第9話 忍術学園最強の秘書
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ーー梅雨入りかもしれない。
空には重たげな鉛色の雲がたれこめ、雨が降っていた。雨が地を強かに打つ音がして、立ち上るように香る湿った大地の匂いが鼻をくすぐる。
学園に植えられた紫陽花が美しく咲いていたので、梅雨がそろそろ来るかと思ったらどんぴしゃだった。
「土井先生、澪さんは出張で何処に行ったんですか?」
授業の終わり。
廊下から外の様子を伺っていると、きり丸に話しかけられた。
昨日から伝蔵も出張のために不在であり、それも手伝ってか落ち着かない様子だ。きり丸だけでなく、他の生徒達にも同じような質問をされたので、行先ははっきり告げずに学園長の用向きであるとだけ伝えている。
「さてね……そんなに遠くではない事くらいしか知らないよ。差程に長くなる用向きでもないから、あと数日もすれば戻るはずだ。そう心配するな、きり丸」
この雨では、火薬が濡れるため佐武衆は出られない。
銃撃戦が出来ないとなれば、相手方が奇襲でも仕掛けてこない限り、チャミダレアミタケ側は打っては出ないだろう。
元々強いのに佐武を雇った時点で、チャミダレアミタケは自軍の損害を最小限に抑える戦をするだろうと読み取れる。
よって、サンコタケが乾坤一擲の勝負にでも出ない限り、今日の戦はないだろう……と思う。つまりは、伝蔵ではなく明日に出向く半助の時に合戦がある可能性が高いという事だ。
明日に雨が止めば、合戦になろう。水捌けの良い土地ならいいが、そうでないなら地面がぬかるんで徒歩の足軽等には中々厳しい戦場となる事が予測された。
「あの」
「ん?」
「あ、いえ……何でも、ない、です」
何やら歯切れが悪い。俯くきり丸の頭は自分より小さい子どもの物で、一見、頼りなく見えるがその頭の中で精一杯に考えて生きている事はよく理解しているつもりだ。
戦乱の世を生き抜くのは難しいのに、我が身や時代を嘆いて終わるのではなく、きり丸は忍術学園の入学金を貯めて門扉を叩くだけの行動力と度胸がある。
半助自身もまた、戦国に翻弄される波瀾万丈な人生を歩んでいるからこそ、きり丸の事を分かっている……そのつもりだったのだが、これはどうした事だろうか。
と言うより、武術訓練の日からきり丸の様子か何となくおかしいのだ。
何が、とはハッキリは言えないが。
「あの、土井先生。そのうち、相談したい事があるんで、時間を作ってもらえませんか。できたら、長屋に帰った時とかがいいんですけど。出来たら学園の外で、話したい事があるので」
「……それは別に構わないが」
「ありがとうございます。それじゃ、オレ、筆造りの内職があるんで、これで失礼します!」
頭を下げて去っていくきり丸。何やら、キリッとした顔をしていた。まるで、何かを決めたような顔だ。それが何かは知らないが、応援出来る事なら手伝ってやりたいし、見守った方がいいならそうするだけの話である。
明日に合戦場に向かう準備でもしようと、部屋に戻る。その途中、またも呼び止められた。
「土井先生、ちょっといいですか」
「安藤先生……?」
半助に声をかけたのは、一年い組の教科担当の安藤夏之丞である。てかっとしたやや油っぽい顔が特徴的な安藤の表情は、きり丸と同じく何かを決意したような顔だった。
「今から離れのわたしの部屋に来てもらえますか。厚着先生もおります……その、澪さんの事でお話が」
「はぁ。それは構いませんが」
おそらくは、い組の生徒の澪に対する態度の事だろう。は組の生徒達が話していたのを小耳に挟んだので、半助も少しは知っているつもりだ。
安藤に案内されて、彼の部屋を尋ねる。男性職員達の部屋はその多く職員専用の長屋にあるのだが、安藤だけは離れに部屋があるのだ。たまに会計委員会の委員が、集中して算段を行うためにわざわざ安藤の部屋を訪れたりする場所である。
部屋につくと、安藤の言う通り既に厚着が座って茶を用意してくれていた。
「それで、澪さんの事でお話と言うのは……?」
澪は今、出張で不在である。一年い組の生徒達の状況を流石の安藤達も放置はしないはず。そのうち、何らかの然るべき措置を施すだろうと判断し、半助は静かに見守るつもりでいた。
おそらくは、他の教員にしてもそれは同じである。なのに、この二人が半助をこうして呼び出すのは一体どうした事なのだろうか。
「お気付きかとは思いますが、一年い組の生徒達の件です。戦闘訓練で教師達を倒した澪さん相手に多くの生徒が脅えています。今は澪さんが出張中のため普通にしてますが、今日も生徒の一人が不適切にも澪さんの出張が長引けばいい等と言いまして。流石に目に余り、注意している有り様です」
普段、一年は組と比べて成績がいい事を自慢気に語る事の多い安藤が、困り顔で腕を組んでいた。まぁ、無理もない。
澪に抱く必要のない過度な恐れの感情を抱いているのだから。
それにしても、本人が居ないからとはいえそんな事を口にするなんて。安藤は注意したと言うが、半助がもしその場に居たら一年生相手に真剣に怒ったかもしれない。
半助の眉が、一瞬だけ不快気にぴくりと動いたのを気付いてか。
「土井先生のように普段から澪さんと交流の多い者からすれば、子どもとはいえ気分のいい話ではないでしょうな。実は、作法委員会の委員長の立花仙蔵をはじめ、上級生達からも一年い組の件では色々と言われてましてな」
厚着が半助の様子を伺いながらも、そう口にした。教師達はまだ黙っているが、上級生は動きが早い。その事が少しだけ、半助の気分を落ち着かせてくれる。
「余りに長く続けば、上級生達どころか教師は勿論、学園長先生からも目に余るとそのうち、苦言があるのは明らかです。それで、澪さんに協力してもらって一計を講じたいのです。わたしは、余り気が乗らないんですけど」
「はぁ、澪さんに……ですか?」
厚着が続ける言葉に、半助は首を傾げた。気が乗らない、という厚着の一言も気になるが、それとこの場に自分が呼ばれた事と何か関係しているのだろうか。
「厚着先生から伺いましたが、何でも澪さんはお酒に弱くて飲むと怪力が出なくなるんだとか。ですから、一年い組の生徒達にお酒を飲んだ状態で澪さんが挑んで負けてくれたら、と思うのです。自分達で澪さんを倒せば、怖くなくなるしひょっとしたら、自信もつくのではと思いまして」
てかっとした顔の安藤が、とんでもない事を口にする。あまりの事にポカンとして、間抜けな顔になる半助。
「土井先生には、是非とも我が一年い組の生徒のために協力してもらいたいのです!」
「……」
「どうです?澪さんを我々と一緒に説得してもらえませんか。若しくは、こっそり酒を飲ませるとかでもいいですよ。子ども達のためにも!」
「そんな事、協力するわけないでしょーがぁ!!!」
半助は声を大にして、全力拒否した。
「ほらやっぱり。安藤先生、幾ら子ども達が可愛いからって、それは度が過ぎた頼みというものでは」
「何を言うんです、厚着先生!教師たるもの、自分の担任の生徒と言わず、分け隔てなく接するのが筋ってものでは?!」
「日頃から、うちのは組をバカにしてるくせに、そんな事言いますかっ!!」
厚着は安藤の態度に、やや呆れた様子だ。
一方、如何にも教師らしい事を口にする安藤に、思わず半助はツッコミした。
「澪さんに酒を飲ませる?駄目に決まってます。澪さんは怪力が出なくなるだけじゃなくて、滅茶苦茶可愛くなってキス魔になるんですよ!」
「えっ、キス魔?それは聞いてませんよ、厚着先生。わたしの大事な一年い組のファーストキスが澪さんに奪われてしまう危険性があるって事ですよね?一年での成績がファーストなだけにっ!」
「だから、絶対のぜーったいに許しませーん!澪さんがいいと言ってもわたしが何としても、どんな手を使ってでも阻止しますからね。つまらない駄洒落もやめて下さいっ!」
澪に酒を飲ませるなんて言語道断だ。
思い出すのは、舌足らずな口調で見た目通りに少女程度の力しか出なくなってしまった澪の姿だ。
半助しゃん、なんて言ってへらっと無防備に笑い、あと少しで唇に届くかという至近距離に、口付けを落としてきた澪は凶悪に可愛かった。何なら、抱きしめて離したくないくらいだった。
厚着の頬に澪がキスをした時は、今後は絶対に酒なんて飲ませない、徹底的に監視してやると思ったのに自分が口付けがされた瞬間に、自分と二人きりの時なら有りかと思ってしまうくらいに非常に魅力的だった。
というか、むしろ半助と二人きりで酒を飲んでほしいと不純な動機を抱いてしまいそうになるのを、理性で堪える程だ。
そんな風になってしまった澪を、一年生の忍たま相手とはいえ見せたくない。第一、澪本人が嫌がる可能性が高い。今後、酒を飲まないと言っていたくらいなのに。
それなのに、一年い組の為だとか何とか言ってけしからん話である。大体、問題の本質は澪にはないのである。
「問題は澪さんにあるのではなく、恐れを抱く子ども達にあります。仮に澪さん相手にそのやり方で恐怖を克服できたとして、もし、また別の誰かに恐怖を抱いて過度に恐れたりしたら、その時もその相手に何か頼む気ですか?相手が頼み事ができるような人とも限らないのに」
「それはそうかもしれませんが……では、土井先生は何か他にいい手だてを思いつくのですか」
「それは一年い組に、は組のような実戦経験を積ませるという事ですかな?」
半助の正論に、安藤と厚着が顔を見合わせる。一年い組の現状を打破するための手立て……このままでは、澪が下手をしたら人前で酒を飲むという、その身を犠牲にした協力をさせられかねないと考えた半助は、安藤達と一緒にい組の子ども達の事を真剣に考えた。
なまじ頭がいいだけに、は組の子達をバカにする生徒達も多数居るが、根は素直で良い子達なのは半助も知る所である。
十歳は、まだまだ幼く子どもだ。は組が半助の受け持つ子ども達であるが、学園に在籍する教師の一人としてクラスが違うからと無視もできない。
その時だ。廊下を歩く人の気配がして、こちらにやって来るのが分かった。安藤と厚着もそれに気付いて口を噤む。
「ーー六年い組の潮江文次郎です。安藤先生はおられますか?」
「ええ、居ますが……今は、厚着先生や土井先生と話し中なので」
「そうですか。実は、一年い組の生徒達の件でご提案があったのですが」
相談ではなく提案と聞いて、半助は安藤達と顔を見合わせた。
「それなら、入って来なさい。実は我々も一年い組の事で、相談をしていたんです」
「では、失礼します」
障子戸を開け、潮江文次郎が入室してきた。厚着と半助を見て、軽く一礼して下座に座る。
「確か、会計委員会には任暁左吉がいたな。ひょっとして、それで提案等と……?」
「その通りです、厚着先生。佐吉は同じ会計委員の加藤団蔵にどうしたら、澪さんを怖く感じないかと聞いていました。それで、気になって佐吉に色々と質問し、一年い組の現状を知りまして。上級生として、何かできないものかと」
成程、と文次郎の言葉に納得する。
「実は、わたし達は澪さんに協力してもらって、一年い組の恐怖心を拭えないかと考えていたのですが、それでは澪さん以外に恐怖を抱いて同じような事になった時に困ると、土井先生から指摘されましてね。何か他にいい案がればと思っていたんですよ」
「そうでしたか。ちなみに、どんな協力依頼を澪さんにされようと?」
「ああ、それは……」
「安藤先生、ダメです。文次郎は生徒ですよ」
職員同士ならともかく、澪本人の許可なく忍たまにまで話すのは余りよくない。知らぬ場所で、酒に滅法弱いだけでなく、怪力も出なくなる上に色々とまずい事になると話されて、気分が良くなるはずもない。
半助が首を振ると、厚着も頷いたので安藤は肩を竦めてみせた。
「すみませんねぇ、ご覧の通りちょっと言えません」
「はぁ……。気になりますが、分かりました」
文次郎は性格的に教師を立てる真面目な所がある。追求はせずに、居住まいを正して真っ直ぐに安藤の方を見た。
「一年い組が、澪さんを恐れるのは忍者の三病の二つが悪さをしていると思うのです。おそらく、一年生で最も成績が優秀なクラスだけに、考え過ぎてその事が無用な恐れを生み出しているのでは、と……恥ずかしながら、わたしにも経験がありますので、すぐに分かりました」
「ほう、成程。は組と違いうちの子達は優秀ですからな。わたしもそうでないかとは思っていましたが、流石は会計委員会委員長っ」
気を良くしたらしい安藤が、言わなくてもいい一言を言って頷く。イラッと来ていると、厚着にまぁまぁと宥められた。
「なので、一年い組を筆頭に恐れとは何かを理解させてはどうかと。賢い子ども達です。理解すれば、自ずと澪さんへの恐怖は克服できるでしょう」
「恐れを理解させる必要性は分かるが、一体どうするんだ文次郎」
文次郎の言葉を聞いた半助は、思わず質問していた。
恐れと言っても、種類がある。一つは決して適わぬもの、圧倒的存在や理解の及ばぬ事象に対する恐れだ。これは本能に根ざしたものであり、人間もまた同じ生き物として決して逃れられない恐怖である。最も分かりやすい例としては、死への恐怖だ。これは分かっていても、どうしようもない部分がある。
そして、もう一つの恐怖は己の思い込みや想像によるもの。これは人間だからこそ起こる恐怖で、幼い時ほどそれは顕著だ。見えている世界が違うのだから子どもの時ほど怖がりなのは、当たり前である。これは経験で克服できる事もある。例えるなら、暗闇に対する恐怖だ。
一年い組の澪への恐怖心は後者であろう。だからこそ、彼らの作り上げてしまった恐怖を壊すには澪自身が体を張って弱点を見せて歩み寄るか、あるいは子ども達が自ら経験を積んで克服するかのどちらかになる。
「上級生達で、学園に幽霊かあるいは妖怪騒ぎを起こそうかと。最終的には種明かしをしますが、恐れとは何かわたし達が学習させます。如何でしょうか?幽霊や妖怪は居ません。自らが作り上げた恐怖で怯える事は、騙される事にも繋がる。騙すならともかく、騙されるのは忍びにとって一番に気をつけるべき事です。その辺を身をもって理解させられれば、と」
「んー、子ども達を悪戯に脅かすのは……やはり、澪さんに協力してもらった方が」
「何を言うんですか安藤先生!それは、絶対にダメです。それに、中々にいい手ではありませんか。上級生にとっても、下級生相手とはいえ人を脅かす実習になるんですし」
「土井先生の言う通りですよ、安藤先生。それに、時には心を鬼にして子ども達に試練を与えねばなりません。安藤先生だって、賢いだけでは一人前の忍者にはなれない事を分かっているでしょう」
潮江文次郎の話は渡りに船だ。厚着も澪へ頼るやり方が気に入らないのか、半助の味方をしてくれた。
「い組だけ、上級生達に仕掛けられるのは気に入りません。それなら、は組もろ組も一年生全員対象で。それだったら、いいでしょう」
澪の事を怖かっていない、は組やろ組はぶっちゃけ関係ない。が、成績優秀であるのと同時に教科担任の安藤の影響もあって、い組は気位が高い所がある。自分達だけ標的にされたとあっては、安藤が既に気分を害してる時点で子ども達からも文句が出る可能性が高い。
やはりそれなら澪に……と話が振られる位なら。
「いいでしょう。は組も対象にしてくれて、構いません。ですが、ろ組への説得はお二人にお願いしますよ」
は組の良い子達には申し訳ないが、これもまた修行だ。教科の成績はアレだが、実技となるとポテンシャルがある子ども達を信じ、半助は了承したのだった。
+++++
上級生達による、一年生向け幽霊或いは妖怪騒動計画がひっそりと始動の兆しを見せた後、半助は予定通り部屋へ戻って翌日の出張準備をした。
と言っても、着替えに路銀、そして武器を準備する程度だ。合戦場のため、身を守るために流石に教材以外の装備を各種、備えていく。
道中の服はいつもの物だ。澪から貰った虫襖の衣は使わない。だからって、着ないまま箪笥の肥しにする気は毛頭なく、半助は一人きりの時にこっそり引っ張り出して、触ったり何なら羽織ったりしている。
巾着と同じだ。それよりも、着物は肌に触れる分だけより一層、澪を強く感じられる。着物を縫ってもらえると分かった時からとても嬉しかったが、いざ出来上がりを渡されると、分かっていたのに喜びが止まらなくて、一刺し一刺し澪が縫う姿を想像しては、ついつい頬が緩む始末だ。
好きな人に何かを貰う事が、こんなに心が揺さぶられるのだと、澪を好きになって初めて知った。どうか、自分以外の他の男に衣を与えませんように、と願ってしまう。
ーーどんなに遅くとも、年内には想いを伝えよう。年が明けてしまえば、六年生の卒業まであっという間だ。そう半助は澪から着物を貰って心に決めた。
それで仮にフられたって諦める気は毛頭ないが、何とかして恋仲になるために夏休みを活用して仲を進展させてはどうかと思っている。
夏休みになれば、何やかんや出来る事があるはず。その時に、時間を見つけて沢山デートに誘って思い出を作る事が出来れば、澪だって半助を多少なりとも意識してくれるはず……多分、おそらく、きっと。
半助の恋心は後退する気配を見せない。それどころか、戦闘訓練で澪に倒されてしまっても、深い異国の知識を披露されても、数十年先の地震を警告されても、益々好きになるだけだった。
戦闘訓練で倒された時は、一瞬の痛みだけ与えられ綺麗に気絶させられた事に澪の強さを身をもって知って感服した。
恐ろしい程の異国の知識とそれを語る聡明さに、興味と興奮を覚えた。地震の警告は、神秘的でもあり同時に現実的でもあり、惚れ直すには十分なインパクトだった。
結論ーー好き過ぎてどうしよう。
半助の頭の中には恋の花が咲き乱れていた。もう、澪の語る話は勿論、意外な彼女の一面も、全てが半助を捕らえて離さないのだ。完全に好意の熱量も重さも、半助からの方が強い自覚があった。
澪に会えるのは明日だ。
数日だけ離れただけなのに、早く会いたくて仕方がない。
怪我をしていないだろうか。男装して合戦だなんて利吉や伝蔵がいるにしても心配だ。というか、美少年の澪に身分ある男が手を出して来ようとしないかが心配だった。
ーー嗚呼、早く会いたい。
半助は明日の準備をする傍ら、虫襖の着物を取り出して暫く眺めてはため息をついたのだった。
その翌日。
天気は昨日よりマシな曇り空であった。時々、小雨が振る。そんな天気だ。合戦が始まる前に早く駆けつけたくて、早朝に忍術学園を出立した。
ぬかるむ泥に足が汚れるのも構わず、真っ直ぐに最短経路で目的地へ急ぎ向かうと、予定より少し早めに到着する事が出来た。
幸い、合戦はまだ始まってはいなかった。ただし、既に準備は整っているようで陣が敷かれていた。また、情報偵察と思われる忍びの者らしい姿も見かけられた。合戦が始まれば、そのうちもっと増えるかもしれない。
佐武衆は、合戦場に程近い村にいた。火器があるため、屋根のある場所に待機しているようだった。村の入口には見張りがおり、半助が忍術学園の教師である旨を伝えると、村へ入る許可を得られた。
そして案内された家の先には、山田親子がいた。
「山田先生、交代です」
「おお、ご苦労。土井先生」
二人で話し合っていたのか。互いに向かい合わせになって、囲炉裏を囲むように座っていた。そこに澪の姿はない。厠にでも行っているのか、あるいは別の用事で外して居るのだろうか。
澪を探して半助の視線が動いたのを見た伝蔵が、苦笑いしながら教えてくれた。
「あー、実はあの子は色々あって昌義殿を筆頭に佐武衆の面々に随分と気に入られてなぁ。昌義殿や輝星殿と一緒だ。さっきまで、利吉も昌義殿達と一緒におったんだが、半助がそろそろ来るからとわたしと一緒に待っていた、と言うわけだ」
「流石は、伝助くんですよね!」
何故か利吉が自慢気である。
「気に入られたって、何かしたんですか?」
佐武昌義は虎若の父親だからいいとして、佐武衆は傭兵隊で当然ながら、男だらけの集団である。独身だって多いわけで、そんな所に男装しているとはいえ美しい澪が一人でいると思うと気が気でない。
「ああ、それはですねっ……!」
利吉がそれは嬉し気に何があったか語ってくれた。
曰く、澪は対銃火器の訓練を忍術学園でシナと一緒にしている。
そのため、せっかくだから佐武衆に付き合ってもらい、合戦の前に少しばかり対銃火器の訓練をしたらしい。
そしたら、澪が双錘を使って弾丸を全て叩き落としたとか何とか。人間離れも甚だしい技に、聞いた半助も開いた口が塞がらないと言うか、当たったら大怪我、下手したら死ぬかもしれない訓練に、なんちゅー事しとるんじゃあー!と、喚き散らしたくなりそうだった。
半助がどれだけ澪を好きか、本人が知らないからそんな事をするのだと言うなら、今すぐ告白してやるが、そうではないと分かるから顔が引き攣ってしまう。
だが、実際はシナと訓練をもともとしていたお陰もあり、佐武衆相手でも難なくこなし、あの照星も目を見開いて固まっていたというから、流石と言うか何と言うか。
結果、澪の怪力と人間離れした身体能力とそれを成し遂げる勇猛さに、佐武衆が頭領の昌義を筆頭に大盛り上がりしたのだとか。
士気が高揚したのはいいが、本来なら忍び働きをするために来た澪のはずが、戦神の化身か何かのように持て囃され、今は佐武衆相手に何故かトレーニングコーチみたいな事をしているという。
傭兵集団のせいもあってか、アイドルというよりは、激しく脳筋な方に傾いている。それにホッとするやら、思わず苦笑いしたい気持ちになるやら。
「成程ーー状況は把握しました」
「空を見るに合戦は、今日あるかもしれん。わたしは学園に戻るが、後のことを頼んだぞ土井先生」
「了解です。それと、山田先生にお伝えしたい事が……」
潮江文次郎からあった提案の話ーー上級生主催による下級生相手への幽霊騒ぎを仕掛ける件について、簡潔に伝蔵へ報告する。
すると、伝蔵は関心したように頷いた。利吉も話を隣で聞いて、面白そうに笑っている。
「仕事がなかったら、わたしも見物したい所です」
「馬鹿言うな。先日、学園に滞在したばかりだろう」
「いやぁ、過日、実に素晴らしい経験をしました。父上を倒した秘書に母上も、是非お会いしたいと仰ってましたよ」
「っ……母さんに話したのか!?」
「それが何か?」
多分、伝蔵的にはあの美しい奥方に澪に己が倒されたなんて事実は、話すにしても自分の口からがよかったに違いない。
一方の利吉は、己が特訓に付き合った澪が勝ったのだ。そりゃあ、得意になって母親に報告をしてもおかしくないわけで。
ーーそこから、壮絶な親子喧嘩が始まった。
伝蔵が勝手に報告した事を注意したのが切欠だ。利吉はカチンと来た様子で、だったら心配している母上のためにもっと帰ってきてください、と何時ものやり取りが勃発した。
お互いに譲らない、その頑固さがそっくりの親子は、火花を散らしながら声を出し合っている。
「あー、わたしは虎若のお父君にご挨拶してくるよ」
半助は巻き込まれない内にとばかりに、こそこそ逃げるのだった。
空には重たげな鉛色の雲がたれこめ、雨が降っていた。雨が地を強かに打つ音がして、立ち上るように香る湿った大地の匂いが鼻をくすぐる。
学園に植えられた紫陽花が美しく咲いていたので、梅雨がそろそろ来るかと思ったらどんぴしゃだった。
「土井先生、澪さんは出張で何処に行ったんですか?」
授業の終わり。
廊下から外の様子を伺っていると、きり丸に話しかけられた。
昨日から伝蔵も出張のために不在であり、それも手伝ってか落ち着かない様子だ。きり丸だけでなく、他の生徒達にも同じような質問をされたので、行先ははっきり告げずに学園長の用向きであるとだけ伝えている。
「さてね……そんなに遠くではない事くらいしか知らないよ。差程に長くなる用向きでもないから、あと数日もすれば戻るはずだ。そう心配するな、きり丸」
この雨では、火薬が濡れるため佐武衆は出られない。
銃撃戦が出来ないとなれば、相手方が奇襲でも仕掛けてこない限り、チャミダレアミタケ側は打っては出ないだろう。
元々強いのに佐武を雇った時点で、チャミダレアミタケは自軍の損害を最小限に抑える戦をするだろうと読み取れる。
よって、サンコタケが乾坤一擲の勝負にでも出ない限り、今日の戦はないだろう……と思う。つまりは、伝蔵ではなく明日に出向く半助の時に合戦がある可能性が高いという事だ。
明日に雨が止めば、合戦になろう。水捌けの良い土地ならいいが、そうでないなら地面がぬかるんで徒歩の足軽等には中々厳しい戦場となる事が予測された。
「あの」
「ん?」
「あ、いえ……何でも、ない、です」
何やら歯切れが悪い。俯くきり丸の頭は自分より小さい子どもの物で、一見、頼りなく見えるがその頭の中で精一杯に考えて生きている事はよく理解しているつもりだ。
戦乱の世を生き抜くのは難しいのに、我が身や時代を嘆いて終わるのではなく、きり丸は忍術学園の入学金を貯めて門扉を叩くだけの行動力と度胸がある。
半助自身もまた、戦国に翻弄される波瀾万丈な人生を歩んでいるからこそ、きり丸の事を分かっている……そのつもりだったのだが、これはどうした事だろうか。
と言うより、武術訓練の日からきり丸の様子か何となくおかしいのだ。
何が、とはハッキリは言えないが。
「あの、土井先生。そのうち、相談したい事があるんで、時間を作ってもらえませんか。できたら、長屋に帰った時とかがいいんですけど。出来たら学園の外で、話したい事があるので」
「……それは別に構わないが」
「ありがとうございます。それじゃ、オレ、筆造りの内職があるんで、これで失礼します!」
頭を下げて去っていくきり丸。何やら、キリッとした顔をしていた。まるで、何かを決めたような顔だ。それが何かは知らないが、応援出来る事なら手伝ってやりたいし、見守った方がいいならそうするだけの話である。
明日に合戦場に向かう準備でもしようと、部屋に戻る。その途中、またも呼び止められた。
「土井先生、ちょっといいですか」
「安藤先生……?」
半助に声をかけたのは、一年い組の教科担当の安藤夏之丞である。てかっとしたやや油っぽい顔が特徴的な安藤の表情は、きり丸と同じく何かを決意したような顔だった。
「今から離れのわたしの部屋に来てもらえますか。厚着先生もおります……その、澪さんの事でお話が」
「はぁ。それは構いませんが」
おそらくは、い組の生徒の澪に対する態度の事だろう。は組の生徒達が話していたのを小耳に挟んだので、半助も少しは知っているつもりだ。
安藤に案内されて、彼の部屋を尋ねる。男性職員達の部屋はその多く職員専用の長屋にあるのだが、安藤だけは離れに部屋があるのだ。たまに会計委員会の委員が、集中して算段を行うためにわざわざ安藤の部屋を訪れたりする場所である。
部屋につくと、安藤の言う通り既に厚着が座って茶を用意してくれていた。
「それで、澪さんの事でお話と言うのは……?」
澪は今、出張で不在である。一年い組の生徒達の状況を流石の安藤達も放置はしないはず。そのうち、何らかの然るべき措置を施すだろうと判断し、半助は静かに見守るつもりでいた。
おそらくは、他の教員にしてもそれは同じである。なのに、この二人が半助をこうして呼び出すのは一体どうした事なのだろうか。
「お気付きかとは思いますが、一年い組の生徒達の件です。戦闘訓練で教師達を倒した澪さん相手に多くの生徒が脅えています。今は澪さんが出張中のため普通にしてますが、今日も生徒の一人が不適切にも澪さんの出張が長引けばいい等と言いまして。流石に目に余り、注意している有り様です」
普段、一年は組と比べて成績がいい事を自慢気に語る事の多い安藤が、困り顔で腕を組んでいた。まぁ、無理もない。
澪に抱く必要のない過度な恐れの感情を抱いているのだから。
それにしても、本人が居ないからとはいえそんな事を口にするなんて。安藤は注意したと言うが、半助がもしその場に居たら一年生相手に真剣に怒ったかもしれない。
半助の眉が、一瞬だけ不快気にぴくりと動いたのを気付いてか。
「土井先生のように普段から澪さんと交流の多い者からすれば、子どもとはいえ気分のいい話ではないでしょうな。実は、作法委員会の委員長の立花仙蔵をはじめ、上級生達からも一年い組の件では色々と言われてましてな」
厚着が半助の様子を伺いながらも、そう口にした。教師達はまだ黙っているが、上級生は動きが早い。その事が少しだけ、半助の気分を落ち着かせてくれる。
「余りに長く続けば、上級生達どころか教師は勿論、学園長先生からも目に余るとそのうち、苦言があるのは明らかです。それで、澪さんに協力してもらって一計を講じたいのです。わたしは、余り気が乗らないんですけど」
「はぁ、澪さんに……ですか?」
厚着が続ける言葉に、半助は首を傾げた。気が乗らない、という厚着の一言も気になるが、それとこの場に自分が呼ばれた事と何か関係しているのだろうか。
「厚着先生から伺いましたが、何でも澪さんはお酒に弱くて飲むと怪力が出なくなるんだとか。ですから、一年い組の生徒達にお酒を飲んだ状態で澪さんが挑んで負けてくれたら、と思うのです。自分達で澪さんを倒せば、怖くなくなるしひょっとしたら、自信もつくのではと思いまして」
てかっとした顔の安藤が、とんでもない事を口にする。あまりの事にポカンとして、間抜けな顔になる半助。
「土井先生には、是非とも我が一年い組の生徒のために協力してもらいたいのです!」
「……」
「どうです?澪さんを我々と一緒に説得してもらえませんか。若しくは、こっそり酒を飲ませるとかでもいいですよ。子ども達のためにも!」
「そんな事、協力するわけないでしょーがぁ!!!」
半助は声を大にして、全力拒否した。
「ほらやっぱり。安藤先生、幾ら子ども達が可愛いからって、それは度が過ぎた頼みというものでは」
「何を言うんです、厚着先生!教師たるもの、自分の担任の生徒と言わず、分け隔てなく接するのが筋ってものでは?!」
「日頃から、うちのは組をバカにしてるくせに、そんな事言いますかっ!!」
厚着は安藤の態度に、やや呆れた様子だ。
一方、如何にも教師らしい事を口にする安藤に、思わず半助はツッコミした。
「澪さんに酒を飲ませる?駄目に決まってます。澪さんは怪力が出なくなるだけじゃなくて、滅茶苦茶可愛くなってキス魔になるんですよ!」
「えっ、キス魔?それは聞いてませんよ、厚着先生。わたしの大事な一年い組のファーストキスが澪さんに奪われてしまう危険性があるって事ですよね?一年での成績がファーストなだけにっ!」
「だから、絶対のぜーったいに許しませーん!澪さんがいいと言ってもわたしが何としても、どんな手を使ってでも阻止しますからね。つまらない駄洒落もやめて下さいっ!」
澪に酒を飲ませるなんて言語道断だ。
思い出すのは、舌足らずな口調で見た目通りに少女程度の力しか出なくなってしまった澪の姿だ。
半助しゃん、なんて言ってへらっと無防備に笑い、あと少しで唇に届くかという至近距離に、口付けを落としてきた澪は凶悪に可愛かった。何なら、抱きしめて離したくないくらいだった。
厚着の頬に澪がキスをした時は、今後は絶対に酒なんて飲ませない、徹底的に監視してやると思ったのに自分が口付けがされた瞬間に、自分と二人きりの時なら有りかと思ってしまうくらいに非常に魅力的だった。
というか、むしろ半助と二人きりで酒を飲んでほしいと不純な動機を抱いてしまいそうになるのを、理性で堪える程だ。
そんな風になってしまった澪を、一年生の忍たま相手とはいえ見せたくない。第一、澪本人が嫌がる可能性が高い。今後、酒を飲まないと言っていたくらいなのに。
それなのに、一年い組の為だとか何とか言ってけしからん話である。大体、問題の本質は澪にはないのである。
「問題は澪さんにあるのではなく、恐れを抱く子ども達にあります。仮に澪さん相手にそのやり方で恐怖を克服できたとして、もし、また別の誰かに恐怖を抱いて過度に恐れたりしたら、その時もその相手に何か頼む気ですか?相手が頼み事ができるような人とも限らないのに」
「それはそうかもしれませんが……では、土井先生は何か他にいい手だてを思いつくのですか」
「それは一年い組に、は組のような実戦経験を積ませるという事ですかな?」
半助の正論に、安藤と厚着が顔を見合わせる。一年い組の現状を打破するための手立て……このままでは、澪が下手をしたら人前で酒を飲むという、その身を犠牲にした協力をさせられかねないと考えた半助は、安藤達と一緒にい組の子ども達の事を真剣に考えた。
なまじ頭がいいだけに、は組の子達をバカにする生徒達も多数居るが、根は素直で良い子達なのは半助も知る所である。
十歳は、まだまだ幼く子どもだ。は組が半助の受け持つ子ども達であるが、学園に在籍する教師の一人としてクラスが違うからと無視もできない。
その時だ。廊下を歩く人の気配がして、こちらにやって来るのが分かった。安藤と厚着もそれに気付いて口を噤む。
「ーー六年い組の潮江文次郎です。安藤先生はおられますか?」
「ええ、居ますが……今は、厚着先生や土井先生と話し中なので」
「そうですか。実は、一年い組の生徒達の件でご提案があったのですが」
相談ではなく提案と聞いて、半助は安藤達と顔を見合わせた。
「それなら、入って来なさい。実は我々も一年い組の事で、相談をしていたんです」
「では、失礼します」
障子戸を開け、潮江文次郎が入室してきた。厚着と半助を見て、軽く一礼して下座に座る。
「確か、会計委員会には任暁左吉がいたな。ひょっとして、それで提案等と……?」
「その通りです、厚着先生。佐吉は同じ会計委員の加藤団蔵にどうしたら、澪さんを怖く感じないかと聞いていました。それで、気になって佐吉に色々と質問し、一年い組の現状を知りまして。上級生として、何かできないものかと」
成程、と文次郎の言葉に納得する。
「実は、わたし達は澪さんに協力してもらって、一年い組の恐怖心を拭えないかと考えていたのですが、それでは澪さん以外に恐怖を抱いて同じような事になった時に困ると、土井先生から指摘されましてね。何か他にいい案がればと思っていたんですよ」
「そうでしたか。ちなみに、どんな協力依頼を澪さんにされようと?」
「ああ、それは……」
「安藤先生、ダメです。文次郎は生徒ですよ」
職員同士ならともかく、澪本人の許可なく忍たまにまで話すのは余りよくない。知らぬ場所で、酒に滅法弱いだけでなく、怪力も出なくなる上に色々とまずい事になると話されて、気分が良くなるはずもない。
半助が首を振ると、厚着も頷いたので安藤は肩を竦めてみせた。
「すみませんねぇ、ご覧の通りちょっと言えません」
「はぁ……。気になりますが、分かりました」
文次郎は性格的に教師を立てる真面目な所がある。追求はせずに、居住まいを正して真っ直ぐに安藤の方を見た。
「一年い組が、澪さんを恐れるのは忍者の三病の二つが悪さをしていると思うのです。おそらく、一年生で最も成績が優秀なクラスだけに、考え過ぎてその事が無用な恐れを生み出しているのでは、と……恥ずかしながら、わたしにも経験がありますので、すぐに分かりました」
「ほう、成程。は組と違いうちの子達は優秀ですからな。わたしもそうでないかとは思っていましたが、流石は会計委員会委員長っ」
気を良くしたらしい安藤が、言わなくてもいい一言を言って頷く。イラッと来ていると、厚着にまぁまぁと宥められた。
「なので、一年い組を筆頭に恐れとは何かを理解させてはどうかと。賢い子ども達です。理解すれば、自ずと澪さんへの恐怖は克服できるでしょう」
「恐れを理解させる必要性は分かるが、一体どうするんだ文次郎」
文次郎の言葉を聞いた半助は、思わず質問していた。
恐れと言っても、種類がある。一つは決して適わぬもの、圧倒的存在や理解の及ばぬ事象に対する恐れだ。これは本能に根ざしたものであり、人間もまた同じ生き物として決して逃れられない恐怖である。最も分かりやすい例としては、死への恐怖だ。これは分かっていても、どうしようもない部分がある。
そして、もう一つの恐怖は己の思い込みや想像によるもの。これは人間だからこそ起こる恐怖で、幼い時ほどそれは顕著だ。見えている世界が違うのだから子どもの時ほど怖がりなのは、当たり前である。これは経験で克服できる事もある。例えるなら、暗闇に対する恐怖だ。
一年い組の澪への恐怖心は後者であろう。だからこそ、彼らの作り上げてしまった恐怖を壊すには澪自身が体を張って弱点を見せて歩み寄るか、あるいは子ども達が自ら経験を積んで克服するかのどちらかになる。
「上級生達で、学園に幽霊かあるいは妖怪騒ぎを起こそうかと。最終的には種明かしをしますが、恐れとは何かわたし達が学習させます。如何でしょうか?幽霊や妖怪は居ません。自らが作り上げた恐怖で怯える事は、騙される事にも繋がる。騙すならともかく、騙されるのは忍びにとって一番に気をつけるべき事です。その辺を身をもって理解させられれば、と」
「んー、子ども達を悪戯に脅かすのは……やはり、澪さんに協力してもらった方が」
「何を言うんですか安藤先生!それは、絶対にダメです。それに、中々にいい手ではありませんか。上級生にとっても、下級生相手とはいえ人を脅かす実習になるんですし」
「土井先生の言う通りですよ、安藤先生。それに、時には心を鬼にして子ども達に試練を与えねばなりません。安藤先生だって、賢いだけでは一人前の忍者にはなれない事を分かっているでしょう」
潮江文次郎の話は渡りに船だ。厚着も澪へ頼るやり方が気に入らないのか、半助の味方をしてくれた。
「い組だけ、上級生達に仕掛けられるのは気に入りません。それなら、は組もろ組も一年生全員対象で。それだったら、いいでしょう」
澪の事を怖かっていない、は組やろ組はぶっちゃけ関係ない。が、成績優秀であるのと同時に教科担任の安藤の影響もあって、い組は気位が高い所がある。自分達だけ標的にされたとあっては、安藤が既に気分を害してる時点で子ども達からも文句が出る可能性が高い。
やはりそれなら澪に……と話が振られる位なら。
「いいでしょう。は組も対象にしてくれて、構いません。ですが、ろ組への説得はお二人にお願いしますよ」
は組の良い子達には申し訳ないが、これもまた修行だ。教科の成績はアレだが、実技となるとポテンシャルがある子ども達を信じ、半助は了承したのだった。
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上級生達による、一年生向け幽霊或いは妖怪騒動計画がひっそりと始動の兆しを見せた後、半助は予定通り部屋へ戻って翌日の出張準備をした。
と言っても、着替えに路銀、そして武器を準備する程度だ。合戦場のため、身を守るために流石に教材以外の装備を各種、備えていく。
道中の服はいつもの物だ。澪から貰った虫襖の衣は使わない。だからって、着ないまま箪笥の肥しにする気は毛頭なく、半助は一人きりの時にこっそり引っ張り出して、触ったり何なら羽織ったりしている。
巾着と同じだ。それよりも、着物は肌に触れる分だけより一層、澪を強く感じられる。着物を縫ってもらえると分かった時からとても嬉しかったが、いざ出来上がりを渡されると、分かっていたのに喜びが止まらなくて、一刺し一刺し澪が縫う姿を想像しては、ついつい頬が緩む始末だ。
好きな人に何かを貰う事が、こんなに心が揺さぶられるのだと、澪を好きになって初めて知った。どうか、自分以外の他の男に衣を与えませんように、と願ってしまう。
ーーどんなに遅くとも、年内には想いを伝えよう。年が明けてしまえば、六年生の卒業まであっという間だ。そう半助は澪から着物を貰って心に決めた。
それで仮にフられたって諦める気は毛頭ないが、何とかして恋仲になるために夏休みを活用して仲を進展させてはどうかと思っている。
夏休みになれば、何やかんや出来る事があるはず。その時に、時間を見つけて沢山デートに誘って思い出を作る事が出来れば、澪だって半助を多少なりとも意識してくれるはず……多分、おそらく、きっと。
半助の恋心は後退する気配を見せない。それどころか、戦闘訓練で澪に倒されてしまっても、深い異国の知識を披露されても、数十年先の地震を警告されても、益々好きになるだけだった。
戦闘訓練で倒された時は、一瞬の痛みだけ与えられ綺麗に気絶させられた事に澪の強さを身をもって知って感服した。
恐ろしい程の異国の知識とそれを語る聡明さに、興味と興奮を覚えた。地震の警告は、神秘的でもあり同時に現実的でもあり、惚れ直すには十分なインパクトだった。
結論ーー好き過ぎてどうしよう。
半助の頭の中には恋の花が咲き乱れていた。もう、澪の語る話は勿論、意外な彼女の一面も、全てが半助を捕らえて離さないのだ。完全に好意の熱量も重さも、半助からの方が強い自覚があった。
澪に会えるのは明日だ。
数日だけ離れただけなのに、早く会いたくて仕方がない。
怪我をしていないだろうか。男装して合戦だなんて利吉や伝蔵がいるにしても心配だ。というか、美少年の澪に身分ある男が手を出して来ようとしないかが心配だった。
ーー嗚呼、早く会いたい。
半助は明日の準備をする傍ら、虫襖の着物を取り出して暫く眺めてはため息をついたのだった。
その翌日。
天気は昨日よりマシな曇り空であった。時々、小雨が振る。そんな天気だ。合戦が始まる前に早く駆けつけたくて、早朝に忍術学園を出立した。
ぬかるむ泥に足が汚れるのも構わず、真っ直ぐに最短経路で目的地へ急ぎ向かうと、予定より少し早めに到着する事が出来た。
幸い、合戦はまだ始まってはいなかった。ただし、既に準備は整っているようで陣が敷かれていた。また、情報偵察と思われる忍びの者らしい姿も見かけられた。合戦が始まれば、そのうちもっと増えるかもしれない。
佐武衆は、合戦場に程近い村にいた。火器があるため、屋根のある場所に待機しているようだった。村の入口には見張りがおり、半助が忍術学園の教師である旨を伝えると、村へ入る許可を得られた。
そして案内された家の先には、山田親子がいた。
「山田先生、交代です」
「おお、ご苦労。土井先生」
二人で話し合っていたのか。互いに向かい合わせになって、囲炉裏を囲むように座っていた。そこに澪の姿はない。厠にでも行っているのか、あるいは別の用事で外して居るのだろうか。
澪を探して半助の視線が動いたのを見た伝蔵が、苦笑いしながら教えてくれた。
「あー、実はあの子は色々あって昌義殿を筆頭に佐武衆の面々に随分と気に入られてなぁ。昌義殿や輝星殿と一緒だ。さっきまで、利吉も昌義殿達と一緒におったんだが、半助がそろそろ来るからとわたしと一緒に待っていた、と言うわけだ」
「流石は、伝助くんですよね!」
何故か利吉が自慢気である。
「気に入られたって、何かしたんですか?」
佐武昌義は虎若の父親だからいいとして、佐武衆は傭兵隊で当然ながら、男だらけの集団である。独身だって多いわけで、そんな所に男装しているとはいえ美しい澪が一人でいると思うと気が気でない。
「ああ、それはですねっ……!」
利吉がそれは嬉し気に何があったか語ってくれた。
曰く、澪は対銃火器の訓練を忍術学園でシナと一緒にしている。
そのため、せっかくだから佐武衆に付き合ってもらい、合戦の前に少しばかり対銃火器の訓練をしたらしい。
そしたら、澪が双錘を使って弾丸を全て叩き落としたとか何とか。人間離れも甚だしい技に、聞いた半助も開いた口が塞がらないと言うか、当たったら大怪我、下手したら死ぬかもしれない訓練に、なんちゅー事しとるんじゃあー!と、喚き散らしたくなりそうだった。
半助がどれだけ澪を好きか、本人が知らないからそんな事をするのだと言うなら、今すぐ告白してやるが、そうではないと分かるから顔が引き攣ってしまう。
だが、実際はシナと訓練をもともとしていたお陰もあり、佐武衆相手でも難なくこなし、あの照星も目を見開いて固まっていたというから、流石と言うか何と言うか。
結果、澪の怪力と人間離れした身体能力とそれを成し遂げる勇猛さに、佐武衆が頭領の昌義を筆頭に大盛り上がりしたのだとか。
士気が高揚したのはいいが、本来なら忍び働きをするために来た澪のはずが、戦神の化身か何かのように持て囃され、今は佐武衆相手に何故かトレーニングコーチみたいな事をしているという。
傭兵集団のせいもあってか、アイドルというよりは、激しく脳筋な方に傾いている。それにホッとするやら、思わず苦笑いしたい気持ちになるやら。
「成程ーー状況は把握しました」
「空を見るに合戦は、今日あるかもしれん。わたしは学園に戻るが、後のことを頼んだぞ土井先生」
「了解です。それと、山田先生にお伝えしたい事が……」
潮江文次郎からあった提案の話ーー上級生主催による下級生相手への幽霊騒ぎを仕掛ける件について、簡潔に伝蔵へ報告する。
すると、伝蔵は関心したように頷いた。利吉も話を隣で聞いて、面白そうに笑っている。
「仕事がなかったら、わたしも見物したい所です」
「馬鹿言うな。先日、学園に滞在したばかりだろう」
「いやぁ、過日、実に素晴らしい経験をしました。父上を倒した秘書に母上も、是非お会いしたいと仰ってましたよ」
「っ……母さんに話したのか!?」
「それが何か?」
多分、伝蔵的にはあの美しい奥方に澪に己が倒されたなんて事実は、話すにしても自分の口からがよかったに違いない。
一方の利吉は、己が特訓に付き合った澪が勝ったのだ。そりゃあ、得意になって母親に報告をしてもおかしくないわけで。
ーーそこから、壮絶な親子喧嘩が始まった。
伝蔵が勝手に報告した事を注意したのが切欠だ。利吉はカチンと来た様子で、だったら心配している母上のためにもっと帰ってきてください、と何時ものやり取りが勃発した。
お互いに譲らない、その頑固さがそっくりの親子は、火花を散らしながら声を出し合っている。
「あー、わたしは虎若のお父君にご挨拶してくるよ」
半助は巻き込まれない内にとばかりに、こそこそ逃げるのだった。
