第5話 その男、仕事中毒につき
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「ーーつまり、学園長の命で六年生と土井先生がわたしと澪さんの仕事に女装して同行する野外実習をするから、とりわけ女装が酷いこの三人にレクチャーしていたと」
頭が痛い。
利吉は目眩がしそうになるのをどうにか堪えつつ、目の前にいる父を筆頭にした酷い女装姿の四名をチラリ、と見た。
昼餉を食べるには少し遅い時間になろうかという頃。
うどん屋を出た利吉は、澪ときり丸に急ぐ用事がないなら、店の中で居合わせた四人を外で一緒に待たないかと声をかけた。
利吉の忍びとしての勘が働いた結果である。女装を楽しんでやっている節が過分にある伝蔵であるが、何の意味もなくする事はない。
しかも、今日は休みなのに担任でもない六年生に付き合っているのである。これは何かある……ピンと来てしまった勘に従い、何をしているのか、どんな意図があるのか店を出て、忍者にしか分からぬ伝音ーー矢羽根を使い伝蔵に尋ねて判明した事実に、利吉は呻き声を上げそうになっていた。
これで二回目である。
忍術学園の生徒達には、プロ忍として先輩らしく優しく親切に接するのを心がけており、利吉としては好意的に接している相手だ。
六年生ならプロに近い実力があるため、足手纏いになる心配こそないが、利吉としては二回も己の仕事が学園の野外実習に活用されてしまい、もうお手上げ状態であった。
澪一人だけでは済まない気はしていたが、まさかそこに六年生がくっついて、おまけに女装をするなんて誰が思うだろうか。
まぁ、予想していた通りと言うか利吉が兄のように慕う土井半助も来ると知って、少しホッとしたのだが。
利吉にとって、ベストな仕事の相手は澪と半助の二人だったのが、忍たま六年生とはいえ六名も追加されてしまい、予想外もいいところだ。だが、一年は組が来るより遥かにマシな展開のため仕方なしとする。
利吉は以前の泥棒退治の時、一年は組のきり丸のやらかしのため、強盗達に予定外に囲まれてしまい、かなり危険な状態にあった。常人より戦闘の心得があってかなり強い方とは言え、戦の経験もあったあの時の強盗達相手は数が多すぎた。
このままでは負けてしまうーーそう思った時に、現れた澪の圧倒的な力に利吉は感動した。
己を追い詰めた相手が、まるで羽虫のようにあっという間に片付けられる壮絶な場面は、恐れよりも興奮と感動を強烈に利吉に齎したのだ。
澪の容姿は、美しい母を見慣れている利吉からしても、賞賛に値する外見だ。
しかし、利吉からすれば見てくれの美しさは、母で耐性があるため、特に見惚れたりするような物でもなかったーーだが、澪が戦う姿は武神そのものだった。
神々しい、美しき女の武神である。戦女神とでも言うべき姫神の姿を利吉は澪に見出した。
この生き神とも言うべき少女の戦う姿を、もっと沢山、もっと近くで見たいーーそんな要求が湧き起こるのを止められなかった。
どうすればいいか。利吉は短い時間で必死に考え、答えを出した。今まで己が見送って来た突き抜けた力の必要な仕事達を一緒に澪に引き受けてもらえたら、と。
そうしたら、利吉と澪にとって良い事ずくめだ。利吉は名が上がり仕事もできてギャラが手に入るし、澪とてそれは同じである。
何より澪の戦う姿を近くで見られるのだ。
だが、他に聞かれたら我も我もと言う者が出て来ないとも限らない。そのため、利吉は澪と二人で話したかったのだが、そこで土井半助という予想外の邪魔が入った。
利吉にとって、半助は兄貴分だ。それと言うのも、昔、山田家で怪我をした半助を匿い過ごしたことがあるせいだ。
面倒見のいい半助に一人っ子で寂しく思っていた利吉は最初こそ、大好きな父が半助に構うものだから、面白くない気持ちもあり警戒していたのに、半助の優しさに惹かれてあっという間に懐いた。
そしてその頃からの気持ちは今も変わらない。大人になって口に出して呼ばなくなっただけで、「お兄ちゃん」と半助の事を心の中では呼んでいた。
その半助が澪と自分の話の邪魔をするのを見て、聡い利吉は気付いた。
ーーひょっとして、半助は澪に気があるのではないか、と。その証拠に、わざと突き放すと恨みがましい視線を向けられてしまい、それでこれは本物だと確信した。
異性相手となると、逃げ腰で恋人なんて作ろうとしてこなかった半助が、利吉に対して隠せない程に嫉妬していたのだ。
純粋に驚いて、同時に納得もした。成程、相手が姫神の如き存在なら、あの半助が恋慕して感情を隠せなくなってもおかしくはない、と。
とはいえ、半助を応援したい気持ちより澪の戦う様を近くで見たい要求の方が勝ってしまった。何と言っても、澪から半助に対して異性への好意を微塵も感じないせいである。
これがお互い好き合っていそうなら、焦ったさから背中を押したくなるかもしれないが、下手に半助を押しても今の状況では澪にフラれてもおかしくはなく、利吉が応援するにせよ半助自身の努力の成果をもう少し見てから、応援したい所であった。
なので、澪にお礼を言うがてら己が澪の側で彼女の戦いぶりを眼に焼き付けるため、自分も彼女も嬉しい一級の依頼を厳選して学園まで持ち込んだのだが。
「三人とも、化粧が濃すぎです。白粉も紅も顔に塗れば良いと言う物ではありません。特に小平子さんは頬紅をぐるぐる書いて。あー、もう、落書きですかまったく。そこの木の後ろでわたしの手持ちの道具を使って、化粧を直してあげますから全員来てください!」
ため息しか出ないような女装をしている六年生三人を相手に、澪が見かねてそう言っていた。是非とも、父にもそれを言ってほしい。
父の女装は最近では慣れてきたとは言え、息子の利吉からして相当酷いのに澪にしれっとスルーされて、少しばかりがっかりする利吉である。
「ちぇー、澪さんと二人きりだったのに」
何ちゃって女装集団の三人を引っ張って消えた澪を見送りながら、きり丸がぶすっとした顔で座っている。その服は真新しく、胸元に小槌の刺繍があり洒落た物だーーひょっとして、澪が縫ったのだろうか。
ぼろぼろの巾着を使っていた父の伝蔵が、忍術学園の職場を訪ねた際に真新しい綺麗な巾着を使っており、それに手裏剣の刺繍がしてあったので、自分も欲しいと思って購入した場所を聞いてみたら、澪の手作りだと言っていたのを思い出す。
控え目に言って巾着も、きり丸の着物の縫製も丁寧で上手い。
というより、センスがある。
利吉は、伝蔵が持っていた巾着に対し単なる道具としての機能の他に、都人のような洒落と粋を感じた。
田舎育ちの利吉からすると、都会の雰囲気のする物というのは好感を抱きやすく、澪が作ったという持ち物にはそうした都人を彷彿とさせる風情があると思ったのだ。
作って売れば、それなりの値段で取引されそうな出来栄えである。実際、利吉が欲しいのだから。
正直言って、きり丸が羨ましい。
手を繋いでうどん屋に入って来たきり丸と澪は、年の離れた姉弟のように見えた。戦っている最中の神がかった澪は利吉を惹きつけてやまないが、きり丸を見て優しく微笑む姿は慈愛溢れる物でーー成程、これは半助に限らず、男が思わず惚れてしまう美しい少女だと思った。
そのうち、自分にもあんなふうに笑ってくれないものか。話し方だって、もっと砕けたものにしたい。自分は忍術学園の生徒でも教師でもないのだから。
そうすれば、もう少し距離を縮められるのに。
目指すは、澪の戦う様を好きなだけ観戦できる立場である。是非とも、最前列で彼女の活躍する様を見たい。許されるなら、声援を送りながら。自分は澪が倒した雑魚を拘束する雑用係でいいから。
利吉はすっかり、澪のファンになっていた。
半助がこの事を知ればひっくり返るだろうーー男にくのたま達の同類が出た、と。
この乱世にあって、人々は娯楽に飢えている。
能楽の舞を舞台を見て優雅に楽しんだり、和歌や漢詩を詠んだり、茶の湯に親しむなんて物はそれなりの金がなければできない贅沢であり、庶民にはあまり縁がない。
時たま、人の集まる町で軽技等の芸を披露する者を眼にしたりするのが基本であり、他は時たまある祭りや正月、神社の巫女舞等が楽しみなのである。
利吉もまた例に漏れず、娯楽に飢えた庶民の一人であり、そんな利吉からして澪の存在は突如として彼の前に降臨した見た事のない類のエンターテイメントであった。
よって、長年の付き合いのある兄貴分として慕う半助の恋する相手と知りつつも、澪という彗星の如く現れた娯楽に親しみたいという要求が抑えきれない利吉である。
それを現代用語で表すなら、ファン心理がもっとも適当であろう。
「あら、きり丸ったらおませねぇ。澪ちゃんとデートなんて」
「へへっ、ぼくは澪さんと仲がいいですからね」
伝蔵もとい伝子の揶揄いに対して、照れるでもなくむしろ自慢気なきり丸である。そんなきり丸を前に伝子が苦笑いしているのを利吉は見た。
そして勘付くーー伝子の何とも言えない表情は、大方、半助の恋路を思っての事だろうと。
利吉が直ぐに気付いたのだ。伝蔵が半助の気持ちに、気付いていないはずもない。意中の相手との逢瀬を十歳のきり丸に先取りされている有様に、苦笑いしているのだろう。
「澪さんって、本当凄いですよ。何でも知ってて、オレすごい勉強になりました」
「そりゃそうよ。澪ちゃんは沢山の色んなお父上が居たんだし」
「あー、それもそうなんですけど、ぼくが聞いたのは銭についての話でした。初めて聞くような事でしたけど、でも面白くて。今度、澪さんの話をは組の皆んなにも聞かせてあげたいなって」
伝蔵が澪を褒めるきり丸に頷くも、きり丸から飛び出した銭についての話という言葉に不思議そうな顔をする。
利吉も、この銭の申し子のようなきり丸が感心するような話をしたらしい澪に驚いた。
「へぇ、それはどんな話だったんだ。きり丸」
興味本位で利吉が尋ねると、きり丸が思い出すような表情でゆっくりと答えてくれた。
「銭はあくまでも道具で、ある日突然価値がなくなる事もある、って話です。えっと、銭は物々交換の手間を減らすための道具で、その価値は人間が決める泡沫みたいな物って言ってました」
「ーーへぇ」
利吉が目を細めるのと、伝子ーー否、伝蔵がしまったというような顔を一瞬したのは、ほぼ同時だった。
貨幣は単なる道具、そしてその価値は泡沫のような物。確かに言われてみればその通りだ。
だが、その真理を利吉は今の今まで、きり丸の話を聞くまで、はっきりと理解しきれていなかったのだ。
ーー利吉は、まるで身体に稲妻が走ったような衝撃を受けた。
貨幣制度の簡易な説明とその欠点を纏めた澪の現代日本人なら持ち合わせている当然の知識は、なんちゃって戦国においては取り扱い注意の爆弾のようなものだ。
澪は前世の記憶があるために、この世界の者からすれば大学者のようなポジションだったりするのだが、当然ながら本人にその自覚は全くない。
結果、澪からきり丸を通して予想外の話が飛び出した事に、伝蔵は焦りを隠せず利吉は興奮から目を輝せる事態となった。
まるで、澪は存在自体がびっくり箱のような女性だ。これ程の謎と興奮に満ちたエンターテイメントがどこにあるというのかーー否、この日ノ本の澪のような存在は二人としていない。
利吉の澪に対する元々あった好奇心は、きり丸の話を聞いた事で形容し難い興奮を伴いながら最高潮に達していた。
「ふー、終わったぁ……」
そうとは知らない澪が、どうやら三人組の女装の修正を終えたらしく疲れた様子で出て来た。澪の後をぞろぞろと、先ほどまで痛い女装を披露していた面々が付いてくる。
「おおー、見違えました先輩達!!」
修正後の三人の姿を見た途端にきり丸の目が輝いた。さっきまで白粉やら紅やらを塗りたくっていた三人の忍たまは様変わりしていた。
利吉もかなりマシに修正された三人を前に、澪の腕前を知り感心する。
全員、男らしい顔とはいえ顔立ちは整った部類になるのだ。もともと、やり用はあったのを澪が最大限に活かしたらしい。
その結果、文次郎は目元の隈を綺麗に消され、少々ごつい感じはあるものの、どこか知的な雰囲気漂う娘に。
留三郎は、目元涼しげな美人になっており、身体付きが筋肉質な感じがするとはいえ、仕草に気をつければ男から誘いがあるかもしれない娘に。
最後の小平太は、可愛らしい年頃の娘そのもので、活発で明るい雰囲気がよく出ている。眉は少し整えられているが、やりすぎない程度となっており、それがかえって自然体になっていた。
「「「こ、これが、わたし……」」」
三人とも変身した自分達の姿が衝撃だったのか、澪から手鏡を借りて様変わりした女装姿に唖然としている。
「澪さん、お疲れ様。よくあそこまで、完成させましたね」
「わたしのことは、カリスマメイクアーティスト澪って呼んでくれていいですよ、きり丸くん。はぁ、母上に扱かれたおかげで化粧技術は我ながら高いわー……よくやった。わたし、うん」
見ていて飽きない人だ。
利吉はじーっと澪を見つめる。彼女の中に秘められているのは、利吉を助け強盗達を圧倒した怪力だけではないのだと思うと、是非とも仲良くなって色んな話をしなければと改めて決意するには十分だった。
そのためにも、澪には一級品の依頼を持ち込んで矢張り一緒に仕事を受けてもらわねば。自分のため、彼女のため、なんて一石二鳥なのだろうか。
今や、伝蔵から鵺退治が六年生の野外実習に化けてしまった事を教えられた際に、覚えていたはずの頭痛は消え去っていた。
「澪さん!」
利吉は澪の名を呼び、そのほっそりとした手をそっと取った。この可憐な手は、素晴らしい小物を作り、酷い女装を改善し、そして利吉を守ってくれる程の凄まじい怪力を秘めているのだ。
そう思うだけで、興奮から胸がドキドキした。
「嗚呼っ、貴女はなんて素敵なんでしょう。是非とも今から、わたしと二人で色々と仕事の打ち合わせをしましょう。わたしには貴女がいればそれでいいのだと改めて確信しました。さぁ、どうぞわたしが貴女を良い場所まで案内しますからご一緒にーー」
背中に薔薇を背負うかのような、満面の美しい笑みで澪に語りかける利吉は、口説いているようにしか見えないが内容は、ビジネスの話である。
「だぁっー!利吉さん、だから紛らわしいんですって!!」
「こら、小平子は大股で走って大声をあげない。お淑やかにしなさい!」
小平太が大急ぎで澪と利吉のところへ駆け出そうとすると、伝子から首根っこを掴まれてお叱りを受けていた。その顔はブスっとしている。
山田利吉、容姿端麗にしてフリーの売れっ子忍者は、転生者にして怪力娘の澪に正しく夢中だった。
その様を見た伝子もとい利吉の父親、山田伝蔵は今は大丈夫かもしれないが、いつか息子が半助のライバルになるような事があったら、どうしようーー等と、半助が知れば悲鳴を上げそうな事を思っていたりした。
とにもかくにも、鵺退治という利吉が持ち込んだ仕事によって、また一つ物語が動き出す。
果たして結果がどうなるかは、天のみが知るのだろう。
+++++
ーー仕事モードの山田利吉は苦手だ。
きり丸とのデートの途中で利吉と、女装四人組に出会った澪は、その日一日を無事に終えてそんな感想を抱いた。
目元涼やかな美男子な利吉であるが、圧と押しがすごい。逃がさないという熱意を強く感じる。目的遂行のために意志を貫く強さは、成程、忍者向きなのかもしれない。
澪は利吉に連行されるような形で、鵺退治の打ち合わせをさせられた。救いは近くに伝子が居たので、マシになった女装組三名を含め一悶着あったが会話に参加してくれた事だ。
ちなみに、きり丸と手を繋ぎたかったが当事者以外に仕事の話は内緒のため、話してる間は離れていた次第だ。
救いだったのは、差ほどに時間が要らなかった事だ。打ち合わせと言っても澪と六年生の予定を把握しただけであり、鵺が最も出没しやすいという夜に仕事をすることになるため午後から準備をすると言われたくらいである。
依頼主に引き受ける事を伝えてから、互いの予定を擦り合わせて決行となるため、早くとも鵺退治は実行までに数日程度の時間を要した。
また、鵺に遭遇する必要があるため、下手をすると割と長い間、鵺が出るまで捜索にあたる必要がある。
つまり、鵺捜索の間は女装が続く。半助からしたら悲劇であろう。とはいえ、そうすると全員が野外実習に参加できる日とダメな日が出てくる。澪は今の所は夜の予定がないため、極力出ることになりそうだ。
学園に帰ってから、利吉と出会った事で鵺退治の予定が決まり、その事を当事者の半助と残る六年生三人に伝えた。
かなりマシになった文子、留子、小平子の姿を見た他の六年生達からは澪に対する称賛があった。ちなみに、女装のクオリティは六年生では仙蔵が一番高いらしい。
余談として鵺退治では、真面目に女装しなくてはならないため化粧を澪と仙蔵が担当することになった。
何でも本人にやらせると、伊作も長次も文次郎達よりマシとはいえ出来栄えはよくないとの事。
かなーりマシになった三人を見た半助が、これなら自分が手本に女装なんてしなくても、と言ったが伝蔵に学園長命令だからと却下されて落ち込んでいた。
そして、鵺退治とは別件で澪は休みの日の翌日に、伝蔵に呼び出された。場所は学園長室である。
伝蔵だけでなく半助もおり、澪はヘムヘムを膝の上に乗せた状態で学園長をはじめ、総勢三名と一匹に呼び出しの説明を受けた。
時刻は正午を少し過ぎており、遠くから下級生の忍たまの物と思われる楽しげな声がしていた。
「ーーさて、澪ちゃん」
にっこり、と笑顔の学園長が綺麗に上座で正座をしている。
「山田先生から聞いたのじゃが、何でも銭に関する面白い話をきり丸にしたとか。是非とも、わし等にもどんな話をしたか、今一度教えてはもらえんかのう」
ーーひょっとして、貨幣制度の話って時代的に珍しい物だったりするのだろうか。
何ちゃって戦国のせいで、己のチートぶりについて今ひとつ自覚に欠けていた澪が、ここにきて遅すぎる自覚が芽生え、内心、冷や汗をかく心地であった。
澪は預かり知らぬ事であるが、経済学というものは概念こそ古代からあれど、近代になってから確立された学問である。
皆、生きることに必死な時代である。銭で物が買える事を理解はしても、その銭がどうして存在していて、どういう性質のものでどんな欠点があるか等、普通は考えもしない。日頃、何の疑問を抱かずに買い物をしている現代人にも多く当てはまる事だ。
澪が当たり前のようにきり丸に伝えた話は、それこそ最前線で商いをする商人や商業振興に関心のある大名やその家臣、そして彼等に教えを伝授する立場の者が唱えるような事であった。
「あー、はい。分かりました」
喋ってしまった事実を今更、取り繕う意味もない。仕方なく、澪はきり丸にもした話をもう一度した。
その際に、何やかんや聞かれてしまい、簡単にインフレーションとデフレーションの説明までさせられた挙句にスタグフレーションの話にまで突入し、彼の有名なアダム・スミスの定義した神の見えざる手による受給バランスの決定についてまで喋らされた。
するする話させる忍者の手腕が怖い。
ざっくりとした経済学の入り口の部分について、現代日本人なら説明可能な話を終える頃には澪の喉は乾いていた。
マクロ経済学だのミクロ経済学だのは、説明し出すとキリがないため割愛である。というか、触りしか知らないので話すとやぶ蛇である。
全ての話を終えた後、集った面々は何とも言えない顔をしていた。
少しの間、沈黙が部屋の中を支配し、最初に口を開いたのは半助であった。
「えっと、澪さんはどこでこの知識を?」
ーー前世です、と言えたら言いがその場合は益々部屋の中に沈黙が広がるのは目に見えている。なので、しれっとした顔で嘘をつく。
「知識も何も皆さん、大人は分かっていると思っていました。明人の母の再婚相手も銭の事はちゃんと理解していましたよ。日ノ本がいつまでも明の古い銭を使う物だから、大丈夫かと心配してましたし」
明人の母の再婚相手が、日本の通貨のあり方をツッコミしていたのは本当だが、前半は嘘である。
頭いい人あるある、わたしがわかるんだからYouも分かるよね?作戦である。イヤミったらしいとか言ってはいけない。
「さすが、わしの美人秘書!こうでなくてはっ!!」
澪の苦しい言い訳を聞いて、呵呵とばかり学園長が笑った。
「面白いではないか。澪ちゃんにはきっと、わしらのおよびもつかぬような知恵や知識が頭に詰まっておるんじゃ。凄い事よの」
流石は学園長。包容力溢れる言葉に澪は小さく拍手した。見ると、ヘムヘムも同じように手を叩いている。
手というか、犬だから前足か。二足歩行のせいで人間じみ過ぎているヘムヘムである。
「じゃがの。澪ちゃんが優秀過ぎるとわしから横取りしようとする輩が出てくるかもしれん。変な人間から接触があったら、直ぐに報告するんじゃよ」
「それは勿論です」
とはいえ、果たしてあるのかそんな事が。
澪が男ならともかく、女である。それだけで、この戦国では男と同じ能力があっても下に見られるのに、性別関係なく欲しがるような先進的な考え方のできる人間がそう多く存在するとは思えない。
「念のため、きり丸には他へ口外しないよう口止めしますか?」
「いや、その必要はなかろう山田先生。むしろ、澪ちゃんからどんどん教えてもらってよいことだと思う。色んな事を知って優秀な忍者にならねばの。それに、知識の独占をしない方が澪ちゃんにちょっかいをかける輩も減るじゃろうて。わしの美人秘書は渡さぬ!!」
くわっ!と目を見開く学園長。
だが、言葉の端々に澪への気遣いを感じた。そんなに澪が負担に思わなくてよいように話しているが、中身は澪の安全を配慮した物で頭が下がる思いである。
「土井先生、今後は代表して澪ちゃんから色んな話を聴き取り、教科担当の先生方を集めて定期的に生徒達に教えるかどうか皆で決めてくれ。以前に聞いた九州や山陰の話も含めての。澪ちゃんは余り深く考えず、頭の中にある知識を自ら許す範囲で土井先生に話してはくれんかの。あちこちに話した結果、思わぬ所に知識だけ先歩きするよりはその方がマシじゃろうて」
「お気遣い、ありがとうございます」
今後は澪の知る現代知識の集約先は半助で決まり、という事であろう。うっかり何かきり丸辺りに話さないよう、気を引き締めなければ。
とはいえ、どういうことがこの世界の人達にとって当たり前なのか、逆に何がそうでないのかの違いが分からない。
チラリと助けを求めるように半助を見ると、直ぐにふわっと優しく微笑まれた。
その優しい半助の笑顔は、一年は組の良い子達に向けられる物と似て非なる表情で。
トクン、と。
小さく澪の心臓が震えた。
いかん。
ハンサムなだけあって甘いマスクで微笑まれると、ときめいてしまった。半助は利吉に片想いしているのにーーと、大いなる勘違いを持ち出して、今しがたのときめきに蓋をする澪であった。
頭が痛い。
利吉は目眩がしそうになるのをどうにか堪えつつ、目の前にいる父を筆頭にした酷い女装姿の四名をチラリ、と見た。
昼餉を食べるには少し遅い時間になろうかという頃。
うどん屋を出た利吉は、澪ときり丸に急ぐ用事がないなら、店の中で居合わせた四人を外で一緒に待たないかと声をかけた。
利吉の忍びとしての勘が働いた結果である。女装を楽しんでやっている節が過分にある伝蔵であるが、何の意味もなくする事はない。
しかも、今日は休みなのに担任でもない六年生に付き合っているのである。これは何かある……ピンと来てしまった勘に従い、何をしているのか、どんな意図があるのか店を出て、忍者にしか分からぬ伝音ーー矢羽根を使い伝蔵に尋ねて判明した事実に、利吉は呻き声を上げそうになっていた。
これで二回目である。
忍術学園の生徒達には、プロ忍として先輩らしく優しく親切に接するのを心がけており、利吉としては好意的に接している相手だ。
六年生ならプロに近い実力があるため、足手纏いになる心配こそないが、利吉としては二回も己の仕事が学園の野外実習に活用されてしまい、もうお手上げ状態であった。
澪一人だけでは済まない気はしていたが、まさかそこに六年生がくっついて、おまけに女装をするなんて誰が思うだろうか。
まぁ、予想していた通りと言うか利吉が兄のように慕う土井半助も来ると知って、少しホッとしたのだが。
利吉にとって、ベストな仕事の相手は澪と半助の二人だったのが、忍たま六年生とはいえ六名も追加されてしまい、予想外もいいところだ。だが、一年は組が来るより遥かにマシな展開のため仕方なしとする。
利吉は以前の泥棒退治の時、一年は組のきり丸のやらかしのため、強盗達に予定外に囲まれてしまい、かなり危険な状態にあった。常人より戦闘の心得があってかなり強い方とは言え、戦の経験もあったあの時の強盗達相手は数が多すぎた。
このままでは負けてしまうーーそう思った時に、現れた澪の圧倒的な力に利吉は感動した。
己を追い詰めた相手が、まるで羽虫のようにあっという間に片付けられる壮絶な場面は、恐れよりも興奮と感動を強烈に利吉に齎したのだ。
澪の容姿は、美しい母を見慣れている利吉からしても、賞賛に値する外見だ。
しかし、利吉からすれば見てくれの美しさは、母で耐性があるため、特に見惚れたりするような物でもなかったーーだが、澪が戦う姿は武神そのものだった。
神々しい、美しき女の武神である。戦女神とでも言うべき姫神の姿を利吉は澪に見出した。
この生き神とも言うべき少女の戦う姿を、もっと沢山、もっと近くで見たいーーそんな要求が湧き起こるのを止められなかった。
どうすればいいか。利吉は短い時間で必死に考え、答えを出した。今まで己が見送って来た突き抜けた力の必要な仕事達を一緒に澪に引き受けてもらえたら、と。
そうしたら、利吉と澪にとって良い事ずくめだ。利吉は名が上がり仕事もできてギャラが手に入るし、澪とてそれは同じである。
何より澪の戦う姿を近くで見られるのだ。
だが、他に聞かれたら我も我もと言う者が出て来ないとも限らない。そのため、利吉は澪と二人で話したかったのだが、そこで土井半助という予想外の邪魔が入った。
利吉にとって、半助は兄貴分だ。それと言うのも、昔、山田家で怪我をした半助を匿い過ごしたことがあるせいだ。
面倒見のいい半助に一人っ子で寂しく思っていた利吉は最初こそ、大好きな父が半助に構うものだから、面白くない気持ちもあり警戒していたのに、半助の優しさに惹かれてあっという間に懐いた。
そしてその頃からの気持ちは今も変わらない。大人になって口に出して呼ばなくなっただけで、「お兄ちゃん」と半助の事を心の中では呼んでいた。
その半助が澪と自分の話の邪魔をするのを見て、聡い利吉は気付いた。
ーーひょっとして、半助は澪に気があるのではないか、と。その証拠に、わざと突き放すと恨みがましい視線を向けられてしまい、それでこれは本物だと確信した。
異性相手となると、逃げ腰で恋人なんて作ろうとしてこなかった半助が、利吉に対して隠せない程に嫉妬していたのだ。
純粋に驚いて、同時に納得もした。成程、相手が姫神の如き存在なら、あの半助が恋慕して感情を隠せなくなってもおかしくはない、と。
とはいえ、半助を応援したい気持ちより澪の戦う様を近くで見たい要求の方が勝ってしまった。何と言っても、澪から半助に対して異性への好意を微塵も感じないせいである。
これがお互い好き合っていそうなら、焦ったさから背中を押したくなるかもしれないが、下手に半助を押しても今の状況では澪にフラれてもおかしくはなく、利吉が応援するにせよ半助自身の努力の成果をもう少し見てから、応援したい所であった。
なので、澪にお礼を言うがてら己が澪の側で彼女の戦いぶりを眼に焼き付けるため、自分も彼女も嬉しい一級の依頼を厳選して学園まで持ち込んだのだが。
「三人とも、化粧が濃すぎです。白粉も紅も顔に塗れば良いと言う物ではありません。特に小平子さんは頬紅をぐるぐる書いて。あー、もう、落書きですかまったく。そこの木の後ろでわたしの手持ちの道具を使って、化粧を直してあげますから全員来てください!」
ため息しか出ないような女装をしている六年生三人を相手に、澪が見かねてそう言っていた。是非とも、父にもそれを言ってほしい。
父の女装は最近では慣れてきたとは言え、息子の利吉からして相当酷いのに澪にしれっとスルーされて、少しばかりがっかりする利吉である。
「ちぇー、澪さんと二人きりだったのに」
何ちゃって女装集団の三人を引っ張って消えた澪を見送りながら、きり丸がぶすっとした顔で座っている。その服は真新しく、胸元に小槌の刺繍があり洒落た物だーーひょっとして、澪が縫ったのだろうか。
ぼろぼろの巾着を使っていた父の伝蔵が、忍術学園の職場を訪ねた際に真新しい綺麗な巾着を使っており、それに手裏剣の刺繍がしてあったので、自分も欲しいと思って購入した場所を聞いてみたら、澪の手作りだと言っていたのを思い出す。
控え目に言って巾着も、きり丸の着物の縫製も丁寧で上手い。
というより、センスがある。
利吉は、伝蔵が持っていた巾着に対し単なる道具としての機能の他に、都人のような洒落と粋を感じた。
田舎育ちの利吉からすると、都会の雰囲気のする物というのは好感を抱きやすく、澪が作ったという持ち物にはそうした都人を彷彿とさせる風情があると思ったのだ。
作って売れば、それなりの値段で取引されそうな出来栄えである。実際、利吉が欲しいのだから。
正直言って、きり丸が羨ましい。
手を繋いでうどん屋に入って来たきり丸と澪は、年の離れた姉弟のように見えた。戦っている最中の神がかった澪は利吉を惹きつけてやまないが、きり丸を見て優しく微笑む姿は慈愛溢れる物でーー成程、これは半助に限らず、男が思わず惚れてしまう美しい少女だと思った。
そのうち、自分にもあんなふうに笑ってくれないものか。話し方だって、もっと砕けたものにしたい。自分は忍術学園の生徒でも教師でもないのだから。
そうすれば、もう少し距離を縮められるのに。
目指すは、澪の戦う様を好きなだけ観戦できる立場である。是非とも、最前列で彼女の活躍する様を見たい。許されるなら、声援を送りながら。自分は澪が倒した雑魚を拘束する雑用係でいいから。
利吉はすっかり、澪のファンになっていた。
半助がこの事を知ればひっくり返るだろうーー男にくのたま達の同類が出た、と。
この乱世にあって、人々は娯楽に飢えている。
能楽の舞を舞台を見て優雅に楽しんだり、和歌や漢詩を詠んだり、茶の湯に親しむなんて物はそれなりの金がなければできない贅沢であり、庶民にはあまり縁がない。
時たま、人の集まる町で軽技等の芸を披露する者を眼にしたりするのが基本であり、他は時たまある祭りや正月、神社の巫女舞等が楽しみなのである。
利吉もまた例に漏れず、娯楽に飢えた庶民の一人であり、そんな利吉からして澪の存在は突如として彼の前に降臨した見た事のない類のエンターテイメントであった。
よって、長年の付き合いのある兄貴分として慕う半助の恋する相手と知りつつも、澪という彗星の如く現れた娯楽に親しみたいという要求が抑えきれない利吉である。
それを現代用語で表すなら、ファン心理がもっとも適当であろう。
「あら、きり丸ったらおませねぇ。澪ちゃんとデートなんて」
「へへっ、ぼくは澪さんと仲がいいですからね」
伝蔵もとい伝子の揶揄いに対して、照れるでもなくむしろ自慢気なきり丸である。そんなきり丸を前に伝子が苦笑いしているのを利吉は見た。
そして勘付くーー伝子の何とも言えない表情は、大方、半助の恋路を思っての事だろうと。
利吉が直ぐに気付いたのだ。伝蔵が半助の気持ちに、気付いていないはずもない。意中の相手との逢瀬を十歳のきり丸に先取りされている有様に、苦笑いしているのだろう。
「澪さんって、本当凄いですよ。何でも知ってて、オレすごい勉強になりました」
「そりゃそうよ。澪ちゃんは沢山の色んなお父上が居たんだし」
「あー、それもそうなんですけど、ぼくが聞いたのは銭についての話でした。初めて聞くような事でしたけど、でも面白くて。今度、澪さんの話をは組の皆んなにも聞かせてあげたいなって」
伝蔵が澪を褒めるきり丸に頷くも、きり丸から飛び出した銭についての話という言葉に不思議そうな顔をする。
利吉も、この銭の申し子のようなきり丸が感心するような話をしたらしい澪に驚いた。
「へぇ、それはどんな話だったんだ。きり丸」
興味本位で利吉が尋ねると、きり丸が思い出すような表情でゆっくりと答えてくれた。
「銭はあくまでも道具で、ある日突然価値がなくなる事もある、って話です。えっと、銭は物々交換の手間を減らすための道具で、その価値は人間が決める泡沫みたいな物って言ってました」
「ーーへぇ」
利吉が目を細めるのと、伝子ーー否、伝蔵がしまったというような顔を一瞬したのは、ほぼ同時だった。
貨幣は単なる道具、そしてその価値は泡沫のような物。確かに言われてみればその通りだ。
だが、その真理を利吉は今の今まで、きり丸の話を聞くまで、はっきりと理解しきれていなかったのだ。
ーー利吉は、まるで身体に稲妻が走ったような衝撃を受けた。
貨幣制度の簡易な説明とその欠点を纏めた澪の現代日本人なら持ち合わせている当然の知識は、なんちゃって戦国においては取り扱い注意の爆弾のようなものだ。
澪は前世の記憶があるために、この世界の者からすれば大学者のようなポジションだったりするのだが、当然ながら本人にその自覚は全くない。
結果、澪からきり丸を通して予想外の話が飛び出した事に、伝蔵は焦りを隠せず利吉は興奮から目を輝せる事態となった。
まるで、澪は存在自体がびっくり箱のような女性だ。これ程の謎と興奮に満ちたエンターテイメントがどこにあるというのかーー否、この日ノ本の澪のような存在は二人としていない。
利吉の澪に対する元々あった好奇心は、きり丸の話を聞いた事で形容し難い興奮を伴いながら最高潮に達していた。
「ふー、終わったぁ……」
そうとは知らない澪が、どうやら三人組の女装の修正を終えたらしく疲れた様子で出て来た。澪の後をぞろぞろと、先ほどまで痛い女装を披露していた面々が付いてくる。
「おおー、見違えました先輩達!!」
修正後の三人の姿を見た途端にきり丸の目が輝いた。さっきまで白粉やら紅やらを塗りたくっていた三人の忍たまは様変わりしていた。
利吉もかなりマシに修正された三人を前に、澪の腕前を知り感心する。
全員、男らしい顔とはいえ顔立ちは整った部類になるのだ。もともと、やり用はあったのを澪が最大限に活かしたらしい。
その結果、文次郎は目元の隈を綺麗に消され、少々ごつい感じはあるものの、どこか知的な雰囲気漂う娘に。
留三郎は、目元涼しげな美人になっており、身体付きが筋肉質な感じがするとはいえ、仕草に気をつければ男から誘いがあるかもしれない娘に。
最後の小平太は、可愛らしい年頃の娘そのもので、活発で明るい雰囲気がよく出ている。眉は少し整えられているが、やりすぎない程度となっており、それがかえって自然体になっていた。
「「「こ、これが、わたし……」」」
三人とも変身した自分達の姿が衝撃だったのか、澪から手鏡を借りて様変わりした女装姿に唖然としている。
「澪さん、お疲れ様。よくあそこまで、完成させましたね」
「わたしのことは、カリスマメイクアーティスト澪って呼んでくれていいですよ、きり丸くん。はぁ、母上に扱かれたおかげで化粧技術は我ながら高いわー……よくやった。わたし、うん」
見ていて飽きない人だ。
利吉はじーっと澪を見つめる。彼女の中に秘められているのは、利吉を助け強盗達を圧倒した怪力だけではないのだと思うと、是非とも仲良くなって色んな話をしなければと改めて決意するには十分だった。
そのためにも、澪には一級品の依頼を持ち込んで矢張り一緒に仕事を受けてもらわねば。自分のため、彼女のため、なんて一石二鳥なのだろうか。
今や、伝蔵から鵺退治が六年生の野外実習に化けてしまった事を教えられた際に、覚えていたはずの頭痛は消え去っていた。
「澪さん!」
利吉は澪の名を呼び、そのほっそりとした手をそっと取った。この可憐な手は、素晴らしい小物を作り、酷い女装を改善し、そして利吉を守ってくれる程の凄まじい怪力を秘めているのだ。
そう思うだけで、興奮から胸がドキドキした。
「嗚呼っ、貴女はなんて素敵なんでしょう。是非とも今から、わたしと二人で色々と仕事の打ち合わせをしましょう。わたしには貴女がいればそれでいいのだと改めて確信しました。さぁ、どうぞわたしが貴女を良い場所まで案内しますからご一緒にーー」
背中に薔薇を背負うかのような、満面の美しい笑みで澪に語りかける利吉は、口説いているようにしか見えないが内容は、ビジネスの話である。
「だぁっー!利吉さん、だから紛らわしいんですって!!」
「こら、小平子は大股で走って大声をあげない。お淑やかにしなさい!」
小平太が大急ぎで澪と利吉のところへ駆け出そうとすると、伝子から首根っこを掴まれてお叱りを受けていた。その顔はブスっとしている。
山田利吉、容姿端麗にしてフリーの売れっ子忍者は、転生者にして怪力娘の澪に正しく夢中だった。
その様を見た伝子もとい利吉の父親、山田伝蔵は今は大丈夫かもしれないが、いつか息子が半助のライバルになるような事があったら、どうしようーー等と、半助が知れば悲鳴を上げそうな事を思っていたりした。
とにもかくにも、鵺退治という利吉が持ち込んだ仕事によって、また一つ物語が動き出す。
果たして結果がどうなるかは、天のみが知るのだろう。
+++++
ーー仕事モードの山田利吉は苦手だ。
きり丸とのデートの途中で利吉と、女装四人組に出会った澪は、その日一日を無事に終えてそんな感想を抱いた。
目元涼やかな美男子な利吉であるが、圧と押しがすごい。逃がさないという熱意を強く感じる。目的遂行のために意志を貫く強さは、成程、忍者向きなのかもしれない。
澪は利吉に連行されるような形で、鵺退治の打ち合わせをさせられた。救いは近くに伝子が居たので、マシになった女装組三名を含め一悶着あったが会話に参加してくれた事だ。
ちなみに、きり丸と手を繋ぎたかったが当事者以外に仕事の話は内緒のため、話してる間は離れていた次第だ。
救いだったのは、差ほどに時間が要らなかった事だ。打ち合わせと言っても澪と六年生の予定を把握しただけであり、鵺が最も出没しやすいという夜に仕事をすることになるため午後から準備をすると言われたくらいである。
依頼主に引き受ける事を伝えてから、互いの予定を擦り合わせて決行となるため、早くとも鵺退治は実行までに数日程度の時間を要した。
また、鵺に遭遇する必要があるため、下手をすると割と長い間、鵺が出るまで捜索にあたる必要がある。
つまり、鵺捜索の間は女装が続く。半助からしたら悲劇であろう。とはいえ、そうすると全員が野外実習に参加できる日とダメな日が出てくる。澪は今の所は夜の予定がないため、極力出ることになりそうだ。
学園に帰ってから、利吉と出会った事で鵺退治の予定が決まり、その事を当事者の半助と残る六年生三人に伝えた。
かなりマシになった文子、留子、小平子の姿を見た他の六年生達からは澪に対する称賛があった。ちなみに、女装のクオリティは六年生では仙蔵が一番高いらしい。
余談として鵺退治では、真面目に女装しなくてはならないため化粧を澪と仙蔵が担当することになった。
何でも本人にやらせると、伊作も長次も文次郎達よりマシとはいえ出来栄えはよくないとの事。
かなーりマシになった三人を見た半助が、これなら自分が手本に女装なんてしなくても、と言ったが伝蔵に学園長命令だからと却下されて落ち込んでいた。
そして、鵺退治とは別件で澪は休みの日の翌日に、伝蔵に呼び出された。場所は学園長室である。
伝蔵だけでなく半助もおり、澪はヘムヘムを膝の上に乗せた状態で学園長をはじめ、総勢三名と一匹に呼び出しの説明を受けた。
時刻は正午を少し過ぎており、遠くから下級生の忍たまの物と思われる楽しげな声がしていた。
「ーーさて、澪ちゃん」
にっこり、と笑顔の学園長が綺麗に上座で正座をしている。
「山田先生から聞いたのじゃが、何でも銭に関する面白い話をきり丸にしたとか。是非とも、わし等にもどんな話をしたか、今一度教えてはもらえんかのう」
ーーひょっとして、貨幣制度の話って時代的に珍しい物だったりするのだろうか。
何ちゃって戦国のせいで、己のチートぶりについて今ひとつ自覚に欠けていた澪が、ここにきて遅すぎる自覚が芽生え、内心、冷や汗をかく心地であった。
澪は預かり知らぬ事であるが、経済学というものは概念こそ古代からあれど、近代になってから確立された学問である。
皆、生きることに必死な時代である。銭で物が買える事を理解はしても、その銭がどうして存在していて、どういう性質のものでどんな欠点があるか等、普通は考えもしない。日頃、何の疑問を抱かずに買い物をしている現代人にも多く当てはまる事だ。
澪が当たり前のようにきり丸に伝えた話は、それこそ最前線で商いをする商人や商業振興に関心のある大名やその家臣、そして彼等に教えを伝授する立場の者が唱えるような事であった。
「あー、はい。分かりました」
喋ってしまった事実を今更、取り繕う意味もない。仕方なく、澪はきり丸にもした話をもう一度した。
その際に、何やかんや聞かれてしまい、簡単にインフレーションとデフレーションの説明までさせられた挙句にスタグフレーションの話にまで突入し、彼の有名なアダム・スミスの定義した神の見えざる手による受給バランスの決定についてまで喋らされた。
するする話させる忍者の手腕が怖い。
ざっくりとした経済学の入り口の部分について、現代日本人なら説明可能な話を終える頃には澪の喉は乾いていた。
マクロ経済学だのミクロ経済学だのは、説明し出すとキリがないため割愛である。というか、触りしか知らないので話すとやぶ蛇である。
全ての話を終えた後、集った面々は何とも言えない顔をしていた。
少しの間、沈黙が部屋の中を支配し、最初に口を開いたのは半助であった。
「えっと、澪さんはどこでこの知識を?」
ーー前世です、と言えたら言いがその場合は益々部屋の中に沈黙が広がるのは目に見えている。なので、しれっとした顔で嘘をつく。
「知識も何も皆さん、大人は分かっていると思っていました。明人の母の再婚相手も銭の事はちゃんと理解していましたよ。日ノ本がいつまでも明の古い銭を使う物だから、大丈夫かと心配してましたし」
明人の母の再婚相手が、日本の通貨のあり方をツッコミしていたのは本当だが、前半は嘘である。
頭いい人あるある、わたしがわかるんだからYouも分かるよね?作戦である。イヤミったらしいとか言ってはいけない。
「さすが、わしの美人秘書!こうでなくてはっ!!」
澪の苦しい言い訳を聞いて、呵呵とばかり学園長が笑った。
「面白いではないか。澪ちゃんにはきっと、わしらのおよびもつかぬような知恵や知識が頭に詰まっておるんじゃ。凄い事よの」
流石は学園長。包容力溢れる言葉に澪は小さく拍手した。見ると、ヘムヘムも同じように手を叩いている。
手というか、犬だから前足か。二足歩行のせいで人間じみ過ぎているヘムヘムである。
「じゃがの。澪ちゃんが優秀過ぎるとわしから横取りしようとする輩が出てくるかもしれん。変な人間から接触があったら、直ぐに報告するんじゃよ」
「それは勿論です」
とはいえ、果たしてあるのかそんな事が。
澪が男ならともかく、女である。それだけで、この戦国では男と同じ能力があっても下に見られるのに、性別関係なく欲しがるような先進的な考え方のできる人間がそう多く存在するとは思えない。
「念のため、きり丸には他へ口外しないよう口止めしますか?」
「いや、その必要はなかろう山田先生。むしろ、澪ちゃんからどんどん教えてもらってよいことだと思う。色んな事を知って優秀な忍者にならねばの。それに、知識の独占をしない方が澪ちゃんにちょっかいをかける輩も減るじゃろうて。わしの美人秘書は渡さぬ!!」
くわっ!と目を見開く学園長。
だが、言葉の端々に澪への気遣いを感じた。そんなに澪が負担に思わなくてよいように話しているが、中身は澪の安全を配慮した物で頭が下がる思いである。
「土井先生、今後は代表して澪ちゃんから色んな話を聴き取り、教科担当の先生方を集めて定期的に生徒達に教えるかどうか皆で決めてくれ。以前に聞いた九州や山陰の話も含めての。澪ちゃんは余り深く考えず、頭の中にある知識を自ら許す範囲で土井先生に話してはくれんかの。あちこちに話した結果、思わぬ所に知識だけ先歩きするよりはその方がマシじゃろうて」
「お気遣い、ありがとうございます」
今後は澪の知る現代知識の集約先は半助で決まり、という事であろう。うっかり何かきり丸辺りに話さないよう、気を引き締めなければ。
とはいえ、どういうことがこの世界の人達にとって当たり前なのか、逆に何がそうでないのかの違いが分からない。
チラリと助けを求めるように半助を見ると、直ぐにふわっと優しく微笑まれた。
その優しい半助の笑顔は、一年は組の良い子達に向けられる物と似て非なる表情で。
トクン、と。
小さく澪の心臓が震えた。
いかん。
ハンサムなだけあって甘いマスクで微笑まれると、ときめいてしまった。半助は利吉に片想いしているのにーーと、大いなる勘違いを持ち出して、今しがたのときめきに蓋をする澪であった。
