第5話 その男、仕事中毒につき
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カツカツと硬質な音を響かせながら、黒板にチョークによってお手本のような活字が書かれていく。
「さて、次の問題はーー」
忍術学園一年は組の教室にて。
外は生憎と曇りの天気で、やや薄暗くなっているせいか総勢十一名の生徒達は少し眠そうだが、教科担任の土井半助の授業を必死に聞いていた。
いつもなら、ここで数名は脱落して船を漕ぐ。最悪だと、いびきまでかいて寝る。なのに全員、どうにか起きているのはワケがある。
「計算の仕方がわからない人は、わたしも一緒に考えますから遠慮なく声をかけてくださいね」
若い女性ーー澪の声が一年は組に木霊した。
そう、今日は澪が初めて一年は組の教科の授業の補佐につく日である。
「は、はーい!この計算がうまくできません」
最初に手を挙げたのは夢前三治郎だ。澪がすぐに傍につくと、照れ笑いしながらも真面目な顔で話を聞いている。
「小数点混じりの計算のコツは……」
澪が丁寧に隣に座って説明すると、三治郎が一生懸命な顔で問題を解いた。できたのか、その顔がぱあっと明るくなると澪がポンポンと優しく背中を叩く。
「わ、わたしも教えてくださーい!」
「割り算がうまくできないよぉ……」
「はい、じゃあそっちに行きますね。乱太郎くん、しんべヱくん」
にこっ、と笑ってやってくる澪。秘書の札がついた黒い忍者服に、美しい容姿ーーその身体が発揮する恐ろしい怪力は忍術学園の名物になりつつあった。
やっぱり綺麗だ。
乱太郎、しんべヱと三人一緒の席に座るきり丸は、丁寧な所作で乱太郎達の横に座る澪をチラリと見る。
「しんべヱくん。はいチーン、プリントに鼻水がついたらダメですからね」
「はーい」
チーン!と、鼻水をかむしんべヱ。嫌な顔一つせずに鼻をかむ澪の姿は姉のようだ。
「きり丸くんは、何かわからない所はない?」
「あ、オレはその……小数点のどこを四捨五入していいか」
聞かれたので、咄嗟にそう答えた。
澪がこんなに近くにいるのが、久しぶりに感じた。六年生達全員の稽古を澪がつけているようで、これまであった澪の隙間時間が大幅に減ったせいだ。
伝蔵が伝子の時に頼んだ品の製作が、そのせいで遅れ気味になっているのを澪が謝っていたのを、きり丸は偶然聞いた。
当然、伝蔵は嫌な顔一つせずに数が多いからゆっくりやればいいと言っていたが。
ささくれ立ち、ちくちくするように胸が少し痛かった。多分、これは痛くないはずの心が痛いのだーー。
なのに。
澪が近くにやってくると、今度は胸が温かくなる。乱太郎達に説明を終え、きり丸のすぐ隣に座り近くで澪に話をされると、鼓動が早くなる。それは乱太郎もだったようで、耳が少し赤くなっている。多分、澪に見てもらった一年は組の大多数の生徒はそうなのだろう。
途端に少し面白くなくなるが、澪の香りがしてやっぱり胸がドキドキした。
こんなのは、貯金の小銭がいくら貯まっているか夜中にこっそり数えている時みたいだ。
「きり丸くん、分かる?」
くんなんて、要らない。きり丸、と二人きりの時にみたいに呼んでほしい。
この忍術学園で、呼び捨てされて澪と普通に話せるのは自分だけだと、皆んなに知らしめたい。
そう思った時だ。
「後で見てね」
きり丸にしか聞こえないような澪の声がして、同時にきり丸の手の中に小さく折り畳まれた紙があった。
これは澪からの手紙だ。
小さな紙が、途端に宝物のように思えてきり丸の顔には、堪えきれない笑みが浮かびそうになったのだった。
それから。
授業が終わって、きり丸は乱太郎達からは離れた場所ーー委員会の仕事があると言って、静かに過ごしやすい図書室で、こっそり手紙を開いた。
その中には、澪の綺麗な文字が書かれている。
早速、読もうとした時だ。
「きり丸、何してるんだ?」
「っ、え、不破先輩?!」
「今日、当番はきり丸じゃないのに。しかも図書委員の当番には早い時間じゃないか。どうしたんだ」
不思議そうな顔で、きり丸をじっと見つめているのは、同じ図書委員の五年ろ組、不破雷蔵だった。紅桔梗のような、紫の色味の強い群青の制服を見に纏う上級生の姿に、きり丸は驚いて手に持っていた手紙を落としてしまった。
ひらり、と折り畳みの線がたくさん入った紙が不破の足元に落ちる。
しまった!と思ったがもう遅い。
「綺麗な字だ……授業が終わってすぐ、食堂でおやつを作るからよかったら食べに来ないかって書いてある」
「か、返してください!」
ばっ!と、手を出す。五年生だけあって、きり丸より背が高い不破の手にある紙をひったくれない。
「この字って、澪さんのだよね……事務室から配られたプリントで見かけて。すごく綺麗だったから、小松田さんに聞いて確かめた事がある。その時のと同じだ」
不破はすぐに手紙を返してくれた。が、差出人が誰かに目ざとく気づいているらしい。
きり丸は手紙を隠すように手に取り、もう奪われまいと握りしめた。
「そうですけど、何か」
「きり丸って、澪さんと仲いいの?三年生までは、澪さんがよく授業の補佐をしてるし」
「ーーいい、ですけど」
一体何なんだ。
じっ、ときり丸を見つめる不破。彼の姿を借りて常に変装している鉢屋三郎とは異なり、不破本人は優柔不断な欠点こそあれど常識人で温和な性格だ。
その先輩が、やたら真剣な顔をしてきり丸を見ている。
「ね、ぼくのこと澪さんに紹介してよ」
「イヤです。面倒くさい」
きり丸は息を吸うように即座に却下した。
「自分で声をかけたらいいじゃないですかっ」
「それができたら苦労しない。お願いだっ、この通り!だって、くのたま達に三年生までと六年生は澪さんと接点があるのに、四年生やぼくたち五年生は全然話しができないんだぞ。ぼくだって、澪さんと喋ってみたい」
「別にぼくの仲介いりませんよね」
澪は別に上級生達を遠ざけているわけではない。話しかけたら受け答えは普通にしてくれるだろう。
不破が話しかけられないのは、本人の優柔不断な性格が悪さをしているせいに違いない。
「できるわけないだろ。だって、あの澪さんだよ。ぼくから声をかけるなんて。六年生の先輩をボコボコにするくらい強いし。しかも凄い美人だし!」
「えー、そりゃそうですけど」
不破には澪に対する強い好奇心があるが、一方で畏敬の念のような気持ちもあるのかもしれない。澪の怪力と繰り出される技はそうなってもおかしくない、突き抜けた威力と魅力があるのだ。
不破の事は先輩として好ましいとは思う。
だが、だからと言って、澪にわざわざ紹介する気にも中々なれないと思った時だった。
「雷蔵、よくぞ言った!」
「うわっ、居たの勘右衛門?!」
いきなり図書室に、群青を纏う新たな五年生が出没した。入り口のところに長い髪を靡かせて、堂々と立つ尾浜勘右衛門の姿を見たきり丸の顔が引き攣る。
「お、尾浜先輩」
「五年生全員、澪さんに話しかける機会を窺っては挫ける日々……それに今日こそはオレ達は終止符を打つんだ!」
「はぁ、別に今日に限らず、いつでも自分達で好きな時に打ったらいいんじゃないですかね。終止符」
きり丸からすると迷惑な話だ。というより、授業が終わっておやつを作っているということは、今、まさに作っているか、あるいは作り終わっているかもしれないのだ。早くきり丸は食堂へ行きたかった。
「ぼくは用事があるのでもう行きますよ。あと、図書室ではお静かに願います。先輩方」
「きり丸くん、待ちたまえ」
くん、だなんて気色の悪い。
普段はつけない敬称をつけて、わざわざきり丸を呼び止める尾浜に嫌な予感しかしない。
「雷蔵との会話を盗み聞きしていたから、オレも知っているぞ。澪さんが食堂でおやつを作っている事を……!」
「ついてこないだくださいよ。ぼくの食べる分が減るんで」
「そんな事を言うもんじゃないぞ。オレと雷蔵を連れて行って澪さんに紹介してくれるなら、オレ達がお前のアルバイトを今度思う存分に手伝ってあ・げ・る」
「!?」
あげる。
その甘美な響きに、きり丸のドケチ魂が反応する。
「そうだよ、きり丸!そうしてくれるなら、ぼくは喜んで勘右衛門と一緒にきり丸のアルバイトを手伝うよ。ぼくら二人分の給金だ。その分丸儲けになるだろう」
まるもうけ。
ぐらっと、またもきり丸のーー以下略。
五年生によるきり丸の性分を完全把握したファインプレーに、きり丸はーー。
「お二方、大船に乗ったつもりで万事、このきり丸にお任せくださいっ!」
その場に方膝をついて、五年生の先輩達に主君に仕える忍びのように忠誠のポーズを取るのだった。
++++++
「ふんふーん、ふーん」
上機嫌に鼻歌を歌う。
とあるアーティストの作曲した邦楽で、この世界には存在しないその歌のフレーズは澪が歌うものだ。
と言っても歌詞がなく、メロディのみのため周囲の人間が聞いても珍しい音楽くらいにしか受け取らないだろう。
澪は一年は組の教科の授業の補佐を終え、食堂にいた。
実は今日、嬉しい事があったのだ。
今日は半助の授業を初めて補佐をする日だったのだが、早朝に学園長に呼び出された先で澪に、何と給与が手渡された。それも、思っていたより多い金額が。
「少し早いが、澪ちゃんも物入りじゃろう。受け取るといい」
一生ついて行きます学園長!と、心の中で叫んだ。
銭、金、マニー、万歳である。
うどん一杯食べられるか怪しい所持金から一転、懐が温かくなった澪のテンションは、それこそ大気圏を突破する勢いで上がりそうだった。
それはもう嬉しくて嬉しくて、その後、朝食の時に食堂のおばちゃんから機嫌がいい理由を聞かれたので答えたら、「なら、自分にご褒美をあげなさい」と言われた次第だ。
ご褒美、と言われても何をしていいか悩んでいると食堂のおばちゃんが、片付けをするなら余った食材を使って料理をしてもいいと許可をくれたので、せっかくならとお菓子作りをする事にしたのだ。
これも、澪を忍術学園で雇ってはどうだと最初に半助に声をかけてくれた、きり丸のおかげ。すでにお礼をしたとはいえ、せっかくなのできり丸にこっそり声をかけたのだ。ちなみに、お菓子は学園長やヘムヘム、半助や伝蔵、日頃世話になっているシナや食堂のおばちゃんにも渡そうと思っている澪である。
そんな澪が使っているお菓子は、おばちゃんが卯の花和えを作る時に多めに残してしまったおからを使った、おからドーナツである。
揚油は庶民が家庭で用意するには高価なため、食堂の物を使えるのが経済的で助かるし、何より久しく口にしてなかった揚げ菓子が食べたかった。
じゅわん、といい音がして鍋の中でドーナツが仕上がっていく。
材料が沢山あったので、思ったより多くできそうだ。きな粉をかけて仕上げる気でいた。それに、好みでかける黒蜜もつける。
このなんちゃって戦国の良いところは、史実と違って割と甘味料が手に入りやすい所だ。真っ白な砂糖でこそないが、甘さ控えめでも砂糖でお菓子を作れるというのは大きい。
「澪さーん!」
どうやら、きり丸が来たらしい。
元気な声に反応して、カウンターから食堂の入り口の方へ顔を向けると、きり丸の他に群青の色を身に纏った五年生の忍たまが二人いるのが見えた。
「きり丸くん、そちらは?」
残念ーーきり丸と二人なら、肩の力を抜いてお喋りできると思ったのに。
そんな思いを口には出さず、笑顔で澪は五年生達を出迎えた。
「あー、こちらは不破雷蔵先輩と、尾浜勘右衛門先輩です。ちなみに不破先輩は、ぼくと同じ図書委員なんです」
不破と尾浜の二人とも、優しそうで中々に可愛らしい顔をしている。
「ふ、ふわ、不破雷蔵と言いますっ。その、今日はきり丸にお願いしてついてこさせてもらいました。澪さんと、一度お話しがしたくて」
「わたしもお話がしたくて来ました。尾浜勘右衛門と申します。わたし達もお邪魔してもよいですか?」
ポッと頬を真っ赤にして言う不破と、さわやかな笑顔の尾浜を前に断るつもりはない。
まぁ、ちょっと先生方の取り分が減るかもしれないが、作ったお菓子を分けないわけにもいかず、二人の分も用意する事にした。
「勿論です。今もう少しで最後の分が揚げ終わりますから、それを待ってもらえるなら、よければ食べて行かれませんか?」
「えっ、そ、そんな突然来て厚かましいんじゃ」
「わぁ、嬉しいです。お礼に片付けを手伝いますね!」
遠慮がちな不破と、反対に積極的な尾浜と。二人はそれぞれカウンターの近くに来て、澪の作業を覗いた。きり丸はというと、カウンターの中へ小走りにやって来た。
「澪さんごめんなさい。先輩達が、アルバイト手伝ってくれるって言うもんで、つい」
「ーー別にいいよ。その代わり、お給料出たから次の休みに町に買い物に行きたいの。その時は二人きりで出かけましょ」
「っ、う、うん。絶対に二人で行く!!」
ぱぁっと、顔が明るくなるきり丸。敬語が取れて砕けた話し方になっているのが、何とも可愛らしくてその頭を軽く撫でた。
「なら、よし!」
「へへ、ありがとう澪さん」
ちょっと照れ臭そうな、でも屈託の無い笑顔があどけなくて思わず澪の顔にも笑みが浮かぶ。忍たまの一年生達はまだまだ少年で皆可愛い。
ほっこりした気持ちになったところで、澪は鍋の中の油で揚げられているドーナツに視線を戻した。と言っても、沖縄のサーターアンダーギーのように丸い形の物だ。
最後の一つを揚げ終わったので、油を切るために網の上に置く。
「澪さん、美人だから何着ても似合いますよね。割烹着が似合うって素敵だなぁ」
「ありがとうございます、尾浜さん。でも食堂のおばちゃんには負けます。学園で一番割烹着が似合ってますからね」
「はは、違いない」
尾浜は非常に気さくな態度で、澪に自然と話しかけている。逆に隣の不破がチラチラと視線を寄越すだけで中々話さないのが対照的で、澪から不破に話しかけてみた。
「不破さん」
「っ、へい、あ、じゃなくてはい!」
緊張しているのか、変な返事になってしまっている。恥ずかしいのか、かぁっと顔が赤くなったーー何だこの母性を揺さぶる反応は。
気分は親戚のおばちゃん、若しくはご近所のおばちゃんである。つまり、なんだか可愛い男子を構いたくなるやつである。
「この揚げ菓子、香ばしいお茶があうと思うので、麦茶に黒豆を混ぜた物を沸かしてあるんです」
「えっ、は、麦に黒豆ですか?」
「はい」
にこりと、不破に笑顔を向ける。きょとんとした顔が、顔立ちのせいもあってかやっぱり可愛らしい。ふわふわとした明るい色の髪の毛を見ていると、もふっとしたワンコっぽい。犬種ならゴールデンレトリバーとかだ。
「このヤカンに沸かしてあるので、不破さんは尾浜さんと一緒にお茶の準備をしてもらえますか」
「分かりました」
こくり、と頷く不破の髪の毛が揺れる。不破だけに、フワフワしてるなーー等とつまらない親父ギャグを考えついて、じわじわ笑いそうになるのを我慢した。
「きり丸くんは、わたしとこのお菓子の仕上げをしましょうか」
「はーい」
おいでおいでをして、きり丸を呼ぶ。最後におからドーナツに、きり丸と一緒にきな粉を塗して完成だ。黒蜜の方は好みでかけるように、小さな器にいれた物を出す。ベタつくので、今回は素手ではなく竹の菓子楊枝でいただく。
「おまちどおさま」
「できましたよ、先輩達!」
「うわぁ、美味しそう」
「無茶苦茶いい匂いするなぁ。いただきます!」
澪ときり丸が、皿に乗せたドーナツを出すと、不破も尾浜もキラキラした目で丸い揚げ菓子を凝視している。
美味しい匂いに待ちきれなくて、全員がテーブルに着席すると、小皿を手に取ってすぐにドーナツへ手を伸ばした。
ドーナツは大皿によそったのを、小皿に移して食べるようにしてあるので、澪はそれを二つ程、皿にに乗せて黒蜜をかけてから一つを綺麗に切り分けた。
「揚げたてで熱いから、口の中を火傷しないよう気をつけてくださいね」
ふー、といかにも美味しそうな匂いのするドーナツに息をふきかけて、ぱくりと一口ーー嗚呼、美味しい。
もちもちした食感とおからの優しい香りがする。油の甘みがきな粉と黒蜜にマッチして素朴なのにあと引く旨さは、この時代ではご馳走である。
「うまぁーー!」
一口食べて、真っ先に反応したのは尾浜だ。リアクションオーバーな感じがしないでもないが、目がキラキラしている。
「もちもちして、凄く美味しいです澪さん。これ、売れますよ!」
「ふふ、ありがとう。きり丸くん」
「この麦茶と黒豆のお茶もとても美味しいです。澪さんの言った通り、お菓子によく合う」
「でしょう?」
きり丸と不破も口にあったようで、夢中で食べているのが可愛い。
「さて。揚げたてが美味しいから、味の確認もできたし、わたしはこれを学園長先生達にお裾分けしてきますね。すぐ戻ってきますので」
「あー、それならぼくが行きます。先輩達は澪さんと話したいって言ってましたし。学園長の他はどこに届けたらいいですか?」
ぱくっと、ドーナツのかけらを食べ終えると、きり丸から申し出があった。まぁ確かに、揚げたてを届けたいとはいえ、澪自ら動くと澪を目当てに来た上級生としては、残念な物があるかもしれない。
「えっと、そしたら学園長先生、ヘムヘム。それと山田先生、土井先生に」
くのいち長屋にいる可能性の高いシナは、冷めてしまうが後で持っていく事にしよう。食堂のおばちゃんは、メモを残して食器棚の隅にでもこっそり置いておく予定である。
「分かりました。ぼく、まだあと二個は食べたいんで、残しててくださいね」
「ぼくが取っておくよ。気を遣ってくれてありがとう、きり丸」
「いえいえ、それじゃあひとっ走り行って来まーす」
図書委員会の先輩と後輩だけあって、きり丸と不破は親しげに話をしていた。
きり丸にそれぞれに分けて包んだドーナツを預け、澪は五年生二人と向かい合う。
「ーー澪さんって、何でもできますね。字も達筆だし、料理も上手でおまけにあんなに強いし」
きり丸が居なくなり、不破が澪を感心した様子で見ながら話しかけてきた。
「ありがとうございます。そういう不破くんや、尾浜さんは得意な事は何ですか?」
「ぼくは、これと言って。あ、でも、読書は好きです。図書委員ですから」
「こんな事言ってますけど、雷蔵は勉強がよくできるんですよ。それで、とても努力家です。わたしはご覧の通り、人のいい所を見つけて褒めるのが得意です。澪さんなんて、褒める所が多すぎて困ってしまいそうです!」
人好きのする笑顔で元気よくはきはき喋る尾浜だが、適当に交わされた気がする澪である。不破はともかく、尾浜は澪がどんな人間かを探っているのかもしれない。
悪人がどうか疑っているというわけではなさそうだが、澪の人となりを知ろうとしているのだろう。
まぁ、上級生ともなればそういう忍たまは増える。悪意も害意もないなら放置に限る。
「あのっ、澪さん。ぼくのことはよかったら雷蔵と呼んでください」
「はーい!じゃあ、わたしも勘右衛門でお願いします」
「分かりました、雷蔵くん、勘右衛門くん」
許可が出たので名前呼びすると、勘右衛門がガッツポーズを取った。
「やったー!名前呼び!!勘右衛門くんっ、いい響きだ。あの澪さんに勘右衛門くん、って」
「……そこまで喜んでくれると、光栄ですね」
「久々知兵助って友人がいるんですけど、澪さんに声をかけたいと言っては、ため息ついてたんですよ。わたしは話した上にお菓子も一緒に食べたと自慢しようかと。しかも、澪さんの手作り!!」
アイドルにでもなったというよりは、珍獣になった気分だ。珍しくて面白い物を我が目で確かめて接触したい……そういう少年らしい好奇心を強く感じた。
「確かに。そしたら、ぼくも今日の事は三郎に自慢できるな」
ほんわかした笑顔を浮かべる雷蔵。
「えっと、別にわたしはそんな珍しい物じゃないし、気軽に話してもらえたら……」
「無理ですって。わたし達でさえ、きり丸のおかげで接触できたのに。こう、澪さんは孤高な感じというか、おいそれと簡単に話しかけてはいけない雰囲気があるっていうか」
「うーん、そんなつもりはないのですけど。時間の問題ではないかと。ほら、転校生が一時人気になるみたいな」
自分で言っててまさにその表現がぴったりな気がする澪。
だが、これには勘右衛門も雷蔵も首を振った。
「ーー忍術学園は上級生から一気に人数が少なくなります。それは生徒の家の都合もありますが、訓練の厳しさや授業での負傷で自主退学する者もいるからです。六年生ともなれば、城からスカウトが来るくらい優秀な忍たま達なのに、澪さんはその先輩達をあっという間に倒してしまったんです。だから、僕らからすると澪さんは雲の上の人というか。お話しはしたいですけど……仲介がないと接し難いと言うか」
雷蔵がポツポツと、そんな事を呟くように教えてくれた。
「それって、わたしから四年生と五年生に声をかけた方がいいんでしょうか」
「えっ、そんなお手間をかけるつもりは。ぼく達が勝手に近付きたいくせに、中々難しくて歯痒く思っているだけですから」
「そうそう。わたし達のように運を掴まないと。澪さんに接触することは、忍たま上級生の腕の見せ所ですから!」
ーーそんな競い合いをされても困る。
が、上級生がもしそんな事で盛り上がっているなら、水を差す気にもなれず澪は放置する事にした。六年生全員の稽古について、学園長から直々に許可が降りたので、何やかんや忙しいのである。
つまりは、いちいち気にしていられない。
「あと一つずつ揚げ菓子はいかがですか」
空になった皿を指さして、澪は話を切り上げた。
「お二人とも、あまりわたし相手に畏まらなくてもいいですからね。同級生の方達にもその旨、お伝えください」
容姿が美しかろうが、怪力が凄かろうが、澪はただの人間である。珍獣扱いはごめんだと言う意味も込めて、五年生の二人にそう伝える澪だった。
「さて、次の問題はーー」
忍術学園一年は組の教室にて。
外は生憎と曇りの天気で、やや薄暗くなっているせいか総勢十一名の生徒達は少し眠そうだが、教科担任の土井半助の授業を必死に聞いていた。
いつもなら、ここで数名は脱落して船を漕ぐ。最悪だと、いびきまでかいて寝る。なのに全員、どうにか起きているのはワケがある。
「計算の仕方がわからない人は、わたしも一緒に考えますから遠慮なく声をかけてくださいね」
若い女性ーー澪の声が一年は組に木霊した。
そう、今日は澪が初めて一年は組の教科の授業の補佐につく日である。
「は、はーい!この計算がうまくできません」
最初に手を挙げたのは夢前三治郎だ。澪がすぐに傍につくと、照れ笑いしながらも真面目な顔で話を聞いている。
「小数点混じりの計算のコツは……」
澪が丁寧に隣に座って説明すると、三治郎が一生懸命な顔で問題を解いた。できたのか、その顔がぱあっと明るくなると澪がポンポンと優しく背中を叩く。
「わ、わたしも教えてくださーい!」
「割り算がうまくできないよぉ……」
「はい、じゃあそっちに行きますね。乱太郎くん、しんべヱくん」
にこっ、と笑ってやってくる澪。秘書の札がついた黒い忍者服に、美しい容姿ーーその身体が発揮する恐ろしい怪力は忍術学園の名物になりつつあった。
やっぱり綺麗だ。
乱太郎、しんべヱと三人一緒の席に座るきり丸は、丁寧な所作で乱太郎達の横に座る澪をチラリと見る。
「しんべヱくん。はいチーン、プリントに鼻水がついたらダメですからね」
「はーい」
チーン!と、鼻水をかむしんべヱ。嫌な顔一つせずに鼻をかむ澪の姿は姉のようだ。
「きり丸くんは、何かわからない所はない?」
「あ、オレはその……小数点のどこを四捨五入していいか」
聞かれたので、咄嗟にそう答えた。
澪がこんなに近くにいるのが、久しぶりに感じた。六年生達全員の稽古を澪がつけているようで、これまであった澪の隙間時間が大幅に減ったせいだ。
伝蔵が伝子の時に頼んだ品の製作が、そのせいで遅れ気味になっているのを澪が謝っていたのを、きり丸は偶然聞いた。
当然、伝蔵は嫌な顔一つせずに数が多いからゆっくりやればいいと言っていたが。
ささくれ立ち、ちくちくするように胸が少し痛かった。多分、これは痛くないはずの心が痛いのだーー。
なのに。
澪が近くにやってくると、今度は胸が温かくなる。乱太郎達に説明を終え、きり丸のすぐ隣に座り近くで澪に話をされると、鼓動が早くなる。それは乱太郎もだったようで、耳が少し赤くなっている。多分、澪に見てもらった一年は組の大多数の生徒はそうなのだろう。
途端に少し面白くなくなるが、澪の香りがしてやっぱり胸がドキドキした。
こんなのは、貯金の小銭がいくら貯まっているか夜中にこっそり数えている時みたいだ。
「きり丸くん、分かる?」
くんなんて、要らない。きり丸、と二人きりの時にみたいに呼んでほしい。
この忍術学園で、呼び捨てされて澪と普通に話せるのは自分だけだと、皆んなに知らしめたい。
そう思った時だ。
「後で見てね」
きり丸にしか聞こえないような澪の声がして、同時にきり丸の手の中に小さく折り畳まれた紙があった。
これは澪からの手紙だ。
小さな紙が、途端に宝物のように思えてきり丸の顔には、堪えきれない笑みが浮かびそうになったのだった。
それから。
授業が終わって、きり丸は乱太郎達からは離れた場所ーー委員会の仕事があると言って、静かに過ごしやすい図書室で、こっそり手紙を開いた。
その中には、澪の綺麗な文字が書かれている。
早速、読もうとした時だ。
「きり丸、何してるんだ?」
「っ、え、不破先輩?!」
「今日、当番はきり丸じゃないのに。しかも図書委員の当番には早い時間じゃないか。どうしたんだ」
不思議そうな顔で、きり丸をじっと見つめているのは、同じ図書委員の五年ろ組、不破雷蔵だった。紅桔梗のような、紫の色味の強い群青の制服を見に纏う上級生の姿に、きり丸は驚いて手に持っていた手紙を落としてしまった。
ひらり、と折り畳みの線がたくさん入った紙が不破の足元に落ちる。
しまった!と思ったがもう遅い。
「綺麗な字だ……授業が終わってすぐ、食堂でおやつを作るからよかったら食べに来ないかって書いてある」
「か、返してください!」
ばっ!と、手を出す。五年生だけあって、きり丸より背が高い不破の手にある紙をひったくれない。
「この字って、澪さんのだよね……事務室から配られたプリントで見かけて。すごく綺麗だったから、小松田さんに聞いて確かめた事がある。その時のと同じだ」
不破はすぐに手紙を返してくれた。が、差出人が誰かに目ざとく気づいているらしい。
きり丸は手紙を隠すように手に取り、もう奪われまいと握りしめた。
「そうですけど、何か」
「きり丸って、澪さんと仲いいの?三年生までは、澪さんがよく授業の補佐をしてるし」
「ーーいい、ですけど」
一体何なんだ。
じっ、ときり丸を見つめる不破。彼の姿を借りて常に変装している鉢屋三郎とは異なり、不破本人は優柔不断な欠点こそあれど常識人で温和な性格だ。
その先輩が、やたら真剣な顔をしてきり丸を見ている。
「ね、ぼくのこと澪さんに紹介してよ」
「イヤです。面倒くさい」
きり丸は息を吸うように即座に却下した。
「自分で声をかけたらいいじゃないですかっ」
「それができたら苦労しない。お願いだっ、この通り!だって、くのたま達に三年生までと六年生は澪さんと接点があるのに、四年生やぼくたち五年生は全然話しができないんだぞ。ぼくだって、澪さんと喋ってみたい」
「別にぼくの仲介いりませんよね」
澪は別に上級生達を遠ざけているわけではない。話しかけたら受け答えは普通にしてくれるだろう。
不破が話しかけられないのは、本人の優柔不断な性格が悪さをしているせいに違いない。
「できるわけないだろ。だって、あの澪さんだよ。ぼくから声をかけるなんて。六年生の先輩をボコボコにするくらい強いし。しかも凄い美人だし!」
「えー、そりゃそうですけど」
不破には澪に対する強い好奇心があるが、一方で畏敬の念のような気持ちもあるのかもしれない。澪の怪力と繰り出される技はそうなってもおかしくない、突き抜けた威力と魅力があるのだ。
不破の事は先輩として好ましいとは思う。
だが、だからと言って、澪にわざわざ紹介する気にも中々なれないと思った時だった。
「雷蔵、よくぞ言った!」
「うわっ、居たの勘右衛門?!」
いきなり図書室に、群青を纏う新たな五年生が出没した。入り口のところに長い髪を靡かせて、堂々と立つ尾浜勘右衛門の姿を見たきり丸の顔が引き攣る。
「お、尾浜先輩」
「五年生全員、澪さんに話しかける機会を窺っては挫ける日々……それに今日こそはオレ達は終止符を打つんだ!」
「はぁ、別に今日に限らず、いつでも自分達で好きな時に打ったらいいんじゃないですかね。終止符」
きり丸からすると迷惑な話だ。というより、授業が終わっておやつを作っているということは、今、まさに作っているか、あるいは作り終わっているかもしれないのだ。早くきり丸は食堂へ行きたかった。
「ぼくは用事があるのでもう行きますよ。あと、図書室ではお静かに願います。先輩方」
「きり丸くん、待ちたまえ」
くん、だなんて気色の悪い。
普段はつけない敬称をつけて、わざわざきり丸を呼び止める尾浜に嫌な予感しかしない。
「雷蔵との会話を盗み聞きしていたから、オレも知っているぞ。澪さんが食堂でおやつを作っている事を……!」
「ついてこないだくださいよ。ぼくの食べる分が減るんで」
「そんな事を言うもんじゃないぞ。オレと雷蔵を連れて行って澪さんに紹介してくれるなら、オレ達がお前のアルバイトを今度思う存分に手伝ってあ・げ・る」
「!?」
あげる。
その甘美な響きに、きり丸のドケチ魂が反応する。
「そうだよ、きり丸!そうしてくれるなら、ぼくは喜んで勘右衛門と一緒にきり丸のアルバイトを手伝うよ。ぼくら二人分の給金だ。その分丸儲けになるだろう」
まるもうけ。
ぐらっと、またもきり丸のーー以下略。
五年生によるきり丸の性分を完全把握したファインプレーに、きり丸はーー。
「お二方、大船に乗ったつもりで万事、このきり丸にお任せくださいっ!」
その場に方膝をついて、五年生の先輩達に主君に仕える忍びのように忠誠のポーズを取るのだった。
++++++
「ふんふーん、ふーん」
上機嫌に鼻歌を歌う。
とあるアーティストの作曲した邦楽で、この世界には存在しないその歌のフレーズは澪が歌うものだ。
と言っても歌詞がなく、メロディのみのため周囲の人間が聞いても珍しい音楽くらいにしか受け取らないだろう。
澪は一年は組の教科の授業の補佐を終え、食堂にいた。
実は今日、嬉しい事があったのだ。
今日は半助の授業を初めて補佐をする日だったのだが、早朝に学園長に呼び出された先で澪に、何と給与が手渡された。それも、思っていたより多い金額が。
「少し早いが、澪ちゃんも物入りじゃろう。受け取るといい」
一生ついて行きます学園長!と、心の中で叫んだ。
銭、金、マニー、万歳である。
うどん一杯食べられるか怪しい所持金から一転、懐が温かくなった澪のテンションは、それこそ大気圏を突破する勢いで上がりそうだった。
それはもう嬉しくて嬉しくて、その後、朝食の時に食堂のおばちゃんから機嫌がいい理由を聞かれたので答えたら、「なら、自分にご褒美をあげなさい」と言われた次第だ。
ご褒美、と言われても何をしていいか悩んでいると食堂のおばちゃんが、片付けをするなら余った食材を使って料理をしてもいいと許可をくれたので、せっかくならとお菓子作りをする事にしたのだ。
これも、澪を忍術学園で雇ってはどうだと最初に半助に声をかけてくれた、きり丸のおかげ。すでにお礼をしたとはいえ、せっかくなのできり丸にこっそり声をかけたのだ。ちなみに、お菓子は学園長やヘムヘム、半助や伝蔵、日頃世話になっているシナや食堂のおばちゃんにも渡そうと思っている澪である。
そんな澪が使っているお菓子は、おばちゃんが卯の花和えを作る時に多めに残してしまったおからを使った、おからドーナツである。
揚油は庶民が家庭で用意するには高価なため、食堂の物を使えるのが経済的で助かるし、何より久しく口にしてなかった揚げ菓子が食べたかった。
じゅわん、といい音がして鍋の中でドーナツが仕上がっていく。
材料が沢山あったので、思ったより多くできそうだ。きな粉をかけて仕上げる気でいた。それに、好みでかける黒蜜もつける。
このなんちゃって戦国の良いところは、史実と違って割と甘味料が手に入りやすい所だ。真っ白な砂糖でこそないが、甘さ控えめでも砂糖でお菓子を作れるというのは大きい。
「澪さーん!」
どうやら、きり丸が来たらしい。
元気な声に反応して、カウンターから食堂の入り口の方へ顔を向けると、きり丸の他に群青の色を身に纏った五年生の忍たまが二人いるのが見えた。
「きり丸くん、そちらは?」
残念ーーきり丸と二人なら、肩の力を抜いてお喋りできると思ったのに。
そんな思いを口には出さず、笑顔で澪は五年生達を出迎えた。
「あー、こちらは不破雷蔵先輩と、尾浜勘右衛門先輩です。ちなみに不破先輩は、ぼくと同じ図書委員なんです」
不破と尾浜の二人とも、優しそうで中々に可愛らしい顔をしている。
「ふ、ふわ、不破雷蔵と言いますっ。その、今日はきり丸にお願いしてついてこさせてもらいました。澪さんと、一度お話しがしたくて」
「わたしもお話がしたくて来ました。尾浜勘右衛門と申します。わたし達もお邪魔してもよいですか?」
ポッと頬を真っ赤にして言う不破と、さわやかな笑顔の尾浜を前に断るつもりはない。
まぁ、ちょっと先生方の取り分が減るかもしれないが、作ったお菓子を分けないわけにもいかず、二人の分も用意する事にした。
「勿論です。今もう少しで最後の分が揚げ終わりますから、それを待ってもらえるなら、よければ食べて行かれませんか?」
「えっ、そ、そんな突然来て厚かましいんじゃ」
「わぁ、嬉しいです。お礼に片付けを手伝いますね!」
遠慮がちな不破と、反対に積極的な尾浜と。二人はそれぞれカウンターの近くに来て、澪の作業を覗いた。きり丸はというと、カウンターの中へ小走りにやって来た。
「澪さんごめんなさい。先輩達が、アルバイト手伝ってくれるって言うもんで、つい」
「ーー別にいいよ。その代わり、お給料出たから次の休みに町に買い物に行きたいの。その時は二人きりで出かけましょ」
「っ、う、うん。絶対に二人で行く!!」
ぱぁっと、顔が明るくなるきり丸。敬語が取れて砕けた話し方になっているのが、何とも可愛らしくてその頭を軽く撫でた。
「なら、よし!」
「へへ、ありがとう澪さん」
ちょっと照れ臭そうな、でも屈託の無い笑顔があどけなくて思わず澪の顔にも笑みが浮かぶ。忍たまの一年生達はまだまだ少年で皆可愛い。
ほっこりした気持ちになったところで、澪は鍋の中の油で揚げられているドーナツに視線を戻した。と言っても、沖縄のサーターアンダーギーのように丸い形の物だ。
最後の一つを揚げ終わったので、油を切るために網の上に置く。
「澪さん、美人だから何着ても似合いますよね。割烹着が似合うって素敵だなぁ」
「ありがとうございます、尾浜さん。でも食堂のおばちゃんには負けます。学園で一番割烹着が似合ってますからね」
「はは、違いない」
尾浜は非常に気さくな態度で、澪に自然と話しかけている。逆に隣の不破がチラチラと視線を寄越すだけで中々話さないのが対照的で、澪から不破に話しかけてみた。
「不破さん」
「っ、へい、あ、じゃなくてはい!」
緊張しているのか、変な返事になってしまっている。恥ずかしいのか、かぁっと顔が赤くなったーー何だこの母性を揺さぶる反応は。
気分は親戚のおばちゃん、若しくはご近所のおばちゃんである。つまり、なんだか可愛い男子を構いたくなるやつである。
「この揚げ菓子、香ばしいお茶があうと思うので、麦茶に黒豆を混ぜた物を沸かしてあるんです」
「えっ、は、麦に黒豆ですか?」
「はい」
にこりと、不破に笑顔を向ける。きょとんとした顔が、顔立ちのせいもあってかやっぱり可愛らしい。ふわふわとした明るい色の髪の毛を見ていると、もふっとしたワンコっぽい。犬種ならゴールデンレトリバーとかだ。
「このヤカンに沸かしてあるので、不破さんは尾浜さんと一緒にお茶の準備をしてもらえますか」
「分かりました」
こくり、と頷く不破の髪の毛が揺れる。不破だけに、フワフワしてるなーー等とつまらない親父ギャグを考えついて、じわじわ笑いそうになるのを我慢した。
「きり丸くんは、わたしとこのお菓子の仕上げをしましょうか」
「はーい」
おいでおいでをして、きり丸を呼ぶ。最後におからドーナツに、きり丸と一緒にきな粉を塗して完成だ。黒蜜の方は好みでかけるように、小さな器にいれた物を出す。ベタつくので、今回は素手ではなく竹の菓子楊枝でいただく。
「おまちどおさま」
「できましたよ、先輩達!」
「うわぁ、美味しそう」
「無茶苦茶いい匂いするなぁ。いただきます!」
澪ときり丸が、皿に乗せたドーナツを出すと、不破も尾浜もキラキラした目で丸い揚げ菓子を凝視している。
美味しい匂いに待ちきれなくて、全員がテーブルに着席すると、小皿を手に取ってすぐにドーナツへ手を伸ばした。
ドーナツは大皿によそったのを、小皿に移して食べるようにしてあるので、澪はそれを二つ程、皿にに乗せて黒蜜をかけてから一つを綺麗に切り分けた。
「揚げたてで熱いから、口の中を火傷しないよう気をつけてくださいね」
ふー、といかにも美味しそうな匂いのするドーナツに息をふきかけて、ぱくりと一口ーー嗚呼、美味しい。
もちもちした食感とおからの優しい香りがする。油の甘みがきな粉と黒蜜にマッチして素朴なのにあと引く旨さは、この時代ではご馳走である。
「うまぁーー!」
一口食べて、真っ先に反応したのは尾浜だ。リアクションオーバーな感じがしないでもないが、目がキラキラしている。
「もちもちして、凄く美味しいです澪さん。これ、売れますよ!」
「ふふ、ありがとう。きり丸くん」
「この麦茶と黒豆のお茶もとても美味しいです。澪さんの言った通り、お菓子によく合う」
「でしょう?」
きり丸と不破も口にあったようで、夢中で食べているのが可愛い。
「さて。揚げたてが美味しいから、味の確認もできたし、わたしはこれを学園長先生達にお裾分けしてきますね。すぐ戻ってきますので」
「あー、それならぼくが行きます。先輩達は澪さんと話したいって言ってましたし。学園長の他はどこに届けたらいいですか?」
ぱくっと、ドーナツのかけらを食べ終えると、きり丸から申し出があった。まぁ確かに、揚げたてを届けたいとはいえ、澪自ら動くと澪を目当てに来た上級生としては、残念な物があるかもしれない。
「えっと、そしたら学園長先生、ヘムヘム。それと山田先生、土井先生に」
くのいち長屋にいる可能性の高いシナは、冷めてしまうが後で持っていく事にしよう。食堂のおばちゃんは、メモを残して食器棚の隅にでもこっそり置いておく予定である。
「分かりました。ぼく、まだあと二個は食べたいんで、残しててくださいね」
「ぼくが取っておくよ。気を遣ってくれてありがとう、きり丸」
「いえいえ、それじゃあひとっ走り行って来まーす」
図書委員会の先輩と後輩だけあって、きり丸と不破は親しげに話をしていた。
きり丸にそれぞれに分けて包んだドーナツを預け、澪は五年生二人と向かい合う。
「ーー澪さんって、何でもできますね。字も達筆だし、料理も上手でおまけにあんなに強いし」
きり丸が居なくなり、不破が澪を感心した様子で見ながら話しかけてきた。
「ありがとうございます。そういう不破くんや、尾浜さんは得意な事は何ですか?」
「ぼくは、これと言って。あ、でも、読書は好きです。図書委員ですから」
「こんな事言ってますけど、雷蔵は勉強がよくできるんですよ。それで、とても努力家です。わたしはご覧の通り、人のいい所を見つけて褒めるのが得意です。澪さんなんて、褒める所が多すぎて困ってしまいそうです!」
人好きのする笑顔で元気よくはきはき喋る尾浜だが、適当に交わされた気がする澪である。不破はともかく、尾浜は澪がどんな人間かを探っているのかもしれない。
悪人がどうか疑っているというわけではなさそうだが、澪の人となりを知ろうとしているのだろう。
まぁ、上級生ともなればそういう忍たまは増える。悪意も害意もないなら放置に限る。
「あのっ、澪さん。ぼくのことはよかったら雷蔵と呼んでください」
「はーい!じゃあ、わたしも勘右衛門でお願いします」
「分かりました、雷蔵くん、勘右衛門くん」
許可が出たので名前呼びすると、勘右衛門がガッツポーズを取った。
「やったー!名前呼び!!勘右衛門くんっ、いい響きだ。あの澪さんに勘右衛門くん、って」
「……そこまで喜んでくれると、光栄ですね」
「久々知兵助って友人がいるんですけど、澪さんに声をかけたいと言っては、ため息ついてたんですよ。わたしは話した上にお菓子も一緒に食べたと自慢しようかと。しかも、澪さんの手作り!!」
アイドルにでもなったというよりは、珍獣になった気分だ。珍しくて面白い物を我が目で確かめて接触したい……そういう少年らしい好奇心を強く感じた。
「確かに。そしたら、ぼくも今日の事は三郎に自慢できるな」
ほんわかした笑顔を浮かべる雷蔵。
「えっと、別にわたしはそんな珍しい物じゃないし、気軽に話してもらえたら……」
「無理ですって。わたし達でさえ、きり丸のおかげで接触できたのに。こう、澪さんは孤高な感じというか、おいそれと簡単に話しかけてはいけない雰囲気があるっていうか」
「うーん、そんなつもりはないのですけど。時間の問題ではないかと。ほら、転校生が一時人気になるみたいな」
自分で言っててまさにその表現がぴったりな気がする澪。
だが、これには勘右衛門も雷蔵も首を振った。
「ーー忍術学園は上級生から一気に人数が少なくなります。それは生徒の家の都合もありますが、訓練の厳しさや授業での負傷で自主退学する者もいるからです。六年生ともなれば、城からスカウトが来るくらい優秀な忍たま達なのに、澪さんはその先輩達をあっという間に倒してしまったんです。だから、僕らからすると澪さんは雲の上の人というか。お話しはしたいですけど……仲介がないと接し難いと言うか」
雷蔵がポツポツと、そんな事を呟くように教えてくれた。
「それって、わたしから四年生と五年生に声をかけた方がいいんでしょうか」
「えっ、そんなお手間をかけるつもりは。ぼく達が勝手に近付きたいくせに、中々難しくて歯痒く思っているだけですから」
「そうそう。わたし達のように運を掴まないと。澪さんに接触することは、忍たま上級生の腕の見せ所ですから!」
ーーそんな競い合いをされても困る。
が、上級生がもしそんな事で盛り上がっているなら、水を差す気にもなれず澪は放置する事にした。六年生全員の稽古について、学園長から直々に許可が降りたので、何やかんや忙しいのである。
つまりは、いちいち気にしていられない。
「あと一つずつ揚げ菓子はいかがですか」
空になった皿を指さして、澪は話を切り上げた。
「お二人とも、あまりわたし相手に畏まらなくてもいいですからね。同級生の方達にもその旨、お伝えください」
容姿が美しかろうが、怪力が凄かろうが、澪はただの人間である。珍獣扱いはごめんだと言う意味も込めて、五年生の二人にそう伝える澪だった。
