第9話 忍術学園最強の秘書
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伝蔵と半助に、澪は洗いざらい知る異国の話ーーおそらくは、最先端の国際情勢をぶちまけた。澪に自重はなく、この当時の日本人の殆どが知らぬ世界の事情を教えられた二人は、まさにギリギリの所で異国からの征服を免れている日ノ本の現状を知って、肝が冷えた様子だった。
今の日本は、外の事情が分からないからのんびりと目の前の猫の額のような土地を同じ日本人同士で奪い合っているのだ。
世界の事情が分かったら、そんな事ができるわけがない。とはいえ、日本の土地が地理的に旨みが少ない事や、戦いあっている武士達を見て南蛮人が厄介だと思ってくれているうちは、のんびり争っていても支障はない。
問題があるとすれば、今はそうではないが、どこかで南蛮人達が心変わりをして、澪の知る前世の世界での歴史と同じ道を辿る事になった場合である。
例えば、明の国が荒れて彼の大国が揺らげば、南蛮人達が欲を出し、それこそ澪の知る世界の史実と同じように日本人を傭兵として使う事で、明の征服を企むかもしれない。
前世の世界の史実では、明は万歴帝の頃に衰退する。どんぴしゃ、それは日本の戦国時代と重なるのだ。その事は念のため、二人にも伝えておいた。よく似た世界が実際に辿った歴史だったおかげもあってか、澪の話を聞いた二人は真剣な顔で頷いていた。
もっとも、知った所で忍者が出来る事はたかが知れている。歴史の大きなうねりがあれば、例えそれが異国からの侵略であろうとも、飲まれてしまうのが大多数の庶民である。
この世界でも、日ノ本がいつか戦の無い平和な時代を迎えるのを祈るばかりだ。
また、澪はついでにこの際だからと前世知識チートの一端を二人へぶっ込んだ。日ノ本に住む以上、避けては通れぬ地震についての警告である。
正確な発生日時までは覚えていないが、戦国時代には大きな三つの地震があり、このうち一つは戦国時代初期に東海地方で起こっており、この世界でもそれは一致していた。ならば、残り二つも起こる可能性はある。しかも、この二つはどちらも近畿圏に被害が出ており、三つ目は京都が震源地のため京に甚大な被害が出たのだ。
前世を生きた現代日本で、徳川家康が主人公の大河ドラマがあり、そこで地震の様子の再現を見たからはっきり覚えている。
戦国時代後期の地震となるため、まだ先の事ではあるが可能性の話はしておいた方がいいと判断した。だから、二人には二、三十年以内に自揺れがあるかもしれない事、一度もしあれば二度目もあるかもしれない事を警告した。
澪の話に、異国からの知識をぶっ込まれた二人は更なる一撃をくらったものの、直ぐに持ち直した。地震の事は、流石は日本人だけあって耐性がある。過去に大きな揺れがあった事実も手伝って、地震が起こった時を想定して定期的に避難訓練を学園に導入することを学園長へ提案する事になった。
前世知識チートぶりが激しい取り扱い注意の劇物もどきになっているのを知らぬは本人ばかりである。
最近、色んな自重を無意識に投げ捨てている澪は忍術学園に保護された禁断の魔物的な存在になりつつあった。
凄まじい怪力と、取り扱い注意な知識を多数保有しているとなれば、保護対象となるのも致し方ない話である。
これまで、半助が引き受けていた部分の多い澪の心臓に悪いチート知識の一端を目にした伝蔵は、半助の心労を知って同情したとか何とか。
そしてその翌日の事。
澪は一年は組の教師二人に、色々とぶちまけた事もあって、やり遂げた気持ちの余韻のような物を若干感じつつも、約束通り午後に作法委員会の部室を訪れた。
「失礼します。澪です」
「澪さん、いらっしゃい!待ってました!!」
勢いよく部室の障子戸を開けて出迎えてくれたのは、一年は組の笹山兵太夫である。普段から接触の機会は多いが、部室に遊びに来てくれた事が嬉しいのか満面の笑顔だ。
「中に入っても?」
「勿論です!」
兵太夫に手を引かれ、作法委員会の部室を覗くと全員が勢揃いしていた。部長の立花仙蔵、四年生の綾部喜八郎、三年生の浦風藤内ーーそして、一年生い組と思しき少年。面識がないのもあって、一年生い組は生物委員の上ノ島一平以外、殆ど知らない。
今は、武術訓練のせいで一年い組の生徒には怯えられている。ひょっとしたら、一平も澪を怖がっているかもしれない。案の定、目の前の少年も澪を見ておどおどしている。ぺこり、と小さく頭こそ下げたがそれだけだ。
作法委員会の委員長である仙蔵が、その態度に素早く反応した。
「伝七。話したことがないなら自己紹介くらいはするように」
「……一年い組の黒門伝七と言います。伝七と呼んでください」
全く視線が合わない。あからさまに警戒されていて、澪は苦笑いしてしまいそうになるのを堪えた。
「澪と申します。伝七くん、今日はよろしくお願いしますね。邪魔をするつもりはないですし、そんなに長くいるつもりもないので」
「それは嫌です。用がないなら今日はずっと居て下さい。それと、良かったら一緒に夕飯を食堂で食べましょう」
伝七にとっては澪がいては具合が悪いだろうと思い、気を遣って言った発言なのだが、すぐさま喜八郎が反応する。逃がさない、とばかりに喜八郎が澪の腕にぎゅっとしがみついて来た。
「喜八郎の言う通りだ。澪さん、特に予定がないならここに居るといい。わたしも澪さんに城での作法を教えてほしいからな。赤間関にいた頃に姫君の傍で一時、仕えていたのだろう?」
「そうですけど、侍女の作法ですよ」
「女装する事だってあるかもしれんだろう」
確かに、仙蔵の女装は完璧だ。線が細めの美男子というのもあって、見事な女装ぶりだ。姫君の侍女に混じってても違和感がない。
一方、澪が赤間関にいた頃、姫君の傍にいたと聞いて藤内が反応した。
「澪さん、お城勤めしていた事があるんですか?!」
「そうだぞ、藤内。確か、右筆をされていた元お父上の娘だった時に赤間関の城に姫君の遊び相手として、侍った事があるそうだ」
「おおっ……!」
よく覚えているな、と仙蔵に感心する一方で、藤内からキラキラした眼差しを向けられる澪。城勤めはエリートの証とも言えるため、藤内が反応してしまうのも無理はない。
「そう言えば、澪さんの元お父上は色んな人がいるって、きり丸から聞いたな……」
「へぇ、その噂は聞いた事あるけど詳しくは知らないなぁ。澪さん、ぼくらにも教えてください」
兵太夫と喜八郎に揃って期待の眼差しを向けられる。ふと、視線を感じてそちらを向くと、伝七と目が合った。ひゅっ、と伝七が息を呑む静かな音がする。
「伝七、怖がってないで普通にしたらいいだろう。澪さんの話に興味があるのならな」
「でも立花先輩、その人は厚着先生達を倒すくらい強くておっかないんじゃ……」
「そうだな、本当にどうかと思うくらいに強いな。以前に廃寺を吹き飛ばしていたしーー本当の本当に人間か?モノノ怪か地獄の使者だと言われた方がわたしは納得するぞ」
「失礼極まりないですね仙蔵くん」
伝七はともかく、仙蔵はナチュラルに人を人外扱いしてくるのはどうかと思う。
「ほら見ろ伝七。わたしが無礼な事を言っても澪さんの反応はこの程度だ。きっと、ありとあらゆる悪口を言っても殴っては来ないさ」
「それはそうですけど、わたしの心の強度を試すような事しないでくれます?」
人を何だと思ってるんだ。忍たま達に悪口を言われた程度なら大丈夫だとは思うが、サイボーグでもないのに鋼のメンタルはしていないーーと、思う。
「そうだぞ、伝七。考えてもみろ。お前の無礼な態度が気に入らないと、澪さんはお前をボッコボコのギッタンギッタンにできるのに、そうはしてこないだろう?何を怖がる必要があるんだ」
そんなバイオレンスであってたまるか。藤内の言葉に澪はツッコミしたいのを堪えた。
「仙蔵くん、藤内くん。そこまでにして下さい。自分で言うのもあれですが、どんなに大人しくても熊は熊って事です。怖がるなと言う方が難しいと思います」
「澪さんが熊なら、ぼくが特別な巣穴を掘ってあげます。沢山、お世話しますから。安心してくださいね」
「ありがとうございます、喜八郎くん。でも話の腰を折らないで下さいね」
「はーい」
無論、澪は熊である気は毛頭ないが、そう認識されてしまったなら無理に直そうとも思わないだけだ。逆効果になる可能性だってあるのだから。
「まぁ、澪さんがそう言うならいいが。伝七、余りに酷いようなら安藤先生達に相談せねばならないぞ」
「っ、ぼくだけじゃありませんよ。一平以外の一年い組の生徒全員が澪さんを怖がってるんですからね!」
やっぱりか。仙蔵の言葉に言い返す伝七の台詞に澪は改めて確信した。むしろ、面識があった上ノ島一平は大丈夫だと知って、ホッとする思いだ。だが、その言葉を聞いて仙蔵達は揃って眉を寄せた。
「あー、わたしは平気ですから。もともと、一年い組の皆さんとは接点も少ないですし」
「いいわけあるか。学園で一年い組の生徒の多くが澪さんを怖がるなんて、教師達がそういう風に教えたというあらぬ疑いにだって繋がるんだぞ。それに、忍者として何かを過度に恐れるのは失格だ。忍者の三病の一つでもあるのだから。伝七一人だけの問題でないなら、このまま放置はできん」
忍者の三病。
それは、恐れ、侮り、考えすぎの三つを指す。
仙蔵の指摘に伝七の顔が強ばった。十歳児に厳しいとも言えなくはないが、ここは忍者を育てる学校である。ましてや、学園の職員である澪相手に不要な恐れを抱くという事に関し、仙蔵なりに先輩としてまずいと思っているのかもしれなかった。
忍者の三病を持ち出されると、澪の気持ちだけの問題ではなくなってしまう。
「気持ちが直ぐに切り替えられないら、今日はもう作法委員会はいい。戻れ伝七」
「……いいえ、大丈夫です。なるべく普通にできる、と思います。急に近づかれたりしなければ何とか」
「だ、そうだ澪さん。不快に感じたら遠慮なく言ってくれ。目に余るなら今日は伝七を追い出す」
後輩にきつい一言を言う仙蔵だが、伝七を誰も庇ったりはしない。伝七自身もそれを望んでいる様子はなく、忍たまと言えども忍者なのだな、と妙に感心した。
「分かりました。そしたら、なるべく伝七くんの方には行かないようにします」
「行く必要ないですよ、澪さん。ぼくの傍が今日の澪さんの定位置ですもん」
スリスリ、と澪の肩に頭を乗せてくる喜八郎。これもこれで、どうかと思う澪である。
とはいえ、ここまで接触を果たしておきながら喜八郎からは下心の類が一切感じられない。まんま犬猫が懐いている人間に、愛情を示す行為のようで注意するのも気が引けた。
「作法委員会の部室で、やたらに澪さんに引っ付くな喜八郎。そういうのは、他所でやれ」
「ですって、澪さん。今度、居心地のいい穴を掘りますから、また二人で篭もりましょうね。その時に澪さんに好きなだけ引っ付きたいです」
ゴロゴロと喉を鳴らす猫のようだ。嬉しそうに話しつつ喜八郎が、澪からそっと離れた。と言っても、頭を引っ付けるのを止めただけで距離は近いままである。
ナチュラルに、落とし穴へ招待された澪は仕方なく頷いた。居心地のいい穴とはなんだと、個人的にはツッコミしたい。
喜八郎の誘いは正直、困ると言えば困るが好意に裏打ちされている物だけに、断りを入れるのが難しい。
「少し話が脱線しちゃいましたけど、澪さんのお話、聞かせてください」
可愛らしい顔が近付き、喜八郎にお願いされた。色素の薄い瞳が綺麗だな、と思いつつも澪は己の元父親達について話をした。元組頭の忍者に大工、猟師、武人、料理人、右筆、代官。
ラインナップを聞いた喜八郎達は、興味深そうに頷いていた。
「お嬢様だったんですね、澪さん」
「連れ子ですよ。しかも、あちこち点々としていますし。そんな上等なものでは……」
藤内がほぅとため息をつき、澪をキラキラした目で見てくるので、そう返事をした。確かに立場的には家格のよい家の娘であるが、血は繋がってない上に、良家の娘として過ごした年月も大したものではない。
「でも、納得しました。字が凄く綺麗なのも、料理上手なのも。きり丸から聞きましたけど、狩猟もできるんですよね。凄いなぁ」
「ということは、大工もできるんですか澪さん」
「まぁ、簡単な作業なら」
兵太夫と藤内の質問に頷くと、二人とも目がキラキラしていた。
「非常識が美しい女の姿をしているんだな、理解した」
「本っ当に失礼極まりないですね。仙蔵くん」
出会ってから段々澪への評価が辛辣且つ失礼の極地に達していやしないか。
「ねぇ、仙蔵くん。実はわたしの事、嫌いだったりします?」
「まさか。好きだから、軽口を叩いているんだ。わたしなりの愛情表現だと思ってくれ」
「ーー仙蔵くんと恋仲になる女の子は大変ですね」
「好きな女子相手にそんな事するわけないだろう。うんと優しくするに決まっている。そこまで鬼畜ではない」
……新手の甘え方をされていると思おう。
子が親や兄姉に無礼な口を聞くのと似たような物だと思う事にした。
難しい顔をするだけで、本気で怒ったりは決してしない澪を見て、仙蔵はクスクスと笑っていた。そうしていると、悪戯好きの子どものようだ。
「じゃあ、澪さん。元お嬢様なのだし、まずはわたし達に城での作法を教えてくれ。その後でわたし達は合戦の作法を教えるから」
「はぁ……分かりました」
やれやれと思いつつも悪い気はしない。城に居た頃の記憶を辿りながら、澪が身につけた作法や所作について詳しく話をすると、皆が真剣になって話を聞いていた。伝七も澪と距離を取りつつ、興味はあるようでこちらへ視線を向けていた。
その後は約束通り、合戦の作法について教えられた。合戦と聞くと無秩序に争っているイメージがあるが、実際は違い戦うにしてもそれなりの順番がある。
昔は戦の初めに矢合わせという儀式があり、音の鳴る鏑矢を総大将が敵陣に放ち、相手から返答があったりした。まだのんびり戦が出来ていた時代の話である。
だが、室町時代特になるとこうした儀式的な物は次第に消えてしまい、城攻めの時の宣戦布告に使われる程度となっている。
で、室町時代末期にして戦国時代はどうかというと、矢合わせではなくいきなり鉄砲の撃ち合いから始まる事が多い。射撃戦が最初にあって、次に槍合わせ、そして突撃だ。
その後、必要に応じて追撃があり無事に勝てたら勝鬨を上げる事になる。
それでいくと、澪が佐武昌義の暗殺に気をつけないといけないタイミングは、射撃戦の間とそれが終わって槍合わせが始まるまでに後方へ引っ込む時となりそうだ。
合戦を見た事がないとは言わないが、流石に合戦そのものに出るのは初めてだ。首検分の話も含めて戦の流れや合戦の事を色々聞いて、澪としても勉強になった。
利吉の仕事の手伝いの前に作法委員会に訪れたのは、ちょうど良かったかもしれない。
そして、澪は作法委員会の伝七を除くメンバーと誘われたのもあって、共に夕食を食べる事になった。
ーー利吉がやって来たのは、その翌日の朝の事であった。
少なくとも、二日前には姿を現す約束だったので驚きはない。聞くと、どうも三、四日後には合戦が始まるだろうとの事だった。予定通り、澪は学園長に許可を取り先に利吉と共に合戦場まで向かう事になった。
数日開ける事になるので、念のため、事務室や半助達以外の教員へ報せてから出立する。その際、厚着と安藤の二人から戻ってきてから話があると言われたーーおそらくは、一年い組の子ども達の事に違いない。
「澪さん、おはよう!どこかへ行くのか?」
「おはようございます、小平太くん」
早朝にランニングでもしてきたのか、門の所で待ち合わせしている利吉の所へ向かう途中、汗びっしょりの小平太と遭遇した。
「その姿、男装だな……何か用事か?」
着物に袴、笠を深く被った男の装いをした澪を小平太はじっと観察するように見てくる。
ちなみに、学園長にプレゼントした二つの武器のうち、一つを持っていくよう言われたので、使うかどうかは分からないが箱に仕舞った双錘を背負っている。幾ら男装しているとはいえ、大きな箱を背負う姿は目立っていた。
「ええ、まぁ。数日留守にします」
「ひょっとして、利吉さん絡みか?さっき、門の辺りで見かけたが」
「まぁ、そんな所です。今回は利害が一致してますし、学園長からの許可も出ていますから」
虎若の父、佐武昌義は佐武衆の頭領だ。忍術学園とも親しい間柄にあるため、利吉の依頼に澪が同行するのを止める理由はない。
むしろ、推奨すべき立場だろう。なお、明日の夕刻には伝蔵と合流し、その伝蔵は半助と二日後に交代予定である。戦は三、四日後と想定されているが、早まった時の事を考えてそのような順番となった。
「澪さんが出向くということは、それなりに厳しい忍務なのだろうな」
「小平太くん。下級生の子には内緒にしてくださいね。心配をかけたくなーー」
「っ、澪さん!」
心配をかけたくないので、と言う言葉は最後まで言えなかった。ぎゅっ、と名を呼ばれると同時に小平太に抱きしめられたからだ。
ぽた、と澪の頬に小平太の汗が少しかかった。
と、思ったらそれは束の間の事で直ぐに肩に手を置かれて離される。きょとん、とする澪に小平太が笑ってそのまま澪の肩を叩いた。
「無事を祈願したり、元気づける我が家のお呪いだ!よく弟や妹にもしてるんだ。中々きくぞっ」
ニカッと、太陽みたいに笑う小平太。その笑顔が眩しくて、思わず澪は目を細めた。
「……そうなんですね、ありがとうございます」
「くんくん、あー、すまない。わたしの汗臭いのがちょっと移ったかもしれん!!」
「いいですよ、別に。男装してますから」
「細かい事は気にしないわたしだが、澪さんの事は別だ。せめて汗を拭いてからお呪いをすればよかった」
「ふふ、小平太くんのお呪いが汗臭さで割増効果が出ると思っておきますよ」
「うん?その理屈だと、もっと汗臭い方がいいと言うわけか。もう一回するか?」
「それはご勘弁を」
笑って手を振ると、小平太が笑い声を上げた。
「では行ってきますね」
「ああ、行ってくるといい」
利吉をあまり待たせられないため、話を切り上げて小平太と手を振って別れる。
数歩離れた所で小平太に何か言われた気がして振り返ると、小平太がぶんぶん元気よくまだ手を振っていた。
だから澪は知らなかった。小平太が「どうか怪我ひとつなく、無事で……」と祈るように呟いていたのを。
今の日本は、外の事情が分からないからのんびりと目の前の猫の額のような土地を同じ日本人同士で奪い合っているのだ。
世界の事情が分かったら、そんな事ができるわけがない。とはいえ、日本の土地が地理的に旨みが少ない事や、戦いあっている武士達を見て南蛮人が厄介だと思ってくれているうちは、のんびり争っていても支障はない。
問題があるとすれば、今はそうではないが、どこかで南蛮人達が心変わりをして、澪の知る前世の世界での歴史と同じ道を辿る事になった場合である。
例えば、明の国が荒れて彼の大国が揺らげば、南蛮人達が欲を出し、それこそ澪の知る世界の史実と同じように日本人を傭兵として使う事で、明の征服を企むかもしれない。
前世の世界の史実では、明は万歴帝の頃に衰退する。どんぴしゃ、それは日本の戦国時代と重なるのだ。その事は念のため、二人にも伝えておいた。よく似た世界が実際に辿った歴史だったおかげもあってか、澪の話を聞いた二人は真剣な顔で頷いていた。
もっとも、知った所で忍者が出来る事はたかが知れている。歴史の大きなうねりがあれば、例えそれが異国からの侵略であろうとも、飲まれてしまうのが大多数の庶民である。
この世界でも、日ノ本がいつか戦の無い平和な時代を迎えるのを祈るばかりだ。
また、澪はついでにこの際だからと前世知識チートの一端を二人へぶっ込んだ。日ノ本に住む以上、避けては通れぬ地震についての警告である。
正確な発生日時までは覚えていないが、戦国時代には大きな三つの地震があり、このうち一つは戦国時代初期に東海地方で起こっており、この世界でもそれは一致していた。ならば、残り二つも起こる可能性はある。しかも、この二つはどちらも近畿圏に被害が出ており、三つ目は京都が震源地のため京に甚大な被害が出たのだ。
前世を生きた現代日本で、徳川家康が主人公の大河ドラマがあり、そこで地震の様子の再現を見たからはっきり覚えている。
戦国時代後期の地震となるため、まだ先の事ではあるが可能性の話はしておいた方がいいと判断した。だから、二人には二、三十年以内に自揺れがあるかもしれない事、一度もしあれば二度目もあるかもしれない事を警告した。
澪の話に、異国からの知識をぶっ込まれた二人は更なる一撃をくらったものの、直ぐに持ち直した。地震の事は、流石は日本人だけあって耐性がある。過去に大きな揺れがあった事実も手伝って、地震が起こった時を想定して定期的に避難訓練を学園に導入することを学園長へ提案する事になった。
前世知識チートぶりが激しい取り扱い注意の劇物もどきになっているのを知らぬは本人ばかりである。
最近、色んな自重を無意識に投げ捨てている澪は忍術学園に保護された禁断の魔物的な存在になりつつあった。
凄まじい怪力と、取り扱い注意な知識を多数保有しているとなれば、保護対象となるのも致し方ない話である。
これまで、半助が引き受けていた部分の多い澪の心臓に悪いチート知識の一端を目にした伝蔵は、半助の心労を知って同情したとか何とか。
そしてその翌日の事。
澪は一年は組の教師二人に、色々とぶちまけた事もあって、やり遂げた気持ちの余韻のような物を若干感じつつも、約束通り午後に作法委員会の部室を訪れた。
「失礼します。澪です」
「澪さん、いらっしゃい!待ってました!!」
勢いよく部室の障子戸を開けて出迎えてくれたのは、一年は組の笹山兵太夫である。普段から接触の機会は多いが、部室に遊びに来てくれた事が嬉しいのか満面の笑顔だ。
「中に入っても?」
「勿論です!」
兵太夫に手を引かれ、作法委員会の部室を覗くと全員が勢揃いしていた。部長の立花仙蔵、四年生の綾部喜八郎、三年生の浦風藤内ーーそして、一年生い組と思しき少年。面識がないのもあって、一年生い組は生物委員の上ノ島一平以外、殆ど知らない。
今は、武術訓練のせいで一年い組の生徒には怯えられている。ひょっとしたら、一平も澪を怖がっているかもしれない。案の定、目の前の少年も澪を見ておどおどしている。ぺこり、と小さく頭こそ下げたがそれだけだ。
作法委員会の委員長である仙蔵が、その態度に素早く反応した。
「伝七。話したことがないなら自己紹介くらいはするように」
「……一年い組の黒門伝七と言います。伝七と呼んでください」
全く視線が合わない。あからさまに警戒されていて、澪は苦笑いしてしまいそうになるのを堪えた。
「澪と申します。伝七くん、今日はよろしくお願いしますね。邪魔をするつもりはないですし、そんなに長くいるつもりもないので」
「それは嫌です。用がないなら今日はずっと居て下さい。それと、良かったら一緒に夕飯を食堂で食べましょう」
伝七にとっては澪がいては具合が悪いだろうと思い、気を遣って言った発言なのだが、すぐさま喜八郎が反応する。逃がさない、とばかりに喜八郎が澪の腕にぎゅっとしがみついて来た。
「喜八郎の言う通りだ。澪さん、特に予定がないならここに居るといい。わたしも澪さんに城での作法を教えてほしいからな。赤間関にいた頃に姫君の傍で一時、仕えていたのだろう?」
「そうですけど、侍女の作法ですよ」
「女装する事だってあるかもしれんだろう」
確かに、仙蔵の女装は完璧だ。線が細めの美男子というのもあって、見事な女装ぶりだ。姫君の侍女に混じってても違和感がない。
一方、澪が赤間関にいた頃、姫君の傍にいたと聞いて藤内が反応した。
「澪さん、お城勤めしていた事があるんですか?!」
「そうだぞ、藤内。確か、右筆をされていた元お父上の娘だった時に赤間関の城に姫君の遊び相手として、侍った事があるそうだ」
「おおっ……!」
よく覚えているな、と仙蔵に感心する一方で、藤内からキラキラした眼差しを向けられる澪。城勤めはエリートの証とも言えるため、藤内が反応してしまうのも無理はない。
「そう言えば、澪さんの元お父上は色んな人がいるって、きり丸から聞いたな……」
「へぇ、その噂は聞いた事あるけど詳しくは知らないなぁ。澪さん、ぼくらにも教えてください」
兵太夫と喜八郎に揃って期待の眼差しを向けられる。ふと、視線を感じてそちらを向くと、伝七と目が合った。ひゅっ、と伝七が息を呑む静かな音がする。
「伝七、怖がってないで普通にしたらいいだろう。澪さんの話に興味があるのならな」
「でも立花先輩、その人は厚着先生達を倒すくらい強くておっかないんじゃ……」
「そうだな、本当にどうかと思うくらいに強いな。以前に廃寺を吹き飛ばしていたしーー本当の本当に人間か?モノノ怪か地獄の使者だと言われた方がわたしは納得するぞ」
「失礼極まりないですね仙蔵くん」
伝七はともかく、仙蔵はナチュラルに人を人外扱いしてくるのはどうかと思う。
「ほら見ろ伝七。わたしが無礼な事を言っても澪さんの反応はこの程度だ。きっと、ありとあらゆる悪口を言っても殴っては来ないさ」
「それはそうですけど、わたしの心の強度を試すような事しないでくれます?」
人を何だと思ってるんだ。忍たま達に悪口を言われた程度なら大丈夫だとは思うが、サイボーグでもないのに鋼のメンタルはしていないーーと、思う。
「そうだぞ、伝七。考えてもみろ。お前の無礼な態度が気に入らないと、澪さんはお前をボッコボコのギッタンギッタンにできるのに、そうはしてこないだろう?何を怖がる必要があるんだ」
そんなバイオレンスであってたまるか。藤内の言葉に澪はツッコミしたいのを堪えた。
「仙蔵くん、藤内くん。そこまでにして下さい。自分で言うのもあれですが、どんなに大人しくても熊は熊って事です。怖がるなと言う方が難しいと思います」
「澪さんが熊なら、ぼくが特別な巣穴を掘ってあげます。沢山、お世話しますから。安心してくださいね」
「ありがとうございます、喜八郎くん。でも話の腰を折らないで下さいね」
「はーい」
無論、澪は熊である気は毛頭ないが、そう認識されてしまったなら無理に直そうとも思わないだけだ。逆効果になる可能性だってあるのだから。
「まぁ、澪さんがそう言うならいいが。伝七、余りに酷いようなら安藤先生達に相談せねばならないぞ」
「っ、ぼくだけじゃありませんよ。一平以外の一年い組の生徒全員が澪さんを怖がってるんですからね!」
やっぱりか。仙蔵の言葉に言い返す伝七の台詞に澪は改めて確信した。むしろ、面識があった上ノ島一平は大丈夫だと知って、ホッとする思いだ。だが、その言葉を聞いて仙蔵達は揃って眉を寄せた。
「あー、わたしは平気ですから。もともと、一年い組の皆さんとは接点も少ないですし」
「いいわけあるか。学園で一年い組の生徒の多くが澪さんを怖がるなんて、教師達がそういう風に教えたというあらぬ疑いにだって繋がるんだぞ。それに、忍者として何かを過度に恐れるのは失格だ。忍者の三病の一つでもあるのだから。伝七一人だけの問題でないなら、このまま放置はできん」
忍者の三病。
それは、恐れ、侮り、考えすぎの三つを指す。
仙蔵の指摘に伝七の顔が強ばった。十歳児に厳しいとも言えなくはないが、ここは忍者を育てる学校である。ましてや、学園の職員である澪相手に不要な恐れを抱くという事に関し、仙蔵なりに先輩としてまずいと思っているのかもしれなかった。
忍者の三病を持ち出されると、澪の気持ちだけの問題ではなくなってしまう。
「気持ちが直ぐに切り替えられないら、今日はもう作法委員会はいい。戻れ伝七」
「……いいえ、大丈夫です。なるべく普通にできる、と思います。急に近づかれたりしなければ何とか」
「だ、そうだ澪さん。不快に感じたら遠慮なく言ってくれ。目に余るなら今日は伝七を追い出す」
後輩にきつい一言を言う仙蔵だが、伝七を誰も庇ったりはしない。伝七自身もそれを望んでいる様子はなく、忍たまと言えども忍者なのだな、と妙に感心した。
「分かりました。そしたら、なるべく伝七くんの方には行かないようにします」
「行く必要ないですよ、澪さん。ぼくの傍が今日の澪さんの定位置ですもん」
スリスリ、と澪の肩に頭を乗せてくる喜八郎。これもこれで、どうかと思う澪である。
とはいえ、ここまで接触を果たしておきながら喜八郎からは下心の類が一切感じられない。まんま犬猫が懐いている人間に、愛情を示す行為のようで注意するのも気が引けた。
「作法委員会の部室で、やたらに澪さんに引っ付くな喜八郎。そういうのは、他所でやれ」
「ですって、澪さん。今度、居心地のいい穴を掘りますから、また二人で篭もりましょうね。その時に澪さんに好きなだけ引っ付きたいです」
ゴロゴロと喉を鳴らす猫のようだ。嬉しそうに話しつつ喜八郎が、澪からそっと離れた。と言っても、頭を引っ付けるのを止めただけで距離は近いままである。
ナチュラルに、落とし穴へ招待された澪は仕方なく頷いた。居心地のいい穴とはなんだと、個人的にはツッコミしたい。
喜八郎の誘いは正直、困ると言えば困るが好意に裏打ちされている物だけに、断りを入れるのが難しい。
「少し話が脱線しちゃいましたけど、澪さんのお話、聞かせてください」
可愛らしい顔が近付き、喜八郎にお願いされた。色素の薄い瞳が綺麗だな、と思いつつも澪は己の元父親達について話をした。元組頭の忍者に大工、猟師、武人、料理人、右筆、代官。
ラインナップを聞いた喜八郎達は、興味深そうに頷いていた。
「お嬢様だったんですね、澪さん」
「連れ子ですよ。しかも、あちこち点々としていますし。そんな上等なものでは……」
藤内がほぅとため息をつき、澪をキラキラした目で見てくるので、そう返事をした。確かに立場的には家格のよい家の娘であるが、血は繋がってない上に、良家の娘として過ごした年月も大したものではない。
「でも、納得しました。字が凄く綺麗なのも、料理上手なのも。きり丸から聞きましたけど、狩猟もできるんですよね。凄いなぁ」
「ということは、大工もできるんですか澪さん」
「まぁ、簡単な作業なら」
兵太夫と藤内の質問に頷くと、二人とも目がキラキラしていた。
「非常識が美しい女の姿をしているんだな、理解した」
「本っ当に失礼極まりないですね。仙蔵くん」
出会ってから段々澪への評価が辛辣且つ失礼の極地に達していやしないか。
「ねぇ、仙蔵くん。実はわたしの事、嫌いだったりします?」
「まさか。好きだから、軽口を叩いているんだ。わたしなりの愛情表現だと思ってくれ」
「ーー仙蔵くんと恋仲になる女の子は大変ですね」
「好きな女子相手にそんな事するわけないだろう。うんと優しくするに決まっている。そこまで鬼畜ではない」
……新手の甘え方をされていると思おう。
子が親や兄姉に無礼な口を聞くのと似たような物だと思う事にした。
難しい顔をするだけで、本気で怒ったりは決してしない澪を見て、仙蔵はクスクスと笑っていた。そうしていると、悪戯好きの子どものようだ。
「じゃあ、澪さん。元お嬢様なのだし、まずはわたし達に城での作法を教えてくれ。その後でわたし達は合戦の作法を教えるから」
「はぁ……分かりました」
やれやれと思いつつも悪い気はしない。城に居た頃の記憶を辿りながら、澪が身につけた作法や所作について詳しく話をすると、皆が真剣になって話を聞いていた。伝七も澪と距離を取りつつ、興味はあるようでこちらへ視線を向けていた。
その後は約束通り、合戦の作法について教えられた。合戦と聞くと無秩序に争っているイメージがあるが、実際は違い戦うにしてもそれなりの順番がある。
昔は戦の初めに矢合わせという儀式があり、音の鳴る鏑矢を総大将が敵陣に放ち、相手から返答があったりした。まだのんびり戦が出来ていた時代の話である。
だが、室町時代特になるとこうした儀式的な物は次第に消えてしまい、城攻めの時の宣戦布告に使われる程度となっている。
で、室町時代末期にして戦国時代はどうかというと、矢合わせではなくいきなり鉄砲の撃ち合いから始まる事が多い。射撃戦が最初にあって、次に槍合わせ、そして突撃だ。
その後、必要に応じて追撃があり無事に勝てたら勝鬨を上げる事になる。
それでいくと、澪が佐武昌義の暗殺に気をつけないといけないタイミングは、射撃戦の間とそれが終わって槍合わせが始まるまでに後方へ引っ込む時となりそうだ。
合戦を見た事がないとは言わないが、流石に合戦そのものに出るのは初めてだ。首検分の話も含めて戦の流れや合戦の事を色々聞いて、澪としても勉強になった。
利吉の仕事の手伝いの前に作法委員会に訪れたのは、ちょうど良かったかもしれない。
そして、澪は作法委員会の伝七を除くメンバーと誘われたのもあって、共に夕食を食べる事になった。
ーー利吉がやって来たのは、その翌日の朝の事であった。
少なくとも、二日前には姿を現す約束だったので驚きはない。聞くと、どうも三、四日後には合戦が始まるだろうとの事だった。予定通り、澪は学園長に許可を取り先に利吉と共に合戦場まで向かう事になった。
数日開ける事になるので、念のため、事務室や半助達以外の教員へ報せてから出立する。その際、厚着と安藤の二人から戻ってきてから話があると言われたーーおそらくは、一年い組の子ども達の事に違いない。
「澪さん、おはよう!どこかへ行くのか?」
「おはようございます、小平太くん」
早朝にランニングでもしてきたのか、門の所で待ち合わせしている利吉の所へ向かう途中、汗びっしょりの小平太と遭遇した。
「その姿、男装だな……何か用事か?」
着物に袴、笠を深く被った男の装いをした澪を小平太はじっと観察するように見てくる。
ちなみに、学園長にプレゼントした二つの武器のうち、一つを持っていくよう言われたので、使うかどうかは分からないが箱に仕舞った双錘を背負っている。幾ら男装しているとはいえ、大きな箱を背負う姿は目立っていた。
「ええ、まぁ。数日留守にします」
「ひょっとして、利吉さん絡みか?さっき、門の辺りで見かけたが」
「まぁ、そんな所です。今回は利害が一致してますし、学園長からの許可も出ていますから」
虎若の父、佐武昌義は佐武衆の頭領だ。忍術学園とも親しい間柄にあるため、利吉の依頼に澪が同行するのを止める理由はない。
むしろ、推奨すべき立場だろう。なお、明日の夕刻には伝蔵と合流し、その伝蔵は半助と二日後に交代予定である。戦は三、四日後と想定されているが、早まった時の事を考えてそのような順番となった。
「澪さんが出向くということは、それなりに厳しい忍務なのだろうな」
「小平太くん。下級生の子には内緒にしてくださいね。心配をかけたくなーー」
「っ、澪さん!」
心配をかけたくないので、と言う言葉は最後まで言えなかった。ぎゅっ、と名を呼ばれると同時に小平太に抱きしめられたからだ。
ぽた、と澪の頬に小平太の汗が少しかかった。
と、思ったらそれは束の間の事で直ぐに肩に手を置かれて離される。きょとん、とする澪に小平太が笑ってそのまま澪の肩を叩いた。
「無事を祈願したり、元気づける我が家のお呪いだ!よく弟や妹にもしてるんだ。中々きくぞっ」
ニカッと、太陽みたいに笑う小平太。その笑顔が眩しくて、思わず澪は目を細めた。
「……そうなんですね、ありがとうございます」
「くんくん、あー、すまない。わたしの汗臭いのがちょっと移ったかもしれん!!」
「いいですよ、別に。男装してますから」
「細かい事は気にしないわたしだが、澪さんの事は別だ。せめて汗を拭いてからお呪いをすればよかった」
「ふふ、小平太くんのお呪いが汗臭さで割増効果が出ると思っておきますよ」
「うん?その理屈だと、もっと汗臭い方がいいと言うわけか。もう一回するか?」
「それはご勘弁を」
笑って手を振ると、小平太が笑い声を上げた。
「では行ってきますね」
「ああ、行ってくるといい」
利吉をあまり待たせられないため、話を切り上げて小平太と手を振って別れる。
数歩離れた所で小平太に何か言われた気がして振り返ると、小平太がぶんぶん元気よくまだ手を振っていた。
だから澪は知らなかった。小平太が「どうか怪我ひとつなく、無事で……」と祈るように呟いていたのを。
