(甘)人形姫の糸紡ぎ
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ゆっくり深呼吸をして、意識して喉の奥から声を出した。
「…今日のデートで私は、先生には他にデートにお誘いしたい本命の女性がいて、私はその代理なのだと思い込んだ際、私は正直…少し複雑な気持ちになりました。」
「代理にされたのが複雑だったということか?」
「いいえ。代理自体は任務と思えば割り切る事ができますから。複雑だったのは……先生に本命の女性がいるという事がです。ですから、想い人に他の異性の影が見えるのは複雑になるという感情に理解ができると、先ほどレストランでお話をしました。」
……ここまで話せば、私がなにを伝えたいのかは聡明な先生なら気づくだろう。
私に大切な人がいる可能性に複雑な気持ちを表した先生に、私は無意識に理解できると口にした。
だから先生は私に大切な人がいると誤解をした。
本来、今までそういう事に縁がなく男女の機微にも疎い私が理解できるわけがない感情。
にもかかわらず無意識にも理解できてしまったのは、あの段階で既に似た感情を自分で抱いて知っていたからだ。
今思えば私はあの時にはもう、先生に本命の女性がいる事に心が波立っていた。つまり。
俯いたまま、先生のネクタイの辺りを見つめたまま話して黙り込んだ私に、先生はゆっくりと口を開いた。
「ひとつ聞いても構わないか。」
「…………はい。」
「…私の誤解だったらすまない。君の、大切になってしまったらどうしようと思っている人物とは……私のことか?」
「…………………」
ここまで来て声に出す勇気が湧かず、代わりに頷くようにさらに下を向いた私の仕草を、先生は肯定と受け止めただろうか。
先生のことを1人の男性として意識し始めてしまっている。
けれどそれをまだハッキリ好意だと断定しても良いのかがわからなくて。
自分でまだ分析しきれないまま、曖昧に好意として伝えてしまったら…仮にそれで先生の望む関係を始めても、うまくやっていける自信がまだない。
レストランや街中で見たカップルのようになれるのか。
素直に喜びや怒りを出せる可愛らしい恋人に私はなれない、と思う。
私はそういう事に一番向いていないとよく理解しているから。
だからこれ以上、先生が私の大切な人になってしまったら困る。
恋をしてしまった自分の姿がうまく想像できない。
どうしても整理しきれない感情を、自分でコントロールが出来ない状況に恐怖心もある。
…けれど。私のあまり変わらない表情からうまく正しい感情を読み取ってくださり、それを苦には取らない先生ならば…と、私も期待をし始めている。
こんな私を好意的に受け止めてくださる先生となら、私も…心からの恋愛ができるのではないかと。
感情に飲まれるのも悪くないようにも思い始めている。
気づけば膝の上で、ずっと握り締めたままだった拳が震えている。
「少し手に触れるぞ。」
それを見つめていたら、そこにそっと先生の大きな手のひらが重ねられた。
優しく包みこまれて温かさに胸が締め付けられる。
気づかないうちに内心で張り詰めていたらしいものが、ゆっくり解けていくのを感じた。
「大切になってしまったらどうしよう、というのは、大切になる事に何か迷いや不安があるという事だろう。話してみろ。」
あくまで先生は私の気持ちや想いを大切にしてくださっている。
だから私も、それに誠実に応えたい。
応えなければではなく、応えたい。
義務や使命感ではなく、心からの叫び。
「…私は…燭先生に、少なからず好ましいと思える印象を抱いていると自覚はしております。ですが、それをハッキリと好意だと断言できる自信はまだありません。ですからこのように半端な状態で先生にお応えすることに迷いがあります。」
「まだハッキリと私を好きかどうかわからない、ということか?」
「好きかどうかがわからないと言うより、どこからが恋愛感情としての"好き"になるのかが判断がつかない、と言うべきでしょうか。」
「それなら……リイナ、少し顔を上げて私の顔を見てみろ。」
「………?」
促されるまま顔を上げると、先生が真っすぐに私を見つめてきた。
街灯に照らされた顔は穏やかな笑みを浮かべて、桃色の双眸が私を捉える。
そよそよと静かにそよいだ風が、こめかみの辺りで同じ桃色の少しだけ乱れて落ちた前髪を揺らした。
先ほど私の足を手当した際に俯いたために崩れたのだろう。
それでも全くだらしなくなったように見えない。
むしろ、印象がまたガラリと変わる。
大きな手に包み込まれている握りこぶしを、更に少しだけ力を入れてしっかりと包まれた。
「こうして私に手を握られて、今どのように感じている?心のままに答えてみろ。嫌な感じはするか?」
「……………」
少し熱い体温を伴った手のひらはとても大きく、私の手など簡単にすっぽりと覆ってしまう。
それは男性の力強さをよく感じさせるのに、長い指はとても優しくて。
肌を触れ合わせて体温を共有している事にこそばゆいような気持ちになる。
それでも、不思議と離してほしいという気持ちにはならなくて。
むしろ、ずっとこうしていたいような……。
心臓がトクトクと速いリズムを刻んでいる。
「……とても……ドキドキ、して苦しいです。でも、決して嫌ではありません。」
気づけば私は、自然と唇を開いて溢れるままに言葉を発していた。
それに対して先生はフッと微笑んだ。
「それが答えだろう。リイナはもうすでに、私に恋をし始めている。」
「…………っ!」
「今、とても良い表情になっているぞ。先ほどからずっと私だけに見せていた1人の女性の顔だ。」
……………私は。
もう、燭先生に恋をしている?
このドキドキは恋なのかまだわからない。なのに。
先生と手を触れ合わせながら見つめ合うのが、妙に心地良い。
心地良いのに、胸がとても苦しくなる。
でもその苦しさは少しも不快ではない。
色んなものがとてもゴチャゴチャとしていて、どうしたら良いのかがわからない。
わからないけれど。
今、目の前で先生がとても嬉しそうに笑っているのが、…私も、とても嬉しい。
「少しでも私と恋が出来そうな予感があるなら、そのまま身も心も委ねてみないか。決して後悔はさせない。リイナにとって人生最高の恋にしてみせる。…なにせ…、」
相手はこの私だからな
そう、わざと勝ち気に言った先生に、私は温かいものが胸の奥から次々と溢れて、心の底から笑った。
理屈でばかり考えるより先に……先生の自信満々な言葉に頷きたくなった。
「私は、先生の可愛い恋人になれるかわかりませんが。」
「今とても可愛らしい笑顔で笑っている本人が何を言っている。だが、私がもっとリイナを可愛く綺麗に笑わせてやろう。だから、私の傍にいろ。存分に私の事が大切になれば良い。」
先生の顔がゆっくり近づいてきて、額と額をコツン、と合わせた。
至近距離で見つめ合えば、切れ長の目の中の桃色に私だけが映る。
吐息が当たりそうな近さに声が詰まりそうなほど心臓が跳ねた。
思わず逃げたくなる、でも離れたくない。
この相反した気持ちを人は恋と呼ぶのだろうか。
とても矛盾しているのに、素直に素敵だと思う。
この素敵な感情を知らずに今まで生きてきた。
先生でなければ、ずっと知らないまま生きていったのだろう。
ずっと人形のままで。
今まで知らなくても支障も不便もなかったのに、知ってしまった今ではもうずっと手放したくない。
知らずにいた日々を惜しいとすら思ってしまう。
「リイナ………。」
私を呼ぶ先生の声が甘くなった。
左手がそっと私の右肩に触れてまた身体の距離が近くなる。
ゆっくり近づいてくる瞳に釘付けになっていると、鼻先で先生が囁いた。
「…こういう時は目を閉じるものだ。」
「そうなのですか…?」
申し訳ありません…と、呟いて言われるまままぶたを閉じたら、ふわりと柔らかいものが唇に当たった。
驚いて目を開けたらすぐ目の前で私の唇を塞いでいる先生が目を閉じていたので、私もまた慌てて目を閉じた。
これがキスというものなのはさすがに知っている。
私はいま燭先生とキスをしている。
先生の唇の温もりに心が震えた。
それがあまりに甘くて少し胸が痛くて、切なくて……嬉しくて。
ようやく、私はこの人に恋をしてしまったと思い知った。
このままこの人が大切になってしまいたい。
そしてそれはきっと、遠くない未来に現実になる。
「⋯初めてのキスの感想は?」
唇を離してから囁いてきた先生に、私は率直な感想を返した。
「⋯唇って、柔らかいのですね。」
あまりに率直すぎたか、先生は吹き出した。
⋯⋯また何か間違えたのかと首を傾げて考えたけど、先生は笑いを堪えた。
「⋯初めてキスをした感想がそれとは。いや、君はそれで良い。逆に新鮮な反応で楽しい。」
⋯⋯先生のツボは良くわからない。
「だが、ドキドキしただろう?」
「⋯⋯はい。」
「私の心臓も今とても高鳴っている。⋯もう一度触れたい。」
「⋯⋯⋯ん」
それからまた近づいてきた唇に、私は今度は目を閉じて応えた。
ベンチで並んで座りながら
キスの雰囲気も読めないくらいに疎い私を、先生は目を細めて愛しげに笑って見つめてくれた。
この表情を向けられた時にこれが愛しげな表情だとすぐに理解できたくらいには、私は人間らしい感情を知ったのだと思う。
頭で考える前に心がそう理解したので、恋とは頭の中や理屈でするものではないのだなとしみじみと感じた。
「先生、私からもひとつ伺っても宜しいでしょうか。」
「なんだ?」
「いつから私に好意を寄せてくださったのですか?」
「気になるか?」
そうだな……………と、先生は逡巡するように目を伏せた。
男性なのにまつ毛が長くてフサフサだな…と
、場にそぐわない感想が湧いてしまった。
でも、これほど他人の身体的部位に興味を持ったのも初めてだ。
「あえてあけすけに話すが、君は同期だろう一部の一般闘員たちにあまりよく思われていないようだな。前に君の悪い噂をしているのを耳にしたことがある。大方は特化Sで実力がある君に対する嫉妬だろうが。」
「私がどんな任務でもあまりに顔色を変えずに仕事をするので、まるで人形のようだ、血が通っているとは思えないと言われているのは存じております。嫉妬とは思い至りませんでしが。」
「…本当に君は一切気にしていないんだな。」
「さすがに人間ですので血が通わない以外は事実ですから、仕事に支障さえなければ何も問題はないかと。…それで、その噂が何かありましたでしょうか。」
たとえ嫉妬だとしても、それで仕事に支障を出すような嫌がらせをするような人間は輪にはいない。
なので事実を噂されるくらい何とも思わないのだけど、私があまりに淡々としているので先生が若干呆れたような溜息をついた。
「だが君は同じ特化Sの闘員たちとの仲は良好に見えたので、極端に評価が二分しているのが不思議でな。…少し興味が湧いたので、しばらく君を観察していた。本来なら、他人の評価や人間関係などには1ミリも興味がないのだが。君の場合はなぜか気になった。」
「……確かに少々意外です。」
私、先生に観察されていたのか。
それは全く気が付かなかった。
「調査や健診などの折に見ているうちに、君は噂のような人形ではなくきちんと感情があり、その時々で表情もきちんと変化していることに気づいた。噂をする者たちは君をよくは見ておらず印象で話し、常に共にいる特化S闘員たちは君のその特徴をよく知っているから君に正しい認識で接している。」
⋯⋯確かに、基本的に一緒によく仕事をするのは特化Sの喰くんやキイチちゃんたちだ。
2人は私には普通にしているし、
貳組のメンバーだって会えば笑って話してくれる。
あまり関わらない人たちに噂をされても、私もあまり関心はなかった。
「特化Sたちの君への評価が正当だと納得した。⋯それで。私も君を観察し、君の本当は情に厚いところやふと見せる笑顔に触れているうちに、いつからか観察以外の目的と感情で君を目で追っている自分に気づいたというわけだ。」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「君は、ありのままでとても素敵な女性だ。まだ自分では気づいていないだけで、君の周囲の仲間たちの接し方が証明している。それは今まで君自身で築いてきた大切な財産だ。」
「⋯⋯はい、そうですね。」
仲間は財産、その通りだ。
私は私をわかってくれる人たちがいれば良い。
燭先生もその1人。このままの私を好きになってくれた人。
私の手の甲を握る先生の手のひらの力がフッと緩み、手のひらに移動して合わせ細長い指が私の指に絡んだ。
握る、から繋ぐ形になる。
「このまま帰るのは惜しいな。今夜は君を帰したくないと言ったらどうする?」
やや挑戦的に見つめられたので一瞬黙って考える。けれど。
「帰さずどこに行くのでしょう?」
「このまま2人でどこかで一夜を過ごせば良い。」
「突然の外泊は、今から先生がご宿泊できる施設を手配するのが困難かもしれませんし護衛の問題もあります。私が研案塔の客室に泊まるにしても研案塔への連絡と朔さんへの許可が必要となります。」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
黙り込んだ先生はそのまま俯いてしまった。
事実を説明したのだけど何か問題があっただろうか。
「⋯⋯そうだな、君の言う通りだ。そして君がそういう事に疎いと言うことも⋯忘れかけていた。」
「私、また何か間違えたでしょうか?」
「⋯⋯いや、良い。そういう君に惹かれたのだからな。今日のところはおとなしく帰ろう、急いては事を仕損じるとも言う。だが⋯。」
グッと強く指が絡み、先生がこちらを向いた。
「これから私が根気よくひとつひとつ教えるので、心するように。」
「⋯ご教授ください。」
私が恋愛というものを知るには、まだまだ勉強が必要そうだ。
それでも、重なっている手のひらの温もりと先生のまっすぐな眼差しに見つめられるのは、私はとても好きなのだというのはわかる。
今はそれでいい。
私はようやく人間になれたばかりで、先生との関係もまだ始まったばかりなのだから。
絆というものは、そうやって紡いでいくものなのだろう。
先生をお送りしてから艇で朔さんにありのまま報告をした時、朔さんはまたいいネタができたと嬉しそうだったけど
先生に帰したくないと言われたけど諸々の理由で断り帰ってきたと話したら何故か「燭ちゃん⋯男として気持ちはわかるぜ⋯今度飲もうな⋯」と気の毒そうな顔をされた。
帰ってこないほうが良かったのだろうか。
⋯私は忠実に任務をこなしたのに解せない。
後日、先生がつけていたネクタイから好みを推測して選んだ柄のハンカチをお届けすると、先生は殊の外喜んでくださったので
これは正解の行動だったらしいと私はまたひとつ学んだ。
その時の先生の嬉しそうな笑顔が私も嬉しくて、この笑顔がとても好きだと思った。
これも、私の大切な財産だ。
先生の恋人としてうまくやれているかはまだいまいちわからない。
けれど、日々を重ねてどんどん先生が大切になっていくのが
そして先生に大切にしてもらえるのが
私はとても嬉しかった。
それから
恋を覚えた私はいつからか、周囲からあまり人形と呼ばれなくなった。
なぜ人形がいつの間にか人間に生まれ変わったのか
その理由も、原因となった人物のことも
詳しく知る人は朔さんと平門さん以外に誰もいない。
おわり
2026.07.23
お久しぶりです!
非常に淡白で感情が薄いヒロイン、そのヒロインの良いところを見つけた燭先生が一生懸命に口説くお話でした笑
「糸紡ぎ」はそのまま糸を紡ぐ、の中に
自分の気持ちを紡ぐ、大切な人と大切な関係を築く、という意味があります。
人形のように無感情に近い生き方をしてきたヒロインが恋の魔法をかけられ人間のお姫様になっていく
ゆったり温かいお話を目指しました。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
「…今日のデートで私は、先生には他にデートにお誘いしたい本命の女性がいて、私はその代理なのだと思い込んだ際、私は正直…少し複雑な気持ちになりました。」
「代理にされたのが複雑だったということか?」
「いいえ。代理自体は任務と思えば割り切る事ができますから。複雑だったのは……先生に本命の女性がいるという事がです。ですから、想い人に他の異性の影が見えるのは複雑になるという感情に理解ができると、先ほどレストランでお話をしました。」
……ここまで話せば、私がなにを伝えたいのかは聡明な先生なら気づくだろう。
私に大切な人がいる可能性に複雑な気持ちを表した先生に、私は無意識に理解できると口にした。
だから先生は私に大切な人がいると誤解をした。
本来、今までそういう事に縁がなく男女の機微にも疎い私が理解できるわけがない感情。
にもかかわらず無意識にも理解できてしまったのは、あの段階で既に似た感情を自分で抱いて知っていたからだ。
今思えば私はあの時にはもう、先生に本命の女性がいる事に心が波立っていた。つまり。
俯いたまま、先生のネクタイの辺りを見つめたまま話して黙り込んだ私に、先生はゆっくりと口を開いた。
「ひとつ聞いても構わないか。」
「…………はい。」
「…私の誤解だったらすまない。君の、大切になってしまったらどうしようと思っている人物とは……私のことか?」
「…………………」
ここまで来て声に出す勇気が湧かず、代わりに頷くようにさらに下を向いた私の仕草を、先生は肯定と受け止めただろうか。
先生のことを1人の男性として意識し始めてしまっている。
けれどそれをまだハッキリ好意だと断定しても良いのかがわからなくて。
自分でまだ分析しきれないまま、曖昧に好意として伝えてしまったら…仮にそれで先生の望む関係を始めても、うまくやっていける自信がまだない。
レストランや街中で見たカップルのようになれるのか。
素直に喜びや怒りを出せる可愛らしい恋人に私はなれない、と思う。
私はそういう事に一番向いていないとよく理解しているから。
だからこれ以上、先生が私の大切な人になってしまったら困る。
恋をしてしまった自分の姿がうまく想像できない。
どうしても整理しきれない感情を、自分でコントロールが出来ない状況に恐怖心もある。
…けれど。私のあまり変わらない表情からうまく正しい感情を読み取ってくださり、それを苦には取らない先生ならば…と、私も期待をし始めている。
こんな私を好意的に受け止めてくださる先生となら、私も…心からの恋愛ができるのではないかと。
感情に飲まれるのも悪くないようにも思い始めている。
気づけば膝の上で、ずっと握り締めたままだった拳が震えている。
「少し手に触れるぞ。」
それを見つめていたら、そこにそっと先生の大きな手のひらが重ねられた。
優しく包みこまれて温かさに胸が締め付けられる。
気づかないうちに内心で張り詰めていたらしいものが、ゆっくり解けていくのを感じた。
「大切になってしまったらどうしよう、というのは、大切になる事に何か迷いや不安があるという事だろう。話してみろ。」
あくまで先生は私の気持ちや想いを大切にしてくださっている。
だから私も、それに誠実に応えたい。
応えなければではなく、応えたい。
義務や使命感ではなく、心からの叫び。
「…私は…燭先生に、少なからず好ましいと思える印象を抱いていると自覚はしております。ですが、それをハッキリと好意だと断言できる自信はまだありません。ですからこのように半端な状態で先生にお応えすることに迷いがあります。」
「まだハッキリと私を好きかどうかわからない、ということか?」
「好きかどうかがわからないと言うより、どこからが恋愛感情としての"好き"になるのかが判断がつかない、と言うべきでしょうか。」
「それなら……リイナ、少し顔を上げて私の顔を見てみろ。」
「………?」
促されるまま顔を上げると、先生が真っすぐに私を見つめてきた。
街灯に照らされた顔は穏やかな笑みを浮かべて、桃色の双眸が私を捉える。
そよそよと静かにそよいだ風が、こめかみの辺りで同じ桃色の少しだけ乱れて落ちた前髪を揺らした。
先ほど私の足を手当した際に俯いたために崩れたのだろう。
それでも全くだらしなくなったように見えない。
むしろ、印象がまたガラリと変わる。
大きな手に包み込まれている握りこぶしを、更に少しだけ力を入れてしっかりと包まれた。
「こうして私に手を握られて、今どのように感じている?心のままに答えてみろ。嫌な感じはするか?」
「……………」
少し熱い体温を伴った手のひらはとても大きく、私の手など簡単にすっぽりと覆ってしまう。
それは男性の力強さをよく感じさせるのに、長い指はとても優しくて。
肌を触れ合わせて体温を共有している事にこそばゆいような気持ちになる。
それでも、不思議と離してほしいという気持ちにはならなくて。
むしろ、ずっとこうしていたいような……。
心臓がトクトクと速いリズムを刻んでいる。
「……とても……ドキドキ、して苦しいです。でも、決して嫌ではありません。」
気づけば私は、自然と唇を開いて溢れるままに言葉を発していた。
それに対して先生はフッと微笑んだ。
「それが答えだろう。リイナはもうすでに、私に恋をし始めている。」
「…………っ!」
「今、とても良い表情になっているぞ。先ほどからずっと私だけに見せていた1人の女性の顔だ。」
……………私は。
もう、燭先生に恋をしている?
このドキドキは恋なのかまだわからない。なのに。
先生と手を触れ合わせながら見つめ合うのが、妙に心地良い。
心地良いのに、胸がとても苦しくなる。
でもその苦しさは少しも不快ではない。
色んなものがとてもゴチャゴチャとしていて、どうしたら良いのかがわからない。
わからないけれど。
今、目の前で先生がとても嬉しそうに笑っているのが、…私も、とても嬉しい。
「少しでも私と恋が出来そうな予感があるなら、そのまま身も心も委ねてみないか。決して後悔はさせない。リイナにとって人生最高の恋にしてみせる。…なにせ…、」
相手はこの私だからな
そう、わざと勝ち気に言った先生に、私は温かいものが胸の奥から次々と溢れて、心の底から笑った。
理屈でばかり考えるより先に……先生の自信満々な言葉に頷きたくなった。
「私は、先生の可愛い恋人になれるかわかりませんが。」
「今とても可愛らしい笑顔で笑っている本人が何を言っている。だが、私がもっとリイナを可愛く綺麗に笑わせてやろう。だから、私の傍にいろ。存分に私の事が大切になれば良い。」
先生の顔がゆっくり近づいてきて、額と額をコツン、と合わせた。
至近距離で見つめ合えば、切れ長の目の中の桃色に私だけが映る。
吐息が当たりそうな近さに声が詰まりそうなほど心臓が跳ねた。
思わず逃げたくなる、でも離れたくない。
この相反した気持ちを人は恋と呼ぶのだろうか。
とても矛盾しているのに、素直に素敵だと思う。
この素敵な感情を知らずに今まで生きてきた。
先生でなければ、ずっと知らないまま生きていったのだろう。
ずっと人形のままで。
今まで知らなくても支障も不便もなかったのに、知ってしまった今ではもうずっと手放したくない。
知らずにいた日々を惜しいとすら思ってしまう。
「リイナ………。」
私を呼ぶ先生の声が甘くなった。
左手がそっと私の右肩に触れてまた身体の距離が近くなる。
ゆっくり近づいてくる瞳に釘付けになっていると、鼻先で先生が囁いた。
「…こういう時は目を閉じるものだ。」
「そうなのですか…?」
申し訳ありません…と、呟いて言われるまままぶたを閉じたら、ふわりと柔らかいものが唇に当たった。
驚いて目を開けたらすぐ目の前で私の唇を塞いでいる先生が目を閉じていたので、私もまた慌てて目を閉じた。
これがキスというものなのはさすがに知っている。
私はいま燭先生とキスをしている。
先生の唇の温もりに心が震えた。
それがあまりに甘くて少し胸が痛くて、切なくて……嬉しくて。
ようやく、私はこの人に恋をしてしまったと思い知った。
このままこの人が大切になってしまいたい。
そしてそれはきっと、遠くない未来に現実になる。
「⋯初めてのキスの感想は?」
唇を離してから囁いてきた先生に、私は率直な感想を返した。
「⋯唇って、柔らかいのですね。」
あまりに率直すぎたか、先生は吹き出した。
⋯⋯また何か間違えたのかと首を傾げて考えたけど、先生は笑いを堪えた。
「⋯初めてキスをした感想がそれとは。いや、君はそれで良い。逆に新鮮な反応で楽しい。」
⋯⋯先生のツボは良くわからない。
「だが、ドキドキしただろう?」
「⋯⋯はい。」
「私の心臓も今とても高鳴っている。⋯もう一度触れたい。」
「⋯⋯⋯ん」
それからまた近づいてきた唇に、私は今度は目を閉じて応えた。
ベンチで並んで座りながら
キスの雰囲気も読めないくらいに疎い私を、先生は目を細めて愛しげに笑って見つめてくれた。
この表情を向けられた時にこれが愛しげな表情だとすぐに理解できたくらいには、私は人間らしい感情を知ったのだと思う。
頭で考える前に心がそう理解したので、恋とは頭の中や理屈でするものではないのだなとしみじみと感じた。
「先生、私からもひとつ伺っても宜しいでしょうか。」
「なんだ?」
「いつから私に好意を寄せてくださったのですか?」
「気になるか?」
そうだな……………と、先生は逡巡するように目を伏せた。
男性なのにまつ毛が長くてフサフサだな…と
、場にそぐわない感想が湧いてしまった。
でも、これほど他人の身体的部位に興味を持ったのも初めてだ。
「あえてあけすけに話すが、君は同期だろう一部の一般闘員たちにあまりよく思われていないようだな。前に君の悪い噂をしているのを耳にしたことがある。大方は特化Sで実力がある君に対する嫉妬だろうが。」
「私がどんな任務でもあまりに顔色を変えずに仕事をするので、まるで人形のようだ、血が通っているとは思えないと言われているのは存じております。嫉妬とは思い至りませんでしが。」
「…本当に君は一切気にしていないんだな。」
「さすがに人間ですので血が通わない以外は事実ですから、仕事に支障さえなければ何も問題はないかと。…それで、その噂が何かありましたでしょうか。」
たとえ嫉妬だとしても、それで仕事に支障を出すような嫌がらせをするような人間は輪にはいない。
なので事実を噂されるくらい何とも思わないのだけど、私があまりに淡々としているので先生が若干呆れたような溜息をついた。
「だが君は同じ特化Sの闘員たちとの仲は良好に見えたので、極端に評価が二分しているのが不思議でな。…少し興味が湧いたので、しばらく君を観察していた。本来なら、他人の評価や人間関係などには1ミリも興味がないのだが。君の場合はなぜか気になった。」
「……確かに少々意外です。」
私、先生に観察されていたのか。
それは全く気が付かなかった。
「調査や健診などの折に見ているうちに、君は噂のような人形ではなくきちんと感情があり、その時々で表情もきちんと変化していることに気づいた。噂をする者たちは君をよくは見ておらず印象で話し、常に共にいる特化S闘員たちは君のその特徴をよく知っているから君に正しい認識で接している。」
⋯⋯確かに、基本的に一緒によく仕事をするのは特化Sの喰くんやキイチちゃんたちだ。
2人は私には普通にしているし、
貳組のメンバーだって会えば笑って話してくれる。
あまり関わらない人たちに噂をされても、私もあまり関心はなかった。
「特化Sたちの君への評価が正当だと納得した。⋯それで。私も君を観察し、君の本当は情に厚いところやふと見せる笑顔に触れているうちに、いつからか観察以外の目的と感情で君を目で追っている自分に気づいたというわけだ。」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
「君は、ありのままでとても素敵な女性だ。まだ自分では気づいていないだけで、君の周囲の仲間たちの接し方が証明している。それは今まで君自身で築いてきた大切な財産だ。」
「⋯⋯はい、そうですね。」
仲間は財産、その通りだ。
私は私をわかってくれる人たちがいれば良い。
燭先生もその1人。このままの私を好きになってくれた人。
私の手の甲を握る先生の手のひらの力がフッと緩み、手のひらに移動して合わせ細長い指が私の指に絡んだ。
握る、から繋ぐ形になる。
「このまま帰るのは惜しいな。今夜は君を帰したくないと言ったらどうする?」
やや挑戦的に見つめられたので一瞬黙って考える。けれど。
「帰さずどこに行くのでしょう?」
「このまま2人でどこかで一夜を過ごせば良い。」
「突然の外泊は、今から先生がご宿泊できる施設を手配するのが困難かもしれませんし護衛の問題もあります。私が研案塔の客室に泊まるにしても研案塔への連絡と朔さんへの許可が必要となります。」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
黙り込んだ先生はそのまま俯いてしまった。
事実を説明したのだけど何か問題があっただろうか。
「⋯⋯そうだな、君の言う通りだ。そして君がそういう事に疎いと言うことも⋯忘れかけていた。」
「私、また何か間違えたでしょうか?」
「⋯⋯いや、良い。そういう君に惹かれたのだからな。今日のところはおとなしく帰ろう、急いては事を仕損じるとも言う。だが⋯。」
グッと強く指が絡み、先生がこちらを向いた。
「これから私が根気よくひとつひとつ教えるので、心するように。」
「⋯ご教授ください。」
私が恋愛というものを知るには、まだまだ勉強が必要そうだ。
それでも、重なっている手のひらの温もりと先生のまっすぐな眼差しに見つめられるのは、私はとても好きなのだというのはわかる。
今はそれでいい。
私はようやく人間になれたばかりで、先生との関係もまだ始まったばかりなのだから。
絆というものは、そうやって紡いでいくものなのだろう。
先生をお送りしてから艇で朔さんにありのまま報告をした時、朔さんはまたいいネタができたと嬉しそうだったけど
先生に帰したくないと言われたけど諸々の理由で断り帰ってきたと話したら何故か「燭ちゃん⋯男として気持ちはわかるぜ⋯今度飲もうな⋯」と気の毒そうな顔をされた。
帰ってこないほうが良かったのだろうか。
⋯私は忠実に任務をこなしたのに解せない。
後日、先生がつけていたネクタイから好みを推測して選んだ柄のハンカチをお届けすると、先生は殊の外喜んでくださったので
これは正解の行動だったらしいと私はまたひとつ学んだ。
その時の先生の嬉しそうな笑顔が私も嬉しくて、この笑顔がとても好きだと思った。
これも、私の大切な財産だ。
先生の恋人としてうまくやれているかはまだいまいちわからない。
けれど、日々を重ねてどんどん先生が大切になっていくのが
そして先生に大切にしてもらえるのが
私はとても嬉しかった。
それから
恋を覚えた私はいつからか、周囲からあまり人形と呼ばれなくなった。
なぜ人形がいつの間にか人間に生まれ変わったのか
その理由も、原因となった人物のことも
詳しく知る人は朔さんと平門さん以外に誰もいない。
おわり
2026.07.23
お久しぶりです!
非常に淡白で感情が薄いヒロイン、そのヒロインの良いところを見つけた燭先生が一生懸命に口説くお話でした笑
「糸紡ぎ」はそのまま糸を紡ぐ、の中に
自分の気持ちを紡ぐ、大切な人と大切な関係を築く、という意味があります。
人形のように無感情に近い生き方をしてきたヒロインが恋の魔法をかけられ人間のお姫様になっていく
ゆったり温かいお話を目指しました。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
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