(甘)君の未来に幸あれ
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ようやく研究室にたどり着き、2人で呼吸を整えてから音を立てずにそっと中へ入ると、数人の研究員たちが食い入るようにモニターを囲んで見ていた。
「お疲れ様です〜⋯様子はどうですか⋯⋯?」
「あ、リイナさんお疲れ様⋯あ、燭先生っ!?」
1人がビクッと声を荒らげて他全員が一斉に振り向いた。
まさか私もいるとは思わなかったのだろうが、これだけの人数がいて1人も私に連絡を寄越さないとは、これは再教育が必要なようだと睨みをきかせておく。
全員浮かれすぎだ。
察して縮こまる研究員たちを尻目にモニターに目線を移すと、画面には暗闇に薄ぼんやりとした柔らかい照明の明かりがひとつ。
出産に集中させるため、落ち着かせるための配慮だ。
その中にはケージに入ったコメットキャットが横たわっているのが見えた。
大きく膨らんだ腹のあたりが忙しなく上下して呼吸が荒く、脚の間から小さくて丸い頭が覗いていた。
確かエコー検査で確認されたのは4匹くらいだと言っていたな。
傍には雄のほうが寄り添っており、しきりに雌の様子を窺ってまるで労るように頭や耳元を舐めてやっている。
コメットキャットが希少と言われるのは絶滅危惧種なだけでなく、その生態からだ。
基本的に一夫一妻制でつがいで子育てを行うので猫科界のイクメンとも呼ばれている。
他の猫科のように一夫多妻ではないためなかなか数が増えず、年々減ってきての絶滅危惧種指定となった経緯がある。
「まだ一匹目か?」
「あ、はい⋯初産なので少し時間がかかっているようで⋯。」
「あまりかかるようなら手助けも必要だが、まだ様子見だな。」
コメットキャットは舌を出して口呼吸をしながら、痛みに耐えているのか頭を伏せたり起こしたりと動いている。
緊急事態とならない限り出産は雌の孤独な戦いだ。
子供が出てくるまでひたすら痛みに耐えるしかなく、我々もまた見守ることしかできない歯がゆさがある。
隣でつらそうな顔をしているリイナもまた同じ気持ちだろう。
腹を撫でて励ましてやりたい思いもあるだろうに、下手に人間が介入するのは却って気を散らせ出産を遅らせる。
遅れれば母子共に危険な状態になる。
「先生、あの子は大丈夫でしょうか⋯?」
不安げに見上げてくるリイナに、落ち着かせてやろうと言葉をかけた。
「中には痛みにパニックを起こし暴れる個体もいるが、この個体は初産にしてはなかなか冷静に対処できている。自力で落ち着いていられるなら大丈夫だろう。」
「⋯そうですね。そうですよね。」
生物の出産自体は何度か見て経験しているはずなので、リイナもまた冷静だ。
だが保護してからずっと世話をしていた個体が痛がっている様は見ていて気分が落ち着かないのだろう。
ただでさえ出産は絶対安全なものはなく、危険がつきもので何が起こるかわからない。
情がある生物ならなおさら不安は湧く。
心配げな目でモニターを見つめるリイナの肩を、そっと叩いてやる。
緊急事態への対応は経験がものを言う、なにかあれば私がなんとかしよう。だから安心しろ。
伝わったかはわからないが、見上げてきたリイナにそっと胸元に目配せをしてやれば、彼女はまたハッと今思い出したような顔をして後ろを向いてボタンをかけ直し始めた。
ゴソゴソと小さくなっている背中がまた愛らしく、私は口元を抑えて笑いを堪えるのに必死になる羽目となった。
振り向いたリイナはそんな私を見て拗ねたような顔をする。
それでいい、リイナはつらそうに顔を歪めるよりそうしていたほうが可愛い。⋯本人には決して言わないが。
女性に歯が浮くような甘い言葉をかけるのは苦手だ。
「あ〜⋯苦しそう⋯頑張れ⋯っ」
「猫ってもっと安産だと思っていたけど、スルスル産むわけじゃないんだね⋯」
研究員たちは前でモニターに釘付けなので私たちの様子に気づかない。
当然ながら私たちの交際は周囲に伏せてあるので悟られないように、こっそりとこんなやりとりをする。
仕事に私情は挟まない主義だが、今は勤務時間外ということで良しとしよう。
「あ、出る!出ます!」
それから一匹目が出てきて、雌のコメットキャットは鼻先を寄せて匂いを嗅ぎ始めた。
ここで自分が産んだ子供だと認識ができなければ育児放棄をされてしまうのですぐに保護が必要になる。
緊張を孕んだ空気で見守る中、まだ濡れて震えている子猫をそっと優しく舐め始めたので、一同でホッと息を吐いた。
子猫を我が子と認識して受け入れたのだ。
まだ油断はできないがひとまず安心だ。
そこからはスムーズに進み、母猫になったコメットキャットはまた痛みに呼吸を荒くしながら二匹目を産んでは舐めてやり、三匹目がそれに続き、無事に4匹の子供を産み終えた。
雄も早々に父親の自覚が芽生えたか子供たちを気にする素振りを見せている。
なかなかうまくいきそうな組み合わせのつがいだ。
無事に出産を終えてようやく息がつけたように胸を撫で下ろせば、まだ若い研究員たちは手を取り合って歓声に沸いた。
まだこれから母体の健康管理と子供たちの成長を逐一見守らなければいけないので気は抜けないのだが、今日のところは喜びで溢れていてもいいだろう。
なにせ初めての絶滅危惧種の希少な出産シーンに立ち会えたのだから、皆の良い経験となったことだろう。
チラリとリイナに目を向ければ、リイナも涙目になり喜びもひとしおのようだ。
愛おしげにモニターを見つめる瞳がとても綺麗だと思った。
「無事に終わって良かったな。」
「はい!⋯あ〜⋯赤ちゃんすごく可愛い〜⋯!!ちっちゃい⋯動いてる⋯⋯。見てください、このお母さんになった顔!」
つられてモニターを覗けば、モソモソと動く子供たちを包み込み乳房へと誘導する、母親となった顔つきがどこか誇らしげだ。
雄はまた労うように雌に寄り添って毛づくろいをしてやっている。
新たな生命の誕生はいつも感動的で、神秘的なものを感じる。
これがリイナの良い糧となったなら本当に良かった。
「もうおっぱいを探してる⋯可愛い〜⋯お母さんていいな⋯私も赤ちゃん欲しくなる〜⋯」
「っ!?」
ポツリと呟かれた衝撃の一言に思わずリイナのほうを向いてしまったが、本人は無意識だったのか特に深い意味はなかったのか、ね?可愛いですよね?と至極無邪気な顔で私を見た。
非常にキラキラしている瞳の中に、私への匂わせのようなものは一切感じずいっそ清々しいくらいに私のことは意識していないらしいのがわかる。
「⋯⋯そうだな。」
私の同意に満足げに笑い、またモニターを見始めたリイナの横顔を見つめる。
⋯⋯一瞬、ほんの一瞬だが、リイナが自身の膨らんだ腹部を愛おしげに撫でる姿が浮かんでしまった。
歴史的瞬間のこんな時に不謹慎かもしれない。だが。
⋯そのお腹の子供の父親は⋯⋯と、こっそりと妄想をするくらいなら、許されるだろうか。
「リイナちゃん、落ち着いたしちょっと休憩がてら遅めの夕飯に行かない?燭先生も良かったらどうですか?」
ずっと見守っていたので恐らく全員まだ夕食をとっておらず、きっと感激を分かち合う食事会でもしたいのだろう。
せっかくの誘いだが⋯⋯。
「まだ油断ができないので全員が離れるのは難しいな。私とリイナは残るので皆でゆっくり行ってこい。」
「え!?燭先生にお留守番をさせるわけには!」
「構わないから気にするな。リイナも良いな?」
「あ、はい。大丈夫ですよ、私見てますから。」
「そ、そう⋯⋯?じゃ⋯⋯何かあったら呼んでね。」
むしろ私と二人きりになるリイナを心配していそうにチラチラと私たちに交互に目線を移しているが、杞憂だな。
ぞろぞろ去っていく面々を見送りようやく2人になってから、改めてリイナと向き合う。
リイナはまたモニターに目を移した。
しっかり見守る気でいる真面目なところは大変好ましい。
(⋯⋯私は仕事も安定して年齢的にもまあ丁度頃合い、だが⋯⋯⋯リイナはまだ若い。)
年齢もだが、まだ仕事での立場も安定しておらず、これから研究者としてまだまだ知識をつけて経験を積み、成長していかなければならない身。
私が彼女を縛り、まだまだ未知数の彼女の未来や人生を制限することはできない。
いくら男がサポートをしても、妊娠出産ばかりは女性に様々な制限を与え拘束してしまう。
私の部下ながら恋人という立場自体が、彼女にとっての鎖になる可能性があるのだから。
この先の関係への決断は、リイナがしっかり地位と立場を確立してからでもいいだろう。
若い恋人との交際は年上がきちんと責任を持ち配慮すべきだ。
⋯だが、何気ないたった一言でこれだけ私を意識させておいて、本人が全くおかまいなしというのはどうなんだ。
少しは意識してみたらどうだ?
「⋯君がパニックを起こさずにあの出産の痛みを乗り越えられるかは甚だ疑問だな。経験者によればかなり痛むらしいぞ。」
これくらいの匂わせくらいなら、まあいいか、と呟けば、リイナは頭を抱えて俯いた。
「⋯ですよねぇ、可愛い赤ちゃんに会うにはその前に試練があるんですよねぇ。⋯いいなあ男性は⋯ずるい⋯⋯。」
まだまだ出産の予定自体がないだろうに、本気で悩んでいるのがまた面白い。
だが、いつかは自身にもそんな未来があることは当たり前に想定するんだな。
その相手が誰かまでは考えないのか?
「⋯⋯私もそのずるい性別側なんだがな。なにせこちらは産んでもらう立場だ。」
まあその時はこのコメットキャットの雄のようにいくらでも支えて全面的なサポートはするつもりだ、孤独な戦いにはさせない⋯とまではまだ今は言わない。
するとリイナはきょとんとした丸い目でこちらを見た。
反応が気になり内心らしくもなくドキドキしながらその唇が言葉を発するのを待っていたが。
「⋯⋯⋯あっ」
と、まぬけな声をあげたので、なんだ?とまたリイナを見つめた。
「やっぱり燭先生も可愛い赤ちゃんが欲しいんですね。」
「⋯⋯だとしたら?」
「じゃあ産んでもらったらどうですか?」
「誰にだっ!!?」
リイナ以外の誰に産んでもらえと!?
と口を滑らせそうになり慌てて噤んだが、なんだその他人事は。
まさか本気で私との未来は一切考えずに付き合っているのか、これだから最近の若者の恋愛の価値観は!とこちらが頭を抱えたくなる。
私が他の女性とそうなっても君は構わないのか。
第一、新たな命を生み出すことをそんな簡単に⋯!と色々ゴチャゴチャと考える。
するとリイナはあくまで無邪気に笑った。
「ハーティーちゃんですよ、そろそろお年頃でしょう?良いパートナーに恵まれれば可愛い赤ちゃんを産んでくれますよ。」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
ああ、なんだ⋯⋯⋯そういうことか。
はぁ⋯⋯と一気に脱力して溜息をつきながら腕を組んだ。
「⋯当然、次代に命を繋ぐ権利はあるからな。見合いを考えたことならある。だが気に入る雄がいないらしい。」
「え〜?ハーティーちゃんてけっこう男性を見る目が厳しいんですね。花うさぎの赤ちゃんなんて絶対に可愛いのに。見たいなぁハーティーちゃんの赤ちゃん。」
(⋯⋯君の見る目はどうなんだ。)
正直、交際相手に周囲の若い男性ではなく私を選んだのは非常に見る目があるだろうが。
私を生涯のパートナーとしては見ているのだろうか。
⋯⋯まだ若くて仕事に専念したいから考える余裕がないなら仕方がないが。
まあ良い、これからゆっくりと意識してもらうとしよう。
私は隣の恋人の背中に手を回し腰を引き寄せると、2人きりなのをいいことに身体も寄せた。
目線はモニターのまま、だが意識はリイナに向けて。
寄り添い慈しみ合う二匹の夫婦猫を見つめた。
「⋯⋯そうだな、きっと可愛いだろうな。早く見たいものだ。」
「ね!産まれたらどっち似ですかね。」
「母親似が望ましいな。」
「ハーティーちゃん可愛いですもんね〜。もう先生の娘みたいなものですね。」
「私はもう娘と孫持ちか。悪いが相手は厳しく見定めるぞ。」
「ふふっ⋯もうすっかりお父さんですね。」
会話が微妙に噛み合わないが、まだこれでいい。
まだ含まれた本当の意味に君は気づかなくていい。
でもいつか、君が私との子供を望んでくれる未来がやって来れば良いなと切に願う。
その時は男女どちらでも構わないからリイナに似ていたら良いな、きっと愛らしい子になる。
徐々に膨らんでいくリイナのお腹を毎日眺めて、日々幸せを味わってみたい。
その前にプロポーズという試練だな。
「おっぱいちゃんと出てますかね、飲めてるかな⋯⋯。」
「あとで落ち着いたら調べてみよう。」
モニターで母猫の乳首を探っている子猫たちを見つめるリイナの目もまた、心配性の母親のようだ。
少し性格に落ち着きはないが、動物も子供も好きで深い愛情を持った良い母親になるだろうな⋯と、抱き寄せながら思う。
誰かと生涯を考えることになるとは、自分自身も若い時には考えられなかった。
だがリイナとなら容易に想像ができる。
そんなパートナーと私は巡り会えたのだろう。
「リイナ、皆が戻ってきたら私たちも食事に行こう。」
「あ、いいですね。お腹すきましたし、食堂まだやってるかな〜⋯。」
「その後は私の自室でゆっくり過ごさないか?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
瞬間、リイナの肩がピクリと反応したのを私は見逃さなかった。
そろそろとこちらを向いて見上げてきた頬はわずかに赤らんで、瞳に甘い色が浮かんでいる。
きちんと私を意識したようで胸に満足感が湧いた。
「⋯⋯⋯過ごしたいです。」
「そうか。」
ここからは恋人同士の甘い時間の始まりだ。
その事に期待する自分の心に正直に、皆が来るまでのもうわずかの時間だけだとリイナを抱き締めた。
それから2週間
母乳の飲みが足りないらしく体重が増えない子猫たちを保護したリイナたち研究員は、交代で2時間おきの授乳と排泄補助に追われ研究室は疲労と寝不足の屍の巣窟となっていた。
少人数チームで他の業務も並行してやっているからな⋯⋯一人当たりの負担は大きく疲労もたまるだろう。
リイナも目の下にクマを作りながら子猫に哺乳瓶を咥えさせ
「育児って現実ですよね⋯⋯2時間なんてミルクの準備やら片付けをしていたらあっという間に過ぎます⋯しかも複数いるし⋯その間ずっと鳴いてるし⋯一匹終わったらまた一匹⋯ニャーニャーニャーニャー⋯。」
と既に育児ノイローゼの母親みたいなセリフを吐いていた。
「⋯⋯そ、そうか⋯何か私にできることはあるか⋯⋯?」
「⋯⋯寝たい、です⋯心おきなく⋯ぐっすりと⋯。」
父親にできることはたかが知れている。
これは自分たちの時にはなんとしてもサポートする体勢を整えてやろう、と
私は心に堅く誓った。
おわり
2025.10.13
ちょっと自身の未来について意識しちゃう燭先生でした。
お読みいただきありがとうございました!
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