第4話 責任の取り方
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澪は美しい人だ。
初めて見た時からそう思った。容姿の美しさに目が行きがちだが、彼女の内側から滲み出る物にこそ、己は強く惹かれているのだと、ここ最近は思い知らされている。
きり丸のアルバイトに同行した先に伝蔵の息子ーー利吉がおり、結果的に学園長の思いつきで野外実習となってしまいドタバタの一日だったのだが、澪の活躍は目覚ましかった。
あそこで、澪がいなければ利吉はもっと深手を負った可能性が高い。利吉は半助にとって大切な存在だ。恩義のある伝蔵の息子というだけはない。
『お兄ちゃん』とまだ幼かった彼が慕ってくれたから、半助は今、忍術学園で働けているのだ。
そんな利吉を澪は助けてくれた。そうとは知らなかったとはいえ、澪は半助の大切な人を守ってくれたのだ。
それを当たり前だとは思わなかった。こんな世の中だ、類稀なる澪の怪力が誰かを守るために奮う力でよかったと真底思った。
誰かに利用されるなでもなく、その意志で澪は今までも力を発揮してきたのだろう。
最初に出会った時、暴れる猪を止めたのは小間物屋の店が近くにあったせいだと、すぐに半助は気付いた。
なのに小間物屋の主人が怪力に怯えて逃げ出しても、澪は決して怒ったりはしなかった。
ーーそんな振る舞いができる人間はそう多くはない。
野外実習で利吉を助けた澪は、助けた事に対してどうとも思ってないようで、自慢するでも、利吉や伝蔵に対して恩に着せるでもなく、淡々としていた。自身の容姿と共に、その怪力についても至ってドライな対応と言えよう。
澪のそうした所は、まるで僧侶のようだと思った。悟っている、とでも言おうか。
本人にそのつもりはないだろうが、行く所へ行けばまるで生き神のように崇められてもおかしくはない。
そのくらい澪の怪力は凄まじい。そしてその怪力を遺憾なく発揮しても問題ない肉体の頑健さは、類を見ない。なのにその見た目は天女なのだ。
性格だって、優しくて潔い。あんなに強くて美しい上に、性格も素晴らしい女性がいるなんてーー戦闘力がかなり過剰だが、それだって彼女の魅力である等と、惚気た感想しか抱けぬ半助である。
これまで、いい歳をして独身を貫く半助に女性の紹介があろうものなら、その気になれなくていつも逃げていたのが嘘のようだ。
きっと、澪に出会うために断ってきたのだと思う半助である。
すっかり澪に惚れて沼にハマった半助は、色々と開き直る境地であった。
知れば、伝蔵等は呆れながらも笑いそうである。
だから、澪と利吉が二人きりでいるのを放置できなかったし、澪が他の若い男と居る事自体が嫌だった。
そこまで好きなら、とっとと告白すればいいのだろうが、半助もわかっている。今、告白しても澪には迷惑にしか思われない、と。
断られたら立ち直れなくなりそうだし、下手したら今の距離感が壊れて近づけなくなる。
そうなったらと思うと、恋慕の気持ちを伝えるなんて出来るわけがない。
ただ、好きだと思う気持ちを偽るのは無理で、だからこそ食堂で耳にした話に平然とはできなかった。
澪が潮江文二郎と食満留三郎の二人に、風呂場で互いに裸で対面した。
先に風呂に入っていたのは澪のため、非は完全に二人にある。さぞや澪の身体は美しかっただろうーー故意ではないとはいえ、天女の裸体を見た二人に対し、半助は怒りが湧くのを止められなかった。
だが、他ならぬ一番二人に怒るべき澪の言葉にその後、嘘のように怒りは鎮まった。
ーーくのたまの子達じゃなくて、本当によかった。
心からそう言い切っただろう澪に、思ってしまった。そんな澪が自分は好きだ、と。
女を抱いた事くらいあるーーなのに、まるで初めて女を意識する少年のようになっていた。
澪の足跡や、その影すら恋しくて世界がより一層輝いて見えた。
過去を振り返ってみれば、半助の人生は波瀾万丈で決して楽な道ではなかった。
半助にこれまでに何があったかという真相を知るのは己一人だし、誰に語る気もない。それでいいとも思っている。
今の自分は土井半助として、忍術学園で忍たま達を育てる指導者である事が幸せだと思っているし、きっとこれからもそうなのだろう。
そんな半助にとって、澪は空から降って来た天女のようだった。随分とーー否、かなり力強い天女だが、誰かに守られる所か誰かを守るその姿が眩しくて、それを真底美しいと思ったのだ。驕るでも誇るでもない澪の姿は、半助を益々虜にするには十分だった。
毎日日増しに好きになって、告白すら躊躇われる澪。
そんな大切な女の裸を事故とはいえ、ばっちり見た忍たま二名を、半助は溜飲を下げるため、そして若干の腹いせを込めて、以前に澪に頼まれた事を口実に懲らしめてやる気満々だった。
女の嫉妬も醜いが、男の嫉妬だって醜いのである。
「ーー探したぞ、文次郎に留三郎」
半助が行動に移したのは、澪から風呂場での事故の話を聞いて数日後の事であった。
六年生の忍たま達の予定を把握し、念の為、学園長にも許可をとった上で仕掛ける事にしたのだ。澪と六年生の二人が風呂場で鉢合わせた珍事件を知った学園長は、孫娘のおシゲが澪のような目にあっては大変だと、くのたま長屋に簡易風呂の設置を許可した。
その上で、六年生の二人をせいぜい懲らしめろと直々に言い渡されている。
曰く、「わしが澪ちゃんと、風呂場でドッキリするならともかく……うらやまけしからん!やってしまえっ!!」との事。
おいこら助平爺ーーと心の中でツッコミした半助だったが、男なんぞ幾つになってもそんな物だ。シナが老女の姿で同席していたのだが、学園長を見る眼は絶対零度の視線であった。
「何の御用でしょうか、土井先生」
組の違う二人が一緒にいる場面というのは、一日の中でそう多くはない。
が、澪の裸を見てからというのも、どういうわけかこの二人はよく一緒に居るのだ。一体何を話しているのやら……この二人に限ってそんな事はないだろうが、下衆な話をして笑うような男なら容赦しない。
優しい教師としての笑顔の下で、半助がそんな物騒な事を考えている等、露とも知らずに文次郎が丁寧に応対した。生真面目な彼らしい。
「実は澪さんの事で、ちょっとな……」
「えっ、澪さんが。まさか、何か言っていたのですか?」
澪の名前を出すと素早く留三郎が反応した。
「どうも最近、思い詰めたような様子でな。だから、思い切り身体を動かしてはどうかと提案したんだ。相手をしてあげたいのだが、わたしも一年は組の授業で忙しくて……二人とも、澪さんと一緒に運動してはどうだい。澪さんに聞いたら、二人なら是非頼みたいと言っていたし」
「そ、そうですか」
「澪さんが」
二人とも顔を見合わせている。半助が芝居をしているのを見抜けないあたり、上級生とはいえ彼等は忍者の卵なのだ。
勿論、半助が騙したり等しないという信頼を得ているのもあるのだろうが、だからこそ、二人にはいい薬になるだろう。
「澪さんは、今日の八つ時に裏山の西側にある原っぱで待っているということだ」
そう、澪は指定場所で待っている。大勢のギャラリーと一緒に。
「ちゃんと武器は持っていくように。あと、昼飯を食べすぎないようにな。澪さんに付き合ってあげなさい。今日の八つ時にどちらも予定はないだろう」
澪の怪力を知っているだけに、普通なら躊躇するだろうが色々と後ろめたい気持ちがあるだろう二人からすると、澪のためにその身を捧げるくらいはするに違いない。
運動とぼかした言い方はしたが、半助が続いて武器がどうのと物騒な発言をした事で、運動=戦闘行為と把握した二人は、若干顔が引き攣ったがすぐにぎこちなくも頷いた。
「「分かりました……」」
「うん、そしたら澪さんにも伝えておくよ。ありがとう」
昼の食べ過ぎ防止は、試合中に嘔吐する危険性からだ。流石に食べるなというのは、言い過ぎのため控えたが、二人には通じただろう。昼はうどん等の消化のいい物で済ませるに違いない。
ーーそれから、あっという間に八つ時間近となった。
一年は組は午後に六年生の二人と澪の試合と言う名の扱きを見られると知り、俄然やる気に燃えていた。おかげで昼を食べた後の授業で生徒の居眠りがゼロという、嬉しい誤算があった。
他に見学するくのたま教室の生徒達や、二年い組も似たような物で、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
流石に、澪の就職試験の時のように学園全員がというわけではなかったが、食堂に居合わせていた担任のクラスと、食堂のおばちゃん、長次に小平太から話を聞いた仙蔵と伊作が参加し、ちょっとした娯楽になってしまっている。
普段から忍術の勉強に勤しむ生徒達にとっては、澪と六年生の対決はかなりいい刺激になったらしく、また見たいと好評だったのだ。
おかげで、遅れる事なく八つ時になる前には浦山に観戦者が全員集合していた。勿論、プレミアチケットだのジュースだのを売ろうとしていたきり丸を見つけて、半助は品物を没収した。油断も隙もあった物ではない。
「澪さん、これをつけてください!!」
「わたし達は、澪さんのかっこいい姿をこの目に焼き付けます!」
「ありがとうございます、皆さん」
「「きゃーっ!!」」
くのたま教室の女子達が黄色い悲鳴を上げている。利吉が来た時以上の反応である。澪が渡されたのは、就職試験の時にもつけていた般若面だ。
おそらくは、くのたまの担任である山本シナの指図による物だろう。澪の顔を見えなくする事で、相手に戦闘に集中させるための代物だ。
普通ならそんな物をするのはリスクだが、澪はたかが仮面一枚の有無で勝敗が変わるような存在ではない。
その怪力と戦闘力は、忍者にとって致命的なまでの能力なのだ。避けられればいいが、当たれば間違いなく負ける上に、澪本人にはかなりの速さがある。忍者と言えども、全員が素早さを兼ね備えているわけでもない。プロの忍者であっても、呆気なく負けてしまう相手ーーそれが澪だ。
そう言う意味では、上級生にとって澪は貴重な鍛練相手なのだ。澪を相手に勝つのは難しいにしても、保たせれば実力が確実に伸びるのだから。
「ーー潮江先輩と食満先輩達が来たぞ!」
二年い組の生徒が、裏山に登ってくる二人の姿を見て声を上げた。見ると、観客の大さに仕掛けられたと気付いたようで、二人して半助を半眼で見つめてきていた。が、教師とはいえ半助もまた忍びなのだ。
信じるな、とまでは言わないが敵を騙すならまずは味方から、という例もあるのだと学習した事だろう。
「お二人とも、お待ちしていました」
くのたまから渡された面を手に持ち、澪が二人の前へと進み出た。しっかりとした足取りで歩く澪の姿は美しい。歩法からして足音を消す忍者の物と異なり、地に足を踏みしめて歩く様が颯爽としており、肩で風を切るように凛としているのだ。
「ご覧のとおりお気づきでしょうが、騙すような真似をしたこと、最初に謝ります。ですが、これで色々とチャラにしていただけるとありがたく……わたしから、声をかけずらくて土井先生のお力を借りてしまいました」
「いや、澪さんが謝る事では。我々が未熟なせいでかえって気を遣わせてしまいました。その、わたし達も澪さんを避けていましたし」
「そうです。主に色々と思い出しては寝不足になっていたのは文次郎です。というわけで、コイツが悪い」
ーー何だと。
留三郎が指差す先にいる、文次郎を思わず睨みつけそうになる半助である。確かに、いつも隈がある目元は、気のせいか濃くなっている。
うらやまけしからん案件に、力一杯拳を作りどうにか堪える。十歳年上の余裕やゆとりなんぞ、何処にもない。恋を自覚して日が浅いせいもあり、澪に関する事について過剰に反応しているのかもしれないが、それはそれだ。
「お前だって、澪さんの事を綺麗だったのなんだの言って、しばらくボーッとしていたくせにっ」
「オレより、お前のが酷かった。日頃から鍛錬だの何だの言って、会計委員の後輩まで巻き添えにしてるくせに、何だその体たらくは」
「何だと、留三郎。そこに直れ」
「はんっ、文句あるなら勝負するか?」
澪を置き去りに進む二人の会話に、毎度毎度飽きないなと周囲は冷めた眼差しを向けていた。
それを黙らせたのは、他ならぬ澪だった。
「お二人とも、お相手するのはわたしです。仲良く二人の世界に入るのはやめてもらえますか」
「「二人の世界……おえっ」」
澪の例えが気に入らなかったのか、二人が互いを見て真底嫌そうな顔をした。どうやら喧嘩をしているのが澪は息ぴったりだと言いたいのだろうが、二人からしたら逆に嫌がらせのように思えたのだろう。
「まぁ、観衆も多い事ですからわたしの運動に是非付き合ってください。お二人が立ち上がれなくなるまでが、運動時間になります。さて、潮江さんと食満さん、どちらが長く持ち堪えられるか……勝負ですね」
くす、と澪が小さく微笑んで二人を挑発した。うまくいったらしく、二人は睨み合うのを止めて武器を構える。
澪はすぐに二人の目の前で般若面をつけてみせた。まるで就職試験の再現である。違うのは澪は無事に就職し、その胸元には『秘書』の札があること。
「お二人がどうして、わたしに勝てないのか……今から色々と指摘させていただきます。厳しくいきますので、敬語は使いません。準備ができたら、かかってきてください。先手は譲りますから」
「きゃああーー!」
「澪さん格好いいっ!」
「どうして男じゃないの。でも好きぃー!」
澪の台詞を聞いたくのたま達から、歓声が上がった。見ると、くのたま達が手製の横断幕を掲げている。『澪さん、ガンバレ!』とでかでか書かれたそれに、これから澪の相手をする二人の顔が引き攣っていた。
「ぼく達だって、負けないぞ。フレー、フレー、澪さん!!」
くのたまに張り合うように、一年と二年の忍たま達も澪を応援している。六年生の二人はたじたじだ。ちなみに、傍観している他の六年生達は、あからさまに澪だけを応援こそしてないが、どこか面白そうな顔で犬猿コンビを見ていた。
「っ、あー、もぅっ。分かりました、全力でぶつかるのでよろしくお願いします!」
先に腹を括ったのは留三郎の方だった。得意の鉄双節棍を構えた。
「ならば、わたしもお願いします!」
負けてられないと、文次郎は槍を構える。澪は籠手だけつけており、就職試験の再来のような場面に周囲は盛り上がりを見せた。
ーーせいぜい、懲らしめられるといい。
澪から得られる物も多いし、成長に繋がるはずだ。彼等が最初に敗北したことで抱える葛藤も、澪の裸を事故とはいえ見てしまった罪悪感も、この試合で全て昇華されればいい。
好きな女を慕う故の嫉妬と、教師としての生徒達を思う心から複雑な心境になりつつも、半助は始まる戦いに意識を集中させるのだった。
初めて見た時からそう思った。容姿の美しさに目が行きがちだが、彼女の内側から滲み出る物にこそ、己は強く惹かれているのだと、ここ最近は思い知らされている。
きり丸のアルバイトに同行した先に伝蔵の息子ーー利吉がおり、結果的に学園長の思いつきで野外実習となってしまいドタバタの一日だったのだが、澪の活躍は目覚ましかった。
あそこで、澪がいなければ利吉はもっと深手を負った可能性が高い。利吉は半助にとって大切な存在だ。恩義のある伝蔵の息子というだけはない。
『お兄ちゃん』とまだ幼かった彼が慕ってくれたから、半助は今、忍術学園で働けているのだ。
そんな利吉を澪は助けてくれた。そうとは知らなかったとはいえ、澪は半助の大切な人を守ってくれたのだ。
それを当たり前だとは思わなかった。こんな世の中だ、類稀なる澪の怪力が誰かを守るために奮う力でよかったと真底思った。
誰かに利用されるなでもなく、その意志で澪は今までも力を発揮してきたのだろう。
最初に出会った時、暴れる猪を止めたのは小間物屋の店が近くにあったせいだと、すぐに半助は気付いた。
なのに小間物屋の主人が怪力に怯えて逃げ出しても、澪は決して怒ったりはしなかった。
ーーそんな振る舞いができる人間はそう多くはない。
野外実習で利吉を助けた澪は、助けた事に対してどうとも思ってないようで、自慢するでも、利吉や伝蔵に対して恩に着せるでもなく、淡々としていた。自身の容姿と共に、その怪力についても至ってドライな対応と言えよう。
澪のそうした所は、まるで僧侶のようだと思った。悟っている、とでも言おうか。
本人にそのつもりはないだろうが、行く所へ行けばまるで生き神のように崇められてもおかしくはない。
そのくらい澪の怪力は凄まじい。そしてその怪力を遺憾なく発揮しても問題ない肉体の頑健さは、類を見ない。なのにその見た目は天女なのだ。
性格だって、優しくて潔い。あんなに強くて美しい上に、性格も素晴らしい女性がいるなんてーー戦闘力がかなり過剰だが、それだって彼女の魅力である等と、惚気た感想しか抱けぬ半助である。
これまで、いい歳をして独身を貫く半助に女性の紹介があろうものなら、その気になれなくていつも逃げていたのが嘘のようだ。
きっと、澪に出会うために断ってきたのだと思う半助である。
すっかり澪に惚れて沼にハマった半助は、色々と開き直る境地であった。
知れば、伝蔵等は呆れながらも笑いそうである。
だから、澪と利吉が二人きりでいるのを放置できなかったし、澪が他の若い男と居る事自体が嫌だった。
そこまで好きなら、とっとと告白すればいいのだろうが、半助もわかっている。今、告白しても澪には迷惑にしか思われない、と。
断られたら立ち直れなくなりそうだし、下手したら今の距離感が壊れて近づけなくなる。
そうなったらと思うと、恋慕の気持ちを伝えるなんて出来るわけがない。
ただ、好きだと思う気持ちを偽るのは無理で、だからこそ食堂で耳にした話に平然とはできなかった。
澪が潮江文二郎と食満留三郎の二人に、風呂場で互いに裸で対面した。
先に風呂に入っていたのは澪のため、非は完全に二人にある。さぞや澪の身体は美しかっただろうーー故意ではないとはいえ、天女の裸体を見た二人に対し、半助は怒りが湧くのを止められなかった。
だが、他ならぬ一番二人に怒るべき澪の言葉にその後、嘘のように怒りは鎮まった。
ーーくのたまの子達じゃなくて、本当によかった。
心からそう言い切っただろう澪に、思ってしまった。そんな澪が自分は好きだ、と。
女を抱いた事くらいあるーーなのに、まるで初めて女を意識する少年のようになっていた。
澪の足跡や、その影すら恋しくて世界がより一層輝いて見えた。
過去を振り返ってみれば、半助の人生は波瀾万丈で決して楽な道ではなかった。
半助にこれまでに何があったかという真相を知るのは己一人だし、誰に語る気もない。それでいいとも思っている。
今の自分は土井半助として、忍術学園で忍たま達を育てる指導者である事が幸せだと思っているし、きっとこれからもそうなのだろう。
そんな半助にとって、澪は空から降って来た天女のようだった。随分とーー否、かなり力強い天女だが、誰かに守られる所か誰かを守るその姿が眩しくて、それを真底美しいと思ったのだ。驕るでも誇るでもない澪の姿は、半助を益々虜にするには十分だった。
毎日日増しに好きになって、告白すら躊躇われる澪。
そんな大切な女の裸を事故とはいえ、ばっちり見た忍たま二名を、半助は溜飲を下げるため、そして若干の腹いせを込めて、以前に澪に頼まれた事を口実に懲らしめてやる気満々だった。
女の嫉妬も醜いが、男の嫉妬だって醜いのである。
「ーー探したぞ、文次郎に留三郎」
半助が行動に移したのは、澪から風呂場での事故の話を聞いて数日後の事であった。
六年生の忍たま達の予定を把握し、念の為、学園長にも許可をとった上で仕掛ける事にしたのだ。澪と六年生の二人が風呂場で鉢合わせた珍事件を知った学園長は、孫娘のおシゲが澪のような目にあっては大変だと、くのたま長屋に簡易風呂の設置を許可した。
その上で、六年生の二人をせいぜい懲らしめろと直々に言い渡されている。
曰く、「わしが澪ちゃんと、風呂場でドッキリするならともかく……うらやまけしからん!やってしまえっ!!」との事。
おいこら助平爺ーーと心の中でツッコミした半助だったが、男なんぞ幾つになってもそんな物だ。シナが老女の姿で同席していたのだが、学園長を見る眼は絶対零度の視線であった。
「何の御用でしょうか、土井先生」
組の違う二人が一緒にいる場面というのは、一日の中でそう多くはない。
が、澪の裸を見てからというのも、どういうわけかこの二人はよく一緒に居るのだ。一体何を話しているのやら……この二人に限ってそんな事はないだろうが、下衆な話をして笑うような男なら容赦しない。
優しい教師としての笑顔の下で、半助がそんな物騒な事を考えている等、露とも知らずに文次郎が丁寧に応対した。生真面目な彼らしい。
「実は澪さんの事で、ちょっとな……」
「えっ、澪さんが。まさか、何か言っていたのですか?」
澪の名前を出すと素早く留三郎が反応した。
「どうも最近、思い詰めたような様子でな。だから、思い切り身体を動かしてはどうかと提案したんだ。相手をしてあげたいのだが、わたしも一年は組の授業で忙しくて……二人とも、澪さんと一緒に運動してはどうだい。澪さんに聞いたら、二人なら是非頼みたいと言っていたし」
「そ、そうですか」
「澪さんが」
二人とも顔を見合わせている。半助が芝居をしているのを見抜けないあたり、上級生とはいえ彼等は忍者の卵なのだ。
勿論、半助が騙したり等しないという信頼を得ているのもあるのだろうが、だからこそ、二人にはいい薬になるだろう。
「澪さんは、今日の八つ時に裏山の西側にある原っぱで待っているということだ」
そう、澪は指定場所で待っている。大勢のギャラリーと一緒に。
「ちゃんと武器は持っていくように。あと、昼飯を食べすぎないようにな。澪さんに付き合ってあげなさい。今日の八つ時にどちらも予定はないだろう」
澪の怪力を知っているだけに、普通なら躊躇するだろうが色々と後ろめたい気持ちがあるだろう二人からすると、澪のためにその身を捧げるくらいはするに違いない。
運動とぼかした言い方はしたが、半助が続いて武器がどうのと物騒な発言をした事で、運動=戦闘行為と把握した二人は、若干顔が引き攣ったがすぐにぎこちなくも頷いた。
「「分かりました……」」
「うん、そしたら澪さんにも伝えておくよ。ありがとう」
昼の食べ過ぎ防止は、試合中に嘔吐する危険性からだ。流石に食べるなというのは、言い過ぎのため控えたが、二人には通じただろう。昼はうどん等の消化のいい物で済ませるに違いない。
ーーそれから、あっという間に八つ時間近となった。
一年は組は午後に六年生の二人と澪の試合と言う名の扱きを見られると知り、俄然やる気に燃えていた。おかげで昼を食べた後の授業で生徒の居眠りがゼロという、嬉しい誤算があった。
他に見学するくのたま教室の生徒達や、二年い組も似たような物で、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
流石に、澪の就職試験の時のように学園全員がというわけではなかったが、食堂に居合わせていた担任のクラスと、食堂のおばちゃん、長次に小平太から話を聞いた仙蔵と伊作が参加し、ちょっとした娯楽になってしまっている。
普段から忍術の勉強に勤しむ生徒達にとっては、澪と六年生の対決はかなりいい刺激になったらしく、また見たいと好評だったのだ。
おかげで、遅れる事なく八つ時になる前には浦山に観戦者が全員集合していた。勿論、プレミアチケットだのジュースだのを売ろうとしていたきり丸を見つけて、半助は品物を没収した。油断も隙もあった物ではない。
「澪さん、これをつけてください!!」
「わたし達は、澪さんのかっこいい姿をこの目に焼き付けます!」
「ありがとうございます、皆さん」
「「きゃーっ!!」」
くのたま教室の女子達が黄色い悲鳴を上げている。利吉が来た時以上の反応である。澪が渡されたのは、就職試験の時にもつけていた般若面だ。
おそらくは、くのたまの担任である山本シナの指図による物だろう。澪の顔を見えなくする事で、相手に戦闘に集中させるための代物だ。
普通ならそんな物をするのはリスクだが、澪はたかが仮面一枚の有無で勝敗が変わるような存在ではない。
その怪力と戦闘力は、忍者にとって致命的なまでの能力なのだ。避けられればいいが、当たれば間違いなく負ける上に、澪本人にはかなりの速さがある。忍者と言えども、全員が素早さを兼ね備えているわけでもない。プロの忍者であっても、呆気なく負けてしまう相手ーーそれが澪だ。
そう言う意味では、上級生にとって澪は貴重な鍛練相手なのだ。澪を相手に勝つのは難しいにしても、保たせれば実力が確実に伸びるのだから。
「ーー潮江先輩と食満先輩達が来たぞ!」
二年い組の生徒が、裏山に登ってくる二人の姿を見て声を上げた。見ると、観客の大さに仕掛けられたと気付いたようで、二人して半助を半眼で見つめてきていた。が、教師とはいえ半助もまた忍びなのだ。
信じるな、とまでは言わないが敵を騙すならまずは味方から、という例もあるのだと学習した事だろう。
「お二人とも、お待ちしていました」
くのたまから渡された面を手に持ち、澪が二人の前へと進み出た。しっかりとした足取りで歩く澪の姿は美しい。歩法からして足音を消す忍者の物と異なり、地に足を踏みしめて歩く様が颯爽としており、肩で風を切るように凛としているのだ。
「ご覧のとおりお気づきでしょうが、騙すような真似をしたこと、最初に謝ります。ですが、これで色々とチャラにしていただけるとありがたく……わたしから、声をかけずらくて土井先生のお力を借りてしまいました」
「いや、澪さんが謝る事では。我々が未熟なせいでかえって気を遣わせてしまいました。その、わたし達も澪さんを避けていましたし」
「そうです。主に色々と思い出しては寝不足になっていたのは文次郎です。というわけで、コイツが悪い」
ーー何だと。
留三郎が指差す先にいる、文次郎を思わず睨みつけそうになる半助である。確かに、いつも隈がある目元は、気のせいか濃くなっている。
うらやまけしからん案件に、力一杯拳を作りどうにか堪える。十歳年上の余裕やゆとりなんぞ、何処にもない。恋を自覚して日が浅いせいもあり、澪に関する事について過剰に反応しているのかもしれないが、それはそれだ。
「お前だって、澪さんの事を綺麗だったのなんだの言って、しばらくボーッとしていたくせにっ」
「オレより、お前のが酷かった。日頃から鍛錬だの何だの言って、会計委員の後輩まで巻き添えにしてるくせに、何だその体たらくは」
「何だと、留三郎。そこに直れ」
「はんっ、文句あるなら勝負するか?」
澪を置き去りに進む二人の会話に、毎度毎度飽きないなと周囲は冷めた眼差しを向けていた。
それを黙らせたのは、他ならぬ澪だった。
「お二人とも、お相手するのはわたしです。仲良く二人の世界に入るのはやめてもらえますか」
「「二人の世界……おえっ」」
澪の例えが気に入らなかったのか、二人が互いを見て真底嫌そうな顔をした。どうやら喧嘩をしているのが澪は息ぴったりだと言いたいのだろうが、二人からしたら逆に嫌がらせのように思えたのだろう。
「まぁ、観衆も多い事ですからわたしの運動に是非付き合ってください。お二人が立ち上がれなくなるまでが、運動時間になります。さて、潮江さんと食満さん、どちらが長く持ち堪えられるか……勝負ですね」
くす、と澪が小さく微笑んで二人を挑発した。うまくいったらしく、二人は睨み合うのを止めて武器を構える。
澪はすぐに二人の目の前で般若面をつけてみせた。まるで就職試験の再現である。違うのは澪は無事に就職し、その胸元には『秘書』の札があること。
「お二人がどうして、わたしに勝てないのか……今から色々と指摘させていただきます。厳しくいきますので、敬語は使いません。準備ができたら、かかってきてください。先手は譲りますから」
「きゃああーー!」
「澪さん格好いいっ!」
「どうして男じゃないの。でも好きぃー!」
澪の台詞を聞いたくのたま達から、歓声が上がった。見ると、くのたま達が手製の横断幕を掲げている。『澪さん、ガンバレ!』とでかでか書かれたそれに、これから澪の相手をする二人の顔が引き攣っていた。
「ぼく達だって、負けないぞ。フレー、フレー、澪さん!!」
くのたまに張り合うように、一年と二年の忍たま達も澪を応援している。六年生の二人はたじたじだ。ちなみに、傍観している他の六年生達は、あからさまに澪だけを応援こそしてないが、どこか面白そうな顔で犬猿コンビを見ていた。
「っ、あー、もぅっ。分かりました、全力でぶつかるのでよろしくお願いします!」
先に腹を括ったのは留三郎の方だった。得意の鉄双節棍を構えた。
「ならば、わたしもお願いします!」
負けてられないと、文次郎は槍を構える。澪は籠手だけつけており、就職試験の再来のような場面に周囲は盛り上がりを見せた。
ーーせいぜい、懲らしめられるといい。
澪から得られる物も多いし、成長に繋がるはずだ。彼等が最初に敗北したことで抱える葛藤も、澪の裸を事故とはいえ見てしまった罪悪感も、この試合で全て昇華されればいい。
好きな女を慕う故の嫉妬と、教師としての生徒達を思う心から複雑な心境になりつつも、半助は始まる戦いに意識を集中させるのだった。
