(甘)人形姫の糸紡ぎ
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「帰る前に最後に一言だけ言わせてくれないか。今日はもう口説くのはそれで終わりにする。」
「…なんでしょうか。」
「もしも今、君に大切な人がいるとしても、いずれ私のほうが君にふさわしいと気づかせてみせるので楽しみにしているといい。今は少しでもリイナに私を男として意識させるところから始めようと思う。」
「……………………」
私にふさわしいどころか、先生のほうが私よりふさわしい女性がいるでしょう。
そう言えばいい。それで終わりになる。なのに言葉が出ない。
代わりに出たのは頭の中とは違う言葉。
「…意識もなにも、先生はもとから男性だということくらいはわかっております…。」
「そうか。ではこれからは、私という男とどんな恋ができるか意識してみるといい。先ほども言ったが、私ほど魅力的な男はなかなかいないだろう?」
それから挑戦的に見つめてきた先生にどこかいつもの顔とは違う男性みを感じた。
先ほど切なく痛んだ胸が、今度はキュッとなりながらもわずかに火が灯ったように暖かくなった。
暖かいのに痛い。
痛いのに暖かい。
私が拒否を示したら、この笑顔を私のせいで曇らせてしまうだろうか。
それだけはとにかく…嫌だと思った…。
「……そうですね。先生は男性として…とても魅力的だと、思います…。」
先生にはずっと、こんな笑顔でいてほしい。
どうかずっと曇らないままで。
そう思ったら、こみ上げたものが息をついて言葉として出た。
「…本当に?」
その言葉をけして逃がすまいとばかりに、先生は私を覗き込むように少しだけ身を乗り出した。
「本当にそう思うか?」
「…は、はい…。」
「…………そうか。君は世辞などは口にしないタイプだろうからな。」
気圧されるように頷くと……先生は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
それは今まで見たこともないくらい、本当に心から喜びを表しているようで。
そして、心底ほっと安心しているようにも見えて。
つい先程の挑戦的な瞳はどこに言ってしまったのかと思うほど。
「……………」
思わず見つめてしまう。
私は人の細かい機微には疎いはず。
先生もそう言ったし自己評価だってそう。なのに、どうして今、先生が安心して喜んでいることがわかってしまうのだろう。
そしてそのことを嬉しく感じている自分も。どうして。
先ほどから、先生の表情に隠れた不安や焦りの色を、心からの喜びを、どうして私は感じ取れてしまうのだろう。
今日のやりとりでわかるようになったのならば、私も少しは男女の機微というものを学ぶことに成功できたということなのか。
私自身の知らない知識や感情を、たったこの数時間で私に与えてしまった先生はすごい。
……本当に、すごい人だ。
私にはもったいないくらいに。
「……では、そろそろ帰るとしよう。あくまで今日はリイナは仕事の上だ。付き合わせたのにあまり遅くに帰しては申し訳ない。」
「……お心遣い、ありがとうございます。」
魔法の終わりの時間に、わずかに胸に掠めた翳りを…私はまたごまかした。
お断りするべきなのに。お気持ちには応えられません、と。
それで終わるのに、私は躊躇いを掻き消すことができないまま、先生とレストランを後にした。
私も楽しんでしまったお食事代は個人的にきちんと支払いをするつもりだったにも関わらず、先生は私が電話で不在の間にいつの間にか会計を済ませてしまったらしい。
恐縮してしまったけれど、気を遣わせないように私が見ていない間に終わらせたそのスマートな振る舞いが、とても大人で。
(……慣れていらっしゃる。)
お若い時からきっと、数々のデートの経験を積んでいらっしゃったのだな、と。
そのことに複雑になると同時に、それほどにお相手には困らなそうなのに、何故私を目に留めたのかだけが、不思議でならなかった。
輪の私と研案塔の先生では、顔を合わせる事も時々、くらいしかないというのに。
来た道を戻り、クッピーを停めた場所まで2人で歩く。
腕を組んだり寄り添って歩く男女が多い中を、微妙な距離間で歩く私たちは異質だ。
もちろん中には恋人らしき人たちだけでなく、仲のよさそうな友人同士のような雰囲気の男女もいたけれど、そちらはそちらなりの親しげな空気感というものがある。
ただ歩いているだけの私たちは、他人から見ればどのように映るのだろうか。
来る時は気にも留めなかった事が妙に気になってしまう。
その自分の心情の変化に戸惑っていたら、ふいにお隣の先生が呟いた。
「今度は、だまし討ちではなく堂々とデートに誘っても良いだろうか?」
「………え?」
思わず足を止めて先生を見上げると、いきなり止まったために後ろを歩いていた人とぶつかってしまった。
「…っ」
「お、……っと。」
背中への衝撃が突然でよろけ、体勢を整える前に先生に背中を引き寄せられ、道の端で額が少し先生の胸元に沈んだ。
「っ…すみませ……」
「申し訳なかった。」
不可抗力とはいえ先生に抱き寄せられた形に驚いて離れようとしたら、頭の上で先生が少し遠くに大きめの声で謝罪を口にしたので…私がぶつかってしまった人に代わりに謝ったのだと気づいた。
……なんて失態。
道の真ん中で突然立ち止まり、通行人にご迷惑をかけてしまった。
しかも先生に代わりに謝罪をさせるなど……。
「大丈夫か?」
にも関わらず、叱責どころか優しい声色で気遣ってくださった先生に、本当に情けなくて申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
往来で体を寄せてしまった私たちを、通行人が避けて去っていき、先生の胸の中と自分の背中に触れている力強い腕に妙に意識してしまい慌てて離れると、
そこで右足に違和感を感じ再びよろけてしまった。
「…っ、どうした?」
先生が慌てて私の腕を掴んだ。
「…っ…申し訳ありません。」
よろけた勢いでさらに右足に力を入れて踏ん張ったため、ズキッと痛みが走り顔を歪めてしまった。
そこで先生は聡く気づいて私の右足に目を落とした。
「今ので足首を痛めたのか?」
「いえ、痛めたわけでは…。」
「そのような顔をしてなにを言っている。悪くなる前にきちんと報告しろ。」
「………っ」
その時私を見つめた瞳は、先ほどまでの男性のものではない医師の強いまなざしそのものだった。
先生にこの目でまっすぐ見つめられれば誤魔化すことはできない。
また余計なご迷惑をおかけしてしまう…と歯嚙みしながらも、素直に言うことにした。
「本当に、痛めたわけではありません。少し靴擦れをしたようで。」
「靴擦れ?」
「慣れない高いヒールを履いてきてしまったので…ですが、念の為に低い靴を持参してきておりますので履き替えれば問題はありません。歩行は可能です。」
バッグと共に持ってきた小さな紙袋を見せると、先生はひとまず安堵した様子で息を吐いた。
後で履き替えようと持ってきたのに、タイミングを逃してしまったせいで案の定支障が出てしまった。
やはり慣れないヒールは避けるべきだった。
「では、履き替える前に診せてみろ。帰るまでの処置をしてやる。」
「ですが…」
「炎症を起こして化膿しては明日からの任務にも支障が出るからな。……ああ、あちらにベンチがあるな。歩けるか?」
「あ、…っ…」
腕を引かれてバランスを崩さないように支えられながらゆっくりと歩いた少し先に、植木と花壇に囲まれた小さな休憩スペースがあった。
夜も遅めだからか他に人はおらず、先生は時々私がついてこられるペースかを確認しながら進み、私にベンチに座るよう促した。
言われるまま腰掛けたその目の前に先生が跪いたので驚いて制止しようとすると、睨まれてしまった。
「いいから早く足を出せ。痛むのだろう?」
「…っ………はい……申し訳ありません…。お願いいたします。」
言って聞いてくださる方ではないのはよく知っているので、観念、するしかない。
おずおずと靴を脱いだ右足を少し上げると、先生が手で触れて履いていたレースをするりと脱がせて検分をし始めた。
「確かに靴擦れだな。水疱が破れて潰れてしまっている、これは痛むだろう。」
「……少しだけ。ですが、靴さえ替えればあとは帰るだけですから…。」
先生の診察を受けるのは慣れているはず。なのにこの状況で足に触れられるのは、申し訳ない気持ちと気恥ずかしい気持ちが綯い交ぜになり逃げたくなってくる。
温かい指が優しく私の足を滑っていく。
皮膚がそこだけ敏感になったようにゾクッと熱を持ったような感覚に襲われた。
くすぐったいのとはまた違い、奇妙な感覚になんでもいいから早く離してほしい…と祈るのに、先生は胸ポケットからハンカチを出して地面に敷くと、そこに私の右足を置いた。
靴を潰さないようにした配慮に胸が熱くなる。
「手当をするから少し待て。」
「…手当、いまできるのですか?」
「応急処置用の医療セットなら万一の時のために常に持ち歩いている。簡易セットなので簡単な処置しかできないが。」
「……さすがです。」
また胸ポケットから小さなケースのようなものを取り出して両開きで開き、パッケージを破いて小さく折り畳まれていたゴム手袋を素早く装着した。
同じくパッケージから取り出した綿に小瓶の消毒液を染み込ませて、また私の足を持った。
「少ししみるぞ。」
「……っ……」
足の痛みよりも、その仕草がとても洗練されていて、慣れた動きに見惚れてしまう。
触れられて熱い足にひんやりとした消毒液の冷たさが心地よかった。
一生懸命に私に想いを説いていた時の表情や、勝ち気そうに笑った顔、わずかに見せた不安や焦り、安堵の色はどこにもなく、そこにはただ怪我を処置するのに集中している1人の医師がいた。
仕事をしている男性の姿なら今までいくらでも見てきたのに。
ましてや燭先生の処置を見るのも受けるのも、これが初めてなわけがないのに。
トクトクと先ほどから心拍が上がったような気がして息苦しく、先生の顔が見られなくなって俯いた。
咄嗟とはいえ後ろの人を避けられずぶつかってしまったのも、いつもの自分らしくない。
今のこの胸の中の落ち着かなさも。
こんな、自分が自分ではないような状態は初めてでどうしたらいいのかがわからない。
こういう時は、どうしたらいいの。誰か正解を教えて。
願っても答えが勝手に聞こえてくるはずはなく、とにかく謝らなければと、俯いたまま頭を下げた。
「…申し訳ございません、先ほどは先生に代わりに謝罪をさせてしまうなど…私の失態ですのに。その上、足の手当までさせてしまって。」
「いや、それは全く構わない。リイナこそ突然立ち止まったりなど、よほど足が痛んだのだな。大丈夫か?」
「……は、い。」
……大丈夫、なのだろうか。
わからない。だけれど。
先ほど突然立ち止まってしまったのは、次のデートの話を振られたから。
堂々とした誘いに驚いてしまった。
また次があるかもしれないことに、内心動揺した。あの魔法の時間がまた訪れるのか、と。
先生はこれから自分の魅力を私にわからせると宣言していたのだから、次を誘われる可能性は充分読めたはずなのに。
先読みもできなくなっているくらい、冷静ではなくなっている自分。
…なんとか気持ちを落ち着かせて、冷静にならなければ。
もう失態を冒すわけにはいかない。
自分の感情を整理整頓するのは、私の得意技のはずだ。
自分自身の乱れに惑わされてはいけない。
「…………」
聞こえないように小さく息を吐いて呼吸を整えると、ゆっくり目線をあげて先生を見た。
先生は医療テープを傷に綺麗に貼り終えると、そのまま顔を上げて私を見つめてきた。
また、医師から1人の男性に戻ったような気がして心臓が跳ねたので、それをなんとか悟られないように口元を引き結んだ。
大丈夫だろうか、うまく無表情を保てているだろうか。
内心ヒヤヒヤとしている私に、先生はフッと微笑んだ。
「今、君は自分がどんな顔をしているかわかっているのか?」
「え………?」
「いつもの君とは明らかに違う。ただの輪闘員ではなく、ただの1人の女性としての表情と目つきになっている自覚はないか?」
「………っ………」
「何故、私が君の表情の変化がわかるか、理由に思い当たることは?」
「……………」
…だって。今、完璧に表情を作ったはず。
そもそも私は普段から人形と言われるくらいにどんな時も表情が変わらない事で知られているはずなのに。
わからなくて首を小さく横に振ると、先生は小さくフッと息を吐いて笑った。
「周りが君をどう言っているのかは知っているが、君はきちんとその時の感情に合わせて表情が変化している。」
「そうなのですか?」
「能力者と対峙した時など怒っている時は表情がきちんと険しい。逆に、嬉しい時は口角が上に上がっているし、无や他の子供たち、動物たちを見ている時の瞳はとても優しい。仲間や一般人に何かあると眉を下げて悲しそうにする。…微妙な変化なので普通の者は気づかないのだろうが。」
「…え……。」
「私が気づいているのは、それだけリイナをずっと見てきたという事だ。君にもきちんと心があると、先ほど店で話をしただろう。」
「………っ…………」
―――――……"仲間を大事に想い悪しきものを憎み、弱きものへ尊い気持ちを向ける優しさも持ち合わせている。君にもそんな心があることを私は知っている。"
"他人がどう言おうが、リイナには美しい心があると私はよく分かっている。喜びや悲しみを感じる感情もな。"
……そうだ、先ほど先生は私にそう言った。
私にも心がある。そして表情にもきちんとそれが表れていると先生がご存知なのは…それだけ、私を見てきたから…………。
……いつから?
いつから、私を、そんなふうに…………。
(…………どうして、知りたい、と思ってしまうの。)
自分や先生のお立場、自分の性質を考えて、お応えできないと言うべき。
そうわかっているのに、先生の想いの中身をもっと知りたいと思ってしまっている自分の心。
レストランでは、ただ動揺して戸惑うばかりだったのに。
目の前の先生を、確実に今までの先生として見られなくなっている。
淡白で起伏の緩かった私の感情を、こんなにも揺さぶって変化させたただ1人のヒト。
今日、色んな先生を見たからだろうか。
色んな言葉をもらったからだろうか。
まっすぐに、気持ちをぶつけられたからだろうか。
……私も知らなかった私を、知っていてくれた人だと、知ってしまったからだろうか。
先生といれば、今まで知らなかった色んなものをこれから知っていけるの、だろうか…………。
綺麗な深い桃色の瞳にじっと見つめられ、私もまた黙って見つめかえした。
私は今はどんな顔をしているのだろう。
先生の瞳の中ではどんなふうに映っているのかが、ただ知りたくて見つめる。
どのくらい見つめ合っただろう。
10分にも1時間にも感じ、実はほんの3分も経っていないようにも思える時間。
私の目を見つめていた先生は、穏やかな笑みを浮かべた。
「どうやら、私は君の心に波風どころか、荒波で乱す事に成功したようだ。……靴はこれか?借りるぞ。」
ベンチの上、私の脇に置いた袋を先生は取ると、中から靴を取り出して地面に並べた。
一度私の足を再びハンカチの上に置き、ゴム手袋を外した手でそっとまた触れ、レースを優しく履かせて靴も履かせてくれた。
私はもう、それをいちいち拒否したり抵抗なども一切せず、ただ受け入れた。
「まだ痛むか?」
「…大丈夫です。丁寧に手当をしていただいたので。ハンカチを汚してしまって申し訳ございません。」
「気にするな、リイナの足のほうが大事だ。」
脱いだ方の靴まで片付けようとしてくれたので、それは慌てて遠慮して自分で袋にしまった。
その隙に先生は医療セットとご自分のハンカチを畳んで片付ける。
その様子を横目で見ながら思った。
……私が、1人の女性の顔をしているというのは。
先生を、ただの先生として見られなくなっているからだろうか。
それはつまり、私は先生を意識し始めているから……?
片付け終わって隣にそっと腰掛けた先生に、私はきちんと向き合った。
ちゃんと間を開けて一定の距離間は保ってくださる先生に、素直に好感を持つ。
「先ほど使用したハンカチ、私に預けては頂けませんか?」
「何故だ?」
「お礼もかねて、きちんと新しいものでお返ししたいので。」
「必要ない、と言いたいところだが。リイナが私にどんなハンカチを選んでくれるのかは非常に興味があるな。」
「…お気に召していただけるように善処致します。」
なにせ私は先生の趣味も知らず、男性への贈り物の最適解の知識もない。
自分自身の贈り物のセンスもよくわかってはいない。
だからせめて、できるだけ的外れにはならないように調べたり人に聞いたり努力をしよう。
そう内心で意気込むと、先生は楽しそうな顔をした。
「相変わらず真面目だな。私の為に善処をしてくれるのは嬉しく思うが、リイナからの贈り物はどんなものであれ文句があるわけはないだろう?」
「タルネロの燻製でもですか?」
「……っ……いきなり冗談が上手くなったな。まあ、アレでもリイナがくれるというのなら喜んで受け取ろう。」
お嫌いな物でも受け取ってくださるのだろうかと疑問が湧いたから聞いてみただけなので、冗談を言った自覚はないのだけど……明らかな渋面を浮かべながらも、受け取ると言ってくださった。
相当にお嫌いなのだな、タルネロの燻製。
素直に感情を面に出す方なのにきちんと気遣いもあり、表情と言葉がちぐはぐになっているのが、なんだか面白かった。
恐らく本当にタルネロの燻製を差し上げたら、後で捨てはせずに明らかに苦手だという顔をしながら目の前で食べてくださるのだろう。
それを想像すると楽しい。
「…………ふふっ」
「…どうした?」
「あ、申し訳ございません…。」
つい吹き出してしまい恥ずかしくて顔が熱くなる。
だけれど先生は不快そうな顔はしなかった。むしろ驚きながらも嬉しそうだ。
「理由はよくわからないが、感情をうまく面に出せたようだな。楽しそうでなによりだ。」
「……………はい。」
おかげさまで、とは言えず俯く。
火照った頬に心地よく夜風が吹いた。
少しの沈黙の後、改まったような声で先生が呟いた。
「今日は、強引な形だったが私に付き合ってもらえて素直に嬉しかった。…ありがとう。」
「いえ、私も楽しませていただきましたから。」
「…では…。」
見上げると、至極真剣な顔をした先生に見つめられた。
ピリッと、一気に場の空気感が変わったのがわかった。
「今日はずっと私の気持ちを一方的に話してばかりで、リイナの事をひとつも聞かなかったな。できれば、今のリイナの率直な気持ちを聞かせてくれないか。遠慮はいらない、素直に思った事を話してくれ。」
「…私の、今の気持ちですか?」
「ああ。正直に言って、君が私の気持ちを聞いて困惑しているのは見ていて感じた。だが、先ほどからの表情や、すぐに断ったり拒否の姿勢をしなかったことに、私は少しばかり…いや、かなりの期待をしてしまっている。私に遠慮をしているだけなのかもしれないが。」
「………………」
「君には今、大切な人がいるのだろうことも感じてはいるのだが。期待も消えない以上、これからもリイナを積極的に口説いてもいいのか、私の事が迷惑ではないのか、今のリイナの気持ちをハッキリと聞かせてくれ。リイナの心を私に向かせられる可能性が、今の私にはあるのかどうかを教えて欲しい。」
……私がきちんと考えを言葉にせず、曖昧な態度ばかりをしたから、先生こそ戸惑っていらっしゃるのか。
このまま積極的にして良いのか、私が迷惑に思っていないか、断りづらくて困っているのではないか。
だからこそ、わずかにでも可能性を感じてしまうと、湧き起こる期待を捨てきれない。
可能性が無いとハッキリわかれば、先生は私を尊重してしつこく迫ろうとはせずに、潔く身を引くのだろう。
だからこそこれからどう行動すべきかの指針が欲しい、と。
……迷惑なわけが、ない。
でも。
私も自分自身の気持ちに困惑して戸惑っている。
きちんと考えて整理してからでないと答えが出ないと思う。
けれど、先生ならそれでも私の整理しきれていないめちゃくちゃな話を根気よく聞いてくださる気がした。
それくらいの度量をお持ちの方だと、今夜のこの時間でよく実感できたから。
私の事を真剣に想ってくださっている先生のためにも、私はこれ以上曖昧にすべきではない、と思った。
よく考えて、言葉にしなければ。
「…先生のおっしゃる通り、私は今様々な理由でとても困惑しております。なので、うまく気持ちを語源化できる自信はありません。…それでも、できるだけ努力を致しますので、整理しながらでもよろしければ、お話をさせていただいても構いませんか…?」
「ああ、構わない。どれだけ時間がかかってもきちんと聞くので、ゆっくり心のままに話してくれ。」
………私は、膝に置いた両手をゆっくりと握って、心を落ち着かせるために静かに息を吐いた。
どこからどう話そう、と思考を巡らせながら口を開く。
どう話せば、きちんと先生に伝わるだろうか…うまく伝わるだろうかと、胸が嫌に跳ねる。
「…まず、初めにお話をしておかなければいけないことは、…私には、いま現在大切に想っている男性はおりません。」
「……そうなのか?」
恐る恐る視線を彷徨わせて頷いてから先生に改めて向けると先生は黙って、続けろ、というような目線を配った。
……大丈夫、先生が聞いてくださるから、私はきちんと話せる。
「今日のお食事がデートだというのは、おっしゃる通り大変に戸惑いました。私と先生がデートをする理由が、理解できなかったからです。それは、先生のお気持ちを聞いてからも変わりませんでした。何故私なのかと疑問ばかりでした。」
「…困らせたことは申し訳ない。」
「いいえ。最初は疑問でしたが、先生は私自身も知らずにいた私の良いところをたくさん見つけてくださったのだと、そしてそれを好意的に感じてくださったのだと、後ほどのお話で理解致しました。それに対して、私は嫌な感情は少しも持っておりません。」
なるべく、いつもより口の両端を上げるように意識してみる。
すると先生は明らかにホッとしたような表情をした。
私を困らせた事が不安だったのだろう。
でもまだ言葉が足りない。
困ったけれど、困ったばかりではなかったと、きちんと伝えなければ。
「私は恥ずかしながら今まで、あまり男性に好意的な感情を向けられた経験がありません。それは私の性質故と理解しており、特段それを自分のマイナスには思ってきませんでした。元来、あまりそのような事に感情が動く質でもなかったので特に支障もありませんでした。」
だからこそ、最初は本当にわからなかった。
何故自分のような人間に先生は想いを抱くことになったのか。
そしてそれをどう受け止め、どう答えを出せばよかったのかが。
他人の好意というものの正しい扱い方がわからなかった。
でも…………。
「ですが、私のどのような所に好意を持ってくださったのか私にもきちんとわかるように説明してくださり、けれど決してその気持ちを一方的に押し付けようとはせずにいてくださった先生に、とても…良い、印象を、持ちました。」
……なんだか言葉を間違えているような気がして不安になる。
良い印象、なんて、目上のしかも私よりずっと偉いお立場の方に言っていい言葉ではない気がする。
私の言葉足らずはこういう所に出る。伝えたいのはこんな言葉とは違うのに。
気分を害されたのではないかとヒヤヒヤしたけれど、存外先生は悪くはなさそうな顔をしている。
いや、むしろ喜んでいる気がする。
私が自分の言葉に不安を感じたのは顔にも出ていたのか、先生はゆっくり笑みの形を作った。
「普段は感情の起伏が少ない君が他人に良い印象を持ったというのは、よほどの出来事だったと理解する。大丈夫だ、君のペースで君なりに言いやすい言葉で話しなさい。私はそれくらいで不快になどならない。」
「……ありがとう、ございます。」
お優しい言葉に胸の中が温かくなる。
…これも、良い印象、という感情なのだろう。
大丈夫、私の気持ちはきちんと正しく伝わっている。
少なくとも先生はきちんと解釈をして理解しようと歩み寄ってくださっている。
私という人間の性質を理解しているからだろう。
…………ならば、私が次に話さなければならないことは……………。
「先ほど、私には現在大切な男性はいないとお話しをしましたが。…大切になってしまったらどうしよう、と思っている男性でしたらおります。」
「…その者について、私が聞いても構わないのか?」
そっと目を伏せた私の頭上に先生の声が降りかかる。
先生の今の表情は見えないからわからない。
でもわずかに声に緊張が混ざっているのは感じる。
私のこの気持ちを本当に口に出して良いのか。
私もまだ完全には自分で理解しきれていないのに。
咀嚼しきれないまま出してしまったらもう今までのようには戻れない。
現状が変化するのは恐怖を伴う。
未来がどうなるかわからないから、人間は未知に対して不安を覚えるもの。
…けれど、未知に希望を抱けるのも、同じ人間だから。
私はもう少し、自分の心の変化に希望を持っても良いのではないのだろうか……そう思えるようになったのは、他の誰でもない先生のおかげだ。
だからもう、逃げずにきちんと向き合おうと思う。