第8話 忍術学園に迫る白き✕✕……
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「失礼します、山田先生、土井先生おられますか?」
夕餉には少し早いが、胃が何となく空腹をうったえる頃。
その日の授業を終え、半助が頭の痛くなるテストの採点をしていると、仕事部屋の外から美しい声がした。己の事を呼ぶ声を聞くと、視力検査のような乱太郎達の点数に覚えていた胃の痛みが和らぐ。
「おお、澪くんか。入りなさい」
部屋で同じように仕事をしていた伝蔵が入室の許可を出すと、すっと障子戸が開いて澪が入ってきた。姿勢が美しく無駄がない。
「よろしければお茶とお菓子をどうぞ」
澪がお盆に乗った菓子と茶を持っていた。見ると、盆の上には急須と湯呑みが四つあり、匙が二つ置いてある。
ひょっとして、例の豆乳プリンとかいう創作の菓子だろうか。食べたい、と言った半助のリクエストに応えて作ってくれたのかもしれない、と思うと思わず顔が綻んでしまう。
「ありがとう、澪さん。それは、ひょっとして豆乳プリン?」
「ええ、そうですよ。食べたい、と言われたので。どうぞ、召し上がってください」
小腹が空いてきたタイミングだったので、正直言って有難い。何より澪の作る料理は美味いのだ。伝蔵も興味津々に菓子を見ている。
自然と一旦休憩の流れになった。
「おお、こりゃあいい。美味い!」
「ですね、山田先生。これはいい」
早速、澪の作った豆乳プリンを一口食べた伝蔵の顔が輝いた。半助も、冷たくもツルリとしまったりとした菓子の味に舌鼓を打つ。澪が作ったとというだけで美味しいのに、実際に美味しいから百点満点中、二百点の味であった。頭と胃が痛くなりそうな、悲しい点数でくらったダメージが癒される。
「はー、夕餉の前だから一つにしたが、まだあるなら二個目を食べているところだな」
「確かに。これは二つ目が欲しくなる」
「すみません、他に作ったのは食堂のおばちゃんや、学園長先生達へ差し入れしちゃいました」
ふふ、と澪が嬉しそうに笑う。綺麗で可愛いな、と何度見ても見飽きない顔をじっと見てしまわないようにする。
澪と普通に砕けた話をするようになり、確実に距離は近付いていると感じる。同時に、告白したい気持ちが強くなる一方で、今の関係が維持できなくなるのではという想いが込み上げて来て、言い出したいのに言い出せない。最初より下手をしたら、まずい状況になっていた。
伝蔵は言わなければ伝わらないと言ったが、半助はそれはそうだと理解していて、伝わればいいのにと願ってしまう。己の想いが、眼差しから、指先から、声から伝播して澪の身体を想いで染めていけばいいのに。
そして、澪の心にゆっくりとでいいから伝わって、半助の事を異性として好いてくれたらーー馬鹿な事である。
「それで、用向きはなんだね?わたし達に菓子を差し入れて感想を聞くだけが目的ではあるまい」
「ーーこちらを、ご覧いただきたく」
食べ終えた後、伝蔵がそう言って訪問理由を促すと澪から紙を丸めた物が差し出された。広げると、文字や図が書かれており何かの説明のようだ。
「よければ口直しのお茶をお注ぎしますね。ほうじ茶と言って、茶葉を炒った物になります。美味しいですよ」
「ああ、ありがとう。澪さん、これは?」
「例の学園長の提案を飲むわたしの条件と、その条件に関する説明やメリット、デメリットを記載した物ですかね」
静かに湯のみに茶を注ぎながら説明する澪。ふわり、と湯のみからお茶の香ばしい匂いがする。ほうじ茶なんて聞いたこともない。だが、間違いなく美味そうな香りに誘われて、一口飲めばその味と香りに次々と飲んでいた。
伝蔵はと言うと資料に目が釘付けだ。夢中で抱えるように読んでいるせいで、半助にはまるで見えない。少しくらい、こっちに見せてくれてもいいのにと思いつつ、今はほうじ茶を堪能しておく。
少しして。
「ーーよく出来ている。合理的だが、よくもこんな仕組みを考えつくもんだ。澪くんの知恵か知識か気になる所だな」
はぁ、とため息をつきつつ伝蔵もようやくほうじ茶を飲んだ。その味に、目を見開く。美味いのだろう。一気飲みして、自分で二杯目を注いでいた。
「読んでみろ、半助」
そして、半助に伝蔵からようやく資料が渡された。それを手に取り目を通す。
「株式会社……?」
その説明はこうだ。
出資金に応じて株式という証書を発行し、それをもとに起業する。なお、出資金を返金する必要はない。
株式の保有数によって、つまりは出資金の分だけ利益に応じた配当を受け取るが、逆に損も被る。株式は譲渡、相続、売買が出来、株の主は株主と言い、会合に出て経営等について話し意見する事が出来、発言権も株の数に応じて持つーー。
それは、澪が株式会社の仕組みを簡単に纏めた資料だった。勿論、史実と同じで株式会社はなんちゃって戦国時代の日ノ本には未だ存在しておらず、半助や伝蔵をして目から鱗の企業形態であった。
「成程、確かにこれなら澪さんが株式を所持すれば、仮に責任者になってその座を降りても配当はあるし、株式の数に応じた権利がある」
「それに、この形態は外部からの資金調達がしやすい。問題は買収される可能性がある事くらいだが、株式の所有者を限られた人間だけにすれば、横槍は入りにくいからやりようはあるな。それに、定款かーー周囲から納得を得る理念や規則を掲げるのも、信用を得やすい」
今まで見たことも聞いたこともない物が手の中にある。何やら心臓がドキドキして、顔が熱くなって来た。途方もない話をされているような気もするし、非常に合理的な話をされているような気持ちもする。
こんな気分はかつて味わった事がない。兵法書に夢中になるように、何度も目を通した。半助が兵法を好むのは、勝つための手段を解く合理性と現実的な理論に惹かれるからだ。無論、純粋に面白いというのもあるが。
手の中に何か得体の知れぬーーだが、確かに胸を熱くする物がある。そう思うと、澪の書いた資料に過ぎないこの紙が黄金のように思えてくるから不思議だ。
それは未知なる物に触れた興奮であり、無自覚ではあるが未来の知恵と知識に触れた喜びが綯い交ぜになった感情であった。伝蔵も同じなのだろうーー何やら興奮を抑えるようにほうじ茶を口にしている。
澪は二人の気持ちはあまり分かっていないようである。まぁ、いい歳をした大人なので子どものようにはしゃいでいないだけに、分かりにくいせいもあるのだが。
半助はもう一度、澪の提案する企業形態を読み、そして自身の持つ兵法の知識を引っ張り出して、とある事をふと思いついた。
「ーーこのやり方が採用されるなら、学園の安全を買うのに使えるかもしれない」
「どういう事だ半助?」
半助の呟きを聞いた伝蔵が真っ先に反応した。
「忍術学園が今の地位を保てているのは、学園長の存在が大きいです。それと、卒業生が即戦力として各城で活躍しているのもあります。ですが、学園長先生はご高齢ですし、今のままずっと学園の地位が保たれるか、正直懸念が残ります。ですが、この株式とやらに基づいた起業を行えば、株式の配当を餌に周囲の城主やあるいは重臣を巻き込む事が可能となります。互いに利害関係で縛られれば、それは下手な同盟よりはうまく機能するかもしれません。とはいえ、これは学園の手を縛る事にも繋がるので、どこでどう上手く使うかが肝ですが」
半助の言葉に、澪は目を瞬き伝蔵は難しい顔で腕を組んだ。
「確かに、戦略として使える一手にはなるな。だが、それだけ他所が一枚噛みたいと思うような魅力的な商売になるかという事もある。金になりそうな商いをすれば真似をする所が出てくるからな。簡単に真似ができない物にするか、他とは違う特色をもたせるか」
「ですね」
戦略に使う一手になることは思いついても、商売人ではないのでどんな物がいいかまでは検討がつかない。
すると、澪が考えるような顔をしながらゆっくりと口を開いた。
「であれば、ブランド戦略とかどうです。例えば何かの商品を売るとして、さる殿様が御用達だと、うたって売るとか。実際にお名前を借りる方には商品を無償か格安で融通したり、いっそ検品をお願いする形を取って家紋のマークでも何でもいいですけど、番号と印をつけて偽物が出来にくくするんです。贋作はお殿様のご威光で駆逐していただくとか。まぁ、手間賃が発生する分、商品の単価は跳ね上がりますけど、それが魅力的な品なら皆欲しがりませんかね?一番は皇室御用達なんですけど……難しいですか?」
皇室御用達という言葉を聞いた半助と伝蔵は、あんぐりと口を開いた。まさか、皇族を担いで商売に利用してやろうと思うなんてと呆気に取られる。恐れ多いやら商魂たくましいやら。
「朝廷は困窮してますし、そこに切り込めたりしませんかね」
確かに平安の頃を思えば、朝廷はかつての栄華を失った。もともとは土地を守っていた武士が台頭したのだから当然である。
禁裏御料ですら横領されている今、貴族であっても、ぼろぼろの屋敷に住んで貧しい暮らしをしている者は多い。だからこそ地方に出向いて書に詩や蹴鞠といった貴族の嗜みを教えて報酬を貰っている、なんて事もままあるのだ。
先の天皇の崩御には、中々葬式も上げられず遺体が酷く腐ったと聞く。おまけに今代の天皇の即位の礼も遅れに遅れ、ようやくやった物の略式だったという。それ程に朝廷は困窮している。だが、全く権威がなくなったわけではない。
「そうは言うが、どうやって渡りをつける気だね。わたし等は忍びだ。貴族からすれば、身分卑しき輩なんだぞ。貧しかろうが、矜恃はあるのだ。金が貰えるからと簡単に協力するかどうか。大体、ツテがない」
「ですよねぇー……」
伝蔵の言葉に澪が、難しい顔をした。その憂いを取り除けたらいいのに……ではない。澪の表情一つで脱線しかける思考を戻した。
「澪さん、この資料その物はわたしとしては悪くないとは思う。ただ、どんな商いを扱うかという事については慎重な判断を要すると思う。立ち上げは焦らずに、腰を据えてじっくりやる事じゃないかな。その上で、何を扱わせるか案を出すといい。おそらく、この条件なら学園長はのむとわたしは見るよ」
「わたしも土井先生と同じ意見だ。斬新だが、合理的でもあるからな。株式だったか……成るなら、一株幾らかは知らんが購入可能そうなら欲しいと思うぞ」
ーーそれは己も思っていたので、伝蔵に先を越された半助は、一瞬だけ伝蔵をずるいと思ってしまった。
「わたしも、そこまで高くないなら投資するよ」
お陰様で二人目の発言だから、自分でも軽いなと思った。アピールのチャンスだったのに、ふいにされて後で文句を伝蔵に言ってやりたい気分である。
だが、それでも澪は嬉しそうに笑ってくれた。
「ふふ、それが本当なら嬉しいです!」
ドキッと、胸が高鳴る。これはあれかもしれないーーただでさえ好きなのを、こんな知恵を出されて更に惚れてしまった。
不敬と思われかねない皇室御用達の事を口にする大胆さも、強かさも全てが素晴らしいとしか思えない。ここまで来ると、痘痕も笑窪状態と言えよう。
否、澪は実際に欠点すら美徳になり得るのだから、何をどう見ても魅力的な女性にしか見えない。恋は盲目にして罪深いのであった。
澪としては、現代日本人ならアイデアが出てきそうな分かりやすい商売の話をしたのだが、半助や伝蔵からすれば未来知識の商業戦略なんて、馴染みのない話だ。
びっくり箱。
澪を一言で表現するならそれである。何が出てくるか分からない、故に興味は尽きないし手元に置いておきたいし、他の人間の手に渡してはならないと思う。きり丸の言葉にあの時従って、学園に紹介して正解であったと強く思う。
まさかこんなに惚れてしまうなんて、予想外だったが。
多分もう、底なし沼から出ていけないのだろう。行く所まで行き着くだけなのかもしれない。
その後、澪は「失礼しました」と、部屋を退出した。その際に、持ってきた茶菓子を食べ終わった食器類等を回収していくのを忘れない。
どうやら、まずは半助と伝蔵に相談した後で学園長に提案をするつもりらしかった。抜かりない根回しである。
「……半助、偉い娘に惚れてしまったな。あんな事、果たしてこの日ノ本で、他の誰が同じような提案ができるというのか」
澪の足音が遠のき、完全に二人になった部屋で伝蔵がニヤリと笑っていた。
「ですかね。ですが、わたしは今のでもっともーっと惚れました……はぁ、どうしたらいいんですかね山田先生」
「何を惚気けた事を。お前さんね、恋に処方箋なんてある訳ないでしょ。さっさと、アタックするしかなかろうよ。玉砕覚悟で」
「玉砕は絶対に嫌ですー!あと、そんなフラれたからって簡単に諦められるわけないでしょっ!好きな男がいるからって言われても、無理っ!結婚して子を設けたら、流石にあれかもですけどっ。多分、おそらく、否、きっと」
「……いや、そこまで行ったらそれは諦めないといかんだろ。色々とまずい」
半助の嘘偽りない言葉に、伝蔵がぶんぶん首を振った。
「分かってますよ、自分でもまずいって。我ながら酷いもんです」
「まさかそんな爽やかそうな外見して、恋愛したら女もびっくりしそうな粘着質とはなぁ。大変だな」
「……否定できないのが、辛いっ!」
伝蔵の顔が引き攣っていた。よもや、半助がこうも変わるとは思わなかったのだろう。
「あー、そしたらあれだ。とりあえず、この件で澪くんをサポートしたらいいんじゃないか。というか、あの娘独りじゃ、無自覚にまたどえらい事をやらかしかねん。監督役がいる。お前さんはあの子の話をよく聞く立場だし、丁度いいから学園長先生にわたしから推薦しておこう」
「っ、ありがとうございます。山田先生!!」
がしっ!と半助は思わず伝蔵の手を握った。先程、半助より先に株式購入を言った件はこれで完全に水に流れたのだった。
+++++
翌朝。
澪は学園長に早速、資料を手渡したらしい。お陰様で朝から学園長先生の機嫌は最高で、あちこちで鼻歌を歌いヘムヘムと上機嫌に笑っている姿が目撃されていた。
その日の昼頃には、半助はやはりと言うか伝蔵と一緒に学園長室へと招かれていた。
上座には学園長とヘムヘムが座っている。枯山水の庭園を臨む学園長室に、澪は居なかった。なんでも、くのたまの授業補佐をしているらしい。
そして、矢張りと言うか澪の齎した件の話となった。
「株式とやらに基づく資金調達も兼ねた、例の澪ちゃんの提案ーーわしは受け入れようと思う。持ち株を最もわしが保有すれば、下手な事にはなるまいし。あの件は今後、わしに何かあった時に学園の地位を護る一助になり得るかもしれんからの。澪ちゃんは、なんの気なく提案してくれたのじゃろうが、よく考えついてくれたと思う……あの娘は早くも我が学園の隠し球じゃな」
ひょっとしたら、澪から昨日の半助の言葉が伝えられたのかもしれない。株式を使って学園の地位を確保する戦略に、あるいは学園長自ら気付いたか。
仔細は不明だが、大事なのは学園長が澪の齎した知恵を重要に思っている事だ。
「わたしもそう思います。あの娘は不思議な子ですが、大したもんです」
「はっは、流石はわしの秘書。美人で優秀なうえ大変強い。じゃからこそ余計に、この条件を飲めば澪ちゃんを、学園から取られるわけにはいかなくなる。後は、言わずとも分かるな?」
ヘムヘムが淹れた茶を飲みながら、学園長がチラリとこちらを見た。半助と伝蔵は軽く頭を下げる。
「監督役は半助を推します。あの子の話の収集役になってもおりますので、抑えになるかと」
「ふむ。よかろう、では土井先生。頼みますぞ……この計画は澪ちゃんの存在が必要不可欠じゃ。手抜かりなく頼むぞ。念のため、山本シナ先生もつけよう。山田先生も分かっているとは思うが、くれぐれも頼む」
「了解しました」
「はっはっは、楽しくなって来たのう!!まだまだ死ねんわ」
学園長が口を大きく開けて笑う。歯が欠けているし、皺も多く背も小さい。老いてはいるが、下手な若い者より気迫と底力がある。頼もしい忍術学園の代表がそこに居た。
「土井先生、ガッツじゃぞ。澪ちゃんを口説き落とすなり何なり気張るんじゃな」
「っ、は、はは……やはりバレてますか」
グッ!と拳を突き出され、まさかの学園長から応援されてしまい半助は苦笑いした。まぁ、まずバレてるだろうと開き直ってはいるが、こうもバレてますと言われると気まずくなる。
「バレバレじゃわい。お主の顔を見たら一発じゃ。ガールフレンドがいっぱいおったわしに、見抜けぬと思うてか」
「あはは……ですね」
「頑張れよ。下手な男にあの子をくれてはやれん。土井先生なら、上上吉よ。ま、これはわしの思惑よ。大事なのは澪ちゃんの気持ちじゃて。土井先生、好いてもらう為にもあの子にとって不可欠な人間になれ。あの子はもう親も近くにおらぬ故な。ま、あの子に懸想してる忍たまもおるじゃろうから、お手並み拝見じゃな。せいぜい、忍たま達が卒業せんうちに、決めてしまうことじゃ。うかうかしておったら、プロ忍になった者等に掻っ攫われるぞい」
攫われる。
穏やかでは無い一言に、半助は思わず反応してしまった。
「それは断固として阻止します!」
「おっほん!」
半助の一言に、横に居た伝蔵が咳払いをして窘める。ハッとするが、もう遅くニヤニヤ笑う学園長の顔がそこにはあった。その隣にちょこんと座る忍犬のヘムヘムまで、何やら生ぬるい笑みを浮かべているようである。
失態に顔に熱が集まる心地がしたが、そこは深呼吸して落ち着けた。修行が足りないと言われるかと思ったがそんな事はなかった。
代わりに「若いのぅ。あの頃の日々を思い出すのぅ」とか何とか学園長は言っていた。一体何年前の話なのかは不明である。
その後、軽く仕事の雑談を混じえた話を終えて伝蔵と二人して部屋を辞した。気がつくと、軽く胃が空腹を訴えており頃合だろうと、伝蔵と二人で食堂に顔をのぞかせる事にした。
そして、その食堂で半助は運良く澪と遭遇した。隣には山本シナも座っており、その向かいには食べ終わったらしい乱太郎ときり丸の姿があった。澪達はこれからのようで、二人の前にはまだ手のつけられていない食事がある。
そこでふと、半助は気付いた。乱太郎ときり丸と一緒によく行動しているしんベヱが居ない。
「土井先生、山田先生、こんにちは」
「やぁ、澪さん。山本シナ先生もーー乱太郎、にきり丸、二人だけか?しんベヱはどうしたんだ?」
澪とシナに挨拶しつつ、半助は疑問を口にした。伝蔵も不思議におもっているのか、乱太郎達を見ている。
「なんか、昼は頑張って抜くらしいですよ。その代わりに後でいっぱいご馳走を食べるんだーって言ってました」
「五年生の尾浜勘右衛門先輩に誘われたんだって言ってました。どこかお店に行くのかな……はぁ、わたしも保健委員の仕事がなかったら、一緒に行きたかった」
「オレも。午後からアルバイト入れるんじゃなかった。ご馳走。オレも食いてー」
二人はそう言って少し拗ねたような顔をしていた。尾浜勘右衛門という思わぬ名前に首を捻りそうになるも、また別の違和感に気付く。
「そう言えば、五年生が一人もおらんな。今日は特に何もないはずだから、食堂に一人くらい居てもおかしくなさそうなのに」
半助の違和感を、同じく気付いたらしい伝蔵が口にした。単なる偶然か何なのか。はっきりしないが、しんベヱが居ない事と何か関係しているのだろうか。
「山田先生、土井先生、ぼく達もう行くんですけど、澪さん達と相席しますか?」
「ーーふむ、そうだな。ではそこに座るか」
ありがとう乱太郎!と、声を出して言うのを堪える。その時、何やら視線を感じたのでチラリと見ると、きり丸が何故か半眼になって半助を見ていた。
口に出してこそいないか、何か思うところがあるのだろうか。思わず目が合う。が、きり丸は数秒目を合わせたら直ぐに逸らしてしまった。
ーー何故か、少し気まずい。何でだ。
「じゃ、オレ達行きますのでごゆっくりー」
「それじゃあ、失礼します」
二人は礼儀正しく軽く頭を下げるた、カウンターに食器を返して行ってしまった。その姿を見送りつつ、カウンターで食事を受け取ってから澪とシナの向かいに腰掛ける。丁度、半助の向かいには澪がいて豆腐の味噌汁を飲んでいた。
澪の味噌汁を飲む姿を見ているだけで、何だか幸せな気持ちが生まれくるから不思議だ。
「失礼します、山本シナ先生、澪さん」
「ええ、どうぞどうぞ」
にこにこと笑う上品な笑顔の老女姿のシナ。くのたまの長屋で同じせいか、二人はよく一緒にいるのを見掛ける。気は合うようで、老女姿だあろうが若い時の姿であろうが、二人は笑いあって話している事が多い。
その距離の意味は己とは全く違うのだろうが、少し羨ましく思う。
「はぁ、美味しい……」
ほぅ、と澪が味噌汁を完食してお椀を置いた。満足そうな顔はどこか色っぽい。ついつい、見てしまいそうになるのを自分も味噌汁を飲んで誤魔化す。確かに美味い、出汁の旨味と味噌の香りに塩気も美味いのだが、豆腐が美味かった。
これは、ひょっとしたら久々知兵助の作かもしれないなーーと、思った。半助が顧問をしている火薬委員会所属の五年生、久々知兵助は真面目で優秀な生徒だが、一方では大変な豆腐好きで自作の豆腐を作っては、食堂でそれが出される事もある。
仕入れている豆腐もあるのだが、何となくいつもの豆腐と少し違う時は兵助の作では?と思うようになった。というのも、拘りが強くて美味しいは美味しいが、兵助の豆腐は味にバラつきがあるのだ。
だから、たまに気付く時がある。今日の豆腐がそれだ。
「えらく美味いな、この豆腐」
「多分、五年生の久々知兵助でしょう。豆腐が好きで自分でも作りますから」
「え、これ兵助くんが作ったんですか。凄い」
伝蔵が感心した風に味噌汁を飲んで呟くものだから、半助が思った事を答えると途端に澪が目を丸くした。
「豆腐が作れるなんて、いい事ね。澪さんもそう思わない?」
おっとりした口調で、シナが澪に問いかけた。
「ですね。そう言えば兵助くんは料理が上手と言っていましたし……楽しみですね。実は少し前にわたしに相応しい料理ができたら、ご馳走してくれるって約束してくれたんですよ」
「ーーなんだって?」
おのれ、次は久々知兵助か。
七松小平太があからさまに邪魔して来ると思っていたら。今度は五年生から恋敵が出てくるのか。半助の箸を握る手についつい力が篭る。
ギリギリ……今のままなら折れそうだ。一旦、箸を置いてお茶を飲む。
その後、澪から兵助の話はこれと言って出なかったが、ノーマークだった久々知兵助がその瞬間に半助の要注意人物リストに載った。因みに筆頭は七松小平太である。
澪に恋焦がれて今日も平常運転の半助は、シナから生ぬるい視線をくらっていることに気づかなかった。
最近の教員のトレンドは、一番の若手教員である半助の恋の行方を甘酸っぱい気持ちで見守る事だったりしたのだが、半助本人はその事を幸か不幸か全く知らなかった。
夕餉には少し早いが、胃が何となく空腹をうったえる頃。
その日の授業を終え、半助が頭の痛くなるテストの採点をしていると、仕事部屋の外から美しい声がした。己の事を呼ぶ声を聞くと、視力検査のような乱太郎達の点数に覚えていた胃の痛みが和らぐ。
「おお、澪くんか。入りなさい」
部屋で同じように仕事をしていた伝蔵が入室の許可を出すと、すっと障子戸が開いて澪が入ってきた。姿勢が美しく無駄がない。
「よろしければお茶とお菓子をどうぞ」
澪がお盆に乗った菓子と茶を持っていた。見ると、盆の上には急須と湯呑みが四つあり、匙が二つ置いてある。
ひょっとして、例の豆乳プリンとかいう創作の菓子だろうか。食べたい、と言った半助のリクエストに応えて作ってくれたのかもしれない、と思うと思わず顔が綻んでしまう。
「ありがとう、澪さん。それは、ひょっとして豆乳プリン?」
「ええ、そうですよ。食べたい、と言われたので。どうぞ、召し上がってください」
小腹が空いてきたタイミングだったので、正直言って有難い。何より澪の作る料理は美味いのだ。伝蔵も興味津々に菓子を見ている。
自然と一旦休憩の流れになった。
「おお、こりゃあいい。美味い!」
「ですね、山田先生。これはいい」
早速、澪の作った豆乳プリンを一口食べた伝蔵の顔が輝いた。半助も、冷たくもツルリとしまったりとした菓子の味に舌鼓を打つ。澪が作ったとというだけで美味しいのに、実際に美味しいから百点満点中、二百点の味であった。頭と胃が痛くなりそうな、悲しい点数でくらったダメージが癒される。
「はー、夕餉の前だから一つにしたが、まだあるなら二個目を食べているところだな」
「確かに。これは二つ目が欲しくなる」
「すみません、他に作ったのは食堂のおばちゃんや、学園長先生達へ差し入れしちゃいました」
ふふ、と澪が嬉しそうに笑う。綺麗で可愛いな、と何度見ても見飽きない顔をじっと見てしまわないようにする。
澪と普通に砕けた話をするようになり、確実に距離は近付いていると感じる。同時に、告白したい気持ちが強くなる一方で、今の関係が維持できなくなるのではという想いが込み上げて来て、言い出したいのに言い出せない。最初より下手をしたら、まずい状況になっていた。
伝蔵は言わなければ伝わらないと言ったが、半助はそれはそうだと理解していて、伝わればいいのにと願ってしまう。己の想いが、眼差しから、指先から、声から伝播して澪の身体を想いで染めていけばいいのに。
そして、澪の心にゆっくりとでいいから伝わって、半助の事を異性として好いてくれたらーー馬鹿な事である。
「それで、用向きはなんだね?わたし達に菓子を差し入れて感想を聞くだけが目的ではあるまい」
「ーーこちらを、ご覧いただきたく」
食べ終えた後、伝蔵がそう言って訪問理由を促すと澪から紙を丸めた物が差し出された。広げると、文字や図が書かれており何かの説明のようだ。
「よければ口直しのお茶をお注ぎしますね。ほうじ茶と言って、茶葉を炒った物になります。美味しいですよ」
「ああ、ありがとう。澪さん、これは?」
「例の学園長の提案を飲むわたしの条件と、その条件に関する説明やメリット、デメリットを記載した物ですかね」
静かに湯のみに茶を注ぎながら説明する澪。ふわり、と湯のみからお茶の香ばしい匂いがする。ほうじ茶なんて聞いたこともない。だが、間違いなく美味そうな香りに誘われて、一口飲めばその味と香りに次々と飲んでいた。
伝蔵はと言うと資料に目が釘付けだ。夢中で抱えるように読んでいるせいで、半助にはまるで見えない。少しくらい、こっちに見せてくれてもいいのにと思いつつ、今はほうじ茶を堪能しておく。
少しして。
「ーーよく出来ている。合理的だが、よくもこんな仕組みを考えつくもんだ。澪くんの知恵か知識か気になる所だな」
はぁ、とため息をつきつつ伝蔵もようやくほうじ茶を飲んだ。その味に、目を見開く。美味いのだろう。一気飲みして、自分で二杯目を注いでいた。
「読んでみろ、半助」
そして、半助に伝蔵からようやく資料が渡された。それを手に取り目を通す。
「株式会社……?」
その説明はこうだ。
出資金に応じて株式という証書を発行し、それをもとに起業する。なお、出資金を返金する必要はない。
株式の保有数によって、つまりは出資金の分だけ利益に応じた配当を受け取るが、逆に損も被る。株式は譲渡、相続、売買が出来、株の主は株主と言い、会合に出て経営等について話し意見する事が出来、発言権も株の数に応じて持つーー。
それは、澪が株式会社の仕組みを簡単に纏めた資料だった。勿論、史実と同じで株式会社はなんちゃって戦国時代の日ノ本には未だ存在しておらず、半助や伝蔵をして目から鱗の企業形態であった。
「成程、確かにこれなら澪さんが株式を所持すれば、仮に責任者になってその座を降りても配当はあるし、株式の数に応じた権利がある」
「それに、この形態は外部からの資金調達がしやすい。問題は買収される可能性がある事くらいだが、株式の所有者を限られた人間だけにすれば、横槍は入りにくいからやりようはあるな。それに、定款かーー周囲から納得を得る理念や規則を掲げるのも、信用を得やすい」
今まで見たことも聞いたこともない物が手の中にある。何やら心臓がドキドキして、顔が熱くなって来た。途方もない話をされているような気もするし、非常に合理的な話をされているような気持ちもする。
こんな気分はかつて味わった事がない。兵法書に夢中になるように、何度も目を通した。半助が兵法を好むのは、勝つための手段を解く合理性と現実的な理論に惹かれるからだ。無論、純粋に面白いというのもあるが。
手の中に何か得体の知れぬーーだが、確かに胸を熱くする物がある。そう思うと、澪の書いた資料に過ぎないこの紙が黄金のように思えてくるから不思議だ。
それは未知なる物に触れた興奮であり、無自覚ではあるが未来の知恵と知識に触れた喜びが綯い交ぜになった感情であった。伝蔵も同じなのだろうーー何やら興奮を抑えるようにほうじ茶を口にしている。
澪は二人の気持ちはあまり分かっていないようである。まぁ、いい歳をした大人なので子どものようにはしゃいでいないだけに、分かりにくいせいもあるのだが。
半助はもう一度、澪の提案する企業形態を読み、そして自身の持つ兵法の知識を引っ張り出して、とある事をふと思いついた。
「ーーこのやり方が採用されるなら、学園の安全を買うのに使えるかもしれない」
「どういう事だ半助?」
半助の呟きを聞いた伝蔵が真っ先に反応した。
「忍術学園が今の地位を保てているのは、学園長の存在が大きいです。それと、卒業生が即戦力として各城で活躍しているのもあります。ですが、学園長先生はご高齢ですし、今のままずっと学園の地位が保たれるか、正直懸念が残ります。ですが、この株式とやらに基づいた起業を行えば、株式の配当を餌に周囲の城主やあるいは重臣を巻き込む事が可能となります。互いに利害関係で縛られれば、それは下手な同盟よりはうまく機能するかもしれません。とはいえ、これは学園の手を縛る事にも繋がるので、どこでどう上手く使うかが肝ですが」
半助の言葉に、澪は目を瞬き伝蔵は難しい顔で腕を組んだ。
「確かに、戦略として使える一手にはなるな。だが、それだけ他所が一枚噛みたいと思うような魅力的な商売になるかという事もある。金になりそうな商いをすれば真似をする所が出てくるからな。簡単に真似ができない物にするか、他とは違う特色をもたせるか」
「ですね」
戦略に使う一手になることは思いついても、商売人ではないのでどんな物がいいかまでは検討がつかない。
すると、澪が考えるような顔をしながらゆっくりと口を開いた。
「であれば、ブランド戦略とかどうです。例えば何かの商品を売るとして、さる殿様が御用達だと、うたって売るとか。実際にお名前を借りる方には商品を無償か格安で融通したり、いっそ検品をお願いする形を取って家紋のマークでも何でもいいですけど、番号と印をつけて偽物が出来にくくするんです。贋作はお殿様のご威光で駆逐していただくとか。まぁ、手間賃が発生する分、商品の単価は跳ね上がりますけど、それが魅力的な品なら皆欲しがりませんかね?一番は皇室御用達なんですけど……難しいですか?」
皇室御用達という言葉を聞いた半助と伝蔵は、あんぐりと口を開いた。まさか、皇族を担いで商売に利用してやろうと思うなんてと呆気に取られる。恐れ多いやら商魂たくましいやら。
「朝廷は困窮してますし、そこに切り込めたりしませんかね」
確かに平安の頃を思えば、朝廷はかつての栄華を失った。もともとは土地を守っていた武士が台頭したのだから当然である。
禁裏御料ですら横領されている今、貴族であっても、ぼろぼろの屋敷に住んで貧しい暮らしをしている者は多い。だからこそ地方に出向いて書に詩や蹴鞠といった貴族の嗜みを教えて報酬を貰っている、なんて事もままあるのだ。
先の天皇の崩御には、中々葬式も上げられず遺体が酷く腐ったと聞く。おまけに今代の天皇の即位の礼も遅れに遅れ、ようやくやった物の略式だったという。それ程に朝廷は困窮している。だが、全く権威がなくなったわけではない。
「そうは言うが、どうやって渡りをつける気だね。わたし等は忍びだ。貴族からすれば、身分卑しき輩なんだぞ。貧しかろうが、矜恃はあるのだ。金が貰えるからと簡単に協力するかどうか。大体、ツテがない」
「ですよねぇー……」
伝蔵の言葉に澪が、難しい顔をした。その憂いを取り除けたらいいのに……ではない。澪の表情一つで脱線しかける思考を戻した。
「澪さん、この資料その物はわたしとしては悪くないとは思う。ただ、どんな商いを扱うかという事については慎重な判断を要すると思う。立ち上げは焦らずに、腰を据えてじっくりやる事じゃないかな。その上で、何を扱わせるか案を出すといい。おそらく、この条件なら学園長はのむとわたしは見るよ」
「わたしも土井先生と同じ意見だ。斬新だが、合理的でもあるからな。株式だったか……成るなら、一株幾らかは知らんが購入可能そうなら欲しいと思うぞ」
ーーそれは己も思っていたので、伝蔵に先を越された半助は、一瞬だけ伝蔵をずるいと思ってしまった。
「わたしも、そこまで高くないなら投資するよ」
お陰様で二人目の発言だから、自分でも軽いなと思った。アピールのチャンスだったのに、ふいにされて後で文句を伝蔵に言ってやりたい気分である。
だが、それでも澪は嬉しそうに笑ってくれた。
「ふふ、それが本当なら嬉しいです!」
ドキッと、胸が高鳴る。これはあれかもしれないーーただでさえ好きなのを、こんな知恵を出されて更に惚れてしまった。
不敬と思われかねない皇室御用達の事を口にする大胆さも、強かさも全てが素晴らしいとしか思えない。ここまで来ると、痘痕も笑窪状態と言えよう。
否、澪は実際に欠点すら美徳になり得るのだから、何をどう見ても魅力的な女性にしか見えない。恋は盲目にして罪深いのであった。
澪としては、現代日本人ならアイデアが出てきそうな分かりやすい商売の話をしたのだが、半助や伝蔵からすれば未来知識の商業戦略なんて、馴染みのない話だ。
びっくり箱。
澪を一言で表現するならそれである。何が出てくるか分からない、故に興味は尽きないし手元に置いておきたいし、他の人間の手に渡してはならないと思う。きり丸の言葉にあの時従って、学園に紹介して正解であったと強く思う。
まさかこんなに惚れてしまうなんて、予想外だったが。
多分もう、底なし沼から出ていけないのだろう。行く所まで行き着くだけなのかもしれない。
その後、澪は「失礼しました」と、部屋を退出した。その際に、持ってきた茶菓子を食べ終わった食器類等を回収していくのを忘れない。
どうやら、まずは半助と伝蔵に相談した後で学園長に提案をするつもりらしかった。抜かりない根回しである。
「……半助、偉い娘に惚れてしまったな。あんな事、果たしてこの日ノ本で、他の誰が同じような提案ができるというのか」
澪の足音が遠のき、完全に二人になった部屋で伝蔵がニヤリと笑っていた。
「ですかね。ですが、わたしは今のでもっともーっと惚れました……はぁ、どうしたらいいんですかね山田先生」
「何を惚気けた事を。お前さんね、恋に処方箋なんてある訳ないでしょ。さっさと、アタックするしかなかろうよ。玉砕覚悟で」
「玉砕は絶対に嫌ですー!あと、そんなフラれたからって簡単に諦められるわけないでしょっ!好きな男がいるからって言われても、無理っ!結婚して子を設けたら、流石にあれかもですけどっ。多分、おそらく、否、きっと」
「……いや、そこまで行ったらそれは諦めないといかんだろ。色々とまずい」
半助の嘘偽りない言葉に、伝蔵がぶんぶん首を振った。
「分かってますよ、自分でもまずいって。我ながら酷いもんです」
「まさかそんな爽やかそうな外見して、恋愛したら女もびっくりしそうな粘着質とはなぁ。大変だな」
「……否定できないのが、辛いっ!」
伝蔵の顔が引き攣っていた。よもや、半助がこうも変わるとは思わなかったのだろう。
「あー、そしたらあれだ。とりあえず、この件で澪くんをサポートしたらいいんじゃないか。というか、あの娘独りじゃ、無自覚にまたどえらい事をやらかしかねん。監督役がいる。お前さんはあの子の話をよく聞く立場だし、丁度いいから学園長先生にわたしから推薦しておこう」
「っ、ありがとうございます。山田先生!!」
がしっ!と半助は思わず伝蔵の手を握った。先程、半助より先に株式購入を言った件はこれで完全に水に流れたのだった。
+++++
翌朝。
澪は学園長に早速、資料を手渡したらしい。お陰様で朝から学園長先生の機嫌は最高で、あちこちで鼻歌を歌いヘムヘムと上機嫌に笑っている姿が目撃されていた。
その日の昼頃には、半助はやはりと言うか伝蔵と一緒に学園長室へと招かれていた。
上座には学園長とヘムヘムが座っている。枯山水の庭園を臨む学園長室に、澪は居なかった。なんでも、くのたまの授業補佐をしているらしい。
そして、矢張りと言うか澪の齎した件の話となった。
「株式とやらに基づく資金調達も兼ねた、例の澪ちゃんの提案ーーわしは受け入れようと思う。持ち株を最もわしが保有すれば、下手な事にはなるまいし。あの件は今後、わしに何かあった時に学園の地位を護る一助になり得るかもしれんからの。澪ちゃんは、なんの気なく提案してくれたのじゃろうが、よく考えついてくれたと思う……あの娘は早くも我が学園の隠し球じゃな」
ひょっとしたら、澪から昨日の半助の言葉が伝えられたのかもしれない。株式を使って学園の地位を確保する戦略に、あるいは学園長自ら気付いたか。
仔細は不明だが、大事なのは学園長が澪の齎した知恵を重要に思っている事だ。
「わたしもそう思います。あの娘は不思議な子ですが、大したもんです」
「はっは、流石はわしの秘書。美人で優秀なうえ大変強い。じゃからこそ余計に、この条件を飲めば澪ちゃんを、学園から取られるわけにはいかなくなる。後は、言わずとも分かるな?」
ヘムヘムが淹れた茶を飲みながら、学園長がチラリとこちらを見た。半助と伝蔵は軽く頭を下げる。
「監督役は半助を推します。あの子の話の収集役になってもおりますので、抑えになるかと」
「ふむ。よかろう、では土井先生。頼みますぞ……この計画は澪ちゃんの存在が必要不可欠じゃ。手抜かりなく頼むぞ。念のため、山本シナ先生もつけよう。山田先生も分かっているとは思うが、くれぐれも頼む」
「了解しました」
「はっはっは、楽しくなって来たのう!!まだまだ死ねんわ」
学園長が口を大きく開けて笑う。歯が欠けているし、皺も多く背も小さい。老いてはいるが、下手な若い者より気迫と底力がある。頼もしい忍術学園の代表がそこに居た。
「土井先生、ガッツじゃぞ。澪ちゃんを口説き落とすなり何なり気張るんじゃな」
「っ、は、はは……やはりバレてますか」
グッ!と拳を突き出され、まさかの学園長から応援されてしまい半助は苦笑いした。まぁ、まずバレてるだろうと開き直ってはいるが、こうもバレてますと言われると気まずくなる。
「バレバレじゃわい。お主の顔を見たら一発じゃ。ガールフレンドがいっぱいおったわしに、見抜けぬと思うてか」
「あはは……ですね」
「頑張れよ。下手な男にあの子をくれてはやれん。土井先生なら、上上吉よ。ま、これはわしの思惑よ。大事なのは澪ちゃんの気持ちじゃて。土井先生、好いてもらう為にもあの子にとって不可欠な人間になれ。あの子はもう親も近くにおらぬ故な。ま、あの子に懸想してる忍たまもおるじゃろうから、お手並み拝見じゃな。せいぜい、忍たま達が卒業せんうちに、決めてしまうことじゃ。うかうかしておったら、プロ忍になった者等に掻っ攫われるぞい」
攫われる。
穏やかでは無い一言に、半助は思わず反応してしまった。
「それは断固として阻止します!」
「おっほん!」
半助の一言に、横に居た伝蔵が咳払いをして窘める。ハッとするが、もう遅くニヤニヤ笑う学園長の顔がそこにはあった。その隣にちょこんと座る忍犬のヘムヘムまで、何やら生ぬるい笑みを浮かべているようである。
失態に顔に熱が集まる心地がしたが、そこは深呼吸して落ち着けた。修行が足りないと言われるかと思ったがそんな事はなかった。
代わりに「若いのぅ。あの頃の日々を思い出すのぅ」とか何とか学園長は言っていた。一体何年前の話なのかは不明である。
その後、軽く仕事の雑談を混じえた話を終えて伝蔵と二人して部屋を辞した。気がつくと、軽く胃が空腹を訴えており頃合だろうと、伝蔵と二人で食堂に顔をのぞかせる事にした。
そして、その食堂で半助は運良く澪と遭遇した。隣には山本シナも座っており、その向かいには食べ終わったらしい乱太郎ときり丸の姿があった。澪達はこれからのようで、二人の前にはまだ手のつけられていない食事がある。
そこでふと、半助は気付いた。乱太郎ときり丸と一緒によく行動しているしんベヱが居ない。
「土井先生、山田先生、こんにちは」
「やぁ、澪さん。山本シナ先生もーー乱太郎、にきり丸、二人だけか?しんベヱはどうしたんだ?」
澪とシナに挨拶しつつ、半助は疑問を口にした。伝蔵も不思議におもっているのか、乱太郎達を見ている。
「なんか、昼は頑張って抜くらしいですよ。その代わりに後でいっぱいご馳走を食べるんだーって言ってました」
「五年生の尾浜勘右衛門先輩に誘われたんだって言ってました。どこかお店に行くのかな……はぁ、わたしも保健委員の仕事がなかったら、一緒に行きたかった」
「オレも。午後からアルバイト入れるんじゃなかった。ご馳走。オレも食いてー」
二人はそう言って少し拗ねたような顔をしていた。尾浜勘右衛門という思わぬ名前に首を捻りそうになるも、また別の違和感に気付く。
「そう言えば、五年生が一人もおらんな。今日は特に何もないはずだから、食堂に一人くらい居てもおかしくなさそうなのに」
半助の違和感を、同じく気付いたらしい伝蔵が口にした。単なる偶然か何なのか。はっきりしないが、しんベヱが居ない事と何か関係しているのだろうか。
「山田先生、土井先生、ぼく達もう行くんですけど、澪さん達と相席しますか?」
「ーーふむ、そうだな。ではそこに座るか」
ありがとう乱太郎!と、声を出して言うのを堪える。その時、何やら視線を感じたのでチラリと見ると、きり丸が何故か半眼になって半助を見ていた。
口に出してこそいないか、何か思うところがあるのだろうか。思わず目が合う。が、きり丸は数秒目を合わせたら直ぐに逸らしてしまった。
ーー何故か、少し気まずい。何でだ。
「じゃ、オレ達行きますのでごゆっくりー」
「それじゃあ、失礼します」
二人は礼儀正しく軽く頭を下げるた、カウンターに食器を返して行ってしまった。その姿を見送りつつ、カウンターで食事を受け取ってから澪とシナの向かいに腰掛ける。丁度、半助の向かいには澪がいて豆腐の味噌汁を飲んでいた。
澪の味噌汁を飲む姿を見ているだけで、何だか幸せな気持ちが生まれくるから不思議だ。
「失礼します、山本シナ先生、澪さん」
「ええ、どうぞどうぞ」
にこにこと笑う上品な笑顔の老女姿のシナ。くのたまの長屋で同じせいか、二人はよく一緒にいるのを見掛ける。気は合うようで、老女姿だあろうが若い時の姿であろうが、二人は笑いあって話している事が多い。
その距離の意味は己とは全く違うのだろうが、少し羨ましく思う。
「はぁ、美味しい……」
ほぅ、と澪が味噌汁を完食してお椀を置いた。満足そうな顔はどこか色っぽい。ついつい、見てしまいそうになるのを自分も味噌汁を飲んで誤魔化す。確かに美味い、出汁の旨味と味噌の香りに塩気も美味いのだが、豆腐が美味かった。
これは、ひょっとしたら久々知兵助の作かもしれないなーーと、思った。半助が顧問をしている火薬委員会所属の五年生、久々知兵助は真面目で優秀な生徒だが、一方では大変な豆腐好きで自作の豆腐を作っては、食堂でそれが出される事もある。
仕入れている豆腐もあるのだが、何となくいつもの豆腐と少し違う時は兵助の作では?と思うようになった。というのも、拘りが強くて美味しいは美味しいが、兵助の豆腐は味にバラつきがあるのだ。
だから、たまに気付く時がある。今日の豆腐がそれだ。
「えらく美味いな、この豆腐」
「多分、五年生の久々知兵助でしょう。豆腐が好きで自分でも作りますから」
「え、これ兵助くんが作ったんですか。凄い」
伝蔵が感心した風に味噌汁を飲んで呟くものだから、半助が思った事を答えると途端に澪が目を丸くした。
「豆腐が作れるなんて、いい事ね。澪さんもそう思わない?」
おっとりした口調で、シナが澪に問いかけた。
「ですね。そう言えば兵助くんは料理が上手と言っていましたし……楽しみですね。実は少し前にわたしに相応しい料理ができたら、ご馳走してくれるって約束してくれたんですよ」
「ーーなんだって?」
おのれ、次は久々知兵助か。
七松小平太があからさまに邪魔して来ると思っていたら。今度は五年生から恋敵が出てくるのか。半助の箸を握る手についつい力が篭る。
ギリギリ……今のままなら折れそうだ。一旦、箸を置いてお茶を飲む。
その後、澪から兵助の話はこれと言って出なかったが、ノーマークだった久々知兵助がその瞬間に半助の要注意人物リストに載った。因みに筆頭は七松小平太である。
澪に恋焦がれて今日も平常運転の半助は、シナから生ぬるい視線をくらっていることに気づかなかった。
最近の教員のトレンドは、一番の若手教員である半助の恋の行方を甘酸っぱい気持ちで見守る事だったりしたのだが、半助本人はその事を幸か不幸か全く知らなかった。
