第5話 その男、仕事中毒につき
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
利吉が、泥棒退治を終えた別れ際の宣言通り忍術学園へやって来たのを見てーー澪は目を瞬いた。
きり丸と五年生にお菓子をご馳走した後、片付けを五年生に手伝ってもらい、シナへお菓子を届けたその後は予定していた小平太と長次の稽古をつけていると、その終わりの頃に、半助と利吉が姿を現した。
半助の方は差し入れたお菓子のお礼を言いに来たらしく、気遣いからくる物だったが、利吉については全く予想外だった。
電話なんてない時代のため、来訪するにしても事前に今日行きますなんて庶民はしない。先触れをするなんて事は、高貴な身分の人間がする事であり、庶民ならばそれは仕事上必要な時や絶対に会わなければならない時くらいのものである。
とはいえ、澪に会いにくる事は利吉は前に言っていたので、怪我さえ治ってしまえばいつ来てもおかしくはない。足の怪我は治ったようで、利吉の足取りはしっかりしている。忍者らしく、気配と足音を断つその歩き方は、かつて見た忍びをやっていた元父親と同じものだ。
忍者を引退しても、ついてしまった歩き方の癖が中々直らないのだと、元父親は言っていた。
「ーー澪さん」
どうやら、人目を避けられる場所に来たらしい。前を歩いていた利吉がくるりと振り返った。
ふわっと、その瞬間風が吹いた。
風に髪が靡く姿が、絵に描いたような美男子である。最初に出会った時も思ったが、モテそうだなと利吉を見て感じる澪である。
「まずは、あの時のお礼を改めて申し上げます。あの時、澪さんがわたしの所まで駆けつけてくれなければ、わたしは下手をしたら死んでいたか、あるいは忍びとして今後働けなくなるかもしれない所でした」
すっ、と利吉が頭を下げた。綺麗なお辞儀に、澪は慌てる。
あれは、きり丸のやらかしが原因であり、澪は忍術学園の職員としてその始末をつけたに過ぎない。
「当然の事をしたまでです。利吉さんに、そんな風に畏ってお礼を言われるような事では……」
「ありますよ。それと、どうぞこれを」
慌てる澪に利吉は懐から、袋と黒い布を取り出して手渡した。黒い布の方はおそらく、澪が利吉の傷の手当をした際に貸した頭巾であろう。綺麗にして返すと言っていたとおり、丁寧に折り畳まれていた。
咄嗟に布と袋を受け取ると、袋の方は重いーーお金が入っている。
「澪さんの取り分です」
「ええっ、そんな!貰えませんよ、もとはと言えば、こちらが利吉さんの仕事に便乗した挙句に怪我までさせてしまったのに」
「ええ、ですから迷惑料は引いてますよ。それでも、恩人にただ働きさせるのは、わたしのプロの忍者としてのプライドが許しませんから」
多分、突き返しても受け取ってはもらえない。利吉からは断固とした雰囲気があった。困ってしまって、半助をチラリと見ると頷かれる。どうやら、受け取ってはしまえという事らしい。
仕方なく、澪は礼を言った。
「では、有り難く。わざわざご足労をかけまして、逆に申し訳ありません」
「ーー澪さん、今日はお礼の他に貴女にお伝えしたい事があって来たんです」
じっと利吉が澪を見つめてくる。切れ長の瞳に整った面差しは、映画館のスクリーンでイケメンな若手俳優を見ているような気分にさせられる。
目の保養である。
忍者のイケメン率は意外と高いのかもしれない。この場にいる男性は皆、容姿が整っている。半助は言わずもがなだし、小平太は童顔気味だが、力強い眉やくりっとした目は男前の要素だし、長次だって顔に傷こそあるが、若いのに既に渋みがあってーー文次郎と揃って二十年後が楽しみである。
「澪さんっ……!」
利吉が急に澪の手を取った。見ると、潤んだ瞳に熱い眼差しで直向きに澪を見つめてくる利吉の姿が。彼に気がある女子なら、ときめいて倒れるかもしれない。
「色々な女性を知ってはいますが、貴女のような人は初めてです。まさに御仏がわたしのために貴女を使わし、出会わせてくれたに違いない。嗚呼、澪さんっ、もう、わたしにはこの気持ちをこれ以上、抑える事ができません。どうか、どうか、このわたしとっーー!」
「うわぁあーーー、利吉くん、突然何を言ってるんだぁ!」
「ずるいぞ、利吉さん。いきなりやって来てそれはダメだぁああーー!」
瞬間、半助と小平太が利吉の台詞に覆い被せるように、わぁわぁ言って澪と利吉の所に走って来たが、それより先に利吉が話し終わる方が早かった。
「一緒に仕事を受けてください!!」
ずべしゃあ!!と、半助と小平太が仲良くずっこけた。
二人がこけた勢いのままスライディングし、土煙が上がるのを視界の端に捉えながらも、澪は手を握りしめる利吉を前にポカーンと間抜けな顔をしてしまう。
「えっ、お仕事ですか?」
「そうですっ。貴女のその怪力、格闘センスは他の追随を許さない。否、貴女以上の人は居ない!!」
ぎゅうっと、握りしめられる手が熱い。
「これでも売れっ子忍者なんで、あちこちから声をかけてもらってるんですが、ギャラがよくても流石にあまりにも腕っぷしの強さが要求される仕事は泣く泣く諦めていたんです。でも澪さんがいれば、万事解決っ。取り分はご相談に応じますし、予定も澪さんに合わせますので何卒、わたしに今から幾つかの仕事について説明をする時間をいただきたく!!」
「「紛らわしいっーー!!」」
利吉の言葉に、土埃に塗れた半助と小平太が大声を上げた。
「ちょっと、何ですか二人とも。邪魔をするなら、あっち行っててください。これから、わたしは澪さんと、とても大事な話があるんですら」
まるで、野良の犬猫でも追い払うような態度の利吉である。
「えーっと、利吉さん。お話は有難いんですけど、ほら、わたしはここの職員ですし」
「勿論、わかっています。ご迷惑をかける気はありません。お休みの時にアルバイト感覚でいいんです。澪さんは敵に遭遇したら、サクッと倒してくだされば。わたしが作戦の立案と実行はやりますし、後始末までやります。貴女に何の憂いも抱かせません」
何という熱心な口説き文句だろうか。
まるで愛を遂げようとしているようだが、利吉の場合は愛ではなく仕事を遂げようとしている。
凄まじく真面目だ。
手は離してもらえない。これは、うんと頷くまで離してもらえないコースではないのか。
「り、利吉さん、わたしお給与も入りましたので、そんなにお金に今はもう困ってなくて。週末はゆっくりしたいなぁなんて……」
「ええ、問題ありません。澪さんは基本的にゆっくりしていてください。倒すべき相手が来た時だけ、さらっと倒してくだされば」
あかんやつだ。
このイケメン、人の話を聞いていない。
手を抜こうと引っ張ってみるが、指先まで絡め取られてがっつり引き寄せられており、澪は捕獲された動物の気分になった。
誰か助けて。
本気で振り切ると怪我をさせてしまうため、そうするわけにもいかず、心の中で半泣きになる澪。
「さぁ、澪さん。ここに、澪さんにぴったりな仕事の概要があります。選別しまくって五つまで絞った一級の依頼ばかりです。さぁ、わたしと一緒にーー」
興奮しているのか、はぁはぁと息も荒く懐からずらっと五つの折り畳まれた紙を取り出す利吉。イケメンだけに、迫力がある。
「そこまでー!!」
半助の大きな声がした。
そう思った瞬間、澪の手を半助が奪うように利吉から取った。
ちなみに、半助だけでなく小平太も動いたようで、利吉を後ろから引き剥がしている。
「何なんですか、わたしと澪さんの大事なひと時を邪魔をするなんて」
「……もそ。利吉さん、言い方がいちいち紛らわしいです」
「わたしは事実しか言っていないよ。中在家くん」
不機嫌そうな顔になる利吉。その目は諦めた気配はなく、澪を一心に見つめている。
とはいえ、ギャラリーが多いのでは話が進まないと思ったのだろう。やがて、利吉は深いため息を吐いた。
そんな利吉を見た小平太が、黙って拘束をとく。多分、さっきみたいな事はもうないと見たのだろう。
「ーーまぁ、今日は仕方ありません。とりあえず、資料を渡しておくので読んだら何がいいか決めておいてください。数日後にまた来るのでその時には教えてくださいね、澪さん。それと、読み終わったら全部燃やしてください。念のため」
圧が凄い。
断らせない空気を纏い、澪に懐から出した紙を全て持たせる利吉に、執念のような物を感じた。
「では、今日のところは失礼します。この後、父上にも会いに行かねばなりませんので」
キリッとした顔と爽やかな笑顔の美男子な利吉だが、澪は受け取った紙を胸に抱いて複雑な心境になる。
どうしよう、全くときめかない。むしろ、数日後に会いに来てほしくない。
だが、以前にこちらの落ち度で怪我をさせた事もあり、しかも、お金も受け取ってしまい断り辛い。
そんな澪の心境の全てを見通すかのように、利吉が鮮やかに微笑む。
「貴女からの良いお返事を楽しみにしていますよ、澪さん」
「ーーハイ、ガンバッテヨミマス」
澪の目は、イケメンの利吉を前にときめくハートではなく、どこか遠くを見つめるような細く切ない物になっていたのだった。
それから。
利吉が颯爽と去り、残された澪に半助が慌てて声をかけた。
「澪さん、利吉くんの話は全部断っていいから。わたしから山田先生にも言っておくし。彼に注意もしておく。だから気にせずに休暇は有意義に過ごすといい」
「あー、いえ、大丈夫です。マシそうなのを一つ受けたら、納得してくださると思うので」
最近、少しずつ忙しくなって来たと思ったら、とんだ案件をぶち込まれた気分である。とりあえず、貰ったお金と一緒に資料を胸元に仕舞う。
「澪さん、腕っぷしならわたしも自信がある。わたしも行くぞ!勿論、ギャラは要らないっ!」
「それは駄目ですよ、小平太くん。これはわたしに来たお話なので、わたしが責任をもって受けますーー大丈夫です。さっきも言いましたが、マシな物を受けますから」
心配してくれているのだろう。
力強い言葉をくれる小平太の申し出を、澪は却下した。内容は知らないが、利吉が一人では諦める程に腕っぷしが必要な仕事ならば、危険度が高いと見ていい。
利吉は、泥棒騒ぎの時に澪の獅子奮迅の戦いぶりを見ているから、こうして声をかけたわけで。
小平太は六年生の中では小柄な方なのに、体の割に力が強く抜群の運動能力があり、本人は勢いのいい事を言って誤魔化しているが、頭の回転もかなり早く洞察力も高い。言わば即戦力なのだろうが、小平太には学園の授業の方を優先してほしいし、巻き込みたくない。
「なら、わたしはどうかな」
すっ、と半助の手が上がった。
「わたしなら、プロの忍者だ。澪さんと利吉くんと二人きりというのは、また利吉くんに次の仕事を捩じ込まれかねない。そうならないよう、ちゃんとわたしが間に入るよ。今日はまさか利吉くんが、ああくるとは思わず対応が遅れてしまったからね」
「えっ、いいんですか?」
半助が来てくれるなら心強い。
仕事を受けるにしても、利吉と二人きりでやると次々仕事を引き受けさせられそうな予感がしていたので、止めてもらえるなら大助かりだ。
「あ、でも利吉さんが何て言うか……」
「わたしの分のギャラは要らないし、口外もしないと言えばいいと思う。山田先生にも報告すれば、承知してもらえるはずだ。何だかんだ、利吉くんは父親を慕っているから、山田先生から一言あれば黙って聞くと思うよ」
ーーそこまで利吉が好きなのか。
何ともまぁ、健気な事である。
澪と利吉を二人きりにするのが心配に違いない。
頑張ってください、半助さん。と、心の中で応援する。きり丸と同じく恩人と言っていい半助に、澪は常々感謝していた。
どうなるかは分からないが、恩人には幸せになってほしいもの。半助の恋路を応援しようと思う。
「ーー半助さん、それでは是非ともよろしくお願いしますね」
「あ、ああ」
きゅっ、と半助の手を握る澪。
笑顔こそ浮かべているが、澪の生温い視線に戸惑う表情を浮かべる半助。
その隣では、小平太がギリギリと拳を握りしめており、慰めるように長次がその肩を叩いていたのだった。
++++++
「利吉がまさか、そんな事を頼むとは。まぁ、あいつらしいと言えばらしいが、すまんな澪くん」
夕食を食べ終わり、すっかり周囲が暗くなる頃。職員室で澪は伝蔵から深々と頭を下げられていた。
それと言うのも、夕食後に今日あった事を伝蔵に報告するのに、利吉に渡された資料を持って職員室にくるよう半助に言われたので、従った結果である。
「あ、いえそんな謝るような事では。むしろ、わたしの実力が利吉さんに認めてもらえたからの事だと思えば、その点では光栄な事ですし」
「まぁ、澪くんの怪力はわたしも凄まじいと思う。多分、突き抜け過ぎたせいで、良くも悪くも利吉の眼鏡にかなってしまったんだろう。全く、あいつときたら人のことを仕事中毒だなんだ言うくせに、自分だってそうじゃないか。澪くんまで巻き込んで」
ブツブツ文句を言う伝蔵。
親子仲は悪くなさそうだが、何かあの後で利吉に言われたのだろうか。利吉は伝蔵に会いに行くと言っていたし。
「利吉くんはね、母親が寂しい思いをするからって、時たま学園に山田先生に家に帰るように言いに来るんだよ」
「へぇ、とてもいい息子さんじゃないですか」
「フンッ、わたしは仕事で忙しいんだ。帰らないんじゃなくて、帰れないと言っとるのに」
ぷいっ、と顔を背ける伝蔵。夜のため、灯明皿に火を灯しただけの薄暗い室内なのに、伝蔵の照れ臭さそうな表情が手に取るように分かる。
「それで、どんな仕事を寄越して来たんだ。あいつは」
「えっ、あの、資料は持ってくるよう言われたので、手元にありますが本当にお見せしてもよいものか」
「利吉がわざわざ資料を寄越した時点で、我々に知られてもよい内容の物ばかりだろう。とはいえ、大勢に知られるのも困るから、読んだら燃やせと言った、そんな所に決まっている」
そう言う物なのか。
この辺りの考えというのは、澪には何が正しいのか分かりづらい所である。
まぁ、利吉の父親である伝蔵が問題ないというならそうなのだろう。澪は黙って資料を渡した。ちなみに、既に中身は澪が全て目を通している。
結論から言ってどれもこれも、似たり寄ったりと言うかーー確かに、利吉一人では躊躇するだけあって腕っぷしの要求度が高い依頼ばかりだった。
「どれどれ……ほぅ、ふーむ」
「じゃ、わたしも失礼して」
伝蔵が読むその横から、半助が内容を一緒に見ている。それから暫くして、澪が沈黙している間に全ての内容を読み終えた伝蔵は、ある一つの紙を澪に差し出した。
「これにしなさい」
「これは……えっと、鵺退治ですか?」
差し出された紙に記された内容を見て目を瞬く。
鵺とは、古くから日本に伝わる妖の事だ。様々な生き物の混ざり合った恐ろしい姿をしているというが、そんなキメラのような生き物がいくらおかしな戦国だろうが、いるはずもないのだが。
記された内容はこうだ。
『依頼主はクモの子城城主、鬼瓦只安。残忍な性格の城主であるが、ここの所ずっと、領内でたびたび鵺が家畜や人を襲う騒ぎが絶えない。鵺に家畜の鶏が殺され、応戦した村民達に甚大な被害があった。特に鵺は女を好み、何度か若い娘の前に姿を現したという。城から鵺の討伐隊が派遣されたが、一命はとりとめたものの、全員が鵺を前に呆気なく倒されてしまった。このままでは、領内が落ちつかず戦どころではないため、鵺の事を調査し可能ならば倒してほしい』と言う物だ。
「ーークモの子城にはわたしの教え子がいる。それに、半助や利吉も知る場所でもある。まぁ、城の周りに罠が多い場所だが、澪くんや半助達なら問題あるまい。それに女を狙うというなら、澪くん程の適任はいないからな」
「なるほど」
流石は忍術学園のベテラン教師である。
「何よりーー」
ふいに、伝蔵が強い眼差しで天井裏を睨みつけた。
「そこで盗み聞きしてる者達も、囮役として任務に同行させてしまえばいい。職員室の天井裏に忍び込んでないで出てこい!」
伝蔵が一喝すると、少しして天井の上が開いてそこから小平太が顔を覗かせた。
「バレてしまいましたか」
「最初からバレとるわ。半助がずっと知らぬふりをするから、わたしが痺れを切らしたんだ。お前だけじゃなく他にも居るだろう」
澪は全く気配に気が付かなかった。素人よりは武人のため気配察知能力は高い自信はあるが、忍者に本気を出されると流石に分からない。忍たまとは言え、流石は六年生と言ったところか。
程なくして天井裏から、小平太、留三郎、文次郎の三人が降りて来た。小平太は利吉との会話を知っているのでともかくとして、何故に留三郎と文次郎までいるのか。
半助もぞろぞろ出て来た六年生を、呆れたような顔で見ている。
「いや、わたし達は興味本位で小平太について来ただけですので」
「そうです。鍛錬をするのかと思って付き合おうとしただけです」
「留三郎と文次郎は、わたしが職員室に忍び込もうとするのを無理矢理ついて来たんです。長次には止められましたが、澪さんと土井先生が行くのに、利吉さんとの会話を知るわたしが仲間はずれなのは、腑に落ちません!!ですから、わたしは鵺退治に行きます山田先生」
バツの悪そうな顔をする文次郎達とは違い、小平太はやる気満々だ。
「うむ、よく言った!学園長には、わたしが報告しておこう」
「えっ、山田先生そんな事したら学園長の事ですから、今度は六年生の野外実習になりますよ。利吉くんの仕事の妨げになりませんか?」
前回の事があるだけに焦る半助。利吉の仕事を手伝うはずが、まさかの忍たまの実習扱いである。
「野外実習か。ふむ、それならそれで案外いいのではないのか。鵺退治なんて早々ある話でもないだろうしな。六年生だし、利吉の足手纏いにはならんだろう。何よりーーこれは、特にそこの三人にとってのよい訓練になる!」
カッ!と目を見開く伝蔵。その姿が何となく利吉を思わせる。目元のキリッとした感じがそっくりだ。
「訓練、ですか?」
伝蔵の発言に不思議そうな顔をする留三郎。次の瞬間、バッ!と伝蔵の姿がかき消えたと思ったら、凄まじい早技で艶やかな黒髪に、綺麗な着物姿の女性(?)が職員室に現れる。
シナと同レベルの変身スピードである。澪の怪力よりも下手をしたら、こっちの方が人間離れしている早業だ。
瞬間、半助の顔が引き攣った。
「鵺は女を狙って現れるのよっ!あんた達の下手くそな女装を改善するまたとない機会になるはず。仕事の日までみっちりあたしが仕込んであげるから、全員女になりきって鵺退治に行くのよ!学園長先生には、あたしが話しておくからっ」
ばちこん!とウィンクする伝蔵ならぬ伝子。突然すぎる話に澪は呆然とし、半助は天井を遠い目をして見上げていた。何だか悟りを開いた僧侶のような顔をしている半助である。
ひょっとして、六年生という余計な人間が増えた事で利吉と二人きりになれるチャンスが減ったのを嘆いているのかもしれない。
なんて事だ、世の中理不尽であるーー等と、その勘違いこそが半助にとっては最悪の理不尽である事を知らない澪は、そんな思考を一切顔には出さない。
哀れ半助、と、この現状を知れば誰か一人くらい半助を知る者は彼に同情したかもしれない。とはいえ、この状況を招いているのは奥手な本人のせいでもあるという指摘もまた然りであった。
「いやー、オレは遠慮しておきます」
「はん、尻尾を巻いて逃げるのか留三郎?オレは怯まず女装の腕をあげるぞ!これもまた鍛錬だっ!」
「は?んだと、誰が逃げるか。いいさ、やってやるよ女装。スネ毛も脇毛もちゃんと処理してツルツルピカピカにしてやるわ!!」
犬猿コンビが喧嘩を始めて、職員室が一気に騒がしくなった。というか、利吉は大丈夫なのか。幾ら六年生でも、女装して鵺退治に混ざるなんて最早どうなるか全く想像がつかない澪である。
「わたしも頑張るぞっ。というわけで、土井先生!是非ともお手本を頼みますね!」
にこにこ笑顔の小平太が、半助に急に恐ろしいキラーパスを寄越した。言われた内容に一瞬だけきょとん、とするもすぐに意味を理解してブンブン首を振る半助。
「何でわたしなんだ!別に手本なんぞいらんだろう?大体、手本ならそこに伝子さんがいるじゃないか!!」
びしっ、と伝子を指差す半助。薄暗い室内にいる伝子は、鵺より怖い妖怪っぽいとか思ってはいけない。
「あら、いいじゃないの。先生として当日はお手本になってあげなさいな半子。何なら学園長先生に指令を仰いでもいいのよ?」
「は、半子……ぶふっ」
ネーミングセンスにウケてしまい、澪は思わず吹き出した。見ると、半助はそんな澪の笑い声を聞いて情けない顔になっている。気のせいでなければ、目尻に涙の如き濡れ光る物があるような。
「っ、いやだぁぁああーー!!何が悲しくて、女装しなくてはならんのだぁー!」
「土井先生、自信持ってください。山田先生より、遥かに似合ってると思いますから」
「何ですって?!」
項垂れる半助を慰める文次郎だったが一言多い。伝子の顔が山姥のようになっている。完全にホラーだ。
わーわー騒ぐ面々の中、ニヤリ、と小平太が口元を抑えて密かに笑っていたのを、その場の誰も気付かなかったのだった。
きり丸と五年生にお菓子をご馳走した後、片付けを五年生に手伝ってもらい、シナへお菓子を届けたその後は予定していた小平太と長次の稽古をつけていると、その終わりの頃に、半助と利吉が姿を現した。
半助の方は差し入れたお菓子のお礼を言いに来たらしく、気遣いからくる物だったが、利吉については全く予想外だった。
電話なんてない時代のため、来訪するにしても事前に今日行きますなんて庶民はしない。先触れをするなんて事は、高貴な身分の人間がする事であり、庶民ならばそれは仕事上必要な時や絶対に会わなければならない時くらいのものである。
とはいえ、澪に会いにくる事は利吉は前に言っていたので、怪我さえ治ってしまえばいつ来てもおかしくはない。足の怪我は治ったようで、利吉の足取りはしっかりしている。忍者らしく、気配と足音を断つその歩き方は、かつて見た忍びをやっていた元父親と同じものだ。
忍者を引退しても、ついてしまった歩き方の癖が中々直らないのだと、元父親は言っていた。
「ーー澪さん」
どうやら、人目を避けられる場所に来たらしい。前を歩いていた利吉がくるりと振り返った。
ふわっと、その瞬間風が吹いた。
風に髪が靡く姿が、絵に描いたような美男子である。最初に出会った時も思ったが、モテそうだなと利吉を見て感じる澪である。
「まずは、あの時のお礼を改めて申し上げます。あの時、澪さんがわたしの所まで駆けつけてくれなければ、わたしは下手をしたら死んでいたか、あるいは忍びとして今後働けなくなるかもしれない所でした」
すっ、と利吉が頭を下げた。綺麗なお辞儀に、澪は慌てる。
あれは、きり丸のやらかしが原因であり、澪は忍術学園の職員としてその始末をつけたに過ぎない。
「当然の事をしたまでです。利吉さんに、そんな風に畏ってお礼を言われるような事では……」
「ありますよ。それと、どうぞこれを」
慌てる澪に利吉は懐から、袋と黒い布を取り出して手渡した。黒い布の方はおそらく、澪が利吉の傷の手当をした際に貸した頭巾であろう。綺麗にして返すと言っていたとおり、丁寧に折り畳まれていた。
咄嗟に布と袋を受け取ると、袋の方は重いーーお金が入っている。
「澪さんの取り分です」
「ええっ、そんな!貰えませんよ、もとはと言えば、こちらが利吉さんの仕事に便乗した挙句に怪我までさせてしまったのに」
「ええ、ですから迷惑料は引いてますよ。それでも、恩人にただ働きさせるのは、わたしのプロの忍者としてのプライドが許しませんから」
多分、突き返しても受け取ってはもらえない。利吉からは断固とした雰囲気があった。困ってしまって、半助をチラリと見ると頷かれる。どうやら、受け取ってはしまえという事らしい。
仕方なく、澪は礼を言った。
「では、有り難く。わざわざご足労をかけまして、逆に申し訳ありません」
「ーー澪さん、今日はお礼の他に貴女にお伝えしたい事があって来たんです」
じっと利吉が澪を見つめてくる。切れ長の瞳に整った面差しは、映画館のスクリーンでイケメンな若手俳優を見ているような気分にさせられる。
目の保養である。
忍者のイケメン率は意外と高いのかもしれない。この場にいる男性は皆、容姿が整っている。半助は言わずもがなだし、小平太は童顔気味だが、力強い眉やくりっとした目は男前の要素だし、長次だって顔に傷こそあるが、若いのに既に渋みがあってーー文次郎と揃って二十年後が楽しみである。
「澪さんっ……!」
利吉が急に澪の手を取った。見ると、潤んだ瞳に熱い眼差しで直向きに澪を見つめてくる利吉の姿が。彼に気がある女子なら、ときめいて倒れるかもしれない。
「色々な女性を知ってはいますが、貴女のような人は初めてです。まさに御仏がわたしのために貴女を使わし、出会わせてくれたに違いない。嗚呼、澪さんっ、もう、わたしにはこの気持ちをこれ以上、抑える事ができません。どうか、どうか、このわたしとっーー!」
「うわぁあーーー、利吉くん、突然何を言ってるんだぁ!」
「ずるいぞ、利吉さん。いきなりやって来てそれはダメだぁああーー!」
瞬間、半助と小平太が利吉の台詞に覆い被せるように、わぁわぁ言って澪と利吉の所に走って来たが、それより先に利吉が話し終わる方が早かった。
「一緒に仕事を受けてください!!」
ずべしゃあ!!と、半助と小平太が仲良くずっこけた。
二人がこけた勢いのままスライディングし、土煙が上がるのを視界の端に捉えながらも、澪は手を握りしめる利吉を前にポカーンと間抜けな顔をしてしまう。
「えっ、お仕事ですか?」
「そうですっ。貴女のその怪力、格闘センスは他の追随を許さない。否、貴女以上の人は居ない!!」
ぎゅうっと、握りしめられる手が熱い。
「これでも売れっ子忍者なんで、あちこちから声をかけてもらってるんですが、ギャラがよくても流石にあまりにも腕っぷしの強さが要求される仕事は泣く泣く諦めていたんです。でも澪さんがいれば、万事解決っ。取り分はご相談に応じますし、予定も澪さんに合わせますので何卒、わたしに今から幾つかの仕事について説明をする時間をいただきたく!!」
「「紛らわしいっーー!!」」
利吉の言葉に、土埃に塗れた半助と小平太が大声を上げた。
「ちょっと、何ですか二人とも。邪魔をするなら、あっち行っててください。これから、わたしは澪さんと、とても大事な話があるんですら」
まるで、野良の犬猫でも追い払うような態度の利吉である。
「えーっと、利吉さん。お話は有難いんですけど、ほら、わたしはここの職員ですし」
「勿論、わかっています。ご迷惑をかける気はありません。お休みの時にアルバイト感覚でいいんです。澪さんは敵に遭遇したら、サクッと倒してくだされば。わたしが作戦の立案と実行はやりますし、後始末までやります。貴女に何の憂いも抱かせません」
何という熱心な口説き文句だろうか。
まるで愛を遂げようとしているようだが、利吉の場合は愛ではなく仕事を遂げようとしている。
凄まじく真面目だ。
手は離してもらえない。これは、うんと頷くまで離してもらえないコースではないのか。
「り、利吉さん、わたしお給与も入りましたので、そんなにお金に今はもう困ってなくて。週末はゆっくりしたいなぁなんて……」
「ええ、問題ありません。澪さんは基本的にゆっくりしていてください。倒すべき相手が来た時だけ、さらっと倒してくだされば」
あかんやつだ。
このイケメン、人の話を聞いていない。
手を抜こうと引っ張ってみるが、指先まで絡め取られてがっつり引き寄せられており、澪は捕獲された動物の気分になった。
誰か助けて。
本気で振り切ると怪我をさせてしまうため、そうするわけにもいかず、心の中で半泣きになる澪。
「さぁ、澪さん。ここに、澪さんにぴったりな仕事の概要があります。選別しまくって五つまで絞った一級の依頼ばかりです。さぁ、わたしと一緒にーー」
興奮しているのか、はぁはぁと息も荒く懐からずらっと五つの折り畳まれた紙を取り出す利吉。イケメンだけに、迫力がある。
「そこまでー!!」
半助の大きな声がした。
そう思った瞬間、澪の手を半助が奪うように利吉から取った。
ちなみに、半助だけでなく小平太も動いたようで、利吉を後ろから引き剥がしている。
「何なんですか、わたしと澪さんの大事なひと時を邪魔をするなんて」
「……もそ。利吉さん、言い方がいちいち紛らわしいです」
「わたしは事実しか言っていないよ。中在家くん」
不機嫌そうな顔になる利吉。その目は諦めた気配はなく、澪を一心に見つめている。
とはいえ、ギャラリーが多いのでは話が進まないと思ったのだろう。やがて、利吉は深いため息を吐いた。
そんな利吉を見た小平太が、黙って拘束をとく。多分、さっきみたいな事はもうないと見たのだろう。
「ーーまぁ、今日は仕方ありません。とりあえず、資料を渡しておくので読んだら何がいいか決めておいてください。数日後にまた来るのでその時には教えてくださいね、澪さん。それと、読み終わったら全部燃やしてください。念のため」
圧が凄い。
断らせない空気を纏い、澪に懐から出した紙を全て持たせる利吉に、執念のような物を感じた。
「では、今日のところは失礼します。この後、父上にも会いに行かねばなりませんので」
キリッとした顔と爽やかな笑顔の美男子な利吉だが、澪は受け取った紙を胸に抱いて複雑な心境になる。
どうしよう、全くときめかない。むしろ、数日後に会いに来てほしくない。
だが、以前にこちらの落ち度で怪我をさせた事もあり、しかも、お金も受け取ってしまい断り辛い。
そんな澪の心境の全てを見通すかのように、利吉が鮮やかに微笑む。
「貴女からの良いお返事を楽しみにしていますよ、澪さん」
「ーーハイ、ガンバッテヨミマス」
澪の目は、イケメンの利吉を前にときめくハートではなく、どこか遠くを見つめるような細く切ない物になっていたのだった。
それから。
利吉が颯爽と去り、残された澪に半助が慌てて声をかけた。
「澪さん、利吉くんの話は全部断っていいから。わたしから山田先生にも言っておくし。彼に注意もしておく。だから気にせずに休暇は有意義に過ごすといい」
「あー、いえ、大丈夫です。マシそうなのを一つ受けたら、納得してくださると思うので」
最近、少しずつ忙しくなって来たと思ったら、とんだ案件をぶち込まれた気分である。とりあえず、貰ったお金と一緒に資料を胸元に仕舞う。
「澪さん、腕っぷしならわたしも自信がある。わたしも行くぞ!勿論、ギャラは要らないっ!」
「それは駄目ですよ、小平太くん。これはわたしに来たお話なので、わたしが責任をもって受けますーー大丈夫です。さっきも言いましたが、マシな物を受けますから」
心配してくれているのだろう。
力強い言葉をくれる小平太の申し出を、澪は却下した。内容は知らないが、利吉が一人では諦める程に腕っぷしが必要な仕事ならば、危険度が高いと見ていい。
利吉は、泥棒騒ぎの時に澪の獅子奮迅の戦いぶりを見ているから、こうして声をかけたわけで。
小平太は六年生の中では小柄な方なのに、体の割に力が強く抜群の運動能力があり、本人は勢いのいい事を言って誤魔化しているが、頭の回転もかなり早く洞察力も高い。言わば即戦力なのだろうが、小平太には学園の授業の方を優先してほしいし、巻き込みたくない。
「なら、わたしはどうかな」
すっ、と半助の手が上がった。
「わたしなら、プロの忍者だ。澪さんと利吉くんと二人きりというのは、また利吉くんに次の仕事を捩じ込まれかねない。そうならないよう、ちゃんとわたしが間に入るよ。今日はまさか利吉くんが、ああくるとは思わず対応が遅れてしまったからね」
「えっ、いいんですか?」
半助が来てくれるなら心強い。
仕事を受けるにしても、利吉と二人きりでやると次々仕事を引き受けさせられそうな予感がしていたので、止めてもらえるなら大助かりだ。
「あ、でも利吉さんが何て言うか……」
「わたしの分のギャラは要らないし、口外もしないと言えばいいと思う。山田先生にも報告すれば、承知してもらえるはずだ。何だかんだ、利吉くんは父親を慕っているから、山田先生から一言あれば黙って聞くと思うよ」
ーーそこまで利吉が好きなのか。
何ともまぁ、健気な事である。
澪と利吉を二人きりにするのが心配に違いない。
頑張ってください、半助さん。と、心の中で応援する。きり丸と同じく恩人と言っていい半助に、澪は常々感謝していた。
どうなるかは分からないが、恩人には幸せになってほしいもの。半助の恋路を応援しようと思う。
「ーー半助さん、それでは是非ともよろしくお願いしますね」
「あ、ああ」
きゅっ、と半助の手を握る澪。
笑顔こそ浮かべているが、澪の生温い視線に戸惑う表情を浮かべる半助。
その隣では、小平太がギリギリと拳を握りしめており、慰めるように長次がその肩を叩いていたのだった。
++++++
「利吉がまさか、そんな事を頼むとは。まぁ、あいつらしいと言えばらしいが、すまんな澪くん」
夕食を食べ終わり、すっかり周囲が暗くなる頃。職員室で澪は伝蔵から深々と頭を下げられていた。
それと言うのも、夕食後に今日あった事を伝蔵に報告するのに、利吉に渡された資料を持って職員室にくるよう半助に言われたので、従った結果である。
「あ、いえそんな謝るような事では。むしろ、わたしの実力が利吉さんに認めてもらえたからの事だと思えば、その点では光栄な事ですし」
「まぁ、澪くんの怪力はわたしも凄まじいと思う。多分、突き抜け過ぎたせいで、良くも悪くも利吉の眼鏡にかなってしまったんだろう。全く、あいつときたら人のことを仕事中毒だなんだ言うくせに、自分だってそうじゃないか。澪くんまで巻き込んで」
ブツブツ文句を言う伝蔵。
親子仲は悪くなさそうだが、何かあの後で利吉に言われたのだろうか。利吉は伝蔵に会いに行くと言っていたし。
「利吉くんはね、母親が寂しい思いをするからって、時たま学園に山田先生に家に帰るように言いに来るんだよ」
「へぇ、とてもいい息子さんじゃないですか」
「フンッ、わたしは仕事で忙しいんだ。帰らないんじゃなくて、帰れないと言っとるのに」
ぷいっ、と顔を背ける伝蔵。夜のため、灯明皿に火を灯しただけの薄暗い室内なのに、伝蔵の照れ臭さそうな表情が手に取るように分かる。
「それで、どんな仕事を寄越して来たんだ。あいつは」
「えっ、あの、資料は持ってくるよう言われたので、手元にありますが本当にお見せしてもよいものか」
「利吉がわざわざ資料を寄越した時点で、我々に知られてもよい内容の物ばかりだろう。とはいえ、大勢に知られるのも困るから、読んだら燃やせと言った、そんな所に決まっている」
そう言う物なのか。
この辺りの考えというのは、澪には何が正しいのか分かりづらい所である。
まぁ、利吉の父親である伝蔵が問題ないというならそうなのだろう。澪は黙って資料を渡した。ちなみに、既に中身は澪が全て目を通している。
結論から言ってどれもこれも、似たり寄ったりと言うかーー確かに、利吉一人では躊躇するだけあって腕っぷしの要求度が高い依頼ばかりだった。
「どれどれ……ほぅ、ふーむ」
「じゃ、わたしも失礼して」
伝蔵が読むその横から、半助が内容を一緒に見ている。それから暫くして、澪が沈黙している間に全ての内容を読み終えた伝蔵は、ある一つの紙を澪に差し出した。
「これにしなさい」
「これは……えっと、鵺退治ですか?」
差し出された紙に記された内容を見て目を瞬く。
鵺とは、古くから日本に伝わる妖の事だ。様々な生き物の混ざり合った恐ろしい姿をしているというが、そんなキメラのような生き物がいくらおかしな戦国だろうが、いるはずもないのだが。
記された内容はこうだ。
『依頼主はクモの子城城主、鬼瓦只安。残忍な性格の城主であるが、ここの所ずっと、領内でたびたび鵺が家畜や人を襲う騒ぎが絶えない。鵺に家畜の鶏が殺され、応戦した村民達に甚大な被害があった。特に鵺は女を好み、何度か若い娘の前に姿を現したという。城から鵺の討伐隊が派遣されたが、一命はとりとめたものの、全員が鵺を前に呆気なく倒されてしまった。このままでは、領内が落ちつかず戦どころではないため、鵺の事を調査し可能ならば倒してほしい』と言う物だ。
「ーークモの子城にはわたしの教え子がいる。それに、半助や利吉も知る場所でもある。まぁ、城の周りに罠が多い場所だが、澪くんや半助達なら問題あるまい。それに女を狙うというなら、澪くん程の適任はいないからな」
「なるほど」
流石は忍術学園のベテラン教師である。
「何よりーー」
ふいに、伝蔵が強い眼差しで天井裏を睨みつけた。
「そこで盗み聞きしてる者達も、囮役として任務に同行させてしまえばいい。職員室の天井裏に忍び込んでないで出てこい!」
伝蔵が一喝すると、少しして天井の上が開いてそこから小平太が顔を覗かせた。
「バレてしまいましたか」
「最初からバレとるわ。半助がずっと知らぬふりをするから、わたしが痺れを切らしたんだ。お前だけじゃなく他にも居るだろう」
澪は全く気配に気が付かなかった。素人よりは武人のため気配察知能力は高い自信はあるが、忍者に本気を出されると流石に分からない。忍たまとは言え、流石は六年生と言ったところか。
程なくして天井裏から、小平太、留三郎、文次郎の三人が降りて来た。小平太は利吉との会話を知っているのでともかくとして、何故に留三郎と文次郎までいるのか。
半助もぞろぞろ出て来た六年生を、呆れたような顔で見ている。
「いや、わたし達は興味本位で小平太について来ただけですので」
「そうです。鍛錬をするのかと思って付き合おうとしただけです」
「留三郎と文次郎は、わたしが職員室に忍び込もうとするのを無理矢理ついて来たんです。長次には止められましたが、澪さんと土井先生が行くのに、利吉さんとの会話を知るわたしが仲間はずれなのは、腑に落ちません!!ですから、わたしは鵺退治に行きます山田先生」
バツの悪そうな顔をする文次郎達とは違い、小平太はやる気満々だ。
「うむ、よく言った!学園長には、わたしが報告しておこう」
「えっ、山田先生そんな事したら学園長の事ですから、今度は六年生の野外実習になりますよ。利吉くんの仕事の妨げになりませんか?」
前回の事があるだけに焦る半助。利吉の仕事を手伝うはずが、まさかの忍たまの実習扱いである。
「野外実習か。ふむ、それならそれで案外いいのではないのか。鵺退治なんて早々ある話でもないだろうしな。六年生だし、利吉の足手纏いにはならんだろう。何よりーーこれは、特にそこの三人にとってのよい訓練になる!」
カッ!と目を見開く伝蔵。その姿が何となく利吉を思わせる。目元のキリッとした感じがそっくりだ。
「訓練、ですか?」
伝蔵の発言に不思議そうな顔をする留三郎。次の瞬間、バッ!と伝蔵の姿がかき消えたと思ったら、凄まじい早技で艶やかな黒髪に、綺麗な着物姿の女性(?)が職員室に現れる。
シナと同レベルの変身スピードである。澪の怪力よりも下手をしたら、こっちの方が人間離れしている早業だ。
瞬間、半助の顔が引き攣った。
「鵺は女を狙って現れるのよっ!あんた達の下手くそな女装を改善するまたとない機会になるはず。仕事の日までみっちりあたしが仕込んであげるから、全員女になりきって鵺退治に行くのよ!学園長先生には、あたしが話しておくからっ」
ばちこん!とウィンクする伝蔵ならぬ伝子。突然すぎる話に澪は呆然とし、半助は天井を遠い目をして見上げていた。何だか悟りを開いた僧侶のような顔をしている半助である。
ひょっとして、六年生という余計な人間が増えた事で利吉と二人きりになれるチャンスが減ったのを嘆いているのかもしれない。
なんて事だ、世の中理不尽であるーー等と、その勘違いこそが半助にとっては最悪の理不尽である事を知らない澪は、そんな思考を一切顔には出さない。
哀れ半助、と、この現状を知れば誰か一人くらい半助を知る者は彼に同情したかもしれない。とはいえ、この状況を招いているのは奥手な本人のせいでもあるという指摘もまた然りであった。
「いやー、オレは遠慮しておきます」
「はん、尻尾を巻いて逃げるのか留三郎?オレは怯まず女装の腕をあげるぞ!これもまた鍛錬だっ!」
「は?んだと、誰が逃げるか。いいさ、やってやるよ女装。スネ毛も脇毛もちゃんと処理してツルツルピカピカにしてやるわ!!」
犬猿コンビが喧嘩を始めて、職員室が一気に騒がしくなった。というか、利吉は大丈夫なのか。幾ら六年生でも、女装して鵺退治に混ざるなんて最早どうなるか全く想像がつかない澪である。
「わたしも頑張るぞっ。というわけで、土井先生!是非ともお手本を頼みますね!」
にこにこ笑顔の小平太が、半助に急に恐ろしいキラーパスを寄越した。言われた内容に一瞬だけきょとん、とするもすぐに意味を理解してブンブン首を振る半助。
「何でわたしなんだ!別に手本なんぞいらんだろう?大体、手本ならそこに伝子さんがいるじゃないか!!」
びしっ、と伝子を指差す半助。薄暗い室内にいる伝子は、鵺より怖い妖怪っぽいとか思ってはいけない。
「あら、いいじゃないの。先生として当日はお手本になってあげなさいな半子。何なら学園長先生に指令を仰いでもいいのよ?」
「は、半子……ぶふっ」
ネーミングセンスにウケてしまい、澪は思わず吹き出した。見ると、半助はそんな澪の笑い声を聞いて情けない顔になっている。気のせいでなければ、目尻に涙の如き濡れ光る物があるような。
「っ、いやだぁぁああーー!!何が悲しくて、女装しなくてはならんのだぁー!」
「土井先生、自信持ってください。山田先生より、遥かに似合ってると思いますから」
「何ですって?!」
項垂れる半助を慰める文次郎だったが一言多い。伝子の顔が山姥のようになっている。完全にホラーだ。
わーわー騒ぐ面々の中、ニヤリ、と小平太が口元を抑えて密かに笑っていたのを、その場の誰も気付かなかったのだった。
