第1話 就職先斡旋
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「土井先生、澪さんて何者なんですか」
颯爽と出かけて行った澪の背中を見つめていたきり丸が、やや呆然とした様子で呟く。
何者か?半助の教え子であるきり丸の問いかけに答えられるのは、澪本人だけであろう。
澪は不思議な娘である。
まるで物語に出てくる天女のような姿は、いちいち絵になる程に美しいのに、その身体に秘められた力たるや。
天女の姿をした鬼女、と何も知らない者が見たら恐れてもおかしくはない。
腕っ節だけなら、半助は素直に負けを認めざるを得ない。己が押えきれなかった猪を、易々と受止めて投げ飛ばした力量は、並大抵の物ではない。
しかも、彼女が言うには元父親達から様々な技を習得しているのだという。
彼女が男だったなら、その容姿と技量を見込んで何処ででも働けただろうに。何だったらいい家にぜひ婿にと、頭を下げて迎え入れられた事だろう。
話していて思ったのだが、彼女はかなり聡い。もともと、女子は男子より早熟だが、それにしても十五歳とは思えない落ち着きぶりであった。放っておけず連れて来たものの、予想外に逞しい澪を見て案外、己が長屋に連れてこなくても、彼女はどうにかしたかもしれないと思ったり。
「さぁ……身の上話は聞いたけれど。随分と苦労していたらしいが」
「ぼく、あんな格好いい女の人を山本シナ先生以外で初めて見ました」
きり丸の目が何やらキラキラ輝いている。強さや格好よさに素直に憧れる子どもの表情に、半助は苦笑いした。他ならぬ、半助も十も年下の少女の男前な姿に、ドキッとしたせいである。
見た目がすごい美少女なのに、行動が男前過ぎるギャップ故に、ついつい澪に注目してしまう。まだ会って少ししか経っていないのに、赤子を背負ってあやしながら、澪の事を考えている半助であった。
最初、うどん屋で見たその姿に天女が現れたのかと目を見張ったものだ。虫垂衣越しに垣間見えた美しさは、紛れもなく本物だった。
彼女が市女笠を脱いだ瞬間、狭い店内に居た客の全員が息を呑んでいた。
半助の恩人である山田伝蔵の奥方の美しさも、初めて見た時は見蕩れてしまったものだが、澪の美しさもまた、数多の人目を引くものであった。
しかも澪の場合は、年頃の娘の放つ独特の魅力もあった。まさしく、野に咲く一輪の花のような。他の誰かの目に留まる前に、摘み取ってしまいたくなる欲求が込み上げてくる類のものだ。
だと言うのに、当の本人はあっけらかんとしていた。
あれは、まるで花が己の持つ美しさと香りの本質を見抜き、どこまでも達観したような感じだった。所詮、花の美しさも芳しい香りも虫を引き寄せる一時の餌なのだと。
あそこまで美しいのなら、自惚れてもいいのにそれがない。彼女の美貌を前に財産も何もかも投げ出して、守ってくれそうな男なら幾らでもいそうなのに、本人がそんな行為を全く望んでいないのだ。
意識せず見るなという方が難しい、ついつい注目してしまう少女である。
「あんな人が土井先生のお嫁さんになったら、完全に尻に敷かれますね。土井先生ってば、ヘタレそうですもん」
「喧しいわい!」
きり丸の零す感想に、思わず怒鳴る半助。嫁、と聞いて己の心臓が僅かに跳ねた事が気まずくもあり、きり丸に対するいつものツッコミが強くなってしまった半助であった。
ーー澪が、半助ときり丸のいる長屋に帰宅したのは、日が少し傾いてきた頃の事だった。
寝る前の支度は全て日が沈む前にしなくてはならないのが、庶民の掟だ。せめて囲炉裏の火が消えてしまう前に眠る必要があるため、現代日本よりも夕餉を食べる時間は早い。
そんなわけで夕餉の支度をすると宣言していた澪は、彼女が仕留めた成果を持って帰って帰宅した。小川で捕まえてきたらしい魚に、山で取ってきたキノコ類や山菜に山芋、どうやって捕まえたのか兎までいた。
彼女はそれらを危なげない手つきで処理していった。道中、捕まえた獲物を調味料や他の食材と交換したらしく、自宅には塩や米くらいしかなかったのに長屋に香しい色んな食材の香りが漂ってきた。
預かっていた赤子を若い夫婦へ返し、うどんがすっかり消化されて空腹を胃が感じ始める頃合になって、澪の作った料理が並べられた。
きのこと山菜に塩で味付けられた雑炊。兎の肉には山菜を混ぜ込んだ香りの良い味噌が塗られ、それが串に刺され塩をまぶした魚と一緒に焼かれている。囲炉裏の炭で炙り焼きされたおかず達が、香ばしい匂いを放つ。口内に涎が込み上げそうな料理に、きり丸と一緒になって目を見張った。
「うわー、美味しそう!」
「簡単なものでごめんなさいね。でも、イナゴの乾煎りよりは遥かにマシでしょ」
イナゴの乾煎りとは天地の差がある料理である。有難く、程よく肉や魚が焼けた所で料理を口にした。
半助が手に取ったのは兎の肉である。
口の中に入れるとプリっとした柔らかな兎の肉の歯ごたえと、香ばしい味噌の香りに山椒が入っているのか清々しい香りがした。文句なしに美味しい。
魚の方は内蔵の処理がされており、塩加減が完璧だった。雑炊の方も、山の実りを感じられる物で胃が喜んでいるのが分かった。
「凄く美味しいよ。澪さんの元お父上は随分と腕のいい料理人だったんだね」
その料理人に教わった澪の腕前もさることながら、彼女に料理を教えた元父親の腕前は更に上ということは想像にかたくない。
素直に褒めると、澪が照れくさそうに笑った。銭のこと以外は関心を示さないきり丸が、柔らかな彼女の表情に魅入っている。おそらくは、平気そうな顔を装う自分も。
「まぁ、お殿様に専属料理人として仕えてましたから。料理長やってましたね。お殿様のお気に入りでしたよ。九州の人なので、教わった味付けはこちらより甘めですが」
「……忍びの組頭だった元お父上といい、澪さんのお母上は随分と、その」
「できる男を誑し込む才能がピカイチだったんです。しかも飽き性でして。お陰様で沢山の優秀な父親に恵まれました」
歯に衣着せぬ物言いに、思わず苦笑いを返してしまう。澪は気にせぬ様子でお茶を飲んでいた。
「猟師の父親もいたんですよね。澪さん、逆に苦手な事とかあるんですか?何でも出来そうだけど……」
「うーん。異国語……ポルトガル語かなぁ。簡単な単語くらいしか分からなかったわ。流石にポルトガル語は話すのも書くのも色々と無理だった。明は日常会話なら何とかいけたのになぁ」
「えっ、明の国の言葉が分かるんですか。土井先生より凄い」
「どういう意味だ、きり丸」
明の言葉が分かるのは、教養が高い証拠だ。知識人の証ともいえる。余計な一言を言うきり丸を嗜めつつ、びっくり箱のような澪の会話を聞き漏らすまいと続きを聞くべく、耳を澄ます。
「わたし、山陰や九州の方にいたんですよ。だから九州にいた頃は、住んでた町から近い港によく南蛮の船や明の船が結構来てまして。南蛮や明の人と会って話す機会に恵まれたんです。あそこは、こっちより切支丹の宣教師達も多かったし。聖書のお話も聞きましたよ。信者になろうとは思いませんでしたけど。あちらの国の教えとやらを学ぶいい機会になりました」
「貴重な体験をしたんですね。こっちじゃ、ぼくの友達の父親が堺で貿易商やってる関係で、カステーラさんって南蛮人を知ってるくらいで」
南蛮人や明人等、庶民が早々出会えるものではない。きり丸は澪の話が面白いのか、わくわくしている様子だ。
「カステーラ……美味しそうな名前ね、うん」
澪は何かがツボにハマったのか、クスクスと笑っている。
「澪さんくらい綺麗だと、明や南蛮の人からも口説かれそうですよね」
「わたしは大丈夫だったけど、母上は口説かれてたなぁ。実際、娘のわたしを置いて明に行ったし。マジでないわぁ」
「はぁ……澪さんのお母さんかぁ。美人なんでしょうね」
「美人は美人よ。本人は絶世の美女って言ってたわね。男を切らさない手腕は娘のわたしも脱帽するわ」
澪の母親がどんな人物かはさておいて、くのいちも驚く男を落とす技を持っているのは確実だろう。澪は自身の母について辛口だが、半助からすれば美しい娘に再婚相手から手を出させることなく守ってきた母親の手腕に感心するばかりだ。
澪が元父親の話をする時には影がない。彼女は、元父親達に対して何の嫌悪も抱いていないのは明らかだ。それだけ、母親がうまく立ち回ってきた証である。
この戦国乱世において、伴侶をなくして再婚する話はあるにはあるが、義理の娘に再婚相手の男が手を出すというのも、ありふれた話なのだから。
「ーー美味しかったです、澪さん。後はぼく達が片付けときますね」
気がつけば、夕餉は完食されていた。囲炉裏の串焼きもなくなり、鍋の中の雑炊も空だ。作ってもらったのだから、今度は自分達で片付けるべきだろう。
「わたしは、きり丸と一緒に鍋や食器を洗っておくから澪さんは寝支度をしておくといいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えます」
澪が行儀よく一礼する。立ち姿や所作は洗練されており、いい所のお嬢様か姫君にすら見える。
きり丸と二人して、中庭の井戸から汲んで来た水を使い食器等の後始末をする。もくもくと作業をしていると、きり丸が内緒話でもするように耳打ちしてきた。
「土井先生、澪さんなんですけど……仕事先に忍術学園を紹介するのってどうですか。学園長先生に話したら、面白がって雇ってくれませんかね。澪さんてば、何でも出来そうだし。その上、見た目から分かんないけど怪力なんでしょ。澪さんが来たら、ぼくは面白そうって思うんですけど」
「は?」
思わぬ話に半助のタワシを持つ手が止まった。鍋の汚れを落とす作業が中断してしまう。
「面白そうって、お前なぁ」
「それに、今日話して思ったぼくの予想なんすけど、澪さん……多分、どこ行っても駄目ですよ。あれじゃ長続きしない。あの人は、普通の場所じゃ駄目です。ぼく、そういうの分かるんです」
きり丸は戦で親をなくし、アルバイトで学費を稼ぎながら忍術学園に在籍している苦労人だ。それ故に、澪に何か思う事があるのだろう。実は半助も、きり丸から話を振られて内心は同意していた……澪は、多分、普通の場所では浮いてしまう、と。
見た目が美しいから、なんてせいではない。怪力だって本人が隠し通せば大丈夫だ。だが、歳の割に優秀過ぎるのだ。一人で生きていける力はあっても、過分な力量は良くも悪くも目立ってしまう。
出る杭は打たれるように、周りにやっかみを受けて結果的に排斥される、というのは十分に有り得る。
明国の言葉が日常会話とはいえ分かること、様々な技術を会得していそうなこと。明国の言葉が分かるのだからこの国の読み書きは勿論できるだろうし、所作も問題ない。夕餉の獲物を仕留めてきたことといい、彼女の奇特な話は嘘ではなさそうだし、何よりあの怪力である。学園で過ごす実力は申し分なさそうだ。
……放置した結果、澪が流れに流れて、この辺りのどこかの城に仕えるなんて事になった場合、ややこしい事になりそうな予感がした。
「ーー澪さんの件は、まずは山田先生に相談してみる。言っておくが、わたしの場合は面白そうだから等とお前と同じ巫山戯た理由じゃないからな」
「分かってますって!」
にぱっ、と嬉しそうに笑うきり丸。
「これでうまいこといったら、ぼくから土井先生に提案したってことで、澪さんにお礼としてアルバイトいっぱい手伝ってもらおーっと。あっひゃひゃ!!」
「お前という奴は、それしかないのか!」
きり丸らしいと言えばらしい台詞に、思わず激しいツッコミを入れてしまう半助であった。
颯爽と出かけて行った澪の背中を見つめていたきり丸が、やや呆然とした様子で呟く。
何者か?半助の教え子であるきり丸の問いかけに答えられるのは、澪本人だけであろう。
澪は不思議な娘である。
まるで物語に出てくる天女のような姿は、いちいち絵になる程に美しいのに、その身体に秘められた力たるや。
天女の姿をした鬼女、と何も知らない者が見たら恐れてもおかしくはない。
腕っ節だけなら、半助は素直に負けを認めざるを得ない。己が押えきれなかった猪を、易々と受止めて投げ飛ばした力量は、並大抵の物ではない。
しかも、彼女が言うには元父親達から様々な技を習得しているのだという。
彼女が男だったなら、その容姿と技量を見込んで何処ででも働けただろうに。何だったらいい家にぜひ婿にと、頭を下げて迎え入れられた事だろう。
話していて思ったのだが、彼女はかなり聡い。もともと、女子は男子より早熟だが、それにしても十五歳とは思えない落ち着きぶりであった。放っておけず連れて来たものの、予想外に逞しい澪を見て案外、己が長屋に連れてこなくても、彼女はどうにかしたかもしれないと思ったり。
「さぁ……身の上話は聞いたけれど。随分と苦労していたらしいが」
「ぼく、あんな格好いい女の人を山本シナ先生以外で初めて見ました」
きり丸の目が何やらキラキラ輝いている。強さや格好よさに素直に憧れる子どもの表情に、半助は苦笑いした。他ならぬ、半助も十も年下の少女の男前な姿に、ドキッとしたせいである。
見た目がすごい美少女なのに、行動が男前過ぎるギャップ故に、ついつい澪に注目してしまう。まだ会って少ししか経っていないのに、赤子を背負ってあやしながら、澪の事を考えている半助であった。
最初、うどん屋で見たその姿に天女が現れたのかと目を見張ったものだ。虫垂衣越しに垣間見えた美しさは、紛れもなく本物だった。
彼女が市女笠を脱いだ瞬間、狭い店内に居た客の全員が息を呑んでいた。
半助の恩人である山田伝蔵の奥方の美しさも、初めて見た時は見蕩れてしまったものだが、澪の美しさもまた、数多の人目を引くものであった。
しかも澪の場合は、年頃の娘の放つ独特の魅力もあった。まさしく、野に咲く一輪の花のような。他の誰かの目に留まる前に、摘み取ってしまいたくなる欲求が込み上げてくる類のものだ。
だと言うのに、当の本人はあっけらかんとしていた。
あれは、まるで花が己の持つ美しさと香りの本質を見抜き、どこまでも達観したような感じだった。所詮、花の美しさも芳しい香りも虫を引き寄せる一時の餌なのだと。
あそこまで美しいのなら、自惚れてもいいのにそれがない。彼女の美貌を前に財産も何もかも投げ出して、守ってくれそうな男なら幾らでもいそうなのに、本人がそんな行為を全く望んでいないのだ。
意識せず見るなという方が難しい、ついつい注目してしまう少女である。
「あんな人が土井先生のお嫁さんになったら、完全に尻に敷かれますね。土井先生ってば、ヘタレそうですもん」
「喧しいわい!」
きり丸の零す感想に、思わず怒鳴る半助。嫁、と聞いて己の心臓が僅かに跳ねた事が気まずくもあり、きり丸に対するいつものツッコミが強くなってしまった半助であった。
ーー澪が、半助ときり丸のいる長屋に帰宅したのは、日が少し傾いてきた頃の事だった。
寝る前の支度は全て日が沈む前にしなくてはならないのが、庶民の掟だ。せめて囲炉裏の火が消えてしまう前に眠る必要があるため、現代日本よりも夕餉を食べる時間は早い。
そんなわけで夕餉の支度をすると宣言していた澪は、彼女が仕留めた成果を持って帰って帰宅した。小川で捕まえてきたらしい魚に、山で取ってきたキノコ類や山菜に山芋、どうやって捕まえたのか兎までいた。
彼女はそれらを危なげない手つきで処理していった。道中、捕まえた獲物を調味料や他の食材と交換したらしく、自宅には塩や米くらいしかなかったのに長屋に香しい色んな食材の香りが漂ってきた。
預かっていた赤子を若い夫婦へ返し、うどんがすっかり消化されて空腹を胃が感じ始める頃合になって、澪の作った料理が並べられた。
きのこと山菜に塩で味付けられた雑炊。兎の肉には山菜を混ぜ込んだ香りの良い味噌が塗られ、それが串に刺され塩をまぶした魚と一緒に焼かれている。囲炉裏の炭で炙り焼きされたおかず達が、香ばしい匂いを放つ。口内に涎が込み上げそうな料理に、きり丸と一緒になって目を見張った。
「うわー、美味しそう!」
「簡単なものでごめんなさいね。でも、イナゴの乾煎りよりは遥かにマシでしょ」
イナゴの乾煎りとは天地の差がある料理である。有難く、程よく肉や魚が焼けた所で料理を口にした。
半助が手に取ったのは兎の肉である。
口の中に入れるとプリっとした柔らかな兎の肉の歯ごたえと、香ばしい味噌の香りに山椒が入っているのか清々しい香りがした。文句なしに美味しい。
魚の方は内蔵の処理がされており、塩加減が完璧だった。雑炊の方も、山の実りを感じられる物で胃が喜んでいるのが分かった。
「凄く美味しいよ。澪さんの元お父上は随分と腕のいい料理人だったんだね」
その料理人に教わった澪の腕前もさることながら、彼女に料理を教えた元父親の腕前は更に上ということは想像にかたくない。
素直に褒めると、澪が照れくさそうに笑った。銭のこと以外は関心を示さないきり丸が、柔らかな彼女の表情に魅入っている。おそらくは、平気そうな顔を装う自分も。
「まぁ、お殿様に専属料理人として仕えてましたから。料理長やってましたね。お殿様のお気に入りでしたよ。九州の人なので、教わった味付けはこちらより甘めですが」
「……忍びの組頭だった元お父上といい、澪さんのお母上は随分と、その」
「できる男を誑し込む才能がピカイチだったんです。しかも飽き性でして。お陰様で沢山の優秀な父親に恵まれました」
歯に衣着せぬ物言いに、思わず苦笑いを返してしまう。澪は気にせぬ様子でお茶を飲んでいた。
「猟師の父親もいたんですよね。澪さん、逆に苦手な事とかあるんですか?何でも出来そうだけど……」
「うーん。異国語……ポルトガル語かなぁ。簡単な単語くらいしか分からなかったわ。流石にポルトガル語は話すのも書くのも色々と無理だった。明は日常会話なら何とかいけたのになぁ」
「えっ、明の国の言葉が分かるんですか。土井先生より凄い」
「どういう意味だ、きり丸」
明の言葉が分かるのは、教養が高い証拠だ。知識人の証ともいえる。余計な一言を言うきり丸を嗜めつつ、びっくり箱のような澪の会話を聞き漏らすまいと続きを聞くべく、耳を澄ます。
「わたし、山陰や九州の方にいたんですよ。だから九州にいた頃は、住んでた町から近い港によく南蛮の船や明の船が結構来てまして。南蛮や明の人と会って話す機会に恵まれたんです。あそこは、こっちより切支丹の宣教師達も多かったし。聖書のお話も聞きましたよ。信者になろうとは思いませんでしたけど。あちらの国の教えとやらを学ぶいい機会になりました」
「貴重な体験をしたんですね。こっちじゃ、ぼくの友達の父親が堺で貿易商やってる関係で、カステーラさんって南蛮人を知ってるくらいで」
南蛮人や明人等、庶民が早々出会えるものではない。きり丸は澪の話が面白いのか、わくわくしている様子だ。
「カステーラ……美味しそうな名前ね、うん」
澪は何かがツボにハマったのか、クスクスと笑っている。
「澪さんくらい綺麗だと、明や南蛮の人からも口説かれそうですよね」
「わたしは大丈夫だったけど、母上は口説かれてたなぁ。実際、娘のわたしを置いて明に行ったし。マジでないわぁ」
「はぁ……澪さんのお母さんかぁ。美人なんでしょうね」
「美人は美人よ。本人は絶世の美女って言ってたわね。男を切らさない手腕は娘のわたしも脱帽するわ」
澪の母親がどんな人物かはさておいて、くのいちも驚く男を落とす技を持っているのは確実だろう。澪は自身の母について辛口だが、半助からすれば美しい娘に再婚相手から手を出させることなく守ってきた母親の手腕に感心するばかりだ。
澪が元父親の話をする時には影がない。彼女は、元父親達に対して何の嫌悪も抱いていないのは明らかだ。それだけ、母親がうまく立ち回ってきた証である。
この戦国乱世において、伴侶をなくして再婚する話はあるにはあるが、義理の娘に再婚相手の男が手を出すというのも、ありふれた話なのだから。
「ーー美味しかったです、澪さん。後はぼく達が片付けときますね」
気がつけば、夕餉は完食されていた。囲炉裏の串焼きもなくなり、鍋の中の雑炊も空だ。作ってもらったのだから、今度は自分達で片付けるべきだろう。
「わたしは、きり丸と一緒に鍋や食器を洗っておくから澪さんは寝支度をしておくといいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えます」
澪が行儀よく一礼する。立ち姿や所作は洗練されており、いい所のお嬢様か姫君にすら見える。
きり丸と二人して、中庭の井戸から汲んで来た水を使い食器等の後始末をする。もくもくと作業をしていると、きり丸が内緒話でもするように耳打ちしてきた。
「土井先生、澪さんなんですけど……仕事先に忍術学園を紹介するのってどうですか。学園長先生に話したら、面白がって雇ってくれませんかね。澪さんてば、何でも出来そうだし。その上、見た目から分かんないけど怪力なんでしょ。澪さんが来たら、ぼくは面白そうって思うんですけど」
「は?」
思わぬ話に半助のタワシを持つ手が止まった。鍋の汚れを落とす作業が中断してしまう。
「面白そうって、お前なぁ」
「それに、今日話して思ったぼくの予想なんすけど、澪さん……多分、どこ行っても駄目ですよ。あれじゃ長続きしない。あの人は、普通の場所じゃ駄目です。ぼく、そういうの分かるんです」
きり丸は戦で親をなくし、アルバイトで学費を稼ぎながら忍術学園に在籍している苦労人だ。それ故に、澪に何か思う事があるのだろう。実は半助も、きり丸から話を振られて内心は同意していた……澪は、多分、普通の場所では浮いてしまう、と。
見た目が美しいから、なんてせいではない。怪力だって本人が隠し通せば大丈夫だ。だが、歳の割に優秀過ぎるのだ。一人で生きていける力はあっても、過分な力量は良くも悪くも目立ってしまう。
出る杭は打たれるように、周りにやっかみを受けて結果的に排斥される、というのは十分に有り得る。
明国の言葉が日常会話とはいえ分かること、様々な技術を会得していそうなこと。明国の言葉が分かるのだからこの国の読み書きは勿論できるだろうし、所作も問題ない。夕餉の獲物を仕留めてきたことといい、彼女の奇特な話は嘘ではなさそうだし、何よりあの怪力である。学園で過ごす実力は申し分なさそうだ。
……放置した結果、澪が流れに流れて、この辺りのどこかの城に仕えるなんて事になった場合、ややこしい事になりそうな予感がした。
「ーー澪さんの件は、まずは山田先生に相談してみる。言っておくが、わたしの場合は面白そうだから等とお前と同じ巫山戯た理由じゃないからな」
「分かってますって!」
にぱっ、と嬉しそうに笑うきり丸。
「これでうまいこといったら、ぼくから土井先生に提案したってことで、澪さんにお礼としてアルバイトいっぱい手伝ってもらおーっと。あっひゃひゃ!!」
「お前という奴は、それしかないのか!」
きり丸らしいと言えばらしい台詞に、思わず激しいツッコミを入れてしまう半助であった。