(切甘)もう一度だけ…
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――……それは高校2年の、ちょうど今と同じ秋の終わりの放課後だった。
冬の始まりを予感させる、息が白くなるほど寒かった雨の日。
天気予報も見ずに登校したものだから、午後から雨が降るなんて思いもしなくて、だから傘なんて持っていなくて……。
日直だったので遅くまで日誌を書いていたから友達はみんな先に帰宅。
小走りで帰るにはきつい土砂降りを見つめて下駄箱でため息をついて立ち尽くした。
こんなことなら置き傘でもしておけばよかった。
濡れて帰ったら確実に風邪でも引きそうなほど寒い……けど、今玄関でこうして立っているだけでも冷えてきて、このまま雨足が弱くなるのを途方もなく待つか、いっそ風邪も覚悟で帰るかの2択で悩んでいたときだった……
突然声をかけられたのは。
『あれ、お前……』
え……、と思って振り向いた先に、ブレザーを上手く着崩した朔先輩が、立っていた。
朔先輩はかっこよくて人当たりもいいからと三年の先輩の中でも特に目立って、私たち2年の間でも人気があったから、当然私も知っていた。
けど先輩だし関わりもなかったから、突然声をかけられて驚いた。
そんな私の反応も意に介さず、先輩は私の横に立った。
初めて間近で見た先輩は……思いきり見上げないといけないくらい、背が高い人だった。
『2年A組の子だろ。もしかして傘がないのか?』
『え……』
どうして私のクラスを知っているんだろう?と思ったけど、それまで関わりのなかった先輩に見下ろされて、うまく言葉が出なかった。
だらしなくは見えないよううまく着崩した制服、だからって不良みたいに怖くも見えない……ただ、みんなが騒ぐわけだと納得してしまったくらいかっこよくて、私のクラスを知っていたことにも驚いて言葉が出ず、ドキドキしながらただこくりと頷いた。
先輩はそれでも気を悪くした風はなく、人懐っこい笑顔を私に向けてくれた。
『なら駅まで一緒に入っていくか?』
『え……でも……』
『いいって、俺も駅だしな。風邪でも引いたら大変だろ。ほら。』
そう言って差し出された黒い傘は男性用なのか、私が使うものより一回り大きかったから、二人で入るには充分だった。
『もうちょい中に入れよ、そっちの肩が濡れるだろ。』
『…は…はい。』
結局押し切られて私は朔先輩と相合い傘をすることになり……友達や誰かに見られたらどうしよう、と思いながらも、本当はすごく心臓がドキドキ高鳴っていた。
雨に閉じ込められた傘の中に二人きりで歩く道。
大きめの傘とはいえ、言われた通りに中に入ったら肩がくっついてしまいそうで…気が気じゃなかった。
なにか色々話した気はするけど、受け答えにいっぱいいっぱいであまり覚えていなかったのは後悔した。
その後、駅に着くなり朔先輩は、私に強引に傘を渡して濡れながら走り去って行った。
乾かした傘を返すために、また会って話ができる。
だけど返してしまったらそれで終わってしまうと思うと寂しくて……
雨の中を消えていった先輩の背中を思い出しては、気持ちが高まりながらも胸は苦しくなる。
歩くたびにかすかに触れた肩や腕が熱い。
……このとき、私は朔先輩を好きになってしまったのだと気づいた。
「なんかこうして顔を合わすのも久々すぎて懐かしいな。まさか新しく入ってきたのがお前だったとはな。」
「はい、私もまさか上司が朔先輩と平門先輩だとは思わなかったですよ。」
「ああ、そういやお前は平門とも知り合いなんだっけな。」
「え?……はい……。」
私と平門先輩が昔の知り合いだということを、まるで知ったふうに言った朔先輩の口調に少し疑問が浮かんだ。
朔先輩は高校のときの先輩だけど、平門先輩は大学のサークルでの先輩。
それぞれ私とは知り合いだけど、朔先輩と平門先輩は当時接点はなかったはずなのに。
私がここに入るときに、後輩だってことを事前にどちらかが言ったのかな……?
無意識に首をかしげると、昔より大人びた顔つきになった朔先輩が私を真っ直ぐ見つめてきたので……ドキッとした。
「お前、すっかり大人っぽくなったな。」
「…っ…あ、当たり前じゃないですか、何年経ったと思っているんです。」
「まぁそりゃそーか。俺の中じゃお前は制服姿で止まっていたもんなー。」
「…………」
それは、私だって同じです……。
あの頃制服を着崩していた先輩が、今じゃこんなにきっちりスーツを着こなしているなんて…想像できるわけがない。
時おり思い出す先輩は、やっぱりいつだって学校の制服姿だったんだから。
だけど、それはもう遠い過去の話だ。
一緒にいたのも……
思い出しては胸を痛めていたのも。
とにかく私は、この新しい職場で心機一転するって決めたんだから。
だから、過去になんて囚われない。そんな暇はないの。
「あの……そういうわけで、これからは部下としてよろしくお願いします。」
いくら昔馴染みでも今は上司と部下なんだから……と、挨拶からきちんとしないとと思って深々と頭を下げた。
すると先輩はなんだか気まずそうに後頭部を掻く仕草をした。
「そうあらたまるなよ、なんか違和感を感じるだろ。」
「…だって、事実ですから…。」
「いや、それはそうなんだが。ただ親しいやつに他人行儀にされるのはなんだかなぁ。」
「……他人行儀というか、上司ですから礼儀くらいわきまえます。」
……別れて何年も経った今になって久しぶりに会ったのに、それでも今も親しいなんて言えるのかな……。
わからない、恋人って別れたらどうやって友達や知り合いに戻るものなのか。
わからないから、今まで連絡もとらずにきたのに。
どうしてあなたはそんなに普通でいられるの?
もう……ずっと昔のことだからですか?
「別に俺にはかしこまらなくてもいいんだがな。…まぁ、これからよろしくな。」
「……はい。」
別れた恋人とまたよろしくするなんて、思いもしなかったよ……。
朔先輩は平気なのかな。
この人のことだから大して気にしていないのかもしれないけど……ね。
だって、終わりにしたのは朔先輩のほうなんだから。
「では、私はこれで失礼します。」
「……あのよー。」
もう一度頭を下げて去ろうとした刹那、朔先輩が私を呼び止めた。
その眼差しや表情には先ほどまでの明るい雰囲気はなく、どこか気まずそうというか後ろめたさを含んだ色を感じて……思わず心で身構えた。
「な、んですか……?」
「元気に、していたか?あれから…………」
「……っ……」
やめて……
今更、そんな気遣うふりなんてしないで。
"あれから"がいつのことか、その意味を考えたくはなかった。
だからふと、抱えたままだった書類の存在を思い出して慌てて押し付けた。
「……すみません。これ、お願いします。必要でしたら後程引き取りに来ますので。」
「え?……ああ……」
「それじゃあ失礼します……っ。」
「おい、ペコ……」
そのまま逃げるように去った私を、朔先輩は追いかけてはこなかった。
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