第1話 就職先斡旋
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「あなた、半助のお嫁さんかしら?!もー、半助ったら、知らない間にやるじゃない。こんな若くて綺麗な子を捕まえるなんて!!祝言はいつ上げるの。年内かしら来年かしら。子どもは何人欲しいのかしら。きり丸がいるから、沢山いてもお世話焼いてもらえるわよぉ!」
声がでかい上に早口言葉かと思うほどのマシンガントークに、長屋の入口にある長い暖簾を潜ってすぐ、澪はそのまま固まってしまった。
半助の好意に甘え、長屋に世話になる事にした翌朝のこと。生ゴミを処分しようと外に出た瞬間に満面の笑顔を浮かべたおばちゃんが、開口一番に澪に言葉を浴びせたのだ。
ちなみに、半助は朝早くから所用で出かけ、きり丸も農家の手伝いのアルバイトがあるとかで出かけてしまった。そんなわけで、長屋には澪だけが残されていたのだが……。
「ーー半助さんにはお世話になってますが、妻ではありません」
「あらそうなの?前に半助のお嫁さんのフリをしてた男の人より、遥かにマシだったから……てっきり今度こそお嫁さんが来たのかと思ったわ」
「その話すごく気になりますけど、わたしはただの期間限定の居候です。時が来たら出ていきます」
この女性は、おそらく隣の長屋のおばちゃんなのだろう。
おばちゃんは、大変な話好き且つ世話焼きなようだ。
半助が澪の事を大家さんと合わせて話してくれると言っていたのは昨日の事だが、この感じだと説明を受ける前におばちゃんの方は、好奇心から突撃してきた模様だ。
「あ、そうだ。昨日採ってきた山菜やキノコがあるんですけど、よかったら如何です?」
「あら、いいのかしら」
「はい、お近付きの印にどうぞ。ところで、わたし仕事を探してるんですけど、よさそうな仕事のお話を知りませんか?場所に拘りはないので、多少遠くても構いません」
この町では、昨日の猪騒動が噂になっているかもしれないため、場所を広げて聞いてみる。主婦の話は結構大事な情報源だ。
「うーん、あんまり聞かないわねぇ。近くの茶屋の売子の募集は終わってたはずだし。今度、隣町に出かけるからその時に向こうで何かよさげな仕事がないか気にしておくわね」
「ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をしてお礼を言うと、おばちゃんはにこにこと人好きのする笑顔を浮かべた。
「いーのよ。困った時はお互い様だもの。ねぇ、ところで衿が変わってるけど綺麗ね」
おばちゃんが、澪の着物の襟を指さした。そこからは、繊細なレースがのぞいている。現代日本でレースの半衿や重ね衿なんて物は別に珍しくもないのだが、こちらでは違う。
今つけているレースのついた半衿は、澪の自作の品である。着物が汚れるのを防ぐための物故に、汚れを目立たせないよう暗めの糸を使っている。
半衿等に、色んな工夫をしてオシャレをするようになるのは大正から昭和にかけての文化だったりする。
美魔女の母の拘りが強く、その母からの要求で澪は前世知識を活かしたアクセサリーやファッション用品に化粧品作りなんて物から、健康や美容にいい料理メニューの開発等を行っていた。主に消費者は母である。
澪が現在身につけているレースは、母に渡そうと思っていた物で、今朝、荷物から発見したのを捨てるのももったいないため、自作の襦袢に縫い付けた物になる。
澪の生まれ変わったヘンテコな戦国時代は妙なところが現代じみてるくせに、きちんと時代が反映されている部分もある。
澪からすれば、肌着の定番である襦袢が普及していない辺りが地味に苦痛だったりする。まぁ、別になくても目立たない小袖を肌着代わりに着ればいいだけなのだが。
ちなみに、半衿は付け替るため、重ね衿とあわせてオシャレのために刺繍をしたものやら、数種類持っている。
着物は流石に中々買い替えができないため、服装の雰囲気を替える、汚れ防止兼ちょっとした気分転換のアイテムだ。
「それ、どこかで買ったの?」
「あー、南蛮人の服を見た事があって見様見真似で自分で作ったんです。可愛いかなって」
嘘である。
レース作りは前世の頃、趣味の一環だった小物作りや手芸の知識を活かした物である。ちなみに、このレースは南蛮人相手に売って結構いいお金にもなった。道中の路銀稼ぎにレースはいい商売だったりしたのだが、こっちでも売れたりするのだろうか。
ちなみに、母が、自分と同じオシャレをする人間は少ない方がいい!と言うので、細工した半衿等は売ったことはない。
「素敵ねぇ。どうやって作るの。わたしにもできるかしら?うーん……でも、繊細で細かいわね。難しそうだわ」
興味があるのか澪の襟をじーっとみつめる、おばちゃん。
「あのー……実は、わたしこの手の物を自作してまして。売れそうかとか、可愛いかとか、ちょっとご意見が欲しいんですけど」
「まぁ、他にもあるの?」
「旅をしていたので、今は沢山はないです。でも、幾つかの種類を少しずつなら。気に入ったものがあれば、おばさんの分も一つ作ってさしあげられるかと。どうでしょうか、忌憚のない意見を頂けますか」
母以外の女性の意見が欲しい。
可愛いものや綺麗なものが嫌いな女はいない。澪の提案におばちゃんは、喜色満面に頷いた。
「あらぁ、嬉しいわね!わたしなんかで、いいのかしらっ」
「ええ、勿論。これもご縁ですし、この半衿に気付いてくれた、おばさんは特別ですよ」
「もぅ、上手いわね貴女!そうだわ、品物持ってうちに来なさいな。お饅頭があるから、ご馳走してあげる。ついでに昼餉も食べていきなさい。長くなるかもしれないから」
交渉成立である。お互いに自然と握手して仲良く話す。そんなわけで、澪は生ゴミを処分した後、手製の品を持参して、早速、隣のおばちゃんの長屋に上がり込んだ。
それから、おばちゃん相手に澪は半衿や重ね衿をはじめ、自作の所持品を見てもらった。レースで出来た小物類や、自作のアクセサリーは好評で残り少ない化粧品もウケた。
「この軟膏、いい香りがして素敵ね」
「香りを纏うのにも使えて便利なんです。その軟膏。まぁ、材料費が高くついちゃうのが難点なんですけどね。あ、もう残り少ない……」
「まー、香りなら匂い袋の方が安いから効率はよいわね」
「母曰く、男の人が首筋に顔を寄せた時に分かる良い香りが、誘惑するのに程よいんだそうです。匂い袋は香りが強すぎるって言ってました」
「んまぁ!澪ちゃんのお母さんってばやるわね。じゃあ、この残り少ない軟膏は半助にとっておかなくちゃ」
別に半助とは何でもないのに、どうしてそうなるのやら。
多分、おばちゃんの中では澪と半助がくっつくシナリオが進行中なのだろう。こういうのは、いちいち訂正するのも面倒なため放置に限る。
「あら、ヤダもうこんな時間。澪ちゃんと話してると楽しくて、お買い物忘れちゃいそうだったわ」
「お饅頭とお昼、ご馳走様でした。おばさんの希望された組み合わせで半衿、作っておきますね。数日で出来上がると思いますので」
「楽しみだわ。ありがとう、澪ちゃん!」
嬉しそうに笑うおばちゃんは、まるで少女のよだ。幾つになっても女はお洒落好きなのである。
半助達にと土産の饅頭を幾つか分けてもらって隣の長屋に戻った。お昼も食べたので、結構な時間が経過している。今日は昨日の食材の残りを使って夕飯を作る気でいたのだが、追加で何か採ってこようか悩むところだ。
そんなことを考えながら、半助のいる長屋に戻ると、半助も帰宅していたらしく居間で誰かと一緒に囲炉裏を囲んでいた。きり丸はまだらしく、姿がない。
「おかえり、澪さん」
「ただいま、半助さん。隣のおばちゃんの家にお邪魔していました。えっと、そちらは……」
澪に対して背を向けて座っていたのは、女性だった。艶々とした黒髪の綺麗なその人が、くるりと振り向きーー瞬間、澪は固まった。
「はじめまして、伝子と言います」
艶々の髪を持つその人は、振り向けば凄い顔をしていた。まず、かなり化粧が濃い。そして顎がちょっと割れていて、顔のあたりをよく見ると髭の剃り跡のような物が見えた。典型的なおかまのような……否、ひょっとしたら男性ホルモン多めの女性なのかもしれないが。
そうだ、スルーしよう。こういう人が半助の好みかもしれないのだ。隣のおばちゃんが半助の嫁のフリをした男がいたと言っていたし。
戦国時代は男同士の恋愛なんてザラだったわけだし。半助は澪に見蕩れてはいたが、男の方が好きなのかもしれない。
結果、伝子のような人が好きというのもおかしくないのだ。
そういう性癖の問題は繊細なことのため、あえて触れずにスルーするに限る。所詮、澪は限定的な居候なわけだし。
きり丸が半助のことを土井先生と呼ぼうが、その意味を聞かないのと同じだ。澪のことは警戒心を解くため話しても、相手のことを聞かないのは居候である以上の礼儀のような物である。
そんなわけで、伝子という色々とキャパシティオーバーな見た目をした女(?)の人を前に、澪は冷静に振舞った。
「半助さんのお知り合いの方ですか。どうもはじめまして澪と申します。お話のお邪魔でしたら、外に出ておりますが……」
「あら、いいのよ。それよりも一緒にお喋りしましょ。女同士なんだから」
女(?)同士という伝子に対し、澪は引き攣りそうになる顔面を抑えるのに必死だ。
正直、関わりたくない。
今からでも適当な用事を言って出て行こうか迷うところだが、半助が手招きしていることもあって、一先ず居間に上がることにする。
「お茶、未だだったんですね。よければ、わたしお淹れします」
見ると茶碗の一つも出ていない。今朝の時点で茶葉がかなり減っていた気がするので、澪の手持ちのオリジナルブレンドの薬草茶で代用すれば何とかなるだろう。節約のため、旅の間に持ち歩いていたものだが思わぬところで役に立にそうだ。
とはいえ、その薬草茶も残りが心許なかったりするのだが。
「あら、悪いわねぇ。お願いできるかしら」
「よろしくお願いするよ、澪さん。茶葉がなかったら白湯でいいから」
「茶葉が足りないなら、わたしが調合した野草のお茶でよければお出ししますよ。伝子さんも半助さんも、枇杷の葉やら入ったお茶なんですけど……飲めますか?」
美容にいいので、澪の母が好んで飲んでいた枇杷の葉入のお茶のレシピは母直伝である。己の美貌を維持するため、澪の母は薬草の知識や美容関連の知識が凄かった。
澪は男を落とすテクニックとあわせ、母からその教育を受け、お茶のみならず料理メニューの開発等にも活かされているというわけである。薬学の知識はそこまでだが、こと美容や健康に関してなら、それなりの自信はある。
「あら、美容に良さそうね!わたし、それがいいわ。是非お願いするわ」
枇杷の葉、と聞いてパァっと表情が明るくなる伝子。正直言って、ちょっと気持ち悪いと思わなくもないが、見慣れるまでの時間の問題だろう。
「それじゃあ、荷物を片付けたら準備しますので少しお待ちを……」
「荷物?そういえば、隣のおばちゃんとは何の話をしてたんだい」
「わたしの作った小物を見てもらっていただけです」
半助がまじまじと風呂敷に包んだ小物を見てくる。一先ず部屋の隅にでもしまっておこうとすると、素早い動きで伝子が近付いてきて、あっという間に風呂敷ごと取られた。
「そういう事なら、わたしも見たいわぁ」
キラキラした目で風呂敷を見つめる伝子相手に、澪は固まりそうになるものの、半助の知り合いの手前、断りにくいため仕方なく頷いた。
「分かりました。つまらない物かもしれませんが、どうぞご覧下さい。わたし、お茶の準備をしてきますので」
伝子は色々と年齢不詳な感じはするが、澪の方が若いのは間違いないだろう。歳上に対する礼儀として、丁寧な接し方をしておく。
伝子に荷物を預けて澪は、さっさとお茶を用意する。と言っても、囲炉裏で沸かすためにヤカンにお水をいれ、食器や火入れの道具と一緒に持っていくだけだ。
「お待たせしました。囲炉裏に火をいれますね。隣のおばさんからお饅頭をおすそ分けしてもらったので、そちらもお出しします。わたしはいただいて来ましたので」
お饅頭のおすそ分けは全部で三つ。
澪がまた帰宅してから食べようと、思っていたりしたのだが食い意地はそこまではっていないので、ここは伝子に譲ることにする。
「あら、わたしはお茶で十分よ」
「美味しいお饅頭でしたので、いただき物ですけど是非食べてください。半助さんのお客人ですから」
にこりと笑っておく。
饅頭を載せる皿もばっちり持ってきているため、半助と伝子の前に饅頭を乗せて並べた。残る一つはきり丸の分のため、もともと饅頭が入っていた包み紙に戻しておく。
「気が利くわね。いいお嫁さんになるわぁ」
「何から何まで。ありがとう、澪さん」
「どういたしまして」
二人は澪を感心した様子でみていた。別にこのくらいなら普通のことだ。十歳にも満たない子どもならともかく、十五ともなれば嫁いでいるような歳なわけで。
まぁ、十五にしては前世の知識やら、こちらの世界で色々な教育を受けてきたせいで、スキルが多い気もするが。
「ところで、早速、これを開けてみていいかしら!澪ちゃんが来てから見たくて」
澪ちゃん、と伝子に呼ばれて鳥肌が立つ心地がしたが、実際は立たなかったのでホッとする。
「どうぞ。つまらない物ですが」
「じゃあ、失礼して……」
ーー結論として、伝子が風呂敷を解いてから、澪はえらい目にあった。
レースで出来た小物達を筆頭に彼女の感性にヒットしたらしい。矢継ぎ早に質問された挙句、どんな物が作れるのか?他にどんな知識があるのか等、尋問のように聞かれた。どぎつい顔がくっついてしまいそうな勢いで間近に迫り、唾すら飛んできそうな有様で、見かねた半助が伝子の肩を掴んで引き剥がす程だった。
「はしたない真似をしちゃって、ごめんなさいねぇ。でも、澪ちゃんの作った物が本当に素敵だったもんだから、わたし興奮しちゃって」
ようやく落ち着いたらしい伝子が、饅頭を上品に口にしながらお茶を飲んでいた。
「ごめんね、澪さん。山田……伝子さんは、おしゃれが好きだから、はは」
「いえ、大丈夫です。それだけ評価してもらえたと思えば」
「わたし、買うわ。澪ちゃん」
お茶を美味しそうに飲みながら、伝子が何やら決意を固めたように告げた。半助も澪も、買うという言葉に顔を見合わせる。
「とりあえず、わたしに見せてくれた小物類なんだけど、材料費と手間賃も払うから幾つか作ってくださらない?色なんかは指定させてもらうけど、どうかしら」
「えっ……と、嬉しいです。でもいいんですか、わたしのなんかで」
「なんかじゃないわよ!これは芸術よ!作ったら作った分だけきっと売れるわよ。でもまずは、少しずつ広めることね」
大絶賛してもらい、嬉しい限りである。実は少ない軍資金から布団を買ったこともあり、澪の懐具合はかなり寂しい。
「とりあえず半衿と重ね襟、髪飾りを一つずつに、この香りのいい軟膏も一つ頂戴。お代はそうねぇ……ごにょごにょ」
「えっ、そんなに?!」
内緒話でもするように伝子に耳打ちされた金額は、現代日本の価値に換算して大体四万円くらいあった。
思っていたより高い金額に目を瞬く。
「当たり前でしょうが。むしろ安いくらいよ。売り方次第では同じ品を最低でも一貫くらいは楽に巻き上げられると思うわよ」
「一貫……伝子さん。澪さんの品はそんなに凄いんですか?」
「そりゃそうよ。大店に並べばさらに高くなっても、おかしくないわよ。これから次第の部分もあるけどね。まぁ、気長にやりなさいな。簡単には真似できないだろうから、焦らずにね。どういうふうに活かすかは澪ちゃん次第でしょうね」
伝子の評価に、半助も驚いた様子だ。一貫は千文、現代の価値で置き換えるとおよそ十二万円程度になる。
南蛮人相手にいいお金になったものは、日本人相手でも有効らしい。とはいえ、怖いのはこの時代、特許なんてないことである。つまり、もし編み方を解析されるとレースの価値なんて、あっという間に下がるということだ。
おしゃれが広まるのはいいが、メリットもデメリットもある。まぁ、手持ちの技術は今は温存一択だろう。
当面は伝子のような人のリクエストに沿ったオーダーメイドになりそうである。
将来は前世知識を活かした商売でウッハウハ!みたいな、転生系主人公あるある儲け話は、遠そうだ。
ーー澪がそう思った時である。
「銭の話ならぼくも混ぜて下さい!一貫っ、一貫っ、大儲けぇー!あひゃあひゃあひゃ!」
音がしそうな勢いで、玄関から颯の如くきり丸が現れた。
どうやら、アルバイトが終わって帰ってきたもようである。草履を高速で脱いで、澪に抱きついて来た。
せっかく、整った顔立ちをしているのに俗物的な笑顔が子どもの物とは思えぬ程にいやらしい。しかも、ちょっとだが涎を垂らしている。
「お金儲けの話ならぼくに任せてくださいっ!澪さんのマネージャーになりますぅ!!このきり丸をよろしく!忍術学園への紹介もしましたし、お礼も兼ねてぼくに分け前を是非ともっ。あっひゃひゃ!」
「っ……離れんか、この大馬鹿者がぁー!」
澪に抱きつき、すりすりと胸元に顔を寄せていたきり丸を、野太い声を発し伝子が強めの拳骨を落とした。まるで漫画のようである。きり丸は大きなたんこぶを作り、そのまま床に額をぶつけた。
「痛いっ……!何するんですか、山田先生!!」
「下品な顔で年頃の娘さんに抱きつくな馬鹿タレ!あと、忍術学園の事はまだ秘密だ阿呆!!」
引き続き野太い声できり丸をしかる伝子。姓は山田というらしい。きり丸が先生、と呼んでる事や顔見知りそうな事からして半助と同じ職場の人なのだろうか。分からない。
「あの、忍術学園ってなんです?忍術って忍者の技のことですよね?」
「あちゃー」、と言いながら顔を覆う半助を視界の端に捉えつつ、流石にスルーは難しくて疑問を口にする澪だった。
声がでかい上に早口言葉かと思うほどのマシンガントークに、長屋の入口にある長い暖簾を潜ってすぐ、澪はそのまま固まってしまった。
半助の好意に甘え、長屋に世話になる事にした翌朝のこと。生ゴミを処分しようと外に出た瞬間に満面の笑顔を浮かべたおばちゃんが、開口一番に澪に言葉を浴びせたのだ。
ちなみに、半助は朝早くから所用で出かけ、きり丸も農家の手伝いのアルバイトがあるとかで出かけてしまった。そんなわけで、長屋には澪だけが残されていたのだが……。
「ーー半助さんにはお世話になってますが、妻ではありません」
「あらそうなの?前に半助のお嫁さんのフリをしてた男の人より、遥かにマシだったから……てっきり今度こそお嫁さんが来たのかと思ったわ」
「その話すごく気になりますけど、わたしはただの期間限定の居候です。時が来たら出ていきます」
この女性は、おそらく隣の長屋のおばちゃんなのだろう。
おばちゃんは、大変な話好き且つ世話焼きなようだ。
半助が澪の事を大家さんと合わせて話してくれると言っていたのは昨日の事だが、この感じだと説明を受ける前におばちゃんの方は、好奇心から突撃してきた模様だ。
「あ、そうだ。昨日採ってきた山菜やキノコがあるんですけど、よかったら如何です?」
「あら、いいのかしら」
「はい、お近付きの印にどうぞ。ところで、わたし仕事を探してるんですけど、よさそうな仕事のお話を知りませんか?場所に拘りはないので、多少遠くても構いません」
この町では、昨日の猪騒動が噂になっているかもしれないため、場所を広げて聞いてみる。主婦の話は結構大事な情報源だ。
「うーん、あんまり聞かないわねぇ。近くの茶屋の売子の募集は終わってたはずだし。今度、隣町に出かけるからその時に向こうで何かよさげな仕事がないか気にしておくわね」
「ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をしてお礼を言うと、おばちゃんはにこにこと人好きのする笑顔を浮かべた。
「いーのよ。困った時はお互い様だもの。ねぇ、ところで衿が変わってるけど綺麗ね」
おばちゃんが、澪の着物の襟を指さした。そこからは、繊細なレースがのぞいている。現代日本でレースの半衿や重ね衿なんて物は別に珍しくもないのだが、こちらでは違う。
今つけているレースのついた半衿は、澪の自作の品である。着物が汚れるのを防ぐための物故に、汚れを目立たせないよう暗めの糸を使っている。
半衿等に、色んな工夫をしてオシャレをするようになるのは大正から昭和にかけての文化だったりする。
美魔女の母の拘りが強く、その母からの要求で澪は前世知識を活かしたアクセサリーやファッション用品に化粧品作りなんて物から、健康や美容にいい料理メニューの開発等を行っていた。主に消費者は母である。
澪が現在身につけているレースは、母に渡そうと思っていた物で、今朝、荷物から発見したのを捨てるのももったいないため、自作の襦袢に縫い付けた物になる。
澪の生まれ変わったヘンテコな戦国時代は妙なところが現代じみてるくせに、きちんと時代が反映されている部分もある。
澪からすれば、肌着の定番である襦袢が普及していない辺りが地味に苦痛だったりする。まぁ、別になくても目立たない小袖を肌着代わりに着ればいいだけなのだが。
ちなみに、半衿は付け替るため、重ね衿とあわせてオシャレのために刺繍をしたものやら、数種類持っている。
着物は流石に中々買い替えができないため、服装の雰囲気を替える、汚れ防止兼ちょっとした気分転換のアイテムだ。
「それ、どこかで買ったの?」
「あー、南蛮人の服を見た事があって見様見真似で自分で作ったんです。可愛いかなって」
嘘である。
レース作りは前世の頃、趣味の一環だった小物作りや手芸の知識を活かした物である。ちなみに、このレースは南蛮人相手に売って結構いいお金にもなった。道中の路銀稼ぎにレースはいい商売だったりしたのだが、こっちでも売れたりするのだろうか。
ちなみに、母が、自分と同じオシャレをする人間は少ない方がいい!と言うので、細工した半衿等は売ったことはない。
「素敵ねぇ。どうやって作るの。わたしにもできるかしら?うーん……でも、繊細で細かいわね。難しそうだわ」
興味があるのか澪の襟をじーっとみつめる、おばちゃん。
「あのー……実は、わたしこの手の物を自作してまして。売れそうかとか、可愛いかとか、ちょっとご意見が欲しいんですけど」
「まぁ、他にもあるの?」
「旅をしていたので、今は沢山はないです。でも、幾つかの種類を少しずつなら。気に入ったものがあれば、おばさんの分も一つ作ってさしあげられるかと。どうでしょうか、忌憚のない意見を頂けますか」
母以外の女性の意見が欲しい。
可愛いものや綺麗なものが嫌いな女はいない。澪の提案におばちゃんは、喜色満面に頷いた。
「あらぁ、嬉しいわね!わたしなんかで、いいのかしらっ」
「ええ、勿論。これもご縁ですし、この半衿に気付いてくれた、おばさんは特別ですよ」
「もぅ、上手いわね貴女!そうだわ、品物持ってうちに来なさいな。お饅頭があるから、ご馳走してあげる。ついでに昼餉も食べていきなさい。長くなるかもしれないから」
交渉成立である。お互いに自然と握手して仲良く話す。そんなわけで、澪は生ゴミを処分した後、手製の品を持参して、早速、隣のおばちゃんの長屋に上がり込んだ。
それから、おばちゃん相手に澪は半衿や重ね衿をはじめ、自作の所持品を見てもらった。レースで出来た小物類や、自作のアクセサリーは好評で残り少ない化粧品もウケた。
「この軟膏、いい香りがして素敵ね」
「香りを纏うのにも使えて便利なんです。その軟膏。まぁ、材料費が高くついちゃうのが難点なんですけどね。あ、もう残り少ない……」
「まー、香りなら匂い袋の方が安いから効率はよいわね」
「母曰く、男の人が首筋に顔を寄せた時に分かる良い香りが、誘惑するのに程よいんだそうです。匂い袋は香りが強すぎるって言ってました」
「んまぁ!澪ちゃんのお母さんってばやるわね。じゃあ、この残り少ない軟膏は半助にとっておかなくちゃ」
別に半助とは何でもないのに、どうしてそうなるのやら。
多分、おばちゃんの中では澪と半助がくっつくシナリオが進行中なのだろう。こういうのは、いちいち訂正するのも面倒なため放置に限る。
「あら、ヤダもうこんな時間。澪ちゃんと話してると楽しくて、お買い物忘れちゃいそうだったわ」
「お饅頭とお昼、ご馳走様でした。おばさんの希望された組み合わせで半衿、作っておきますね。数日で出来上がると思いますので」
「楽しみだわ。ありがとう、澪ちゃん!」
嬉しそうに笑うおばちゃんは、まるで少女のよだ。幾つになっても女はお洒落好きなのである。
半助達にと土産の饅頭を幾つか分けてもらって隣の長屋に戻った。お昼も食べたので、結構な時間が経過している。今日は昨日の食材の残りを使って夕飯を作る気でいたのだが、追加で何か採ってこようか悩むところだ。
そんなことを考えながら、半助のいる長屋に戻ると、半助も帰宅していたらしく居間で誰かと一緒に囲炉裏を囲んでいた。きり丸はまだらしく、姿がない。
「おかえり、澪さん」
「ただいま、半助さん。隣のおばちゃんの家にお邪魔していました。えっと、そちらは……」
澪に対して背を向けて座っていたのは、女性だった。艶々とした黒髪の綺麗なその人が、くるりと振り向きーー瞬間、澪は固まった。
「はじめまして、伝子と言います」
艶々の髪を持つその人は、振り向けば凄い顔をしていた。まず、かなり化粧が濃い。そして顎がちょっと割れていて、顔のあたりをよく見ると髭の剃り跡のような物が見えた。典型的なおかまのような……否、ひょっとしたら男性ホルモン多めの女性なのかもしれないが。
そうだ、スルーしよう。こういう人が半助の好みかもしれないのだ。隣のおばちゃんが半助の嫁のフリをした男がいたと言っていたし。
戦国時代は男同士の恋愛なんてザラだったわけだし。半助は澪に見蕩れてはいたが、男の方が好きなのかもしれない。
結果、伝子のような人が好きというのもおかしくないのだ。
そういう性癖の問題は繊細なことのため、あえて触れずにスルーするに限る。所詮、澪は限定的な居候なわけだし。
きり丸が半助のことを土井先生と呼ぼうが、その意味を聞かないのと同じだ。澪のことは警戒心を解くため話しても、相手のことを聞かないのは居候である以上の礼儀のような物である。
そんなわけで、伝子という色々とキャパシティオーバーな見た目をした女(?)の人を前に、澪は冷静に振舞った。
「半助さんのお知り合いの方ですか。どうもはじめまして澪と申します。お話のお邪魔でしたら、外に出ておりますが……」
「あら、いいのよ。それよりも一緒にお喋りしましょ。女同士なんだから」
女(?)同士という伝子に対し、澪は引き攣りそうになる顔面を抑えるのに必死だ。
正直、関わりたくない。
今からでも適当な用事を言って出て行こうか迷うところだが、半助が手招きしていることもあって、一先ず居間に上がることにする。
「お茶、未だだったんですね。よければ、わたしお淹れします」
見ると茶碗の一つも出ていない。今朝の時点で茶葉がかなり減っていた気がするので、澪の手持ちのオリジナルブレンドの薬草茶で代用すれば何とかなるだろう。節約のため、旅の間に持ち歩いていたものだが思わぬところで役に立にそうだ。
とはいえ、その薬草茶も残りが心許なかったりするのだが。
「あら、悪いわねぇ。お願いできるかしら」
「よろしくお願いするよ、澪さん。茶葉がなかったら白湯でいいから」
「茶葉が足りないなら、わたしが調合した野草のお茶でよければお出ししますよ。伝子さんも半助さんも、枇杷の葉やら入ったお茶なんですけど……飲めますか?」
美容にいいので、澪の母が好んで飲んでいた枇杷の葉入のお茶のレシピは母直伝である。己の美貌を維持するため、澪の母は薬草の知識や美容関連の知識が凄かった。
澪は男を落とすテクニックとあわせ、母からその教育を受け、お茶のみならず料理メニューの開発等にも活かされているというわけである。薬学の知識はそこまでだが、こと美容や健康に関してなら、それなりの自信はある。
「あら、美容に良さそうね!わたし、それがいいわ。是非お願いするわ」
枇杷の葉、と聞いてパァっと表情が明るくなる伝子。正直言って、ちょっと気持ち悪いと思わなくもないが、見慣れるまでの時間の問題だろう。
「それじゃあ、荷物を片付けたら準備しますので少しお待ちを……」
「荷物?そういえば、隣のおばちゃんとは何の話をしてたんだい」
「わたしの作った小物を見てもらっていただけです」
半助がまじまじと風呂敷に包んだ小物を見てくる。一先ず部屋の隅にでもしまっておこうとすると、素早い動きで伝子が近付いてきて、あっという間に風呂敷ごと取られた。
「そういう事なら、わたしも見たいわぁ」
キラキラした目で風呂敷を見つめる伝子相手に、澪は固まりそうになるものの、半助の知り合いの手前、断りにくいため仕方なく頷いた。
「分かりました。つまらない物かもしれませんが、どうぞご覧下さい。わたし、お茶の準備をしてきますので」
伝子は色々と年齢不詳な感じはするが、澪の方が若いのは間違いないだろう。歳上に対する礼儀として、丁寧な接し方をしておく。
伝子に荷物を預けて澪は、さっさとお茶を用意する。と言っても、囲炉裏で沸かすためにヤカンにお水をいれ、食器や火入れの道具と一緒に持っていくだけだ。
「お待たせしました。囲炉裏に火をいれますね。隣のおばさんからお饅頭をおすそ分けしてもらったので、そちらもお出しします。わたしはいただいて来ましたので」
お饅頭のおすそ分けは全部で三つ。
澪がまた帰宅してから食べようと、思っていたりしたのだが食い意地はそこまではっていないので、ここは伝子に譲ることにする。
「あら、わたしはお茶で十分よ」
「美味しいお饅頭でしたので、いただき物ですけど是非食べてください。半助さんのお客人ですから」
にこりと笑っておく。
饅頭を載せる皿もばっちり持ってきているため、半助と伝子の前に饅頭を乗せて並べた。残る一つはきり丸の分のため、もともと饅頭が入っていた包み紙に戻しておく。
「気が利くわね。いいお嫁さんになるわぁ」
「何から何まで。ありがとう、澪さん」
「どういたしまして」
二人は澪を感心した様子でみていた。別にこのくらいなら普通のことだ。十歳にも満たない子どもならともかく、十五ともなれば嫁いでいるような歳なわけで。
まぁ、十五にしては前世の知識やら、こちらの世界で色々な教育を受けてきたせいで、スキルが多い気もするが。
「ところで、早速、これを開けてみていいかしら!澪ちゃんが来てから見たくて」
澪ちゃん、と伝子に呼ばれて鳥肌が立つ心地がしたが、実際は立たなかったのでホッとする。
「どうぞ。つまらない物ですが」
「じゃあ、失礼して……」
ーー結論として、伝子が風呂敷を解いてから、澪はえらい目にあった。
レースで出来た小物達を筆頭に彼女の感性にヒットしたらしい。矢継ぎ早に質問された挙句、どんな物が作れるのか?他にどんな知識があるのか等、尋問のように聞かれた。どぎつい顔がくっついてしまいそうな勢いで間近に迫り、唾すら飛んできそうな有様で、見かねた半助が伝子の肩を掴んで引き剥がす程だった。
「はしたない真似をしちゃって、ごめんなさいねぇ。でも、澪ちゃんの作った物が本当に素敵だったもんだから、わたし興奮しちゃって」
ようやく落ち着いたらしい伝子が、饅頭を上品に口にしながらお茶を飲んでいた。
「ごめんね、澪さん。山田……伝子さんは、おしゃれが好きだから、はは」
「いえ、大丈夫です。それだけ評価してもらえたと思えば」
「わたし、買うわ。澪ちゃん」
お茶を美味しそうに飲みながら、伝子が何やら決意を固めたように告げた。半助も澪も、買うという言葉に顔を見合わせる。
「とりあえず、わたしに見せてくれた小物類なんだけど、材料費と手間賃も払うから幾つか作ってくださらない?色なんかは指定させてもらうけど、どうかしら」
「えっ……と、嬉しいです。でもいいんですか、わたしのなんかで」
「なんかじゃないわよ!これは芸術よ!作ったら作った分だけきっと売れるわよ。でもまずは、少しずつ広めることね」
大絶賛してもらい、嬉しい限りである。実は少ない軍資金から布団を買ったこともあり、澪の懐具合はかなり寂しい。
「とりあえず半衿と重ね襟、髪飾りを一つずつに、この香りのいい軟膏も一つ頂戴。お代はそうねぇ……ごにょごにょ」
「えっ、そんなに?!」
内緒話でもするように伝子に耳打ちされた金額は、現代日本の価値に換算して大体四万円くらいあった。
思っていたより高い金額に目を瞬く。
「当たり前でしょうが。むしろ安いくらいよ。売り方次第では同じ品を最低でも一貫くらいは楽に巻き上げられると思うわよ」
「一貫……伝子さん。澪さんの品はそんなに凄いんですか?」
「そりゃそうよ。大店に並べばさらに高くなっても、おかしくないわよ。これから次第の部分もあるけどね。まぁ、気長にやりなさいな。簡単には真似できないだろうから、焦らずにね。どういうふうに活かすかは澪ちゃん次第でしょうね」
伝子の評価に、半助も驚いた様子だ。一貫は千文、現代の価値で置き換えるとおよそ十二万円程度になる。
南蛮人相手にいいお金になったものは、日本人相手でも有効らしい。とはいえ、怖いのはこの時代、特許なんてないことである。つまり、もし編み方を解析されるとレースの価値なんて、あっという間に下がるということだ。
おしゃれが広まるのはいいが、メリットもデメリットもある。まぁ、手持ちの技術は今は温存一択だろう。
当面は伝子のような人のリクエストに沿ったオーダーメイドになりそうである。
将来は前世知識を活かした商売でウッハウハ!みたいな、転生系主人公あるある儲け話は、遠そうだ。
ーー澪がそう思った時である。
「銭の話ならぼくも混ぜて下さい!一貫っ、一貫っ、大儲けぇー!あひゃあひゃあひゃ!」
音がしそうな勢いで、玄関から颯の如くきり丸が現れた。
どうやら、アルバイトが終わって帰ってきたもようである。草履を高速で脱いで、澪に抱きついて来た。
せっかく、整った顔立ちをしているのに俗物的な笑顔が子どもの物とは思えぬ程にいやらしい。しかも、ちょっとだが涎を垂らしている。
「お金儲けの話ならぼくに任せてくださいっ!澪さんのマネージャーになりますぅ!!このきり丸をよろしく!忍術学園への紹介もしましたし、お礼も兼ねてぼくに分け前を是非ともっ。あっひゃひゃ!」
「っ……離れんか、この大馬鹿者がぁー!」
澪に抱きつき、すりすりと胸元に顔を寄せていたきり丸を、野太い声を発し伝子が強めの拳骨を落とした。まるで漫画のようである。きり丸は大きなたんこぶを作り、そのまま床に額をぶつけた。
「痛いっ……!何するんですか、山田先生!!」
「下品な顔で年頃の娘さんに抱きつくな馬鹿タレ!あと、忍術学園の事はまだ秘密だ阿呆!!」
引き続き野太い声できり丸をしかる伝子。姓は山田というらしい。きり丸が先生、と呼んでる事や顔見知りそうな事からして半助と同じ職場の人なのだろうか。分からない。
「あの、忍術学園ってなんです?忍術って忍者の技のことですよね?」
「あちゃー」、と言いながら顔を覆う半助を視界の端に捉えつつ、流石にスルーは難しくて疑問を口にする澪だった。