第9話 忍術学園最強の秘書
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双錘を使った試合で澪が三人の教師達を全員倒すと、観客席から歓声が上がった。
学園長から直前に指示があり、着ることになった明の衣装効果もあるのだろう。
剣術試合では、半助に負けてしまったから最低限の面目は保てたと思う事にする。とはいえ、次の対戦で同じような戦い方はおそらく通じない。
最初に教師陣達の戦い方や癖を見ていて、意表を突いた動きに一番反応しそうなのが厚着だったから、澪は最初にトリッキーな動きで厚着を倒す事にした。その予測が当たったに過ぎない。つまり、澪の戦い方を見ていた半助達相手に二度目はないーーという事だ。
どうやって勝つか、真面目に考えなくてはならない。澪との勝負で教師の分け方は、利吉と予想した通りの結果になった。より凶悪で凶暴な武器である青龍偃月刀に、実技担当教師の中でも戦闘に特化した忍びを当ててくる、と。
僅かな休憩の間に、次に勝つための手段を冷静に考える。利吉との訓練で、青龍偃月刀の動きの特訓は出来ているが、あくまでも殺さずに相手を制圧するのに適した動きであり、次の試合で勝ちが決まる程に技を習得出来ているかは疑問が残る。
半助に伝蔵、そして木下。初見で簡単に勝たせてもらえるような相手ではないだろう。
考えに耽っている間、ふと視線を感じたのでそちらを向くと、きり丸がちらちらと澪を見ていた。一年は組の他の生徒達に囲まれる中、きり丸は何やら澪の様子を伺っている。
可愛いな。見ていて和む。笑って手を振ると、途端に目を逸らされるが、すぐに照れたように笑って小さく手を振り返してくれた。
やはり可愛い。そして、その動作を見てふと次の戦いの戦法を思いつく。うまくいくかはさっぱりだが、やってみてダメなら切り替えればいいだけだ。
「それでは、最後の戦闘訓練を始めるぞ」
学園長の声がした。青龍偃月刀を手に、試合の場所に向かうと既に教員三人が警戒も顕に相対している。
中央に伝蔵、向かって左に半助、右に木下ーーこのフォーメーションを、そのまま受け取るなら、伝蔵が澪の動きを正面から止めて半助と木下が左右からの挟撃を狙う物だ。
澪は静かに構えの姿勢を取った。そして一度だけ深呼吸する。大丈夫だ、やれる。視界を塞いで訓練をした時の感覚を思い出すと、不思議と落ち着いた。
一瞬の静寂の後、学園長の声がした。
「はじめー!!」
縮地の歩法。
古武術の技法であり、間合いを一気につめるその動きを三人の教師が一気に行ってきた。全員同時のスタートを切っている。早い!
それを見た澪はプロペラの要領で、武器を振り回した。空気が唸って、素早く青龍偃月刀がぐるぐると回る。掠った地面がボコっ!と音を立てて酷くえぐれると、それを見た伝蔵が立ち止まり、半助と木下が上に飛んだ。
ーーあからさまな陽動だ。だが、それに敢えて乗る。澪もまた上に飛んで真っ先に半助を狙った。木下と半助の顔がぴくりと一瞬だけ歪む。あえて乗ったのに、そんな顔をされると困るではないか。
半助がチョークを投げつけて来た。木下は手裏剣だ。その違いに笑いそうになる。澪を相手にするなら、教材ではぬる過ぎる。木下と同じように手裏剣を使えばいいのに。奇を衒ってはいるが、半助の攻撃に威力なんて物は殆どない。
対空時間は一瞬の事だ。下からがら空きになった澪を、手裏剣で伝蔵が狙っているのが一瞬だけ見えた。
青龍偃月刀を振って澪に向かってくる攻撃を薙ぎ払った。
半助と木下の攻撃は自然と下に向くため、そのまま伝蔵へ。そして伝蔵の攻撃は木下へ向かう。半助には足技をお見舞いしようとしたがすんでのところで交わされた。
周りから、声が上がる。
空中での澪達の動きに、皆が興奮したらしい。落ちるついでに、そのまま伝蔵を狙うが簡単に避けられた。
ドン!と重たげな音がして土煙が上がる。やはり、そう簡単には勝たせてはもらえない。
ーーくらえば、その瞬間に終わる。
地面すら響かせる程の澪の一撃に、伝蔵の顔が険しい物になっていた。
伝蔵が無言で忍刀を構える。
果たして忍刀をメインに攻撃する気か、否か。戦いは短い間の事だが、そこで瞬時に情報を分析して絶え間なく有効手を最後まで打てた者が勝つ。高速でジャンケンをするような物だ。
ーー決して澪からは仕掛けない。
単純な事だ。きり丸が手を振った時に考えたのは、鏡のような動きである。相手の攻撃を相殺して、あるいは同じだけの力で跳ね返す。
これを突破するのは力技は澪には使えないため、奇を衒うか、あるいは力尽きるのを待つかになる。だが後者だと制限時間をオーバーしてしまう。
澪が全ての攻撃を時間内にずっと防ぎ切れたなら、少なくとも引き分けに持ち込める。
だが、澪の予想はそうはならないと踏んでいた。
おそらくは、先程の双錘の試合を見て澪を倒しに来る可能性が高いと踏んでいるからだ。少なとも、伝蔵はそうするーーこれは、利吉の読みでもある。
伝蔵とは、青龍偃月刀で戦う事になるはず。そしてその試合は恐らく最後。澪がもしも、双錘を使った戦闘訓練で勝ったなら、そのままには決してしない。可能なら勝ちに来て、悪いなら引き分けたいと考える、と。
そして伝蔵はリーダーとして指示役になる。他の教師はそれに忠実に従うだろうとも。
どうしてそんな事が分かるのか?そう問うと利吉は笑った「わたしの父上だからね。あの人は、格好つけな所があるから」ーーと。
カンカンカン!!澪が投擲武器の全てを跳ね返す。伝蔵から繰り出される忍刀の一撃も、木下と半助の猛攻も。
はっきり言って余裕は無い。
疲れてはいないが、俊敏性のある忍び三名相手に凌ぐのは一瞬の油断すら許されず、神経を遣う。この状況に制限がなければ、キツイのは澪の方だ。
その時だ。
視界が急に白くなり、目に痛みが走る。半助お得意の教材攻撃だと気がついた時には、三人から猛攻撃された。落ち着け!と、利吉との訓練を思い出す。視界が潰される可能性も視野に入れている。
呻き声を堪えて歯を食いしばり、近付かせないためにまたも青龍偃月刀を振り回した。何かが柄に巻きついてきた気配があったが、そんな事では止まらない。
ガキン!と鈍い音がした。おそらくは動きを止めるものを引きちぎったのだろうーー鎖か何かか。不明瞭な視界で、三人の気配を追う。前に一人、後方に二人いるのは分かるが誰が誰だかまでははっきりしない。
この状況で、澪は笑っていた。
視界は完全にはまだまだ戻らない。ぼんやりとするが、澪が追い詰められる事は計算に入れてある。
ピタリと澪は武器を振り回すのを止めて構えた。振り回していたのは、少しでも視界を回復する時間を設けたかったのと、どこに何人いるか配置を把握するためだ。
チャキ、っと武器を構える音がした。同時に向かってくる後ろの気配。
「はぁあああーー!!!」
澪は声を発して、低く地面を武器で薙ぎ払った。伏せて避けるのは不可能な高さに、当然、飛び上がる三人の気配がある。それを感じて澪は武器を持ったまま、深く身を沈めて全力でもって飛んだ。
びゅん、と高く高く跳躍する。
うっすらと目を開けると、ぼんやりとだが澪よりも低めの位置に三人の顔が見えた。滞空時間は限られている。
三人とも上へ向かって武器を投擲しようとするが、そうはさせない。利吉との訓練の成果を見せる時。
「いけー!澪さーん!!」
利吉の声がした。
必殺技という程ではない。落ちながら武器を使ってプロペラの動きを下に向けてするだけだ。空中で逃げる事ができない状況で、三人が射程内に入るのを狙っていた。
澪の美しい顔が、好戦的な笑みを浮かべる。そのまま武器を振り回して急降下した。三人の顔が驚愕に固まるのをぼんやりと見つつ、急所を避けて攻撃を全員へ叩き込んだ。
最初に半助、次に木下、そして最後に伝蔵だ。
このうち、半助だけが澪の一撃が決まり過ぎたのか、瞬時に意識が落ちるのが見えたのでキャッチして一緒に落ちる。
伝蔵と木下は受身を取って転がったが、木下はそこで気絶し、伝蔵はよろよろ片膝をついて立ち上がったが、今にも倒れそうだ。ふらついている。
一方の澪は、気絶している半助を肩に担いでおり、澪が武器を伝蔵に向かって構えるのと、伝蔵が倒れたのはほぼ同時だった。
「それまで!!」
学園長の試合の終了を告げる言葉と同時に、わぁっ!!と歓声が上がる。生徒達は口々に澪は勿論の事、教師陣に対しても称賛を次々と口にしていた。
当たり前と言えば当たり前だ。
勝てたが、澪は今回の勝ちが偶然の産物だと理解していた。
お互いに地面に倒れていた確率が、五分五分の勝負だったのだ。
怪力でこそあるが、本気でかかられたらプロ忍三人は流石に骨が折れる。それこそ、不殺を放棄せねばならない程に……。
学園長にその意図があるのかは知らないが、これが単なる澪の戦闘訓練とも思えなかった。これは澪の強さを周囲へ見せつけるのと同時に、澪に忍者を甘く見るなとお灸を据える戦いでもあるような気がしたのだ。怪力を過信してはならぬ、と言外に言われたような心地だ。
新しい武器を二つも手にしたのに、身の引き締まる思いがした。多分澪のレベルはまだまだ、なのだろう。学園長から、精進しろと奨励されている気分だった。
「流石はわしの澪ちゃん!忍術学園の教師達を倒すとは」
「ありがとうございます。とはいえ、大丈夫だとは思いますが、先生方を診てもよろしいですか」
「うむ、それがよかろう。生徒は解散しておくから、あとの事は任せなさい」
好々爺とした笑みを浮かべる学園長に、礼を言いつつ澪はまず最初に担いだ半助の具合を見る。一撃が綺麗に決まり、ストンと意識が落ちているおかげか、眠っているようで酷い外傷は見当たらない。流石に、武器が当たった場所にあざくらいは出来ているかもだが。
「澪さん!父上は大丈夫だよっ」
「木下先生も問題なしだよ」
試合が終わって、他の倒れた二人に澪よりも早く、利吉と伊作が駆けつけて具合を診ていた。それだけでなく、試合が終わる直前までファン倶楽部の方にいた保健委員が、伝蔵や木下の方に散らばって様子を確認している。
「そう、良かった……」
ほっ、と息を吐いた。気絶させるために一撃を入れているとはいえ、ミスで思わぬ怪我をしている可能性も捨てきれないからだ。内心はヒヤヒヤしていた。そんなに心の余裕を持てるような相手ではなかったせいもある。
「澪さん!」
きり丸の声がした。そちらを見ると、きり丸を先頭に一年は組の皆が駆け付けてきた。
「土井先生は、大丈夫ですよ。きり丸くん」
「それは分かってます!そうじゃなくて、澪さんは大丈夫なのっ。だって、目が……!」
てっきり半助の無事が知りたいのだと思って、半助の顔が見えるように抱え直したら、違うと否定された。
そして言われて気づく。
そう言えば、まだ少し目が霞む。一度、目を洗った方がいいかもしれない。
「オレ、掃除中にドジ踏んで同じ目にあった事あるから知ってるけど、チョークの粉って目にすげぇ染みるから。土井先生は、保健委員に任せて井戸へ行こうよ。ちゃんと水でしっかり洗わないと!」
きり丸が、いつもの調子で話しかけている。敬語が取れているのは動揺か。分からないが、ぎゅっと手を握りしめられると断れない。
「そうですよ、澪さん。きり丸の言う通りだよ」
しんべヱの声がした。そちらを見ると、おシゲもいて二人とも心配そうに見上げている。は組の子ども達も、半助と澪のどちらに対しても同じくらい、心配そうな顔で見ていた。
「分かった、そうしますね。きり丸くん、一緒に行こうか」
「うんっ!」
本当は木下や伝蔵の様子を自分も確認したかったが、仕方ない。澪はきり丸にてを引かれて、井戸水で顔を洗いに行くことになったのだった。
「チョークの粉を澪さんの顔にお見舞いするなんて、土井先生もひでぇーよな。作戦だろうし、仕方ないのかもしれないけどさ」
井戸で目をしっかり洗っていると、きり丸が手拭いを差し出しつつ、そう呟いていた。ひょっとして怒ってくれているのか。唇を尖らせている姿が可愛いったらない。
「わたしと先生達の戦闘訓練にかこつけて、饅頭を売り捌くきり丸も、大概だけどね」
「銭が絡む話なんで、そこはご勘弁を!」
「調子良いんだから、もぅ」
きり丸から手拭いを受け取って、顔を綺麗に拭く。前髪も水で濡れてしまったのでかきあげると、きり丸がじーっと見ている事に気付いた。
「なぁに?」
甘やかすような優しい声が出ていた。きり丸は耳まで顔を赤くして、ポツリと白状する。
「いや綺麗だったから、つい。本当に綺麗だ……」
言われ慣れているが、ちょっとこれは照れる。子どもからの素直な賛辞は、大人から貰うよりも響くのだ。照れを誤魔化すように、軽く咳払いする。
「んんっ、さ、戻りましょうか!」
「本当に大丈夫か、オレが澪さんの目をチェックしてからね。ほら見せて」
何やら、きり丸に世話を焼かれているようだ。くすくす笑って、顔を近づけると澪の目の異常を逃すまいと必死だ。一生懸命なきり丸の顔は今は幼さが色濃いが、成長すれば利吉のような美男子になりそうだなと思わせる程に整っている。
五年後のきり丸は、女子にモテモテに違いない。
「澪さん、目、キラキラしてるんだ」
「そう?きり丸の目も、キラキラしてるけどな。特に銭を見つけた時とか」
「はは、違いねぇ」
顔をくしゃくしゃにして笑うきり丸。八重歯が見えた。
「わたしの目は問題なさそ?」
「ん、ちょっと赤い気もするけど。大丈夫なんじゃないかな。よし!」
保健委員でもないのに、チェックするきり丸が可愛らしくてくすくす笑いそうになった時である。
「きり丸、筵のレンタル代の売上持ってきたよっ……!へぶっ?!」
人の近付く足音かして、しんべヱの声がすると同時に、チャリーン!と小銭が飛び散る音がした。おそらくは転けて売上金をばら蒔いたのだろう。
きり丸がその音に小銭への愛溢れるドケチ魂で、即座に反応する。
「オレのこっぜにぃーー!!」
当然の如く、音のした方へ素早く動くきり丸。は咄嗟の事で反応が遅れてしまい、ごちん!とお互いの頭がぶつかってしまう。至近距離で大きく動いたらそうなる。
澪はきり丸のために屈んでいたのだが、流石にバランスを崩してしまい、押し倒される形となって二人して転がってしまった。
どさり、と後ろに倒れてしまい同時に唇に痛みが走る。口と口がぶつかってしまったのだろう。そう思うのと、ふにっとした感触が唇に降って来たのは同時だった。
「「あーー!」」
しんべヱに、他のは組の生徒もくっついて来たのか。子ども達の大きな声がした。見ると、一年は組のメンバーが、保健委員の乱太郎を除いて勢揃いしている。
「「きり丸が澪さんと、ちゅーしてるぅ!」」
その言葉に気がついた時は、時既に遅し。きり丸に押し倒されるような状況で、澪はこの世界で初めて誰かと唇を合わせている己に気付き、目を見開いたのだった。
ぶちゅー、っと。申開きが出来ない程に澪ときり丸の口同士ががっつりくっついている。ちょっとズレているせいで、歯が当たって互いに血も出ている典型的な事故チューである。
先に起き上がったのは、きり丸だ。顔を茹で蛸みたいに真っ赤にして、大急ぎで離れている。小銭の事はすっかり吹き飛んでいるようで、当たった額と唇を押えながら目がうるうるしていた。きり丸に押し倒されたのは澪なのに、これでは澪がきり丸を押し倒したようだ。
その時である。
ドドドド……!と、何かが走ってくる音がした。そちらをふり向くと、カッ!と目を見開いた小平太がまるで興奮した猪さながらの形相でこちらへ向かって土煙を上げながら向かって来ていた。
「誰と澪さんが、ちゅーしただとぉおおおお?!!」
「ぎゃあっ、七松先輩ぃ?」
金吾が体育委員会の委員長を見て悲鳴を上げた。それ程に小平太の迫力が凄まじい。目が血走っていないか。直ぐに小平太は澪の所までやって来ると、肩を掴んできた。
「澪さんの唇を奪った奴はどこのどいつだ。わたしが、ぶっ飛ばしてやる!!」
「……事故チューですよ、小平太くん。落ち着いて、一年生が怖がってますから」
もふもふの頭が今は、興奮から毛を逆立てる犬のシッポみたいに見える。小平太は澪の唇に僅かに血が滲んでいるのを見て、思い切り顔を顰めた。そして、辺りを見渡し顔を真っ赤にしているきり丸をじーっと半眼で見て、深い溜息を吐く。
「……わかった。だったら、せめて手当しよう澪さん」
「大丈夫ですよ、小平太くん。というか、きり丸くん大丈夫ですか。わたしより血が出てるんじゃ」
離れて行ったきり丸の方を見ると、否定するように首を振っているが、ぽたぽたと赤い血が地面に数滴落ちている。
あかんやつだ。
「やっぱり、きり丸の方が血が出てるじゃない!これで押えて!!」
咄嗟の事で敬語が取れた。顔を拭いていた手拭いで、きり丸の唇を押さえにかかる。ふがっ、ときり丸からくぐもった声がしたが、それどころではない。
「あー、唇どころか歯茎からも血が出てるしっ。ちょっとあーん、しなさい!歯がぐらついてないか見るから!!」
「もがもがっ……?!」
「澪さん、わたしもきり丸を診るから落ち着いて」
小平太に肩を叩かれて、動きを制された。小平太が、きり丸の口元を見てふむふむと頷いている。
「唇が切れて歯茎からも血が出ているが、このくらいなら冷たい水で口をすすいで安静にしていれば治るだろう。歯の動揺は無さそうだな。数日は熱すぎる物や、刺激のある物を食べるのは控えて、歯磨きの時に気をつけるくらいだ」
「ふがふが……」
「澪さん、もう手拭いで押さえつけなくてもいいぞ。直ぐに血も止まるだろうし」
大丈夫だと言うようにきり丸が澪を見るので、小平太の言葉に従うと確かにまだ血は滲んでいるが、自然に止まりそうな気配があった。
「それにしても、何で七松先輩が……?」
「澪さんの様子が気になったから探して追いかけたら、ちゅーがどうのと聞こえたから大急ぎで走ってきたんだ」
「わぁ、凄い地獄耳……」
「ふふん、わたしは耳がいいのだ。特に澪さんの事となると、いつもの数倍はいいぞっ!」
金吾の問いかけに、小平太が答えると他のは組の生徒も何やら凄いと口にしている。しんべヱはどうやら、落とした小銭を全て拾い集めたようできり丸に渡していた。途端にハッとした顔で銭の数を数え出すきり丸ーー怪我をしているのに呆れてしまうやら関心するやら。
「皆んな、これは事故チューだから騒がないように。きり丸くんも、余り気にしちゃダメですよ」
「……澪さん、確認したいんだが初めてか?」
「そうですけど、事故ですよ」
小平太に聞かれたので、返答するときり丸が目を見開いて固まっていた。事故チューなんて、ノーカウントではないのか?と思う。大体、口と口なんて子ども同士とかだと遊んでいたりしたら、ぶつかる事だって珍しくない。そんなものをいちいちカウントするのは馬鹿げている。
きり丸との事は事故だ。
「本当に好きな人と自分の意思でする。それが口付けでは?」
ごく当たり前の事を言うと小平太が途端に黙り込んだ。きり丸もだ。一年は組の生徒は、何やら頬を染めて固まっている。まさか、聞いていて照れたのか。
澪の中身は精神年齢がいい歳をした女である。たかがキスくらいで、動揺したりしないが忍たま達は違う。
「澪さんって、大人なんだね」
ポツリ、と団蔵が呟くとうんうんと顔を見合わせて、一年は組の良い子達が頷いていたのだった。
+++++
ちょっとしたアクシデントが戦闘訓練後にあったものの、澪の勝ちで幕を閉じた戦いに忍たま達は皆が口々に感想を言い合っていた。
特に上級生達は、利吉が澪に付き合って特訓していたのを知っているだけに、見学を禁止した戦闘訓練前日のトレーニングメニューを大いに聞きたがっていた。やれやれと、利吉が澪と訓練した内容を伝えると、そのメチャクチャな内容に近くで聞いていたドクたまと、引率教師の魔界之小路が固まっていたらしいというのを、澪は人伝に聞いた。
戦闘訓練終了後、澪は着替えて秘書の制服に戻ってから、倒してしまった教師達を見舞った。双錘で倒した厚着、野村、日向の三名は復活しており、三人とも澪を見て一瞬だけびくっとしたものの、直ぐにおめでとうと言ってくれた。
流石である。
澪としては、怯えられると後味が悪過ぎて仕事に支障もあるため、大人な対応をしてくれる三人の教師達に、頭を下げて詫びとお礼を告げた。
半助、伝蔵、木下が目を覚ましたのはそれから暫くしての事だった。三人が目が覚めるまで、罪悪感から看病を申し出たのだが、校医の新野にやんわりと断られた。三人とも気にしないから、澪と話したがっている忍たま達の相手をして来い、と言われたのだ。
学園長命令なのに、澪が気にする姿勢をすればする程に倒れた伝蔵達もやりにくいから……とまで言われては断れない。
澪は伝蔵達が目を覚ました報告を教えられるまで、澪にあれこれと話しかけてくれる忍たまやくのたま達相手に団欒のひと時を過ごした。その中には利吉もおり、伝蔵達を倒した澪を褒めちぎっていた。ちょっと伝蔵や半助が可愛そうである。
そして、無事に残る三人の教師が目を覚ますと、澪は直ぐに駆けつけて礼と謝罪をした。そして矢張りというか伝蔵達からも気にするな、と言われた。
「わたし等も、いい勉強になった。修練を積まんとなぁ」
代表して伝蔵に苦笑いして言われ、ようやくホッとした澪だった。
そしてその夜の事。
遅い時間に澪は何故か食堂に来るよう、今日戦った大人達に呼び出しをくらった。ちなみに、この集まりは利吉も一緒だった。何でも伝蔵に来るよう言われたらしく、帰るのは明日の朝になるそうだ。
食堂のおばちゃんもいない、深夜の食堂は静かだ。人気の少なくなったその場所で澪と利吉を待っていたのは……。
「よく来たね、二人とも」
「早く来なさい。ツマミは少ないが、いい酒が手に入ったから」
半助が手招き、伝蔵が既に澪と利吉の席を確保していた。今日戦った教師陣も机に座り勢揃いしており、机の上には酒と皿に載ったツマミと思しき漬物があり、澪も利吉も顔を見合せた。
「父上、これは……?」
「見ての通り、酒を飲んでいる。どうせなら、お前達も誘って一杯やろうと思ってな。心配するな明日もあるから、深酒はするつもりはない。少しの酒を飲み、ツマミを食べて半刻もすれば解散だ」
伝蔵の言葉に利吉と顔を見合わせる澪。とはいえ、断る理由もない。澪も利吉も大人しく席に着いた。
「澪さん、お酒を飲んだことは?」
「ありません」
野村の問いかけに、そう返答した。今生では、という言葉は飲み込む。前世現代日本に生きていた頃は、大学時代と社会人になってからそれなりに飲んだ。お気に入りは若い頃は甘いカクテルだでたが、歳を重ねるとビールや日本酒なんかも美味しいと思った物だ。
「では、少しだけですね」
小さな杯を手渡され、野村から酒が注がれるーーよくある濁酒ではなく、澄んだ酒だった。上等な物だとひと目でわかる。
「これは僧坊酒ですよね。どちらのもので?」
「大和の物だそうだ。おかげで偉く高くついた」
「それはまた、奮発しましたね父上」
「なに、皆で金を出し合ったからな」
酒の製造は、古くから大寺院等でも行われている。僧坊酒と呼ばれ上物が多く、清酒に近い酒もある。大和と言えば奈良だ。前世の日本でも清酒発祥の地と言われるだけあって、このなんちゃって戦国時代でも大和の酒は評判である。一口含むと馥郁とした香りが口の中に広がった。
「んー、美味いっ。らっきょうの漬物も美味しい!」
「大木先生が前に持ってきてくれた物だよ。澪さんも食べるといい」
利吉は伝蔵から杯に酒を注がれて、あっという間に飲み干した。利吉が絶賛するらっきょうの漬物を半助に勧められ、言われた通り澪も一つ摘んで口に入れる。甘酢っぱい味がした。
らっきょうの漬物を飲み込んでから、せめて誰かに酒を注ごうと見渡すも、教師達は手灼である。
「澪さん、気にせず飲みなさい。でないとせっかくの酒が勿体無いぞ」
「そうだぞ、飲みすぎはダメだが少量の酒は百薬の長だ」
日向と木下からそう言われてしまい、頷くしかない。またこくりと飲むと、少し身体が温まる心地がした。
利吉が、教師達から訓練の内容についてあれこれ聞かれていた。澪をどうやって強化したか興味があったらしい。利吉は二つの武器について特徴を話し、澪がどこまで動けるか試しながら訓練していた事や、澪の意見も取り入れて不殺を貫きつつ、どうやって攻撃を叩き込むか考えながらやった事等、色々と語って、教師達に褒められていた。
酒精が口を滑らかにしているようだ。流石は、山田先生のご子息!と、褒めちぎられて伝蔵も嬉しそうだった。この場にいるのは利吉だけでよくないか?と思わなくもない。呼ばれたはいいが、女一人で肩身が狭い。
酒をお代わりして、またちみちみ呑む。ポワットしてきた……。
「利吉くんについていく澪さんの力量も凄まじい物が……って、澪さん?」
気を利かせてくれたのか、半助が澪を見てハッとした顔をした。
「ひっく」
何ですか?と返事をしたつもりが、小さくしゃっくりが出た。
「澪さん、酔っているのか?」
「よっれないれす」
「うん、酔ってるね。目が据わってて呂律が回ってないから。お酒に弱いなら、もうやめておくんだ」
「わたしのお酒、とっちゃヤーダ」
ふりふりと首を振ると、つたない澪の言葉遣いに教師陣と利吉がギョッとした顔をした。普段から少女の見た目にそぐわぬ大人ぶりから一転、まるで子どものようだ。ぺち、と杯を奪おうとする半助の手を叩いている。
「これはこれは、思わぬ弱点ですね。大丈夫ですか、澪さん」
「んぅー、お酒のめましゅ!もう一杯!!」
「やめておきなさい」
「はれ?力入らない……のみゅらせんせ、意地悪しないれ下さい」
酒をつごうとする澪の動きを、野村が簡単に制圧した。澪はもぞもぞと動くが、振り払おうとするのが出来なくて戸惑っているようだ。これではまるで普通の女子である。
澪の様子に、教師達そして利吉は顔を見合わせた。まさか、と。
「澪くん、ひょっとして酒を飲むと怪力が出なくなるのか……?」
「ぴえーん、力、出ないぃー、どっこんじょーっ」
「しかも、下戸とは。数杯でこれか」
顔を真っ赤にして動く澪。普段からは想像もつかないか弱さに、伝蔵が色々と確信したようで何やら頷く。
一方、動きを止めていた野村が見た目通り、可憐な少女になってしまい、口調も幼くなった澪を見て、何かぐっとくるものがあったらしい。
「このギャップ、危険ですね。こう、色々と滾るものが」
「澪さんは、わたしが預かります。席替えしてください、野村先生!!」
ごくり、と生唾を飲む野村を半助が睨みつけて野村と席をあっという間に交代する。澪は隣に来た半助に対して、無防備ににこにこ笑った。
「半助さんらー」
「澪さん、お酒はもう飲んじゃ駄目だよ。こんな風になるとは」
「大人だもん、お酒飲めるもん。半助さんの意地悪。ぐすっ」
酒を飲んで喜怒哀楽が激しくなっており、半助の前で泣いてしまう澪。だが、だからってお酒を飲ませるわけにもいかない。職場では土井先生と呼ぶのに、二人の時にそう呼ぶように澪が名前を呼ぶと、半助は一年は組の良い子達に向けるような、優しい笑顔でポンポンと澪の背中を叩いた。
「はは、酒が澪さんの弱点とは。飲むのは初めてだと言っていたし、本人もこれは知らなかったようだな」
「んーっ、あちゅぎ先生、笑いましたね。ダメなんれすから、人のこと笑うの、だめー!」
「はは、すまないね」
顔を真っ赤にしてプリプリしている澪は、舌っ足らずな所もあるため、すっかり場を和ませていた。
「ん、謝ったからご褒美あげましゅ」
「ほう、何をくれるんだ?」
すくっ、と立ち上がり厚着の方にとことこ行く澪。怪力が鳴りを潜め、顔を赤くしている澪はまるで子どものようだ。
「よく出来ましたかーらーの、ちゅっ!」
「?!」
「へへ、頬っぺたもーらい、です!顔、真っ赤だじょ、あちゅぎてんてー」
厚着の頬に澪が可愛らしくキスをすると、厚着だけじゃなくその場の全員が固まった。
澪の酒乱ぶりに全員が時を止めた。これはあかんやつである。
「っ、澪さん、何してるんだ。こらっ、めっ!そんな事したらダメっ!絶対禁止ぃ!!」
真っ先に反応したのは半助だ。澪を攫うように抱き上げて、澪の口調が移ったのか幼子を叱るようである。
厚着は、酔っ払っているとはいえ可憐な美少女に頬にチューされるハプニングに、目を白黒させていた。野村が「厚着先生、羨まけしからんですなぁ」とか何とか言っている。
「じゃあ、半助さんならいいの?」
「え?」
怒られた澪が、ふいに真顔になって素面の時のようにやたらはっきりとした口調で聞いてきた。尋ねられた半助は何を言われたか分からず固まる。
「だから半助さんなら、ちゅーしていいの?」
「……」
澪の質問を受けた半助が固まるのと、教員達と利吉がじーっと穴が空くほど半助を見つめるのは同時だった。半助からしたら、新手の嫌がらせかご褒美なのか判断しづらい展開である。ここでYESと言えば、バレてるとはいえ己の気持ちを言動でもって公開する事になり、NOと答えるのは惚れた女を前にこれまた躊躇われた。
「……ダメなら半助さん以外の皆んなにちゅーする!」
「こらぁー!!酔っ払ったらまさかキス魔になるのかっ?!わたしの目の黒いうちは絶対に許さないからな!!」
ギャンギャン怒る半助。その言葉が如実に澪に惚れていると告げているのに気付かず、澪を拘束する。
普段なら吹き飛ばされるのだろうが、怪力が封じられ見目通りに普通の女子程度の力となってしまった澪は呆気なく捕まった。
澪は酔うと怪力を失い、色んな意味で酒乱になる。新しい発見だが、色々な意味で危険極まりない事実である。
そして。
「隙あり、ちゅ!」
「っ?!」
半助の唇でこそないが、唇のすぐ脇に可愛いリップ音を響かせ澪がキスをした。小鳥が啄むような可愛らしい口付けに、半助がピタリと動きを止める。そんな半助をニコニコと笑顔の澪が見上げた。
「奪っちゃたー、半助しゃん、顔、真っ赤だぞ!」
ケラケラ笑う澪。半助は口付けされた所に触れて、まるで彫像のように固まっていた。
「ふわぁ、なんかねむーい。お外くらーい、それでは皆さん、おやしゅみなさい!!」
そんな半助を尻目に、澪はビシッと敬礼するとそのまま半助にもたれかかってスヤスヤ寝てしまった。凄まじいマイペースである。酔っ払いのテンションには勝てないというやつか。半助は澪を抱きとめて、呆然としている。
「ーー酔っ払い程、恐ろしいものはありませんなぁ」
そんな澪を見て、しみじみと呟く日向の声が食堂に静かに木霊するのだった。
学園長から直前に指示があり、着ることになった明の衣装効果もあるのだろう。
剣術試合では、半助に負けてしまったから最低限の面目は保てたと思う事にする。とはいえ、次の対戦で同じような戦い方はおそらく通じない。
最初に教師陣達の戦い方や癖を見ていて、意表を突いた動きに一番反応しそうなのが厚着だったから、澪は最初にトリッキーな動きで厚着を倒す事にした。その予測が当たったに過ぎない。つまり、澪の戦い方を見ていた半助達相手に二度目はないーーという事だ。
どうやって勝つか、真面目に考えなくてはならない。澪との勝負で教師の分け方は、利吉と予想した通りの結果になった。より凶悪で凶暴な武器である青龍偃月刀に、実技担当教師の中でも戦闘に特化した忍びを当ててくる、と。
僅かな休憩の間に、次に勝つための手段を冷静に考える。利吉との訓練で、青龍偃月刀の動きの特訓は出来ているが、あくまでも殺さずに相手を制圧するのに適した動きであり、次の試合で勝ちが決まる程に技を習得出来ているかは疑問が残る。
半助に伝蔵、そして木下。初見で簡単に勝たせてもらえるような相手ではないだろう。
考えに耽っている間、ふと視線を感じたのでそちらを向くと、きり丸がちらちらと澪を見ていた。一年は組の他の生徒達に囲まれる中、きり丸は何やら澪の様子を伺っている。
可愛いな。見ていて和む。笑って手を振ると、途端に目を逸らされるが、すぐに照れたように笑って小さく手を振り返してくれた。
やはり可愛い。そして、その動作を見てふと次の戦いの戦法を思いつく。うまくいくかはさっぱりだが、やってみてダメなら切り替えればいいだけだ。
「それでは、最後の戦闘訓練を始めるぞ」
学園長の声がした。青龍偃月刀を手に、試合の場所に向かうと既に教員三人が警戒も顕に相対している。
中央に伝蔵、向かって左に半助、右に木下ーーこのフォーメーションを、そのまま受け取るなら、伝蔵が澪の動きを正面から止めて半助と木下が左右からの挟撃を狙う物だ。
澪は静かに構えの姿勢を取った。そして一度だけ深呼吸する。大丈夫だ、やれる。視界を塞いで訓練をした時の感覚を思い出すと、不思議と落ち着いた。
一瞬の静寂の後、学園長の声がした。
「はじめー!!」
縮地の歩法。
古武術の技法であり、間合いを一気につめるその動きを三人の教師が一気に行ってきた。全員同時のスタートを切っている。早い!
それを見た澪はプロペラの要領で、武器を振り回した。空気が唸って、素早く青龍偃月刀がぐるぐると回る。掠った地面がボコっ!と音を立てて酷くえぐれると、それを見た伝蔵が立ち止まり、半助と木下が上に飛んだ。
ーーあからさまな陽動だ。だが、それに敢えて乗る。澪もまた上に飛んで真っ先に半助を狙った。木下と半助の顔がぴくりと一瞬だけ歪む。あえて乗ったのに、そんな顔をされると困るではないか。
半助がチョークを投げつけて来た。木下は手裏剣だ。その違いに笑いそうになる。澪を相手にするなら、教材ではぬる過ぎる。木下と同じように手裏剣を使えばいいのに。奇を衒ってはいるが、半助の攻撃に威力なんて物は殆どない。
対空時間は一瞬の事だ。下からがら空きになった澪を、手裏剣で伝蔵が狙っているのが一瞬だけ見えた。
青龍偃月刀を振って澪に向かってくる攻撃を薙ぎ払った。
半助と木下の攻撃は自然と下に向くため、そのまま伝蔵へ。そして伝蔵の攻撃は木下へ向かう。半助には足技をお見舞いしようとしたがすんでのところで交わされた。
周りから、声が上がる。
空中での澪達の動きに、皆が興奮したらしい。落ちるついでに、そのまま伝蔵を狙うが簡単に避けられた。
ドン!と重たげな音がして土煙が上がる。やはり、そう簡単には勝たせてはもらえない。
ーーくらえば、その瞬間に終わる。
地面すら響かせる程の澪の一撃に、伝蔵の顔が険しい物になっていた。
伝蔵が無言で忍刀を構える。
果たして忍刀をメインに攻撃する気か、否か。戦いは短い間の事だが、そこで瞬時に情報を分析して絶え間なく有効手を最後まで打てた者が勝つ。高速でジャンケンをするような物だ。
ーー決して澪からは仕掛けない。
単純な事だ。きり丸が手を振った時に考えたのは、鏡のような動きである。相手の攻撃を相殺して、あるいは同じだけの力で跳ね返す。
これを突破するのは力技は澪には使えないため、奇を衒うか、あるいは力尽きるのを待つかになる。だが後者だと制限時間をオーバーしてしまう。
澪が全ての攻撃を時間内にずっと防ぎ切れたなら、少なくとも引き分けに持ち込める。
だが、澪の予想はそうはならないと踏んでいた。
おそらくは、先程の双錘の試合を見て澪を倒しに来る可能性が高いと踏んでいるからだ。少なとも、伝蔵はそうするーーこれは、利吉の読みでもある。
伝蔵とは、青龍偃月刀で戦う事になるはず。そしてその試合は恐らく最後。澪がもしも、双錘を使った戦闘訓練で勝ったなら、そのままには決してしない。可能なら勝ちに来て、悪いなら引き分けたいと考える、と。
そして伝蔵はリーダーとして指示役になる。他の教師はそれに忠実に従うだろうとも。
どうしてそんな事が分かるのか?そう問うと利吉は笑った「わたしの父上だからね。あの人は、格好つけな所があるから」ーーと。
カンカンカン!!澪が投擲武器の全てを跳ね返す。伝蔵から繰り出される忍刀の一撃も、木下と半助の猛攻も。
はっきり言って余裕は無い。
疲れてはいないが、俊敏性のある忍び三名相手に凌ぐのは一瞬の油断すら許されず、神経を遣う。この状況に制限がなければ、キツイのは澪の方だ。
その時だ。
視界が急に白くなり、目に痛みが走る。半助お得意の教材攻撃だと気がついた時には、三人から猛攻撃された。落ち着け!と、利吉との訓練を思い出す。視界が潰される可能性も視野に入れている。
呻き声を堪えて歯を食いしばり、近付かせないためにまたも青龍偃月刀を振り回した。何かが柄に巻きついてきた気配があったが、そんな事では止まらない。
ガキン!と鈍い音がした。おそらくは動きを止めるものを引きちぎったのだろうーー鎖か何かか。不明瞭な視界で、三人の気配を追う。前に一人、後方に二人いるのは分かるが誰が誰だかまでははっきりしない。
この状況で、澪は笑っていた。
視界は完全にはまだまだ戻らない。ぼんやりとするが、澪が追い詰められる事は計算に入れてある。
ピタリと澪は武器を振り回すのを止めて構えた。振り回していたのは、少しでも視界を回復する時間を設けたかったのと、どこに何人いるか配置を把握するためだ。
チャキ、っと武器を構える音がした。同時に向かってくる後ろの気配。
「はぁあああーー!!!」
澪は声を発して、低く地面を武器で薙ぎ払った。伏せて避けるのは不可能な高さに、当然、飛び上がる三人の気配がある。それを感じて澪は武器を持ったまま、深く身を沈めて全力でもって飛んだ。
びゅん、と高く高く跳躍する。
うっすらと目を開けると、ぼんやりとだが澪よりも低めの位置に三人の顔が見えた。滞空時間は限られている。
三人とも上へ向かって武器を投擲しようとするが、そうはさせない。利吉との訓練の成果を見せる時。
「いけー!澪さーん!!」
利吉の声がした。
必殺技という程ではない。落ちながら武器を使ってプロペラの動きを下に向けてするだけだ。空中で逃げる事ができない状況で、三人が射程内に入るのを狙っていた。
澪の美しい顔が、好戦的な笑みを浮かべる。そのまま武器を振り回して急降下した。三人の顔が驚愕に固まるのをぼんやりと見つつ、急所を避けて攻撃を全員へ叩き込んだ。
最初に半助、次に木下、そして最後に伝蔵だ。
このうち、半助だけが澪の一撃が決まり過ぎたのか、瞬時に意識が落ちるのが見えたのでキャッチして一緒に落ちる。
伝蔵と木下は受身を取って転がったが、木下はそこで気絶し、伝蔵はよろよろ片膝をついて立ち上がったが、今にも倒れそうだ。ふらついている。
一方の澪は、気絶している半助を肩に担いでおり、澪が武器を伝蔵に向かって構えるのと、伝蔵が倒れたのはほぼ同時だった。
「それまで!!」
学園長の試合の終了を告げる言葉と同時に、わぁっ!!と歓声が上がる。生徒達は口々に澪は勿論の事、教師陣に対しても称賛を次々と口にしていた。
当たり前と言えば当たり前だ。
勝てたが、澪は今回の勝ちが偶然の産物だと理解していた。
お互いに地面に倒れていた確率が、五分五分の勝負だったのだ。
怪力でこそあるが、本気でかかられたらプロ忍三人は流石に骨が折れる。それこそ、不殺を放棄せねばならない程に……。
学園長にその意図があるのかは知らないが、これが単なる澪の戦闘訓練とも思えなかった。これは澪の強さを周囲へ見せつけるのと同時に、澪に忍者を甘く見るなとお灸を据える戦いでもあるような気がしたのだ。怪力を過信してはならぬ、と言外に言われたような心地だ。
新しい武器を二つも手にしたのに、身の引き締まる思いがした。多分澪のレベルはまだまだ、なのだろう。学園長から、精進しろと奨励されている気分だった。
「流石はわしの澪ちゃん!忍術学園の教師達を倒すとは」
「ありがとうございます。とはいえ、大丈夫だとは思いますが、先生方を診てもよろしいですか」
「うむ、それがよかろう。生徒は解散しておくから、あとの事は任せなさい」
好々爺とした笑みを浮かべる学園長に、礼を言いつつ澪はまず最初に担いだ半助の具合を見る。一撃が綺麗に決まり、ストンと意識が落ちているおかげか、眠っているようで酷い外傷は見当たらない。流石に、武器が当たった場所にあざくらいは出来ているかもだが。
「澪さん!父上は大丈夫だよっ」
「木下先生も問題なしだよ」
試合が終わって、他の倒れた二人に澪よりも早く、利吉と伊作が駆けつけて具合を診ていた。それだけでなく、試合が終わる直前までファン倶楽部の方にいた保健委員が、伝蔵や木下の方に散らばって様子を確認している。
「そう、良かった……」
ほっ、と息を吐いた。気絶させるために一撃を入れているとはいえ、ミスで思わぬ怪我をしている可能性も捨てきれないからだ。内心はヒヤヒヤしていた。そんなに心の余裕を持てるような相手ではなかったせいもある。
「澪さん!」
きり丸の声がした。そちらを見ると、きり丸を先頭に一年は組の皆が駆け付けてきた。
「土井先生は、大丈夫ですよ。きり丸くん」
「それは分かってます!そうじゃなくて、澪さんは大丈夫なのっ。だって、目が……!」
てっきり半助の無事が知りたいのだと思って、半助の顔が見えるように抱え直したら、違うと否定された。
そして言われて気づく。
そう言えば、まだ少し目が霞む。一度、目を洗った方がいいかもしれない。
「オレ、掃除中にドジ踏んで同じ目にあった事あるから知ってるけど、チョークの粉って目にすげぇ染みるから。土井先生は、保健委員に任せて井戸へ行こうよ。ちゃんと水でしっかり洗わないと!」
きり丸が、いつもの調子で話しかけている。敬語が取れているのは動揺か。分からないが、ぎゅっと手を握りしめられると断れない。
「そうですよ、澪さん。きり丸の言う通りだよ」
しんべヱの声がした。そちらを見ると、おシゲもいて二人とも心配そうに見上げている。は組の子ども達も、半助と澪のどちらに対しても同じくらい、心配そうな顔で見ていた。
「分かった、そうしますね。きり丸くん、一緒に行こうか」
「うんっ!」
本当は木下や伝蔵の様子を自分も確認したかったが、仕方ない。澪はきり丸にてを引かれて、井戸水で顔を洗いに行くことになったのだった。
「チョークの粉を澪さんの顔にお見舞いするなんて、土井先生もひでぇーよな。作戦だろうし、仕方ないのかもしれないけどさ」
井戸で目をしっかり洗っていると、きり丸が手拭いを差し出しつつ、そう呟いていた。ひょっとして怒ってくれているのか。唇を尖らせている姿が可愛いったらない。
「わたしと先生達の戦闘訓練にかこつけて、饅頭を売り捌くきり丸も、大概だけどね」
「銭が絡む話なんで、そこはご勘弁を!」
「調子良いんだから、もぅ」
きり丸から手拭いを受け取って、顔を綺麗に拭く。前髪も水で濡れてしまったのでかきあげると、きり丸がじーっと見ている事に気付いた。
「なぁに?」
甘やかすような優しい声が出ていた。きり丸は耳まで顔を赤くして、ポツリと白状する。
「いや綺麗だったから、つい。本当に綺麗だ……」
言われ慣れているが、ちょっとこれは照れる。子どもからの素直な賛辞は、大人から貰うよりも響くのだ。照れを誤魔化すように、軽く咳払いする。
「んんっ、さ、戻りましょうか!」
「本当に大丈夫か、オレが澪さんの目をチェックしてからね。ほら見せて」
何やら、きり丸に世話を焼かれているようだ。くすくす笑って、顔を近づけると澪の目の異常を逃すまいと必死だ。一生懸命なきり丸の顔は今は幼さが色濃いが、成長すれば利吉のような美男子になりそうだなと思わせる程に整っている。
五年後のきり丸は、女子にモテモテに違いない。
「澪さん、目、キラキラしてるんだ」
「そう?きり丸の目も、キラキラしてるけどな。特に銭を見つけた時とか」
「はは、違いねぇ」
顔をくしゃくしゃにして笑うきり丸。八重歯が見えた。
「わたしの目は問題なさそ?」
「ん、ちょっと赤い気もするけど。大丈夫なんじゃないかな。よし!」
保健委員でもないのに、チェックするきり丸が可愛らしくてくすくす笑いそうになった時である。
「きり丸、筵のレンタル代の売上持ってきたよっ……!へぶっ?!」
人の近付く足音かして、しんべヱの声がすると同時に、チャリーン!と小銭が飛び散る音がした。おそらくは転けて売上金をばら蒔いたのだろう。
きり丸がその音に小銭への愛溢れるドケチ魂で、即座に反応する。
「オレのこっぜにぃーー!!」
当然の如く、音のした方へ素早く動くきり丸。は咄嗟の事で反応が遅れてしまい、ごちん!とお互いの頭がぶつかってしまう。至近距離で大きく動いたらそうなる。
澪はきり丸のために屈んでいたのだが、流石にバランスを崩してしまい、押し倒される形となって二人して転がってしまった。
どさり、と後ろに倒れてしまい同時に唇に痛みが走る。口と口がぶつかってしまったのだろう。そう思うのと、ふにっとした感触が唇に降って来たのは同時だった。
「「あーー!」」
しんべヱに、他のは組の生徒もくっついて来たのか。子ども達の大きな声がした。見ると、一年は組のメンバーが、保健委員の乱太郎を除いて勢揃いしている。
「「きり丸が澪さんと、ちゅーしてるぅ!」」
その言葉に気がついた時は、時既に遅し。きり丸に押し倒されるような状況で、澪はこの世界で初めて誰かと唇を合わせている己に気付き、目を見開いたのだった。
ぶちゅー、っと。申開きが出来ない程に澪ときり丸の口同士ががっつりくっついている。ちょっとズレているせいで、歯が当たって互いに血も出ている典型的な事故チューである。
先に起き上がったのは、きり丸だ。顔を茹で蛸みたいに真っ赤にして、大急ぎで離れている。小銭の事はすっかり吹き飛んでいるようで、当たった額と唇を押えながら目がうるうるしていた。きり丸に押し倒されたのは澪なのに、これでは澪がきり丸を押し倒したようだ。
その時である。
ドドドド……!と、何かが走ってくる音がした。そちらをふり向くと、カッ!と目を見開いた小平太がまるで興奮した猪さながらの形相でこちらへ向かって土煙を上げながら向かって来ていた。
「誰と澪さんが、ちゅーしただとぉおおおお?!!」
「ぎゃあっ、七松先輩ぃ?」
金吾が体育委員会の委員長を見て悲鳴を上げた。それ程に小平太の迫力が凄まじい。目が血走っていないか。直ぐに小平太は澪の所までやって来ると、肩を掴んできた。
「澪さんの唇を奪った奴はどこのどいつだ。わたしが、ぶっ飛ばしてやる!!」
「……事故チューですよ、小平太くん。落ち着いて、一年生が怖がってますから」
もふもふの頭が今は、興奮から毛を逆立てる犬のシッポみたいに見える。小平太は澪の唇に僅かに血が滲んでいるのを見て、思い切り顔を顰めた。そして、辺りを見渡し顔を真っ赤にしているきり丸をじーっと半眼で見て、深い溜息を吐く。
「……わかった。だったら、せめて手当しよう澪さん」
「大丈夫ですよ、小平太くん。というか、きり丸くん大丈夫ですか。わたしより血が出てるんじゃ」
離れて行ったきり丸の方を見ると、否定するように首を振っているが、ぽたぽたと赤い血が地面に数滴落ちている。
あかんやつだ。
「やっぱり、きり丸の方が血が出てるじゃない!これで押えて!!」
咄嗟の事で敬語が取れた。顔を拭いていた手拭いで、きり丸の唇を押さえにかかる。ふがっ、ときり丸からくぐもった声がしたが、それどころではない。
「あー、唇どころか歯茎からも血が出てるしっ。ちょっとあーん、しなさい!歯がぐらついてないか見るから!!」
「もがもがっ……?!」
「澪さん、わたしもきり丸を診るから落ち着いて」
小平太に肩を叩かれて、動きを制された。小平太が、きり丸の口元を見てふむふむと頷いている。
「唇が切れて歯茎からも血が出ているが、このくらいなら冷たい水で口をすすいで安静にしていれば治るだろう。歯の動揺は無さそうだな。数日は熱すぎる物や、刺激のある物を食べるのは控えて、歯磨きの時に気をつけるくらいだ」
「ふがふが……」
「澪さん、もう手拭いで押さえつけなくてもいいぞ。直ぐに血も止まるだろうし」
大丈夫だと言うようにきり丸が澪を見るので、小平太の言葉に従うと確かにまだ血は滲んでいるが、自然に止まりそうな気配があった。
「それにしても、何で七松先輩が……?」
「澪さんの様子が気になったから探して追いかけたら、ちゅーがどうのと聞こえたから大急ぎで走ってきたんだ」
「わぁ、凄い地獄耳……」
「ふふん、わたしは耳がいいのだ。特に澪さんの事となると、いつもの数倍はいいぞっ!」
金吾の問いかけに、小平太が答えると他のは組の生徒も何やら凄いと口にしている。しんべヱはどうやら、落とした小銭を全て拾い集めたようできり丸に渡していた。途端にハッとした顔で銭の数を数え出すきり丸ーー怪我をしているのに呆れてしまうやら関心するやら。
「皆んな、これは事故チューだから騒がないように。きり丸くんも、余り気にしちゃダメですよ」
「……澪さん、確認したいんだが初めてか?」
「そうですけど、事故ですよ」
小平太に聞かれたので、返答するときり丸が目を見開いて固まっていた。事故チューなんて、ノーカウントではないのか?と思う。大体、口と口なんて子ども同士とかだと遊んでいたりしたら、ぶつかる事だって珍しくない。そんなものをいちいちカウントするのは馬鹿げている。
きり丸との事は事故だ。
「本当に好きな人と自分の意思でする。それが口付けでは?」
ごく当たり前の事を言うと小平太が途端に黙り込んだ。きり丸もだ。一年は組の生徒は、何やら頬を染めて固まっている。まさか、聞いていて照れたのか。
澪の中身は精神年齢がいい歳をした女である。たかがキスくらいで、動揺したりしないが忍たま達は違う。
「澪さんって、大人なんだね」
ポツリ、と団蔵が呟くとうんうんと顔を見合わせて、一年は組の良い子達が頷いていたのだった。
+++++
ちょっとしたアクシデントが戦闘訓練後にあったものの、澪の勝ちで幕を閉じた戦いに忍たま達は皆が口々に感想を言い合っていた。
特に上級生達は、利吉が澪に付き合って特訓していたのを知っているだけに、見学を禁止した戦闘訓練前日のトレーニングメニューを大いに聞きたがっていた。やれやれと、利吉が澪と訓練した内容を伝えると、そのメチャクチャな内容に近くで聞いていたドクたまと、引率教師の魔界之小路が固まっていたらしいというのを、澪は人伝に聞いた。
戦闘訓練終了後、澪は着替えて秘書の制服に戻ってから、倒してしまった教師達を見舞った。双錘で倒した厚着、野村、日向の三名は復活しており、三人とも澪を見て一瞬だけびくっとしたものの、直ぐにおめでとうと言ってくれた。
流石である。
澪としては、怯えられると後味が悪過ぎて仕事に支障もあるため、大人な対応をしてくれる三人の教師達に、頭を下げて詫びとお礼を告げた。
半助、伝蔵、木下が目を覚ましたのはそれから暫くしての事だった。三人が目が覚めるまで、罪悪感から看病を申し出たのだが、校医の新野にやんわりと断られた。三人とも気にしないから、澪と話したがっている忍たま達の相手をして来い、と言われたのだ。
学園長命令なのに、澪が気にする姿勢をすればする程に倒れた伝蔵達もやりにくいから……とまで言われては断れない。
澪は伝蔵達が目を覚ました報告を教えられるまで、澪にあれこれと話しかけてくれる忍たまやくのたま達相手に団欒のひと時を過ごした。その中には利吉もおり、伝蔵達を倒した澪を褒めちぎっていた。ちょっと伝蔵や半助が可愛そうである。
そして、無事に残る三人の教師が目を覚ますと、澪は直ぐに駆けつけて礼と謝罪をした。そして矢張りというか伝蔵達からも気にするな、と言われた。
「わたし等も、いい勉強になった。修練を積まんとなぁ」
代表して伝蔵に苦笑いして言われ、ようやくホッとした澪だった。
そしてその夜の事。
遅い時間に澪は何故か食堂に来るよう、今日戦った大人達に呼び出しをくらった。ちなみに、この集まりは利吉も一緒だった。何でも伝蔵に来るよう言われたらしく、帰るのは明日の朝になるそうだ。
食堂のおばちゃんもいない、深夜の食堂は静かだ。人気の少なくなったその場所で澪と利吉を待っていたのは……。
「よく来たね、二人とも」
「早く来なさい。ツマミは少ないが、いい酒が手に入ったから」
半助が手招き、伝蔵が既に澪と利吉の席を確保していた。今日戦った教師陣も机に座り勢揃いしており、机の上には酒と皿に載ったツマミと思しき漬物があり、澪も利吉も顔を見合せた。
「父上、これは……?」
「見ての通り、酒を飲んでいる。どうせなら、お前達も誘って一杯やろうと思ってな。心配するな明日もあるから、深酒はするつもりはない。少しの酒を飲み、ツマミを食べて半刻もすれば解散だ」
伝蔵の言葉に利吉と顔を見合わせる澪。とはいえ、断る理由もない。澪も利吉も大人しく席に着いた。
「澪さん、お酒を飲んだことは?」
「ありません」
野村の問いかけに、そう返答した。今生では、という言葉は飲み込む。前世現代日本に生きていた頃は、大学時代と社会人になってからそれなりに飲んだ。お気に入りは若い頃は甘いカクテルだでたが、歳を重ねるとビールや日本酒なんかも美味しいと思った物だ。
「では、少しだけですね」
小さな杯を手渡され、野村から酒が注がれるーーよくある濁酒ではなく、澄んだ酒だった。上等な物だとひと目でわかる。
「これは僧坊酒ですよね。どちらのもので?」
「大和の物だそうだ。おかげで偉く高くついた」
「それはまた、奮発しましたね父上」
「なに、皆で金を出し合ったからな」
酒の製造は、古くから大寺院等でも行われている。僧坊酒と呼ばれ上物が多く、清酒に近い酒もある。大和と言えば奈良だ。前世の日本でも清酒発祥の地と言われるだけあって、このなんちゃって戦国時代でも大和の酒は評判である。一口含むと馥郁とした香りが口の中に広がった。
「んー、美味いっ。らっきょうの漬物も美味しい!」
「大木先生が前に持ってきてくれた物だよ。澪さんも食べるといい」
利吉は伝蔵から杯に酒を注がれて、あっという間に飲み干した。利吉が絶賛するらっきょうの漬物を半助に勧められ、言われた通り澪も一つ摘んで口に入れる。甘酢っぱい味がした。
らっきょうの漬物を飲み込んでから、せめて誰かに酒を注ごうと見渡すも、教師達は手灼である。
「澪さん、気にせず飲みなさい。でないとせっかくの酒が勿体無いぞ」
「そうだぞ、飲みすぎはダメだが少量の酒は百薬の長だ」
日向と木下からそう言われてしまい、頷くしかない。またこくりと飲むと、少し身体が温まる心地がした。
利吉が、教師達から訓練の内容についてあれこれ聞かれていた。澪をどうやって強化したか興味があったらしい。利吉は二つの武器について特徴を話し、澪がどこまで動けるか試しながら訓練していた事や、澪の意見も取り入れて不殺を貫きつつ、どうやって攻撃を叩き込むか考えながらやった事等、色々と語って、教師達に褒められていた。
酒精が口を滑らかにしているようだ。流石は、山田先生のご子息!と、褒めちぎられて伝蔵も嬉しそうだった。この場にいるのは利吉だけでよくないか?と思わなくもない。呼ばれたはいいが、女一人で肩身が狭い。
酒をお代わりして、またちみちみ呑む。ポワットしてきた……。
「利吉くんについていく澪さんの力量も凄まじい物が……って、澪さん?」
気を利かせてくれたのか、半助が澪を見てハッとした顔をした。
「ひっく」
何ですか?と返事をしたつもりが、小さくしゃっくりが出た。
「澪さん、酔っているのか?」
「よっれないれす」
「うん、酔ってるね。目が据わってて呂律が回ってないから。お酒に弱いなら、もうやめておくんだ」
「わたしのお酒、とっちゃヤーダ」
ふりふりと首を振ると、つたない澪の言葉遣いに教師陣と利吉がギョッとした顔をした。普段から少女の見た目にそぐわぬ大人ぶりから一転、まるで子どものようだ。ぺち、と杯を奪おうとする半助の手を叩いている。
「これはこれは、思わぬ弱点ですね。大丈夫ですか、澪さん」
「んぅー、お酒のめましゅ!もう一杯!!」
「やめておきなさい」
「はれ?力入らない……のみゅらせんせ、意地悪しないれ下さい」
酒をつごうとする澪の動きを、野村が簡単に制圧した。澪はもぞもぞと動くが、振り払おうとするのが出来なくて戸惑っているようだ。これではまるで普通の女子である。
澪の様子に、教師達そして利吉は顔を見合わせた。まさか、と。
「澪くん、ひょっとして酒を飲むと怪力が出なくなるのか……?」
「ぴえーん、力、出ないぃー、どっこんじょーっ」
「しかも、下戸とは。数杯でこれか」
顔を真っ赤にして動く澪。普段からは想像もつかないか弱さに、伝蔵が色々と確信したようで何やら頷く。
一方、動きを止めていた野村が見た目通り、可憐な少女になってしまい、口調も幼くなった澪を見て、何かぐっとくるものがあったらしい。
「このギャップ、危険ですね。こう、色々と滾るものが」
「澪さんは、わたしが預かります。席替えしてください、野村先生!!」
ごくり、と生唾を飲む野村を半助が睨みつけて野村と席をあっという間に交代する。澪は隣に来た半助に対して、無防備ににこにこ笑った。
「半助さんらー」
「澪さん、お酒はもう飲んじゃ駄目だよ。こんな風になるとは」
「大人だもん、お酒飲めるもん。半助さんの意地悪。ぐすっ」
酒を飲んで喜怒哀楽が激しくなっており、半助の前で泣いてしまう澪。だが、だからってお酒を飲ませるわけにもいかない。職場では土井先生と呼ぶのに、二人の時にそう呼ぶように澪が名前を呼ぶと、半助は一年は組の良い子達に向けるような、優しい笑顔でポンポンと澪の背中を叩いた。
「はは、酒が澪さんの弱点とは。飲むのは初めてだと言っていたし、本人もこれは知らなかったようだな」
「んーっ、あちゅぎ先生、笑いましたね。ダメなんれすから、人のこと笑うの、だめー!」
「はは、すまないね」
顔を真っ赤にしてプリプリしている澪は、舌っ足らずな所もあるため、すっかり場を和ませていた。
「ん、謝ったからご褒美あげましゅ」
「ほう、何をくれるんだ?」
すくっ、と立ち上がり厚着の方にとことこ行く澪。怪力が鳴りを潜め、顔を赤くしている澪はまるで子どものようだ。
「よく出来ましたかーらーの、ちゅっ!」
「?!」
「へへ、頬っぺたもーらい、です!顔、真っ赤だじょ、あちゅぎてんてー」
厚着の頬に澪が可愛らしくキスをすると、厚着だけじゃなくその場の全員が固まった。
澪の酒乱ぶりに全員が時を止めた。これはあかんやつである。
「っ、澪さん、何してるんだ。こらっ、めっ!そんな事したらダメっ!絶対禁止ぃ!!」
真っ先に反応したのは半助だ。澪を攫うように抱き上げて、澪の口調が移ったのか幼子を叱るようである。
厚着は、酔っ払っているとはいえ可憐な美少女に頬にチューされるハプニングに、目を白黒させていた。野村が「厚着先生、羨まけしからんですなぁ」とか何とか言っている。
「じゃあ、半助さんならいいの?」
「え?」
怒られた澪が、ふいに真顔になって素面の時のようにやたらはっきりとした口調で聞いてきた。尋ねられた半助は何を言われたか分からず固まる。
「だから半助さんなら、ちゅーしていいの?」
「……」
澪の質問を受けた半助が固まるのと、教員達と利吉がじーっと穴が空くほど半助を見つめるのは同時だった。半助からしたら、新手の嫌がらせかご褒美なのか判断しづらい展開である。ここでYESと言えば、バレてるとはいえ己の気持ちを言動でもって公開する事になり、NOと答えるのは惚れた女を前にこれまた躊躇われた。
「……ダメなら半助さん以外の皆んなにちゅーする!」
「こらぁー!!酔っ払ったらまさかキス魔になるのかっ?!わたしの目の黒いうちは絶対に許さないからな!!」
ギャンギャン怒る半助。その言葉が如実に澪に惚れていると告げているのに気付かず、澪を拘束する。
普段なら吹き飛ばされるのだろうが、怪力が封じられ見目通りに普通の女子程度の力となってしまった澪は呆気なく捕まった。
澪は酔うと怪力を失い、色んな意味で酒乱になる。新しい発見だが、色々な意味で危険極まりない事実である。
そして。
「隙あり、ちゅ!」
「っ?!」
半助の唇でこそないが、唇のすぐ脇に可愛いリップ音を響かせ澪がキスをした。小鳥が啄むような可愛らしい口付けに、半助がピタリと動きを止める。そんな半助をニコニコと笑顔の澪が見上げた。
「奪っちゃたー、半助しゃん、顔、真っ赤だぞ!」
ケラケラ笑う澪。半助は口付けされた所に触れて、まるで彫像のように固まっていた。
「ふわぁ、なんかねむーい。お外くらーい、それでは皆さん、おやしゅみなさい!!」
そんな半助を尻目に、澪はビシッと敬礼するとそのまま半助にもたれかかってスヤスヤ寝てしまった。凄まじいマイペースである。酔っ払いのテンションには勝てないというやつか。半助は澪を抱きとめて、呆然としている。
「ーー酔っ払い程、恐ろしいものはありませんなぁ」
そんな澪を見て、しみじみと呟く日向の声が食堂に静かに木霊するのだった。
