第1話 就職先斡旋
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ハンサム君の名前は、土井半助というらしい。昼餉の時間だったこともあり、まずは散歩中だった猪を飼い主に返し、二人して腹を満たすため、小間物屋の主人と一緒に入るはずだったうどん屋に足を伸ばした。
無論、ハンサム君もとい半助の奢りである。
「申し遅れました。わたし、澪と申します」
店についたので、市女笠を外し挨拶すると半助は目を見開いて固まっていた。
「……何か?」
「あ、いや……その、えーっと、凄い美人だね。ちょっと、うーん、本当に美人だから……びっくりした」
半助が照れたように頬をかいた。へにゃ、と眉が下がっており、ほんの少しだけ耳が赤い。そういう男の反応は、幼い頃から見慣れている。美魔女の母が、何度も目の前で男を誑し込んできたおかげだ。
前世の澪ならハンサムからの褒め言葉に照れたかもしれないが、今世の澪はその手のセリフには慣れていた。例え相手がイケメンでもである。
「はぁ、ありがとうございます。半助さん、とお呼びしていいですか。歳上ですよね」
この時代、一般人でも苗字があるにはあるが、庶民の場合は名目上の物が殆どだ。
なので、苗字として庶民が名乗るのは出身の地名や屋号が多い。
澪の場合、どこで生まれたかはっきりしないため苗字は名乗らないことにしている。
母に聞いたところ、澪を身篭った状態で旅をしていたらしく、産んだ場所の地名まで知らないようだった。ちなみに、母も名乗るような苗字はないため、母娘揃って父親達の名乗っていた苗字を一緒に使っていたりしていたのだが、母が明に行ってしまいそれもなくなった。
半助のことを、土井さん、と呼んでもいいのだが、庶民の苗字はこの時代では家名としての意味合いは差程に強くない傾向にあるため、せっかくなので親しみを込める意味でも半助さん、と呼ぶことにした。
「ああ、呼び方は好きにしてくれ。歳は、二十五になるな」
「わたしは十五ですので、敬語は不要ですよ」
二十五にしては若く見える。
顔立ちが割と可愛い感じがするせいだろうか。
それとも、誕生日がよく分からないというのも珍しくない時代のため数え年の可能性もある。
店員が「ご注文は?」と聞いてきたので澪はきつねうどん、半助は月見うどんをかまぼこ抜きで注文した。聞くと、練り物が苦手らしい。店の人がかまぼこ抜きの注文を聞いて、おまけで天かすとネギを多めに入れてくれると言ってくれたので、半助の顔が嬉しそうに綻んでいた。
程なくして出てきた熱いうどんを啜りながら、暇つぶしに二人して話をする。主に澪の身の上話だ。
「……と、まぁ。そんなわけで、今まで母とあちこち移住してきたんですけど、親子解散となりまして今に至るわけです。はい」
「苦労してきたんだね、澪さんは。それにしてもすごいな、元父親達から色んなことを教わってるとは」
「大抵の事はできますよ。だから、お仕事早く見つかるといいんですけどね……ま、この町では無理かもですけど」
半助は見た目の好青年な容姿も手伝ってか、随分と話しやすい男性だった。元父親達以外の男に、こうして話した事は久々かもしれない。なんというか、警戒心を解くのが上手い。この感じ、まるで……。
「半助さんって、わたしの忍者だった元父上と何となく似てます」
「ブフォっ?!」
食後の温かいお茶を飲みかけていた半助が、噎せた。そんなにビックリしたのだろうか。
「な、何を、に、忍者?君のお父上には忍者も居たのかい?!」
「はい、居ました。多分、一番長く母と付き合っていた元父上ですね。確かどこぞのお殿様に仕える忍びで、お城で組頭やってたそうです」
「組頭って……」
物心着く頃に父親だった人を思い出す。あの人も背が高くて渋めのイケメンだった。多分、半助より背が高かったはずだ。戦国時代では大男の部類に入るだろう。
色んな事を教えてもらって、楽しかったのはいい思い出だ。母が別れて別の男性と再婚すると聞いて、悲しかった記憶がある。
「わたし、元父上に習ったので手裏剣とか投げれますよ。的に当てるのは上手でした。今でもやればできると思います」
「へ、へぇ……」
半助の顔が引き攣っている。怪力の上、忍者の武器を使えると聞いて引いているのだろう。別に半助に気があるわけでもないため、全く気にならないが。
「ということは、忍術にも詳しかったり?」
「簡単には教えられましたけど、小さい頃の話ですから。難しい事は分かりませんよ」
忍術とはいうが、ようは人間の心理を利用した物が多く、これが割と応用が利くのである。とはいえ、澪が意識して使っているわけでもなんでもないため、豆知識のようなものだ。
「澪さんが、只者ではないことは分かったよ。うん」
「普通だと思いますけど。ちょっと力持ちなだけで」
「……ちょっと?」
半助の顔がまたも引き攣ったのは、見ないフリをする。彼は先程、噎せた喉をリセットするように、軽く咳払いをした。
「まぁ、とにかく……男に二言はない。澪さんの仕事が見つかるまで、わたしの長屋に居てくれて構わないよ。普段、わたしは別の場所で泊まり込みで仕事をしていて、長屋にはたまに帰ってくる程度だからね。預かっている子どもも基本的に私と同じ場所で過ごしている。澪さんのことは、隣のおばちゃんや大家さんにも言っておくから、その代わり留守の間は掃除なんか頼むよ。ドブさらいもあるけど大丈夫かい?」
「……なるほど、では、わたしは基本的に一人なんですね。了解しました」
なんて都合がいいんだろうか。仕事が見つかるまでとはいえ、一人で長屋で暮らすなんて夢みたいだ。
「掃除でも針仕事でも何でもやりますので、よろしくお願いします。あ、料理人の元父上に色々教わったので料理は結構、得意です」
「本当になんでも出来るね……」
意気込む澪に、半助がクスリと笑った。イケメンが様になっているが、歯に青い葱がくっついているのはご愛嬌か。
そっと楊枝を差し出して、葱を取るように小さな声で促すと半助が途端に恥ずかしそうに口元を手で隠して葱を除去していた。練り物嫌いといい、十も歳上なのに妙な所が可愛らしい男である。烏帽子からのぞく傷んだ髪といい、女心を擽ってくるというか……まぁ、百戦錬磨の母とその夫達を知る澪は、別段、ときめきポイントではないのだが。
前世の年齢と今世の年齢を足した精神年齢が、半助より歳上のせいかスルースキルが発動されていた。
うどんを無事に食べ終わり、二人して店を後にする。ご馳走様でした、と半助にお礼を言うと気にするなと軽く手を振られた。
「そしたら宿屋に荷物を取りに行きます。あ、お布団とか流石に自分で用意したいのですが……」
「だったら、一緒について行こう。荷物は澪さんが持ってくれ。布団はわたしが持つよ」
荷物も布団も、澪は両方楽勝で持てるのだが、あえて布団を持つと言ってくれる所に半助の気遣いと優しさを感じる。紳士である。
半助の心遣いに礼を言って素直に甘え、宿屋に荷物を引き取りに行った後は残りの軍資金で安い布団を購入し、そのまま長屋に直行した。
するとそこで思わぬ再会があった。
「お帰りなさーい、土井先生!子守りのアルバイト引き受けたんで、よろしくお願いします……て、あれ?」
長屋に足を踏み入れるや否や、元気そうな少年が飛び出してきた。年齢は十歳前後で、利発そうな顔をしている。
「えっと、はじめまして?」
どこかで見たことのある顔だが、どこだったろうか。そんな事を思いながら、市女笠を脱ぐ。
「あー!今朝の、花を買ってくれた綺麗なおねーさん!!」
「花?」
花と聞いて思い出すのは、小間物屋を紹介してくれた女の子だ。その顔と目の前の男の子の顔が重なる。
「あなた、男の子だったの?」
「何だ、二人とも知り合いか」
少年と澪のやり取りを聞いて半助が、声をかけてきた。
「あ、はい。知り合いと言うか、今朝、この子から花を買った時に小間物屋さんを紹介してもらったんです。結局、ダメになったけど……」
「えっ、ダメってどういうことです?おねーさんみたいな超美人なら、あそこのお爺さんならすぐ雇うと思ってたんですけど。かなりの面食いだし」
首を傾げる少年に、何と説明したものか悩ましい。彼の言う通り、澪はたった三時間程度だが雇われはしたのだ。
「あー、なるほど……そういうことか。わたしが説明する」
何やら合点がいった様子で半助が頷いている。そういうこととは、これ如何に。
それから、長屋に上がって居間で少年と二人並んで半助の話を聞いた。話はこうだーー普段からアルバイトに精を出す少年が紹介した仕事に採用された澪が、その少年のアルバイトの一つである猪の散歩を押し付けられた半助の暴走に巻き込まれておじゃん、というわけである……笑えない。
ちなみに話している間、半助は少年の引き受けた子守りのアルバイトをしており、背中に赤ちゃんを背負い、澪も巻き込まれて赤ちゃんをあやす手伝いをさせられていた。
「あちゃー、なんかそしたら悪いことしちゃったな。すみません」
「いや、なんかもういいよ。えっと……」
「あ、ぼくは摂津のきり丸。きり丸、とかきりちゃんとか、好きに呼んでくださいね」
にぱっと八重歯を見せて笑う少年もとい、きり丸を前に澪は怒りたくても怒れなくなった代わりに、どっと疲労感が押し寄せてきた。
「おねーさんのこと、澪さんって呼んでも?」
「ああ、うん。好きにして、きり丸君」
「呼び捨てでいいっすよ。いやー土井先生、よかったすね。綺麗なおねーさんが家に来てくれて」
「こうなったのは、誰のせいだと思っとんじゃー!」
「おぎゃあー!」
「はっ!おーよしよし。ごめんねごめんね、べろべろば〜」
ーーカオスだ。否、漫才か。
半助ときり丸が繰り広げるやり取りに、思わず吹き出してしまった。
「っ、ふふ。あはは、二人ともおかしい……!」
まるで兄弟のようなやり取りに自然と笑顔になる。笑う澪を見て、二人はというと目を見開いて固まっている。
あれか、美少女とはいえバカ笑いはダメだったか。女はお淑やかでないといけないのだ。
「……あ、いや、澪さんが綺麗過ぎてびっくりしただけです。土井先生なんか見てくださいよ、見蕩れちゃってー」
「あっ、いや、わたしはっ。そのっ、ジロジロ見てすまない!」
「そう?美人なんか三日もすれば飽きますよ。どうぞ、好きなだけ見てくださいな。減るもんじゃないですから」
澪の反応はドライだった。
美人に生まれた事は素直に嬉しいと思うが、周りの反応に今やすっかり慣れており、ともすれば飽きてきているせいである。
「澪さん、なんかクールですね。金取ってもいい美人なのにー、勿体無い」
「お金取るって、アホらしい。見世物じゃないのよ」
金が取れる美人というのは多分、きり丸にとっては最上級の褒め言葉なんだろうが、ちっとも嬉しくない。
「そうだ。土井先生、お昼ってもう済ませました?ぼくはアルバイト先で、握り飯貰って済ませたんですけど」
「わたしも済ませている。あとは夕餉だけだ」
「あー、そしたら晩飯どうします?流石に澪さん相手にイナゴの乾煎りとか、草雑炊はまずいですよね」
「ーーまさかと思いますが、そんな超貧乏飯食べないと生活できないんですか?」
ザ・貧乏メニューの内容を聞いて、思わず澪は反応してしまった。草雑炊はともかく、イナゴは嫌だ。昼餉に半助はうどんを奢ってくれたが、まさか懐事情がそんなに壊滅的だったとは。
「……ドケチメニューはきり丸の趣味みたいな物なんだ。飯の支度を任せると大体そういうのになる」
「なーに言ってるんですか。節約できる所は節約しないと。あっ、今日は隣のおばちゃんから米を分けてもらってますから、お粥するのに水の量はいつもより一割減らしときますね!澪さんの歓迎も兼ねて!」
どこをどうツッコミを入れていいか分からない。満面の笑顔で言うきり丸を相手に、澪は額を抑えた。
ちらり、と長屋の外を見るとまだ日は高いーーこの分なら、今からでも多分いける。
「今日は私が夕餉を作ります。これからお世話にもなることですし、何か調達してきます。夕餉に間に合うようには帰ってきますから、きり丸と一緒にこちらで待っていてもらえますか、半助さん」
澪は言うや否や、準備のために衝立を借りて部屋の隅でごそごそと身支度をした。荷物の中にある服をあさり、野山で動くのに申し分ない格好になる。
「澪さん、調達ってひょっとして川とかですか?」
「猟師だった元父上から、獲物のとり方は魚や獣問わず教わってるの。だから心配無用よ、きり丸」
「一人じゃ危ないですよ!」
きり丸が慌てて澪に声をかけてくる。
「この近くにある里山は、たまに熊が出るんです」
熊……山で女が遭遇したら、下手をしたら殺される可能性がある。現代日本でも人里に下りて人を悩ませる困った獣である。
が、今世の澪にとっては問題ない。
「ーー大丈夫。熊なら素手で仕留められるから」
「「え」」
きり丸と半助の声が重なった。
最早、半助に怪力がバレてしまっているため、澪は完全に振り切っていた。イナゴの乾煎りをおかずに草雑炊が嫌すぎたのもある。
「では、行ってきます」
長い髪を高く結い、颯爽と長屋を後にする澪の姿は、美少女なはずなのに男前であった。
無論、ハンサム君もとい半助の奢りである。
「申し遅れました。わたし、澪と申します」
店についたので、市女笠を外し挨拶すると半助は目を見開いて固まっていた。
「……何か?」
「あ、いや……その、えーっと、凄い美人だね。ちょっと、うーん、本当に美人だから……びっくりした」
半助が照れたように頬をかいた。へにゃ、と眉が下がっており、ほんの少しだけ耳が赤い。そういう男の反応は、幼い頃から見慣れている。美魔女の母が、何度も目の前で男を誑し込んできたおかげだ。
前世の澪ならハンサムからの褒め言葉に照れたかもしれないが、今世の澪はその手のセリフには慣れていた。例え相手がイケメンでもである。
「はぁ、ありがとうございます。半助さん、とお呼びしていいですか。歳上ですよね」
この時代、一般人でも苗字があるにはあるが、庶民の場合は名目上の物が殆どだ。
なので、苗字として庶民が名乗るのは出身の地名や屋号が多い。
澪の場合、どこで生まれたかはっきりしないため苗字は名乗らないことにしている。
母に聞いたところ、澪を身篭った状態で旅をしていたらしく、産んだ場所の地名まで知らないようだった。ちなみに、母も名乗るような苗字はないため、母娘揃って父親達の名乗っていた苗字を一緒に使っていたりしていたのだが、母が明に行ってしまいそれもなくなった。
半助のことを、土井さん、と呼んでもいいのだが、庶民の苗字はこの時代では家名としての意味合いは差程に強くない傾向にあるため、せっかくなので親しみを込める意味でも半助さん、と呼ぶことにした。
「ああ、呼び方は好きにしてくれ。歳は、二十五になるな」
「わたしは十五ですので、敬語は不要ですよ」
二十五にしては若く見える。
顔立ちが割と可愛い感じがするせいだろうか。
それとも、誕生日がよく分からないというのも珍しくない時代のため数え年の可能性もある。
店員が「ご注文は?」と聞いてきたので澪はきつねうどん、半助は月見うどんをかまぼこ抜きで注文した。聞くと、練り物が苦手らしい。店の人がかまぼこ抜きの注文を聞いて、おまけで天かすとネギを多めに入れてくれると言ってくれたので、半助の顔が嬉しそうに綻んでいた。
程なくして出てきた熱いうどんを啜りながら、暇つぶしに二人して話をする。主に澪の身の上話だ。
「……と、まぁ。そんなわけで、今まで母とあちこち移住してきたんですけど、親子解散となりまして今に至るわけです。はい」
「苦労してきたんだね、澪さんは。それにしてもすごいな、元父親達から色んなことを教わってるとは」
「大抵の事はできますよ。だから、お仕事早く見つかるといいんですけどね……ま、この町では無理かもですけど」
半助は見た目の好青年な容姿も手伝ってか、随分と話しやすい男性だった。元父親達以外の男に、こうして話した事は久々かもしれない。なんというか、警戒心を解くのが上手い。この感じ、まるで……。
「半助さんって、わたしの忍者だった元父上と何となく似てます」
「ブフォっ?!」
食後の温かいお茶を飲みかけていた半助が、噎せた。そんなにビックリしたのだろうか。
「な、何を、に、忍者?君のお父上には忍者も居たのかい?!」
「はい、居ました。多分、一番長く母と付き合っていた元父上ですね。確かどこぞのお殿様に仕える忍びで、お城で組頭やってたそうです」
「組頭って……」
物心着く頃に父親だった人を思い出す。あの人も背が高くて渋めのイケメンだった。多分、半助より背が高かったはずだ。戦国時代では大男の部類に入るだろう。
色んな事を教えてもらって、楽しかったのはいい思い出だ。母が別れて別の男性と再婚すると聞いて、悲しかった記憶がある。
「わたし、元父上に習ったので手裏剣とか投げれますよ。的に当てるのは上手でした。今でもやればできると思います」
「へ、へぇ……」
半助の顔が引き攣っている。怪力の上、忍者の武器を使えると聞いて引いているのだろう。別に半助に気があるわけでもないため、全く気にならないが。
「ということは、忍術にも詳しかったり?」
「簡単には教えられましたけど、小さい頃の話ですから。難しい事は分かりませんよ」
忍術とはいうが、ようは人間の心理を利用した物が多く、これが割と応用が利くのである。とはいえ、澪が意識して使っているわけでもなんでもないため、豆知識のようなものだ。
「澪さんが、只者ではないことは分かったよ。うん」
「普通だと思いますけど。ちょっと力持ちなだけで」
「……ちょっと?」
半助の顔がまたも引き攣ったのは、見ないフリをする。彼は先程、噎せた喉をリセットするように、軽く咳払いをした。
「まぁ、とにかく……男に二言はない。澪さんの仕事が見つかるまで、わたしの長屋に居てくれて構わないよ。普段、わたしは別の場所で泊まり込みで仕事をしていて、長屋にはたまに帰ってくる程度だからね。預かっている子どもも基本的に私と同じ場所で過ごしている。澪さんのことは、隣のおばちゃんや大家さんにも言っておくから、その代わり留守の間は掃除なんか頼むよ。ドブさらいもあるけど大丈夫かい?」
「……なるほど、では、わたしは基本的に一人なんですね。了解しました」
なんて都合がいいんだろうか。仕事が見つかるまでとはいえ、一人で長屋で暮らすなんて夢みたいだ。
「掃除でも針仕事でも何でもやりますので、よろしくお願いします。あ、料理人の元父上に色々教わったので料理は結構、得意です」
「本当になんでも出来るね……」
意気込む澪に、半助がクスリと笑った。イケメンが様になっているが、歯に青い葱がくっついているのはご愛嬌か。
そっと楊枝を差し出して、葱を取るように小さな声で促すと半助が途端に恥ずかしそうに口元を手で隠して葱を除去していた。練り物嫌いといい、十も歳上なのに妙な所が可愛らしい男である。烏帽子からのぞく傷んだ髪といい、女心を擽ってくるというか……まぁ、百戦錬磨の母とその夫達を知る澪は、別段、ときめきポイントではないのだが。
前世の年齢と今世の年齢を足した精神年齢が、半助より歳上のせいかスルースキルが発動されていた。
うどんを無事に食べ終わり、二人して店を後にする。ご馳走様でした、と半助にお礼を言うと気にするなと軽く手を振られた。
「そしたら宿屋に荷物を取りに行きます。あ、お布団とか流石に自分で用意したいのですが……」
「だったら、一緒について行こう。荷物は澪さんが持ってくれ。布団はわたしが持つよ」
荷物も布団も、澪は両方楽勝で持てるのだが、あえて布団を持つと言ってくれる所に半助の気遣いと優しさを感じる。紳士である。
半助の心遣いに礼を言って素直に甘え、宿屋に荷物を引き取りに行った後は残りの軍資金で安い布団を購入し、そのまま長屋に直行した。
するとそこで思わぬ再会があった。
「お帰りなさーい、土井先生!子守りのアルバイト引き受けたんで、よろしくお願いします……て、あれ?」
長屋に足を踏み入れるや否や、元気そうな少年が飛び出してきた。年齢は十歳前後で、利発そうな顔をしている。
「えっと、はじめまして?」
どこかで見たことのある顔だが、どこだったろうか。そんな事を思いながら、市女笠を脱ぐ。
「あー!今朝の、花を買ってくれた綺麗なおねーさん!!」
「花?」
花と聞いて思い出すのは、小間物屋を紹介してくれた女の子だ。その顔と目の前の男の子の顔が重なる。
「あなた、男の子だったの?」
「何だ、二人とも知り合いか」
少年と澪のやり取りを聞いて半助が、声をかけてきた。
「あ、はい。知り合いと言うか、今朝、この子から花を買った時に小間物屋さんを紹介してもらったんです。結局、ダメになったけど……」
「えっ、ダメってどういうことです?おねーさんみたいな超美人なら、あそこのお爺さんならすぐ雇うと思ってたんですけど。かなりの面食いだし」
首を傾げる少年に、何と説明したものか悩ましい。彼の言う通り、澪はたった三時間程度だが雇われはしたのだ。
「あー、なるほど……そういうことか。わたしが説明する」
何やら合点がいった様子で半助が頷いている。そういうこととは、これ如何に。
それから、長屋に上がって居間で少年と二人並んで半助の話を聞いた。話はこうだーー普段からアルバイトに精を出す少年が紹介した仕事に採用された澪が、その少年のアルバイトの一つである猪の散歩を押し付けられた半助の暴走に巻き込まれておじゃん、というわけである……笑えない。
ちなみに話している間、半助は少年の引き受けた子守りのアルバイトをしており、背中に赤ちゃんを背負い、澪も巻き込まれて赤ちゃんをあやす手伝いをさせられていた。
「あちゃー、なんかそしたら悪いことしちゃったな。すみません」
「いや、なんかもういいよ。えっと……」
「あ、ぼくは摂津のきり丸。きり丸、とかきりちゃんとか、好きに呼んでくださいね」
にぱっと八重歯を見せて笑う少年もとい、きり丸を前に澪は怒りたくても怒れなくなった代わりに、どっと疲労感が押し寄せてきた。
「おねーさんのこと、澪さんって呼んでも?」
「ああ、うん。好きにして、きり丸君」
「呼び捨てでいいっすよ。いやー土井先生、よかったすね。綺麗なおねーさんが家に来てくれて」
「こうなったのは、誰のせいだと思っとんじゃー!」
「おぎゃあー!」
「はっ!おーよしよし。ごめんねごめんね、べろべろば〜」
ーーカオスだ。否、漫才か。
半助ときり丸が繰り広げるやり取りに、思わず吹き出してしまった。
「っ、ふふ。あはは、二人ともおかしい……!」
まるで兄弟のようなやり取りに自然と笑顔になる。笑う澪を見て、二人はというと目を見開いて固まっている。
あれか、美少女とはいえバカ笑いはダメだったか。女はお淑やかでないといけないのだ。
「……あ、いや、澪さんが綺麗過ぎてびっくりしただけです。土井先生なんか見てくださいよ、見蕩れちゃってー」
「あっ、いや、わたしはっ。そのっ、ジロジロ見てすまない!」
「そう?美人なんか三日もすれば飽きますよ。どうぞ、好きなだけ見てくださいな。減るもんじゃないですから」
澪の反応はドライだった。
美人に生まれた事は素直に嬉しいと思うが、周りの反応に今やすっかり慣れており、ともすれば飽きてきているせいである。
「澪さん、なんかクールですね。金取ってもいい美人なのにー、勿体無い」
「お金取るって、アホらしい。見世物じゃないのよ」
金が取れる美人というのは多分、きり丸にとっては最上級の褒め言葉なんだろうが、ちっとも嬉しくない。
「そうだ。土井先生、お昼ってもう済ませました?ぼくはアルバイト先で、握り飯貰って済ませたんですけど」
「わたしも済ませている。あとは夕餉だけだ」
「あー、そしたら晩飯どうします?流石に澪さん相手にイナゴの乾煎りとか、草雑炊はまずいですよね」
「ーーまさかと思いますが、そんな超貧乏飯食べないと生活できないんですか?」
ザ・貧乏メニューの内容を聞いて、思わず澪は反応してしまった。草雑炊はともかく、イナゴは嫌だ。昼餉に半助はうどんを奢ってくれたが、まさか懐事情がそんなに壊滅的だったとは。
「……ドケチメニューはきり丸の趣味みたいな物なんだ。飯の支度を任せると大体そういうのになる」
「なーに言ってるんですか。節約できる所は節約しないと。あっ、今日は隣のおばちゃんから米を分けてもらってますから、お粥するのに水の量はいつもより一割減らしときますね!澪さんの歓迎も兼ねて!」
どこをどうツッコミを入れていいか分からない。満面の笑顔で言うきり丸を相手に、澪は額を抑えた。
ちらり、と長屋の外を見るとまだ日は高いーーこの分なら、今からでも多分いける。
「今日は私が夕餉を作ります。これからお世話にもなることですし、何か調達してきます。夕餉に間に合うようには帰ってきますから、きり丸と一緒にこちらで待っていてもらえますか、半助さん」
澪は言うや否や、準備のために衝立を借りて部屋の隅でごそごそと身支度をした。荷物の中にある服をあさり、野山で動くのに申し分ない格好になる。
「澪さん、調達ってひょっとして川とかですか?」
「猟師だった元父上から、獲物のとり方は魚や獣問わず教わってるの。だから心配無用よ、きり丸」
「一人じゃ危ないですよ!」
きり丸が慌てて澪に声をかけてくる。
「この近くにある里山は、たまに熊が出るんです」
熊……山で女が遭遇したら、下手をしたら殺される可能性がある。現代日本でも人里に下りて人を悩ませる困った獣である。
が、今世の澪にとっては問題ない。
「ーー大丈夫。熊なら素手で仕留められるから」
「「え」」
きり丸と半助の声が重なった。
最早、半助に怪力がバレてしまっているため、澪は完全に振り切っていた。イナゴの乾煎りをおかずに草雑炊が嫌すぎたのもある。
「では、行ってきます」
長い髪を高く結い、颯爽と長屋を後にする澪の姿は、美少女なはずなのに男前であった。