれてくる。
戦が終わったのは、ポツリポツリと小雨が降って来た時の事であった。遠くで勝鬨が上がる音が聞こえた。手当を受けている兵士達が軒並み、どこかホッとしたような顔をしているのを見て澪も少しだけ肩の力が抜けた。
戦は、チャミダレアミタケの勝利である。サンコタケ側は敗走したようで、ひょっとしたら賠償金代わりにどこぞの領地を差し出すかもしれないが、そんな事は澪が感知する所ではない。
幸いだったのは、佐武衆に負傷者こそいたが死人が出なかった事である。澪が手当をしたのだが、一番の重傷者は流れ弾が肩に当たっていた人で、治療が大変だった。弾は貫通していたが、出血が止まらず仕方なく傷口を焼いて無理やり止血したのだ。痛み止めなんてないため、口に猿轡を噛ませてやったのだが、肉の焦げる臭いと苦悶に歪む男の顔が脳裏に焼き付きそうだった。
ーー自分で受けた仕事のため、合戦の凄惨な光景を見てしまった事に関して、文句や不満を言う気は毛頭ない。
ただ、全てが終わる頃には疲れてしまっていた。まるで徹夜明けの仕事をした時みたいだった。気疲れが凄くて、歩くのも億劫に感じていた。
戦が片付き、撤収作業が終わって佐武衆と話が出来たのは既にとっぷりと日が暮れてからの事だった。
どうやら、佐武衆の活躍ぶりをお殿様が大層喜んで宴席を設けてくれる事になったらしい。澪は断ったのだが、半助や利吉も含めて出るように昌義から強く言われてしまったので、断るに断れなかった。
ちなみに、尋問の結果、佐武衆頭領の暗殺を企んだのは矢張りと言うか今回の敵方のサンコタケのお城だったようだ。
とはいえ、捕まった忍者達は暗殺が未遂に終わった事もあり、雇い主を教える事、詫び金を幾らか支払い、最後に佐武衆に二度と敵対しない事を誓紙に記す事でお咎めなしとなったようだ。勿論、破れば次は無いため忍び達は佐武衆に殺されても文句は言えなくなる。
昌義の仕置は、非常に寛大な措置と言える。忍びや傭兵が、汚れ仕事の引き受け役であるとよく知っているためかもしれなかった。暗殺を請け負った忍者達に同情したのか……その心中が分かるのは昌義本人だけであろう。
ーーそして、時は夕刻となり、合戦場から場所を移し、佐武衆の逗留する屋敷にて。
「佐武衆の皆、そして利吉殿、土井先生、伝助殿、大変素晴らしい働きぶりであった。殿様も我らの働きに大層お喜びになり、このように沢山の馳走が供される事と相成った次第だ。祝杯を上げようではないか!」
合戦が勝ちで終わり、皆、機嫌が良かった。美味そうな料理の数々が正月かと疑いそうな程に供され、多くが強かに酒を飲んでいる。
給仕のため、綺麗所の女性達が多くやって来ており、佐武衆の中でも美形の若者や、端っこの方に座って目立たないようにしていたのに、半助や利吉、そして絶賛男装中の澪まで女達にとっ捕まった。
「あれまぁ、男前なお方達っ!」
「さぁさ、どうぞご一献。あたくしに注がせてくださいませ」
「なんて綺麗なお顔なんでしょう……見蕩れてしまいますわ」
ロックオンされた利吉と半助は、慣れているのかお姉様方の機嫌を損なわない程度にやんわりと交わしている。
で、澪はと言うと。
「はぁ。とっても、まつ毛が長いんですわね。綺麗……」
「あはは、おねーさんもお綺麗ですよ」
「ひょっとして、何かお手入れされてます?よろしければ教えてほしいですわ。透き通るようなお肌。なんて羨ましいっ!」
「本当、本当、シミひとつ見当たりませんわ」
マジマジと観察され、女性達に絡まれていた。室内を灯りが照らしているとはいえ、蛍光灯のそれよりずっと暗い室内で、よくもまぁ澪の肌の具合なんて確認できるものである。女性の美への探究心は、恐るべき物がある。
離すまじ、とある意味でこの場の誰よりも女達からモテモテの澪である。正直、食欲もそんなにないので早く退散して今日はもう寝たい。そして、明日の朝にとっとと忍術学園に帰りたい。
そう思った時である。
「ーーすみません。ちょっと伝助くんを借りていいですか?顔色が余り良くないようだ」
半助がやって来て、あっという間に伝助を女性達の輪の中から取り上げた。澪は半助よりも小柄で体重も軽いため、簡単に抱えあげられてしまう。
「え、ちょ、半助さん……?!」
「うん、やっぱり余り顔色がよくない。わたしと、出ようか」
思わず素が出て、下の名前を呼ぶとニコリと微笑まれた。利吉を見ると何かを心得たように手を振って見送ってくるだけで、止める様子は一切ない。
澪はあれよあれよと、半助によって寝泊まりする部屋まで連行された。
「は、半助さん。あの、わたしは大丈夫ですから。宴の席に戻った方が」
部屋に戻るなり、澪はそう提案するが半助は首を横に振った。そして、部屋に灯りを点けるとそのまま澪の顔を黙ってじっと見つめてくる。暗闇の中、赤い炎の光に照らされる半助の整った面差しが澪のすぐ近くにあった。
その事に、今更のようにドキッとした。昼間、半助がやたら格好良かったのを思い出してしまいそうになる。
「確かに、君の顔色は悪くはないよ。でも、食欲は無かったし、どこか上の空だった……合戦場は初めてだったんじゃないのか?」
澪の反応を全て見逃さないとでも言わんばかりに、半助が穴が空きそうな程見つめてきた。言い逃れしたり、下手に誤魔化そうとしても無駄だろう。澪は諦めて、黙って頷いた。
瞬間、半助がぐっと眉を寄せて険しい顔になる。
「どうして、依頼を受けたんだ。例え利吉くんの頼みでも、引き受けるべきではなかったはずだ……!」
半助の顔は険しいが、決して怒っているような物ではなかった。どちらかというと、親が子を心配して思わず叱るようなーーそんな雰囲気があった。
だからか、澪も冷静に返事が出来た。
「遠目に合戦を見た事くらいはあったし、惨い死体だって目にした事はあったから、大丈夫だと思ったの。実際、流石に吐いたりはなかったし」
「そう言う問題じゃない。大の男でも、気が狂れる事だって有り得るのが戦場だ。身体は大丈夫でも、それだけ心が疲弊する。今の君の状態はそれだ」
そうか。
半助に言われてストンと腑に落ちる。
「今日はもう身を清めて横になって寝るんだ。いいね?」
「……うん、分かった」
「それと、思った事は吐き出した方がいい。わたしでよければ聞くから。溜め込むのはよくないからね」
ポンポンと、肩を軽く叩かれた。そうすると、あやされているような気になってくる。きり丸の子守りのアルバイトを引き受けていた半助が、赤子を上手く扱っていたのを思い出した。
澪より大きな男性の掌は温かくて、その手が肩を一定のリズムで叩く行為が、合戦場にいたせいで身体の中に、あるいは心の中に溜まってしまった冷たい物をゆるりと溶かしていくようで、心地が良かった。
「……だったら、甘えていい?」
「えっ」
「半助さんがわたしにしてるみたいに、わたしも半助さんに甘えたい。いいでしょ?」
半助が言うように、心が疲れていた。合戦の惨さを身をもって実感した反動かもしれない。知っていたつもりになって、肝心要の所は何も知らなかったのだなと思った。
「……甘える相手がわたしで、いいのかい?」
「わたしが良いって言ってるのに?嫌なら無理にとは言わないけど」
「嫌なわけないっ!」
言うや否や、半助に抱き寄せられた。澪がいつも半助にそうしているように、優しく頭を撫でられる。
ーー成程、これは半助が澪にしてほしいと言うわけである。
「汗臭くてごめんね、半助さん。こっちに来てから、身体を拭いてるだけだから」
「そんな事ないから気にしないで。むしろ、わたしの方が汗臭いかもだし」
確かに半助から汗の臭いはするが、臭いと思う程でもない。むしろホッとした。
そのせいか、今日思った事を口に出していた。
「……実は怖かったの。合戦場」
「そうか。わたしも最初に合戦場に行った時は、足が竦んで危うく流れ矢に当たりかけた事がある。動けていた澪さんは凄く偉いよ」
素直に思いを口にする澪を、は組の良い子達に語りかけるような口調で褒める半助。
だからか、自分が子どもに戻ったような気になる。
澪は目を閉じて、半助の体温を感じつつも続きを口にした。
「救護の手伝いをしてたんだけど、中には亡くなる人もいてね。子どもじゃないから、ショックで泣き叫んだりはしないけど、見てて気分がいいものじゃないから……ちょっと、辛かったかな」
半助の手がゆっくりと、澪の頭を撫でている。絶妙な力加減に、このまま続けられたらウトウトしそうだった。
「頑張り屋さんだね」
よしよし、と言われているようだ。
「きっと、今までも沢山頑張ってきたんだね」
半助が何を思ってそんな事を言ったのかは分からない。分からないが、そんなふうに言われると今日の事だけじゃなく、この戦国の世に生を受けてから今までの事が急に走馬灯みたいに頭の中を駆け巡って……。
ポロっ、と一粒だけ涙が出た。
そして、よりにもよってそれを半助に思いっきり見られてしまう。
半助は何も言わず、澪の涙をそっと指先で拭ってくれた。
「もっと沢山、泣いていいんだよ」
涙は、ストレスホルモンを外に出すのに効果的な作用がある。だから、子どもは我慢せずに沢山泣く。だが、大人は何時からか、我慢するようになって知らず知らずにストレスを溜め込むのである。
そうか、泣いていいのか。
半助の優しい声が引き金になったようで、澪はポロポロと涙を零した。その全部を、半助がいつの間にか取り出した手ぬぐいで、優しく拭ってくれる。
「……半助さん、戦ってなんて酷いんだろうね」
「そうだね。酷いし、惨い物だ。どうして日ノ本の民が殺し合いをしないといけないのか、そう思うよ。澪さんから異国の話を聞いたら尚更ね」
ぽんぽんと、背中を優しく叩かれながら頭をよしよしとされ、たまに涙を拭われる。完全なる子ども扱いだが、恥ずかしいよりも安心した。半助が教師で、子どもの扱いに慣れているせいなのかもしれない。
歴史と言えば浪漫はあるが、古代から現代に至る歴史の中で、人類が戦わなかった事は一度たりとてない。
だが、その分だけ文明は進歩して来た。戦いがあったから、人は便利な暮らしを手に入れたのだ。
だが、そんな物は結果論だ。殺し合うとはどういう事か、そこに浪漫や夢はなく死体が転がっていくだけの世界を見た澪は、ただ疲れてしまった。
今日の戦も、一体何のために多くが死んでいったのか、何も分からなかった。それは澪が女だからかもしれない。男であったなら、そこに戦の美学を見たのかもしれない。
「合戦は好きになれないわ。とっても疲れるから」
「そうかい、同じだね。わたしも好きじゃないよ」
「……でも、仕事で必要があるならこれからも行くと思うの。だから、止めないでね。その代わり、疲れたらまたこうして甘えていい?」
「本当は止めたいけど、君が出した答えがそれなら応じるだけださ。でも、君が行くならわたしだってなるべくついていくよ。でないと、疲れた君を甘やかしてあげられないから」
半助が苦笑いして、澪の頭を静かに撫でた。抱き寄せられているから、トクトクと半助の力強い心臓の音がする。
生きている人の音だ。澪の中で少しずつ、合戦で溜まった心の疲れが取れていく。
「今日、半助さんがいてよかった」
心から、そう思った。澪は優しく自分に触れる半助の手に安心して目を閉じた。
だから、半助が耳まで真っ赤になって、愛おしそうに澪をじっと見つめていた事に全く気付かなかった。
ーー翌朝。
澪は軽く朝餉を食べた後、半助と共に忍術学園へ帰還するため屋敷を出た。利吉も一緒だ。既に報酬は貰っており、結構な額である。利吉の方が元々依頼を引き受けたため、分け前が多いのだがそれにしても多い。
今度、下手くそかもしれないがきり丸で練習させてもらったら、今度は半助のために袴を縫おうと澪は決めた。伝蔵にも、何かお礼をしようと思ったり。
昨夜、色々あって半助に甘えたお陰で今朝はいつもの調子を取り戻していた。そのせいか、妙に照れくさくなってしまった。別に普通に半助と会話は出来るのだが、つい昨日の事を思い出しては照れ笑いしそうになる、と言おうか。
「見事暗殺を防いでくれた事、誠に感謝する。何かあれば力になろう。その時は遠慮なく言ってくれ」
帰り際、佐武昌義直々に見送りをしてくれた。付き添いで照星も一緒で、学園に顔を出した時は宜しく頼むとの事だった。
「紀伊国に来たくなったらいつでも言ってくれ、案内しよう」
昌義はまだ諦めていなかったのか、最後に一言、澪に声をかけていた。半助が首を振り、腕を交差させてバツ印を作っても何のその。男らしく笑っていた。虎若の父、佐武昌義は男らしくて格好いい頭領に相応しい男であった。
天気は曇りがちだが、雨は降っておらず運が良ければ雨宿り無しで学園へ帰還できそうである。
「それじゃ、またね利吉くん」
「うん、澪さんもお疲れ様。またね」
暫く歩いて岐路に立ち、一旦、帰宅するという利吉とは別れる事になった。
「土井先生、ちょっとお耳を」
すると、別れ際に何やら利吉が半助を手招く。何かあるのだろうか。とはいえ、詮索する気はない。大人しく待っていると、半助が利吉の方へ近づき何やら耳打ちをされて……目を見開いて固まり、同時に耳まで赤くなった。まるで照れているみたいだ。
何を一体言われたのか、分からないが利吉が好きな半助が、内緒話をされて嫌なはずもない。
「それでは、さようなら!」
利吉が笑顔で手を振る。なので澪も微笑み返して手を振る傍ら、半助だけは顔を赤くして固まっていた。
実は半助は、利吉に澪との事を応援すると言われて凄まじく照れていただけだったりしたのだが、澪はそんな事は全く知らない。
ただ、半助が僅かなりとも利吉と接触が出来て良かったと思うだけだ。
「じゃ、わたし達も帰りましょうか半助さん」
「う、うん。そうだね!」
こくこくと頷く半助の反応を見ると、昨日の事が嘘のようだ。頼り甲斐を感じさせる大人の男性としての一面がある一方で、どこか可愛らしい反応をする半助を前にすると、その恋が叶えばいいと思う。
チクリと。
微かに胸が傷むのはきっと、昨日、半助に甘えてしまったせいだ。半助に想われる利吉が、羨ましいと感じるのは、半助の優しさを身をもって実感してしまったからだろう。
澪はそう結論を出して、この時感じた気持ちにそっと蓋をしたのだった。
少し悩んで澪は半助の所へと向かった。
どうせなら半助を手伝って、東側に暗殺者がいないことを早く確認してから利吉と合流し、一気に三人で探した方が効率がいいと判断した結果である。
騒々しい合戦場を突っ切り、澪は半助のいる東側の方へ向かった。東側の光景は西側とそう変わらない。あえていうなら、東側の更に向こう側をずっと奥へ進めば川が流れており、その先はタソガレドキの領地となっている。
一気に走ったので、少しだけ息が上がる。軽く呼吸を整え、周囲の様子を窺うと誰かが近付いてくる気配がしたーー半助だ。
「どうしてこちらに?」
「あー、実はドクタケ忍者に協力してもらって、早く済んだので応援に。先に利吉くんの所に戻るよりは、半助さんと一緒の方がいいかと思って」
素直に起こった事を報告すると、ドクタケ忍者という言葉に、半助が眉を寄せた。顔を見られないためか、今の半助は口元まで頭巾で覆っており、とても様になっている。流石はプロ忍だ。忍者の姿をし、般若面を被った澪とでは全然違う。
「何だってドクタケ忍者が協力してくれるんだ?」
「さぁ……」
聞かれても澪も困る。
首を振ったその時だ。
「っーーし!」
半助の声がするのと同時にその指先が澪の唇に触れた。突然の事に何事かと思ったが、半助からの視線で状況を理解した。どうやら、誰かいるらしい。
無言で半助が澪の唇に当てた指先を離し、そのまま指先は地面を向いた。伏せろという事か。身を低くすると半助も同じように伏せた。どうやら、正解だったようだ。
ガサガサと、叢を掻き分ける足音がした。
ーー半助と二人、地に伏せて気配を殺す。
すると、澪達から数メートル先の距離に、二人の男達が立っているのが見えた。叢の中に紛れるためか、同系色の忍者服を着ている。
どこの手の者なのだろうか。
「首尾は?」
「あと一人が予定通り、雑兵に紛れている。あちらが失敗しても、我らがここから狙う。露払いが終わった時が好機だ」
露払いとは間違いなく、銃撃戦の事だろう。二人の忍者の会話を聞いた半助が鋭く目を細めた。普段は優しい表情を浮かべている印象しかない整ったその横顔が、今は怜悧な物になっており一瞬だけこんな時なのに、ドキっとしそうになる。
落ち着け。
今は、この二人の男達の正体を掴む時だ。白か黒かーー果たして、一体どちらなのか。
「仕留められれば、蜈蚣もそれまでだ。連中も終わりだな」
蜈蚣。
俊敏にして獰猛おまけに毒持ちな昆虫は、女性が見たら悲鳴をあげて叩き潰すグロテスクな虫だが、前進しかしないため武将には、割と好まれる象徴だ。兜に蜈蚣を象った飾りがつけられていたり、なんて事もある。
そして、佐武もまたその旗印を蜈蚣にしているーーこれは、黒だ。
半助がハンドサインで簡単な指示を出してきた。向かって左の忍者は半助、右は澪ということらしい。一、二の三で飛び出せと指示の意味が分かった。
静かに頷き、数を数える……一、二、三、今だ!
突如として飛び出してきた半助と澪に、忍者達が気付くも澪達が相手を制圧する方が早かった。
「何だお前達、ぐあっ……!」
「何奴っ、ぐほっ?!」
二人の忍者達が澪と半助の手によって、それぞれ地面に押し倒される。
「佐武衆に手出しはさせん。雑兵に紛れた者が一人いると言ったな?仲間は他にいるのか、色々吐いてもらうぞ」
半助が低い声音で相手の忍者の首元にピタリと苦無を押し当てたまま、そう口にする。
ーーぶっちゃけ、滅茶苦茶格好いい。
普段からよく耳にする、優しい青年の声から一転、迫力すら感じる温度を感じない声音にゾクッとくる物があった。とはいえ、半助の声のギャップにときめいている場合ではない。
澪も倒した相手から色々と聞かねば。
と、思ったのだが。
「……きゅう」
白目になり、泡を吹いて完全に意識が落ちていた。どう考えても、澪の力が強過ぎてしまったようである。手加減したつもりだったのに、当たり所が悪かったらしい。
「えっ、ちょっと、起きてください!」
かるーく顔を叩くが、その衝撃で鼻血が出ただけだった。それを間近で見た半助が押し倒した忍者が、がくがくと震えている。ついでに半助も頭巾の下にある顔が引き攣っていたりした。
「ーーああなりたくなかったら、分かるな?」
完全に意識がどこかへ逝ってしまった仲間を前に、忍者は激しく頷いた。それというのも、般若面を被り見たこともない大振りの鈍器を背負った澪が怖過ぎたせいである。口には出さなかったが、半助は澪に倒されてしまった忍者にほんのちょっぴり同情した。
「暗殺を試みてるのはオレ達含む三人です。雑兵に紛れたヤツは、佐武衆が後方に下がる時に頭領を狙う予定です。あ、自分はフリーの忍者なんですけど倒れてるヤツと、雑兵は風魔流忍者だそうです。たまたま今回、自分は組んだだけでして……はい。あと、自分は分け前を貰うだけの予定だったので、風魔流忍者の二人が誰に雇われたかまでは知らなくてですね。お役に立てなくて大変申し訳ありませんです。だから、あの般若面にオレの事渡さないでぇー!」
「こらっ、抱きつくな。離せ!」
澪が余程恐ろしいのか。
正座をして、洗いざらい全部吐いた忍者が半助の腰に抱きつき澪に引き渡されまいと必死になっている。一方の半助は、男に抱きつかれるのが気色悪いのか引き離そうと必死だ。
「依頼主の事を知っていようが知っていなかろうが関係ない、我々と一緒に来てもらうぞ」
「そ、そんなぁ……」
半助から冷たく言われてしょぼりする忍者。とはいえ、暗殺を試みただけにお咎め無しとはいかない。
半助が縄を取り出して、あっという間に忍者を拘束してしまう。縄抜け出来ないよう、ぎっちぎちである。流石プロ忍と言えよう。
澪は気絶させてしまった上に顔中血塗れになった忍者と、半助に縛られ項垂れる忍者の二人を脇に抱え、合戦場へと全速力で向かった。
なお、走ってる最中、半助と同じ速度で翔ける澪にフリーの忍者の方まで合戦場に着く頃には口から魂を飛ばして気絶してしまっていた。
「あっ、ごめんなさい。半助さん!もう一人の方も気絶しちゃった!」
「大丈夫だよ。と言うか、人の暗殺を試みておきながら軟弱なのかも?」
決して澪の運び方が悪かったなんて言わない半助。好きな女性を悪くは絶対に言わないし言えない結果、しれっと敵の忍者の軟弱さのせいにする半助。
そんな事を言い出したら、澪を前にしては大体の忍者が軟弱になってしまうのだが、無論、そんな事はスルーである。
気絶したのをいい事に、忍者達は簀巻きにして後方にいたチャミダレアミタケの部隊の人達に預けた。佐武昌義の暗殺を試みた者達である事を伝えると、見張りをしてくれるとの事で手間が省けた。後は利吉と合流するだけなのだが……。
「人が多いと探しにくいね」
「利吉くん自身も移動しているだろうからね。佐武衆に妙な接近をする雑兵が居たら、捕えないと。予定通り、君は東、わたしが西を担当するとしよう」
「了解」
もし、暗殺者の忍者に遭遇したら気絶させないようにうまく倒さないといけない。でないと尋問に支障が出る。
「ーー絶対に、無理はしちゃダメだぞ」
ゾクッとした。
急に半助が近付いてきて、ひっそりと澪の耳元で、よりにもよってあの低い声で喋ってきたのだ。
不意打ちに、耳を押さえないようにするので精一杯だ。般若面をつけていてよかった……でなければ、動揺を悟られる所だった。
「分かっています、半助さんもですよ。では、ご武運を!」
余り話している時間はない。澪は妙にうるさく感じる鼓動を誤魔化すように、半助に返事をしてから駆け出した。
槍を持った雑兵の多くが、強ばった顔で前方の戦況の様子を窺っているのを横目に西へと向かう。
合戦場は空気を殴るような鉄砲の音と、殺し合いの怒号に包まれていた。湿気た空気に硝煙の臭いが混じり、気のせいかそこに血臭も潜んでいるようだ。
足元に死体こそ転がってはいないが、すぐ近くで人が紛れもなく死んでいく気配を濃厚に感じる。
人を殺したことはない。
だが、生まれ変わってから惨い死体を見た事は何度かある。例えば筵すら被せられず、飢えてやせ細り屍肉を鴉に啄まれている死体や、蛆のわいた腐乱死体等だ。
川の水を飲もうと汲みに行ったら、合戦で死んだと思われる遺体が流れて来て、飲む気を無くしたなんて事もある。
磔になった死体や、負けたために首を晒された武将の姿も。その中には血族と思われる幼い子どもの物だってあった。
澪は一度死んで、気が付いたら生まれ変わっていたが天国も地獄も知らない。だが、一つ分かるのはこの世は天国のように素晴らしい一方で、地獄のように惨いという事だ。
ぶっちゃけ、合戦場を舐めていた。
見た事はあるし、想像がつくから平気だろうと思っていたが、全然違った。取り乱したりこそしてはいないが、怪力さえあれば大抵は余裕だと感じる澪が、確かな恐怖を感じていた。
「死にたくない、死にたくない」
「帰りたい」
雑兵達の近くを通り過ぎる際、小声だったが、そんな言葉が聞こえた。
澪の存在には気付いておらず、陣笠の下から垣間見えたのは、十代と思われる若者達の真っ青になった顔だった。澪とそう変わらない年頃だ。
そんな中、鳴り響いていた銃撃の音が止む。露払いが終わったのだ。ドクドクと心臓の音がやけに煩く感じる。
進む隊列の邪魔にはならぬよう、だが、怪しい動きをしている者がいないか確認するのは至難の技だ。おそろくは、利吉もこのタイミングが最も危険だと判断しているはず。
佐武衆が徐々に後退し、変わって槍隊が前へ前へと進む。頭領の昌義の姿が遠目に見えた。
その瞬間、澪は鼻をツンと突く臭いを感じた。
湿り気を帯びた硝煙の臭いの中にあって、焦げるような臭いが僅かに香る方へ視線を向ける。
周囲の光景がスローモーションに見えた。一筋の細い煙が槍隊の中で立ち昇っている。
澪からの距離は数メートル程だ。
嫌な予感がして、槍隊の方を注視すると、一人だけおかしな動きをしている輩がいた。前へ進む槍隊が俄にざわつくのと、一人の雑兵が片手を掲げたのは同時だった。
そして、その手の中にある導火線に火が点った短筒を見た澪の動きは早かった。
高く跳躍して、人垣を飛び越えて短筒のすぐ前に躍り出た。
驚いたらしく、発砲音と共に弾が放たれるのと、双錘を盾に澪が銃弾を地面へ叩き落とすのは、殆ど同時だった。弾は跳ね返って明後日の方向へ飛んでいくなんて事もなくホッとする。
雑兵の顔が驚愕に歪む。澪は着地ついでに、雑兵の首根っこを思い切り掴んだ。
「佐武衆を狙う怪しいヤツがいるので、引きずり出します!!」
指揮官に聞こえるよう、大きな声で伝える。これで一安心かと、思ったその時だ。
する、っとまるで蛇が脱皮するように雑兵の装備を鎧ごと脱いで、忍者が脱出した。
ありかそんなの。
ぎょっと驚いたせいで、取り逃したのだと気付いた時には既に遅い。
「そこのお前っ、佐武の者だか何だか知らないが邪魔だっ。出ていけ!!」
佐武衆を狙う者がいたから摘み出すと言ったのに、指揮官に怒鳴って注意されてしまった。そりゃあ、一傭兵団よりも合戦の方が大事なのは分かるが。
こうなると、大急ぎで追いかける事も出来ない。だが、なるべく早く追いつかねばと忍者が逃げて行った方角へ駆けると、殆ど同時に利吉と半助が隊列から飛び出して来た。
随分と忍者から引き離されてしまっているが、間に合うか。
「っ、ごめんなさい!」
「問題ないよ、暗殺は阻止したんだから。大手柄さ」
澪が謝ると間髪入れず、利吉から返答があった。見ると、手に鉤縄を持っている。そしてそれを、前を走る忍者へ向かって投げたが、ギリギリの所で届かない。
半助も懐から投擲武器を取り出して投げているが、あと僅かという所で距離が足りない。
やたら逃げ足の早い忍者に、利吉が舌打ちしていた。
その忍者が、遂には西の端ーー叢の中へと姿を紛れ込ませるかに見えたその時である。
「とぉうっ!!」
と、声がして赤茶色の忍者服を着たドクタケ忍者ーー風鬼が木の上から飛び降りて来て、逃げていた忍者の上に飛び乗った。
そして、待ってましたとばかりにもう一人のドクタケ忍者、雨鬼が叢から現れて忍者をあっという間に簀巻きにした。
般若面の下、ポカンと間抜けな顔になる澪。利吉や半助も呆気に取られている様子である。
「澪さん。やりましたよっ!」
「どうぞどうぞ、曲者です」
「あ、はい。ありがとう……ございます」
澪の前に膝を着き、軽く一礼するドクタケ忍者。ちなみに勿論、ドクタケ忍者隊の首領は稗田八方斎という不味そうな中華料理っぽい名前のぬらりひょんのような男であって、間違っても澪ではない。
なのに、この二人の態度ときたら。
まるで澪が首領みたいな扱い、否、下手したら稗田八方斎に対応する時より、余程にボスらしい雰囲気である。
これには利吉も半助も、一体全体何が起こっているのかさっぱりで、互いに顔を見合せていた。
「また協力してもらって、すみません」
「いえいえ、我々は今日は敵対してませんので。この位はお安い御用です」
「そうそう。敵対してない時は是非とも友好的にお願いします」
忍術学園と敵対したりそうでなかったりと、ややこしいドクタケ忍者隊が、やたら今日は腰が低い。般若面を被りデカい迫力の鈍器を背負った、澪の人徳(?)の為せる技である。
「あー、どういう事かさっぱりなんですけど、これで一件落着って事なんですよね。土井先生?」
「わたしに聞かれても。まぁ、良いんじゃないかな。結果的に暗殺者は全員捕まえたわけだし」
利吉と半助がこそこそと、そんな会話する中、何故か澪は風鬼と雨鬼に握手されていたりした。
「うちの子、ふぶ鬼って言うんです。もし、会うことがあったら、よろしくお願いします」
「あ、はい」
「ドクタケの城下に来ることがあったら、案内しますんでっ。いつでも呼び出してくださいね!」
「え?はぁ……」
風鬼や雨鬼は利吉や半助の存在をガン無視して、澪だけにやたら好意的である。すぐ近くは合戦場のため、殺伐とした光景が広がっているのに、ドクタケ忍者二名と澪だけは、ほんわかした空気である。
「ーーオッホン、二人とも、我々は戻らねばならないのでその辺にしてもらおうか」
半助は澪の手を握るドクタケ二人を引き離し、さっさと本題に入った。その隙に利吉がちゃっかり簀巻きにされた忍者を回収する。
「ハッ、お前は土井半助?!」
「そこに居るのは山田利吉かっ!澪さんだけでいいものをっ……!」
「悪かったな。手伝ってもらったのは一応、礼を言うが自分達の仕事に戻れ。お前達はどうせ、偵察の最中なんだろ」
どうやら、澪以外に人がいる事は理解してはいたが、それが半助と利吉である事に、たった今気付いたらしい。間抜け過ぎるドクタケ忍者達に、利吉が真っ当なツッコミをした。
「お二人とも、本当にありがとうございました。えっと、そろそろ失礼しますね」
「いえいえ。お気をつけて」
「またお会いしましょうね」
半助や利吉に向けていた敵意が、澪相手だと嘘みたいに無くなる。その変わり様を前に二人は眉を寄せ、一方の澪は何だってそんな好意的なのか分からないまま、まぁいいかと手を振って別れる事にしたのだった。
「ちょっと、澪さん……どういう事なのかな?」
「いや、そんな事言われましても。わたしも何が何だかさっぱりでして」
ドクタケ忍者と別れるや否や、妙な迫力を纏った半助に問われるも澪は覚えがないため首を傾げる他ない。
「アレじゃまるで子分のようだ。澪さんたら、いつの間にあの二人を舎弟にしたの?」
「そんな覚え一切無いから」
どこぞで名を馳せる不良じゃないため、澪は利吉の言葉に般若面の下で思い切り顔を顰めた。とはいえ、利吉の表現がしっくり来るのは何故だろうか。
「まぁ……、あの二人限定かもしれないけど、ドクタケ忍者とはいえ好意的な人が出来たから、良しとするわよ。こうして、今回は役に立ったわけだしね」
利吉にそう話すと、静かに頷いてくれたが半助は眉が寄ったままである。ちなみに、半助が不機嫌そうな顔をしているのは、澪の手をあの二人が触ったからという、しょうもない理由であったりしたのだが、澪はそんな事は想像もしていない。なお、利吉は何となくその事に気付いて苦笑いしていた。
それを口に出せば、多少なりとも澪に好意が伝わるというのに、口にしないからこそ伝わらず、半助の本命は利吉という末恐ろしい勘違いをされている現状である。この場合、一番の被害者は原因の半助ではなく利吉であろう。
程なくして、合戦場に合流を果たした澪達は暗殺者一行を全員捕らえた旨、昌義へと報告した。まだ戦の最中とはいえ、とりあえずは忍務完了となり澪達は後方での待機を言い渡された。
とはいえ、何もしないというのも気が引けて澪は負傷した兵士達の手当を手伝う事にした。なお、利吉は捕らえた忍者の尋問を行い、半助はその手伝いである。
そんなわけで、澪は般若面を外し双錘は箱にしまって救護にあたっていた。
胸はサラシで潰しているため美少年忍者にしか見えない澪が、負傷者の手当にあたると、好評価を得た。口々に、皆「すまない」と言いつつも安心した様子だった。
とはいえ、中には軽口を叩く者も勿論いる。
「綺麗な顔してるな、お前。姉とか妹とかいないのか?」
「はいはい、止血するんでじっとしててくれますか」
澪の顔を見て、色めき立つ者もいたがガン無視である。殆どは、もう戦えなくなった者達のため、かなりの怪我をしており場違いな質問をする余裕はない。
事切れた者もおり、そうした者達は後で弔うために別の場所へと移動させられたりしていた。手を合わる暇もなく、次々と負傷者が運ばれてくる。
戦が終わったのは、ポツリポツリと小雨が降って来た時の事であった。遠くで勝鬨が上がる音が聞こえた。手当を受けている兵士達が軒並み、どこかホッとしたような顔をしているのを見て澪も少しだけ肩の力が抜けた。
戦は、チャミダレアミタケの勝利である。サンコタケ側は敗走したようで、ひょっとしたら賠償金代わりにどこぞの領地を差し出すかもしれないが、そんな事は澪が感知する所ではない。
幸いだったのは、佐武衆に負傷者こそいたが死人が出なかった事である。澪が手当をしたのだが、一番の重傷者は流れ弾が肩に当たっていた人で、治療が大変だった。弾は貫通していたが、出血が止まらず仕方なく傷口を焼いて無理やり止血したのだ。痛み止めなんてないため、口に猿轡を噛ませてやったのだが、肉の焦げる臭いと苦悶に歪む男の顔が脳裏に焼き付きそうだった。
ーー自分で受けた仕事のため、合戦の凄惨な光景を見てしまった事に関して、文句や不満を言う気は毛頭ない。
ただ、全てが終わる頃には疲れてしまっていた。まるで徹夜明けの仕事をした時みたいだった。気疲れが凄くて、歩くのも億劫に感じていた。
戦が片付き、撤収作業が終わって佐武衆と話が出来たのは既にとっぷりと日が暮れてからの事だった。
どうやら、佐武衆の活躍ぶりをお殿様が大層喜んで宴席を設けてくれる事になったらしい。澪は断ったのだが、半助や利吉も含めて出るように昌義から強く言われてしまったので、断るに断れなかった。
ちなみに、尋問の結果、佐武衆頭領の暗殺を企んだのは矢張りと言うか今回の敵方のサンコタケのお城だったようだ。
とはいえ、捕まった忍者達は暗殺が未遂に終わった事もあり、雇い主を教える事、詫び金を幾らか支払い、最後に佐武衆に二度と敵対しない事を誓紙に記す事でお咎めなしとなったようだ。勿論、破れば次は無いため忍び達は佐武衆に殺されても文句は言えなくなる。
昌義の仕置は、非常に寛大な措置と言える。忍びや傭兵が、汚れ仕事の引き受け役であるとよく知っているためかもしれなかった。暗殺を請け負った忍者達に同情したのか……その心中が分かるのは昌義本人だけであろう。
ーーそして、時は夕刻となり、合戦場から場所を移し、佐武衆の逗留する屋敷にて。
「佐武衆の皆、そして利吉殿、土井先生、伝助殿、大変素晴らしい働きぶりであった。殿様も我らの働きに大層お喜びになり、このように沢山の馳走が供される事と相成った次第だ。祝杯を上げようではないか!」
合戦が勝ちで終わり、皆、機嫌が良かった。美味そうな料理の数々が正月かと疑いそうな程に供され、多くが強かに酒を飲んでいる。
給仕のため、綺麗所の女性達が多くやって来ており、佐武衆の中でも美形の若者や、端っこの方に座って目立たないようにしていたのに、半助や利吉、そして絶賛男装中の澪まで女達にとっ捕まった。
「あれまぁ、男前なお方達っ!」
「さぁさ、どうぞご一献。あたくしに注がせてくださいませ」
「なんて綺麗なお顔なんでしょう……見蕩れてしまいますわ」
ロックオンされた利吉と半助は、慣れているのかお姉様方の機嫌を損なわない程度にやんわりと交わしている。
で、澪はと言うと。
「はぁ。とっても、まつ毛が長いんですわね。綺麗……」
「あはは、おねーさんもお綺麗ですよ」
「ひょっとして、何かお手入れされてます?よろしければ教えてほしいですわ。透き通るようなお肌。なんて羨ましいっ!」
「本当、本当、シミひとつ見当たりませんわ」
マジマジと観察され、女性達に絡まれていた。室内を灯りが照らしているとはいえ、蛍光灯のそれよりずっと暗い室内で、よくもまぁ澪の肌の具合なんて確認できるものである。女性の美への探究心は、恐るべき物がある。
離すまじ、とある意味でこの場の誰よりも女達からモテモテの澪である。正直、食欲もそんなにないので早く退散して今日はもう寝たい。そして、明日の朝にとっとと忍術学園に帰りたい。
そう思った時である。
「ーーすみません。ちょっと伝助くんを借りていいですか?顔色が余り良くないようだ」
半助がやって来て、あっという間に伝助を女性達の輪の中から取り上げた。澪は半助よりも小柄で体重も軽いため、簡単に抱えあげられてしまう。
「え、ちょ、半助さん……?!」
「うん、やっぱり余り顔色がよくない。わたしと、出ようか」
思わず素が出て、下の名前を呼ぶとニコリと微笑まれた。利吉を見ると何かを心得たように手を振って見送ってくるだけで、止める様子は一切ない。
澪はあれよあれよと、半助によって寝泊まりする部屋まで連行された。
「は、半助さん。あの、わたしは大丈夫ですから。宴の席に戻った方が」
部屋に戻るなり、澪はそう提案するが半助は首を横に振った。そして、部屋に灯りを点けるとそのまま澪の顔を黙ってじっと見つめてくる。暗闇の中、赤い炎の光に照らされる半助の整った面差しが澪のすぐ近くにあった。
その事に、今更のようにドキッとした。昼間、半助がやたら格好良かったのを思い出してしまいそうになる。
「確かに、君の顔色は悪くはないよ。でも、食欲は無かったし、どこか上の空だった……合戦場は初めてだったんじゃないのか?」
澪の反応を全て見逃さないとでも言わんばかりに、半助が穴が空きそうな程見つめてきた。言い逃れしたり、下手に誤魔化そうとしても無駄だろう。澪は諦めて、黙って頷いた。
瞬間、半助がぐっと眉を寄せて険しい顔になる。
「どうして、依頼を受けたんだ。例え利吉くんの頼みでも、引き受けるべきではなかったはずだ……!」
半助の顔は険しいが、決して怒っているような物ではなかった。どちらかというと、親が子を心配して思わず叱るようなーーそんな雰囲気があった。
だからか、澪も冷静に返事が出来た。
「遠目に合戦を見た事くらいはあったし、惨い死体だって目にした事はあったから、大丈夫だと思ったの。実際、流石に吐いたりはなかったし」
「そう言う問題じゃない。大の男でも、気が狂れる事だって有り得るのが戦場だ。身体は大丈夫でも、それだけ心が疲弊する。今の君の状態はそれだ」
そうか。
半助に言われてストンと腑に落ちる。
「今日はもう身を清めて横になって寝るんだ。いいね?」
「……うん、分かった」
「それと、思った事は吐き出した方がいい。わたしでよければ聞くから。溜め込むのはよくないからね」
ポンポンと、肩を軽く叩かれた。そうすると、あやされているような気になってくる。きり丸の子守りのアルバイトを引き受けていた半助が、赤子を上手く扱っていたのを思い出した。
澪より大きな男性の掌は温かくて、その手が肩を一定のリズムで叩く行為が、合戦場にいたせいで身体の中に、あるいは心の中に溜まってしまった冷たい物をゆるりと溶かしていくようで、心地が良かった。
「……だったら、甘えていい?」
「えっ」
「半助さんがわたしにしてるみたいに、わたしも半助さんに甘えたい。いいでしょ?」
半助が言うように、心が疲れていた。合戦の惨さを身をもって実感した反動かもしれない。知っていたつもりになって、肝心要の所は何も知らなかったのだなと思った。
「……甘える相手がわたしで、いいのかい?」
「わたしが良いって言ってるのに?嫌なら無理にとは言わないけど」
「嫌なわけないっ!」
言うや否や、半助に抱き寄せられた。澪がいつも半助にそうしているように、優しく頭を撫でられる。
ーー成程、これは半助が澪にしてほしいと言うわけである。
「汗臭くてごめんね、半助さん。こっちに来てから、身体を拭いてるだけだから」
「そんな事ないから気にしないで。むしろ、わたしの方が汗臭いかもだし」
確かに半助から汗の臭いはするが、臭いと思う程でもない。むしろホッとした。
そのせいか、今日思った事を口に出していた。
「……実は怖かったの。合戦場」
「そうか。わたしも最初に合戦場に行った時は、足が竦んで危うく流れ矢に当たりかけた事がある。動けていた澪さんは凄く偉いよ」
素直に思いを口にする澪を、は組の良い子達に語りかけるような口調で褒める半助。
だからか、自分が子どもに戻ったような気になる。
澪は目を閉じて、半助の体温を感じつつも続きを口にした。
「救護の手伝いをしてたんだけど、中には亡くなる人もいてね。子どもじゃないから、ショックで泣き叫んだりはしないけど、見てて気分がいいものじゃないから……ちょっと、辛かったかな」
半助の手がゆっくりと、澪の頭を撫でている。絶妙な力加減に、このまま続けられたらウトウトしそうだった。
「頑張り屋さんだね」
よしよし、と言われているようだ。
「きっと、今までも沢山頑張ってきたんだね」
半助が何を思ってそんな事を言ったのかは分からない。分からないが、そんなふうに言われると今日の事だけじゃなく、この戦国の世に生を受けてから今までの事が急に走馬灯みたいに頭の中を駆け巡って……。
ポロっ、と一粒だけ涙が出た。
そして、よりにもよってそれを半助に思いっきり見られてしまう。
半助は何も言わず、澪の涙をそっと指先で拭ってくれた。
「もっと沢山、泣いていいんだよ」
涙は、ストレスホルモンを外に出すのに効果的な作用がある。だから、子どもは我慢せずに沢山泣く。だが、大人は何時からか、我慢するようになって知らず知らずにストレスを溜め込むのである。
そうか、泣いていいのか。
半助の優しい声が引き金になったようで、澪はポロポロと涙を零した。その全部を、半助がいつの間にか取り出した手ぬぐいで、優しく拭ってくれる。
「……半助さん、戦ってなんて酷いんだろうね」
「そうだね。酷いし、惨い物だ。どうして日ノ本の民が殺し合いをしないといけないのか、そう思うよ。澪さんから異国の話を聞いたら尚更ね」
ぽんぽんと、背中を優しく叩かれながら頭をよしよしとされ、たまに涙を拭われる。完全なる子ども扱いだが、恥ずかしいよりも安心した。半助が教師で、子どもの扱いに慣れているせいなのかもしれない。
歴史と言えば浪漫はあるが、古代から現代に至る歴史の中で、人類が戦わなかった事は一度たりとてない。
だが、その分だけ文明は進歩して来た。戦いがあったから、人は便利な暮らしを手に入れたのだ。
だが、そんな物は結果論だ。殺し合うとはどういう事か、そこに浪漫や夢はなく死体が転がっていくだけの世界を見た澪は、ただ疲れてしまった。
今日の戦も、一体何のために多くが死んでいったのか、何も分からなかった。それは澪が女だからかもしれない。男であったなら、そこに戦の美学を見たのかもしれない。
「合戦は好きになれないわ。とっても疲れるから」
「そうかい、同じだね。わたしも好きじゃないよ」
「……でも、仕事で必要があるならこれからも行くと思うの。だから、止めないでね。その代わり、疲れたらまたこうして甘えていい?」
「本当は止めたいけど、君が出した答えがそれなら応じるだけださ。でも、君が行くならわたしだってなるべくついていくよ。でないと、疲れた君を甘やかしてあげられないから」
半助が苦笑いして、澪の頭を静かに撫でた。抱き寄せられているから、トクトクと半助の力強い心臓の音がする。
生きている人の音だ。澪の中で少しずつ、合戦で溜まった心の疲れが取れていく。
「今日、半助さんがいてよかった」
心から、そう思った。澪は優しく自分に触れる半助の手に安心して目を閉じた。
だから、半助が耳まで真っ赤になって、愛おしそうに澪をじっと見つめていた事に全く気付かなかった。
ーー翌朝。
澪は軽く朝餉を食べた後、半助と共に忍術学園へ帰還するため屋敷を出た。利吉も一緒だ。既に報酬は貰っており、結構な額である。利吉の方が元々依頼を引き受けたため、分け前が多いのだがそれにしても多い。
今度、下手くそかもしれないがきり丸で練習させてもらったら、今度は半助のために袴を縫おうと澪は決めた。伝蔵にも、何かお礼をしようと思ったり。
昨夜、色々あって半助に甘えたお陰で今朝はいつもの調子を取り戻していた。そのせいか、妙に照れくさくなってしまった。別に普通に半助と会話は出来るのだが、つい昨日の事を思い出しては照れ笑いしそうになる、と言おうか。
「見事暗殺を防いでくれた事、誠に感謝する。何かあれば力になろう。その時は遠慮なく言ってくれ」
帰り際、佐武昌義直々に見送りをしてくれた。付き添いで照星も一緒で、学園に顔を出した時は宜しく頼むとの事だった。
「紀伊国に来たくなったらいつでも言ってくれ、案内しよう」
昌義はまだ諦めていなかったのか、最後に一言、澪に声をかけていた。半助が首を振り、腕を交差させてバツ印を作っても何のその。男らしく笑っていた。虎若の父、佐武昌義は男らしくて格好いい頭領に相応しい男であった。
天気は曇りがちだが、雨は降っておらず運が良ければ雨宿り無しで学園へ帰還できそうである。
「それじゃ、またね利吉くん」
「うん、澪さんもお疲れ様。またね」
暫く歩いて岐路に立ち、一旦、帰宅するという利吉とは別れる事になった。
「土井先生、ちょっとお耳を」
すると、別れ際に何やら利吉が半助を手招く。何かあるのだろうか。とはいえ、詮索する気はない。大人しく待っていると、半助が利吉の方へ近づき何やら耳打ちをされて……目を見開いて固まり、同時に耳まで赤くなった。まるで照れているみたいだ。
何を一体言われたのか、分からないが利吉が好きな半助が、内緒話をされて嫌なはずもない。
「それでは、さようなら!」
利吉が笑顔で手を振る。なので澪も微笑み返して手を振る傍ら、半助だけは顔を赤くして固まっていた。
実は半助は、利吉に澪との事を応援すると言われて凄まじく照れていただけだったりしたのだが、澪はそんな事は全く知らない。
ただ、半助が僅かなりとも利吉と接触が出来て良かったと思うだけだ。
「じゃ、わたし達も帰りましょうか半助さん」
「う、うん。そうだね!」
こくこくと頷く半助の反応を見ると、昨日の事が嘘のようだ。頼り甲斐を感じさせる大人の男性としての一面がある一方で、どこか可愛らしい反応をする半助を前にすると、その恋が叶えばいいと思う。
チクリと。
微かに胸が傷むのはきっと、昨日、半助に甘えてしまったせいだ。半助に想われる利吉が、羨ましいと感じるのは、半助の優しさを身をもって実感してしまったからだろう。
澪はそう結論を出して、この時感じた気持ちにそっと蓋をしたのだった。
