第9話 忍術学園最強の秘書
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澪が教師陣と戦闘訓練を行う。それも、どうやら学園長から明の武器を二つも渡されたので、それを使用するらしい。
学園長の突然の思いつきに、学園が騒然となるのは今に始まった事ではない。突然やってくる嵐のようなもので、またか、みたいな所があるのが忍術学園の忍たま達の考えなのだが、今回は特別過ぎた。
澪。
それは、学園に突然やって来た容姿端麗にして怪力無双の秘書の名である。まるで天女の如き見た目でありながらも、他の追随を許さぬ怪力と武術の腕前を学園で知らぬ者はおらず、一部の忍たまとくのたま達からの人気を誇る学園長の秘書である。
その澪が新たなる武器を手に、実技担当教師達プラス一年は組の土井半助と戦闘訓練をするというニュースは、日頃から学園長の思いつきを知る忍たま達に驚きと興奮でもって、受け入れられていたのだった。
澪はやる気に燃えて、毎日のように天気さえ良ければ利吉と共に訓練に出かけ、それを上級生達を筆頭とした忍たま達が見学していた。
一方、教師達の方はというと訓練相手に指名された実技担当教師達が哀愁を背負っていた。剣術だけのつもりが、教科担当教師のはずなのに普通に戦闘に加わるよう指示された半助も含めである。
伝蔵に至っては、遺書を一行ではあるが書きかけている始末である。
「これより、緊急作戦会議を始める」
職員室もとい、職員用長屋は一年は組の伝蔵と半助の仕事部屋にて。
澪との実技訓練が徐々に迫ったその日、対策を練るためとして伝蔵が、戦闘訓練に出る教師達を集めて会議を開催したいと、声をかけた。
さながら、これから戦にでも向かう戦忍の如く。もっとも、澪を相手にするとあっては、心境的には似たような物だ。例えるなら澪は、戦場で会ったら詰むタイプの敵将なのだから。
「はぁ……ここの所、澪さんとの戦闘訓練を想像しては、暗い気持ちになっていまして。助かります、山田先生」
一年ろ組、実技担当教師の日向墨男が力なく笑った。肥えた頬とまん丸の目に、筋肉質な体型の日向は明るい性格で、雰囲気も同じく明るい。だと言うのに、今はどんよりとしている。まるで相方の一年ろ組の教科担当教師、斜堂影麿のようである。
「澪さんは見た目は見目麗しい女性ですが、凄まじい力量ですからね。お気持ちは分かりますよ、日向先生」
普段からキザな態度を取る事が多い野村であるが、今は眼鏡のブリッジを押える指先が微妙に震えている。
「問題は学園長がどのような条件で、我々を戦わせる腹積もりであるかだ」
木下が難しい顔で腕を組んでいる。日頃から厳つい顔がより一層険しく見えた。
「ひとつ言えるのは、一対一ではなかろうという事だ。澪さん相手に正面から一人ずつは、わたし達が不利過ぎる」
「その通りです、厚着先生。澪くんの怪力は忍者殺しな出鱈目さですしな。今回、澪くんに渡された武器はその重さで敵を叩き伏せるのに特化した代物だ。わたしらは、あの子の攻撃を一度でもくらったら、そこで負けという事になる」
一年い組厚着太逸の言葉に頷きつつ、伝蔵は真剣な顔をしていた。
「確か、三国志の関羽が持っていたという青龍偃月刀のレプリカに、双錘という大陸の武器でしたよね。青龍偃月刀は巨大な薙刀のようで、双錘はさながら巨大な槌。せめて、武器を扱ってる所を見たいですけど……利吉くんが訓練に付きっきりでは、こっそり見るのも難しそうだ」
「何だってこんなタイミングで、利吉が来るのやら。と言うか、利吉まで澪くんのファン倶楽部に入るとはどういうわけだ。けしからん」
半助が利吉の事を言うと、途端に伝蔵が顔を顰めた。自慢の息子が澪相手に、役者に夢中になる娘のような状態になってしまっている事に頭を悩ませているのだろう。半助からすれば、利吉が澪に恋愛的な意味で夢中になった方が困るため都合がいいのだが、それを伝蔵に言えるわけもない。
「ーー動きを止めるしかないでしょうな」
唸るような声で木下が言った。それに半助も同意する。
「ええ、それしかありません。一人が動きを止め、もう一人が倒すのがよいかと。少々、奇を衒う動きになりますが、武器の上に飛び乗るというのも有効かと。澪さんなら、我々の体重分の重みが追加された所で、武器を落としたりはしないはず。どちらの武器にも伝っていける柄がありますし」
「土井先生の手立ては有効だろうが……利吉がその事に気付かないわけがない。絶対に澪くんに助言をしてるぞ。対策してくるに違いない。全く、利吉ときたら余計な事をっ」
半助の言葉を聞いて、伝蔵が渋い顔になっていた。教師一同、ため息しか出てこない。澪に利吉というプロ忍のアドバイザーがついた時点で、教師陣の作戦が何処まで有効かどうか。
その後、半助は実技担当教師達と顔を付き合わせながら、対澪に特化した戦術について真剣な顔で議論を交わしたのだった。
そうして会議が終わる頃には、小腹が空いていた。夕食にはまだ早いが、せめてお茶の一杯くらいは欲しい。そう思い、食堂を覗くと客人の姿があった。
「おお、土井先生じゃないですか!」
「大木先生……?」
食堂に、元忍術学園教師の大木雅之助が居た。食堂のおばちゃんと話をしていたようで、二人で座って今が旬のらっきょうの漬物を食べている。
「杭瀬村から、わざわざらっきょうや他の野菜を沢山届けてくださったのよ。土井先生もよかったら一緒に大木先生のらっきょうの漬物を食べない?」
「いいんですか?小腹が空いていたので嬉しいです」
「今年のらっきょうは良い出来でな。是非食べてくれ!」
食堂のおばちゃんから誘われ、お言葉に甘えると早速、大木から手ずから作ったと思われる皿に乗ったらっきょうの漬物が出された。
「こっちが、甘酢漬け。こっちが塩漬けだ。塩漬けの方は、味噌をつけて食べるといい。美味いぞ」
「本当に出来がいいですね。ツヤツヤしてて美味しそうだ。では甘酢漬けを一ついただきます」
大木の隣に座り、らっきょうをひとつ摘んで食べる。シャキシャキとした歯ごたえに甘酸っぱさが広がり、鷹の爪のピリッとした辛さもあって絶妙な味だった。
「んんっ、美味しい!」
「そうかそうか。塩漬けの方も食べてくれ」
自慢のらっきょうを褒められ、気を良くしたのか。今度は塩漬けも勧められたので、そちらには味噌を付けて食べると、シャキシャキした歯ごたえとらっきょうの風味に、味噌の味がして文句無しに美味しい。目を細め、こちらも美味いと絶賛すると、大木が白い歯を見せて笑っていた。
「そうだ、土井先生。澪さんーーだったか。忍術学園に新しく雇われた学園長の秘書だとか……会った事がないんだが、興味があってな。親しいなら、紹介してくれんか」
「っ、んぐ」
いきなり澪の話を振られ、思わず喉が詰まりそうになるのを、お茶を飲んでどうにか誤魔化す。らっきょうの味をお茶でリセットして気付いたのだが、お茶はほうじ茶だった。澪が食堂のおばちゃんに作り方を教えたらしく、このお茶が食堂で度々出てくるのだ。
「大木先生は、澪ちゃんを一目見たいらしくてね。今日は見るまで帰らない!なんて言ってるのよ」
「前に来た時に名前だけは聞いていたんだがな。そのうち会えればいいと思って、その時は帰ったんだ。だが今日は違うぞ!聞いたが、学園の教師達と対戦をする程に強いんだろう。一体、どんな女子か見ずにはおられんだろう?」
ワクワクした様子を隠しもしない大木。いい歳をして、どこか子どものような所がある大木を見て、食堂のおばちゃんは微笑ましい顔をしているが、半助からすると気軽には笑えない。
「大木先生、確かにわたしは澪さんとは親しいですけど、彼女は今、訓練をしにおそらく裏山辺りへ行っていまして。わたしにもいつ戻って来るか分からないんです」
大木が澪に興味を持つ気持ちは分かるが、はっきり言って面白くない。大木と澪では歳がかなり離れているが、警戒するに越した事はない。なので事実を告げて、さっさと帰るよう言外に勧めてみる。杭瀬村へ日没までに戻るには、そろそろ学園を去った方がいい頃合いだからだ。
そう考えて、まさに半助が発言をした直後の事。
「ーーあら、お客様ですか?」
済んだ綺麗な澪の声がした。何時もなら嬉しいその声が、今は何だってこのタイミングで食堂へ来てしまうのだ!と、焦りを生む。
「まぁ、澪ちゃん!丁度、よかったわ」
丁度よくないもん!半助は心の中でおばちゃんに反論するが、時既に遅し。澪の名前を聞いて大木雅之助が、その視界に天女の如き美少女をおさめた。
大木の眼が、澪を見つけて見開かれるのを半助は見逃さない。そう、澪はハッとする程の美少女なのだ。仮に澪がちょっと可愛い女子でも魅力的なのに、実際は凄い美少女なんてどうなっているのかと、澪のせいじゃないのに言いたくなる半助である。
完全なる惚気だった。
「……土井先生、この方は?」
大木を見て、半助に紹介を促す澪の綺麗な瞳をじっと見つめていたいと、現実逃避しそうになるのを堪える。
「この人は大木雅之助さん。元忍術学園の教師で、今は杭瀬村でらっきょう作りをされている。大木先生、こちらが澪さん。忍術学園で学園長先生の秘書をしています」
本当は無茶苦茶嫌だが、それを顔に出すわけにもいかない。大木に頼まれていた事も手伝って、紹介をさくっと済ませる。
「初めまして、澪と申します。えっと、わたしもよろしければ大木先生、とお呼びしても?」
「大木雅之助だ。もう教師は辞めているが、学園だと先生と呼ぶ者も多いし、それで構わんさ。わしも澪さん……と、呼ばせてもらうぞ」
澪が話しかけると、大木はゆっくりと頷いて受け答えしている。だが、その目は澪に釘付けである。頭の先から足の先まで、観察するように見ていた。
「お前さんは、随分と細っこいが……本当に強いのか?何でも、教師陣と公開で戦闘訓練をすると聞いたが」
「自分で言うのもあれですが、まぁ、それなりに強いので大丈夫ですよ。お気遣いいただき、ありがとうございます」
澪の見た目を前に大木の感想は、ごく普通の意見であった。可憐な容姿を前にすれば、誰だって澪が怪力無双の忍者殺しな娘だとは思いもしないだろう。
「では。わたしは、お茶を用意しに来ただけですので……」
澪が綺麗にお辞儀をして去ろうとする。半助は、名残惜しい物を感じつつもホッとした。恙無く挨拶が終わって何よりだ、と。
なのに。
「待て。そこまで言うなら、わしと勝負しよう」
「……はい?」
勝負、と聞いて澪が目をパチクリさせている。驚いたのは澪だけではない。半助と食堂のおばちゃんも、何を言い出すのかと大木を思わず凝視した。
「何も殴り合いをしようと言うんじゃない。お前さんは、随分と力持ちなんだろう?だからな、コレだ!」
ドン!と大木が肘を机の上に着いた。
「腕相撲ですか?」
「そうだ。腕相撲でわしに勝てたら、お前さんの怪力が事実だと分かるだろう」
フフン、と得意気に笑う大木。澪は余り興味がなさそうだ。
「下手したら机が壊れますので、遠慮しておきます」
「む、それはつまり敵前逃亡か?」
「……はぁ、分かりました。受けて立ちますが、机を壊した場合、弁償費用は負けた者持ちでお願いしますね。あと、これきりでお願いします」
おそらくは訓練から帰ってきたところ、お茶を飲んで自室で休憩するつもりだったのだろう。少しだけ顔を顰める澪からは、面倒そうな様子が見て取れた。多分、それが分かったのはこの場で半助だけだろう。澪をよく観察しているせいか、最近、彼女の気持ちが伺い知れるようになってきた。
「もう、大木先生たら」
「おばちゃん、わたし達は隣のテーブルに行きましょうか」
大木はこうと言い出したら聞かない所がある。それを知っている食堂のおばちゃんは、困った子どもを見るような顔をしていた。半助はらっきょうとお茶を持って、とりあえずは隣のテーブルに避難する。
澪が大木の向かいに座り、腕まくりすると大木の手を掴んだ。華奢な少女の手と無骨な男の手が重なる。がっちりと握られたそれを見れば、勝負の前から決着が着いていそうだと、誰もが思うだろう。
「土井先生、審判を頼む!」
「はいはい、分かりました。大木先生……お気をつけて」
無知とは怖い物だ、無謀に繋がるから。大木を見て素直にそう思う半助である。
自分だったら、澪に腕相撲なんて絶対に挑まない。
「二人とも、いいですか。では、始め!」
突如として始まった澪と大木との腕相撲。ここにきり丸がいたら、観客を呼び込むから試合は待てと言っていただろう。
「ふんっ……!」
大木が腕に血管が浮くほどに力を込めて、澪を倒しにかかるが勿論、澪の腕はピクリともしない。
「ぐぬぬぬ、うぉおおお!!ど、どこんじょー!!」
「……わたし、腕相撲で力加減するの苦手なんですよね」
大木が顔を真っ赤にして力を入れているが、澪の手はピクリとも動かない。暑苦しい声を上げる大木と、向かい合う澪の顔は涼し気だ。
「はい、お終い」
にこ、と澪が笑顔になった次の瞬間。
バァン!という音がして机が割れた。そして大木が割れた机の上に倒れて、呻き声を上げる。腕相撲で机が割れるという珍現象を前に、半助は乾いた笑いを零し、おばちゃんは目を見開いて固まった。
「すみません、やっぱり割れてしまいました」
「いいのよ。予備の机が確かあったはずだし、大木先生に弁償してもらうから」
倒れた大木をそのままに、澪が謝るとおばちゃんがくすくす笑って許していた。
「ぐ、ぐぉお……」
「大木先生、大丈夫ですか?」
呻き声を発している大木に、半助が恐る恐る声をかける。まぁ、これに懲りて二度と澪に腕相撲を仕掛けたりはしないだろう。
すると、ガバリ!と大木が起き上がった。
「ーー気に入った!杭瀬村に来て一緒に農業せんか?」
「結構です。忍術学園での仕事が気に入ってますので」
「そう言わず、農業はいいぞ。土に触れ、天候と戦い、どこんじょーで美味い野菜を育てるんだ」
「そういうのは、奥様となさってください」
「わしは独り身だ……」
澪を杭瀬村に誘った大木が断られた挙句、独身である事を告白してしまい地味に落ち込んでいた。止める間もないやり取りに、呆気に取られつつも半助は澪と大木の間に入って、遮るように立った。
「大木先生、勝負はついたんですし、もういいでしょう。澪さんは、早くお茶の用意をしてゆっくりしてくるといい」
「分かりました土井先生。えっと、すみません大木先生……その、独り身だとは知らず。母上と同い年くらいだし、忍者を辞めて農業をされているなら、てっきり妻も子もいるのかと」
「ぐはっ……!」
落ち込んでいる所へ更なる攻撃が放たれ、大木が益々落ち込んだ。まぁ、でも澪の言う事はおかしくはない。忍びをしていたら歳が上でも独身というのは珍しくないが、忍術学園を辞めて帰農したのだから、てっきり嫁を貰ったと思ったのだろう。
実は、結婚して忍者を辞めたのではなく、同じく忍術学園の教師である野村雄三とライバルで、野村がネギやらっきょうが嫌いだから、大木はそれを作る農家になったーーなんて、普通は思わない。
半助も大木の事を詳しく聞いた時は、ずっこけそうになったものだ。しかも、大木は野村と顔を会わせる度に喧嘩をして、忍者を辞めたのに互いに戦う事もあるというから、益々呆れるというか何と言うか。
それよりも。
「澪さんのお母上って……幾つなんだい?」
「三十三歳です」
「ぐはっ、同い歳ぃぃ!!」
どうしよう、澪より澪の母との方が自分と歳が近い。その可能性がないとは考えなかったが、半助は事実に地味に落ち込んだ。大木はどんぴしゃ、澪の母親と同い年だと言われてショック過ぎたのか、顔を覆って身体を震わせていた。
「本当にすみません、えっと大丈夫ですか?」
大木が泣いているとでも思ったのか、澪がその背中をよしよし撫でた。澪の母親と同年というのもあってか、まるで父親と娘に見えてくるから不思議である。
そう思うと、最初に大木へ抱いていた警戒は嘘のように萎んでいく。
「澪さん、悪いと思うなら姉とか従姉妹とか居ないのか。その娘達が未だ独身なら、わしに紹介してくれ」
「すみません、母上以外の身内を知らなくて。その母上も再婚相手と明に行きました」
「くっ……!世知辛いっ!!わしだって、二十代の頃は未だ出会いがあったんだ。モテモテだったんだ」
「あー、分かります。三十過ぎると年齢で色々弾かれて、お見合い話とか一気に来なくなるんですよね。母上がそんな事言ってました」
「うわぁーん!!」
とうとう大木が泣き出した。澪が無自覚に色々と心の傷を抉ったらしい。
「泣かなくてもいいじゃないですか。よしよし」
「ううっ。なら、お前さんがわしに嫁いでくれたりは……」
「無いですね」
「わしも無いとは思ってたけど、はっきり言われると傷つくな」
大木から問題発言が飛び出したが、冗談だと分かるやり取りのため、嫉妬の気持ちも湧かない。澪と大木の相性は悪くはないようだ。
「よし、当日の戦闘訓練はわしも見学に来るぞっ。野村雄三が澪さんにこてんぱんにやられるのを見に来る事にする」
「わたしは構いませんが、学園長の許可は……?」
「そんな物は要らん。わしは顔パスだ!」
大木は落ち込んでいたのに、一転、ノリノリだ。おそらくは、野村雄三が澪にやられる姿でも想像したのだろう。
「そうですか。では、大木先生に恥ずかしい所は見せられませんね」
「いや、それはわたしの台詞だからね澪さん」
大勢が観戦する前で、無様過ぎる負けを晒せないのは澪よりも教師達の方だ。六年生は澪に完敗していたが、忍たまだと思えばさしたる恥でもないが、教師は違う。
プロ忍としての意地がある。だからこそ、頭が痛いのだ。澪相手では、プロ忍と言えども油断はできないというか、真面目にしてもやられる可能性が高いのだから。
一撃でもくらったら気絶必須の澪の攻撃は恐ろしいの一言に尽きる。
その後、澪が今度こそお茶を用意して食堂を退室すると、壊れた机を後始末しながら大木がしみじみと呟いた。
「惜しいのぅ。わしがせめて二十代なら、本気で狙ったのに」
ーー半助は、大木が三十過ぎていて良かったと心から思った。
+++++
びっくりした。
大木雅之助と初対面でまさかの腕相撲をした澪の感想は、その一言に尽きた。訓練から戻って早々に、学園の教師陣と食堂で腕相撲するなんて誰が想像できようか。
というか、元教師とはいえ顔パス出入り自由とはこれ如何に。厳しいのか緩いのか、よく分からない忍術学園の出入り基準である。澪の見立てでは、懐に入るのを許した人に関しては、かなーり緩いと見た。
新しい武器の訓練を終えた澪は、利吉と学園へ帰還してから食堂へ寄り、ついでに大木と腕相撲をした後、お茶を用意し自室に戻った。澪の部屋がある領域は、くのたま達を守る場所でもある。そこがしこに罠が仕掛けられた砦だ。教わった罠の一つ一つを掻い潜り、自室へ辿りつくとようやく、ホッとする。
教師陣との公開戦闘訓練まで、残すところ三日となっていた。そのため、澪は仕事を減らして只管利吉と一緒に裏山や裏裏山まで出かけて訓練している。今まで素手での戦闘を主としていた澪は、武器という手段を手に入れた事で大喜びで武術の腕を上げていた。戦場に立つわけでもないのに、最早、武将のようである。
そのせいで、せっかく半助に渡す着物が完成したのに渡せていない。澪としては、もしもの直しがあった時のために、戦闘訓練を終えてから渡すつもりであった。
ちなみに、利吉から依頼された巾着はあともう少しで出来上がる。最後に刺繍を入れて完成なのだが、何やかんや父親を慕う利吉のために伝蔵に刺した物とは違う手裏剣の刺繍を施している所だ。
今日も訓練を終えた所で、空いた時間は起業の案を紙に書いたり、具体的な方法について思案している。
紙に書いた内容にはシナからアドバイスを受けた商売のネタがあったりした。
ずばり、女性の下着及び生理用品販売である。
こちらにはないため、必要に駆られて作っていた澪の必需品を見たシナが、売ったら売っただけ売れると太鼓判を押してくれたのだ。
何ちゃって戦国に現代日本にも通用するような、女性用下着なんてものはない。精々、後に湯文字と呼ばれるようになる腰巻や、生理の時だけ使う褌のような物ーー後にお馬と呼ばれる物があるくらいだ。それだって、基本的に庶民では縁がない事もある。
よって、ショーツなんて代物は皆無なのである。
生理用品にしたって、身分の高い女性なら布を使い捨てられるが、庶民はそうもいかない。ボロきれやくず紙かあればいい方で、ススキの穂等の柔らかい植物を使っている例だってある。
澪もそうなのだが、体幹がよければ普通に厠である程度経血を出す事ができるので、前世現代日本でほどよりは、生理そのものへの苦労は少ない。
だが、それでも始まって数日は血の量も多いから苦労もする。そんなわけで、タンポンやナプキン的なものを、材料費がかかるとはいえ頑張って作っていたら、日頃から使っている何ちゃってなショーツとあわせて、シナに見られて根掘り葉掘り聞かれた、というわけだ。
小さい頃はノーパンだった事もあるが、自分で作れるようになった時から、手作りの紐パンはかかさない。スースーするのが心許なくて無理だからだ。
シナの本当の年齢は分からないが、おそらくは今はまだ生理のないくのたま達を思っての発言だろうと察せられた。
他に下着に関しては、レースの半衿をつけた襦袢が受けた。さり気ないオシャレは、女心をくすぐる物があったのだろう。
女性の下着と生理用品なんて、そんなに競合相手もいない。澪はその案をまずはネタとして書き留めた。
そろそろネタを書いた紙が溜まってきたので、穴を開けて紐綴じがいるレベルだ。そうなった時に、感想を聞くため半助やシナ、そして伝蔵にも冊子程度に膨れた案を見てもらうつもりであった。
とはいえ、一度は市場調査に出た方がいいかもしれない……と思う。目指すは京の都である。なんやかんや、あそこには人や物が集まる。出来れば、史実では東洋のベニスとまで言われた堺の方も見てみたいが、何時になるやら。
起業なんて、忍者のする事ではないと思うかもしれないが、実は忍者というのは色んな顔を持つ。何かに変装する者の中には、商人も含まれるのだ。それに、雇われ人より雇う経営側に回れるというのは、後々強味になる。
まさか、こんな事をするとは思いもしなかったが、気がつけば何処か楽しんでいる自分がいる。多分、試したい気持ちがあるのだーー何処まで出来るか。何がやれるか。この何ちゃって戦国で、何の因果か現代日本人としての前世の記憶を持って生まれてしまった自分が、この世で何を為せるのか。
それは野心というには欲はなく、だが、夢というには生々しい不思議な感情であった。
そうして考えに耽っていると、部屋の外に人の気配を感じた。
「澪さん、今、いいかしら?」
「ええ、どうぞ。シナ先生」
柔らかい声音ーー老女姿のシナだ。了承すると、優しそうな老女が綺麗な所作で障子戸を開けて入室してくる。
「ごめんなさいね、忙しい時に……」
「いえいえ、大した事はしていませんので」
「でも、その紙の束は例の件の事でしょう。余り無理は禁物よ。のんびりやればいいわ」
「ふふ、アイデアを書くのはわたしが楽しいからしているんですよ」
思ったままの事を言うと、あらまぁ、とシナが微笑む。
「それで、ご用は何でしょうか?」
「用という程の事ではないのよ。ただ、くのたまの子達にそろそろ、女の身体の事を教えてもいい頃かと思って」
「それは、月の物の事で?」
「ええ、そうよ。普通は母親や姉から教わるのだけれどね。家庭事に差があったり、中には教われるような身内がいない子もいる可能性を考慮しないと。早い子だと十二、三で始まる場合もあるから」
大体、月経は十四、五歳くらいで始まる。澪も始まったのは十四歳の終わり頃だった。そろそろ来るかと、何ちゃって生理用品を作り貯めしていたので、事なきを得たのを覚えている。
「万が一、学園にいる時に始まったら、いきなり身体から血が出てびっくりする子もいると思って。ついでに、男女の身体の違いと子ができる仕組みも教えておこうかと」
「なるほど、保健の授業をするというわけですね」
「その通りよ。教本は図書室にあるし、知ってる子もいるとは思うけど、念の為ね。澪さんには、その授業で補佐をしてほしくて。それで日程の確認をしに来たの。黒板にわたしの話す事を書いてくれると助かるのだけど……」
黒板に字を書きながら生徒に教えるというスキルは、教師なら持っていて当たり前だが、これを分担できるとかなり楽だ。澪は勿論だと頷いた。
「あと、澪さん……教わった下着なんだけど、わたしも自作して最近つけてるの。最初は違和感があったんだかけれど、今は具合がいいわぁ」
うふふ、と笑ってシナが教えてくれた。
「だからね、くのたまの授業で生理用品とあわせて作り方を講義してもらってもいいかしら?」
「ーーいいですよ、くのたま達のためですから。それに、自作の下着は可愛くするのに限界がありますし、生理用品も個人が作るには少し高くつきますからね」
シナがニコニコと笑う。その顔を見て、狙いに気付いた。
「ええ、そうよ。手間だし個人ができる事には限度があるの。誰かさんがくのたま達に月のものが来るまでに、可愛い下着や生理用品を売るような商売を始めてくれないかしら」
「ーー心得ておきましょう」
「まぁ、頼もしいわ。澪さん」
急ぐ必要はないが、女性用下着と生理用品の販売店の立ち上げは重要課題だな……と頷いた。
やはり、シナに相談して正解だ。この案は半助や伝蔵からは絶対に出てこない商売の種である。
「それと、明日にお茶会をしようと思うんだけれど参加できたりするかしら。難しければ、先生方との戦闘訓練が終わってからにするけれど。明日、天気が良さそうだから裏山でピクニックついでに、どうかと思って」
「明日は午前に訓練予定なので、午後からなら空いてますよ」
「まぁ、そしたら明日は利吉くんも招いてお茶会ね。ファン倶楽部の会員ですもの」
「……成程、そっちのお茶会ですか」
明日するのは、ファン倶楽部のお茶会らしい。利吉が来るなら、ひょっとしたら他の忍たま達もいるのかもしれない。
「澪さんは人気だもの。わたしもファン倶楽部の一員だし」
おほほ、と上品にシナが笑う。朗らかなその声に澪もつられて思わず笑顔を返すのだった。
学園長の突然の思いつきに、学園が騒然となるのは今に始まった事ではない。突然やってくる嵐のようなもので、またか、みたいな所があるのが忍術学園の忍たま達の考えなのだが、今回は特別過ぎた。
澪。
それは、学園に突然やって来た容姿端麗にして怪力無双の秘書の名である。まるで天女の如き見た目でありながらも、他の追随を許さぬ怪力と武術の腕前を学園で知らぬ者はおらず、一部の忍たまとくのたま達からの人気を誇る学園長の秘書である。
その澪が新たなる武器を手に、実技担当教師達プラス一年は組の土井半助と戦闘訓練をするというニュースは、日頃から学園長の思いつきを知る忍たま達に驚きと興奮でもって、受け入れられていたのだった。
澪はやる気に燃えて、毎日のように天気さえ良ければ利吉と共に訓練に出かけ、それを上級生達を筆頭とした忍たま達が見学していた。
一方、教師達の方はというと訓練相手に指名された実技担当教師達が哀愁を背負っていた。剣術だけのつもりが、教科担当教師のはずなのに普通に戦闘に加わるよう指示された半助も含めである。
伝蔵に至っては、遺書を一行ではあるが書きかけている始末である。
「これより、緊急作戦会議を始める」
職員室もとい、職員用長屋は一年は組の伝蔵と半助の仕事部屋にて。
澪との実技訓練が徐々に迫ったその日、対策を練るためとして伝蔵が、戦闘訓練に出る教師達を集めて会議を開催したいと、声をかけた。
さながら、これから戦にでも向かう戦忍の如く。もっとも、澪を相手にするとあっては、心境的には似たような物だ。例えるなら澪は、戦場で会ったら詰むタイプの敵将なのだから。
「はぁ……ここの所、澪さんとの戦闘訓練を想像しては、暗い気持ちになっていまして。助かります、山田先生」
一年ろ組、実技担当教師の日向墨男が力なく笑った。肥えた頬とまん丸の目に、筋肉質な体型の日向は明るい性格で、雰囲気も同じく明るい。だと言うのに、今はどんよりとしている。まるで相方の一年ろ組の教科担当教師、斜堂影麿のようである。
「澪さんは見た目は見目麗しい女性ですが、凄まじい力量ですからね。お気持ちは分かりますよ、日向先生」
普段からキザな態度を取る事が多い野村であるが、今は眼鏡のブリッジを押える指先が微妙に震えている。
「問題は学園長がどのような条件で、我々を戦わせる腹積もりであるかだ」
木下が難しい顔で腕を組んでいる。日頃から厳つい顔がより一層険しく見えた。
「ひとつ言えるのは、一対一ではなかろうという事だ。澪さん相手に正面から一人ずつは、わたし達が不利過ぎる」
「その通りです、厚着先生。澪くんの怪力は忍者殺しな出鱈目さですしな。今回、澪くんに渡された武器はその重さで敵を叩き伏せるのに特化した代物だ。わたしらは、あの子の攻撃を一度でもくらったら、そこで負けという事になる」
一年い組厚着太逸の言葉に頷きつつ、伝蔵は真剣な顔をしていた。
「確か、三国志の関羽が持っていたという青龍偃月刀のレプリカに、双錘という大陸の武器でしたよね。青龍偃月刀は巨大な薙刀のようで、双錘はさながら巨大な槌。せめて、武器を扱ってる所を見たいですけど……利吉くんが訓練に付きっきりでは、こっそり見るのも難しそうだ」
「何だってこんなタイミングで、利吉が来るのやら。と言うか、利吉まで澪くんのファン倶楽部に入るとはどういうわけだ。けしからん」
半助が利吉の事を言うと、途端に伝蔵が顔を顰めた。自慢の息子が澪相手に、役者に夢中になる娘のような状態になってしまっている事に頭を悩ませているのだろう。半助からすれば、利吉が澪に恋愛的な意味で夢中になった方が困るため都合がいいのだが、それを伝蔵に言えるわけもない。
「ーー動きを止めるしかないでしょうな」
唸るような声で木下が言った。それに半助も同意する。
「ええ、それしかありません。一人が動きを止め、もう一人が倒すのがよいかと。少々、奇を衒う動きになりますが、武器の上に飛び乗るというのも有効かと。澪さんなら、我々の体重分の重みが追加された所で、武器を落としたりはしないはず。どちらの武器にも伝っていける柄がありますし」
「土井先生の手立ては有効だろうが……利吉がその事に気付かないわけがない。絶対に澪くんに助言をしてるぞ。対策してくるに違いない。全く、利吉ときたら余計な事をっ」
半助の言葉を聞いて、伝蔵が渋い顔になっていた。教師一同、ため息しか出てこない。澪に利吉というプロ忍のアドバイザーがついた時点で、教師陣の作戦が何処まで有効かどうか。
その後、半助は実技担当教師達と顔を付き合わせながら、対澪に特化した戦術について真剣な顔で議論を交わしたのだった。
そうして会議が終わる頃には、小腹が空いていた。夕食にはまだ早いが、せめてお茶の一杯くらいは欲しい。そう思い、食堂を覗くと客人の姿があった。
「おお、土井先生じゃないですか!」
「大木先生……?」
食堂に、元忍術学園教師の大木雅之助が居た。食堂のおばちゃんと話をしていたようで、二人で座って今が旬のらっきょうの漬物を食べている。
「杭瀬村から、わざわざらっきょうや他の野菜を沢山届けてくださったのよ。土井先生もよかったら一緒に大木先生のらっきょうの漬物を食べない?」
「いいんですか?小腹が空いていたので嬉しいです」
「今年のらっきょうは良い出来でな。是非食べてくれ!」
食堂のおばちゃんから誘われ、お言葉に甘えると早速、大木から手ずから作ったと思われる皿に乗ったらっきょうの漬物が出された。
「こっちが、甘酢漬け。こっちが塩漬けだ。塩漬けの方は、味噌をつけて食べるといい。美味いぞ」
「本当に出来がいいですね。ツヤツヤしてて美味しそうだ。では甘酢漬けを一ついただきます」
大木の隣に座り、らっきょうをひとつ摘んで食べる。シャキシャキとした歯ごたえに甘酸っぱさが広がり、鷹の爪のピリッとした辛さもあって絶妙な味だった。
「んんっ、美味しい!」
「そうかそうか。塩漬けの方も食べてくれ」
自慢のらっきょうを褒められ、気を良くしたのか。今度は塩漬けも勧められたので、そちらには味噌を付けて食べると、シャキシャキした歯ごたえとらっきょうの風味に、味噌の味がして文句無しに美味しい。目を細め、こちらも美味いと絶賛すると、大木が白い歯を見せて笑っていた。
「そうだ、土井先生。澪さんーーだったか。忍術学園に新しく雇われた学園長の秘書だとか……会った事がないんだが、興味があってな。親しいなら、紹介してくれんか」
「っ、んぐ」
いきなり澪の話を振られ、思わず喉が詰まりそうになるのを、お茶を飲んでどうにか誤魔化す。らっきょうの味をお茶でリセットして気付いたのだが、お茶はほうじ茶だった。澪が食堂のおばちゃんに作り方を教えたらしく、このお茶が食堂で度々出てくるのだ。
「大木先生は、澪ちゃんを一目見たいらしくてね。今日は見るまで帰らない!なんて言ってるのよ」
「前に来た時に名前だけは聞いていたんだがな。そのうち会えればいいと思って、その時は帰ったんだ。だが今日は違うぞ!聞いたが、学園の教師達と対戦をする程に強いんだろう。一体、どんな女子か見ずにはおられんだろう?」
ワクワクした様子を隠しもしない大木。いい歳をして、どこか子どものような所がある大木を見て、食堂のおばちゃんは微笑ましい顔をしているが、半助からすると気軽には笑えない。
「大木先生、確かにわたしは澪さんとは親しいですけど、彼女は今、訓練をしにおそらく裏山辺りへ行っていまして。わたしにもいつ戻って来るか分からないんです」
大木が澪に興味を持つ気持ちは分かるが、はっきり言って面白くない。大木と澪では歳がかなり離れているが、警戒するに越した事はない。なので事実を告げて、さっさと帰るよう言外に勧めてみる。杭瀬村へ日没までに戻るには、そろそろ学園を去った方がいい頃合いだからだ。
そう考えて、まさに半助が発言をした直後の事。
「ーーあら、お客様ですか?」
済んだ綺麗な澪の声がした。何時もなら嬉しいその声が、今は何だってこのタイミングで食堂へ来てしまうのだ!と、焦りを生む。
「まぁ、澪ちゃん!丁度、よかったわ」
丁度よくないもん!半助は心の中でおばちゃんに反論するが、時既に遅し。澪の名前を聞いて大木雅之助が、その視界に天女の如き美少女をおさめた。
大木の眼が、澪を見つけて見開かれるのを半助は見逃さない。そう、澪はハッとする程の美少女なのだ。仮に澪がちょっと可愛い女子でも魅力的なのに、実際は凄い美少女なんてどうなっているのかと、澪のせいじゃないのに言いたくなる半助である。
完全なる惚気だった。
「……土井先生、この方は?」
大木を見て、半助に紹介を促す澪の綺麗な瞳をじっと見つめていたいと、現実逃避しそうになるのを堪える。
「この人は大木雅之助さん。元忍術学園の教師で、今は杭瀬村でらっきょう作りをされている。大木先生、こちらが澪さん。忍術学園で学園長先生の秘書をしています」
本当は無茶苦茶嫌だが、それを顔に出すわけにもいかない。大木に頼まれていた事も手伝って、紹介をさくっと済ませる。
「初めまして、澪と申します。えっと、わたしもよろしければ大木先生、とお呼びしても?」
「大木雅之助だ。もう教師は辞めているが、学園だと先生と呼ぶ者も多いし、それで構わんさ。わしも澪さん……と、呼ばせてもらうぞ」
澪が話しかけると、大木はゆっくりと頷いて受け答えしている。だが、その目は澪に釘付けである。頭の先から足の先まで、観察するように見ていた。
「お前さんは、随分と細っこいが……本当に強いのか?何でも、教師陣と公開で戦闘訓練をすると聞いたが」
「自分で言うのもあれですが、まぁ、それなりに強いので大丈夫ですよ。お気遣いいただき、ありがとうございます」
澪の見た目を前に大木の感想は、ごく普通の意見であった。可憐な容姿を前にすれば、誰だって澪が怪力無双の忍者殺しな娘だとは思いもしないだろう。
「では。わたしは、お茶を用意しに来ただけですので……」
澪が綺麗にお辞儀をして去ろうとする。半助は、名残惜しい物を感じつつもホッとした。恙無く挨拶が終わって何よりだ、と。
なのに。
「待て。そこまで言うなら、わしと勝負しよう」
「……はい?」
勝負、と聞いて澪が目をパチクリさせている。驚いたのは澪だけではない。半助と食堂のおばちゃんも、何を言い出すのかと大木を思わず凝視した。
「何も殴り合いをしようと言うんじゃない。お前さんは、随分と力持ちなんだろう?だからな、コレだ!」
ドン!と大木が肘を机の上に着いた。
「腕相撲ですか?」
「そうだ。腕相撲でわしに勝てたら、お前さんの怪力が事実だと分かるだろう」
フフン、と得意気に笑う大木。澪は余り興味がなさそうだ。
「下手したら机が壊れますので、遠慮しておきます」
「む、それはつまり敵前逃亡か?」
「……はぁ、分かりました。受けて立ちますが、机を壊した場合、弁償費用は負けた者持ちでお願いしますね。あと、これきりでお願いします」
おそらくは訓練から帰ってきたところ、お茶を飲んで自室で休憩するつもりだったのだろう。少しだけ顔を顰める澪からは、面倒そうな様子が見て取れた。多分、それが分かったのはこの場で半助だけだろう。澪をよく観察しているせいか、最近、彼女の気持ちが伺い知れるようになってきた。
「もう、大木先生たら」
「おばちゃん、わたし達は隣のテーブルに行きましょうか」
大木はこうと言い出したら聞かない所がある。それを知っている食堂のおばちゃんは、困った子どもを見るような顔をしていた。半助はらっきょうとお茶を持って、とりあえずは隣のテーブルに避難する。
澪が大木の向かいに座り、腕まくりすると大木の手を掴んだ。華奢な少女の手と無骨な男の手が重なる。がっちりと握られたそれを見れば、勝負の前から決着が着いていそうだと、誰もが思うだろう。
「土井先生、審判を頼む!」
「はいはい、分かりました。大木先生……お気をつけて」
無知とは怖い物だ、無謀に繋がるから。大木を見て素直にそう思う半助である。
自分だったら、澪に腕相撲なんて絶対に挑まない。
「二人とも、いいですか。では、始め!」
突如として始まった澪と大木との腕相撲。ここにきり丸がいたら、観客を呼び込むから試合は待てと言っていただろう。
「ふんっ……!」
大木が腕に血管が浮くほどに力を込めて、澪を倒しにかかるが勿論、澪の腕はピクリともしない。
「ぐぬぬぬ、うぉおおお!!ど、どこんじょー!!」
「……わたし、腕相撲で力加減するの苦手なんですよね」
大木が顔を真っ赤にして力を入れているが、澪の手はピクリとも動かない。暑苦しい声を上げる大木と、向かい合う澪の顔は涼し気だ。
「はい、お終い」
にこ、と澪が笑顔になった次の瞬間。
バァン!という音がして机が割れた。そして大木が割れた机の上に倒れて、呻き声を上げる。腕相撲で机が割れるという珍現象を前に、半助は乾いた笑いを零し、おばちゃんは目を見開いて固まった。
「すみません、やっぱり割れてしまいました」
「いいのよ。予備の机が確かあったはずだし、大木先生に弁償してもらうから」
倒れた大木をそのままに、澪が謝るとおばちゃんがくすくす笑って許していた。
「ぐ、ぐぉお……」
「大木先生、大丈夫ですか?」
呻き声を発している大木に、半助が恐る恐る声をかける。まぁ、これに懲りて二度と澪に腕相撲を仕掛けたりはしないだろう。
すると、ガバリ!と大木が起き上がった。
「ーー気に入った!杭瀬村に来て一緒に農業せんか?」
「結構です。忍術学園での仕事が気に入ってますので」
「そう言わず、農業はいいぞ。土に触れ、天候と戦い、どこんじょーで美味い野菜を育てるんだ」
「そういうのは、奥様となさってください」
「わしは独り身だ……」
澪を杭瀬村に誘った大木が断られた挙句、独身である事を告白してしまい地味に落ち込んでいた。止める間もないやり取りに、呆気に取られつつも半助は澪と大木の間に入って、遮るように立った。
「大木先生、勝負はついたんですし、もういいでしょう。澪さんは、早くお茶の用意をしてゆっくりしてくるといい」
「分かりました土井先生。えっと、すみません大木先生……その、独り身だとは知らず。母上と同い年くらいだし、忍者を辞めて農業をされているなら、てっきり妻も子もいるのかと」
「ぐはっ……!」
落ち込んでいる所へ更なる攻撃が放たれ、大木が益々落ち込んだ。まぁ、でも澪の言う事はおかしくはない。忍びをしていたら歳が上でも独身というのは珍しくないが、忍術学園を辞めて帰農したのだから、てっきり嫁を貰ったと思ったのだろう。
実は、結婚して忍者を辞めたのではなく、同じく忍術学園の教師である野村雄三とライバルで、野村がネギやらっきょうが嫌いだから、大木はそれを作る農家になったーーなんて、普通は思わない。
半助も大木の事を詳しく聞いた時は、ずっこけそうになったものだ。しかも、大木は野村と顔を会わせる度に喧嘩をして、忍者を辞めたのに互いに戦う事もあるというから、益々呆れるというか何と言うか。
それよりも。
「澪さんのお母上って……幾つなんだい?」
「三十三歳です」
「ぐはっ、同い歳ぃぃ!!」
どうしよう、澪より澪の母との方が自分と歳が近い。その可能性がないとは考えなかったが、半助は事実に地味に落ち込んだ。大木はどんぴしゃ、澪の母親と同い年だと言われてショック過ぎたのか、顔を覆って身体を震わせていた。
「本当にすみません、えっと大丈夫ですか?」
大木が泣いているとでも思ったのか、澪がその背中をよしよし撫でた。澪の母親と同年というのもあってか、まるで父親と娘に見えてくるから不思議である。
そう思うと、最初に大木へ抱いていた警戒は嘘のように萎んでいく。
「澪さん、悪いと思うなら姉とか従姉妹とか居ないのか。その娘達が未だ独身なら、わしに紹介してくれ」
「すみません、母上以外の身内を知らなくて。その母上も再婚相手と明に行きました」
「くっ……!世知辛いっ!!わしだって、二十代の頃は未だ出会いがあったんだ。モテモテだったんだ」
「あー、分かります。三十過ぎると年齢で色々弾かれて、お見合い話とか一気に来なくなるんですよね。母上がそんな事言ってました」
「うわぁーん!!」
とうとう大木が泣き出した。澪が無自覚に色々と心の傷を抉ったらしい。
「泣かなくてもいいじゃないですか。よしよし」
「ううっ。なら、お前さんがわしに嫁いでくれたりは……」
「無いですね」
「わしも無いとは思ってたけど、はっきり言われると傷つくな」
大木から問題発言が飛び出したが、冗談だと分かるやり取りのため、嫉妬の気持ちも湧かない。澪と大木の相性は悪くはないようだ。
「よし、当日の戦闘訓練はわしも見学に来るぞっ。野村雄三が澪さんにこてんぱんにやられるのを見に来る事にする」
「わたしは構いませんが、学園長の許可は……?」
「そんな物は要らん。わしは顔パスだ!」
大木は落ち込んでいたのに、一転、ノリノリだ。おそらくは、野村雄三が澪にやられる姿でも想像したのだろう。
「そうですか。では、大木先生に恥ずかしい所は見せられませんね」
「いや、それはわたしの台詞だからね澪さん」
大勢が観戦する前で、無様過ぎる負けを晒せないのは澪よりも教師達の方だ。六年生は澪に完敗していたが、忍たまだと思えばさしたる恥でもないが、教師は違う。
プロ忍としての意地がある。だからこそ、頭が痛いのだ。澪相手では、プロ忍と言えども油断はできないというか、真面目にしてもやられる可能性が高いのだから。
一撃でもくらったら気絶必須の澪の攻撃は恐ろしいの一言に尽きる。
その後、澪が今度こそお茶を用意して食堂を退室すると、壊れた机を後始末しながら大木がしみじみと呟いた。
「惜しいのぅ。わしがせめて二十代なら、本気で狙ったのに」
ーー半助は、大木が三十過ぎていて良かったと心から思った。
+++++
びっくりした。
大木雅之助と初対面でまさかの腕相撲をした澪の感想は、その一言に尽きた。訓練から戻って早々に、学園の教師陣と食堂で腕相撲するなんて誰が想像できようか。
というか、元教師とはいえ顔パス出入り自由とはこれ如何に。厳しいのか緩いのか、よく分からない忍術学園の出入り基準である。澪の見立てでは、懐に入るのを許した人に関しては、かなーり緩いと見た。
新しい武器の訓練を終えた澪は、利吉と学園へ帰還してから食堂へ寄り、ついでに大木と腕相撲をした後、お茶を用意し自室に戻った。澪の部屋がある領域は、くのたま達を守る場所でもある。そこがしこに罠が仕掛けられた砦だ。教わった罠の一つ一つを掻い潜り、自室へ辿りつくとようやく、ホッとする。
教師陣との公開戦闘訓練まで、残すところ三日となっていた。そのため、澪は仕事を減らして只管利吉と一緒に裏山や裏裏山まで出かけて訓練している。今まで素手での戦闘を主としていた澪は、武器という手段を手に入れた事で大喜びで武術の腕を上げていた。戦場に立つわけでもないのに、最早、武将のようである。
そのせいで、せっかく半助に渡す着物が完成したのに渡せていない。澪としては、もしもの直しがあった時のために、戦闘訓練を終えてから渡すつもりであった。
ちなみに、利吉から依頼された巾着はあともう少しで出来上がる。最後に刺繍を入れて完成なのだが、何やかんや父親を慕う利吉のために伝蔵に刺した物とは違う手裏剣の刺繍を施している所だ。
今日も訓練を終えた所で、空いた時間は起業の案を紙に書いたり、具体的な方法について思案している。
紙に書いた内容にはシナからアドバイスを受けた商売のネタがあったりした。
ずばり、女性の下着及び生理用品販売である。
こちらにはないため、必要に駆られて作っていた澪の必需品を見たシナが、売ったら売っただけ売れると太鼓判を押してくれたのだ。
何ちゃって戦国に現代日本にも通用するような、女性用下着なんてものはない。精々、後に湯文字と呼ばれるようになる腰巻や、生理の時だけ使う褌のような物ーー後にお馬と呼ばれる物があるくらいだ。それだって、基本的に庶民では縁がない事もある。
よって、ショーツなんて代物は皆無なのである。
生理用品にしたって、身分の高い女性なら布を使い捨てられるが、庶民はそうもいかない。ボロきれやくず紙かあればいい方で、ススキの穂等の柔らかい植物を使っている例だってある。
澪もそうなのだが、体幹がよければ普通に厠である程度経血を出す事ができるので、前世現代日本でほどよりは、生理そのものへの苦労は少ない。
だが、それでも始まって数日は血の量も多いから苦労もする。そんなわけで、タンポンやナプキン的なものを、材料費がかかるとはいえ頑張って作っていたら、日頃から使っている何ちゃってなショーツとあわせて、シナに見られて根掘り葉掘り聞かれた、というわけだ。
小さい頃はノーパンだった事もあるが、自分で作れるようになった時から、手作りの紐パンはかかさない。スースーするのが心許なくて無理だからだ。
シナの本当の年齢は分からないが、おそらくは今はまだ生理のないくのたま達を思っての発言だろうと察せられた。
他に下着に関しては、レースの半衿をつけた襦袢が受けた。さり気ないオシャレは、女心をくすぐる物があったのだろう。
女性の下着と生理用品なんて、そんなに競合相手もいない。澪はその案をまずはネタとして書き留めた。
そろそろネタを書いた紙が溜まってきたので、穴を開けて紐綴じがいるレベルだ。そうなった時に、感想を聞くため半助やシナ、そして伝蔵にも冊子程度に膨れた案を見てもらうつもりであった。
とはいえ、一度は市場調査に出た方がいいかもしれない……と思う。目指すは京の都である。なんやかんや、あそこには人や物が集まる。出来れば、史実では東洋のベニスとまで言われた堺の方も見てみたいが、何時になるやら。
起業なんて、忍者のする事ではないと思うかもしれないが、実は忍者というのは色んな顔を持つ。何かに変装する者の中には、商人も含まれるのだ。それに、雇われ人より雇う経営側に回れるというのは、後々強味になる。
まさか、こんな事をするとは思いもしなかったが、気がつけば何処か楽しんでいる自分がいる。多分、試したい気持ちがあるのだーー何処まで出来るか。何がやれるか。この何ちゃって戦国で、何の因果か現代日本人としての前世の記憶を持って生まれてしまった自分が、この世で何を為せるのか。
それは野心というには欲はなく、だが、夢というには生々しい不思議な感情であった。
そうして考えに耽っていると、部屋の外に人の気配を感じた。
「澪さん、今、いいかしら?」
「ええ、どうぞ。シナ先生」
柔らかい声音ーー老女姿のシナだ。了承すると、優しそうな老女が綺麗な所作で障子戸を開けて入室してくる。
「ごめんなさいね、忙しい時に……」
「いえいえ、大した事はしていませんので」
「でも、その紙の束は例の件の事でしょう。余り無理は禁物よ。のんびりやればいいわ」
「ふふ、アイデアを書くのはわたしが楽しいからしているんですよ」
思ったままの事を言うと、あらまぁ、とシナが微笑む。
「それで、ご用は何でしょうか?」
「用という程の事ではないのよ。ただ、くのたまの子達にそろそろ、女の身体の事を教えてもいい頃かと思って」
「それは、月の物の事で?」
「ええ、そうよ。普通は母親や姉から教わるのだけれどね。家庭事に差があったり、中には教われるような身内がいない子もいる可能性を考慮しないと。早い子だと十二、三で始まる場合もあるから」
大体、月経は十四、五歳くらいで始まる。澪も始まったのは十四歳の終わり頃だった。そろそろ来るかと、何ちゃって生理用品を作り貯めしていたので、事なきを得たのを覚えている。
「万が一、学園にいる時に始まったら、いきなり身体から血が出てびっくりする子もいると思って。ついでに、男女の身体の違いと子ができる仕組みも教えておこうかと」
「なるほど、保健の授業をするというわけですね」
「その通りよ。教本は図書室にあるし、知ってる子もいるとは思うけど、念の為ね。澪さんには、その授業で補佐をしてほしくて。それで日程の確認をしに来たの。黒板にわたしの話す事を書いてくれると助かるのだけど……」
黒板に字を書きながら生徒に教えるというスキルは、教師なら持っていて当たり前だが、これを分担できるとかなり楽だ。澪は勿論だと頷いた。
「あと、澪さん……教わった下着なんだけど、わたしも自作して最近つけてるの。最初は違和感があったんだかけれど、今は具合がいいわぁ」
うふふ、と笑ってシナが教えてくれた。
「だからね、くのたまの授業で生理用品とあわせて作り方を講義してもらってもいいかしら?」
「ーーいいですよ、くのたま達のためですから。それに、自作の下着は可愛くするのに限界がありますし、生理用品も個人が作るには少し高くつきますからね」
シナがニコニコと笑う。その顔を見て、狙いに気付いた。
「ええ、そうよ。手間だし個人ができる事には限度があるの。誰かさんがくのたま達に月のものが来るまでに、可愛い下着や生理用品を売るような商売を始めてくれないかしら」
「ーー心得ておきましょう」
「まぁ、頼もしいわ。澪さん」
急ぐ必要はないが、女性用下着と生理用品の販売店の立ち上げは重要課題だな……と頷いた。
やはり、シナに相談して正解だ。この案は半助や伝蔵からは絶対に出てこない商売の種である。
「それと、明日にお茶会をしようと思うんだけれど参加できたりするかしら。難しければ、先生方との戦闘訓練が終わってからにするけれど。明日、天気が良さそうだから裏山でピクニックついでに、どうかと思って」
「明日は午前に訓練予定なので、午後からなら空いてますよ」
「まぁ、そしたら明日は利吉くんも招いてお茶会ね。ファン倶楽部の会員ですもの」
「……成程、そっちのお茶会ですか」
明日するのは、ファン倶楽部のお茶会らしい。利吉が来るなら、ひょっとしたら他の忍たま達もいるのかもしれない。
「澪さんは人気だもの。わたしもファン倶楽部の一員だし」
おほほ、と上品にシナが笑う。朗らかなその声に澪もつられて思わず笑顔を返すのだった。
