第5話 その男、仕事中毒につき
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「六年生の野外実習として、鵺退治を許可するっ!六年生は可能な限り全員参加とし、利吉くんや澪ちゃんと同行する六年生は女装、ついでに一緒に行く土井先生も女装、澪ちゃんはわしがコーディネートした衣装で行く事!!」
くわっ、と目を見開き大きな声で指示する忍術学園の学園長を前に、やっぱりこうなったか……と、澪は遠い目になった。
職員室での騒ぎの翌朝。
澪は学園長室で秘書の仕事中と言う名の学園長やヘムヘムとの日向ぼっこの最中に、たまたま伝蔵が鵺退治の事を報告しに来た事で、図らずもその場に居合わせてしまった。
結果、学園長が下したミッションは男は全員女装しての鵺退治である。
澪は学園長の用意する衣装を着ると言う事だが、何せ秘書の制服が忍者服+名札だから変な物でないのを祈るしかない。
例えば『囮り』とでかでかと胸や背中に札がついた着物とか。
忍者としての嗜みなのかはさっぱりわからないが、伝蔵が割とポジティブに女装していたのに、半助は嘆いていた事からして、女装に関してはする人間の心の問題がネックになる話なのだろう。
それでいくと、互いにヒートアップして女装する事になった留三郎と文次郎、それに同行する気満々の小平太の意気込みは高く見えるーーが、三人は女装が下手くそらしい。
まぁ、三人とも男っぽい顔だし体付きもがっしりしているから、伝蔵程でないにしろ違和感は出てしまうだろう。
その理屈でいくと、半助はどうだ。
半子ーー半助は嫌がっていたが、無茶苦茶気になる澪である。背が女にしては高すぎるのがアレだが、現代日本ならモデルの身長だ。半助本人は爽やかな美形だし、確実に伝蔵よりは似合うだろう。
不謹慎だが、六年生全員と半助の女装が見られるのは、かなり楽しみかもしれない。
「ーー学園長先生、肩をお揉みしましょうか?」
「おおっ、いいのかね。では頼んじゃぞ、澪ちゃん」
学園長には、お給与も早めに貰えて感謝しかない。その細い老人の肩を、心を込めて揉む澪であった。
そして、学園長直々にとんでもないミッションが下された六年生は全員、女装に対して何か文句を言う事はなかった。
むしろ、一部はやる気に燃えていた。若さってすごい事である。あえて言うなら伊作だけは、「鵺退治なんて、大丈夫なんだろうか」とポロっと口にしていた。
一番、今回の件で落ち込んでいるのは、土井半助その人である。必要にかられたら女装はするが、別に好きでやっているわけじゃない上に、本人は好きな女にアピールできるチャンスが女装のせいで台無しになった為に心の中で大泣きしていた。
が、その好きな女ーー澪はむしろ半助の女装を楽しみにしているという、本人にとっては白目をむきそうな展開になっていた。控えめに言って哀れである。
そんなバタバタがあったものの、利吉が来る前に先に週末がやって来た。数日後、と言っていた利吉の事だ。澪が学園に確実に居そうな週明けのタイミングを狙って訪問してきそうである。
伝蔵譲りと思われる利吉の仕事中毒ぶりが怖い。利吉に今度追いかけられたら、家への帰宅を迫られて毎回逃げているという伝蔵と一緒に逃げようと考える澪である。
忍者相手には忍者でないと、逃げられないからだ。
澪一人で逃げても利吉は見つけて来そうであるーーちょっと顔はイケメンでも正直、仕事モードの利吉は苦手だ。
まぁ、それはともかくとして。
澪はやって来た週末の休みを一先ずは満喫する事にした。約束通り、きり丸と一緒にである。
朝にこっそり門の外で待ち合わせし、誰に邪魔される事もなく澪ときり丸は忍術学園を出る事が出来た。
きり丸は澪が縫った着物を着てくれ、それがとても似合っている。着回す物が増えたせいか、以前よりも小綺麗な印象になっていた。
澪はと言うと、外出のため市女笠を被った姿だ。別に手拭いを帽子代わりに頭に巻くだけでもいいのだが、顔を晒すと変な輩に絡まれるのでしているだけである。
ちなみに、澪の肌は日焼けをしない。原理は不明だが、目立つホクロやシミなんて物もない。多分、怪力に耐えうる頑健な肉体のためだろうーー皮膚も人よりかなり頑丈のため、紫外線を物ともせず、肌本来の白さをキープしているのである。
澪の母等は、お手入れ要らずだと羨ましがっていた。
「澪さん、人が多いから手を繋ぎません?」
「それもそうね……じゃ、よろしく。きり丸」
きり丸と学園から暫く歩いてやって来た町は店が立ち並び人が多い。
呼び込みの声や、値切り交渉をする人達の話し声があちこちからして活気がある。
道中、澪はきり丸と色々な話をして歩いて来たので、退屈せずに済んだーーとはいえ、利吉の事やら鵺退治の事は一応、機密扱いのため当事者達以外には口外しない事になっている。澪としては話したい気持ちはあったが、そこは堪えて当たり障りのない会話をした。
きり丸はと言うと、週の後半で半助のため息が激増したと言っていた。
曰く、「別にぼく達、やらかしてないのに胃をさすってるんですよ。時々、宙を見つめてなんかため息吐いてるし」とのこと。
きっと、それは女装しなくてはならなくなった上に、利吉とせっかく二人きりになれるかもしれないチャンスが中々訪れないせいだ、と思うが言うに言えない澪であった。
もはや、澪の勘違いを止める者は誰もいないため、利吉に半助が片想いしているという恐ろしい誤解はノンストップで今日も元気に活動中である。
「きり丸、今日はわたしの買い物に付き合ってもらうから覚悟してね。お昼ご飯は奢ってあげるから。さっ、デートするわよ!」
「っ、で、デート。あ、そ、そうですね。デートしましょ」
「あとこれからは、わたしと二人きりの時は乱太郎くん達といる時みたいにしてね。オレ、って話してるきり丸の方がわたしは好きだから」
何気に、きり丸にそのうち言おうと思っていた事だ。ぼく、ときり丸は歳上の人間に対しては少し畏まり、同年代にはオレと使い分けている。きり丸なりの処世術の一つなのだろうが、澪としてはきり丸とはできるだけ普通に話したい。遠慮した話し方を澪がしたくないので、きり丸も同じようにしてほしいのだ。
「ーー無理だったらいいんだけど」
とはいえ、これは澪からの頼みのため無理をさせる気もない。
「えっと、澪さんがそれでいいなら。失礼に感じたら言ってほしい。戻すから」
「ありがとう、きり丸。いやぁ、唯一きり丸としか素で話せなくて、そのきり丸に敬語で話しかけられるのは、こそばゆいって言うか」
「何だよ、それ。あ、でも敬称は流石に取らないからな。澪さんを呼び捨てにしたくないし」
ちょっと砕けた話し方になったきり丸に、澪は満足して頷いた。
「で、今日はどこ見るんだ。澪さん」
「んー、まぁ、色々と。伝子さんに頼まれた品を作る為の材料とか、安い白布があれば襦袢ーー肌着とかを作りたくて」
「本当器用だよな、澪さんて。この着物にしても、丁寧に仕上げられててびっくりしたし」
「んふふ、褒めても何も出ないわよ。ま、でもきり丸が欲しいなら、今度は袴を塗ってあげる。とはいえ、袴なんて元父上の繕い物を触ったくらいだから、着物より出来は悪くなるかもだけど」
「やった!文句は言わないから、タダでよろしく」
「はいはい、分かってるわよ」
きり丸との会話はテンポがよくて楽しい。
にこにこ笑いながら、二人仲良く手を繋いだ。
「とりあえずは、軟膏の材料を買いたいの。蘭引が欲しいけどーーあるかどうか。無ければ、中古の蒸し器を買って改良した物で香料を取らないと」
「らんびき?」
「蒸留の道具よ。んー、それっぽいのは博多にはあったんだけど、こっちでは普及してないのかなぁ。窯元とかに依頼できたら作ってほしいんだけど、高いよね絶対」
蒸留技術そのものは古代から存在するが、日本に持ち込まれて焼酎作りに活用され始めたのは、江戸時代前後の頃になってからである。ちなみに、澪が蘭引を知っているのはテレビドラマで江戸時代の医師が主人公の番組を見たせいである。
この世界では博多にいた時、明あたりから輸入したのか蘭引に似た蒸留器を目にした記憶があったのだが、それ以降はさっぱり見ていない。
「窯元に知り合いがいるんだけど、紹介しようか?なるべく安く作ってもらえるよう、オレが頼んでみるし。割れにくい焼き物を作る名人なんだ」
「ーーえ、本当?!」
蒸し器を改良して作る蒸留機は、過去に作った事はあるが効率がよくない。蘭引があれば化粧水で良い物ができるだろうし、願ったり叶ったりだ。
それがあるだけで、澪の美容品はグッと質が上がる。自分で使いたいのもあるが、売ってお金に出来たりすれば、その分だけ儲けになる。
忍術学園で働いているとはいえ、澪自身は母が明へ旅立ち後ろ盾がない。万が一、クビになったり退職した場合に次の行き先が中々ないのだ。
忍術学園という拠り所を得た今、澪はこの国で足場を固めるためにも、飯の種を確保しておく気満々だった。お給料を資本金とし、最初は小金をーーいずれ目処が立てば、商売だってできるようになるかもしれない。
忍術学園のような場所で働けるのは、身体が若い内だけである。医療保険も年金もないこの何ちゃって戦国で、それなりにリッチな生活をして長く生きるには商人あたりが理想である。
今すぐどうこうとまでは思っていないが、一回死んで生まれ変わったせいか、十五歳の姿でありながら澪は既に老後も視野に入れていた。
「じゃあ、その窯元さんを今度紹介よろしくね。それまでは中古の蒸し器を改良したので頑張るから!」
「うん、わかった。その代わりなんだけどさ、オレにもよかったら澪さんの技を教えてよ。あ、武術じゃなくて銭を稼げるヤツね」
「いいけど、レースとかはダメだからね。技術流出は避けたいから」
「ちぇー……。そこはほらぁ、澪さんのマネージャーやるからぁっ!」
「マネージャーって、きり丸は忍者になるんでしょうが」
マネージャーなんて、アイドルでもあるまいし。
「大体ね、銭は大事だけど命にはかえられないのよ。前に泥棒退治した時に、きり丸ったら強盗の落とした財布に飛びついていたみたいだけど、あんなことしたらダメ。命が幾つあっても足りないんだから」
「えー、土井先生みたいな事言われてもぉ」
金儲けはあくまで生きるため。それがいつの間にか手段と目的が逆になっているせいで、きり丸は本末転倒な事になっているのだろう。
説教臭くなる澪に対し、きり丸が拗ねたように唇を尖らせた。
「大体、貨幣というのは所詮は道具でしかないのよ。物の価値とはどういうことか頭にないと、銭ばっかりに目がいってたら大損するからね」
「えっ、そうなの?銭さえあったら大丈夫だと思うんだけど。三途の川も渡れるんだし」
三途の川を渡ってあの世に行くには、船の渡し賃がいるという話はあるが、澪は死んでから、そんな事をしてあの世に行った記憶はない。死んで真っ暗になり、それから気が付いたら、おぎゃあと不思議な戦国で産声を上げていた身である。
「三途の川はともかくとして、お金がどうしてこの世にあるのか、きり丸は考えた事はある?」
「えー、生まれた時からあるんだぜ。わからないって、そんなもん」
「答えは簡単。物々交換の煩雑さを回避するため。物々交換は取引の基本だけど、手間と時間と労力がかかるから、仲介にお金を使う事でその煩雑さを無くして、物の巡りーーつまりは、経済を円滑に回す必要不可欠な道具として貨幣があるの」
きり丸の頭は銭に偏ってはいるおかげで、損得勘定は早い。お金の話ということもあってか、澪の言っている事がすぐに理解できたらしい。ふむふむ、と頷いている。
「でも、貨幣制度には致命的な問題がある」
「致命的な問題?」
「貨幣という物それ自体の価値は、人間が決める泡沫のような物って事よ」
今、澪達が使っている貨幣は永楽通宝と言い、明で造られた物だが、明ではこの永楽通宝とは別の銭貨や銀が流通している。
ちなみに、戦国時代はビタ銭といい、汚損した銭も多数存在する事から、一枚の価値が皆同じではない。ビタ銭はそれ故に普通の通貨一枚の価値がないのである。
永楽通宝は銅で出来ている。つまりは、突き詰めると小さな銅の塊の価値しかないわけだ。
ちなみに、現代日本もそれは同じだ。
紙幣ともなれば、それも信用通貨の不換紙幣ならば尚更に一枚の紙幣の価値なんて物は、その貨幣を扱う共同体が価値観を共有できなければ単なる紙切れになり破綻するーー現代用語で言えば、デフォルトによる通貨暴落である。
「簡単にいうと、ある日、永楽通宝の価値が無くなって、ただの銅のカケラでしかなくなる要素があるってこと」
「えーっ、そ、そんな……!」
「まぁ、今すぐの話じゃないよ。きり丸が生きてる間にそうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。そのくらいの確率の話かな。とはいえ、お金っていうのは、使う大勢の人間に価値があるって認められているから、そう見えるだけでこの貨幣その物は単なる銅の塊でしかないって事よ。だから、これに命をかけちゃいけない。お金で命は買えないからね」
ーーとはいえ、実際はお金で人身売買が横行しているので、お金の価値は人の命と等価になり得る。建前にしか聞こえないかもしれないが、お金の本質を少しは理解してくれたら、銭の申し子のきり丸も少しくらいは、自分を大切にしてくれないか、と願う澪である。
「ーー澪さん、そんな事考えつくなんてやっぱりすげぇや。オレ、なんか今の話面白かった。ケイザイだっけ?銭がすげぇ好きだけど、そういう事考えた事なんてないから」
まぁ、それはそうだろう。
これは貨幣の歴史や、社会の仕組みを知っているからこその話である。とはいえ、大人なら理解している者も多そうではあるが。
「オレ、アルバイトばっかしてるせいで勉強の成績はよくないけど、澪さんの話は面白かった!今度、は組でそういう話をしてよ。皆んなも面白いって言うと思うんだ。多分、土井先生も聞きたがると思うし!」
「えー、先生相手にはちょっと。大人なら、こんな事は理解してそうな気がするけど」
「そんな事ないって。何なら、オレから土井先生に話してみるし」
「……はぁ、まぁ、雑学の時間って事で先生から許可が出たらね」
きり丸に、ちょっとは銭より命を大切にしてほしくて話しただけだったのに、蘊蓄の披露になってしまった。きり丸本人は面白かったみたいなので、よしとした。
ちょっとした雑学を話し終えた後は、きり丸と町で本格的に買い物した。
すると、いく先々できり丸が店主が涙を浮かべる勢いで値切ってくれたおかげで、軟膏の材料や中古の蒸し器をお安くゲットできた。連れて来て正解である。喜びの余り、澪はきり丸に抱き付いてスリスリした。
「きり丸最高ーー!」
「へへ、ちょっと澪さん照れるから」
愛いヤツめ。耳とほっぺを赤くするきり丸を存分に可愛がった澪であった。
量が多いので中々に重い荷物なのだが、澪からすると楽勝である。最後に襦袢用の布も購入して大満足した澪は、きり丸に昼食をご馳走する事にした。
「何が食べたい、きり丸。うどん屋さんにする?それとも、丼とか雑煮でも食べる?定食でもいいよ」
何ちゃって戦国時代は、食べ物屋の種類も豊富だ。選び甲斐が割とあって楽しい。
「エビの天ぷらが入ったうどんが食べたいっ。普段は一番安いのしか食べないから」
「りょーかい!」
買う物も買ったし、次は腹ごしらえをしよう!と、きり丸と引き続き仲良く手を繋いで、美味しいと評判のうどん屋の暖簾をくぐった。
すると。
「ーー澪さん?」
爽やかな青年のいい声がした。
店内のため、市女笠を脱いだ瞬間に話しかけられた澪は固まった。
「あ、利吉さん」
先に声を発したのはきり丸である。
見ると店内は満席に近く、利吉のテーブルはあと数名は腰掛けられそうな余裕があったーー嫌な予感がする。
「よかったら、一緒に食べませんか。混んできてますし。こっちへ、二人とも」
結構ですーーなんて言って断り辛い。
利吉が嫌いな訳ではないが、仕事について熱心に語る姿を思い出すと、どうにも警戒してしまいそうになる。
「ありがとうございます。お邪魔しますね」
「お邪魔しまーす」
利吉においでおいでと手招きされ、きり丸と二人で向かいに腰掛ける。すると、待っていたかのように店員が「ご注文は?」と尋ねながら、湯呑みに入ったお茶を三つ並べてくれた。
「わたしは、きつねうどんで。麺は大盛りでお願いします」
「天麩羅うどんを二つお願いします」
「はいよ。ごゆっくり」
店内に漂うお出汁のいい香りに、食欲が刺激される。腹が鳴るのを誤魔化すために、お茶を一口飲むと向かいで利吉が頬杖をついて、じーっと澪ときり丸を見ていた。
「今日はきり丸とお出掛けですか?」
「ええ、デートしてもらってるんです。買いたい物が沢山ありましたので」
「へぇ。その大きな風呂敷の中身は何ですか?色々入ってるみたいですが」
利吉は興味津々である。こうして見ると本当に好青年だ。仕事さえ絡まなければいいのに。
「軟膏の材料とかだそうですよ。澪さんが、美容品を作るのに使うそうです」
「美容品ですか。凄い、そんな知識があるんですね」
「ーー趣味みたいな物です。大した事では」
この世界の物は、澪の前世の世界より全体的に物の価値が高い。工場で生産していないのだから、当然なのだが買うと高いから服にしろ小物にしろ、庶民は手作りが基本だ。
澪の美容品だって、その一環でしかないーーいつか商売の種にと、こっそり考えてはいるが。
「父上が、出来のいい巾着袋を使っていました。何処で買ったのか尋ねたんですが、澪さんの手作りだと聞きました。針仕事もあんなに綺麗に出来る上に美容品まで作るなんて、本当に器用なんですね。素晴らしい!」
きゃっ、褒められた嬉しい!
なんて、露とも思わない澪である。
利吉の中で上がっているのは、異性に対する好感度ではなく有能な人財という人事評価的な気がしてならない。
キラキラした美男子の視線は、澪からすれば優秀な新人を期待の眼差しで見つめる人事採用の面接官のようにしか感じなかった。
遠い目になる澪である。
店内では利吉の仕事中毒ぶりと真面目っぷりを知らない若い女性達が、チラチラと色男を見てため息をついている。
そして向かいにいる澪を見て、美男美女カップルだと勘違いしてか憧れのような眼差しを向けてくるが、ぶっちゃけ、そんな甘酸っぱい関係ではない。
「はい、おまちどお」
利吉のキラキラビームから失礼のない程度に視線を逸らしていると、うどんが運ばれて来た。流石は麺類、出来上がるのが早い。
「利吉さん、伸びる前にいただきましょう!」
パン!とこれみよがしに手を叩き、「いただきます」と続ける。
「そうですね、いただきましょう」
すっ、とまるで仏像の前で合掌をするように綺麗な姿勢で手を合わせる利吉は、売れっ子忍者ではなくて育ちのいい若者にしか見えない。
「わーい、海老だぁ」
大きな海老の天麩羅を見て目を輝かせるきり丸に、大いなる癒しを感じる澪である。十歳の少年の放つ無垢なオーラは、自然界のマイナスイオンに匹敵する。
そう思って、澪がきり丸を見ながら美味しいうどんを啜っていた時である。
「っ、ごふ……?!」
利吉が盛大に咽せた。
隙一つ無く、うどんを啜っていた美男子が店の入り口の方を見て動揺を隠せていない。
たらり、と利吉の口からうどんが一本だけ落ちる様を見てしまい、澪は何事かと店の入り口を見てーー。
「あらぁ、澪ちゃんじゃないのぉ!」
艶々の黒髪に、ほんのり髭の剃り跡のような物が残る男性ホルモン過多な何とも言えぬその姿。
後ろ姿は美女、振り向けば化け物ーー否、伝子であった。しかも、伝子だけではない。
「ぶふぁっ?!」
今度は澪と同じく入り口を振り返ったきり丸が、鼻から麺が飛び出しそうな勢いで咽せた。
「あらぁ、利吉さんやきり丸もいるわね。今日はいい日ね。きっとわたしの運がいいからよ、文子さん」
「何言ってんのよ、留子さん。わたしの方がいいに決まってんでしょ。さっき、簪買うの安くしてもらえたし」
「店の主人はあんたの不細工な顔を近くで見てるのが辛かったから、簪を叩き売ってでも早く店から離れてほしかったのよ、文子さん」
「おほほ、表に出やがれ留子さん。このアマぁ、おほほ」
「二人とも、喧嘩はダメよ。ここはお店なんだから。ねっ、澪さん!」
居たのは伝子だけじゃなかった。
伝子より若く、だがやたら化粧の濃い娘(?)達がいる。しかも全員、肩が張っていて立ち姿が堂々とし過ぎだ。
おまけに化粧は濃いのに眉が太いからアンバランスである。若いから伝子より化け物度はマシとはいえ、これは文化祭で悪ノリして女装する男子の図である。
女を舐めとんのか貴様ら、とこの場に澪の母が居たらブチ切れたかもしれない。
美魔女な母は美意識が高かったから。
潮江文次郎は文子に、食満留三郎は留子に、七松小平太は小平子になるのかは知らないが、とにかく、伝蔵に女装が下手と言われた六年生三人が、ただしくまずい女装をして、伝子を筆頭とし、うどん屋に降臨した瞬間であった。
「おえぇ、せっかくの天麩羅うどんが不味くなる」
「おほほ、きり丸。後で覚えてらっしゃい」
吐きそうな顔で四人を見たきり丸が、うるうるした目で澪を見た。その台詞を聞いた伝子がまさしく山姥のように一瞬だけ目を光らせる。
タイミングが良いのか悪いのか。
四人は通路を挟んで澪達の居る席の隣には腰掛けた。迫力が半端ない。
「ご、ご注文は」
何やらびくびく震えて店員が四人に注文を取りに行った。気持ちは分かる。頑張れ君は勇者だと、心の中で声援を送る。
「わたしは、わかめうどんをお願いします。ネギと麺大盛りで」
「わたしは、月見うどんをお願いします。天かすと麺大盛りで」
「わたしは、きつねうどん得盛りで!」
「あんた達、若い娘が大盛りだの得盛りだの食い気が多すぎるでしょうが。太るわよ!」
格好は若い娘なのに、食べる量が男である。ちなみに、わかめうどんは文子、月見うどんは留子、きつねうどんは小平子の注文である。
伝子のツッコミが鋭い。言われた三人娘(?)はそれぞれ下手くそな言い訳をした。
「大丈夫です。伝子さん、わたしギンギンに鍛錬してますからぁ」
「わたしも、澪さんからの扱きが女とは思えないくらい酷くってぇ。カロリーなんてすぐ消費されちゃいますぅ」
「わたし達はまだ若いから、たくさん食べても中年太りの心配もありません!」
ーー文子と小平子はともかく、留子の稽古は数割増しで内容を強化してやろうと澪は心に決めた。
「後であんた達にお淑やかの何たるかをみっちり叩き込んでやるわっ。特に小平子、あんたそんな中年を全方位から敵に回す発言するなんて許せないわ。中年だって、日々頑張ってるんだからね!あ、あたしは天麩羅うどんを一つお願いするわ」
「す、すぐにご用意します!」
さっ!と伝票に注文を書いた店員が逃げるように去った。
ーーしまった、横のやばい四人組を気にしていたら麺が伸びてしまう。
「利吉さん、きり丸、食べましょ!」
固まって居る二人に声をかけると、ハッとした顔でうどんを啜る。隣を見たら、うどん所ではなくなりそうで、澪は必死に天麩羅うどんを食べるのだった。
くわっ、と目を見開き大きな声で指示する忍術学園の学園長を前に、やっぱりこうなったか……と、澪は遠い目になった。
職員室での騒ぎの翌朝。
澪は学園長室で秘書の仕事中と言う名の学園長やヘムヘムとの日向ぼっこの最中に、たまたま伝蔵が鵺退治の事を報告しに来た事で、図らずもその場に居合わせてしまった。
結果、学園長が下したミッションは男は全員女装しての鵺退治である。
澪は学園長の用意する衣装を着ると言う事だが、何せ秘書の制服が忍者服+名札だから変な物でないのを祈るしかない。
例えば『囮り』とでかでかと胸や背中に札がついた着物とか。
忍者としての嗜みなのかはさっぱりわからないが、伝蔵が割とポジティブに女装していたのに、半助は嘆いていた事からして、女装に関してはする人間の心の問題がネックになる話なのだろう。
それでいくと、互いにヒートアップして女装する事になった留三郎と文次郎、それに同行する気満々の小平太の意気込みは高く見えるーーが、三人は女装が下手くそらしい。
まぁ、三人とも男っぽい顔だし体付きもがっしりしているから、伝蔵程でないにしろ違和感は出てしまうだろう。
その理屈でいくと、半助はどうだ。
半子ーー半助は嫌がっていたが、無茶苦茶気になる澪である。背が女にしては高すぎるのがアレだが、現代日本ならモデルの身長だ。半助本人は爽やかな美形だし、確実に伝蔵よりは似合うだろう。
不謹慎だが、六年生全員と半助の女装が見られるのは、かなり楽しみかもしれない。
「ーー学園長先生、肩をお揉みしましょうか?」
「おおっ、いいのかね。では頼んじゃぞ、澪ちゃん」
学園長には、お給与も早めに貰えて感謝しかない。その細い老人の肩を、心を込めて揉む澪であった。
そして、学園長直々にとんでもないミッションが下された六年生は全員、女装に対して何か文句を言う事はなかった。
むしろ、一部はやる気に燃えていた。若さってすごい事である。あえて言うなら伊作だけは、「鵺退治なんて、大丈夫なんだろうか」とポロっと口にしていた。
一番、今回の件で落ち込んでいるのは、土井半助その人である。必要にかられたら女装はするが、別に好きでやっているわけじゃない上に、本人は好きな女にアピールできるチャンスが女装のせいで台無しになった為に心の中で大泣きしていた。
が、その好きな女ーー澪はむしろ半助の女装を楽しみにしているという、本人にとっては白目をむきそうな展開になっていた。控えめに言って哀れである。
そんなバタバタがあったものの、利吉が来る前に先に週末がやって来た。数日後、と言っていた利吉の事だ。澪が学園に確実に居そうな週明けのタイミングを狙って訪問してきそうである。
伝蔵譲りと思われる利吉の仕事中毒ぶりが怖い。利吉に今度追いかけられたら、家への帰宅を迫られて毎回逃げているという伝蔵と一緒に逃げようと考える澪である。
忍者相手には忍者でないと、逃げられないからだ。
澪一人で逃げても利吉は見つけて来そうであるーーちょっと顔はイケメンでも正直、仕事モードの利吉は苦手だ。
まぁ、それはともかくとして。
澪はやって来た週末の休みを一先ずは満喫する事にした。約束通り、きり丸と一緒にである。
朝にこっそり門の外で待ち合わせし、誰に邪魔される事もなく澪ときり丸は忍術学園を出る事が出来た。
きり丸は澪が縫った着物を着てくれ、それがとても似合っている。着回す物が増えたせいか、以前よりも小綺麗な印象になっていた。
澪はと言うと、外出のため市女笠を被った姿だ。別に手拭いを帽子代わりに頭に巻くだけでもいいのだが、顔を晒すと変な輩に絡まれるのでしているだけである。
ちなみに、澪の肌は日焼けをしない。原理は不明だが、目立つホクロやシミなんて物もない。多分、怪力に耐えうる頑健な肉体のためだろうーー皮膚も人よりかなり頑丈のため、紫外線を物ともせず、肌本来の白さをキープしているのである。
澪の母等は、お手入れ要らずだと羨ましがっていた。
「澪さん、人が多いから手を繋ぎません?」
「それもそうね……じゃ、よろしく。きり丸」
きり丸と学園から暫く歩いてやって来た町は店が立ち並び人が多い。
呼び込みの声や、値切り交渉をする人達の話し声があちこちからして活気がある。
道中、澪はきり丸と色々な話をして歩いて来たので、退屈せずに済んだーーとはいえ、利吉の事やら鵺退治の事は一応、機密扱いのため当事者達以外には口外しない事になっている。澪としては話したい気持ちはあったが、そこは堪えて当たり障りのない会話をした。
きり丸はと言うと、週の後半で半助のため息が激増したと言っていた。
曰く、「別にぼく達、やらかしてないのに胃をさすってるんですよ。時々、宙を見つめてなんかため息吐いてるし」とのこと。
きっと、それは女装しなくてはならなくなった上に、利吉とせっかく二人きりになれるかもしれないチャンスが中々訪れないせいだ、と思うが言うに言えない澪であった。
もはや、澪の勘違いを止める者は誰もいないため、利吉に半助が片想いしているという恐ろしい誤解はノンストップで今日も元気に活動中である。
「きり丸、今日はわたしの買い物に付き合ってもらうから覚悟してね。お昼ご飯は奢ってあげるから。さっ、デートするわよ!」
「っ、で、デート。あ、そ、そうですね。デートしましょ」
「あとこれからは、わたしと二人きりの時は乱太郎くん達といる時みたいにしてね。オレ、って話してるきり丸の方がわたしは好きだから」
何気に、きり丸にそのうち言おうと思っていた事だ。ぼく、ときり丸は歳上の人間に対しては少し畏まり、同年代にはオレと使い分けている。きり丸なりの処世術の一つなのだろうが、澪としてはきり丸とはできるだけ普通に話したい。遠慮した話し方を澪がしたくないので、きり丸も同じようにしてほしいのだ。
「ーー無理だったらいいんだけど」
とはいえ、これは澪からの頼みのため無理をさせる気もない。
「えっと、澪さんがそれでいいなら。失礼に感じたら言ってほしい。戻すから」
「ありがとう、きり丸。いやぁ、唯一きり丸としか素で話せなくて、そのきり丸に敬語で話しかけられるのは、こそばゆいって言うか」
「何だよ、それ。あ、でも敬称は流石に取らないからな。澪さんを呼び捨てにしたくないし」
ちょっと砕けた話し方になったきり丸に、澪は満足して頷いた。
「で、今日はどこ見るんだ。澪さん」
「んー、まぁ、色々と。伝子さんに頼まれた品を作る為の材料とか、安い白布があれば襦袢ーー肌着とかを作りたくて」
「本当器用だよな、澪さんて。この着物にしても、丁寧に仕上げられててびっくりしたし」
「んふふ、褒めても何も出ないわよ。ま、でもきり丸が欲しいなら、今度は袴を塗ってあげる。とはいえ、袴なんて元父上の繕い物を触ったくらいだから、着物より出来は悪くなるかもだけど」
「やった!文句は言わないから、タダでよろしく」
「はいはい、分かってるわよ」
きり丸との会話はテンポがよくて楽しい。
にこにこ笑いながら、二人仲良く手を繋いだ。
「とりあえずは、軟膏の材料を買いたいの。蘭引が欲しいけどーーあるかどうか。無ければ、中古の蒸し器を買って改良した物で香料を取らないと」
「らんびき?」
「蒸留の道具よ。んー、それっぽいのは博多にはあったんだけど、こっちでは普及してないのかなぁ。窯元とかに依頼できたら作ってほしいんだけど、高いよね絶対」
蒸留技術そのものは古代から存在するが、日本に持ち込まれて焼酎作りに活用され始めたのは、江戸時代前後の頃になってからである。ちなみに、澪が蘭引を知っているのはテレビドラマで江戸時代の医師が主人公の番組を見たせいである。
この世界では博多にいた時、明あたりから輸入したのか蘭引に似た蒸留器を目にした記憶があったのだが、それ以降はさっぱり見ていない。
「窯元に知り合いがいるんだけど、紹介しようか?なるべく安く作ってもらえるよう、オレが頼んでみるし。割れにくい焼き物を作る名人なんだ」
「ーーえ、本当?!」
蒸し器を改良して作る蒸留機は、過去に作った事はあるが効率がよくない。蘭引があれば化粧水で良い物ができるだろうし、願ったり叶ったりだ。
それがあるだけで、澪の美容品はグッと質が上がる。自分で使いたいのもあるが、売ってお金に出来たりすれば、その分だけ儲けになる。
忍術学園で働いているとはいえ、澪自身は母が明へ旅立ち後ろ盾がない。万が一、クビになったり退職した場合に次の行き先が中々ないのだ。
忍術学園という拠り所を得た今、澪はこの国で足場を固めるためにも、飯の種を確保しておく気満々だった。お給料を資本金とし、最初は小金をーーいずれ目処が立てば、商売だってできるようになるかもしれない。
忍術学園のような場所で働けるのは、身体が若い内だけである。医療保険も年金もないこの何ちゃって戦国で、それなりにリッチな生活をして長く生きるには商人あたりが理想である。
今すぐどうこうとまでは思っていないが、一回死んで生まれ変わったせいか、十五歳の姿でありながら澪は既に老後も視野に入れていた。
「じゃあ、その窯元さんを今度紹介よろしくね。それまでは中古の蒸し器を改良したので頑張るから!」
「うん、わかった。その代わりなんだけどさ、オレにもよかったら澪さんの技を教えてよ。あ、武術じゃなくて銭を稼げるヤツね」
「いいけど、レースとかはダメだからね。技術流出は避けたいから」
「ちぇー……。そこはほらぁ、澪さんのマネージャーやるからぁっ!」
「マネージャーって、きり丸は忍者になるんでしょうが」
マネージャーなんて、アイドルでもあるまいし。
「大体ね、銭は大事だけど命にはかえられないのよ。前に泥棒退治した時に、きり丸ったら強盗の落とした財布に飛びついていたみたいだけど、あんなことしたらダメ。命が幾つあっても足りないんだから」
「えー、土井先生みたいな事言われてもぉ」
金儲けはあくまで生きるため。それがいつの間にか手段と目的が逆になっているせいで、きり丸は本末転倒な事になっているのだろう。
説教臭くなる澪に対し、きり丸が拗ねたように唇を尖らせた。
「大体、貨幣というのは所詮は道具でしかないのよ。物の価値とはどういうことか頭にないと、銭ばっかりに目がいってたら大損するからね」
「えっ、そうなの?銭さえあったら大丈夫だと思うんだけど。三途の川も渡れるんだし」
三途の川を渡ってあの世に行くには、船の渡し賃がいるという話はあるが、澪は死んでから、そんな事をしてあの世に行った記憶はない。死んで真っ暗になり、それから気が付いたら、おぎゃあと不思議な戦国で産声を上げていた身である。
「三途の川はともかくとして、お金がどうしてこの世にあるのか、きり丸は考えた事はある?」
「えー、生まれた時からあるんだぜ。わからないって、そんなもん」
「答えは簡単。物々交換の煩雑さを回避するため。物々交換は取引の基本だけど、手間と時間と労力がかかるから、仲介にお金を使う事でその煩雑さを無くして、物の巡りーーつまりは、経済を円滑に回す必要不可欠な道具として貨幣があるの」
きり丸の頭は銭に偏ってはいるおかげで、損得勘定は早い。お金の話ということもあってか、澪の言っている事がすぐに理解できたらしい。ふむふむ、と頷いている。
「でも、貨幣制度には致命的な問題がある」
「致命的な問題?」
「貨幣という物それ自体の価値は、人間が決める泡沫のような物って事よ」
今、澪達が使っている貨幣は永楽通宝と言い、明で造られた物だが、明ではこの永楽通宝とは別の銭貨や銀が流通している。
ちなみに、戦国時代はビタ銭といい、汚損した銭も多数存在する事から、一枚の価値が皆同じではない。ビタ銭はそれ故に普通の通貨一枚の価値がないのである。
永楽通宝は銅で出来ている。つまりは、突き詰めると小さな銅の塊の価値しかないわけだ。
ちなみに、現代日本もそれは同じだ。
紙幣ともなれば、それも信用通貨の不換紙幣ならば尚更に一枚の紙幣の価値なんて物は、その貨幣を扱う共同体が価値観を共有できなければ単なる紙切れになり破綻するーー現代用語で言えば、デフォルトによる通貨暴落である。
「簡単にいうと、ある日、永楽通宝の価値が無くなって、ただの銅のカケラでしかなくなる要素があるってこと」
「えーっ、そ、そんな……!」
「まぁ、今すぐの話じゃないよ。きり丸が生きてる間にそうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。そのくらいの確率の話かな。とはいえ、お金っていうのは、使う大勢の人間に価値があるって認められているから、そう見えるだけでこの貨幣その物は単なる銅の塊でしかないって事よ。だから、これに命をかけちゃいけない。お金で命は買えないからね」
ーーとはいえ、実際はお金で人身売買が横行しているので、お金の価値は人の命と等価になり得る。建前にしか聞こえないかもしれないが、お金の本質を少しは理解してくれたら、銭の申し子のきり丸も少しくらいは、自分を大切にしてくれないか、と願う澪である。
「ーー澪さん、そんな事考えつくなんてやっぱりすげぇや。オレ、なんか今の話面白かった。ケイザイだっけ?銭がすげぇ好きだけど、そういう事考えた事なんてないから」
まぁ、それはそうだろう。
これは貨幣の歴史や、社会の仕組みを知っているからこその話である。とはいえ、大人なら理解している者も多そうではあるが。
「オレ、アルバイトばっかしてるせいで勉強の成績はよくないけど、澪さんの話は面白かった!今度、は組でそういう話をしてよ。皆んなも面白いって言うと思うんだ。多分、土井先生も聞きたがると思うし!」
「えー、先生相手にはちょっと。大人なら、こんな事は理解してそうな気がするけど」
「そんな事ないって。何なら、オレから土井先生に話してみるし」
「……はぁ、まぁ、雑学の時間って事で先生から許可が出たらね」
きり丸に、ちょっとは銭より命を大切にしてほしくて話しただけだったのに、蘊蓄の披露になってしまった。きり丸本人は面白かったみたいなので、よしとした。
ちょっとした雑学を話し終えた後は、きり丸と町で本格的に買い物した。
すると、いく先々できり丸が店主が涙を浮かべる勢いで値切ってくれたおかげで、軟膏の材料や中古の蒸し器をお安くゲットできた。連れて来て正解である。喜びの余り、澪はきり丸に抱き付いてスリスリした。
「きり丸最高ーー!」
「へへ、ちょっと澪さん照れるから」
愛いヤツめ。耳とほっぺを赤くするきり丸を存分に可愛がった澪であった。
量が多いので中々に重い荷物なのだが、澪からすると楽勝である。最後に襦袢用の布も購入して大満足した澪は、きり丸に昼食をご馳走する事にした。
「何が食べたい、きり丸。うどん屋さんにする?それとも、丼とか雑煮でも食べる?定食でもいいよ」
何ちゃって戦国時代は、食べ物屋の種類も豊富だ。選び甲斐が割とあって楽しい。
「エビの天ぷらが入ったうどんが食べたいっ。普段は一番安いのしか食べないから」
「りょーかい!」
買う物も買ったし、次は腹ごしらえをしよう!と、きり丸と引き続き仲良く手を繋いで、美味しいと評判のうどん屋の暖簾をくぐった。
すると。
「ーー澪さん?」
爽やかな青年のいい声がした。
店内のため、市女笠を脱いだ瞬間に話しかけられた澪は固まった。
「あ、利吉さん」
先に声を発したのはきり丸である。
見ると店内は満席に近く、利吉のテーブルはあと数名は腰掛けられそうな余裕があったーー嫌な予感がする。
「よかったら、一緒に食べませんか。混んできてますし。こっちへ、二人とも」
結構ですーーなんて言って断り辛い。
利吉が嫌いな訳ではないが、仕事について熱心に語る姿を思い出すと、どうにも警戒してしまいそうになる。
「ありがとうございます。お邪魔しますね」
「お邪魔しまーす」
利吉においでおいでと手招きされ、きり丸と二人で向かいに腰掛ける。すると、待っていたかのように店員が「ご注文は?」と尋ねながら、湯呑みに入ったお茶を三つ並べてくれた。
「わたしは、きつねうどんで。麺は大盛りでお願いします」
「天麩羅うどんを二つお願いします」
「はいよ。ごゆっくり」
店内に漂うお出汁のいい香りに、食欲が刺激される。腹が鳴るのを誤魔化すために、お茶を一口飲むと向かいで利吉が頬杖をついて、じーっと澪ときり丸を見ていた。
「今日はきり丸とお出掛けですか?」
「ええ、デートしてもらってるんです。買いたい物が沢山ありましたので」
「へぇ。その大きな風呂敷の中身は何ですか?色々入ってるみたいですが」
利吉は興味津々である。こうして見ると本当に好青年だ。仕事さえ絡まなければいいのに。
「軟膏の材料とかだそうですよ。澪さんが、美容品を作るのに使うそうです」
「美容品ですか。凄い、そんな知識があるんですね」
「ーー趣味みたいな物です。大した事では」
この世界の物は、澪の前世の世界より全体的に物の価値が高い。工場で生産していないのだから、当然なのだが買うと高いから服にしろ小物にしろ、庶民は手作りが基本だ。
澪の美容品だって、その一環でしかないーーいつか商売の種にと、こっそり考えてはいるが。
「父上が、出来のいい巾着袋を使っていました。何処で買ったのか尋ねたんですが、澪さんの手作りだと聞きました。針仕事もあんなに綺麗に出来る上に美容品まで作るなんて、本当に器用なんですね。素晴らしい!」
きゃっ、褒められた嬉しい!
なんて、露とも思わない澪である。
利吉の中で上がっているのは、異性に対する好感度ではなく有能な人財という人事評価的な気がしてならない。
キラキラした美男子の視線は、澪からすれば優秀な新人を期待の眼差しで見つめる人事採用の面接官のようにしか感じなかった。
遠い目になる澪である。
店内では利吉の仕事中毒ぶりと真面目っぷりを知らない若い女性達が、チラチラと色男を見てため息をついている。
そして向かいにいる澪を見て、美男美女カップルだと勘違いしてか憧れのような眼差しを向けてくるが、ぶっちゃけ、そんな甘酸っぱい関係ではない。
「はい、おまちどお」
利吉のキラキラビームから失礼のない程度に視線を逸らしていると、うどんが運ばれて来た。流石は麺類、出来上がるのが早い。
「利吉さん、伸びる前にいただきましょう!」
パン!とこれみよがしに手を叩き、「いただきます」と続ける。
「そうですね、いただきましょう」
すっ、とまるで仏像の前で合掌をするように綺麗な姿勢で手を合わせる利吉は、売れっ子忍者ではなくて育ちのいい若者にしか見えない。
「わーい、海老だぁ」
大きな海老の天麩羅を見て目を輝かせるきり丸に、大いなる癒しを感じる澪である。十歳の少年の放つ無垢なオーラは、自然界のマイナスイオンに匹敵する。
そう思って、澪がきり丸を見ながら美味しいうどんを啜っていた時である。
「っ、ごふ……?!」
利吉が盛大に咽せた。
隙一つ無く、うどんを啜っていた美男子が店の入り口の方を見て動揺を隠せていない。
たらり、と利吉の口からうどんが一本だけ落ちる様を見てしまい、澪は何事かと店の入り口を見てーー。
「あらぁ、澪ちゃんじゃないのぉ!」
艶々の黒髪に、ほんのり髭の剃り跡のような物が残る男性ホルモン過多な何とも言えぬその姿。
後ろ姿は美女、振り向けば化け物ーー否、伝子であった。しかも、伝子だけではない。
「ぶふぁっ?!」
今度は澪と同じく入り口を振り返ったきり丸が、鼻から麺が飛び出しそうな勢いで咽せた。
「あらぁ、利吉さんやきり丸もいるわね。今日はいい日ね。きっとわたしの運がいいからよ、文子さん」
「何言ってんのよ、留子さん。わたしの方がいいに決まってんでしょ。さっき、簪買うの安くしてもらえたし」
「店の主人はあんたの不細工な顔を近くで見てるのが辛かったから、簪を叩き売ってでも早く店から離れてほしかったのよ、文子さん」
「おほほ、表に出やがれ留子さん。このアマぁ、おほほ」
「二人とも、喧嘩はダメよ。ここはお店なんだから。ねっ、澪さん!」
居たのは伝子だけじゃなかった。
伝子より若く、だがやたら化粧の濃い娘(?)達がいる。しかも全員、肩が張っていて立ち姿が堂々とし過ぎだ。
おまけに化粧は濃いのに眉が太いからアンバランスである。若いから伝子より化け物度はマシとはいえ、これは文化祭で悪ノリして女装する男子の図である。
女を舐めとんのか貴様ら、とこの場に澪の母が居たらブチ切れたかもしれない。
美魔女な母は美意識が高かったから。
潮江文次郎は文子に、食満留三郎は留子に、七松小平太は小平子になるのかは知らないが、とにかく、伝蔵に女装が下手と言われた六年生三人が、ただしくまずい女装をして、伝子を筆頭とし、うどん屋に降臨した瞬間であった。
「おえぇ、せっかくの天麩羅うどんが不味くなる」
「おほほ、きり丸。後で覚えてらっしゃい」
吐きそうな顔で四人を見たきり丸が、うるうるした目で澪を見た。その台詞を聞いた伝子がまさしく山姥のように一瞬だけ目を光らせる。
タイミングが良いのか悪いのか。
四人は通路を挟んで澪達の居る席の隣には腰掛けた。迫力が半端ない。
「ご、ご注文は」
何やらびくびく震えて店員が四人に注文を取りに行った。気持ちは分かる。頑張れ君は勇者だと、心の中で声援を送る。
「わたしは、わかめうどんをお願いします。ネギと麺大盛りで」
「わたしは、月見うどんをお願いします。天かすと麺大盛りで」
「わたしは、きつねうどん得盛りで!」
「あんた達、若い娘が大盛りだの得盛りだの食い気が多すぎるでしょうが。太るわよ!」
格好は若い娘なのに、食べる量が男である。ちなみに、わかめうどんは文子、月見うどんは留子、きつねうどんは小平子の注文である。
伝子のツッコミが鋭い。言われた三人娘(?)はそれぞれ下手くそな言い訳をした。
「大丈夫です。伝子さん、わたしギンギンに鍛錬してますからぁ」
「わたしも、澪さんからの扱きが女とは思えないくらい酷くってぇ。カロリーなんてすぐ消費されちゃいますぅ」
「わたし達はまだ若いから、たくさん食べても中年太りの心配もありません!」
ーー文子と小平子はともかく、留子の稽古は数割増しで内容を強化してやろうと澪は心に決めた。
「後であんた達にお淑やかの何たるかをみっちり叩き込んでやるわっ。特に小平子、あんたそんな中年を全方位から敵に回す発言するなんて許せないわ。中年だって、日々頑張ってるんだからね!あ、あたしは天麩羅うどんを一つお願いするわ」
「す、すぐにご用意します!」
さっ!と伝票に注文を書いた店員が逃げるように去った。
ーーしまった、横のやばい四人組を気にしていたら麺が伸びてしまう。
「利吉さん、きり丸、食べましょ!」
固まって居る二人に声をかけると、ハッとした顔でうどんを啜る。隣を見たら、うどん所ではなくなりそうで、澪は必死に天麩羅うどんを食べるのだった。
