プロローグ
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
蒼天の日、カモメが空を舞う活気溢れる兵庫津は湊町の一角にて、旅装束に身を包んだ女二人の姿があった。
両者とも、目深に市女笠を被っているためにその姿は杳として知れない。が、艶々とした見事な黒髪に、少しばかり見える白い玉の肌から若い女達であることが伺い知れた。仲良く向かい合っているとすれば、姉妹かはたまた友人同士か。物騒な世の中であることもあり、護衛の供も連れず美しい着物を着た女達はそれなりに注目を集めていた。
が、通行人達の予想に反し、この女達の関係は姉妹でもなければ、友人でもない。この二人は歴とした母娘である。女子にしては、すらっと背が高い方が娘で、いたって普通の身長が母だったりするのだが、虫の垂衣越しに垣間見える美貌から、遠目には姉妹に見えた。つまりは、それ程に母親の美貌が異彩を放っているとも言えた。
ちらちらと、通行人ーー特に男から寄せられる好奇の視線達に、女達は動じない。それどころか、不躾な視線をまるでそよ風のような有様で気にしていない。
「母上、本気の本気で行くの?明に?」
「ええ。既にあちらを目指す船が港に来ていると聞いているわ。元気でね澪」
ひそりとした声で娘、澪は母に声をかけた。その声音には拗ねたような響きがある。一方、母親の方はその声を聞いて、明るく笑った。その声は若々しく、とても娘がいる母とは思えない。
「いいこと、澪。今日までわたしは貴女を育ててきたわ……でも、貴女も今年で十五歳。もう、いつお嫁に行ってもおかしくない歳なの」
「それは分かってるわ。母上、でも……」
「でもも、だってもなし。いいこと澪、小さい頃から言ってるでしょ。この世は戦国時代なの。女も乱世を逞しく生きる必要があるのよ」
ぽん、と澪の肩を叩く母。
「わたしは明人の夫について、あちらに行って、新しい人生を歩むわ。今度こそ、真実の愛を掴むの。ってわけで、今日で母娘は解散。澪は自分自身の人生を歩むのよっ。わたしにはちょっと劣るとはいえ、貴女ってば顔はかなりの美人なんだから、自分でいい男捕まえて幸せになんなさい!このわたしのように!!」
「母上みたいに取っかえひっかえはちょっと……わたしに、元父上が何人いると思ってるのよ」
「その父上達のおかげで、色んなお勉強ができたから良かったじゃないの。むしろ、私に感謝なさいな」
聴く人が聴いたら吹き出しそうな親子の会話である。
要約すると、母親は娘を置いて新天地に行き、娘は日ノ本で一人頑張って生きていく、というわけである。
「さ、これは餞別よ。尽きる前に稼げる男捕まえるか、自分で仕事探しなさいよー。あ、あなたのまずいアレがバレる前にね!狙った男は、わたしの教えた技でイチコロだから、しっかり使うのよ。それじゃあーねー」
「最後の挨拶酷すぎない?!そりゃ、十五歳でサヨナラするって小さい頃から聞いてたけどっ。ちょと、母上ー!!」
それなりの金額が入った財布を持たせ、母は颯爽と去っていく。振り返る事すらしない潔さに、呆れるやら感心するやら。
「っしゃー!コブ付き終了ー!!」
「捨て台詞ひどっ!」
拳を掲げて、足早に去る母。思わず崩れ落ちる澪。周りの人々が残された澪に対し、ちらちらと視線を寄越す。
澪はと言うと、ワナワナと震え周囲には聞き取れない程小さな声で悪態をついていた。
「巫山戯んな、神様のバカヤロー。若くして事故死したと思ったら、なんちゃって謎の戦国時代世界に転生トリップからの、親からポイだと?なんのフラグだよ、まじクソじゃんか。異世界転生するなら、せめて西洋ファンタジー貴族設定にしてよっ……!」
ざり、と澪の掴む地面が抉れる。
そうーー澪には秘密があった。彼女はこの世界とは似て非なる未来の世から、何の因果かやって来た転生者である。
おぎゃあと生を受け、数えで十五年。母にすら伝えなかった澪の秘密である。
澪に残るかつての記憶で知る戦国時代と、この世界は似ているが色々とチグハグだった。妙に現代的な物が出回っていたり、そのせいか普通に現代用語が通じたりetc……。大まかな地名は当時のものなのに、かと思ったら冗談みたいな名前の地名や殿様も出てきたり。
だが、戦国時代である事には間違いない。つまり、澪の生きていた現代日本より遥かに危険だし、女には生きづらいのだ。特に、身寄りのない若い女とあれば、そのまま人攫いにあったり狼藉者に乱暴される可能性すらある。
だと言うのに、いたいけな娘を母が意気揚々と置いて行ったのには、それなりの訳がある。
「あーっ、ムカつくぅー!!自分はロマンスグレーな明人の商人捕まえてトンズラしやがってー!!」
澪は姿の見えなくなった母を罵って地面を殴りつけたーー瞬間、地面がミシリ、と小さな悲鳴をあげる。
お嬢さん、大丈夫かい?と澪に声をかけようとした通りすがりの水夫は、その刹那に硬直した。
地面に拳型の凹みができ、周囲にヒビが入っている。美しい衣を纏った娘が繰り出す殺人必須の一撃に、そのまま男はへたりこんだ。
「ひっ、ひぃー!」
澪のその怒りの一撃を目撃した人達が、悲鳴をあげてサッ、と逃げていく。
それに気付き、澪はハッとするも時すでに遅し。彼女の周りにいた人々は蜘蛛の子を散らすように距離を取り、彼女の方を見ないようにしていた。
「あ、あはは……やってしまった」
澪には、常人ならざる怪力があった。
澪の母が告げた「アレ」とは、澪の恐ろしいまでの怪力である。
ちなみに、澪の身体は非常に丈夫で、男なら天下無双の武人になれたに違いないと、元父親数名から言われたことがある。
彼女には色んな元父親達がいた。
母が別れては付き合って再婚してーーを爆速で続けた結果である。
武人、料理人、大工、変わり種だと忍者なんかもいた。
彼等は義理の娘である澪を可愛がり、そのついでとばかりに彼等の持つ知恵や技を教え、澪はそれらを余すことなく習得していた。
澪の母が、娘を日ノ本に置き去りにしたのはそこいらの男達が束になっても敵わない力量が娘にあるからであるーーが、当の本人は、そんな母の気持ち等は知る由もない。
澪は慌てて市女傘を被り直す。
姿を隠していて正解だったと、少しホッとしつつも澪は足早にその場を去った。噂になる前に、兵庫津を離れることにする。電話も携帯もない時代であるが、油断出来ない。なんと言ってもこの時代、噂の広がる速度が思った以上に早いのだから。
「ーーとりあえず、餞別が尽きる前に仕事を探さないと」
母から少なくはない金額を渡されたとはいえ、これでずっと食べていける額ではない。身寄りのない澪が雇ってもらえるとすれば、それなりに人の多い町が有力だ。
元父親達は、残念ながら兵庫にはいない。澪と母が主に身を寄せていたのは九州や山陰地方であるため、関西地域での澪は孤児に等しい。せめて港町で解散するなら、博多辺りにしてほしかった澪である。
そうしたら、元父親達を頼れなくもなかったというのに。
「はぁ……マジでないわぁ」
澪の現代人らしい嘆きが、天気の良い兵庫津の港に小さく木霊したのだった。
両者とも、目深に市女笠を被っているためにその姿は杳として知れない。が、艶々とした見事な黒髪に、少しばかり見える白い玉の肌から若い女達であることが伺い知れた。仲良く向かい合っているとすれば、姉妹かはたまた友人同士か。物騒な世の中であることもあり、護衛の供も連れず美しい着物を着た女達はそれなりに注目を集めていた。
が、通行人達の予想に反し、この女達の関係は姉妹でもなければ、友人でもない。この二人は歴とした母娘である。女子にしては、すらっと背が高い方が娘で、いたって普通の身長が母だったりするのだが、虫の垂衣越しに垣間見える美貌から、遠目には姉妹に見えた。つまりは、それ程に母親の美貌が異彩を放っているとも言えた。
ちらちらと、通行人ーー特に男から寄せられる好奇の視線達に、女達は動じない。それどころか、不躾な視線をまるでそよ風のような有様で気にしていない。
「母上、本気の本気で行くの?明に?」
「ええ。既にあちらを目指す船が港に来ていると聞いているわ。元気でね澪」
ひそりとした声で娘、澪は母に声をかけた。その声音には拗ねたような響きがある。一方、母親の方はその声を聞いて、明るく笑った。その声は若々しく、とても娘がいる母とは思えない。
「いいこと、澪。今日までわたしは貴女を育ててきたわ……でも、貴女も今年で十五歳。もう、いつお嫁に行ってもおかしくない歳なの」
「それは分かってるわ。母上、でも……」
「でもも、だってもなし。いいこと澪、小さい頃から言ってるでしょ。この世は戦国時代なの。女も乱世を逞しく生きる必要があるのよ」
ぽん、と澪の肩を叩く母。
「わたしは明人の夫について、あちらに行って、新しい人生を歩むわ。今度こそ、真実の愛を掴むの。ってわけで、今日で母娘は解散。澪は自分自身の人生を歩むのよっ。わたしにはちょっと劣るとはいえ、貴女ってば顔はかなりの美人なんだから、自分でいい男捕まえて幸せになんなさい!このわたしのように!!」
「母上みたいに取っかえひっかえはちょっと……わたしに、元父上が何人いると思ってるのよ」
「その父上達のおかげで、色んなお勉強ができたから良かったじゃないの。むしろ、私に感謝なさいな」
聴く人が聴いたら吹き出しそうな親子の会話である。
要約すると、母親は娘を置いて新天地に行き、娘は日ノ本で一人頑張って生きていく、というわけである。
「さ、これは餞別よ。尽きる前に稼げる男捕まえるか、自分で仕事探しなさいよー。あ、あなたのまずいアレがバレる前にね!狙った男は、わたしの教えた技でイチコロだから、しっかり使うのよ。それじゃあーねー」
「最後の挨拶酷すぎない?!そりゃ、十五歳でサヨナラするって小さい頃から聞いてたけどっ。ちょと、母上ー!!」
それなりの金額が入った財布を持たせ、母は颯爽と去っていく。振り返る事すらしない潔さに、呆れるやら感心するやら。
「っしゃー!コブ付き終了ー!!」
「捨て台詞ひどっ!」
拳を掲げて、足早に去る母。思わず崩れ落ちる澪。周りの人々が残された澪に対し、ちらちらと視線を寄越す。
澪はと言うと、ワナワナと震え周囲には聞き取れない程小さな声で悪態をついていた。
「巫山戯んな、神様のバカヤロー。若くして事故死したと思ったら、なんちゃって謎の戦国時代世界に転生トリップからの、親からポイだと?なんのフラグだよ、まじクソじゃんか。異世界転生するなら、せめて西洋ファンタジー貴族設定にしてよっ……!」
ざり、と澪の掴む地面が抉れる。
そうーー澪には秘密があった。彼女はこの世界とは似て非なる未来の世から、何の因果かやって来た転生者である。
おぎゃあと生を受け、数えで十五年。母にすら伝えなかった澪の秘密である。
澪に残るかつての記憶で知る戦国時代と、この世界は似ているが色々とチグハグだった。妙に現代的な物が出回っていたり、そのせいか普通に現代用語が通じたりetc……。大まかな地名は当時のものなのに、かと思ったら冗談みたいな名前の地名や殿様も出てきたり。
だが、戦国時代である事には間違いない。つまり、澪の生きていた現代日本より遥かに危険だし、女には生きづらいのだ。特に、身寄りのない若い女とあれば、そのまま人攫いにあったり狼藉者に乱暴される可能性すらある。
だと言うのに、いたいけな娘を母が意気揚々と置いて行ったのには、それなりの訳がある。
「あーっ、ムカつくぅー!!自分はロマンスグレーな明人の商人捕まえてトンズラしやがってー!!」
澪は姿の見えなくなった母を罵って地面を殴りつけたーー瞬間、地面がミシリ、と小さな悲鳴をあげる。
お嬢さん、大丈夫かい?と澪に声をかけようとした通りすがりの水夫は、その刹那に硬直した。
地面に拳型の凹みができ、周囲にヒビが入っている。美しい衣を纏った娘が繰り出す殺人必須の一撃に、そのまま男はへたりこんだ。
「ひっ、ひぃー!」
澪のその怒りの一撃を目撃した人達が、悲鳴をあげてサッ、と逃げていく。
それに気付き、澪はハッとするも時すでに遅し。彼女の周りにいた人々は蜘蛛の子を散らすように距離を取り、彼女の方を見ないようにしていた。
「あ、あはは……やってしまった」
澪には、常人ならざる怪力があった。
澪の母が告げた「アレ」とは、澪の恐ろしいまでの怪力である。
ちなみに、澪の身体は非常に丈夫で、男なら天下無双の武人になれたに違いないと、元父親数名から言われたことがある。
彼女には色んな元父親達がいた。
母が別れては付き合って再婚してーーを爆速で続けた結果である。
武人、料理人、大工、変わり種だと忍者なんかもいた。
彼等は義理の娘である澪を可愛がり、そのついでとばかりに彼等の持つ知恵や技を教え、澪はそれらを余すことなく習得していた。
澪の母が、娘を日ノ本に置き去りにしたのはそこいらの男達が束になっても敵わない力量が娘にあるからであるーーが、当の本人は、そんな母の気持ち等は知る由もない。
澪は慌てて市女傘を被り直す。
姿を隠していて正解だったと、少しホッとしつつも澪は足早にその場を去った。噂になる前に、兵庫津を離れることにする。電話も携帯もない時代であるが、油断出来ない。なんと言ってもこの時代、噂の広がる速度が思った以上に早いのだから。
「ーーとりあえず、餞別が尽きる前に仕事を探さないと」
母から少なくはない金額を渡されたとはいえ、これでずっと食べていける額ではない。身寄りのない澪が雇ってもらえるとすれば、それなりに人の多い町が有力だ。
元父親達は、残念ながら兵庫にはいない。澪と母が主に身を寄せていたのは九州や山陰地方であるため、関西地域での澪は孤児に等しい。せめて港町で解散するなら、博多辺りにしてほしかった澪である。
そうしたら、元父親達を頼れなくもなかったというのに。
「はぁ……マジでないわぁ」
澪の現代人らしい嘆きが、天気の良い兵庫津の港に小さく木霊したのだった。
1/2ページ