第9話 忍術学園最強の秘書
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「昨夜の醜態の数々、全く覚えておりませんが皆様には多大なるご迷惑をおかけした事、この通り伏してお詫び申し上げる所存にございます」
「あー、大丈夫だから澪くん。土下座はやめなさい。こちらが居た堪れないから」
翌朝。
澪は職員長屋に赴き、廊下に手をついて土下座していた。
目を覚ましたのは早朝のこと。記憶がなく、いつの間に自室に戻ったのだろうと首を傾げていたら、シナが朝一番に澪の部屋にやって来て昨夜の食堂で起こった出来事と、その顛末を伝え、強めに澪へお説教した。
曰く、年頃の若い娘がはしたない云々……。
シナのお説教をくらった澪は、忍術学園を朝早くに出ようとしていた利吉を捕まえて、より詳しく昨日の出来事を聞いた。
昨夜の醜態の全てーー呂律が回らなくなったばかりか、厚着と半助にキスをするという酒乱ぶりまで聞いて、澪は利吉の前で頭を抱えて悶絶した。
キスするなんて、頬と口元だからセーフかと聞かれたらアウトである。職場の人に何たることを……下手したら辞職ものである。
辞表を書くべきかどうか真っ青になる澪に、利吉がとりあえず落ち着けと肩を叩いた。そんなので辞表を書かれたら、酒の席に誘った伝蔵が気の毒だとも。
その言葉を頼りに、澪は朝食を喉も通らない気持ちで何とか食べて、授業が始まる前に醜態を晒した教師達に全力謝罪行脚を決行したというわけである。
「もう二度と酒は飲みません。天地神明に誓います」
「ま、それが無難だろうな。わたし達としてはこの事は言いふらすつもりはないが、後々の事もある。念のため、澪くんが酒にめっぽう弱いのは学園長に報告しておいた」
「はい。お手間をとらせてしまい、すみません」
「こらこら、謝罪はいいから。知らなかったとはいえ、誘ったわたしにも責任がある。気にしなさんな」
伝蔵に慰めるように肩を叩かれた。既に厚着、日向、野村、木下の方にも出向き、土下座をして来たのだが、四人から顔を上げるよう言われた次第である。
澪はチラ、と座ったままで半助を見上げた。利吉から聞いたが、半助の口の横にちゅーをかましてしまったと聞いて、それはもう申し訳なく思った。想い人の利吉の前で、さぞや不快だったろうに。
「土井先生も、本当にごめんなさい。皆さんの前で誤解されるような事、さぞやご不快だったでしょう……」
「いやっ、そんな事はないから!」
澪の言葉を全力否定する半助。こんなに優しい人に、己はなんて事を!と悔やむ澪。
一方、伝蔵はここで「わたしは、むしろ役得だったよ。澪さん」とか何とか言ってアピールしろよぉおお!!と、半助に目力で訴えたが、そんな事が出来ないから半助なのである。
「もう二度と、神に誓って絶対の絶対に土井先生にちゅーなんてしませんからっ!!」
「…………」
「澪くん、そこまで必死になると土井先生がいじけるから程々に」
好きな人に強く二度とちゅーしない宣言をくらい、半助がどんよりした空気を纏うのを見た伝蔵が咳払いして澪の発言に待ったをかけた。
「おっほん、謝罪は受け取ったからとりあえず立ちなさい。土井先生も、そろそろ授業に行かないと」
「あっ、そうですよね。突然押しかけてすみませんでした。では、わたしはこれで失礼しますね」
「澪くん。今日、午後に時間があるなら職員室に来られるかね。例の地図を入手したんだ。わたしも同席するから、土井先生とわたしに異国の話を詳しくしてもらう事はできるか。お茶なんかはこちらで用意しておくから」
例の地図と聞いて澪は思い出した。
澪の知る外国の知識を、地図を使って話をすると言っていた事を。何が何処まで載った地図かは分からないが、今日は午後からは特に予定がない。半助へ出来上がった着物を渡そうかと思っていたくらいである。
「分かりました。では、わたしは土井先生に出来上がった着物をお持ちしますので、話が終わってからでも袖を通してもらえますか?」
「えっ、もう一着できたのかい」
澪の言葉に半助が復活して顔を上げた。
「念の為に、袖を通して問題ないか確認してください。もう一着は忍者衣にするので、一着目より時間がかかるかもしれません」
「ありがとう澪さん。ゆっくりでいいからね」
「羨ましいな土井先生。わたしも、女房に新しく着物を作ってもらいたくなった」
ニヤリと笑う伝蔵に、半助が照れ笑いをしていた。伝蔵は分かっていない。半助の本命は息子の利吉だというのにーーと、澪こそ全く分かっていない勘違いをする。澪の心の声が聞こえたら、半助も伝蔵もひっくり返るだろう。
それから、澪は午前中に予定していたので一年ろ組の授業補佐に向かった。昨日の戦闘訓練のお陰か、控えめな子達が多いというのに澪に一生懸命話しかけてきてくれて、可愛かった。
ーーのだが。
澪の戦闘訓練は思わぬ副産物を齎した。
「っひぃー?!」
「お、お助け……」
一年ろ組の実技授業の補佐が終わったので、次の予定である事務室の手伝いへ向かう途中。偶然、一年い組の生徒達の数名が遊んでいる場面に遭遇したのだが、澪の姿を見た瞬間に蜘蛛の子を散らすように全員が一斉に逃げてしまった。
まるで猛獣扱いである。
どう考えても昨日の戦闘訓練の結果、過度に怖がられているとしか思えない。別に取って食いやしないのに、澪を見るだけで襲われるとでも言わんばかりだ。
そういう態度を取る人間を知らないわけではないし、むしろそれが正常なのだろう。だが、忍術学園に来てからは久しくなかった事だから油断していた。傷付いてはいないが、流石に一年い組の子ども達に怯えられ続けるのは本意ではない。
一時的な物ならいいが、そうでないなら厚着や安藤に相談した方がいいかもしれない。考え事をして歩いていると、呼び止められた。
「澪さん、これからどこへ行くんだ?」
「事務室ですよ、仙蔵くん」
声のした方を振り返ると、仙蔵が喜八郎と兵太夫と一緒に何やら箱に入った荷物を運んでいる。メンバーを見て、ひょっとして……と気付く。
「作法委員会の活動中ですか?」
「その通りだ。これから、生首フィギュア等を使って合戦の作法を勉強する予定だ」
生首フィギュアなんて、物騒な物を扱うのは首検分のためだというのは知っていたが、本当に使うんだなとしみじみ思う澪である。
「澪さん、いつ作法委員会に遊びに来てくれるんです?ぼく、ずっと待ってるのに中々来てくれなくて待ちぼうけなんですけど」
「あー、ごめんなさい喜八郎くん。戦闘訓練も終わりましたし、明日にでも行きますよ。わたしも合戦での作法とかに興味がありますから」
喜八郎が唇を尖らせて可愛らしく言うのを見て思い出す。そう言えば、作法委員会に遊びに来るよう言われていたな……と。すっかり忘れていつ澪は、慌てて謝った。
「合戦での作法に興味があるって、一応は女人禁制なのに?」
「あーっ、ほら、どんな実習の補佐につくか分からないじゃないですか、兵太夫くん。ひょっとしたら、上級生のお手伝いをする時に、学んでおいた方がいい知識かもしれませんし!」
実は虎若の父親である佐武昌義を合戦場で狙う暗殺者を捕まえるのに、そのうち出向くなんて言えない。なお、合戦の日に関しては最低でも二日前には利吉が学園に来て知らせるので、澪は先に利吉と合戦場まで向かう手筈になっている。
半助や伝蔵は、生徒に怪しまれるのを避けるため、少し時間を置いて出張という形を取るとの事であった。合戦は行ける方が向かい、長引くようなら途中で交代する予定だ。大抵の場合、合戦は長くても一日あれば終わるのだが、帰討活動等があるともう少しかかる事もあるからだ。
おそらく、早ければ数日後に利吉が来るだろうと言うのが伝蔵の読みだ。
「澪さんが来てくれるなら何でもいいです。ぼくがお相手しますから」
「喜八郎、荷物を持ったまま澪さんにひっつくんじゃない。それと、お前ばかりが相手をするわけにもいかんだろう。澪さんが作法委員会に来る以上は、皆でもてなすのが筋というものだ」
澪の近くまでやって来て、ぴとっと猫みたいにくっついてくる喜八郎に、仙蔵がやれやれとため息をついている。
「澪さん、明日の午後に作法委員会の部室に来てくれ。待っているから」
「分かりました……喜八郎くん、スリスリ止めましょうか」
「もうちょっと。澪さん不足を回復したいので」
「猫かお前は」
スリスリと、澪の肩に頭を乗せる喜八郎に仙蔵がツッコミした。確かにこれは猫だと澪も同意する。全く同じ事を考えたらしい。流石に仙蔵に注意されてか、喜八郎が名残惜しそうに離れた。猫の耳と尻尾が喜八郎にくっついてる幻が見えそうである。
それから作法委員会とは別れ、何事もなく事務室についた。今日も今日とて小松田が何かやらかしてるのか、部屋の中で「小松田くん!!」と吉野の叫び声にも似た声がしている。
「失礼します。澪です」
そう告げて中に入ると、小松田がちょこんと床に座りバラバラになった書類が散らばっていた。その上、硯がひっくり返り床が墨まみれになっている。
「……雑巾とか持ってきますね」
「ごめんねぇ、澪さん。この床、滑りやすいのかな」
「床のせいにしない!小松田くんが足元の注意が疎かなだけですっ」
しれっと転けたのを床のせいにする小松田に、吉野がツッコミしていた。見ると、一体どう小松田が転んだのか不明だが、筆がぼっきり折れて床に転がっていた。
「澪さん、ぼくも行くよっ。きゃっ……!」
止めておけばいいのに、小松田が急いで立とうとしたのでまた転けそうになったのを、澪は無言でその手を掴んで引き寄せて助けた。というか、何故に悲鳴が女子っぽいのだ。
「大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。やっぱりこの床、滑りやすいような」
もしそうなら、事務室と言わず小松田の歩く場所全て特殊ワックスがきいていることになる。やれやれと思いつつ、小松田を立たせた後、一緒に雑巾等の掃除道具を取りに行く。その途中、廊下でまたも一年い組の生徒とすれ違い、子ども達があからさまに澪を見て、廊下の隅に逃げた……続くようなら、やはり相談がいるなと思っていると、横にいた小松田が眉を寄せた。
「ねぇ、澪さんが君達に何かしたの?違うなら失礼だよ、そういう態度は」
そしてストレートに注意した。澪は小松田から飛び出た台詞に驚く。
「でも、厚着先生達を倒しちゃうんですよ」
「先生達より強いし」
「学園長の指示があったから戦ったんだよ。仕事でそうしただけじゃないか。何もしてないのに、君達に怯えられる澪さんの気持ちとか分かってるの?」
「小松田さん、わたしなら大丈夫ですから……行きましょう」
ぎゅっ、と小松田の手を握って澪は一年い組の子達から離れる事にした。子ども達はちらちらと去っていく澪の方を見ていた。
これは、小松田の注意一つで解決するような物ではない。過去、怪力を披露した先々で怯えられる事が多かった澪は、よく知っている。
厚着や安藤に相談しても、どうにもならないかもしれないな……と、思いつつも掃除道具を取りに行くと、小松田がきゅっと眉を寄せて澪を見ていた。その視線は気遣わしげだ。
「ねぇ、澪さん。ひょっとして、ああいうの慣れてるの」
「そうですね。初めてではないですよ」
問われたのでそう答えると、益々難しい顔になる小松田。
「ぼく、澪さんの怪力を羨ましいって思ってたんだ。何で澪さんみたいな可愛い女の子に怪力があって、ぼくはそうじゃないんだろうって。だから、ごめんね」
「謝る事なんてないのでは?」
「ううん、謝らないといけない。澪さんの凄い怪力はそんな単純な物じゃないから。ぼくは、あってもきっと持て余す。なのに、羨ましいなんて考えてしまったから」
へにょ、と小松田は苦笑いしていた。普段からへっぽこ事務員の印象が強いのに、中々どうして鋭い所がある。無駄に人の気配に敏感な所がある彼らしい言葉に澪は微笑んだ。
「小松田さんがそう言ってくれるなら、わたしはそれで十分です」
「えへへ、そんなぁ。やっぱり、澪さんはぼくの事が……!」
「ライクですからね」
きゃっと、またも女子らしい声を発する小松田に、思わずツッコミする澪だった。
+++++
事務室の手伝いも無事に終わってランチを食べ、ひと段落したところで半助と伝蔵の仕事部屋を尋ねた。
既に二人は澪を迎える用意を整えており、お茶と菓子が用意されてあった。菓子は美味しそうな団子である。
「よく来たね、澪さん」
「話が長くなってはいかんから、先に土井先生の着物の確認を済ませてくれ」
「分かりました」
半助に招かれて、中に入る。伝蔵の指示に頷いて、澪は半助に着物を渡した。
「では、すみませんが一度着てみてもらっていいですか?」
「ありがとう。じゃあ、少し失礼するよ」
半助に風呂敷に包んだ着物を渡すと、隣の寝室に着替えに向かった。その間に、伝蔵にお茶を注がれ湯呑みを手渡された。
「利吉に巾着を作ってくれたんだって?子どもみたいに喜んでいた」
「ふふ、気に入ってもらえたなら何よりです」
「澪くんには、何かと世話になるな。あいつは売れっ子のフリーの忍者だとか言われてはいるが、色々な人に師事して独学で忍びになった口だ。わたしから言わせれば、まだまだな所がある。次の仕事は合戦場……何があるかわたしにも予測がつかない。澪くん、お前さんも気をつける必要があるが、利吉が無茶をしないか見ててくれると助かる」
一人前であると認めている一方で、親として心配な部分もあるのだろう。前世に子が居たことはないが、子を持つ親の気持ちというのは想像できる。澪は伝蔵の頼みに静かに頷いた。
「お待たせ。どうかな、澪さん?」
伝蔵と短いやり取りを終えた所で着替えた半助が出てきた。虫襖の色を基調とした衣を纏い、袴を着た町人の出で立ちである。
「似合っとるじゃないか」
「土井先生は背が高いし、顔立ちも整ってますからね。何を着てもお似合いです」
伝蔵と澪が褒めると、半助が照れたように笑った。
「ちょっと、失礼……うん、おかしな所はなさそうですね。土井先生は何か違和感とかあります?」
「いいや、まるで仕立てに出したみたいだ。ありがとう、澪さん」
どうやらうまく出来たようだと、ホッとする。
「まぁ、忍務にはいつもの着物にしておくんだな。何があるか分からんのだし」
「当然です!!」
「忍務で着てくれて構いませんよ?」
伝蔵の発言を強く肯定する半助。
むしろ大事にされ過ぎて着られないのも、あげた意味がない。そう思って言ったのだが、とんでもないとブンブン半助に首を横に振られた。
「ちゃんと着るけど、そう簡単に汚したり駄目にならない時限定だよ。この着物がとても気に入ったんだ」
「はぁ……まぁ、そういう事なら」
着ている着物を半助に大事そうに撫でられると、縫ったのは澪だけに妙に照れくさい。半助が再び忍び装束姿に戻るまでの間、照れた事で顔に熱が集まるのを誤魔化すように茶を飲む澪を、伝蔵が何やら微笑ましく見ていた事に全く気付かなかった。
「では、土井先生の用も済んだことだし、始めてくれ澪くん。これが、しんべヱのお父上経由で手に入れた、日ノ本以外の国が書かれた地図になる」
半助が着替えて戻ってくると、早速、伝蔵が懐から神を取りだした。それは、北極と南極、そしてオーストラリアがなく、細部は雑な所があるものの、澪の知る世界地図そのものだった。
「本物ではなく写し故、大きさや形があやふやな部分があるやもしれぬが、これでいけるか澪くん」
「……十分です」
床に広げられた世界地図を、半助も食い入るように見つめていた。日ノ本の形を見つけ「小さいな……」と呟いている。
「では、まずは日ノ本の周辺国の事からお話ししましょうか。その次に南蛮のお話ということでよいですか」
遠くの国の事よりは、はまずは近くの国から説明する方が頭に入りやすいだろう。澪の言葉に伝蔵と半助が頷いたので、まずは北海道、そして沖縄の事を話す事にした。外国の話として、この二つの地域の話を半助に殆どしていなかったからだ。
この時代、沖縄は琉球であり北海道は蝦夷だ。北海道は、一部南の地域に和人の豪族がいるものの、殆どはアイヌの支配領域にある。
とはいえ、流石に日ノ本から最も近い異国の事はある程度知っているのか、二人とも特に驚いた様子はない。ただ、蝦夷にはアイヌ民族が居ること、琉球は交易で成り立つ小さな王朝だと話すと、興味深そうに頷いていた。
琉球と蝦夷について触れ、次に朝鮮と明に話を移す。琉球や蝦夷より、こちらの方が馴染み深い名前なので、二人の理解は早かった。半助に最初に伝えた異国の話では、カットした暗い話が主である。
「日ノ本は基本的に、儒教を重んじる明や朝鮮からすれば野蛮な国でしかありません。戦乱が続く世というのもあり、早い話が格下扱いです。先の将軍が貿易のために明相手に日ノ本の王の称号を賜ったのも、悪手だったかもしれません。明にとって、王とは帝の下であり、帝とは明の皇帝ただ一人の事を指すからです。あちらからすれば、日ノ本が帝を頂くのは認められぬ話ですから」
近隣の国から格下扱いを受けていると聞いて、正直いい気はしない。だが、冊封体制という古くからある中華を文明の中心に据える考え方に日本が乗っかっていた時期もあるだけに、仕方がない事ではある。
朝鮮にしたって、半島という地理的条件を考えれば生き残りをかけて、明に従うのは当然のことであり海を隔てた後進国の日本など、格下で当たり前なのだ。
「冊封体制の中には琉球も含まれます。これだけ日ノ本の近くにありながら、琉球にとって言わば親分は明国です」
「以前も、冊封体制とやらの話はしていたね。確か、もともとは周辺諸国が、大陸の皇帝に貢物を渡す事で、位を授かり形成される国際秩序だったか。結果的にそれが周辺諸国を野蛮国と見下す要因になる、というのはあまり楽しい話ではないな」
澪の話を聞いた半助が苦笑いしていた。
「まぁ、仕方ない。日ノ本で争いが絶えないのは事実だからな」
伝蔵が腕を組みながらも、渋い顔で零す。
「夜明け前が一番暗いように、今は日の出を待つ時代だと思うしかありませんね」
「成程、うまい事言うな」
澪の言葉に伝蔵が小さく笑った。半助も同じ事を思ったのだろう。「夜明け前、か……」と呟いている。
「それに、今、この国で戦乱が起こっているというのは運が良いのかもしれませんよ。見方を変えればですが」
「と、言うと?」
「……南蛮の話をしますね」
半助に続きを促されたが、その前に小休止を入れるため、澪はお茶を一口飲み団子も一つ食べた。
飲み終えてから、続きを語る。
「わたしが、土井先生にした南蛮の話に彼らの行動についは表面上の事は語っていても、その裏の目的については深堀していませんでしたからね。まぁ、薄々は勘付いているかもしれませんが、彼等がどうして遠く離れた異国からわざわざ極東の島にやって来ているか……単に布教や貿易目的ではない、という事です」
「目的は異国への侵略や征服、という事か?」
「ええ、まぁ。そういう側面もあると考えると、今は戦国乱世。日ノ本の各地には戦いに長けた武士達がいる。戦力としては目を見張る物があります。例えば日ノ本を征服しようと考えると、遠い地からわざわざ制圧に乗り出すのは難しい。だから、除外されているという見方もできますよね」
流石は半助、直ぐに気がついたらしい。澪が頷くと、一長一短な現状に伝蔵と二人揃って苦い顔をしていた。
「日ノ本にやって来る南蛮人の故郷、例えばポルトガルは地図でいうとこの辺りです。この地域では、ポルトガルの他にもう一つ、スペインいう国があります。ポルトガルとスペインは、どちらも航海技術に優れた大国です。ですが、あちこちに乗り出して土地を発見し、征服していく中で、互いに衝突する恐れがあった事から、昔に彼らの信仰する宗教の長に仲裁を頼んだ。そして、東西に別れて探索するよう言われて条約を結んだ。彼らの決めた境界線から東側がポルトガル、西側がスペインの担当になったんです。その条約の話は、半助さんにもお教えしましたね。もっとも、その条約は古いので、今はあまり認められてはいませんが」
澪の知る世界史では、トルデリシャス条約と呼ばれる物の概要である。とはいえ、澪が知っているのは教科書程度の前世の世界の歴史だ。半助達に語っているのは、この世界でも澪の知る前世の世界と歴史が同じかどうか、裏を取って確認した事実にすぎない。
「その話は覚えているよ。確か、南蛮人の信じるキリスト教の古い宗派……カトリックだったか。それが堕落してプロテスタントという新しい宗派ができた事で、困ったカトリックが異国へ自分達の教えを広め信者を獲得するために、宣教師達が日ノ本へも来ている、とも言っていたね」
「ですが、それはキリスト教会から大義名分を得て外国に乗り出すための方弁でしかない、と考えたら本当の目的は世界を仲良くポルトガルとスペインとで分けようとしている、と言えます。あえて悪い言い方をすると、宣教師達は言うなれば、いずれその土地を征服するための尖兵隊ですかね。宗教は思想のコントロールを容易にしますから」
澪の言葉に半助も伝蔵も、顔が強ばった。実際に、キリスト教に傾倒している一部の大名が存在しているせいだろう。そうした大名の領地で、日本人が奴隷としてあちらの商人に売られている事を澪が話したのもあるに違いない。
もっとも、その理屈でいくと一向宗等を含む国内の宗教団体勢力も大概だ。大名だけではなく、寺社勢力も強いのが戦国の日本である。
そして、とても坊主とは思えない程に堕落している者達も多い。肉や魚を食べ女を抱き、高利で金を貸して銭を儲けている。そして例えば、それを堕落と糾弾されると、仏罰が下ると怒る僧侶達が大勢いるのだ。最早、澪から言わせれば、南蛮の宣教師といい勝負な破戒僧の集団でしかない寺社勢力がある。
例えば、比叡山とか。澪の知る過去の日本では、敵方に与した事もあり、信長に焼き討ちされている場所である。
過去の澪の知る戦国時代がそうだったように、腐れ坊主がいる事実はこの世界でも変わらない。
「彼等は多数の地を征服し、その地の人間を酷使して金銀財宝を収奪し、暴利を貪っている……とも言えます。例えば、彼等が明等との交易で使う銀はこの辺りの国から齎されていますが、銀を原住民に大量に採掘させるため恐ろしいまでにこき使っていますよ。幸いな事に、地理的な要因もありますが、この国は戦乱の世だから手をつけられていないと考えると、運がいいという見方ができませんか」
この時代のヨーロッパの征服した植民地人の扱いは、悪魔的だ。何せ、当時、メキシコに住んでいたインディアンの多くが、スペインが持ち込んだ疫病や、その酷い統治下にあって死亡したのだ。悲しいことに、このなんちゃって戦国乱世の世界でも彼の地は同じ運命を辿っているようだった。
「では、南蛮人をこの国から追い出すべきだと言うことか?」
「いいえ、そんな事はありません。むしろ、南蛮人達からあらゆる技術や武器を提供してもらって、それらを上手く使い優れた大名が国内のごたごたを終わらせるべきだと個人的に思います。とはいえ、それを成す大名は決して南蛮人の傀儡であってはならないーーそう思うだけです」
伝蔵の問いかけに首を振る。
澪は、この世界とよく似た戦国時代が江戸時代を迎える事を知っている。だから、現代日本人でそこそこの知識があれば出せそうな回答をするだけだ。
「澪さんの考え方でいくと、資金力のある大名が天下を取る可能性が高いというわけか」
「そうですね」
半助の感想を澪は肯定した。付け加えるなら、兵農分離ができる程の稼ぎがある大名と言った所か。まんま史実の織田信長である。富強であり、天下布武を成せる者の出現こそ、天下が纏まる足掛かりとなる。できればその天下を掴もうとする者が、宗教に傾倒しない合理主義者であると尚いい。政教分離ができれば、近代国家に繋がる足掛かりにもなるからだ。
とはいえ、言うは易しである。
澪が言い切れるのは、よく似た世界の歴史を知るからだ。例えば澪がこの世界で大名に生まれ変わっていたとして、答えが分かっているなら天下統一できるか?と言われたら答えは否である。成すのは難いのだ。好き勝手言える立場だから、自由に発言しているに過ぎない。
「でも、案外、長生きする事が天下人になるのに一番必要な要素かもしれませんね」
ふふと、笑って澪はそう続けた。
まさしく、有名な歌の通り。織田がつき、羽柴が捏ねし天下餅、座りしたまま食うは徳川である。最終的に三人の中で一番長生きした家康が天下を取ったのだ。
寿命なんて、日頃からの養生と天の采配で決まる。どうしようもない類の物である。
乱世で大成する事の難しさを思い、澪がやがて苦笑いすると半助も伝蔵も互いに顔を見合せていた。
その後も、茶がすっかり冷めてしまうまで澪の異国知識披露は続き、話が終わる頃には半助も伝蔵も南蛮人とどう関わっているかについて、大名を調査する上での重要項目に位置付ける事で合意していたのだった。
同時に半助と伝蔵は澪と考えを同じくしたようだった。
つまりは、この日ノ本で日本人同士が争いを続けていられるのも、そう長い時間ではないーーと。
伝蔵も半助も、忍びが活躍する時代が、遠くはない未来でいつか終わる日が来る事を、あるいは終わらせなければならない事を、静かに確信していたようだった。
「あー、大丈夫だから澪くん。土下座はやめなさい。こちらが居た堪れないから」
翌朝。
澪は職員長屋に赴き、廊下に手をついて土下座していた。
目を覚ましたのは早朝のこと。記憶がなく、いつの間に自室に戻ったのだろうと首を傾げていたら、シナが朝一番に澪の部屋にやって来て昨夜の食堂で起こった出来事と、その顛末を伝え、強めに澪へお説教した。
曰く、年頃の若い娘がはしたない云々……。
シナのお説教をくらった澪は、忍術学園を朝早くに出ようとしていた利吉を捕まえて、より詳しく昨日の出来事を聞いた。
昨夜の醜態の全てーー呂律が回らなくなったばかりか、厚着と半助にキスをするという酒乱ぶりまで聞いて、澪は利吉の前で頭を抱えて悶絶した。
キスするなんて、頬と口元だからセーフかと聞かれたらアウトである。職場の人に何たることを……下手したら辞職ものである。
辞表を書くべきかどうか真っ青になる澪に、利吉がとりあえず落ち着けと肩を叩いた。そんなので辞表を書かれたら、酒の席に誘った伝蔵が気の毒だとも。
その言葉を頼りに、澪は朝食を喉も通らない気持ちで何とか食べて、授業が始まる前に醜態を晒した教師達に全力謝罪行脚を決行したというわけである。
「もう二度と酒は飲みません。天地神明に誓います」
「ま、それが無難だろうな。わたし達としてはこの事は言いふらすつもりはないが、後々の事もある。念のため、澪くんが酒にめっぽう弱いのは学園長に報告しておいた」
「はい。お手間をとらせてしまい、すみません」
「こらこら、謝罪はいいから。知らなかったとはいえ、誘ったわたしにも責任がある。気にしなさんな」
伝蔵に慰めるように肩を叩かれた。既に厚着、日向、野村、木下の方にも出向き、土下座をして来たのだが、四人から顔を上げるよう言われた次第である。
澪はチラ、と座ったままで半助を見上げた。利吉から聞いたが、半助の口の横にちゅーをかましてしまったと聞いて、それはもう申し訳なく思った。想い人の利吉の前で、さぞや不快だったろうに。
「土井先生も、本当にごめんなさい。皆さんの前で誤解されるような事、さぞやご不快だったでしょう……」
「いやっ、そんな事はないから!」
澪の言葉を全力否定する半助。こんなに優しい人に、己はなんて事を!と悔やむ澪。
一方、伝蔵はここで「わたしは、むしろ役得だったよ。澪さん」とか何とか言ってアピールしろよぉおお!!と、半助に目力で訴えたが、そんな事が出来ないから半助なのである。
「もう二度と、神に誓って絶対の絶対に土井先生にちゅーなんてしませんからっ!!」
「…………」
「澪くん、そこまで必死になると土井先生がいじけるから程々に」
好きな人に強く二度とちゅーしない宣言をくらい、半助がどんよりした空気を纏うのを見た伝蔵が咳払いして澪の発言に待ったをかけた。
「おっほん、謝罪は受け取ったからとりあえず立ちなさい。土井先生も、そろそろ授業に行かないと」
「あっ、そうですよね。突然押しかけてすみませんでした。では、わたしはこれで失礼しますね」
「澪くん。今日、午後に時間があるなら職員室に来られるかね。例の地図を入手したんだ。わたしも同席するから、土井先生とわたしに異国の話を詳しくしてもらう事はできるか。お茶なんかはこちらで用意しておくから」
例の地図と聞いて澪は思い出した。
澪の知る外国の知識を、地図を使って話をすると言っていた事を。何が何処まで載った地図かは分からないが、今日は午後からは特に予定がない。半助へ出来上がった着物を渡そうかと思っていたくらいである。
「分かりました。では、わたしは土井先生に出来上がった着物をお持ちしますので、話が終わってからでも袖を通してもらえますか?」
「えっ、もう一着できたのかい」
澪の言葉に半助が復活して顔を上げた。
「念の為に、袖を通して問題ないか確認してください。もう一着は忍者衣にするので、一着目より時間がかかるかもしれません」
「ありがとう澪さん。ゆっくりでいいからね」
「羨ましいな土井先生。わたしも、女房に新しく着物を作ってもらいたくなった」
ニヤリと笑う伝蔵に、半助が照れ笑いをしていた。伝蔵は分かっていない。半助の本命は息子の利吉だというのにーーと、澪こそ全く分かっていない勘違いをする。澪の心の声が聞こえたら、半助も伝蔵もひっくり返るだろう。
それから、澪は午前中に予定していたので一年ろ組の授業補佐に向かった。昨日の戦闘訓練のお陰か、控えめな子達が多いというのに澪に一生懸命話しかけてきてくれて、可愛かった。
ーーのだが。
澪の戦闘訓練は思わぬ副産物を齎した。
「っひぃー?!」
「お、お助け……」
一年ろ組の実技授業の補佐が終わったので、次の予定である事務室の手伝いへ向かう途中。偶然、一年い組の生徒達の数名が遊んでいる場面に遭遇したのだが、澪の姿を見た瞬間に蜘蛛の子を散らすように全員が一斉に逃げてしまった。
まるで猛獣扱いである。
どう考えても昨日の戦闘訓練の結果、過度に怖がられているとしか思えない。別に取って食いやしないのに、澪を見るだけで襲われるとでも言わんばかりだ。
そういう態度を取る人間を知らないわけではないし、むしろそれが正常なのだろう。だが、忍術学園に来てからは久しくなかった事だから油断していた。傷付いてはいないが、流石に一年い組の子ども達に怯えられ続けるのは本意ではない。
一時的な物ならいいが、そうでないなら厚着や安藤に相談した方がいいかもしれない。考え事をして歩いていると、呼び止められた。
「澪さん、これからどこへ行くんだ?」
「事務室ですよ、仙蔵くん」
声のした方を振り返ると、仙蔵が喜八郎と兵太夫と一緒に何やら箱に入った荷物を運んでいる。メンバーを見て、ひょっとして……と気付く。
「作法委員会の活動中ですか?」
「その通りだ。これから、生首フィギュア等を使って合戦の作法を勉強する予定だ」
生首フィギュアなんて、物騒な物を扱うのは首検分のためだというのは知っていたが、本当に使うんだなとしみじみ思う澪である。
「澪さん、いつ作法委員会に遊びに来てくれるんです?ぼく、ずっと待ってるのに中々来てくれなくて待ちぼうけなんですけど」
「あー、ごめんなさい喜八郎くん。戦闘訓練も終わりましたし、明日にでも行きますよ。わたしも合戦での作法とかに興味がありますから」
喜八郎が唇を尖らせて可愛らしく言うのを見て思い出す。そう言えば、作法委員会に遊びに来るよう言われていたな……と。すっかり忘れていつ澪は、慌てて謝った。
「合戦での作法に興味があるって、一応は女人禁制なのに?」
「あーっ、ほら、どんな実習の補佐につくか分からないじゃないですか、兵太夫くん。ひょっとしたら、上級生のお手伝いをする時に、学んでおいた方がいい知識かもしれませんし!」
実は虎若の父親である佐武昌義を合戦場で狙う暗殺者を捕まえるのに、そのうち出向くなんて言えない。なお、合戦の日に関しては最低でも二日前には利吉が学園に来て知らせるので、澪は先に利吉と合戦場まで向かう手筈になっている。
半助や伝蔵は、生徒に怪しまれるのを避けるため、少し時間を置いて出張という形を取るとの事であった。合戦は行ける方が向かい、長引くようなら途中で交代する予定だ。大抵の場合、合戦は長くても一日あれば終わるのだが、帰討活動等があるともう少しかかる事もあるからだ。
おそらく、早ければ数日後に利吉が来るだろうと言うのが伝蔵の読みだ。
「澪さんが来てくれるなら何でもいいです。ぼくがお相手しますから」
「喜八郎、荷物を持ったまま澪さんにひっつくんじゃない。それと、お前ばかりが相手をするわけにもいかんだろう。澪さんが作法委員会に来る以上は、皆でもてなすのが筋というものだ」
澪の近くまでやって来て、ぴとっと猫みたいにくっついてくる喜八郎に、仙蔵がやれやれとため息をついている。
「澪さん、明日の午後に作法委員会の部室に来てくれ。待っているから」
「分かりました……喜八郎くん、スリスリ止めましょうか」
「もうちょっと。澪さん不足を回復したいので」
「猫かお前は」
スリスリと、澪の肩に頭を乗せる喜八郎に仙蔵がツッコミした。確かにこれは猫だと澪も同意する。全く同じ事を考えたらしい。流石に仙蔵に注意されてか、喜八郎が名残惜しそうに離れた。猫の耳と尻尾が喜八郎にくっついてる幻が見えそうである。
それから作法委員会とは別れ、何事もなく事務室についた。今日も今日とて小松田が何かやらかしてるのか、部屋の中で「小松田くん!!」と吉野の叫び声にも似た声がしている。
「失礼します。澪です」
そう告げて中に入ると、小松田がちょこんと床に座りバラバラになった書類が散らばっていた。その上、硯がひっくり返り床が墨まみれになっている。
「……雑巾とか持ってきますね」
「ごめんねぇ、澪さん。この床、滑りやすいのかな」
「床のせいにしない!小松田くんが足元の注意が疎かなだけですっ」
しれっと転けたのを床のせいにする小松田に、吉野がツッコミしていた。見ると、一体どう小松田が転んだのか不明だが、筆がぼっきり折れて床に転がっていた。
「澪さん、ぼくも行くよっ。きゃっ……!」
止めておけばいいのに、小松田が急いで立とうとしたのでまた転けそうになったのを、澪は無言でその手を掴んで引き寄せて助けた。というか、何故に悲鳴が女子っぽいのだ。
「大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう。やっぱりこの床、滑りやすいような」
もしそうなら、事務室と言わず小松田の歩く場所全て特殊ワックスがきいていることになる。やれやれと思いつつ、小松田を立たせた後、一緒に雑巾等の掃除道具を取りに行く。その途中、廊下でまたも一年い組の生徒とすれ違い、子ども達があからさまに澪を見て、廊下の隅に逃げた……続くようなら、やはり相談がいるなと思っていると、横にいた小松田が眉を寄せた。
「ねぇ、澪さんが君達に何かしたの?違うなら失礼だよ、そういう態度は」
そしてストレートに注意した。澪は小松田から飛び出た台詞に驚く。
「でも、厚着先生達を倒しちゃうんですよ」
「先生達より強いし」
「学園長の指示があったから戦ったんだよ。仕事でそうしただけじゃないか。何もしてないのに、君達に怯えられる澪さんの気持ちとか分かってるの?」
「小松田さん、わたしなら大丈夫ですから……行きましょう」
ぎゅっ、と小松田の手を握って澪は一年い組の子達から離れる事にした。子ども達はちらちらと去っていく澪の方を見ていた。
これは、小松田の注意一つで解決するような物ではない。過去、怪力を披露した先々で怯えられる事が多かった澪は、よく知っている。
厚着や安藤に相談しても、どうにもならないかもしれないな……と、思いつつも掃除道具を取りに行くと、小松田がきゅっと眉を寄せて澪を見ていた。その視線は気遣わしげだ。
「ねぇ、澪さん。ひょっとして、ああいうの慣れてるの」
「そうですね。初めてではないですよ」
問われたのでそう答えると、益々難しい顔になる小松田。
「ぼく、澪さんの怪力を羨ましいって思ってたんだ。何で澪さんみたいな可愛い女の子に怪力があって、ぼくはそうじゃないんだろうって。だから、ごめんね」
「謝る事なんてないのでは?」
「ううん、謝らないといけない。澪さんの凄い怪力はそんな単純な物じゃないから。ぼくは、あってもきっと持て余す。なのに、羨ましいなんて考えてしまったから」
へにょ、と小松田は苦笑いしていた。普段からへっぽこ事務員の印象が強いのに、中々どうして鋭い所がある。無駄に人の気配に敏感な所がある彼らしい言葉に澪は微笑んだ。
「小松田さんがそう言ってくれるなら、わたしはそれで十分です」
「えへへ、そんなぁ。やっぱり、澪さんはぼくの事が……!」
「ライクですからね」
きゃっと、またも女子らしい声を発する小松田に、思わずツッコミする澪だった。
+++++
事務室の手伝いも無事に終わってランチを食べ、ひと段落したところで半助と伝蔵の仕事部屋を尋ねた。
既に二人は澪を迎える用意を整えており、お茶と菓子が用意されてあった。菓子は美味しそうな団子である。
「よく来たね、澪さん」
「話が長くなってはいかんから、先に土井先生の着物の確認を済ませてくれ」
「分かりました」
半助に招かれて、中に入る。伝蔵の指示に頷いて、澪は半助に着物を渡した。
「では、すみませんが一度着てみてもらっていいですか?」
「ありがとう。じゃあ、少し失礼するよ」
半助に風呂敷に包んだ着物を渡すと、隣の寝室に着替えに向かった。その間に、伝蔵にお茶を注がれ湯呑みを手渡された。
「利吉に巾着を作ってくれたんだって?子どもみたいに喜んでいた」
「ふふ、気に入ってもらえたなら何よりです」
「澪くんには、何かと世話になるな。あいつは売れっ子のフリーの忍者だとか言われてはいるが、色々な人に師事して独学で忍びになった口だ。わたしから言わせれば、まだまだな所がある。次の仕事は合戦場……何があるかわたしにも予測がつかない。澪くん、お前さんも気をつける必要があるが、利吉が無茶をしないか見ててくれると助かる」
一人前であると認めている一方で、親として心配な部分もあるのだろう。前世に子が居たことはないが、子を持つ親の気持ちというのは想像できる。澪は伝蔵の頼みに静かに頷いた。
「お待たせ。どうかな、澪さん?」
伝蔵と短いやり取りを終えた所で着替えた半助が出てきた。虫襖の色を基調とした衣を纏い、袴を着た町人の出で立ちである。
「似合っとるじゃないか」
「土井先生は背が高いし、顔立ちも整ってますからね。何を着てもお似合いです」
伝蔵と澪が褒めると、半助が照れたように笑った。
「ちょっと、失礼……うん、おかしな所はなさそうですね。土井先生は何か違和感とかあります?」
「いいや、まるで仕立てに出したみたいだ。ありがとう、澪さん」
どうやらうまく出来たようだと、ホッとする。
「まぁ、忍務にはいつもの着物にしておくんだな。何があるか分からんのだし」
「当然です!!」
「忍務で着てくれて構いませんよ?」
伝蔵の発言を強く肯定する半助。
むしろ大事にされ過ぎて着られないのも、あげた意味がない。そう思って言ったのだが、とんでもないとブンブン半助に首を横に振られた。
「ちゃんと着るけど、そう簡単に汚したり駄目にならない時限定だよ。この着物がとても気に入ったんだ」
「はぁ……まぁ、そういう事なら」
着ている着物を半助に大事そうに撫でられると、縫ったのは澪だけに妙に照れくさい。半助が再び忍び装束姿に戻るまでの間、照れた事で顔に熱が集まるのを誤魔化すように茶を飲む澪を、伝蔵が何やら微笑ましく見ていた事に全く気付かなかった。
「では、土井先生の用も済んだことだし、始めてくれ澪くん。これが、しんべヱのお父上経由で手に入れた、日ノ本以外の国が書かれた地図になる」
半助が着替えて戻ってくると、早速、伝蔵が懐から神を取りだした。それは、北極と南極、そしてオーストラリアがなく、細部は雑な所があるものの、澪の知る世界地図そのものだった。
「本物ではなく写し故、大きさや形があやふやな部分があるやもしれぬが、これでいけるか澪くん」
「……十分です」
床に広げられた世界地図を、半助も食い入るように見つめていた。日ノ本の形を見つけ「小さいな……」と呟いている。
「では、まずは日ノ本の周辺国の事からお話ししましょうか。その次に南蛮のお話ということでよいですか」
遠くの国の事よりは、はまずは近くの国から説明する方が頭に入りやすいだろう。澪の言葉に伝蔵と半助が頷いたので、まずは北海道、そして沖縄の事を話す事にした。外国の話として、この二つの地域の話を半助に殆どしていなかったからだ。
この時代、沖縄は琉球であり北海道は蝦夷だ。北海道は、一部南の地域に和人の豪族がいるものの、殆どはアイヌの支配領域にある。
とはいえ、流石に日ノ本から最も近い異国の事はある程度知っているのか、二人とも特に驚いた様子はない。ただ、蝦夷にはアイヌ民族が居ること、琉球は交易で成り立つ小さな王朝だと話すと、興味深そうに頷いていた。
琉球と蝦夷について触れ、次に朝鮮と明に話を移す。琉球や蝦夷より、こちらの方が馴染み深い名前なので、二人の理解は早かった。半助に最初に伝えた異国の話では、カットした暗い話が主である。
「日ノ本は基本的に、儒教を重んじる明や朝鮮からすれば野蛮な国でしかありません。戦乱が続く世というのもあり、早い話が格下扱いです。先の将軍が貿易のために明相手に日ノ本の王の称号を賜ったのも、悪手だったかもしれません。明にとって、王とは帝の下であり、帝とは明の皇帝ただ一人の事を指すからです。あちらからすれば、日ノ本が帝を頂くのは認められぬ話ですから」
近隣の国から格下扱いを受けていると聞いて、正直いい気はしない。だが、冊封体制という古くからある中華を文明の中心に据える考え方に日本が乗っかっていた時期もあるだけに、仕方がない事ではある。
朝鮮にしたって、半島という地理的条件を考えれば生き残りをかけて、明に従うのは当然のことであり海を隔てた後進国の日本など、格下で当たり前なのだ。
「冊封体制の中には琉球も含まれます。これだけ日ノ本の近くにありながら、琉球にとって言わば親分は明国です」
「以前も、冊封体制とやらの話はしていたね。確か、もともとは周辺諸国が、大陸の皇帝に貢物を渡す事で、位を授かり形成される国際秩序だったか。結果的にそれが周辺諸国を野蛮国と見下す要因になる、というのはあまり楽しい話ではないな」
澪の話を聞いた半助が苦笑いしていた。
「まぁ、仕方ない。日ノ本で争いが絶えないのは事実だからな」
伝蔵が腕を組みながらも、渋い顔で零す。
「夜明け前が一番暗いように、今は日の出を待つ時代だと思うしかありませんね」
「成程、うまい事言うな」
澪の言葉に伝蔵が小さく笑った。半助も同じ事を思ったのだろう。「夜明け前、か……」と呟いている。
「それに、今、この国で戦乱が起こっているというのは運が良いのかもしれませんよ。見方を変えればですが」
「と、言うと?」
「……南蛮の話をしますね」
半助に続きを促されたが、その前に小休止を入れるため、澪はお茶を一口飲み団子も一つ食べた。
飲み終えてから、続きを語る。
「わたしが、土井先生にした南蛮の話に彼らの行動についは表面上の事は語っていても、その裏の目的については深堀していませんでしたからね。まぁ、薄々は勘付いているかもしれませんが、彼等がどうして遠く離れた異国からわざわざ極東の島にやって来ているか……単に布教や貿易目的ではない、という事です」
「目的は異国への侵略や征服、という事か?」
「ええ、まぁ。そういう側面もあると考えると、今は戦国乱世。日ノ本の各地には戦いに長けた武士達がいる。戦力としては目を見張る物があります。例えば日ノ本を征服しようと考えると、遠い地からわざわざ制圧に乗り出すのは難しい。だから、除外されているという見方もできますよね」
流石は半助、直ぐに気がついたらしい。澪が頷くと、一長一短な現状に伝蔵と二人揃って苦い顔をしていた。
「日ノ本にやって来る南蛮人の故郷、例えばポルトガルは地図でいうとこの辺りです。この地域では、ポルトガルの他にもう一つ、スペインいう国があります。ポルトガルとスペインは、どちらも航海技術に優れた大国です。ですが、あちこちに乗り出して土地を発見し、征服していく中で、互いに衝突する恐れがあった事から、昔に彼らの信仰する宗教の長に仲裁を頼んだ。そして、東西に別れて探索するよう言われて条約を結んだ。彼らの決めた境界線から東側がポルトガル、西側がスペインの担当になったんです。その条約の話は、半助さんにもお教えしましたね。もっとも、その条約は古いので、今はあまり認められてはいませんが」
澪の知る世界史では、トルデリシャス条約と呼ばれる物の概要である。とはいえ、澪が知っているのは教科書程度の前世の世界の歴史だ。半助達に語っているのは、この世界でも澪の知る前世の世界と歴史が同じかどうか、裏を取って確認した事実にすぎない。
「その話は覚えているよ。確か、南蛮人の信じるキリスト教の古い宗派……カトリックだったか。それが堕落してプロテスタントという新しい宗派ができた事で、困ったカトリックが異国へ自分達の教えを広め信者を獲得するために、宣教師達が日ノ本へも来ている、とも言っていたね」
「ですが、それはキリスト教会から大義名分を得て外国に乗り出すための方弁でしかない、と考えたら本当の目的は世界を仲良くポルトガルとスペインとで分けようとしている、と言えます。あえて悪い言い方をすると、宣教師達は言うなれば、いずれその土地を征服するための尖兵隊ですかね。宗教は思想のコントロールを容易にしますから」
澪の言葉に半助も伝蔵も、顔が強ばった。実際に、キリスト教に傾倒している一部の大名が存在しているせいだろう。そうした大名の領地で、日本人が奴隷としてあちらの商人に売られている事を澪が話したのもあるに違いない。
もっとも、その理屈でいくと一向宗等を含む国内の宗教団体勢力も大概だ。大名だけではなく、寺社勢力も強いのが戦国の日本である。
そして、とても坊主とは思えない程に堕落している者達も多い。肉や魚を食べ女を抱き、高利で金を貸して銭を儲けている。そして例えば、それを堕落と糾弾されると、仏罰が下ると怒る僧侶達が大勢いるのだ。最早、澪から言わせれば、南蛮の宣教師といい勝負な破戒僧の集団でしかない寺社勢力がある。
例えば、比叡山とか。澪の知る過去の日本では、敵方に与した事もあり、信長に焼き討ちされている場所である。
過去の澪の知る戦国時代がそうだったように、腐れ坊主がいる事実はこの世界でも変わらない。
「彼等は多数の地を征服し、その地の人間を酷使して金銀財宝を収奪し、暴利を貪っている……とも言えます。例えば、彼等が明等との交易で使う銀はこの辺りの国から齎されていますが、銀を原住民に大量に採掘させるため恐ろしいまでにこき使っていますよ。幸いな事に、地理的な要因もありますが、この国は戦乱の世だから手をつけられていないと考えると、運がいいという見方ができませんか」
この時代のヨーロッパの征服した植民地人の扱いは、悪魔的だ。何せ、当時、メキシコに住んでいたインディアンの多くが、スペインが持ち込んだ疫病や、その酷い統治下にあって死亡したのだ。悲しいことに、このなんちゃって戦国乱世の世界でも彼の地は同じ運命を辿っているようだった。
「では、南蛮人をこの国から追い出すべきだと言うことか?」
「いいえ、そんな事はありません。むしろ、南蛮人達からあらゆる技術や武器を提供してもらって、それらを上手く使い優れた大名が国内のごたごたを終わらせるべきだと個人的に思います。とはいえ、それを成す大名は決して南蛮人の傀儡であってはならないーーそう思うだけです」
伝蔵の問いかけに首を振る。
澪は、この世界とよく似た戦国時代が江戸時代を迎える事を知っている。だから、現代日本人でそこそこの知識があれば出せそうな回答をするだけだ。
「澪さんの考え方でいくと、資金力のある大名が天下を取る可能性が高いというわけか」
「そうですね」
半助の感想を澪は肯定した。付け加えるなら、兵農分離ができる程の稼ぎがある大名と言った所か。まんま史実の織田信長である。富強であり、天下布武を成せる者の出現こそ、天下が纏まる足掛かりとなる。できればその天下を掴もうとする者が、宗教に傾倒しない合理主義者であると尚いい。政教分離ができれば、近代国家に繋がる足掛かりにもなるからだ。
とはいえ、言うは易しである。
澪が言い切れるのは、よく似た世界の歴史を知るからだ。例えば澪がこの世界で大名に生まれ変わっていたとして、答えが分かっているなら天下統一できるか?と言われたら答えは否である。成すのは難いのだ。好き勝手言える立場だから、自由に発言しているに過ぎない。
「でも、案外、長生きする事が天下人になるのに一番必要な要素かもしれませんね」
ふふと、笑って澪はそう続けた。
まさしく、有名な歌の通り。織田がつき、羽柴が捏ねし天下餅、座りしたまま食うは徳川である。最終的に三人の中で一番長生きした家康が天下を取ったのだ。
寿命なんて、日頃からの養生と天の采配で決まる。どうしようもない類の物である。
乱世で大成する事の難しさを思い、澪がやがて苦笑いすると半助も伝蔵も互いに顔を見合せていた。
その後も、茶がすっかり冷めてしまうまで澪の異国知識披露は続き、話が終わる頃には半助も伝蔵も南蛮人とどう関わっているかについて、大名を調査する上での重要項目に位置付ける事で合意していたのだった。
同時に半助と伝蔵は澪と考えを同じくしたようだった。
つまりは、この日ノ本で日本人同士が争いを続けていられるのも、そう長い時間ではないーーと。
伝蔵も半助も、忍びが活躍する時代が、遠くはない未来でいつか終わる日が来る事を、あるいは終わらせなければならない事を、静かに確信していたようだった。
